2008'07.08 (Tue) 01:43
「飛べない翼に、意味はあるのでしょうか」AIR、遠野美凪の台詞。
この台詞には、『意味』というものが持つ柔軟性が含まれています。
「飛べない翼に、意味はあるのでしょうか」。この言葉を分解すると、『「飛べない翼の」「意味は疑問(無い)」』、ということになります。飛べなければ意味がないのではないか、という疑問。
これはつまり、有意とは本来の使用方法・あるいは本質に宿るものであって、そうではないものは「意味があるのかどうか」疑わしい状態にあるといえます。
例えば、データが壊れて読み取れないCDに意味はあるのでしょうか。水に濡れて読めない本に意味はあるのでしょうか。
「有意性の根拠」がそこにあるのなら、その真逆は、必然的に、意味があるということになります。つまり、「飛べる翼に意味がある」ということになる。
ここには美凪の、『意味』というものの考え方が表れています。ここまでに書いてきたことを纏めると、
・有意とは本来の使用方法・あるいは本質に宿るもの
・本来の使用方法で運用されている、あるいは本質を十全に発揮できているなら、それは『意味』がある
というのが、美凪の考え方。
これは(この言葉は、この考え方は)、美凪自身のことを指しているものでもあって、だからこそ、そこに切なる希望を込めて、「あるのでしょうか」という疑問文になっています。断定ではなく、問いかけ的に。「(遠野美凪という)本来・本質が失われている自分自身に、意味はあるのでしょうか?」
■
この『意味』に関する結論は、美凪シナリオ後半に出てきます。
「意味はあるさ。 それが、空を飛んでいた日々の大切な思い出だからな」
飛べない翼にも、意味はある。空を飛んだ時の思い出が宿っているから。
これは、美凪の当初の考えに反するものです。「思い出」などというものは、「翼」の、本来でもなければ本質でもない。しかし、この『意味』を、美凪は受け入れます。
つまり、どういうことかというと、『意味』というのは、本来や本質に依拠されるものではなく、視点によって創出されるものだということなのです。
データが壊れて読み取れないCDにだって、部屋のインテリアでもベランダに鳥除けで置いとくのでも何でもいい、別の使い方はあるし、いや使わなくたって、CDが読み取れた頃の思い出や、いや一度も読み取れたことがなくても、折角買ったのに読み取れなかったという思い出が宿る。そして、そこに『意味』を見い出すことができる。
そういったことです。
つまり、「飛べない翼に意味はあるのでしょうか?」という言葉には、『意味』は一つの観点だけが根拠となるものではなく、視点によっていくらでも見い出したり創り出したりすることが出来るという、『意味』が持つ柔軟性が表れているよね、というお話です。
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2008'05.28 (Wed) 03:27
麻枝さんの世界観の魅力の一つに、最初からある縛りというか閉塞さを絶対に認めた上で先に進もうとする、という点があるかもなぁと、麻枝さん作曲・keyのボーカル曲を聞いてたら思った。
歌詞のお話。
歌詞のお話。
2008'04.26 (Sat) 03:04
公式サイトはいつになっても出来上がらないし、このまま発売中止になってしまうのかと不安を感じてさえいたのですが……ついにきました! XBOX360版『CLANNAD』の発売日が、7月17日に決定!(参照)
取りあえず、ですが。しかしまあ、隠れXBOX360ユーザーとしては喜ばざるをえません。
さて、このXBOX360版には、いくつか多機種版では見られない要素が含まれています。
現在のところは、こういった点がXBOX360版『CLANNAD』のオリジナル要素といえるのですが、他にもうひとつ、(現時点では)絶対にXBOX360でしか実現し得ないオリジナル要素があります。
それは、「実績(アチーブメント)」。
「実績」とは何かを説明させていただくと、XBOX360のゲームプレイで得られる、得点のようなものでございます。それぞれのゲーム毎に特色に応じた様々な実績が用意されており、その条件を満たすことによりポイントを得ることができます。「○面をクリア」といった普通にプレイしていれば取得できるものから、「全てのキャラのレベルをMAXまで上げる」「全てのアイテムを集める」「最高難易度で最高の評価点を得る」「オンライン対戦で○連勝する」などといった、メチャクチャ難しいものまであります。
実績を取得したからといって、何が得られるというわけではありませんが、とりあえずユーザーにとっては、面をクリアする・物語を進めるといったこと以外にも、遊び方の指針を用意してくれるものでもあります。
PC版もPS2版もPCフルボイス版も手に入れてしまった僕としては、やはり気になるのはこの「実績」です。どんな実績が登場するのか。そこだけが凄く気になっています。実績のためだけに360版を買おうかと思っているほど。実績というのはただの自己満足ですが、ゲームに対する支配欲と征服欲を満たして、ゲームとプレイヤーとの親密さを承認していると歪な勘違いができるものでもあるのです。あなたは達成してますよというのをゲーム側が承認してくれるわけなのです。だからそのために買いたいし、どんな実績になるのかが気になるのですよ(やな思想だなw)。
ということで、この『CLANNAD』の実績が、どんな感じになるのかを予想あるいは妄想してみました。
取りあえず、ですが。しかしまあ、隠れXBOX360ユーザーとしては喜ばざるをえません。
さて、このXBOX360版には、いくつか多機種版では見られない要素が含まれています。
- ・画質の向上
- HD対応画質になる(16:9、1280×720)参照
- ・ダウンロードコンテンツ
- 『光見守る坂道で』のドラマCDがダウンロードコンテンツになる"っぽい"(正式なところはまだ不明)
現在のところは、こういった点がXBOX360版『CLANNAD』のオリジナル要素といえるのですが、他にもうひとつ、(現時点では)絶対にXBOX360でしか実現し得ないオリジナル要素があります。
それは、「実績(アチーブメント)」。
「実績」とは何かを説明させていただくと、XBOX360のゲームプレイで得られる、得点のようなものでございます。それぞれのゲーム毎に特色に応じた様々な実績が用意されており、その条件を満たすことによりポイントを得ることができます。「○面をクリア」といった普通にプレイしていれば取得できるものから、「全てのキャラのレベルをMAXまで上げる」「全てのアイテムを集める」「最高難易度で最高の評価点を得る」「オンライン対戦で○連勝する」などといった、メチャクチャ難しいものまであります。
実績を取得したからといって、何が得られるというわけではありませんが、とりあえずユーザーにとっては、面をクリアする・物語を進めるといったこと以外にも、遊び方の指針を用意してくれるものでもあります。
PC版もPS2版もPCフルボイス版も手に入れてしまった僕としては、やはり気になるのはこの「実績」です。どんな実績が登場するのか。そこだけが凄く気になっています。実績のためだけに360版を買おうかと思っているほど。実績というのはただの自己満足ですが、ゲームに対する支配欲と征服欲を満たして、ゲームとプレイヤーとの親密さを承認していると歪な勘違いができるものでもあるのです。あなたは達成してますよというのをゲーム側が承認してくれるわけなのです。だからそのために買いたいし、どんな実績になるのかが気になるのですよ(やな思想だなw)。
ということで、この『CLANNAD』の実績が、どんな感じになるのかを予想あるいは妄想してみました。
2008'03.27 (Thu) 01:31
なんでか昨日(http://bdkiss.blog54.fc2.com/blog-entry-499.html)の続き。
確定じゃなくて思考の途中、メモ的なニュアンスで。
・設定と物語の違い。いささか恣意的。まあ元々、お話って恣意的に作られてるものだし。
・個人的な考えとしては。『設定』は揺るがないもの。それがもたらす影響ってのはおおよそ確定していて、変化がない。物語に最初からおおよそ確定して癒着しちゃってる。
・生年月日とか性別とか生まれとかは、それを覆す"新事実発覚!実はアメリカ生まれ!"みたいなオチでもないかぎり、当然最初から最後まで、どういう影響を与えるかがおおよそ確定して存在し続ける『設定』であるのだけど、過去の出来事ってのも、実質それと同じく『設定』でしかなかったりする場合がある。
機能として、生年月日とか性別とか生まれとかと同じく、物語がはじまる前から決定済みで、物語内でほとんど変化せず、影響が始めから定められている。
これは読み手にとって、じゃなくて、作中人物にとって、の話。いや、読み手にとっての作中人物にとって、かも。読み手に対しては情報量でコントロールできちゃうから、一緒くたにしたらアンフェアじゃないかなー、と思う。
確定じゃなくて思考の途中、メモ的なニュアンスで。
・設定と物語の違い。いささか恣意的。まあ元々、お話って恣意的に作られてるものだし。
・個人的な考えとしては。『設定』は揺るがないもの。それがもたらす影響ってのはおおよそ確定していて、変化がない。物語に最初からおおよそ確定して癒着しちゃってる。
・生年月日とか性別とか生まれとかは、それを覆す"新事実発覚!実はアメリカ生まれ!"みたいなオチでもないかぎり、当然最初から最後まで、どういう影響を与えるかがおおよそ確定して存在し続ける『設定』であるのだけど、過去の出来事ってのも、実質それと同じく『設定』でしかなかったりする場合がある。
機能として、生年月日とか性別とか生まれとかと同じく、物語がはじまる前から決定済みで、物語内でほとんど変化せず、影響が始めから定められている。
これは読み手にとって、じゃなくて、作中人物にとって、の話。いや、読み手にとっての作中人物にとって、かも。読み手に対しては情報量でコントロールできちゃうから、一緒くたにしたらアンフェアじゃないかなー、と思う。
2008'03.25 (Tue) 21:32
keyの物語ってゲーム開始時がはじまりのように見せかけて、その実もっと前からはじまっていたり、だったり。Keyっていうか色んなギャルゲーに当て嵌まりそうだけど、鍵ゲー以外殆どやらないからそこには踏み込めないけど。
もちろん全部が全部そうではなくて、例えば幼馴染とか以前からの友達とかは除外されるんだけど。
てゆうか『CLANNAD』と『Kanon』しか念頭に置いてないんだけど。まあそれはともかく。
たとえば『CLANNAD』だったら、渚・ことみ・風子・智代は、ゲーム開始後に岡崎朋也が出会う人間で、それぞれのルートって意味での物語の開始場所も、朋也が彼女たちと出会った時、少なくともゲーム開始後、みたいに見えます。杏はゲーム開始前から朋也と知り合いで、お互い相手に感情を抱いていて、ゲーム開始時には既に物語がはじまってるんだけど、他のキャラは全く知らない状態なので、ゲーム開始時にはまだ物語ははじまっていない。プレイヤーがスタートボタンを押して、はじめて物語がはじまるように見える。
のだけど。
昔の親の夢どうこうとか過去の諦めとかが色々絡む渚のお話とか、出会う前に既に事故ってた風子のお話しとか。実は過去に出会ってた、なんてことみは典型的。
実はそれぞれ、過去のアレコレとかが、そのルートの物語で非常に重要になってきて、つまりゲーム開始時にはそれと気付けなかっただけで、「物語は既にはじまっていた」ということになる。
今のこの性格を形成しているのは過去があって、てのは当然だけど、それ以上の意味を、過去が、物語の中で成している。そんだけ過去が強いんだから、物語の開始時点って、「その過去」なんじゃねっていう。
『CLANNAD』のことみシナリオとか、『Kanon』の栞以外は、過去に主人公とその人物が出会って(どころか、ある程度の因縁を作って)いるので、むしろ物語開始がゲームスタート時からみて過去であるのは当たり前なんですけど、ゲーム開始時には"そうであるということ"がわからない、っていうかかなりゲーム(物語)を進めないとわからない。ああ、ギャルゲーってどの物語(誰ルート)だろうと、大抵スタート地点は一緒だから、こういうことが起こる……というか、ストーリーとプロットが基本的には同じで、特に共通ルート時に過去の話をするのが難しい(だから夢とか、寝てる間に見る記憶とかになっちゃいやすい)から、物語を結構なくらい進めないと判明しなかったりするのか。
…ああ、"実は因縁がある"、っていうのがいいのか。そこには"実は彼と彼女である必然性がある"というのが生まれるから。これが実はじゃなくて、最初から因縁があるとわかっていると、数いる子の中からその子を選んだことが(その子ルートに進んだことが)、主体的なものじゃなくて、いかにもお膳立てされたもののようになってしまう。メインの子というか、圧倒的にメインのお話が一本あってそれで、っていうのならいいんだろうけど、そうじゃないと他の子の、他のお話が、メインのお話の運命から比べればおまけにしかならないよな、という。選んだこの物語はこの作品の中ではメインじゃ無いが、俺にとってはメインだ、という強度を出すのが厳しくなる。とか。だから「みずいろ」冒頭の過去パートは案外薄いものだったんだ、とか(当てずっぽう)。
で、話を戻しまして。
そういう、過去からの因縁がある物語は、まあその前提であるのですから当然、彼と彼女であるという必然性が、運命が、生まれるわけですけど。
そうではない……『CLANNAD』でいえば、渚とか、風子とか智代とかでも、絡む過去を隠しといて後で露見する――物語が実は過去からはじまっている――というのでも。
かえって運命的というか、相手が"朋也である"ということの必然性を生み出してるように見える、っていうか。過去のアレコレが絡んでくるお話で、それを乗り越えるなり受け入れるなりに、主人公がこいつ(朋也)である、ということが、まるで必然的に思えてくる。過去のトラウマでも呪縛でも軋轢でもなんでもいいんですけど、過去には、朋也がいなかったから、それがトラウマや呪縛や軋轢になった。けれど今は、朋也がいるからそれを乗り越えられた・受け入れられた――みたいなのが、つまり過去を表出し、それを乗り越えたり受け入れたりすることは、今ここにいる彼と彼女じゃなきゃできないことで、そこに必然性が担保されてる、とか。
で、必然があれば当然運命であって。たとえば、現在自分がここにいることが必然だとすれば、過去はここに(その必然に)至るための運命である、といえる。
必然って言っても、この物語において(この物語にするには)必然なだけであって、この物語からすれば必然なだけであって、違う物語ならまったく必然じゃない――たとえば渚の相手が朋也じゃなくて春原なら、この物語じゃないけれど、違う物語が生まれる。その違う物語の存在には、春原が必然である――なんですけど、ゲームの中のそのキャラクターの物語はひとつ、正統ルートはひとつであって(少なくともCLANNADにおいては一つであって)(渚ルートのBADではない正統なものはあの一つしかないように)、他のが描かれる可能性が存在しない以上、彼と彼女であることは、物語の中じゃ"必然"であって、そして"運命"でもある。
って、これだけじゃ「実は物語は過去にはじまっている」である意味が薄いなあ。
プレイヤーが知らないこと、ってのが重要なんでしょうか。
スタートボタン押したところが物語の始点かと思ったら、実はとっくにはじまっていた。こっちはそれがスタート地点かと思ってたけど、実はインメディアスレースだった。読み手にとっては、なんか因縁なり因果なり運命なり必然なりがいきなり出てきたようなもので、ある種醒めやすいっていうか、またかよーまた過去のトラウマモノかよー、みたいな感じではあるんだけど、物語のはじまる前(と見えていた)知らないものが重要になってしまうというところが、因縁めいている、とか。過去が重要になるってことを知ってたら、そりゃただの順当であって、知らないからこそ、因縁とか運命とか感じえる、とか。
もちろん全部が全部そうではなくて、例えば幼馴染とか以前からの友達とかは除外されるんだけど。
てゆうか『CLANNAD』と『Kanon』しか念頭に置いてないんだけど。まあそれはともかく。
たとえば『CLANNAD』だったら、渚・ことみ・風子・智代は、ゲーム開始後に岡崎朋也が出会う人間で、それぞれのルートって意味での物語の開始場所も、朋也が彼女たちと出会った時、少なくともゲーム開始後、みたいに見えます。杏はゲーム開始前から朋也と知り合いで、お互い相手に感情を抱いていて、ゲーム開始時には既に物語がはじまってるんだけど、他のキャラは全く知らない状態なので、ゲーム開始時にはまだ物語ははじまっていない。プレイヤーがスタートボタンを押して、はじめて物語がはじまるように見える。
のだけど。
昔の親の夢どうこうとか過去の諦めとかが色々絡む渚のお話とか、出会う前に既に事故ってた風子のお話しとか。実は過去に出会ってた、なんてことみは典型的。
実はそれぞれ、過去のアレコレとかが、そのルートの物語で非常に重要になってきて、つまりゲーム開始時にはそれと気付けなかっただけで、「物語は既にはじまっていた」ということになる。
今のこの性格を形成しているのは過去があって、てのは当然だけど、それ以上の意味を、過去が、物語の中で成している。そんだけ過去が強いんだから、物語の開始時点って、「その過去」なんじゃねっていう。
『CLANNAD』のことみシナリオとか、『Kanon』の栞以外は、過去に主人公とその人物が出会って(どころか、ある程度の因縁を作って)いるので、むしろ物語開始がゲームスタート時からみて過去であるのは当たり前なんですけど、ゲーム開始時には"そうであるということ"がわからない、っていうかかなりゲーム(物語)を進めないとわからない。ああ、ギャルゲーってどの物語(誰ルート)だろうと、大抵スタート地点は一緒だから、こういうことが起こる……というか、ストーリーとプロットが基本的には同じで、特に共通ルート時に過去の話をするのが難しい(だから夢とか、寝てる間に見る記憶とかになっちゃいやすい)から、物語を結構なくらい進めないと判明しなかったりするのか。
…ああ、"実は因縁がある"、っていうのがいいのか。そこには"実は彼と彼女である必然性がある"というのが生まれるから。これが実はじゃなくて、最初から因縁があるとわかっていると、数いる子の中からその子を選んだことが(その子ルートに進んだことが)、主体的なものじゃなくて、いかにもお膳立てされたもののようになってしまう。メインの子というか、圧倒的にメインのお話が一本あってそれで、っていうのならいいんだろうけど、そうじゃないと他の子の、他のお話が、メインのお話の運命から比べればおまけにしかならないよな、という。選んだこの物語はこの作品の中ではメインじゃ無いが、俺にとってはメインだ、という強度を出すのが厳しくなる。とか。だから「みずいろ」冒頭の過去パートは案外薄いものだったんだ、とか(当てずっぽう)。
で、話を戻しまして。
そういう、過去からの因縁がある物語は、まあその前提であるのですから当然、彼と彼女であるという必然性が、運命が、生まれるわけですけど。
そうではない……『CLANNAD』でいえば、渚とか、風子とか智代とかでも、絡む過去を隠しといて後で露見する――物語が実は過去からはじまっている――というのでも。
かえって運命的というか、相手が"朋也である"ということの必然性を生み出してるように見える、っていうか。過去のアレコレが絡んでくるお話で、それを乗り越えるなり受け入れるなりに、主人公がこいつ(朋也)である、ということが、まるで必然的に思えてくる。過去のトラウマでも呪縛でも軋轢でもなんでもいいんですけど、過去には、朋也がいなかったから、それがトラウマや呪縛や軋轢になった。けれど今は、朋也がいるからそれを乗り越えられた・受け入れられた――みたいなのが、つまり過去を表出し、それを乗り越えたり受け入れたりすることは、今ここにいる彼と彼女じゃなきゃできないことで、そこに必然性が担保されてる、とか。
で、必然があれば当然運命であって。たとえば、現在自分がここにいることが必然だとすれば、過去はここに(その必然に)至るための運命である、といえる。
必然って言っても、この物語において(この物語にするには)必然なだけであって、この物語からすれば必然なだけであって、違う物語ならまったく必然じゃない――たとえば渚の相手が朋也じゃなくて春原なら、この物語じゃないけれど、違う物語が生まれる。その違う物語の存在には、春原が必然である――なんですけど、ゲームの中のそのキャラクターの物語はひとつ、正統ルートはひとつであって(少なくともCLANNADにおいては一つであって)(渚ルートのBADではない正統なものはあの一つしかないように)、他のが描かれる可能性が存在しない以上、彼と彼女であることは、物語の中じゃ"必然"であって、そして"運命"でもある。
って、これだけじゃ「実は物語は過去にはじまっている」である意味が薄いなあ。
プレイヤーが知らないこと、ってのが重要なんでしょうか。
スタートボタン押したところが物語の始点かと思ったら、実はとっくにはじまっていた。こっちはそれがスタート地点かと思ってたけど、実はインメディアスレースだった。読み手にとっては、なんか因縁なり因果なり運命なり必然なりがいきなり出てきたようなもので、ある種醒めやすいっていうか、またかよーまた過去のトラウマモノかよー、みたいな感じではあるんだけど、物語のはじまる前(と見えていた)知らないものが重要になってしまうというところが、因縁めいている、とか。過去が重要になるってことを知ってたら、そりゃただの順当であって、知らないからこそ、因縁とか運命とか感じえる、とか。