らき☆すた 8話 「私じゃなくても旺盛」
『CROSS†CHANNEL』と『人類は衰退しました』との関連性
2007-05-28
仮稿です(永遠の)!まだ「人類は衰退しました」が序章な感じですので、仮でしか書けません!
とあと、僕は『CROSS†CHANNEL』を長い間やってないので、ちょこっとうろ覚えで書いてますごめんなさい!
ということで、
「人類は衰退しました」
「CROSS†CHANNEL」
両作品のネタバレ含みます。
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「人類は衰退しました」ネタバレ含み感想 コミュニケーションの、お話し
田中ロミオ「人類は衰退しました」感想
2007-05-26

まずはネタバレなしで感想を。
凄くいいです。もの凄くいい。
買ったその日に読み終わった小説なんて多分はじめてなんです。しかも軽く徹夜したし。
本当ね、田中ロミオさんは文章がステキなんです。めっちゃステキ文章。
特に前半部なんかは少し驚きで、氏があとがきで書かれていたとおり、「児童文学っぽいタッチでキレイな作風」だったりします。
そんな訳で序盤は、
語彙の選択が適度に卑怯で、多彩な修辞がさんざめき、表現の倒置は効果的な認識を揺さぶり、冷徹に写実したかと思えば、擬人化した花鳥風月にあらゆる叙情を演じさせ、センテンスの切れ目に浮かぶ静寂が饒舌に伝えるのも束の間、朴訥さをもって畳みかける登場人物の慟哭は気付けば韻文学の余情をたたえ…………それらは読書中の僕らの双眸が必要以上に潤むところで区切りよく軽やかに収斂していくのです。
なんて未来を思い浮かべたのですが、
途中からどんどん文章がドライヴしていかれまして、児童文学もキレイな作風も徐々に徐々に解かれていきましたとさ。
もちろん、この作風というか文章というか、それの変化にも理由があるんですよね。そして動いていった文章にもまた、ステキオーラが宿りまくっているのです。
ネタバレなしだとこんくらいしか書けないです。
とにかくいい。凄くいい。あと何気に笑えます。和みます。癒されます。明日への活力もらえます。いやむしろ奪われます。とにかく素晴らしいです。クロスチャンネラーな貴方も、「僕の本当の名字は高屋敷!」とか思い込んでる貴方も、フェルネラントから未だに帰ってきていない貴方も、是非是非これを読みまくるべきです。もちろん、「田中ロミオってだれー?」なキミも是非読んでみるべきなのです(でも「田中ロミオ」で検索だけはカンベンな!)。読んで一緒に、悶え苦しみましょう!
もうどうしようもなく最高で大好きになっちゃったので、後でネタバレで色々書きます。
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らき☆すた 7話「イメージ」 感想
2007-05-23

イメージとは何でしょう?
何らかの対象について、『想像』をすることです。
東京は〜〜な都市というイメージだ、Aさんはこんな人だ、『らき☆すた』って○○だ。
人は誰でも、イメージを行なうことが出来ます。
東京に行ったことない人でも、東京に住んでる人でも、『東京』というものをイメージ出来るし、
Aさんに会ったことない人も、Aさんと付き合い深い人も、そもそもAさんって誰?という人でも、『Aさん』という人物をイメージすることが出来る。
イメージってつまり『想像』ですからね。知っているか否かとか、体験した事があるか否かとか、関係ないんです。想像するだけなら、誰でもできます。
ですが、そのイメージには、個々人に違いが生じます。
東京に行ったことない人と、東京に長いこと住んでいる人とでは、『東京』に対するイメージは大きく違うでしょう。Aさんに会ったことない人と、Aさんとの付き合いが長い人とでは、彼に対するイメージが大きく違ってくることでしょう。
知識や経験の有無に関わらず、イメージをすることは出来るけれど、そのイメージの違いには、知識や経験の有無が大いに関わってくるのです。
とはいえ、イメージに違いをもたらすのは、知識や経験の差だけではありません。
例えば、同じ東京に対するイメージでも、「10年間東京に住んでるけど秋葉原しか行かないぜ!」という人と、「10年間東京に住んでるけど六本木でしか遊ばないぜ!」という人と、「10年間東京に住んでるけど会社と近くのスーパー以外に何処も行ったことないぜorz」という人では、そのイメージは違ってくるでしょう。
例えば、Aさんと10年来の付き合いがある人間が二人いたとして、一人は「俺はAさんのこと大好きだぜ」と思っており、もう一人は「Aさんとは10年も付き合いがあるけど、実はあんまり馬が合わないんだよな〜」などと思っていれば、当然この二人の間でのAさんに対するイメージは違ってくるでしょう。
イメージに違いが生じるのは、知識の差や経験の有無が理由としてあるけれど、それ以外にも、その人の趣味・趣向や、その人の性質・考え・好き嫌いなども影響してくるということです。
知識・経験・趣味・趣向・性質・考え・好き嫌い。
それらによって違いが生じるイメージ・想像。
逆に言うと、イメージというものは、そのイメージする人の「知識・経験・趣味・趣向・性質・考え・好き嫌い」によって作られているのです。
要すると、イメージというものは、その『イメージする人自身』で作られているということです。
勿論、全部が全部、『その人自身』が出ている訳ではありません。常識とか固定観念とかあります。趣味や好き嫌いなどの、前述のどれか一要素のみが先行する場合もあります。それでも、逆に、そこが先行することこそが、その人自身なのです。固定観念や常識に縛られる部分もある。趣味や好みが急に幅を利かす場面がある。その部分や場面で、それらが発揮されてしまうことこそが、その人が「そういう人である」ということを、雄弁に語っているのです。
そもそもイメージというものには、作為が入り込む余地が殆ど存在しません。
感想のように『他人に表明するものではない』、
批評や考察のように、『理論があるものではない』ので、
その『イメージする人自身』が非常に見えてくるものなのです。
自分が自分自身の中からのみ生み出して、他人に見せることなく自分の中でのみ完結する。
勿論、らき☆すた作中のように、イメージから会話をはずませたり、固定観念のように、ある程度の縛りごとは存在します。それでも他の物事から比べれば非常に『自由』なんです。自分の中から生み出されて、自分の中だけで消費される。ともすればイメージなんてものは、そのイメージされる対象に対して「無責任」なのですが、だからこそ「自由」なんです。何にも縛られていないからこそ、その人自身を出してくれる。
一つだけのイメージから、その人が判明することはありません。けれど、幾つものイメージを積み重ねれば、その人の「知識・経験・趣味・趣向・性質・考え・好き嫌い」が見えてくる。その人自身が、分かる。
ということで、『らき☆すた』7話「イメージ」。
つまりはキャラクター紹介なのです。
「すべF」読んで思ったこと。現実と作品、作品と僕ら、僕らと現実。何処までも続く情報交換。
2007-05-21
(ネタバレしないように、暗喩っぽくネタバレ書きます。てゆうか、「すべてがFになる」の感想なんかを書いたつもりだったのですが、どう見ても感想じゃありません。もう「すべF」関係なくね?って感じ。ある意味、どの作品と受け取り手においても、いえることなのかも。今僕が大ハマリしている、「らき☆すた」なんかでもいえることなのかも。なので、ネタバレとか結構大丈夫かも。かも。
なんで今更「すべF」について書いてるかというと、僕が読み終わったのが今更だからです)

「完全になろうという、不完全さだ……」
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ヒロイック・エイジ 7話感想
2007-05-17

「忘れるな。お前達は銀の種族の犬だということを」
(意味的には同じ)
ファーストカットからしてこれか!
いやもうすんばらしい!
目を閉じていたユティさまが目を開くと同時に「忘れるな」。強い命令口調。絶対遵守せざるを得ない凍てつく眼つき。

先週にもあった、破壊を強要するユティさま。
ああ、なんという恐ろしさや。
『契約』によってノドス達を縛り付けるユティ様と、
『契約』があっても未来に連れて行って欲しいと願うエイジ。
戦いを強要するユティ様と、運命の悲惨さを語るノドス。
ああ、もう、なんか素晴らしい!
素晴らしくいい!
このちょっとした対比が、ユティ様の極悪で凶悪で劣悪で冷酷で冷淡で冷静で残忍で残虐で残酷なところが出しまくっている!出来ておる、出来ておる喃、製作者は!
ヒロイック・エイジ 6話所感
2007-05-16
あの「悪魔の子」に(僕の心が)乗っ取られていたお陰ですっかり忘れていましたが、「ヒロイック・エイジ」6話の感想。面白かったです。
てゆうか、すげー面白い。
ヒロイックエイジ、ホント面白いです。
ちょっと思ったのが、エイジの、というか姫様とか含めて、彼らが目指す未来って「失われたもの」であり、それを手にする過程がまた「失っていくこと」かなぁとか。
かつての母星、地球を失って。それを取り戻すのが、姫様たち人間の未来。
かつての母星の自然が失われて。それを取り戻すのが、エイジの未来。
それらを手にする過程でもまた、色々と失っていく。
人間側は、今回エイジとはぐれてしまったように。
エイジなら、自分の色々なものを失わせるであろう「十二の契約」のように。
失うことから全ては始まるのに、取り戻すためにはさらに失ってしまう。その過程で失ってしまったものも、また、取り戻したいと願うのでしょうか。
面白いし、良い素材(ドSの)もいるしで、「ヒロイック・エイジ」かなり期待です。まじで。
『らき☆すた』と僕たち(というか、僕)って、こなたとかがみたちに似ている
2007-05-15
「らき☆すた」と僕たちって、こなたとかがみたちに似ているけど、こなたとかがみたちのように果たしてなれるのでしょうか。先週に書いたことと同じようなコトですが、今週の放送を見て余計そう思ってしまいました。
絶妙なるバランス感覚 「らき☆すた6話 夏の定番」
2007-05-15
夏の定番というと、なんでしょう。今回の『らき☆すた』のタイトルは【夏の定番】。
原作には、その名前のエピソードはありません。
代わりに、【海の定番】という名のエピソードはあります。

スイカ割りのくだり、ここが【海の定番】ですね。
こなたが言っていたように、漫画などで出てくる海描写では結構定番であったりします。
スイカ割りで一番必要な要素はなんでしょうか?
僕は、バランス感覚だと思うのです。
目隠しをして歩くという行為。
前が見えない。それどころか、横も後も見えない。何も見えない。
頼りになるのは、周りにいる人々の声。
けれど、彼らが「前だー!」「右だー!」「左だー!」と言ったところで、僕らが上手いことソッチに行けるとは限らない。見えない中で、真っ直ぐ歩くのは大変です。バランス感覚が、非常に重要になってきます。
ということで。
バランス感覚になぜか注目して物語をでっち上げる、『らき☆すた』6話感想、はじまります(なのはのアバンっぽく)
真剣ドSしゃべり場 「ヒロイック・エイジ」に居られる、『悪魔』の子について
2007-05-14

あ、悪魔じゃっ!
ヒロイックエイジには悪魔がひそんでおるぅ!!
ということで。
この「悪魔」の扱いをどうするかということで、急遽僕の中で開かれた第三回「真剣ドSしゃべり場」。
今までの「真剣ドSしゃべり場」のバックナンバーはこちら↓。
第一回
第二回
第ゼロ回(コードギアスの感想ですが、途中、ドSのことしか喋らなくなったので)
残念ながら、タイトルどおり「真剣に」ドSについて喋る内容となっております。
真剣ドSしゃべり場 「ヒロイック・エイジ」に居られる、『悪魔』の子について の続きを読む
ヒロイック・エイジ5話
2007-05-12
おお、面白いぞ!ようやく設定が分かり始めてきたし、なにより、謎だらけ人物のエイジ君&姫様以外にも軸が置かれてきた、ってのが大きいかも。イオラオスかわいいよイオラオス。イオラオス君っていかにも「かませ」な感じで、実際にそうなんだけど(戦いも恋も)、けれど彼なりに不器用なりに頑張っている。いやもう、実直な奴だから、ライバルだし嫌悪対象でもあるエイジに対しても信頼しちゃったりするんでしょうね。イオラオスかわいいよイオラオス。
そして艦長もかわいいよ艦長。ホント、「艦」の「長」って感じ。もちろんお付の謎のマスコットキャラクターもかわいい。このヒゲオッサンと魔法少女マスコットの組み合わせに、少しもシュールさを感じなくなった時はじめて、この作品にのめり込んでいるといえるのでしょう(てきとう)。
ケツアゴもかわいいよケツアゴも。ケツアゴはケツアゴの声の人の、中立惑星の盟主みたいな存在の微妙にケツアゴなあの人のことです。
つまり、みんなかわいいよみんな、ってことで。
イオラオス君の話とか特に付いていけるので分かりやすい(しかもエイジの話も兼ねているし)。

帰還したエイジをイオラオスが受け止めて、あの「声が聞こえない」というシーンの演出が素晴らしくステキです。疲れきったエイジをイオラオスが受け止める、というシーンなのですが、声が聞こえない、つまり会話というコミュニケーションが断絶されてる瞬間なんです。あの場面に辿り着くには、冒頭にあったイオラオスの「信頼」があったのですが、それは会話で築かれたものではなく、エイジの(そしてベルクロスの)行動の先に起こった信頼。その行動は、別にエイジが狙って起こしているものではない。つまり、イオラオスはエイジの行動から一方的に歩み寄って、勝手に信頼しているわけです。
エイジ(ベルクロス)の圧倒的な力にイオラオスは自分の無力さを感じ取ったりしてるのですが、それも勿論エイジがイオラオスに無力感を味合わさせる為にとった行動ではない、つまりイオラオスは勝手に無力さを感じ取ってしまってる訳です。
信頼も、無力を感じるのも、そこから畏怖に発展するのも、全て狙いからくる結果ではなく、ある事象に対して受け取り手が勝手に「そうだと」思ってしまってるわけです。もうね、前提の部分で十分コミュニケーションは断絶されてるのです。だってコミュニケーションから来る信頼とか無力感とかじゃないんだから。会話で起きた感情ではないんです。
それでも、人間に戻ったエイジをイオラオスは受け止めて、しかも「それでも」、エイジはなんか言葉を発する。そしてそれは、イオラオスには聞こえない。会話以外で勝手に起こった信頼とか無力感に、届かない会話でのアンサーを与えちゃってるんです。なのに、エイジは「イオラオスは風」とか言っちゃってる。「あなたの声は、優しくて強い風」だと。声、つまり会話が断絶されているのに、それでもなお声、つまり会話が存在している。会話に関係なく起きた心情が、届かない会話に帰結しているのに、なお、声が優しくて強いと言っているのです。ああ、なんつうか、聞こえるだけが会話じゃないんだな、って感じ。エイジの声はここではイオラオスに届いていないんだけど、きっと想いはイオラオスに十分届いているんだろうと、見ている僕らは思えるのです。だって僕らにすら、ここでエイジが何を言っているのかが大体想像付くくらいなんだし。人が人をどう思うかは会話だけではない。イオラオスのエイジに対する感情が、嫌悪から信頼に、さらに無力感を自覚することに変わっていったのは、殆ど全てエイジとの会話からそうなったのではなくて、エイジの「行動から」彼がそう思ったことなんだけど、その「行動」というのも、「会話」であるんじゃないだろうか。宇宙空間での届かない筈の声を聞いてると、そんなことを思ってしまいます。
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あのドSの娘さんは、今のトコ「ドS」というよりもただの「怖い人」って感じです(笑)。
ヒロイック・エイジ 3話と4話の感想
2007-05-12
■ヒロイック・エイジ 3話感想たしか、それなりに、面白かったような気がするんだけど。
4話を見たら、全てを忘れてしまいました。
■ヒロイック・エイジ 4話感想
「ヒロイック・エイジ」の物語の特徴
2007-05-12
「ヒロイック・エイジ」。とりあえず、3話の最初の10分くらいまで見ました。
だから今頃超遅反応。
冲方丁という才能はなぜアニメで成功をおさめられないのか?
(僕は冲方丁さんが手がけたもの、この「ヒロイック・エイジ」と「シュヴァリエを2話まで」くらいしか見たことないので、全然冲方丁さんと関係ない話かもしれないです。なのでその時は、「ヒロイック・エイジ」単体の話だと思って下さい)
物語が把握を外れることが問題なんですね。
アニメにおいて、『物語』というものは存在していないのです。いや、存在してるのだけど、形を持っては存在していないのです。
例えばこの「ヒロイック・エイジ」でいえば、
人類は自分らを救う人物を探す旅に出ています、
遠い遠い星で、その自分達を救う人物=エイジを見つけます、
エイジは金の種族に育てられ、英雄の種族を己に宿しています、
エイジはその遠い遠い星にやってきた青銅の種族をやつけます、
戦いでその星にあったエイジの住処は破壊されました、
エイジは人類の船に一緒に乗ります、
帰路に出てきた青銅の種族も倒します、
というのが、この2話終了時までの物語、みたいなモノだと思うのですが。
これって別に、作品の中では一言も「このようなこと」が語られてはいないのです。台詞になっていないし、テロップにも出されていない。ただ、それを『行なっている』『行なわれている』場面、それとそういう内容だというベクトルの台詞が加えられているだけです。
繋ぎ合わせれば、『物語』は確固としたもので存在しているけど、そもそものソレは、一つ一つの『出来事』なだけなんですよね。その『出来事』を、繋ぎ合わせて『物語』にしているのは、これを見ている視聴者の頭の中なんです(勿論、作者側が「そういう物語」を想定した構成にしているからこそ、「そういう物語」が視聴者によって紡ぎ出されるのでしょう)。だからこそ、同じ作品を見ているのに、人によって「微妙に違う内容」が認識されてたりするのですが。
出来事を結び付けるための要因は、『因果関係』です。
AをしたからBになった、CだったからDなのだ、という原因と結果ですね。
出来事と出来事の繰り返しで、作品に出てくるキャラクターや組織や団体・物質・要素・設定、それらに変化が起きていきます。それを、因果関係をもってして納得できる繋ぎあわせにするわけです。たとえば、人類はエイジを探しに行ったからエイジを見つけた、エイジは英雄の種族をその身に宿してるから青銅の種族を倒せた、とか。これらは『因果』として十分納得出来る訳です。さらには「因」自体の因、すなわち、なんで人類はエイジ探したのとか、なんでエイジは英雄の種族を身に宿してるのとかも、3話までいけば説明されるのでより納得出来ます。
この「因」自体も、作品内で「これが因ですよ〜」とか語られる訳ではないので、そこの掴み方によっては、これまた人によって物語が「微妙に違う」ものに認識されたりするのです。物語が理解できなかったり、あるいは、キャラクターのある一つの不自然な(もしくは自然な)行動に、納得できる理由を見つけられたりと、人によって少しづつ物語の認識、ひいては作品内容の認識が変わってくるのです。たまに、もの凄い鋭かったりユニークな視点での物語の感想を書くサイトさんを見かけたりしますが、そういった方はその「因」を見つけるのが凄い上手かったりするのですね。
因果関係がめちゃくちゃだったり、突拍子も無さすぎる出来事だったりすると、いわゆる「超展開」とかいうモノになったりします。因果を超越しちゃった展開な訳です(字面だけみるとカッコイイ)。
ということで。物語というのは、出来事と出来事、それによって生じる変化の結び付き―――すなわち因果ですね、それによって紡ぎ出されます。
作中の出来事なり演技なり台詞なりで説明される、数々の『因』、それを把握することで『果』が把握できる、そしてその『果』自体が新たな『因』となる場合も多々あり、それを把握しているからこそ、続く出来事の『果』も把握できる―――そうして、物語自体を紡ぎ出していくことが出来る。
で、この「ヒロイック・エイジ」は、その因果の因が、把握から一端外れることが結構あるんですね。
たとえば、黄金の種族って何さ?とか、銀の種族って?青銅の(ry 英雄の(ry
これ何時代、姫様の超能力って?、てゆうか何処かの国の姫様なの?、わからん用語が死ぬほど出てくる、わからん設定が死ぬほど出てくる、
そもそも、何で黄金の種族はどこかいっちゃったの、なんで銀とか青銅とか鉄とか戦ってるの?とかとか。
因の因となる、大元に分からないことがかなりあったりするのです。
その辺がどうも、悲しいかな問題点なのかもなぁとか。
大元に分からないことだらけとはいっても、例えば「新世紀エヴァンゲリオン」なんかは分からないことの権化みたいな存在だけど、その「分からない」という『因』が、出来事の直近のもしくは重要な『因』に結び付くことが少なかった、というのが物語に熱量を持てた理由ではないでしょうか。使徒の存在とかエヴァの存在とか、セカンドインパクトとか分からないこと沢山ありましたが、物語の基本軸はキャラクターの上に乗っていた(特に中盤以降までは、それら分からないことは主軸から基本的に「放置していた」)ので、出来事の「因果」が掴みやすい、例えば序盤なんかはシンジ君の心情の因果を掴んどけばオッケーみたいな感じですし、中盤はそこにキャラが増えるといった感じで、終盤くらいまでは、出来事と出来事の因果に対する把握が、基本軸上は難しくなかったのです。分からない設定を分からないまま放置して、「分かる」キャラクターに主軸を持ってきて、その間に分からない設定の外堀を少しだけ埋めたりしていたからこそ、「分からないこと」だらけなのに、物語に熱量を持てた、つまり『のめり込めた』わけです。(物語の基本軸や主軸というのは、出来事と出来事たちの、ベクトルのことです(俺用語です))
この「ヒロイック・エイジ」の場合は、その「分からない」部分が、現在の出来事の『因』、もしくは『因の因』にそこそこ繋がっている感があるんですね。2話終了時点では、なんだって十二の契約なんてものがあるんだか、なんでエイジは英雄の種族に変身できるのか、なんだって戦ってるのか、なんで黄金の種族が何処か行っちゃったのか、とかとか、全然分からない。分からないのに、重要そうに語られてしまう。出来事と出来事の因果を紡ぎ合わせて物語を創出するのに、その「因」の重要な部分に、分からないところ―――不透明なところが出来てしまうと、僕たちが見出す物語自体が何処か不透明な、流動的なものになってしまうのです。(勘違いないように言っておくと、分からない部分があるのが問題なんじゃないんです。分からない部分が物語の主軸の因の大きな要素になってしまうということが、問題なんです)
とはいえ。
分からない因の部分、例えばなんで十二の契約があるのとか、なんでエイジは英雄の種族に変身できるのとかを、3話冒頭でさっさと説明してしまいます。重要な因で分からない部分があるとか言っても、少し後で、その「因」を説明してくれるのです。
『果』のあとに、その『因』を補足する。
ここが多分、一番の特徴なんじゃないかなとか思うんです。
なにか出来事があって。それ自体が因となって、次なる出来事「果」が起こる。そしてまた、その出来事も「因」となり、次の出来事「果」が起きて、それもまた(因は当然一つではなくて、あくまでここでの因はその一要素です)………の繰り返し、そしてその出来事の『一貫性』から、物語というものを紡ぎ出すのですが、その「因」を「果」のあとに補足する、というような作りが、一番の特徴なんじゃないかと思います。
で、これは、通しで見ると問題ないのですが、例えば3話冒頭の説明のように、「一週間後にネタばらし」だと、結構辛いものがあるかもしれません。大体、先週の内容忘れちゃったよ〜とかなったら、もうどうしようもないんじゃないかと。この、物語を構築するのに、重要な要素が視聴者の把握の外にそれなりにある点と、因果を倒錯させてしまっている点が、リンク先の文章で語られている諸問題に繋がらないかなぁ〜とか。一言で言うと、この作品というか、冲方丁さんの作品って物語を見出すのに「難しい」、とか。
とはいえ、最初に書いたとおり、冲方丁さんの作品全然知らないので、全く的外れなこと書いてるかもしれません。その時は、ヒロイック・エイジについて書いてるということでひとつ。あと何気に、この倒錯も癖になるかもよ、ということもひとつ。
ついでに、物語について。
アニメじゃなくて映画の話だけど、同じ映像モノだしまあいいかというファジーさで見て頂きたいです。
物語を構成するものが何かという問題は、多くの理論家が検討してきた。多くの理論家の仕事を総合すると次のような定義が出来る。
物語(NARRATIVE)は、二つ以上の出来事(または状況と出来事)を詳述したものであり、それらの出来事は理論的に結び付き、時間の経過の中で起こり、一貫した主題によって全体へとまとめられている。
〜(中略)〜
シェロミス・リモン=キーナンは、物語の時間的性質を強調する。
「時間的継起は、一群の出来事が物語をなす上で最小限の要件に十分なりうる。(中略)因果関係は、しばしば(つねに?)時間の流れの上に投影できるのである」
〜(中略)〜
すなわち、物語(narrative)は、語源的に「知っていること」という意味のラテン語gnarusに由来しており、出来事の意味を理解し、行動の変形作用を知覚し、人間の営為における時間の役割を把握する方法なのである。ロバート・スタム「映画記号論入門」より
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ヒロイックエイジ 1話と2話の感想
2007-05-09
シバッチさんが、「ヒロイックエイジにドSキャラ(しかも小さくて可愛い!)が登場してます」と教えて下さったので、大のドS好きの僕は、先刻までハードディスクから消去する気マンマンだった『ヒロイックエイジ』を速攻で見だしたりしてるのです。取りあえず1話感想。
絵が綺麗!すっごいなぁ、これ。スターウォーズのあの変なアニメも、XEBECがこのクオリティで作れば良かったのに。
「おかあさん」の正体には、ちょっとビビリきました。コンピューターがマザーなんて、いかにもなSFなんですけど、このエイジ君が、それを何処まで分かっててやっているのか。人類との接触とかも、(多分)エイジ君の変身とかも、全部『確信犯』(誤用の方の意味)でやっていそうで、底が知れない。何も分かってない馬鹿野生児に見せかけて、実は全部分かってそうな凄みが、少しあります。
なんか姫様が登場。電波〜な感じではありますが、ドSでは無いようです。じゃあ、どうでもいい。ああ、でも、この姫様がドSで、『電波ドS』なんかだったりしたら最高というか、相当凄いブツになったかもしれないですね。一歩間違うと簡単に彼岸に送られちゃいそうな、絶妙のバランス感覚を発揮してくれそう。
あ、姫様が電波ってのは気のせいです、多分。
設定が盛り沢山なんですよね〜。小説とかで、じっくりと腰を据えて取り組みたい感じではありますね。用語とかが分からなくなったり、こんがらがった時に、気軽に読み返したい、そんな感じ。
ということで、一話の総論。
ドSは出てないけど、それなりに面白い。
以下、2話の感想。
「リトルバスターズ!」のデモから適当に妄想してみる。
2007-05-09
http://www.youtube.com/watch?v=VatkGGooKrI遂に公開となった……のか、勝手にアップしてるのかは知りませんが、ともかく、「リトルバスターズ!」のプロモーションビデオがyoutube上で見れるようになっています。
う〜〜ん、これはもう、どう見ても、『リトルなバスターズ』ですね。
以下、公式サイトからの引用などありますので、何一つ前情報仕入れたくないという方はご注意下さい。
あと、『kanon』と『AIR』と『CLANNAD』のネタバレがありますので、ご注意です。
「リトルバスターズ!」のデモから適当に妄想してみる。 の続きを読む
らき☆すた 5話 「名射手」
魔法少女リリカルなのはStrikerS 第5話「星と雷」
2007-05-06

マッハキャリバーかわいいよマッハキャリバー。
「ANUBIS」っていうゲームに、「エイダ」っていう、事務的というか物質的というか、いかにも杓子定規な人工知能が出てくるんだけど、アレを思い出しました。エイダってただのロボットのOSみたいなもので、姿形まったく無いし、可愛いこととか当然言わないのですけど、超萌えるんです。
で、なんかマッハーキャリバー見てたら、そのエイダ思い出した。
マッハキャリバーもかわいいよマッハキャリバーも。

そのマッハキャリバーを、「AIだけど、心があるんだよね」とか言って対等に扱うスバル・ナカジマ。
さっすがスバル!「俺の娘」とか、わけわかんないこと書いておいた甲斐があったぜ!いい子に育ったな、スバルよ……。
なのは5話の感想(えっ
2007-05-06

変身シーンで何故、裸になるのかについて。
まずそもそも、何の為の変身なのか?ということ。
この作品の場合は、「戦う」為の変身です。
変身することにより、魔導士だか魔術士だかの能力が発動し、それにより様々な魔法を使用することが出来る(のだと思う。よく知らないので、多分)。つまり、「戦う」という目的を遂行する為の変身なのです。
では、何故わざわざ裸になるのか?
問題は、変身する前、つまり裸になる以前の彼女達。
この時点では、彼女達は平服―――軍の制服だったり、普段着だったりしています。変身すると、まずその今まで着ていた服が脱がされ裸になり、そして変身後の戦闘服(という名称はどうかと思うが、一応仮で)に着替えることになる。
当たり前ですが、服を着替えるには、一端それまでの服を脱ぐ必要が生じます。
もちろん今着ている服の上から、新たな服を着用することも可能ですが、機敏な動作を求められるであろう「戦い」において、そのような事をしてもマイナス点にしかなりえません。
更衣室などを使って着替えるのも、一分一秒を争う戦場においては致命的といえます。
これらからして、少なくとも、戦うために「変身」する、という必然性は多少なりとも存在しています。
だがしかし、最大の問題点は残ったまま。
何故裸になるのか?
わざわざ裸を、画面に写す理由がない。その辺は適当に隠したり、それこそウルトラマンの変身シーンのように、一瞬で変身しても良いではないでしょうか。過程を逐一丁寧に描写する必然性がわからない。
が。
その必然性は、やはりあったのです。
裸、ということは、いわゆる『生まれたままの姿』。
裸になる、ということは、その『生まれたままの姿』を曝け出すということ。
生まれたままの姿、というのは、いわずもがなその人の本質、その人の全て。生きてきた道程で得た様々な事柄。抱いた想いや感じた物事。成長。それら全てを捨て去ったもの、それが『生まれたままの姿』。すなわち、その人が生まれた時から持っている、本質、その人の全て。
裸になるということは、その人の本質、その人の全てを曝け出すことになる。
その上での、「戦うための」変身。
つまり。
裸になり、それを視聴者に見せて、そして「戦うために」変身をする、ということは。
視聴者に生まれたままの姿=すなわち自分の本質、自分の全てを曝け出し。
その上で、その自分の本質が、戦うための変身を遂げる、すなわち「戦う」ということを受け入れる、という表す為のものなのです。
彼女達は、戦うということを受け入れている。
そのことを、言葉で説明するでもなく、物語で説明するでもなく。

ただただ、裸の絵ひとつで説明してしまえる、
そのような素晴らしいものが、この「変身シーンで裸になること」なのです。
とかいうことを考えてたら、いつの間にか「なのは」終わってたので今からもう一度見直します。ヤベえ、内容のことが何一つ頭に残っちゃいない……!
(あんた裸のことしか考えてないんだな的なツッコミはご遠慮させて下さい、マジでww)
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え、エリオの変身シーンは裸じゃなかったって?
それはアレですよ、「戦いは男の仕事!」ってくらいに、男は戦って当たり前の生き物だから、そんなことを説明するシーンがいらなかっただけですよ。
天元突破グレンラガン 5話「俺にはさっぱりわからねえ!」
2007-05-05
「このアニメは好きですか?」
「わたしは、とってもとっても好きです」
「でも、何もかも変わらずにはいられないです」
「プロデューサーとか、作画監督とか、ぜんぶ」
「それでも、このアニメを好きでいられますか?」
「見つければいいだけろ」
「次の楽しいこととか、うれしいことを見つければいいだけだろ」
「あんたの『この作品』の楽しいところはひとつだけなのか?違うだろ」
いやいや、『らき☆すた』もそうですけど、この『グレンラガン』も、別に監督やプロデューサーの作品を見ているんじゃなくて、その『らき☆すた』や『グレンラガン』を見ているんだから、たとえ作っている人が変わって、作品自体が多少なりとも変わっても、それはそれでやっぱり『らき☆すた』であり『グレンラガン』なんだから、つまり、監督交代とかプロデューサー交代とか、僕たちにとっては「どうでもいいこと」以上にも以下にもならないんじゃないかな、とか。
だから、監督やプロデューサーが変わって、作品自体が変わっていっちゃったとしても。次の楽しいところとか、うれしいところとかを見付けて行けば、ずっとずっと、このアニメが好きでいられるんじゃないでしょうか。
まあそれはともかく。
製作者、やはりお前は最高だっ!
わかってる、わかってらっしゃる!ヨーコの件だ!
今回、服を着せただろ!そしてその上で、カミナに服をめくらせただろ!OPも含めて、開始6分後くらいの地点だ!
そこだ、そこが『わかっている所』だ!
普段のヨーコの服装は、ただ露出が多いだけ。そこに何の感慨も見出せない。
だが、しかし!ひとたび服を着せ、そしてそれをめくり上がらせれば!
中の服装は普段と同じなのに、そこにたちまち幻想が!ファンタジーが!桃源郷が!エルドラドが!出現するではないくゎぁっ!!
これだ。普段とまったく同じ服装なのに、少し手を変えるだけで、そこにもの凄く強烈なインパクトを与える。この天才的な『逆転の発想』こそが、スタッフの『わかっている所』であり、そしてそここそが、俺にとっての『次の楽しい所とか、嬉しい所』……
(服をめくったカミナに対する、ヨーコの言葉)
「クズ!外道!最低男!」
「まったくどうしようもないバカスケベ男ね」
……あ。なんかヨーコの言葉が、胸にグサッときた。こう、グサッと。
DARKER THAN BLACK -黒の契約者- 第04話「新星は東雲の空に煌く…後編」
2007-05-05
いかん最高すぐるよ!ダーカーザン、見てない人は今すぐ早く即刻随時ジャストアモーメントで見るべきです。
○3話までしか見てないよという人
→すぐに4話を見るべきです。
○2話で切ったよという人
→1話・2話は趣味に合わない人も多そうな、結構クセの強い感じがありましたね。3話・4話もクセがもの凄く強いけど、それでも1話・2話とは多少はベクトルが違うので、いいからさっさと見るべきです。
○1話で切ったよという人
→時間があるなら2話から見るべきなんでしょうが、時間がない人は、2話なんて見なくてもいいから、早く3話・4話を見るべきなのです。
○見てないよという人
→じゃあ見るの諦めようか。
ああもう、本当素晴らしいよ!
前回もそうなんですが、「まったく救いのない」お話しなんです。けれど本当にどうしようもない悲劇なんかじゃ全然なくて、全て身から出た錆。選択の結果。キャラクター達の、自分の性質とか過去での行動の選択とか、それの結果がこの結末になっている。
ということで。当然ながら4話のネタバレの内容ですので、「これから見てみようかな〜」という人は注意して下さい。
らき☆すた 4話 「やる気の問題」と、「やる気ではどうしようも出来ない問題」
2007-05-02

なぜか一瞬だけ写った「らき☆すた」らしくない『絵』。何処となくリアルチックなこの絵が、なぜここに挿入されたのか。その辺を軸にです。
今回の話、『やる気の問題』。


タイトルどおり、『やる気の問題』な話題で持ちきりでした。
・寝てませんよ=やる気の問題
・教科書の忘れ物=やる気の問題
・宿題忘れる=やる気の問題
・みゆきさんに対する感覚=やる気の問題
・遅刻すること=やる気の問題
・夏風邪ひいた=やる気の(ry
・つかさの説明がアレなこと=やる(ry
・「なんで団長腕章なんて付けなきゃいけないのよ」=やる気があれば大丈夫
・ケーキ切ったらずれた=やる気の問題
・かがみんの魅力を発見=やる気があればいくつでも発見できる(ちなみに僕は1024箇所見つけました)
・コミケやブルジョワを理解できないつかさ=やる気があれば理解できる
・ゲームで何故そこまで自身が持てるのか=やる気があるから
・勉強を推奨するゲームがあれば……=それ以前のやる気の問題
・事件と証言=殺る気の問題
・テスト勉強と部屋の片付け=やる気の問題
・長門の長回し=やる気の(ry
・お父さんのエロゲーの影響=ヤル気の問題
・ツッコミづらい雰囲気の時に=やる気があればつっこめる!
・新メニューを考える=やる気の問題、てゆうかやる気出せよこなた
・水の中で目が開けられない=やる気の問題
・「その熱意を、少しでも学校行事に…」=やる気の問題
・時かけ読んで時をかけたかがみ=やる気出しすぎ
・話し声がうるさい人=やる気をセーブしましょう
・体重があっという間にまた増えた=やる気の問題
このように、作中の殆どの話題が『やる気の問題』に結びつく内容でした。
が。
果たして、『やる気の問題』とは、何処までが『やる気の問題』なのでしょう。







