らき☆すた 12話「お祭りへいこう」

 2007-06-30
「らき☆すた」は、何も大きな事件は起こらないし、何も大きな変化も起こらないです。けど、それが、いいのです。






さて、今回、かがみがとんでもなく可愛かった



かがみさま

(―――特にこことか超異常!この手!こなたを頭から抱きかかえる、その体勢のまま歩いてきているんですよこのかがみは!
つまりこの行動は、突発的なものでも、空気を読んで瞬時に行ったものでもなく、ある程度の計画性も兼ね備えた確信犯的な行動、つまりは「かがみにこの行動をするだけの理由が充分にあった」という行動であり、これはやはり、みゆきさんまで誘うこなたに対する「しょうがない奴(可愛い奴)だなぁ〜」的な気持ちと、「自分は既に誘われて行ったことあるよ」的な気持ち、つまりは彼女の母性愛と独占欲から生じる行動、しかしながら最も注目すべきは「かがみからこなたにベタベタしだした」という点にあり、かつての(ry)―――)



のですが、そもそもよく考えたら「今回とか関係なく毎回とんでもなく可愛くね?」と思ったので、その辺は置いておいて。





らき☆すた

らき☆すた12話、「お祭りへいこう」。


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「かがみはかがみ」について

 2007-06-27
先生のトコのコメント欄を読んで思いついたこと。や、長いし内容とは関係薄いので、自分の所に書きます(笑)。








かがみ

「かがみには昔から神さまが宿るって言われてるのよ」




かがみは神だ、ということが証明されましたよー。



まあかがみが神だということは、僕ら自明のこととして遥か大昔から結構ありきたりなくらいに認知していたのですが、このように作中においてそれが明文化されると、やはりそこには、一抹の達成感と安心感、そして何より、不安感があります。つまり、かがみはやはり神だったということが証明された達成感と、僕らが見込んだかがみはそれに見合うだけのモノをはやり持っていたという安心感、そしてかがみが『神』という位置を明確に付けられてしまったことによって、僕らの中でのかがみ像が硬直化してしまわないかという不安感。



つまるところ、この認識を得てしまうという事は。我々が如何な言葉や思考で想いを脚色したところで、その想いの最果て(果ての方)には「神」という単語が位置してしまい、それを自覚してしまった以上また、我々の中で【かがみ】と呼ばれているあの女の子は神という要素によって【我々の中で】硬直化してしまうのではないだろうか。




だからあえて言いたい。かがみは神じゃなくて。『かがみはかがみ』だろうと。





……いや、まあ、「かがみは神」というのは当然冗談です。上の文は前置き。
「かがみの定義」について少し。かつて白石がらっきー☆ちゃんねる内で語っていたアレです。

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天元突破グレンラガン13話 風に乗る世界

 2007-06-26
■「人間とは、いったい何なのですか!?」
――――――――――――――――――――――――――――――

ヴィラル。



グレンラガン


遂に、ヴィラルさんが「カミナの死」を知りましたよ!





カミナの死を知っても、ここまで来たら引けなくて、そして退かなくて、あくまでも正々堂々であるヴィラル。やっぱ彼は格好良いのですよ!

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智アフプレイ日記その1

 2007-06-24
「智アフやるぞ」
「今日からお前は智代アフターをやるんだぞ、よしいい子だ」
「はい、スタート」



遂に積んでた智代アフター(エロゲー版の方)をプレイしてしまったぁ。えいえん積むのかと思ってた。
テキトーに書き連ねるだけのプレイ日記です〜。

開始から2時間半ぐらい。もちろんネタバレするので注意です。

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らき☆すた 11話「いろんな31025分の1日の過ごし方」

 2007-06-19
聖夜……クリスマスですね。
恋人と過ごしたり、家族や友達とパーティーしたり、一人きりで過ごしたり。クリスマスの過ごし方って、色々あります。人それぞれです。



……人それぞれなんですけど、でもやっぱ「クリスマス」とか聞くとちょっとワクワクしちゃったり、浮き足立っちゃったり、身構えたりしないでしょうか。
いつもと同じ1日、365分の1日でしかないのだけれど。
街が彩られて、お店はきらびやかに活気付いて、周囲の人はざわめいて、知ってる人も知らない人もみんな、なんだか少しだけ浮き足立ってるように見えます。



そもそもイベントというのはそういうものですよね。
自分が「なんとも〜」と、どうでもいいよって思っていても、周りの環境や人達がちょっと活気付いていて、それに自分も少しだけ当てられちゃって、ほんのちょっとだけ浮き足立っちゃう。
そしてきっと、"そうなった自分"に当てられちゃった他の誰かも浮き足立っちゃって、それに当てられた他の誰かも浮き足立ち、また他の誰かも、また他の誰かも、さらにお店とか街とかの環境もどんどんそれに影響されていって……
ひとりひとりの人、ひとつひとつの場所自体は、もともとそんなに活気満々という訳でもなかったんだけど、その人が・場所が、他の誰か・他のどこかに影響を与えることによって、その活気が勢いづいていく。それをもう、「どんだけ〜」と思うくらい繰り返すことによって、どんどんみんなが活気付いてきて、そういう「空気」が世界に出来上がるのです。



それが、イベントとして見た時の、クリスマスの正体。
みんなの少しづつの活気が集って出来る、特別な365分の1日。


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天元突破グレンラガンの意味付け力。

 2007-06-18
記号突破グレンラガン。意味づけ突破グレンラガン。



グレンラガンに出てくる色々なものが、何か現実のメタファー的であったり、さらにそれが作中内で何かしらの意味付けをされているんじゃないかとか、暗喩があるんじゃないかとか、そう思わせる点が多々あります。


例えば『ドリル』なんかは、もう書くまでもない感じバリバリですね。
ラガンとの出会いも、ニアとの出会いも、ドリルジャックインで広がる明日。ドリルで突き破る天井とか壁。ドリルで繋がるグレンとラガン。ドリルの形状を意味する王様、螺旋王。螺旋も意味がいっぱいあるし、ドリルも意味がいっぱいある。


アニキがグラサンかけることなんかも、「前しか見ねえ」とか言いながらも直視することに少しビビッていたアニキらしさが出ていると思う。いや、アニキって最強のやせ我慢だったからさ。



他にも何かいっぱいあると思うけど、ニアについて書きたいから全部パスして。

で、グレンラガン世界に吹いた、というか世界を変える一陣の風であるニア。


ニア

彼女の目って、「四葉のクローバー」のように見えるのですね。
つまり幸運。世界を変えてくれる、動かしてくれる彼女との出会いは、シモンたちにとって幸運なのかもしれない。


さらに「十字架」のようにも見えるのです。
カミナを「誰?」と言ってしまえる彼女は、死んだけどカミナのことを引きずっているシモンらに対して、彼女はその目で、カミナの墓標を立てにきたことを表しているようにも見えるのです。


そして彼女の目は、「ジクゾーパズルのピース」のようにも見えます。
『カミナ』という重大なピースが欠けてしまった、シモン達の心のパズル。グレンラガンという作品自体からも、大きなピースが欠けてしまっている。それを埋めることが出来るからこそ持っている、彼女の目。


髪の毛は雲。形なく漂う代わりに、掴めることもない雲。流れ行く儚きものでもあるけれど、一たび大きく形を成せば、大仕事をやってのけることが出来る。でも、それでも結局流れさって消えていってしまうのが、雲。



他にも色々あって、グレンラガンの記号力・意味づけ力って結構凄いと思う。てゆうか全部意味付けを導き出せる感があって逆におかしい。いや、勿論僕が勝手に導き出してるだけなんですが。でもそう考えるうるだけの懐の深さは有していると思う。映像なんかもそうですよね。よく考えてるなー、と感嘆させられるばかりです。



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天元突破グレンラガンの映像力、髪の揺れと感情表現。

 2007-06-18
昨日と今日で(途中までだけど)グレンラガン一気見。本当やばいくらい良いなぁ……。
10話までしか見てないけど書く。




まず9話。ニアとの出会い。

始まりの出会い―――ラガンとの出会いは、ドリルの鍵。
そしてこのニアとの出会いも、ドリルの鍵。
ニアと出会った瞬間、雨があがり晴れ間がどんどん差していく。


グレンラガンの何が凄いって、映像が凄い。
ラガンが搭乗者の精神状態に影響される、という設定があるけれど、それがまるで映像にも反映されているみたい。映像がキャラクターの精神状態に影響されてるみたいに見える


天元を突破せんと足掻いていたカミナがいた時代(7話とか8話とか)は、映像自体も天元突破すんじゃね?って勢いでメチャクチャに動いていた。よく動いていたとかじゃなくて、もうハチャメチャな勢い。
だって遠近感とか距離とかサイズとか全部無視したかの如く動きまくるんだよこれ。絵のタッチとかもいきなり変わりまくるし。構図もへったくれもあったものじゃないぐらい。
なんてゆうか、本当に凄かった。
カミナがやってたことは、自分の限界を突破しようとすること(諦めようとする自分の心を突破することでもある)なんだけど、それに合わせるかのように、映像自体もなんかの壁を突破しちゃう勢い。キャラクターに同調して映像も激しく描かれているように見えてしまう。


そのカミナを失った9話なんかは、逆に暗く沈みまくった映像。
カミナに後を振り返らせる5話なんかも同じ。暗い。雨とか地下とかいう舞台設定がそもそも暗いんだけど、キャラクターの心情が暗くなっているからこそ、映像も暗いんだと言ってもいいくらい。


そんなこんなで、カミナを失った後、シモンの心情に合わせるようにずっと暗かったグレンラガンなんだけど、ニアの登場で一気に明るさを手に入れた。

グレンラガン

ニア登場で光が差すシーンなんて、ベタっちゃベタベタなんだけど、心情を映像に載せるということを一貫して行ってきたグレンラガンだからこそ、ベタさを感じない、というかそのベタさを肯定できるし、
その映像のお陰でシモンの心情を嫌になるくらい知っている視聴者としては、そのベタさを歓迎できる(ちなみに、シモン自体の心情の移り変わりでもあるけど、ニアの心情の移り変わりでもありうるですね)。

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天元突破グレンラガン6〜8話 カミナの……

 2007-06-17
遅ればせながら、積んでいた「グレンラガン」見ました!

ちょこっと見た電ノコ(電脳コイルのこと)もメチャクチャ良さげだったので、どっちから見るか迷ったけど取り敢えずグレンを先で。電ノコもいずれ見ます。多分。きっと。

まだ全部は見てないんですけど。全部見てから書こうかと思ってたけど、忘れちゃいそうなので今のうちにそそくさと思いついたこと書いておきます。


取り敢えず9話までは見ました。





■6話「お前ら湯あたりがどうのこうの」

■7話「お前がやるんだよどうのこうの」

■8話「あばよ、ダチ公」


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一個前の補足。つか結論。

 2007-06-17
一個前の記事の補足。
つうか今、思いついた。どんだけ見切り発車というか、脳みそが回ってないというか。


「共感はできても、共有はできない」


らき☆すたにある様々な出来事に、「あるある〜」といって共感することまでは出来ても、それを作中キャラと同じに(つまり、(脳内での擬似的にしろ)一体となり)共有することは出来ない。
それだけの壁が既に用意されていた、ということ。
これが結論。というか、ここまで導き出さないでどうするんだ。ホント頭が回らない。




■さ、さらに追記……。

そう考えると、「らっきー☆ちゃんねる」の役割も自ずと(少しは)見えてきますね。本編が『世界の違い』を明確に孕んでいるものなのに対し、「らっきー☆ちゃんねる」は視聴者世界と地続き感があります。
お便り送ってなところとか、あきらや白石のキャラ作りとか(そもそも白石なんて中の人名だし)、実際のネットやラジオと連動させたネタとか。
本編で断絶与えて、らき☆ちゃんで繋がり与える。
いやむしろ、らき☆ちゃんが普通に地続きしまくってるからこそ、本編の断絶っぷりが冴えるのかな?

エンディングのカラオケなんかも、選曲が読み取れない不明さが断絶(ごめんこれは言い過ぎ)。

まあでも、選曲が意味不明なことも、『扉しか見せてくれない』ことも、世界の違いを決定的にしているな〜感はなくもないですね。あの中で行なわれていることは分からんのですよ。本当はカラオケなんかやってるのかどうか分からんのですよ。いやそもそもアニメで本当も何もないんだけど、つうか単純に声優が歌ってるだけなんだけど、でもそこまで考えると真に「世界の違い」やないですか。

そもそもこのエンディングカラオケって、なんか「クールダウン」っぽく見えたんですね。アニメのクールダウン。作中キャラのクールダウン。逆に声優は頑張ってるんだけど。



……うん、やっぱ頭回ってないですねー、僕。
またなんか頭回ったら追記するかも。

らき☆すたにあった奇妙な距離感

 2007-06-15
やっとこさヤマカン時代の奇妙な感覚の正体が分かったー。



いやー、さんざん「『らき☆すた』って断絶だよ断絶」みたいにほざいてきたんですけど、ヤマカン時代のそれはこれで合ってるんじゃないかなーとか思えなくもない感じです。ヤマカン時代以外は、別段そんなことないっぽいですけど。


今までは、主に仕掛けとかからそういうことを考えてたんですけど、普通に内容自体にもそういうことが散らされてあって。



で、山本さん脚本の10話の「アニメ店長」のトコなんか、山本断絶節が最高に効いてた部分だと思う。


らきすた

このアニメ店長とその仲間たち(という表現でいいのかな?)が、画面狭しと暴れまくるのですが、こなたはこれをガン無視するんですね。
こんだけ店内で暴れまくってるんだから、せめて一瞥くらいはしても良さそう、というか、何の注意も払わないのはおかしいくらいなのですが、ガン無視。
となると、これはもう「こなたには見えてない」くらいで考える方がしっくりくるのです。
大声で叫ぶ店員も、店内を飛び回る店員も、あまつさえ壁に突き刺さる店員もいる。しかもなんか、最終的に(店が?)爆発してしまう。

なのに一瞥さえくれないこなた。これはもう彼女には見えていない、くらいで考える方が妥当かな〜っと。

でも僕ら視聴者には、このアニメ店長とか見えてる訳です。


これが僕の思う山本断絶節。つまり、視聴者とこなた(ひいてはらき☆すた内登場人物)で、見えているものが違うということです。

同じパロディネタでも、作中内で「チョメチョメD」などと言われていた「頭文字Dパロ」とは大きな違いですね。頭文字Dネタは、僕らにもかがみたちにも見えているもの。対してアニメ店長ネタは、僕らにしか見えてないかもしれないもの。

これは4話までのヤマカン時代に散々言われてた、場面と場面・シーンとシーンを切り貼りしたような展開にも言えることです。場面から場面へ瞬時に移動していて、視聴者はその「場面と場面の間」を知りえることはないけど、登場人物達は当然のことながらそれを知っている。
上とは逆にまた、視聴者には見えてなくて作品内の人物には見えているもの、というのもあるのです。

視聴者と登場人物で見えているものが違うなんてことは、どの作品でも当然ながらあることだけど、大抵のそれは時間的制約とか、情報量的に致し方なしとか、物語上の演出という意味合いであって、(山本)「らき☆すた」とはかなり違います。(山本)らき☆すたの場合、他の作品に比べて非常に自覚的な匂いがするんですね。というか、(山本時代は)全体的にそういう感じだったんだから、確信犯(誤用の方)的に思えて当然なんですが。



山本さんから離れた「らき☆すた」は、(山本脚本の10話は例外として見るとして)かつてのらき☆すたとは違う色合いになっています。

それまでと違い場面・シーンの継ぎ接ぎ感は薄れ、繋がりを持って作られているように、視聴者と作中キャラクターとの「見えているものの違い」を大きく、自覚的に作り出すことがあまりなくなったように見受けられます。


作品が視聴者側に歩み寄るような仕掛けを作っていると思っていました。そして、歩み寄った、すなわち「近づいた」分だけ、「届かない」ということが分かってしまい、こちら側が断絶を感じるのではと思っていました。しかしその仕掛けどうこう以前に、作品の作り自体にそういう傾向が見られたのかもしれない、というお話しでした。見ているものの違い、見ることができるものの違い、すなわち「世界の違い」を自覚的に孕んでいたんじゃないかという。
だからこそ、近づけば近づくほどに届かなくなる。
作中キャラと視聴者との奇妙な距離感が生み出す断絶とその先の出会い。
この断絶だからこそ、帰結点は一話の「チョココロネ」よろしくに、相違の先にある一瞬のシンパシー、断絶の中にかいまみるちょっとした出会い、的なものになるかなとか思ってたんですけど、監督変わったからもう超違うし。結構自明的なんで、山本さんはそういうの考えてたのかなぁ〜とか思いました。これからのらき☆すたには、まあ特に関係しない話っぽいのですが。(そういえば作中劇設定って何処にいったんだろう)


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らき☆すた 10話「願望」感想(かがみ編)

 2007-06-12
古今東西……柊かがみは見えない魔力を秘めている……。



かがみ

かがみ

かがみ

かがみ

かがみ



気付くとかがみの画像ばっかキャプチャしてるんだよね!

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英雄っていったいなんですか? 最近のヒロイック・エイジ(8・9・10話)をまとめて

 2007-06-10
いや、3週間も積んどいた僕が言うのもなんですが、「ヒロイック・エイジ」ホント面白いですね!今週放送分(6/10)は、ちょうど卓球かなんかでお休みですので、来週から見ようかなとか思ってる方に、この記事が少しでもお役に立ってくれれば嬉しいです。


さて、ヒロイック・エイジのあらすじは……このへん(公式サイト)とかで見れます。宇宙には5つの種族―――黄金の種族、銀の種族、英雄の種族、青銅の種族、鉄の種族(人類のコト)がおり(その他少数部族もいますが)、宇宙を支配していた黄金の種族が別の宇宙へと旅立ったため、それぞれの種族は次なる宇宙の覇権を争い、激しく戦いを繰り広げた―――みたいな内容です。
英雄の種族は殆ど滅び去り、残った5体の英雄の種族は、それぞれ別種族・部族の体の中に埋め込まれ、その埋め込まれた彼らは「ノドス」と呼ばれ、英雄の種族の力を振るうことが出来た。しかし、黄金の種族はそのノドスに「契約」という枷―――契約相手に、絶対に従わなくてはならない―――を与えた。
4体のノドスは、人類より遥かに優れた技術力と超能力を持ち、青銅の種族を配下に従える「銀の種族」の契約下に入ったが、残る1体のノドス―――英雄の種族の中でも最強の力を持つ「ベルクロス」をその身に宿す「エイジ」は、人類こと「鉄の種族」の契約下に入った。

遠い星に住まうエイジを見つけ出したのは、ディアネイラ率いる「アルゴノート」という戦艦。
エイジを見つけ出したことにより銀の種族に追われる彼らは、戦いながら、一路故郷への道程を急いでいた―――というのが、前回(第7話)までのお話しを凄く大雑把に纏めた感じです。




■誰のために戦うのですか?

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オススメせざるを得ません。

 2007-06-08
http://blog.goo.ne.jp/takosukena/e/67c70f68c66c63a27699b343f34414fe(たこーすけさんのトコ)
この人はもう、本当、神です。つかさ萌えの最高峰。天才。つかさは彼の嫁(認定しますた)。つうか彼がつかさ。
ここまで来ると萌えとか妄想とか飛び越して、一つの作品を作り上げていると思われます。前回前々回も合わせて見て。なぜ自分はつかさを好きになったのか、どういうところが良いと思うのか、どこがステキなのか、ということを、時に冷静に、時に激しく書かれておられます。

何かを見て、何らかの感想を抱く。それはとても当たり前のことなのですが、『なぜ』そのような感想を抱いたか、ということは往々にして忘れられてしまいがちです。たとえば今週の「らき☆すた」を見て、「おもしろかったー」「つまんなかったー」「普通だったー」といった感想のどれかを、殆ど全ての人が抱くでしょう。では『なぜ』そうなのか、ということ。例えば「面白かった」であれば、「なぜ」面白かったのか、「どこが」面白かったのか、「どうして」面白かったのか。そんなこと別に考えなくても、その人の中でその面白いという気持ちは充分に保たれる訳なんですが、誰か他人にその「面白い」を伝えたい場合は、その「なぜ」「どこが」「どうして」を上手く言語化して、それを他人に伝える必要があります。『どうしてこう思ったのか』という理由を、言葉にのせるのです。頭の中で思ってるだけでは、他人に伝わらないですからね。それを皆が分かる言葉にして、皆に伝える。ここがこういう理由でこのように面白いんだよ、だからオススメだよ、と。

この方の凄い所は、それ以上をやってしまってること。
なぜつかさがステキなのか、つかさの何処が可愛いのか、どうしてつかさなのか、という理由を迸る熱い文章で書かれており、さらにそこに自身の推測や妄想なども織り交ぜることによって、この方が感じた『思い』を、僕たちにも味わさせてくれる。
つまり、つかさの見方に特化した「らき☆すた」を再構築されておられることにより、僕たちもそのつかさに特化した「らき☆すた」をたこーすけさんのところで見させて頂くことが出来るのです。彼が感じえたことを、少しでも、僕たちも感じることができる。いや人によっては大きく感じることもできるでしょう。少なくとも、この方が思う『つかさの魅力』というモノが十二分に発揮されており、しかもそれが『らき☆すた』にしっかりと乗っているから、私たちもつかさの魅力を感じてしまうことができる。少なくとも、この方が見たのと同じもの、同じ様な素材は見ることができる。もう感想というか、つかさ惚れの作品といった感じでございます。僕はなれなかったけど、人によって、本当につかさを好きにさせることが出来るかもしれない。それだけの、理由とパワーを持っている文章でございました。


あまりにも凄まじく憧れた衝撃を受けまして、しかも深夜で酒も入ってるので文章がおかしいです。覇王翔吼拳を使わざるを得ませんでした。たこーすけさん、乱筆乱文で評してしまったことをお許し下さい。

これからもこの調子で頑張ってくださると嬉しいです。
(出来ればもっと更新早いと嬉しいです…!)


・・・・・・


もう嫉妬です。シットです。ぼくはかがみでこういうのが書きたい。でも書けない。だから諦めるお!

俺はこの人には永遠かなわないと思った。

らき☆すた 9話 かがみんの本心の笑顔を引き出せるのはこなただけ!(あと怒りも)

「リトルバスターズ!」の体験版から適当に妄想してみる。

 2007-06-03
http://key.visualarts.gr.jp/index.htm
リトルバスターズの体験版がいきなり公開されていたからビックリして大喜びでプレイしましたよ!


・・・・・・


僕はこの「リトルバスターズ」発表当初から、ある種の不安と、それに対する安心感を覚えていました。
公式サイトを初めて見た時、過去のkey作品と比べてこのリトバスが、非常にポップで「ギャルゲー」な感じに見えたのです。

やけに明るい色使い。「萌え」みたいな匂いがしまくるキャラクター。「能美クドリャフカ」なんて最初見た時はコーヒー吹きまくりでした。
えっ、これkeyかよ、ありえなくね? みたいな。
外人(ハーフ?)、萌え造形、マントしている、変な帽子被っている……。
いや、さすがに驚きますよね?
だってkeyですよ。keyといえば、実は人間じゃないとか実は生霊とか何故か夜の校舎で剣を振るっているとか、Tactics時代も含めれば実は目が見えないとか実は口がきけないとか実は宗教(ry 実はレ(ry とか一風変わったキャラクターが色々いましたけど、断じてそれらのキャラクターの『見た目』は『変』ではなかったのです。見た目に訴えないのがkeyでした。というか、『変』ではない(というか変度が低い)、他の全作品の全キャラクター含めてみても、『見た目』と『変わった中身』がゆうゆうイコールで結び付くことはなかったのです。(例えばkanonのあゆなんかも、「小っこい」「ダッフルコート」「手袋」「はね」と萌え系見た目で構築されていたけど、決して中身がそれと『イコール』では結ばれなかったのです)。


……いや、なんか違うかな?
とにかく、クドリャフカといい小鞠といい、その見た目とプロフィールに度肝を抜かれたのであります。

ついでに言えば友達キャラだってありえない造形。内面の『変』と、外面の『変』が結ばれてしまうように見えるデザインとプロフィール。キャラといい、サイトのデザインといい、「こんな『わかりやすい』のはkeyじゃない、きっと僕は間違ってLeafかサーカス辺りのサイトに迷い込んじゃったんだ!」とか思ったのです。
なんかこの『わかりやすさ』と、マンガ的というか、現実的ではない『キャラクター』が、keyっぽくないなぁ……とか思ってしまった次第なのです。


とはいえ、それでも僕が今までの「key」から得てきたモノは絶大であって、だからこそ、ちょっと雰囲気が変わっていても、これもまた大丈夫だろうという安心感を持っていました。keyだから、麻枝さんだから、一見違って見えてても大丈夫だろう、とか、勝手に思ってたのです。






そんなことを思ってた俺はどう見ても阿呆ですね!



もうどうしょもないぜ俺!
外見がパッと見変わったからなんだってんだ!わかりやすい気がするからなんだっていうんだ!そういうのを、「わかった気になってる」というんだ!!

いやー文章ですよ文章!
ほんの10分くらいで終わっちゃうような、少しのサイズの文章なんですけどね、しかも今までと少し違う感じがする文章なんですけどね、それでも、そこから滲み出す「いつものkey」に心ズバッとグサりとやられてしまった訳です!

え〜、ということで、前置き終わりで、以下体験版のネタバレです。

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