2007'09.28 (Fri) 04:40
2007'09.18 (Tue) 20:00
アニメ『らき☆すた』内の1コーナー、『らっきー☆ちゃんねる』。
わざわざアニメ内にひとつのコーナーとして用意されたこれが、果たしてアニメ本編とどういう関係を持っていたのか。その辺、全24回の『らっきー☆ちゃんねる』を振り返り纏めつつ、考えてみたいと思います。
(アニメ版にしか触れていません。ラジオ版についてはノータッチです)
(前半部なんかは、23回終了後に上げたアニメ「らき☆すた」23話までの『らっきー☆ちゃんねる』を振り返ってみたの焼き直しだったりするので、そちらをご覧になられた方は(特に前半部は)適当に流してください)
わざわざアニメ内にひとつのコーナーとして用意されたこれが、果たしてアニメ本編とどういう関係を持っていたのか。その辺、全24回の『らっきー☆ちゃんねる』を振り返り纏めつつ、考えてみたいと思います。
(アニメ版にしか触れていません。ラジオ版についてはノータッチです)
(前半部なんかは、23回終了後に上げたアニメ「らき☆すた」23話までの『らっきー☆ちゃんねる』を振り返ってみたの焼き直しだったりするので、そちらをご覧になられた方は(特に前半部は)適当に流してください)
2007'09.18 (Tue) 05:00
2007'09.16 (Sun) 00:53
さて、『らき☆すた』も、もうすぐ終わってしまいます。
もうすぐ終わるとはいえ大きな事件や出来事が特にはない『らき☆すた』の本編に比べ、このアニメ『らき☆すた』内の1コーナー、『らっきー☆ちゃんねる』はただ今、かなり大事な流れになっています。
ということで、『らっきー☆ちゃんねる』について、振り返ってみようかと思います。
(あくまでもアニメのみの話であって、ラジオの『らっきー☆ちゃんねる』に関してはノータッチの内容になっております)
■白石みのる
――――――――――――――――――――――――――――――――

「白石っす」
「あ、えーと、あきら様のアシスタントを勤めさせていただきます、白石みのるです。どうもっす」
「あれれ~。白石さん堅いですよ~。ほ~ら、折角テレビに出られたのだから、もっとはっちゃけたまえ!なんちって」
「すんません、慣れなくて」
『らき☆すた』本編終了後、唐突に始まったコーナー『らっきー☆ちゃんねる』。パーソナリティである『小神あきら』と、アシスタントである『白石みのる』の二人によって構成されています。
今見返してみると、この頃の白石みのるは、あきらが言っているように「堅く」「緊張して」いて、それゆえに視聴者から送られてきた(という設定の)ハガキを読み上げるなど、真面目にアシスタントをこなしています(逆、真面目にアシスタントをこなそうとしているからこそ「堅く」「緊張して」いるのかも)。
もともと『らっきー☆ちゃんねる』はラジオ番組としてアニメ放送開始前から行われており、そのラジオ番組の内実もアニメ版の『らっきー☆ちゃんねる』と関係性が高いものではありますが、大半の視聴者はこのアニメで『らっきー☆ちゃんねる』を初体験するであろうということを見越してか、ラジオ版『らっきー☆ちゃんねる』を聞いていなくても(存在すら知らなくても)十分に分かるように、疎外感を生じさせぬように作られています。
だからか、ここでの白石とあきらが、まだそんなに仲が深くない、知り合って間もない関係に見えるようになっています。
実際は、ラジオ版の方ではもう少し関係が深くなっていても、それをあまり表出させることなく、また、ラジオ版の話題をあまり出すことがない、また出たとしても、たとえそれを知らなくても、問題なく見れるようになっているように。ラジオ版『らっきー☆ちゃんねる』の出張版というより、このアニメ内でひとつのコンテンツとして(アニメのみを見るならば)かなり独立されている作りです。
それゆえに、『らき☆ちゃん』の序盤においては、白石の色々な意味での初々しさ――テレビ慣れ・番組慣れや、この仕事での役割への初々しさ――などが、よく表れている様な作りになっています。
・ギャラの話を振られて、あきらの素が出て軽く黒くなり(今思うと、本当に軽い)、白石がそれを諌めようとおろおろする感じ。
・そして音楽が切り替わり、あきらが役のあきらに戻ると、白石が「フー」と胸をなでおろす。
『アシスタント』という自分本来の役割、あくまであきらを立てて支援する、そういった役回りを(あきらに振り回されながらも)こなしています。
第2回の『らき☆ちゃん』においても、白石が本編に出演していることに、あきらが執拗に絡んできますが、白石が反抗するといった感じはなく、あきらに従うというか付き合ってるような対応を見せています。
そう、この頃はまだ、白石もアシスタントとしての職務を彼なりにまっとうしており、あきら:メイン・白石:アシスタントという形の番組が成り立っていたのです。(まだあきらの白石に対する呼び名も「白石さん」でした)

それが徐々に崩れていきます。
もうすぐ終わるとはいえ大きな事件や出来事が特にはない『らき☆すた』の本編に比べ、このアニメ『らき☆すた』内の1コーナー、『らっきー☆ちゃんねる』はただ今、かなり大事な流れになっています。
ということで、『らっきー☆ちゃんねる』について、振り返ってみようかと思います。
(あくまでもアニメのみの話であって、ラジオの『らっきー☆ちゃんねる』に関してはノータッチの内容になっております)
■白石みのる
――――――――――――――――――――――――――――――――

「白石っす」
「あ、えーと、あきら様のアシスタントを勤めさせていただきます、白石みのるです。どうもっす」
「あれれ~。白石さん堅いですよ~。ほ~ら、折角テレビに出られたのだから、もっとはっちゃけたまえ!なんちって」
「すんません、慣れなくて」
『らき☆すた』本編終了後、唐突に始まったコーナー『らっきー☆ちゃんねる』。パーソナリティである『小神あきら』と、アシスタントである『白石みのる』の二人によって構成されています。
今見返してみると、この頃の白石みのるは、あきらが言っているように「堅く」「緊張して」いて、それゆえに視聴者から送られてきた(という設定の)ハガキを読み上げるなど、真面目にアシスタントをこなしています(逆、真面目にアシスタントをこなそうとしているからこそ「堅く」「緊張して」いるのかも)。
もともと『らっきー☆ちゃんねる』はラジオ番組としてアニメ放送開始前から行われており、そのラジオ番組の内実もアニメ版の『らっきー☆ちゃんねる』と関係性が高いものではありますが、大半の視聴者はこのアニメで『らっきー☆ちゃんねる』を初体験するであろうということを見越してか、ラジオ版『らっきー☆ちゃんねる』を聞いていなくても(存在すら知らなくても)十分に分かるように、疎外感を生じさせぬように作られています。
だからか、ここでの白石とあきらが、まだそんなに仲が深くない、知り合って間もない関係に見えるようになっています。
実際は、ラジオ版の方ではもう少し関係が深くなっていても、それをあまり表出させることなく、また、ラジオ版の話題をあまり出すことがない、また出たとしても、たとえそれを知らなくても、問題なく見れるようになっているように。ラジオ版『らっきー☆ちゃんねる』の出張版というより、このアニメ内でひとつのコンテンツとして(アニメのみを見るならば)かなり独立されている作りです。
それゆえに、『らき☆ちゃん』の序盤においては、白石の色々な意味での初々しさ――テレビ慣れ・番組慣れや、この仕事での役割への初々しさ――などが、よく表れている様な作りになっています。
・ギャラの話を振られて、あきらの素が出て軽く黒くなり(今思うと、本当に軽い)、白石がそれを諌めようとおろおろする感じ。
・そして音楽が切り替わり、あきらが役のあきらに戻ると、白石が「フー」と胸をなでおろす。
『アシスタント』という自分本来の役割、あくまであきらを立てて支援する、そういった役回りを(あきらに振り回されながらも)こなしています。
第2回の『らき☆ちゃん』においても、白石が本編に出演していることに、あきらが執拗に絡んできますが、白石が反抗するといった感じはなく、あきらに従うというか付き合ってるような対応を見せています。
そう、この頃はまだ、白石もアシスタントとしての職務を彼なりにまっとうしており、あきら:メイン・白石:アシスタントという形の番組が成り立っていたのです。(まだあきらの白石に対する呼び名も「白石さん」でした)

それが徐々に崩れていきます。
2007'09.12 (Wed) 02:31
2007'09.10 (Mon) 01:46
2007'09.06 (Thu) 05:05
http://bdkiss.blog54.fc2.com/blog-entry-427.html
http://bdkiss.blog54.fc2.com/blog-entry-426.html
http://bdkiss.blog54.fc2.com/blog-entry-429.html
やっとこさ書けました。
これを合体させれば、らき☆すた22話の感想(?)の完成です(多分そのうち、ここに合体させたの上げときます)(ゆっくりやります(笑))。
それにしても、僕の書いてるのって「感想」なのかな?って、いつも思うのです。感想というには、自分の感情を恣意的に選びすぎているし、レビューというには自分の印象からの思考実験に寄りすぎだし、考察というには感情に立脚しすぎている、ような気がするし。
なんだか迷って惑って、結構困ってたりします。
しかし今回の感想(?)は本当に頭抱えました。
何書いても、作品にも自分にも他人にも、それぞれの中の作品にも、全てに対して失礼な気がして、書くかどうかを凄く迷いました。
結局は上げてしまったのですけど、ぼくの意見なんかは芥も参考にせず、つうかミクロも影響されず、ご自身の目で見て、感じたこと、それが全てで絶対の真実だと、みんなには思ってもらいたいです。本心からそう思います。
http://bdkiss.blog54.fc2.com/blog-entry-426.html
http://bdkiss.blog54.fc2.com/blog-entry-429.html
やっとこさ書けました。
これを合体させれば、らき☆すた22話の感想(?)の完成です(多分そのうち、ここに合体させたの上げときます)(ゆっくりやります(笑))。
それにしても、僕の書いてるのって「感想」なのかな?って、いつも思うのです。感想というには、自分の感情を恣意的に選びすぎているし、レビューというには自分の印象からの思考実験に寄りすぎだし、考察というには感情に立脚しすぎている、ような気がするし。
なんだか迷って惑って、結構困ってたりします。
しかし今回の感想(?)は本当に頭抱えました。
何書いても、作品にも自分にも他人にも、それぞれの中の作品にも、全てに対して失礼な気がして、書くかどうかを凄く迷いました。
結局は上げてしまったのですけど、ぼくの意見なんかは芥も参考にせず、つうかミクロも影響されず、ご自身の目で見て、感じたこと、それが全てで絶対の真実だと、みんなには思ってもらいたいです。本心からそう思います。
2007'09.06 (Thu) 05:02
2007'09.03 (Mon) 04:09

「宝物だと思っていたモノが、ただのガラクタだと分かる。それもシンカなのでしょうか」
『シンカ』という言葉。
これまでのロシウが歩んできた・選んできた道。
ムガン・アンチスパイラルの襲撃に対し、ロシウが選択してきた道のことです。
それは『宝物』……とまでは言わなくても、ロシウにとっては自分自身がそれと信じた・それを貫いた、何ものにも替え難い道・選択であったでしょう。
次々と策を打ち破られる絶望を前にしても、目前の脅威を打破するシモンの活躍を見ても、ロシウの考えは一分たりとも変わらない。最後の最後、カテドラル・テラにギガコアドリルを差し込むだけという状況に至っても、「1分で退却」と言うように。
「お前の意思、ブレはねえな」とキタンに称されたように、ロシウのその意思には、最後までブレはありません。このブレの無さは、ロシウが自身の決断を「信じていた」からでもあるでしょう。己の決断を、己の道を信じていなければ、当然ですけどブレは生じる。ブレなく、自分の決断を・自分の道を押し通すということは……その押し通して作った道に乗れなかった人たち(たとえば、地下シェルターに逃れた人を見殺しにすること、とか)を犠牲にするということでもあり、そしてその『犠牲』を自分自身が・自分が作り出した道が真摯に受け止めるということでもあり……だからこそ、「ブレがない」決断・道というのは、自分自身がその決断・道に対して「信じている」ということでもあるのです。
テーマ : 天元突破グレンラガン - ジャンル : アニメ・コミック
タグ : アニメアニメレビュー天元突破グレンラガン
2007'09.02 (Sun) 03:26
14話は割愛。一個前のエントリー見てください。
で、15話なんですが、やはりこれ、「分からない」を「飛び越える」がテーマですよね。多分きっと。
黄金の種族の考えなんて分からない。エイジの思いなんて分からない。他人の考えや思いなんて、真に分かるハズがない。銀の種族にいたっては、自分の感情すら分からないといった有様。
そんな様々な『分からない』ことに対し、自分はどのような対処をし、どのように跳躍するのか。
黄金の種族関係や、銀の種族関係はまた別のお話しですけど、取り敢えずエイジ・ディアネイラ・鉄の種族において、その暗闇を飛び越えるということ、その軸となるのは『信じる』という『意思』なんじゃないかな、と思う。
アルゴノートの面々がエイジを、ディアネイラを強く信頼しているように。ディアネイラが、エイジが、お互いがお互いをそれぞれ異なる理由で『光』と言う様に。
それは全く、十分なる理解でも認識でもないのだろうけど、それでも、そこを強い意志で信じれば、彼ら彼女らのように、それ自体が道となる。
分からないものを信じる意思により、己の道を見つけ出す―――不明瞭な闇の中に、スターウェイを見つけ出す以上の難しさ。
で、15話なんですが、やはりこれ、「分からない」を「飛び越える」がテーマですよね。多分きっと。
黄金の種族の考えなんて分からない。エイジの思いなんて分からない。他人の考えや思いなんて、真に分かるハズがない。銀の種族にいたっては、自分の感情すら分からないといった有様。
そんな様々な『分からない』ことに対し、自分はどのような対処をし、どのように跳躍するのか。
黄金の種族関係や、銀の種族関係はまた別のお話しですけど、取り敢えずエイジ・ディアネイラ・鉄の種族において、その暗闇を飛び越えるということ、その軸となるのは『信じる』という『意思』なんじゃないかな、と思う。
アルゴノートの面々がエイジを、ディアネイラを強く信頼しているように。ディアネイラが、エイジが、お互いがお互いをそれぞれ異なる理由で『光』と言う様に。
それは全く、十分なる理解でも認識でもないのだろうけど、それでも、そこを強い意志で信じれば、彼ら彼女らのように、それ自体が道となる。
分からないものを信じる意思により、己の道を見つけ出す―――不明瞭な闇の中に、スターウェイを見つけ出す以上の難しさ。
2007'09.01 (Sat) 23:26
2007'09.01 (Sat) 04:23
2007'09.01 (Sat) 01:04
![]() | らき☆すた―らき☆すた殺人事件 (角川スニーカー文庫 183-3) 美水 かがみ、竹井 10日 他 (2007/08/31) 角川書店 この商品の詳細を見る |
こなたたちは学校帰りに立ち寄った書店で殺人事件に遭遇した。
血しぶき飛び散るエレベーターに遺された物言わぬ被害者。
惨劇に立ちすくむかがみをよそに、こなたは遺体の上に置かれたカードを手に取りつぶやく―――
「配布予定中の超レアカードだよ」
「今、気にするところがそれかっ!!!!」
(裏表紙のあらすじより)
なんか賛否両論起こりそうな気もしなくはない作品ですが、一応ボクの意見。
アリです。
これはこれでアリ。
あくまでも「これはこれで」的な、がっつかず、ちょっと間を置いたような感じで、気楽に読む上では『アリ』ではないかと。こう逆説的に、らき☆すたの良さを浮き彫りにしていますね。……つうか何書いても、ネタバレになりそうなので困る。
とりあえず、『ひまわりのチャペルできみと』の宣伝をあまりにもされてしまったので、ちょっと(つーかかなり)興味が湧いてまいりました。ああ、なんか竹井先生にのせられてます(笑)。
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