2008'03.31 (Mon) 23:11
ある場所に固定され配置され、そこからの映像を複数回流す、そんな固定カメラ。
京アニCLANNADには、それがありました。
視点を固定することにより、対象の『変化』が、また変化の中でも『変わらなかったもの』が、浮き彫りになる。22話の感想でも書いてたのですけど、あの時は記憶を頼りに書いてたので、あらためまして。

【第1話】
この演劇部室のアングル。
このアングルが、幾度も出てきます。
僕は固定カメラ大好きっこなので、『Kanon』や『らき☆すた』の時も注視していたのですが、話数を跨いで3回以上登場した固定カメラなんて、無かったです(多分)。
これは結構驚きました。アニメって当然一人で作ってるんじゃないので、偶然でこんなアングルが出来上がるワケがありません。この固定アングルを用意しているというのには、何かしらの意味があるのではないでしょうか。
とりあえず、その演劇部室の絵を並べてみました。
京アニCLANNADには、それがありました。
視点を固定することにより、対象の『変化』が、また変化の中でも『変わらなかったもの』が、浮き彫りになる。22話の感想でも書いてたのですけど、あの時は記憶を頼りに書いてたので、あらためまして。

【第1話】
この演劇部室のアングル。
このアングルが、幾度も出てきます。
僕は固定カメラ大好きっこなので、『Kanon』や『らき☆すた』の時も注視していたのですが、話数を跨いで3回以上登場した固定カメラなんて、無かったです(多分)。
これは結構驚きました。アニメって当然一人で作ってるんじゃないので、偶然でこんなアングルが出来上がるワケがありません。この固定アングルを用意しているというのには、何かしらの意味があるのではないでしょうか。
とりあえず、その演劇部室の絵を並べてみました。
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2008'03.31 (Mon) 03:45
こんばんは、たこーすけです。
どなたか、お時間ございましたら、
「Kanon」放映終了直後の「特報」映像(あるいは「CLANNAD Invitaion」の。公式HPのも同じか?)と、「CLANNAD」第一期の本編映像を、比較してみて下さいませんでしょうか。
(なしおさんは時間的に厳しいか…?)
おそらく、「特報」映像のほとんどが(もしかしたら全てが)、本編では使われていないような気がします(あるいは背景が違う)。
「アフター」についても、そうかもね。
比較依頼(たこーすけの、ちょろっと感想)
はい、やりました。
や、まあ、たこーすけさんがそう思ったのは、多分僕がきっかけだと思いますので。
元はと言えば、僕の記事がアレなんだろうし。
>この「特報」に流れた映像が、アフター本編のモノだとすれば、アフターはかなり出来上がってるのではないかと推測されます。(二つ前の記事)
いや、僕だってね、アフターの特報がアフターの本編のものだとは思ってませんよ?cloverleafさんにも突っ込まれてるけど、ホントです、はじめから違うって思ってたんです!ホントホント!悔し紛れでこんなこと言ってるんじゃないですっ!苦し紛れで言ってるんですっ!
前置きが長くなりましたが、要するに、京アニKanon放映直後に流れた『特報』と、京アニCLANNAD『本編』の比較です。
いや《比較》っていうか、第1話の脚本が出来上がったのが4月~5月くらいのことで、この『特報』が3月なので、脚本も絵コンテもできる前に本編の絵を描きだすと言う製作体制でも取ってない限り、この『特報』の映像が本編からの素材ということはありえないので、
はたしてこの特報の映像は本編に流用されたのか~とか、特報の映像は本編に影響を与えたのか~とか、その辺の検証です、多分。いや、検証というか、ぶっちゃけ雑談です。なんというか……詳しいことはたこーすけさんに聞いてね!(逃げた)
あ、検証方法は、「京アニCLANNADを全部見る」です。
これまでも散々見てきましたけど、さらに全話見返した。
目で見て確認。一人人海戦術。漏れはあるかもしれないけど、多分大丈夫。
2008'03.28 (Fri) 04:14
2008'03.27 (Thu) 23:32
さて、感想後編。
「なんで杏・椋・ことみが演劇部にいて活動しまくってん?」みたいな、水を差すことを、こないだ書いてしまったので、そこに対する解釈に端を発しつつ記す、『京アニCLANNAD』そのものへの解釈、そのもののまとめです(←大言壮語)。
と思ったんだけど……なんか数日かけて書いてたら、何書いてるんだか分かんなくなって……書き終わってから見ると、あまりにも纏まってないというか、自分でもわけわかんないというか……やっべー、マジ意味わかんねー(セルフツッコミ)。
その辺は、まあ、アフターでリゾンベということで、ひとつ何とか。
「なんで杏・椋・ことみが演劇部にいて活動しまくってん?」みたいな、水を差すことを、こないだ書いてしまったので、そこに対する解釈に端を発しつつ記す、『京アニCLANNAD』そのものへの解釈、そのもののまとめです(←大言壮語)。
と思ったんだけど……なんか数日かけて書いてたら、何書いてるんだか分かんなくなって……書き終わってから見ると、あまりにも纏まってないというか、自分でもわけわかんないというか……やっべー、マジ意味わかんねー(セルフツッコミ)。
その辺は、まあ、アフターでリゾンベということで、ひとつ何とか。
2008'03.27 (Thu) 19:12
CLANNADアフター・第二期やるそうです。やったね!
http://d.hatena.ne.jp/moonphase/20080327#p1
『CLANNAD AFTER STORY』が正式名称っぽい?
いつからで、何クールなのでしょうか。はたして今日の夜のCLANNADで、kanonの時の「特報」みたいな形でアフターの映像が流れたりするのでしょうか。
なにはともあれ。アフター、やってくれるようで何よりです。
あと、麻枝准がリトバスエクスタシーで新キャラのシナリオ書いてくださるようで…わぉ、(シナリオ書きを)引退してねーじゃん! これも何よりの知らせ。
http://d.hatena.ne.jp/moonphase/20080327#p1
『CLANNAD AFTER STORY』が正式名称っぽい?
いつからで、何クールなのでしょうか。はたして今日の夜のCLANNADで、kanonの時の「特報」みたいな形でアフターの映像が流れたりするのでしょうか。
なにはともあれ。アフター、やってくれるようで何よりです。
あと、麻枝准がリトバスエクスタシーで新キャラのシナリオ書いてくださるようで…わぉ、(シナリオ書きを)引退してねーじゃん! これも何よりの知らせ。
2008'03.27 (Thu) 01:31
なんでか昨日(http://bdkiss.blog54.fc2.com/blog-entry-499.html)の続き。
確定じゃなくて思考の途中、メモ的なニュアンスで。
・設定と物語の違い。いささか恣意的。まあ元々、お話って恣意的に作られてるものだし。
・個人的な考えとしては。『設定』は揺るがないもの。それがもたらす影響ってのはおおよそ確定していて、変化がない。物語に最初からおおよそ確定して癒着しちゃってる。
・生年月日とか性別とか生まれとかは、それを覆す"新事実発覚!実はアメリカ生まれ!"みたいなオチでもないかぎり、当然最初から最後まで、どういう影響を与えるかがおおよそ確定して存在し続ける『設定』であるのだけど、過去の出来事ってのも、実質それと同じく『設定』でしかなかったりする場合がある。
機能として、生年月日とか性別とか生まれとかと同じく、物語がはじまる前から決定済みで、物語内でほとんど変化せず、影響が始めから定められている。
これは読み手にとって、じゃなくて、作中人物にとって、の話。いや、読み手にとっての作中人物にとって、かも。読み手に対しては情報量でコントロールできちゃうから、一緒くたにしたらアンフェアじゃないかなー、と思う。
確定じゃなくて思考の途中、メモ的なニュアンスで。
・設定と物語の違い。いささか恣意的。まあ元々、お話って恣意的に作られてるものだし。
・個人的な考えとしては。『設定』は揺るがないもの。それがもたらす影響ってのはおおよそ確定していて、変化がない。物語に最初からおおよそ確定して癒着しちゃってる。
・生年月日とか性別とか生まれとかは、それを覆す"新事実発覚!実はアメリカ生まれ!"みたいなオチでもないかぎり、当然最初から最後まで、どういう影響を与えるかがおおよそ確定して存在し続ける『設定』であるのだけど、過去の出来事ってのも、実質それと同じく『設定』でしかなかったりする場合がある。
機能として、生年月日とか性別とか生まれとかと同じく、物語がはじまる前から決定済みで、物語内でほとんど変化せず、影響が始めから定められている。
これは読み手にとって、じゃなくて、作中人物にとって、の話。いや、読み手にとっての作中人物にとって、かも。読み手に対しては情報量でコントロールできちゃうから、一緒くたにしたらアンフェアじゃないかなー、と思う。
2008'03.25 (Tue) 21:32
keyの物語ってゲーム開始時がはじまりのように見せかけて、その実もっと前からはじまっていたり、だったり。Keyっていうか色んなギャルゲーに当て嵌まりそうだけど、鍵ゲー以外殆どやらないからそこには踏み込めないけど。
もちろん全部が全部そうではなくて、例えば幼馴染とか以前からの友達とかは除外されるんだけど。
てゆうか『CLANNAD』と『Kanon』しか念頭に置いてないんだけど。まあそれはともかく。
たとえば『CLANNAD』だったら、渚・ことみ・風子・智代は、ゲーム開始後に岡崎朋也が出会う人間で、それぞれのルートって意味での物語の開始場所も、朋也が彼女たちと出会った時、少なくともゲーム開始後、みたいに見えます。杏はゲーム開始前から朋也と知り合いで、お互い相手に感情を抱いていて、ゲーム開始時には既に物語がはじまってるんだけど、他のキャラは全く知らない状態なので、ゲーム開始時にはまだ物語ははじまっていない。プレイヤーがスタートボタンを押して、はじめて物語がはじまるように見える。
のだけど。
昔の親の夢どうこうとか過去の諦めとかが色々絡む渚のお話とか、出会う前に既に事故ってた風子のお話しとか。実は過去に出会ってた、なんてことみは典型的。
実はそれぞれ、過去のアレコレとかが、そのルートの物語で非常に重要になってきて、つまりゲーム開始時にはそれと気付けなかっただけで、「物語は既にはじまっていた」ということになる。
今のこの性格を形成しているのは過去があって、てのは当然だけど、それ以上の意味を、過去が、物語の中で成している。そんだけ過去が強いんだから、物語の開始時点って、「その過去」なんじゃねっていう。
『CLANNAD』のことみシナリオとか、『Kanon』の栞以外は、過去に主人公とその人物が出会って(どころか、ある程度の因縁を作って)いるので、むしろ物語開始がゲームスタート時からみて過去であるのは当たり前なんですけど、ゲーム開始時には"そうであるということ"がわからない、っていうかかなりゲーム(物語)を進めないとわからない。ああ、ギャルゲーってどの物語(誰ルート)だろうと、大抵スタート地点は一緒だから、こういうことが起こる……というか、ストーリーとプロットが基本的には同じで、特に共通ルート時に過去の話をするのが難しい(だから夢とか、寝てる間に見る記憶とかになっちゃいやすい)から、物語を結構なくらい進めないと判明しなかったりするのか。
…ああ、"実は因縁がある"、っていうのがいいのか。そこには"実は彼と彼女である必然性がある"というのが生まれるから。これが実はじゃなくて、最初から因縁があるとわかっていると、数いる子の中からその子を選んだことが(その子ルートに進んだことが)、主体的なものじゃなくて、いかにもお膳立てされたもののようになってしまう。メインの子というか、圧倒的にメインのお話が一本あってそれで、っていうのならいいんだろうけど、そうじゃないと他の子の、他のお話が、メインのお話の運命から比べればおまけにしかならないよな、という。選んだこの物語はこの作品の中ではメインじゃ無いが、俺にとってはメインだ、という強度を出すのが厳しくなる。とか。だから「みずいろ」冒頭の過去パートは案外薄いものだったんだ、とか(当てずっぽう)。
で、話を戻しまして。
そういう、過去からの因縁がある物語は、まあその前提であるのですから当然、彼と彼女であるという必然性が、運命が、生まれるわけですけど。
そうではない……『CLANNAD』でいえば、渚とか、風子とか智代とかでも、絡む過去を隠しといて後で露見する――物語が実は過去からはじまっている――というのでも。
かえって運命的というか、相手が"朋也である"ということの必然性を生み出してるように見える、っていうか。過去のアレコレが絡んでくるお話で、それを乗り越えるなり受け入れるなりに、主人公がこいつ(朋也)である、ということが、まるで必然的に思えてくる。過去のトラウマでも呪縛でも軋轢でもなんでもいいんですけど、過去には、朋也がいなかったから、それがトラウマや呪縛や軋轢になった。けれど今は、朋也がいるからそれを乗り越えられた・受け入れられた――みたいなのが、つまり過去を表出し、それを乗り越えたり受け入れたりすることは、今ここにいる彼と彼女じゃなきゃできないことで、そこに必然性が担保されてる、とか。
で、必然があれば当然運命であって。たとえば、現在自分がここにいることが必然だとすれば、過去はここに(その必然に)至るための運命である、といえる。
必然って言っても、この物語において(この物語にするには)必然なだけであって、この物語からすれば必然なだけであって、違う物語ならまったく必然じゃない――たとえば渚の相手が朋也じゃなくて春原なら、この物語じゃないけれど、違う物語が生まれる。その違う物語の存在には、春原が必然である――なんですけど、ゲームの中のそのキャラクターの物語はひとつ、正統ルートはひとつであって(少なくともCLANNADにおいては一つであって)(渚ルートのBADではない正統なものはあの一つしかないように)、他のが描かれる可能性が存在しない以上、彼と彼女であることは、物語の中じゃ"必然"であって、そして"運命"でもある。
って、これだけじゃ「実は物語は過去にはじまっている」である意味が薄いなあ。
プレイヤーが知らないこと、ってのが重要なんでしょうか。
スタートボタン押したところが物語の始点かと思ったら、実はとっくにはじまっていた。こっちはそれがスタート地点かと思ってたけど、実はインメディアスレースだった。読み手にとっては、なんか因縁なり因果なり運命なり必然なりがいきなり出てきたようなもので、ある種醒めやすいっていうか、またかよーまた過去のトラウマモノかよー、みたいな感じではあるんだけど、物語のはじまる前(と見えていた)知らないものが重要になってしまうというところが、因縁めいている、とか。過去が重要になるってことを知ってたら、そりゃただの順当であって、知らないからこそ、因縁とか運命とか感じえる、とか。
もちろん全部が全部そうではなくて、例えば幼馴染とか以前からの友達とかは除外されるんだけど。
てゆうか『CLANNAD』と『Kanon』しか念頭に置いてないんだけど。まあそれはともかく。
たとえば『CLANNAD』だったら、渚・ことみ・風子・智代は、ゲーム開始後に岡崎朋也が出会う人間で、それぞれのルートって意味での物語の開始場所も、朋也が彼女たちと出会った時、少なくともゲーム開始後、みたいに見えます。杏はゲーム開始前から朋也と知り合いで、お互い相手に感情を抱いていて、ゲーム開始時には既に物語がはじまってるんだけど、他のキャラは全く知らない状態なので、ゲーム開始時にはまだ物語ははじまっていない。プレイヤーがスタートボタンを押して、はじめて物語がはじまるように見える。
のだけど。
昔の親の夢どうこうとか過去の諦めとかが色々絡む渚のお話とか、出会う前に既に事故ってた風子のお話しとか。実は過去に出会ってた、なんてことみは典型的。
実はそれぞれ、過去のアレコレとかが、そのルートの物語で非常に重要になってきて、つまりゲーム開始時にはそれと気付けなかっただけで、「物語は既にはじまっていた」ということになる。
今のこの性格を形成しているのは過去があって、てのは当然だけど、それ以上の意味を、過去が、物語の中で成している。そんだけ過去が強いんだから、物語の開始時点って、「その過去」なんじゃねっていう。
『CLANNAD』のことみシナリオとか、『Kanon』の栞以外は、過去に主人公とその人物が出会って(どころか、ある程度の因縁を作って)いるので、むしろ物語開始がゲームスタート時からみて過去であるのは当たり前なんですけど、ゲーム開始時には"そうであるということ"がわからない、っていうかかなりゲーム(物語)を進めないとわからない。ああ、ギャルゲーってどの物語(誰ルート)だろうと、大抵スタート地点は一緒だから、こういうことが起こる……というか、ストーリーとプロットが基本的には同じで、特に共通ルート時に過去の話をするのが難しい(だから夢とか、寝てる間に見る記憶とかになっちゃいやすい)から、物語を結構なくらい進めないと判明しなかったりするのか。
…ああ、"実は因縁がある"、っていうのがいいのか。そこには"実は彼と彼女である必然性がある"というのが生まれるから。これが実はじゃなくて、最初から因縁があるとわかっていると、数いる子の中からその子を選んだことが(その子ルートに進んだことが)、主体的なものじゃなくて、いかにもお膳立てされたもののようになってしまう。メインの子というか、圧倒的にメインのお話が一本あってそれで、っていうのならいいんだろうけど、そうじゃないと他の子の、他のお話が、メインのお話の運命から比べればおまけにしかならないよな、という。選んだこの物語はこの作品の中ではメインじゃ無いが、俺にとってはメインだ、という強度を出すのが厳しくなる。とか。だから「みずいろ」冒頭の過去パートは案外薄いものだったんだ、とか(当てずっぽう)。
で、話を戻しまして。
そういう、過去からの因縁がある物語は、まあその前提であるのですから当然、彼と彼女であるという必然性が、運命が、生まれるわけですけど。
そうではない……『CLANNAD』でいえば、渚とか、風子とか智代とかでも、絡む過去を隠しといて後で露見する――物語が実は過去からはじまっている――というのでも。
かえって運命的というか、相手が"朋也である"ということの必然性を生み出してるように見える、っていうか。過去のアレコレが絡んでくるお話で、それを乗り越えるなり受け入れるなりに、主人公がこいつ(朋也)である、ということが、まるで必然的に思えてくる。過去のトラウマでも呪縛でも軋轢でもなんでもいいんですけど、過去には、朋也がいなかったから、それがトラウマや呪縛や軋轢になった。けれど今は、朋也がいるからそれを乗り越えられた・受け入れられた――みたいなのが、つまり過去を表出し、それを乗り越えたり受け入れたりすることは、今ここにいる彼と彼女じゃなきゃできないことで、そこに必然性が担保されてる、とか。
で、必然があれば当然運命であって。たとえば、現在自分がここにいることが必然だとすれば、過去はここに(その必然に)至るための運命である、といえる。
必然って言っても、この物語において(この物語にするには)必然なだけであって、この物語からすれば必然なだけであって、違う物語ならまったく必然じゃない――たとえば渚の相手が朋也じゃなくて春原なら、この物語じゃないけれど、違う物語が生まれる。その違う物語の存在には、春原が必然である――なんですけど、ゲームの中のそのキャラクターの物語はひとつ、正統ルートはひとつであって(少なくともCLANNADにおいては一つであって)(渚ルートのBADではない正統なものはあの一つしかないように)、他のが描かれる可能性が存在しない以上、彼と彼女であることは、物語の中じゃ"必然"であって、そして"運命"でもある。
って、これだけじゃ「実は物語は過去にはじまっている」である意味が薄いなあ。
プレイヤーが知らないこと、ってのが重要なんでしょうか。
スタートボタン押したところが物語の始点かと思ったら、実はとっくにはじまっていた。こっちはそれがスタート地点かと思ってたけど、実はインメディアスレースだった。読み手にとっては、なんか因縁なり因果なり運命なり必然なりがいきなり出てきたようなもので、ある種醒めやすいっていうか、またかよーまた過去のトラウマモノかよー、みたいな感じではあるんだけど、物語のはじまる前(と見えていた)知らないものが重要になってしまうというところが、因縁めいている、とか。過去が重要になるってことを知ってたら、そりゃただの順当であって、知らないからこそ、因縁とか運命とか感じえる、とか。
2008'03.22 (Sat) 19:26
「クラナド(CLANNAD) 番外編」で検索してこられる方が、すごい多いです…。なんすかね、最終回見終わったら、いきなり次回「番外編」とか出てきて、なんじゃこりゃー、とか、そんな感じなのでしょうか。
番外編がどうなるかなんて、あと5日くらい待てば分かることなんですけど、せっかく来てくださる方がいらっしゃるんだから、ゆっくりしていってね!の意を込めてかる~く、というか無駄に想像してみます。
てゆうかこの記事って、5日後くらいには意味も価値もゼロ以下になるような……まあいっか、本編終わった後の、折角の、お祭りみたいなものですし。
番外編がどうなるかなんて、あと5日くらい待てば分かることなんですけど、せっかく来てくださる方がいらっしゃるんだから、ゆっくりしていってね!の意を込めてかる~く、というか無駄に想像してみます。
てゆうかこの記事って、5日後くらいには意味も価値もゼロ以下になるような……まあいっか、本編終わった後の、折角の、お祭りみたいなものですし。
2008'03.22 (Sat) 04:37
※以下には、京都アニメーションの「CLANNAD」22話までの内容が含まれています。
アニメのネタバレになりますので、閲覧の際にはご注意下さい。
※画面比率「4:3」視聴時の感想です。
※感想前編になります。主に、つうか全て渚のこと。それ以外についての後編は、のちほど。
アニメのネタバレになりますので、閲覧の際にはご注意下さい。
※画面比率「4:3」視聴時の感想です。
※感想前編になります。主に、つうか全て渚のこと。それ以外についての後編は、のちほど。
2008'03.16 (Sun) 06:28
劇場版CLANNADを見ながら記したメモ&感想。なんか書いてる内に凄いまったりしてしまいました。
初見時のメモ書きは、初見時のメモなだけあって、乱雑&なんか言葉が悪かったりしますが、気にしないで下さるとありがたいというか超助かります。
なんか一個前の記事じゃ劇場クラナドのことを高評価してるっぽい気がしますけど、まあ何というか、そんなに高評価って程では無いですよ。原作と京アニのことを忘れ、"劇場版は劇場版"と、一己の作品として見るとフツーに見れるかな、みたいな。
以下、『劇場版CLANNAD』のネタバレです。
ちなみに、京アニCLANNADの現時点(21話)より先の内容にも触れていると思われるので、閲覧の際はホントにご注意下さい。
こうやって括った中に書いてあるものが、初見時に記したメモ書きで、その下に書いてあるものは、この記事書き上げる時、まれに劇場版CLANNADを再視聴したりしながら、初見時の自分にセルフツッコミを入れたりしながら、記したものです。
(色つきの文字は本編内での台詞やモノローグ。緑が朋也、赤が渚、紫色が春原って感じ)
初見時のメモ書きは、初見時のメモなだけあって、乱雑&なんか言葉が悪かったりしますが、気にしないで下さるとありがたいというか超助かります。
なんか一個前の記事じゃ劇場クラナドのことを高評価してるっぽい気がしますけど、まあ何というか、そんなに高評価って程では無いですよ。原作と京アニのことを忘れ、"劇場版は劇場版"と、一己の作品として見るとフツーに見れるかな、みたいな。
以下、『劇場版CLANNAD』のネタバレです。
ちなみに、京アニCLANNADの現時点(21話)より先の内容にも触れていると思われるので、閲覧の際はホントにご注意下さい。
2008'03.16 (Sun) 06:20
劇場版『CLANNAD』 DVD(通常版)
(2008/03/07)
野島健児、桑島法子 他
商品詳細を見る
『劇場版CLANNAD』。期待度が低かったのもありますが、思ったよりも良かったです。
で、こういう、使える時間が短い尺のお話だと、『選択と集中』が非常に大事になるなと思ったのです(原作モノで、原作が長かったりすると特に)。
物語においてはあるとあらゆるもの・あらゆる要素が機能的で、例えばキャラクター一つとってみても、
その性格・性別・年齢・出身・人種・身体的特徴・経歴・所属・喋り方・歩き方・癖・思想・趣味・好きな食べ物嫌いな食べ物・血筋・性癖・座右の銘……他、果てしなくetc
ってくらいに、メッチャ沢山の要素がありまして、それは勿論人物だけではなくて、小物からエピソードから舞台から設定から何から何までもが、他の要素や、小さな意味での・大きな意味での『物語』に対し、効果の大小に関わらず、なんらかの『意味』や『機能』を持っています(基本的にあくまで、物語内に記されたものだけに限りますけども)。
例えば『北斗の拳』のキャラクターの服装が、たとえばケンシロウの服装が、革ジャンじゃなくてジャージとかスーツとか普通の服装だったら、作品の印象が変わってくるでしょう。
極端な喩えですが、そんな感じです。
今ある作品は、今ある要素が、今ある形で存在しているからこそ『今ある作品』で、その要素が少しでも変わってしまったら、厳密には『違った作品』になり、たとえほんの僅かでも、違った印象を受けるでしょう。それは要素が異なるからで、つまり(エピソードも人物も設定も全て『要素』として捉えれば)要素を構造と構成で複合し表現方法で表現したものが、物語である。
そのくらい、要素の持つ意味は、物語の意味に対し、大きな影響を持っています。
ならば、先に物語の意味――この物語で見せたいことを『選択』して、そこに物語内の要素を『集中』させれば、たとえば使える時間が短い作品において、効果的に物語の意味を深められるのではないでしょうか。
それがこの、『劇場版CLANNAD』に感じ取れました。
原作は沢山の登場人物がいて、沢山のエピソードや要素があるのですが、それをかなり大部分カット。いわゆる『渚ルート』、一つに集約させています。
ですが。その『渚ルート』に集約させながらも、ネタバレになるので詳しくは書きませんが、さらに色々削ってるのです。しかも原作では重要である部分も。もちろん原作に無い部分も足しています。
でも、その代わり。ある一つ、ないし二つのことについてに、この物語を集約している。原作にある色んなモノ(意味)を排除している代わりに、この物語は、ある一つないし二つの意味に集約されてきている。
そこ――この物語から見い出せる意味、その要素を強く含む部分を原作から取り出し、その要素を強くは含まない・もしくは効果的ではない部分を敢えてカット・もしくは改変している――つまり、ここ(劇場版CLANNAD)で物語られていることに、ここ(劇場版CLANNAD)で描かれる要素を集約している。
この作品の、原作の要素に対する取捨選択には、そういった意味での『選択と集中』が見て取れ、またそれは原作モノをアニメ化する際には欠かせないものでもあると思いますが、このような使える時間の短い作品を行う際には、いっそう欠かせないものであるんじゃないか、と思いました。
(そういえば京アニの『AIR』にも「選択と集中」を思いました。こっちは要素もそうですけど、それ以上に『構造』『構成』に対して選択と集中をしている感じです)
もちろん良い事尽くしではなく、原作と比して『狭く深くになってしまう』という弊害はありますけども(利点になる場合もあると思いますが)。や、効果的に表現できなければ『狭い』だけで終わってしまいかねないですけどもね。
2008'03.15 (Sat) 04:52
※以下には、京都アニメーションの「CLANNAD」21話までの内容が含まれています。
アニメのネタバレになりますので、閲覧の際にはご注意下さい。
※画面比率「4:3」視聴時の感想です。
アニメのネタバレになりますので、閲覧の際にはご注意下さい。
※画面比率「4:3」視聴時の感想です。
2008'03.12 (Wed) 04:42
非常に遅くなりましたが、アニメCLANNAD11話Bパートすぐの朋也が見た夢、原作にもある「ことみが本を読みながら朋也が見ている夢」(ならびにことみがこの時読んでいた本)が、尾崎翠『第七官界彷徨』だと知りまして、そちらの方を読んでみました。
以下、『第七官界彷徨』を参照しながら、この夢を多少なりとも解釈してみたいと思います。
(尚参照文献は、ちくま文庫の「尾崎翠集成(上)」で、引用文などもそちらからのものになります)
以下、『第七官界彷徨』を参照しながら、この夢を多少なりとも解釈してみたいと思います。
(尚参照文献は、ちくま文庫の「尾崎翠集成(上)」で、引用文などもそちらからのものになります)
2008'03.08 (Sat) 20:39
※以下には、京都アニメーションの「CLANNAD」20話までの内容が含まれています。
アニメのネタバレになりますので、閲覧の際にはご注意下さい。
※画面比率「4:3」視聴時の感想です。
アニメのネタバレになりますので、閲覧の際にはご注意下さい。
※画面比率「4:3」視聴時の感想です。
2008'03.07 (Fri) 00:32
現在、第19回まで見た状態で、第1回・第2回を見返したので、そこで思ったこととか感じたことを、ちょっとメモってみました。あくまでメモ。しかも自分用風味。かなり乱雑です。新鮮な内容や期待できるような内容は特にありません(え…)
あと16:9、今さらながら(1話以外は)初体験。
しかし、何回も見てるのに、知ってるのに、やっぱそれでも、展開の早さを感じてしまうw
あと16:9、今さらながら(1話以外は)初体験。
しかし、何回も見てるのに、知ってるのに、やっぱそれでも、展開の早さを感じてしまうw
2008'03.05 (Wed) 00:16
さて、今回は。堀口悠紀子さんが作画監督をされていて、それで他の回とは少し異なる絵柄になったようです。……や、その辺の事情はよく分かんないのですが、他の方のご意見とか拝見するかぎり、そんな感じらしいです。
僕個人としてはこの絵の感じはすごい好きで。今回はついつい、『絵』ばかりを注目して視てしまいました。
それで思ったのが、やはり『細かい』ということ。
非常に細かい所まで気を遣っていると思うのです。
例えばキャラクターが動いている場面で、"無駄な動き"をさせている所が結構あります。感情を表現するだけなら、もっと単純な動きでも構わないのに、そこに敢えて、その感情の表現という観点からは非効率にあたる"無駄な動き"を行わせる。
人間には"無駄な動き"が多いですから、それだけでリアリティが生じるとも言えますが、もう少し細かく砕くと。
表現から見て非効率にあたる動きが入っているというのが、動きそのものを只の記号にすることなく、その余剰にも意味を見出せるという点で、結果的にリアリティを持った表現になっているのではないか、と考えられます。
僕個人としてはこの絵の感じはすごい好きで。今回はついつい、『絵』ばかりを注目して視てしまいました。
それで思ったのが、やはり『細かい』ということ。
非常に細かい所まで気を遣っていると思うのです。
例えばキャラクターが動いている場面で、"無駄な動き"をさせている所が結構あります。感情を表現するだけなら、もっと単純な動きでも構わないのに、そこに敢えて、その感情の表現という観点からは非効率にあたる"無駄な動き"を行わせる。
人間には"無駄な動き"が多いですから、それだけでリアリティが生じるとも言えますが、もう少し細かく砕くと。
表現から見て非効率にあたる動きが入っているというのが、動きそのものを只の記号にすることなく、その余剰にも意味を見出せるという点で、結果的にリアリティを持った表現になっているのではないか、と考えられます。
2008'03.02 (Sun) 02:29
ビルは人ごみのオーバー杏のテーマ曲である「それは風のように」から作られた歌、「オーバー」。京アニCLANNAD、第18回のテニスの試合時に流れていた曲です。
リノリウム続くオーバー
この歌、けっこう好きなんですが、特に上記した部分、歌詞カードに載っていないこの部分が大好きです。
「オーバー」の歌詞がどんな歌詞なのかを、さすがに全て載せることは出来ませんけど、全体的に『杏』のことを歌っていながら、『杏以外のキャラクター』にも通じるようなことを歌っています。(最初、歌詞カードを見たときは朋也の歌かと思った)
ここでは、『杏のこと』という観点で進めていきます。
2008'03.02 (Sun) 00:22
はぁ…。
京アニCLANNADは第22回で最終回、第23回は番外編だそうです。
はぁ…。
うーーーん……ショックすぎる。そりゃいつかは終わるし、3クール目以降の有無に関してはどちらに転ぼうがある程度覚悟はしていたけど、この2クールが、まさかノーマルである24回より少ない22回で終わりだとは…。
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