2008'06.07 (Sat) 13:27
本編のBGMがこれまでに比べるとやや弱いかなと。
http://tangerine.sweetstyle.jp/?eid=700214
や、僕も最初はそう感じたのですが、Amazonのレビューよろしくに、サントラを聞くと、その評価ががらっと変わりました。
この評価の変化の原因は、楽曲の質うんぬんだけでなく、リトバスの構造にも求められるのではないかと思います。
『リトルバスターズ!』の音楽がCLANNADとかに比べて弱い理由も、個別シナリオが弱い理由と同じく、質だけの問題ではなく、ある程度はその構造に求められるのではないかと。
作曲者の変化(新しい人)や、本作で求められている楽曲が過去作と方向性が違う(ロック的な主題歌なんかは際立っているでしょう)ということによる変化なども一因としてあると思いますが、楽曲の良し悪しは主観以上では分からないのでその辺はスルーさせていただいて。
まあ、そんなこと以上に重要なのが、「Key作品に置ける音楽の位置づけや重要度が下がった」と言うことだと思いました。
・CLANNAD・AIR
CLANNADやAIRでの音楽は、音楽そのものがシナリオを演出するための手段として使われていました。場面場面で音楽が切り替わる、と言うよりは、その場面に、こういうイベントのときに、と、音楽が専用で作られていたわけです。CLANNADの「遥かな年月」とか「願いが叶う場所II」とかは、本当にその場面専用に作られた曲で、その場面を彩る、重要なシーンだと印象付ける意味合いでも置かれていました。
http://d.hatena.ne.jp/rikio0505/20071116/1195153151
このご意見は、ユーザーに対する音楽の「印象度」という点で非常に正しいと思うのですが、音楽の印象という話で言えば、「会話部分でBGMのボリュームが自動的に下がる」という点も無視できないのではないかと思います。
「リトルバスターズ!」はキャラクター音声があるゲームだからか、キャラクターが喋っている場面だと、自動的にBGM音量が低くなります。
つまり、プレイ中のBGMは、音量が高い部分・低い部分が混在することになります。
こうなると、プレイヤーはゲーム中にきちんとした(音量が安定した)BGMをゲーム中に聞く機会が少なくなり、自然BGMに対する印象は薄くなります。また、このようにゲームの場面の一部としてBGMが組み込まれている為、”BGMだけの”印象というのも薄くなってしまいます。
勿論これは、ゲーム演出としてみれば上手く作用している箇所もあり、例えば作中5月19日、
真人「ちっ…女の相手はする暇あんのに、オレたちの相手する暇はねぇってかよ」
謙吾「…なんのことだ」
真人「学食の裏のベンチで並んでお茶してたじぇねえか、女と」
(ここで音声が終わり、BGMボリュームが大幅に上がる)
その言葉に、帰り支度をしていたクラスメイトたちが一斉にざわめいた後、不自然に静まりかえる。
このシーンなんかは、「声がある、BGMが薄い」→「声の無音、BGM音量アップ」という変化が、理樹のモノローグ「ざわめいた後、不自然に静まりかえる」を強調しているようで、とても上手く作用しているように感じました。
作中で音楽が強く取り扱われていない、主になる場面が少ないというのが、楽曲の質うんぬん以外にいえる、「リトルバスターズ!」の音楽が弱い理由のひとつではないでしょうか。
amazonのレビューで「スルメのようなアルバム」と書いていた人がいましたが、確かに何度か聴いているうちに、印象が良くなったり好きになったりする曲が結構出てきているんですよ。
http://d.hatena.ne.jp/rikio0505/20071116/1195153151
このような意見などは、まさにその点を反映しているのではないかと思えます。
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