2006'11.25 (Sat) 18:29
弱りました……。
真琴シナリオまったく覚えていません。

次回予告で「鈴」が出てきて泣いた!
なんて感想拝見したりしますが、「鈴」が何に使われるのか1ミリも覚えてなかったりしますorz
今回も、確かにいい感じですし、次回以降の泣きシーンへの助走みたいな感じで上手いんですけど。
一応原作をやり直したりしてるんですが、

空気を読まないウイルスバスターに邪魔されてやる気が阻害されます。
(どんな言い訳だよ)
いやまあ、普通にプレイする時間がなくて真琴ルートにまだ入ってなかったりします。
てゆうか、なんの間違いかあゆルートに入ってたりします。
早くやりなせ、俺……
【More】
こんなこと書くと真琴ファンにぬっころされるかもしれませんが、僕真琴シナリオだけはちんぷんかんぷんでして。実はPC版・DC版・PS2版と全部購入してて、各キャラそれぞれ3~6回くらいクリアしてるんですが、真琴シナリオだけPC版での最初の一回しかやっていませんでして。
猫落とすところでドン引きして、実は狐だったって事にWHAT?ってなって、その後の展開についていけなかったクチでして。
いやホントすいません。さっさとやり直します。
ということで、真琴シナリオ覚えてない、というかもはや知らないレベルの僕じゃストーリーについてあんまり書けること無いので、ここは思い切ってかなり明後日な方向から「kanon」について書いていこうかと思います。
こじつけ:50%、妄想:50%で。



これ、原作やってない人には真琴デレ期突入→新事実発覚→展開早っ!ついてけねえ!
だったりするんじゃないでしょうか?
僕、原作既プレイだけどそう思っちゃったよ☆
(ちょっくら樹海行って来るわ!)

舞達と一緒に昼ごはんを食べる祐一。
一人ずつ攻略という作りならば、次は恐らく舞でしょう。
栞の可能性もあるけど、「昼食は舞たちと一緒に食べる」がデフォルトになってる現状、それを一端崩してわざわざ栞との昼食に移行というのは考えずらい。栞攻略後、もう一度やり直さなくちゃならなくなる訳だし。



天野との会話シーンは、どれも天晴れな出来映え。
一回目は後ろ向き、二回目は前向き、そして三回目で向かい合う。しかも天野、祐一を自分の左側には立たせない。
その上どのシーンも、わざと「ものみの丘」かもしれない風景が見える様に写している(二回目の会話シーンなんかではわざわざカメラ寄ってるし)。

二回目の会話シーンでの緊迫した内容も素晴らしいし、

三回目の会話シーンは、夕日の色、演出・カメラワーク全てが素晴らしい。
一回目、二回目、三回目を順に追って見るとより凄さがわかる。
話の内容~カメラワークまで、全てが凄い。三回目はロクに丘写さないところなんかも素晴らしい。
こんな地味シーンで、こんだけのモノ魅せるなんて、これはもう個人的にはどんだけ褒めても良いレベル。
今の所の、個人的なkanon名シーンランキング第一位は断トツでこの天野との会話シーン。
以降原作ネタバレ凄くアリ。
ついでに、「ONE」と「AIR」と「CLANNAD」のネタバレもアリ。
調子に乗って書きすぎた疲れたorz
あと、いわゆる「オレ解釈(しかも思いつき書き)」なんでどうかお手柔らかに。
今回目に付いたのが、まず俯瞰視点の多さ。

今までも十分多かったですが、その殆どがシーン頭に、今はこういう場所にいるよ、こんな人や物体や建物がこんな配置でいるよ、という状況を説明するためのカットでした(上の画像もそう)。

それが今回、通常の俯瞰視点が今までと比べて異様なくらい多かった。
そしてもう一点。祐一主観がほぼゼロ。


この二つと、あとはノートに書くところや猫の名前のところぐらい。
で、この二つどちらも、視聴者に祐一主観を印象付けずらいタイミングで使われている。

主観でも良い場面もこうやって主観逃れをしています。
ついでに今回、これ調べてて気付いたのですが、ヒロイン主観がまったくない。もしかすると、今までもまったくなかったのではないでしょうか。
この神の視点の多さと主観の無さ。
急激に早くなるストーリーと、いきなりキツネなんていう突拍子も無い展開。
感情移入しにくい、ジゴロ祐一。急に真琴に付きっ切り、なんか中途半端に優しくなったりする。要するに、祐一の考えが視聴者にはさっぱりわからない。
ヒロイン・サブキャラに至っては、原作やってない人は祐一以上に感情移入できにくいんじゃないでしょうか。突拍子も無いキャラクター、背景も語られない、主観視点が何一つない。
これだけ感情移入させずらくする要素を並べてる、ってことはこの作品、視聴者に感情移入させたくないんじゃないでしょうか。
あくまでも、「kanon」という物語をあくまで「見せる」ことに徹底した……いや寧ろ、視聴者を敢えて突き放す、敢えて距離を取ってるんじゃないでしょうか。敢えてのめり込ませないんじゃないでしょうか。
原作「kanon」を少し再プレイして思い出したこと。
これはまあ、あくまで僕解釈なんですが。
key作品のテーマというのは、人と人との繋がりだと思ってます。
ONEは恋人同士、kanonではそれプラス過去の自分&相手、AIRはそれプラス家族、CLANNADはそれプラス子供・配偶者・親・友人・知り合い・職場の同僚………まあつまり、全部。
で、このテーマを前提にすると出てくるのが、
やっぱまあどうしても「ゲームより現実のがいいよ」っていうモノ。
当たり前ですが、ゲーム・バーチャルで表現できる人と人との繋がりなんかは、現実のソレに比べて圧倒的に「しょぼい」。
人と人との繋がりは、どうしたって現実の方が優れていている。
なので、それを真に受けてゲームやると、ゲーム内にある物事やメッセージにも「そういった意味が隠されている」と勝手に解釈しちゃったりします。
例えばONEは。
ヒロインと上手くいけば、「えいえんのせかい」に旅立っても帰って来れるというモノなんですが。
作中の主人公の独白に偶に出てくる、「~だった」。
「あのとき絆を求めたはずだった」「あっという間の四ヶ月だった」
などなど。(他にも色々あったと思うんだけど、ちょっとうろ覚え)
この事から推測するに、「ONE」の物語
所謂共通ルート→個別ルート→えいえんのせかい→そこからの帰還
の最後の「帰還」の部分以外は全部「過去の事」と言える。
つまり、プレイヤーが色々と選択肢選んでいたあの場面は、全部えいえんのせかいに旅立ってから、主人公が思い出していた昔の「思い出」。
プレイ中、途中途中に「えいえんのせかい」が差し込まれるが、寧ろ「えいえんのせかい」に今までの思い出、「日常」を差し込んでいる、と言った方が正しい(正しいとか言いつつ、その構造上肯定も否定もできるんだけど)。
プレイヤーが操作していた部分は、
浩平がえいえんにいった後のヒロインの独白が始まるまでの部分は
全部「えいえんのせかいで浩平が思い出していた思い出」である、と。
で、この上で。
主人公の野郎が
「永遠の世界でも、幸せな思い出を反芻していけば生きていける」
みたいなこと言っていたのでさすがにコントローラーぶん投げた。
プレイヤーがやってたゲーム内容は、全部その思い出の反芻だったと。
ONEおもしれ~とやり返せばやり返すほど、自分がその言葉通りの行動をしていることになる、と。
今までプレイヤー=浩平、
って思ってたら大違いで、
プレイヤー=浩平の思い出の中の浩平、であったと。(まあ瑞佳シナリオの時点で=の図式はぶち壊されていたけれど)
浩平の幸せな思い出を僕らはプレイしていた。永遠の世界で、生きていく糧になるくらいの。ああ、だからあんなに選択肢が多くて複雑だったんだ。
永遠の世界から帰還した浩平は一切操れません。
うろ覚えなんだけど、「浩平の心情描写」すら無かった様に思える。
見せてくれる時間もほんのちょっと。
浩平=自分、という図式は完璧に壊れて、浩平だけ一人永遠の世界から帰還します。プレイヤー、永遠の世界に置いてけぼり。
つまり、僕らがゲーム機の電源入れて「ONE」のCD-ROM差し込んでも、プレイできるのは「永遠の世界での浩平の思いで部分」だけなんですよ。
プレイヤーがプレイしてるのは永遠の世界に行った後の事のみ。そこから帰還した後日談を、ちょこっとおまけで見せてくれる程度。
「えいえんはあるよ」
「ここにあるよ」
ってのはつまり、笑えないことに「ONE」というゲームが「えいえん」だっていうこと。言葉そのまんま、「ここにあるよ」(笑)
そりゃゲームはデータだよ、永遠に残るわ。
で、さらに笑えないのが「作中で『永遠』を否定していること」。
浩平「こんな永遠なんていらなかった」
永遠=このゲーム、浩平の思い出=プレイヤーが、主人公浩平に完全に拒否されてます。
浩平「滅びに向かって進んでいるからこそ、全てはかけがいのない瞬間なんだよ。だから、こんな永遠なんてもういらなかった」
僕らがゲーム機の電源入れれば、幾度でもこの「永遠の世界」に行くことができます。何度でも、浩平の思い出を追体験することができます。思い出だから、終わりはあるけれどそれは決して滅びに向かっている訳ではない。終点まで辿り着いたらまたやり直せばいい。浩平は、思い出を反芻するだけで、生きていけるって言ったのだ。
しかし浩平は、それに価値を見出さなくなった。
「永遠」なんかより、
「滅びに向かって進んでいる日常」の方に価値を見出した。もうこんな永遠いらなくなった。それよりも、『絆』を求める。
永遠はつまりこのゲーム、
滅びに進む日常はつまり現実、
絆は人と人との繋がり。
あ~、参った。
僕解釈じゃ、「ゲームなんかより現実のが良いぜ、人と人との触れ合い最高だぜ」としか聞こえない。しかも、ゲームの中身は浩平の思い出であって、いわば浩平の慰みもの。しかも最後にゃそれいらないって言われて自分一人ご帰還なさっちゃう。
「ONE」というゲームは、つまり。
浩平がこのゲームに価値を見出さなくなる過程を描く物語。
これじゃさすがに、「ゲームをやめろ」ってメッセージが込められていると思っても仕方が無い。
つうかそう思いたいのかもしれない。
ちょっと変わった方向性で、このゲームに支配されている感じ。
(もう何年もONEをやってないで書いているので、台詞などは完全にうろ覚えです。いつかビルドアップして、ちゃんとしたものを書く、かも)
ONEが長くなりすぎちゃったので、AIR、CLANNADは省略。
てゆうかAIRは、発売時に最後の言葉を巡って色々な人が色々な考察をしていたので、書く必要すらあまり無いかと。
あの「さようなら」は僕らプレイヤーに向けて言ってる「さようなら」だし、
さらに言うと「最後は、どうか幸せな記憶を」。その幸せな記憶は空で待っている少女に向けてと同時に、プレイヤーに向けてのものだと思う。
CLANNADはもっと書く必要無い。やればすぐ伝わる。どう見ても恋愛アドベンチャーゲームではなく人生アドベンチャーゲームです、本当にしてやられました。
「俺たちは登り始める。この長い坂道を」
どう見ても人生そのまんまです。
正直辛過ぎる。ゲームなんかより現実のが良いぜメッセージが強過ぎる。
しかもこっそり皮肉ったONE、
希望を持たせようとして、かつなんとか突き放させようとしたkanon、
最後の謎台詞で気注目させようとしたAIR(そこばっかりに注目が行って、返って失敗気味ですが)、
と、今まではかなり遠回しに表現していたものを、この「CLANNAD」では圧倒的な質と物量用いて作品内でダイレクトに表現している。
お陰様で、クラナド以降大抵のギャルゲーできなくなりました。
「人生の宝物見つけにいくゲーム」なんて怖すぎていまだに積んでいます(笑)。
これやったら、本当もうゲーム自体できなくなっちゃうんじゃないか?
で、「kanon」ですが。
今回の第8話で、祐一の台詞にこんなものがありました。
「夢。夢の中にいるような気がする。
長い夢の中に」
結論から言うと、「kanon」の物語はそんまんま「夢」だと思う。
夢。僕らプレイヤーがプレイできる領域、冬の日の物語は全て夢であり、全く持って「ただの思い出」。
kanonのパッケージ。
~雪が溶ける頃、冬の日の物語もまた、思い出に還る~
ゲーム。僕らプレイヤーがプレイできる領域、冬の日の物語は全てゲームの中の物語であって、全く持って僕らの中で、それらを「ただの思い出」に還すべきである。
ってゆうかkanonは今再プレイ中なんで、kanonクリア後にちゃんとしたもの書き直します。なんでこれは現時点での下書きみたいなもの、後で言ってること変わるかも。
【奇跡を見せる物語】
kanonは、「奇跡を見せる物語」だと思っています。
いや、「京アニkanonはもしかすると、奇跡を起こさない展開があるんじゃないか」という内容で質の高いコメント頂いといて申し訳ないのですが(そうなる可能性も十二分にあるけど)。
一つの考え方として。
なぜあんなに毎回奇跡を見せるのか。奇跡のバーゲンセール、ワンパターンと揶揄されるのは目に見えている。
それが予測できないスタッフではないのに、それを行うという事は、「敢えて」このように、奇跡を前面に押し出して作っているのではないか。
さらに久弥氏の「(奇跡に対して)ユーザーさん次第です。……どうとらえてもらってもいいところがある」といったコメント。
これは、物語として見た場合の「奇跡」の重要度の無さを感じさせられる。奇跡をあゆが起こしたでもいいし、それぞれ本人が起こしたでも祐一が起こしたでも全然知らない誰かが起こしたでも、実はプレイヤーが奇跡を起こしてたんだよ!とかそんなんでも良い、と。これでは奇跡の解釈は人それぞれバラバラになる。
つまりこれがどういう事かというと、「奇跡の解釈」がひとそれぞれバラバラになろうがデタラメになろうが、「『kanon』という物語もしくはテーマには一切問題がない」ということ。
そして、前述したとおり、key作品の「アンチゲーム」メッセージを真に受けると。
プレイヤーに「奇跡」を見せてあげる物語が「kanon」だと思う。
つまんなかったり、辛かったりする現実だろうけど、それでも「奇跡」というのは存在するよ、という物語。結構リアル世界も捨てたモンじゃないぜ、というお話し。
「起こらないから、奇跡」
「今、相沢さんは一つの奇跡の中にいるのですよ」
「起きる可能性が少しでもあるから奇跡」
と、奇跡を「まず起きないもの」「凄いもの」としていると同時に、
名雪が早起きして「奇跡」
など、「奇跡」を「日常に起きる偶然」のようなレベルにもしている。
これはつまり、個人それぞれの価値観のようなもので、日常に起きる物事を、「全てが偶然」と見るか「全てが必然」と見るかと同じ様なもの、ではなくて。
確率論として、まず滅多に起こらないものを「奇跡」ととるか、本人がかけがえのないものだと思った物事を「奇跡」ととるかの違い。
と思ったけど違うな。どっちも同じだ。
例えば今僕が、この親の元に生まれてこの人生を歩み、ここに住まい今この文章を書いているのも「奇跡」といえる。
ここに至るまでは数え切れないくらい複数の分岐があって、そこに自分の意思や他人の意思、はたまた偶然などが合わさって今ここにいる。確率で言えば明らかに「奇跡」だし、これがかけがえのないものかと聞かれれば、かけがえのないものの様な気がする。
ああ、つまり。
奇跡然とした奇跡だけが奇跡ではなく、奇跡然としていない全てのものもまた奇跡と言える
ということ(何処かで見た台詞だな)。
水溜りに足を踏み込んで、泥がズボンの裾に跳ねることだってかけがえのない瞬間。
あと、「風の辿り着く場所」の風は、ゲーム内の彼・彼女等のことと同時に、プレイヤーのことも指し示していると思う。
「足下に風 光が舞った
日常にだけ積もったぶんの奇跡が」
自分の足元を見ろ、というか、今自分が立っている場所だってステキな場所だ、奇跡の積み重ねでやって来た場所だ、という内容。
「見上げれば雲 遠くへの帰路」
ONEの永遠の世界からの帰路を思い出させます。
「遠くへの帰路」はゲームからの帰路、というより貴方の辿り着きたい場所への道筋みたいなものじゃないだろうか。
「誰にだって、辿り着きたい場所があるはずですから(AIR)」
「幼い日の自分よりも早く」
幼い日の自分の早さを覚えているでしょうか?勿論体ではなく心。めちゃくちゃ早いです。
なんで早いんでしょうね。無知だから。
じゃあ今の僕らは何を知ったんでしょうね。恐怖。
…幼い頃の、明日は今日よりもっと良い日だ、もっと面白い、そう信じる心。あの頃以上に、明日を信じて良いでしょうか。信じられるものなんでしょうか。
「明日という日に、大切な夢を託す」
「踏み出す足先は、いつも明日へ」
「幸せを願うというのはそういうことだと思う」(AIR)
「雪解けを待っていた子供のように
走る 光る滴 飛び跳ねてる」
「雪解けを待つ」は、雪が溶けてはしゃげる、遊べる以上に、
この「kanon」の物語自体が「雪」であることを示します(たぶん後述)。
つまり、物語の終わりを待っていた、「子供のように」。kanonの終わりを待っていた。
下の段はONEの水溜りズボンの裾と同じく。
「明日の出会いさえ気づかずにいる
季節たちの中で輝いているよ」
勿論僕らのことです。明日の出会いも、明日の奇跡も気付かずにいる。
下の段は、「keyの物語自体がここで言う「季節」で、その中で僕らは明日の(現実での)出会いすら気付かずに輝いて(ゲームを楽しんで)いるよ」かと思うんだけど、ちょっと不明。
「世界中にはどんな思いも叶う日がくる
ずっと旅をしてゆく僕らに
小さな精たち舞い降りる」
説明の必要なし。
生き続け、旅を続ける僕らに、小さな奇跡が舞い降りますように。
【kanonの物語は「夢」】
ONEは、えいえんのせかいから観測する物語であり、
kanonは、夢を夢の中で観測する物語であり、
AIRは、送られてきた幸せな記憶を観測する物語であり、
CLANNADは、現実的な足掻き・もがき・頑張りを幻想世界から観測する物語である、と思ってる。
どの主人公も=プレイヤーにはならない。唯一イコールかもしれないのは「そら」くらい。結局の所、プレイヤーは物語の傍観者にしかなれないのである。(だからこそ、「あなたにはあなたの幸せを、その翼に宿して下さい」なんて言われちゃう)
で、kanonなのだが、先のONEの「えいえん」と同じ要領で、「kanon」という物語でプレイヤーが関われる部分は全て「夢」なのではないかと考えている。
「夢の中にいる」というのは、kanonにおいて幾度か出てくる台詞ですが、(以下工事中)
(もうアニメkanonから脱線しすぎた上に乱文過ぎるので一端終了します)
~雪が溶ける頃、冬の日の物語もまた、思い出に還る~
kanonの全てはこの一言に詰まってると言っても過言ではない。
つまり、このkanonの物語も終わりを告げれば思い出に還る。
勿論、プレイヤーの思い出に。
「さよならは翳りない夢のあとしずかに降り立つ」
夢―――この物語のあとに、この物語との「さよなら」が降り立つ。
それでも、
「さよなら許せないぼくたちの弱さがよかった」
と、許せない弱さを愛でています。ただし、認めないじゃなくて許せない。
その弱さは決して駄目なものではないけれど、さよならは確実に起きて、物語は思い出に還さなければならない。
「それに、過ぎるから思い出にできるんだぞ」
「いつまでも、同じ場所にいたら思い出にできない」
「ずっと、今の自分のままなんだ」
(AIRより)
長々と書いたけど、つまりまあ、keyのゲームには
「ゲームも楽しい、楽しいものだけど、嵌りすぎちゃ駄目。現実も楽しいんだから、ゲームが終わったら外に出たらどうかい?」
というメッセージが込められていると勝手に思ってる。
それでいて、強制したりエヴェみたいにひっくり返したりせず、それでもエンターテイメントしてるところが素晴らしい。
てゆうか、そうだと嬉しい。そういうところが好きだから。
で、ここでようやくアニメの話に戻って。
この京アニ版kanonが出来る限り感情移入させないような作りになってるのは、この様な、「kanon自体が主人公≠プレイヤー」という図式のゲームだからではないだろうか。
しかも、一見すると「主人公=プレイヤー」というゲームだからこそより。
感情移入する必要がない、というか、結局は感情移入していない様なゲームなので、敢えてアニメでも視聴者側が感情移入できずらいような作りにしているのではないでしょうか。
……アニメ版で、僕が思うようなメッセージを入れるのかどうかは判りませんが。
はぁ~~。
この一文を書くために気付いたら5時間ほど脱線してた。
そのうち纏めて書き直したいですね(その前に脳内の妄想と想像を纏めたいデスね)。
WEB拍手を送る
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テーマ : Kanon~カノン~ - ジャンル : アニメ・コミック
よかった。真琴シナリオで正体がキツネって言われて「は?」ってなったのって俺だけやなくてよかった・・・。
コナー | 2006年11月26日(日) 17:19 | URL | コメント編集
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さてさて今回から、ついに始まったマコピーの
2006/11/25(土) 19:51:29 | 神音の萌え源泉
いかん、今回早くもうるっときてしまった・・・朝、祐一は拾ってきた猫の名前を「ピロシキ」と名づける。相変わらず祐一のネーミングセンスは酷いもんがありますww
2006/11/25(土) 20:00:09 | どこまでも高みへ
? 今まで祐一に対して「憎んでいた!」という記憶しかなかった真琴。しかし前回の猫の一件ですっかり本気になって怒る祐一の姿と優しさに触れて見方が変わって来るようになり、態度も変わって来た。 猫を連れて帰って来た翌日名雪は、早朝から部活に出かけて行った。
2006/11/25(土) 20:26:29 | アニメのストーリーと感想
TVアニメ Kanon 第8話 追憶の幻想曲 ~fantasia~ 感想
「TVアニメ Kanon」くっくっく、一秒で了承。秋子さんに関しては流石としか言えない。しかし、その後の命名。祐一のセンスは本当に女の子受けしてましたか。それは乙女コスモより生まれ出でたらしいのですが。ww
2006/11/25(土) 21:12:31 | 空色なおれの日々
手始めに、猫の命名から始まりました。“ねこ塚ネコ夫”、“シャム塚シャム夫” このセンスは…明らかに狙っているとしか言いようが無いけど…今、ネタにされた漫画家を覚えている未成年は手を挙げて!この有名漫画ネタからはなれたら途端にやる気を無くしたようで…食べ物
2006/11/25(土) 22:05:20 | 「きつねのるーと」と「じーん・だいばー」のお部屋
えぐ、えぐ・゜゜・(つд`)・゜゜・「えーと、なんか管理人が超使えない状態になっているため、仕方ないので超所長のあたし、涼宮ハルヒがこの変態に変わってレビューするわ。しかし、タイトルはひぐらし、キャラはハルヒといい加減収集出来なくなって来ているKanonレビ
2006/11/25(土) 22:31:01 | マニア研究所
真琴の正体が遂に明かされるという、一区切りの中でも非常に重要な意味を持っていて、かつここからが本当に京都アニメーションの力が引き出される話であることは言うまでも無く、今までの伏線とも殆どがリンクし、同時に原作の雰囲気を極限までに踏襲しているというか、原作
2006/11/25(土) 22:46:56 | 猫耳と少女とメイド服。
みんな見たかっ!(なんだようっさいなもー)今週のエンディング・クレジットを!!そう、これだっ!! 相沢祐一 杉田 智和 水瀬名雪 国府田マリ子 あのタイヤキ強奪少女・あゆ無しの、二人ッきりクレジット!!遂に!!(わ、びっくりした)我らが名雪さんが、
2006/11/25(土) 22:52:43 | Old Dancer's BLOG
「Kanon」第8話です。秋子さんの必殺技「了承」でスタートであります^^vホントいいなぁ・・これ。これでもかってぐらいに当時は使いまくってましたよwちなみに、あの拾ってきた猫を飼っていいか否かですが秋子さんに聞けば自動的に了承ですwで、早速名付
2006/11/26(日) 00:09:13 | もえろぐ
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