2006'12.30 (Sat) 00:57
(ver2、追記と肉付けとさらなる超解釈(この場合の『超』は、超展開の『超』と一緒)@12月31日)




もうウルッって来たんですけど。
栞シナリオでもないのに。
「お姉ちゃんです!」って喜んで、妹なんていないと聞いて落ち込んで、同姓同名って言って、わたし姉大好きなんですって言って。
この一連で判る通り、栞はお姉ちゃん大好きなんですよ。
だからこそ、
(以下原作ネタバレ反転)
香里のあんな態度を受け入れる事が出来るんですね。
お姉ちゃんが大好きだから、お姉ちゃんを傷つけない為に、香里の態度を受け入れる。端的に言えば自己犠牲です。
栞は自己犠牲が強いんですよ。だから、この様な状態なのにわがままやお願いを殆ど言わない(だからこそ、ほんの少しだけのわがままやお願いがとっても貴重なモノになる)。とにかく、他人に迷惑や負担を掛けたくないのです。
原作で、幾度か自分で自分の事を『わがまま』と言っていますが、プレイヤーからすると、とても『わがまま』とは思えない。
つまり、栞にとってお願い事が『わがまま』になるハードルがとても低いのです。なぜか。それは栞は、自己犠牲が強いから。自分よりもお姉ちゃんや祐一などの他人の方が大事だから、自分のお願い事が『わがまま』になってしまう。
栞がこうなったのは。
彼女は死が近くなったからこそ、「大切な人の価値」の高さに気付いた、だから、その人の負担を少しでも軽くする為にわがままを言わない。それで彼女自身の自己犠牲が強くなった。
もしかするとそれに加えて、彼女が死に面しているからこそ、自己犠牲が強くなったという要素が入る可能性があります(自分自身のプライオリティーを落とせば、死に対する喪失感が軽くなるので)。
結局は自己犠牲というよりも、単純に死が近くなって自棄気味になってる可能性もありますし、彼女自身が自傷的行動(自分の欲求を抑えること)をすることによって、死の不安から遠ざかっていこうとする、なんて可能性もありますし、
もっと単純に、奇跡を否定しつつ奇跡のような物語(ドラマ)が大好きでそれを望んでいる栞は、欲しいものに対して「欲しいっ」って口に出来ない、口にすること=期待を顕現化することが出来ない子(まあこれが『死』に対する彼女の付き合い方か、単純に勇気の問題かは分かりませんが)=だから『わがまま』を言って期待することも出来ない、っていう可能性もあります。が、個人的には、栞は『自己犠牲が強い子』だと思いたい。だって、自己犠牲が強い女の子なんて、ドラマみたいで格好良いじゃないですか(笑)。
この、栞の『自己犠牲』の強さが見て取れるシーンだからこそ、ウルッってなったのです。

そう言えば、栞と会う直前、授業で「as soon as = なになにするやいなや」を学んでいましたが……。

「今はゴタゴタ(舞シナリオで)して忙しいけど、
これが終わったらどっか遊びにいかないか?」

「はいっ!」
舞シナリオ終わったら、栞シナリオに行く約束を取り付けました。
さすが祐一!超「as soon as」!!
(舞シナリオが終わるやいなや)
授業で教わった内容をしっかりと生かしています。超優等生です!!

今回の話、この「あぶなげな三重奏(トリオ)」ってサブタイに注目して見ていると、非常に良く分かる作り方をしていました。
立場や考えが違うトリオ(三人)を並び立たせることによって、それぞれのキャラクターの性格やスタンスがよく表れてました。その辺を注目して見ていきましょう。
【あぶなげなトリオその1】

名雪・北川・祐一
この三人はかなり『あぶなげ』です。
イイ奴だけど微妙に軽い、そして今は絶対に話に深く絡んでこない(むしろ絡まれても困る)北川と、
「自分のシナリオ以外には興味ありません。この中に、ハッピーエンドで終わる名雪シナリオ・東映版とは違う名雪シナリオ・ねこがいたら私の所にきなさい。以上、だよ!」って勢いで他人のシナリオには関わらない名雪さん。そして祐一。この三人だけでは舞シナリオがまったく進まない『あぶなげ』があります。
特に名雪さんなんかは、舞シナリオにまったく関わらせる気がないのが見え見えです。てゆうか名雪は超レギュラーなんで、「水瀬家」以外で他人のシナリオに関わらせるのは激ムズなんですよね。

授業中も寝ている名雪と北川。この調子だと、テストも『あぶなげ』です。
【あぶなげなトリオその2】

佐祐里・久瀬・祐一
『あぶなげ』というか、もう勝負にすらなってません。
現実主義的合理主義的生徒会至上主義な久瀬と、非現実主義的非合理主義的舞至上主義な佐祐里さんと、ジゴロ主義的ギャルゲー主人公主義的全ての女はオレの物主義な祐一では、久瀬がダブルスコアで圧勝です。
久瀬にあって佐祐里さんや祐一に足りないモノは何なのか、ポンポン出てきますね。合理・現実・規則・頭脳…etc……逆に久瀬に足りないモノも、沢山あります。
どう口論しようが久瀬が勝ちそうなので、このトリオだとストーリーが終わってしまう。最悪クラスの『あぶなげ』です。
【あぶなげなトリオその3】

佐祐里・北川・祐一
北川イイ奴!!
全世界数十万人の鍵っ子に、「これはもはや北川ではない、でもイイ奴だからいっか」と思わせた北川イイ奴伝説。てゆうかどちらかというと春原。春原+北川÷2。む、kanonのアニメ感想を書いてるブログの90%くらいが、「北川イイ奴」って書いてるような予感がする。
一見、ナイストリオなのですが……。

さゆりんと北川に「万が一」フラグでも立っちゃったら全てが台無しです。だから『あぶなげ』。
(なんか香里シナリオに北川が本気で絡んでくる気がする。そのくらい北川のキャラ立ってきたなぁ)
【あぶなげなトリオその4】

栞・香里・祐一
説明不要な『あぶなげ』度数の高さ。
てゆうか、このシーンの演出・コンテ、音楽含めて神憑っていた。


無表情で、栞の笑顔を見る香里。
ヤバイよこのシーンの演出。超レベル高い。
無表情なんだけど、無感情や無興味ではないってことが凄く良く出てます。喋りすぎはネタバレに関わるぞ、って事でこれ以上は自粛。
その香里のうしろを、舞&さゆりんが通っていきます。
【あぶなげなトリオその5】

舞・佐祐里・香里
これは『あぶなげ』です。これは本当に危なかった。香里がいなければ、舞が得意の第六感パワーで外に祐一がいるのに気付いて外を見ちゃって、
「あ、祐一さん浮気してる…なんで、どうして……」
「佐祐里を傷つけるヤツは、許さない」
となって祐一が剣でグシャッ!と死んでバッドエンドになるところでしたから。
実際、舞が何かに気付いた感じがありましたからね(単に香里を見ただけかもしんないけど)。ホント、香里がいなきゃ危なかった。
……まあマトモに考えると、楽しげな仲が良い二人と孤独な一人の対比に見せつつ、実は三人ともある所が『あぶなげ』という共通点があるのですが。
(以下原作ネタバレ反転)
『喪失』と、それに対する対処がもの凄く『あぶなげ』。
舞は祐一がいなくなって、魔物を生み出して。
佐祐里さんは弟が死んで、自分が自分と思えなくなって。
香里は妹を存在ごと本気で無かった事にしようとして。
香里だけが「これから起きる出来事」であり、彼女だけがまだ方向修正する可能性があるからこそ、香里が「外」に一番近い窓辺にいる……てのはさすがにやりすぎか(笑)。
ある意味、もっとも『あぶなげ』なトリオ。
【あぶなげなトリオその6】


舞・佐祐里・久瀬
口で勝てなければ武力で勝てばいい!文官は引っ込んでおれ!と言わんばかりの圧倒的な舞。
対久瀬戦は、
祐一=口で勝てない、
さゆりん=感情対理論みたいな感じで、勝負にならない、
北川=上手く誤魔化す・はぐらかす、
舞=武力で圧倒(感情も込み)
みたいに、各人の性格が出てて結構面白い。
とまあ、このメンツなら久瀬に圧勝できるのですが、

舞が久瀬を「殺」っちゃいそうで、現実的な意味で『あぶなげ』。
【あぶなげなトリオその7】

あゆ・舞・祐一
ぐはっ! [こ れ は あ ぶ な げ]!!
その1:会話がまったく弾まない
その2:なんかポロッと重要なネタバレ口走っちゃいそう(てゆうか超重要な伏線、このシーンの後で貼ってた)
その3:あゆと舞がなんか性格合わないのか、とにかく気まずい感じなのが良く分かる。見てる俺まで気まずくなる。
これは本当『あぶなげ』。あぶなげっていうか、普通に気まずい。
なんか仲の良い友達と、その友達の友達で知り合いぐらいの奴なんだけど性格も趣味も合わなくて特に話すことも無いけど別に嫌いじゃない奴と三人でどっか遊びに行って、途中で仲の良い友達が用事が出来て帰っちゃって、その友達の友達と二人で帰ることになったんだけど電車で一時間くらいかかる距離で、(あ~どうしよう。コイツと共通の話題ないし性格も微妙に合わないし、別に嫌いじゃないんだけど話すこと無いんだよな~。でも一時間も同じ車内にいるのに、一言も会話しないのも不自然だしどうするか)という状況くらい気まずい感じ。
てゆうか僕の説明文が『あぶなげ』すぎる訳分からんモノになってしまった。むしろなんか気まずい。あとなんか俺が、堀江由衣の声にハマってきちゃって、そっち方面にハマリそうであぶなげ。
【あぶなげなトリオその8】

あゆ・名雪・祐一
あゆ「ねえ祐一クン。あの変な物体は何かなぁ?」
祐一「あれは名雪だ。朝はいつもあんな感じだ」
あゆ「嘘っ?!名雪さんって朝はこんな風になっちゃうの?ボク、名雪さんのこと見損なったよ…」
名雪「うにゅ~~。いちごジャム……」
恐らくこんな感じの会話が行われたことでしょう。うわっ、すげーあぶなげ……でもないか。
ただ、このトリオが、この先どうなるかが分かりません。てゆうかめちゃくちゃ『あぶなげ』なトリオです。超あぶなげ。まぜるな危険。この三人を混ぜちゃったから、東映はあんなことに……。今作がどうなるかは、京アニのみぞ知る、て感じです。
【あぶなげなトリオその9】


舞・佐祐里・野犬
これで舞と佐祐里さんは出会ったのです。舞の優しさに佐祐里さんがキュピーンッ!ってなって、二人は友達になったのです。そして思い出の牛丼を食べるのです。
……これのなにが『あぶなげ』かって、原作知ってる僕たちの涙腺が『あぶなげ』。
【あぶなげなトリオその10】

佐祐里さん・店のオヤジ・祐一
店のオヤジの言葉に簡単にキュピーンッ!となってしまう佐祐里さん。
これは危険。祐一がいるから、まだ「あぶなげ」程度で済んでますが、もし佐祐里さんと店のオヤジの二人きりだったらどんだけモノを買わされていたことか。祐一がいたのに、却って状況が好転したという稀有な例。
【あぶなげなトリオその11】


舞・犬さん(バケツ)・イノシシさん(消火器)
祐一にとっては非常に『あぶなげ』なトリオである。こんなことを毎日やられれば、祐一きっとすぐ死ぬ。イッツ・ア・バッドエンド。
なんかそろそろ、『あぶなげなトリオ』シリーズのネタが無いってことに閲覧者様が気付きそうで、僕的にもあぶなげ。
しかしこのシーンの舞は非常に格好良い。

「問おう、あなたが私のマスターか」
とか言えそうなカット。
【あぶなげなトリオその12】


舞・佐祐里・祐一
(いきなり話がずれるが、いつもいつもこの昼食時の上履きの置き方は素晴らしいと思う)
原作を知ってる人には「全てがあぶなげ」、知らない人にも「なんかあぶなげそう」と思わせるこの三人。
夜の校舎のことを佐祐里に話さない舞、話せない祐一、感付いているのかいないのか、どちらにしろ気にしない(舞を信じてる)佐祐里。
退学するかも知れないことをめちゃくちゃ心配する祐一、退学するかも知れないことをそれなりに心配する佐祐里、退学するかも知れないことを気にもとめない舞。

この、退学じゃなくなって良かったな、舞!って場面で舞が「キョトン」としてる場面など、この三者のズレを良く表してます。
とにかくズレてる祐一×舞・佐祐里。
というか、ズレの原因は祐一ですね。舞と佐祐里さんだけなら上手く回るけど、祐一がいるとズレてくる。
祐一は、これでもかってくらい、舞の望みを勝手に思い込んでいます。退学や、夜の校舎や、魔物との戦闘や、生徒の舞人気など、舞が欲してる・望んでるかどうかも分からないものを、まるで舞がそれを望んでいるかの様に思って行動します。つまり、自分が舞に「こうしてやりたい」という、自分の望みを「舞が望んでいる事」に置き換えて行動してるのです(原作の方がこの感じは大きいですね)。
祐一は「舞のため」と思って行動するけれど、それを舞が望んでいるかは分からないのです。でも、祐一はまるでそれを舞が望んでいるかのように行動する。(そう考えると、何も文句を言わない舞を色々イジッて遊ぶ祐一という今までのギャグシーンに、祐一がこういう思考状態に陥る伏線が貼られてるとも言える)
舞が望んでいることが分からない祐一。いや、分からないというより、理解しようとしてすらいないとも言える。だから、舞の感情を理解していないからこそ、祐一はあんなに「舞のため」とか言い出すし、舞と喧嘩にすらならないし、舞に対して怒り出したり大好きだとか言ったりするのです。そして、それを見た僕ら視聴者は、祐一に対して怒ったり憤ったりするのです。
【あぶなげなトリオその13】

祐一・視聴者・物語
あたかも身勝手に舞に怒り出したり、
ジゴロ顔負けに色々な女性にアタックしたり。
まったくもって祐一の考え・感情がわかりません。って皆さん思ってませんか?僕も思ってます。全然祐一の考え・感情、分かりません。てゆうか、祐一の感情を説明できる人いたら教えて下さい。
舞に対する祐一のように、視聴者が祐一のこと理解しようとしてないからこういう風になる、とかそういうレベルじゃなくて、祐一の行動がありえないほど異様だからこそ、ここまでの視聴者と祐一との激しい乖離が起きるわけです。
この視聴者と祐一の感情の差。通常のアニメ主人公と視聴者の関係ではありえないほどの乖離は、視聴者にとって、物語の理解・のめり込みに対して大いに『あぶなげ』です。
……なのですが、京アニの能力を考えてみると、これはミスリードなのではないかと。
通常、キチンとした主人公が一人存在している物語は、その主人公に感情移入したり主人公の足跡を見たり、つまり主人公の視点で、視聴者は物語を見るわけです。
そこで重要となってくるのが主人公と視聴者との『一体感』。
主人公に起こる出来事や、それによって主人公から生じる感情に『共感』することによって、視聴者もソレに近い感情を追体験できるわけです。
その一体感(視聴者と祐一の)が限りなく薄い京アニkanonから視聴者が泣きや怒りなどの感情を得るのは、祐一に泣くようなことが起きたからでも祐一が怒るだけの出来事があったからでもなく、ただただストーリーに依って泣いたり怒ったり、それに合わさる高レベルの演出で泣いたり怒ったり、原作を思い出して泣いたり怒ったりと、そういった祐一に対して起こる出来事ではなく、物語内で起こる出来事ばかりで、祐一自体から視聴者は感情を得ないのです。
だからこそ、通常の『主人公≒視聴者』の式が成り立たないからこそ、通常の『主人公≒視聴者』で考えるのが「ミスリード」かと思うのです。
原作のkanon自体が、(ネタバレ伏字)「奇跡だらけだ、奇跡のバーゲンセールだ」と揶揄されるからこそ、だからこそkanonは「奇跡を見せる物語なんだ」と思うのと同じです。
つまり、この様に受け取る事を製作側が想定してる、という前提で考えれば、正にそここそがミスリードとなる点、だからこそ「そこにこの物語の中核が隠されている」と思うのです。「腑に落ちん所こそが、人のツボだby蒼天航路」なのです。敢えてこうしている以上、そこには何らかの重大な理由が隠されているのです。勿論、製作側がそんな想定してなければご破算ですが(笑)。
で、そう考えると、『主人公≒視聴者』でないとするとどういうことか。
まず『主人公≒視聴者』でないということ。
これは、ここまで祐一の感情が視聴者と乖離している現状では、ほぼ確実といって差し支えないと思われます。
『主人公≒視聴者』はこの「京アニkanon」において成り立たない。
ではこのアニメの祐一は何者なのか。
祐一は、「京アニkanon」という物語の「登場人物の一人」なだけなのではないでしょうか。
主人公から物語の一人の登場人物に。
ただ、敢えてまだ「祐一が主人公である」という形式を崩していないのが気になります。先々になにか仕掛けがあるのか、目論見通りミスリード・デコイの為のモノなのか。
なぜわざわざそんなことをするのかというと、そうすることによって視聴者側に物語をダイレクトに伝える為、それと何かを「想起」させるためなのではないかと思われる。例えば、今までの所で山場があった真琴シナリオ(9話や10話)は、祐一×真琴を軸に、祐一目線(というよりも、祐一が知りえる情報)からのアプローチに見せ掛け、実際は視聴者は決して祐一目線ではなく、あくまで視聴者自身の目線で物語を見ていたのではないか、と思わます。事実、これらの話で祐一目線、すなわち祐一の心情や感情がイマイチ把握できるような整合性を持っていないモノで作られていたからです。
実際、私たち視聴者が祐一の行動や考え・感情に対して、整合性や合理性・方向性を見出せないのはその所為だと考えられる。
これは逆に言うと、「祐一というフィルター」を通さないで物語を表現している、といえます。
つまり通常のアニメの図式、「主人公が物語世界に対峙して、視聴者は一端主人公を通して物語を受け取る」という式から主人公を取り除いて、「視聴者がダイレクトに物語を受け取る」という図式になっているのではないでしょうか。
【あぶなげなペア・視聴者と京アニkanon】
通常の『主人公≒視聴者』という図式を放棄するということはどういうことか。
これはつまり、視聴者を放棄するという事に少しだけ繋がります。だからこそ『あぶなげ』。
視聴者と物語を繋ぐ存在である主人公を、物語の中に完全に押し込むことによって、視聴者を物語から「遠ざける」のです。
これにより、物語は完全に自由になります。いや、正確には物語が持つエッセンスやテーマが完全に自由になります。
つまり、視聴者に見せたい・伝えたいがために、物語が持つエッセンスやテーマを、主人公が受ける出来事や感情を通すのではなく、物語単体で、エッセンスやテーマを伝える事ができるのです。
これでなにが良くなるかというと、物語が素晴らしく良くなります。
物語自体が視聴者のことを考えなくていいから自由になれる、ということです。視聴者の為に、主人公フィルターを通さなくても済むようになる(その分伝わりにくくなりますが)。これは別に視聴者を蔑ろにしているという意味ではありません。ただ、表現の方法が普通と違うだけで。ある意味実験作とも言えなくないですが。
「主人公フィルターを通さない」ということは。
例えば通常の作品は、物語のテーマやエッセンスをその物語内の出来事などに詰め込んで、それを主人公に与え、そしてそれを得た・知った・感じた主人公の感情や考えフィルターに一端通してその後視聴者に伝わってくる訳です。
つまり、作品のテーマやエッセンスの中に、主人公の考えや感情が介在しているのです。
ただこれは至ってまともというか、その主人公の考えや感情自体がテーマ・エッセンスの一部である作品だからこそ、こういった表現を行うわけです。
つまりそういうことです。
この「kanon」のテーマやエッセンスには、主人公の考えや感情は全く持っていらないからこそ、視聴者≒主人公の図式を破棄しているのです。
(それでもこの図式を完全に壊さないのは、恐らく『「視聴者≒主人公」と思って見る』のが今作の正しい見方だからと思われる。
そのように思いつつ、それでも強い乖離を感じつつ見ると、「京アニkanon」のテーマがわかるような作りになっているのか、それともコレ自体がギミックなのかは現時点では不明)
原作を鑑みると、主人公(祐一)の考えや感情が(テーマ・エッセンス的に)ほとんどの場合において不要に近いのがよくわかりますね。
さらに、各ヒロイン単体のルートですらあまり必要でない祐一の感情を、このような「全員のルートをなぞる」作りにおいて表に出す事は最早ありえないことが分かります。寧ろ祐一の感情なんか逐一出してたら、「kanon」では無い別の作品になってしまいそうです。
だからこそ、祐一と視聴者を乖離させているのです。
つまり、視聴者側が「祐一ジゴロすぎ」「コイツ何考えてんだかわかんね」とか思うのは大正解、というよりもそう思わせる様に作っている、ということです。
そしてその目的は(この要素が物語内のギミックでなければ)恐らく、「視聴者にダイレクトに『kanon』のエッセンスを見せるため」。
コレ、原作の物語に対する敬意がめちゃくちゃ高いですね。
要するに、物語に「手を加えずに」、物語そのものを撮る、という形なのですから、原作に対する敬意が高いのは決まってる。それ以上に、なによりもこうすることによって、物語の「価値」が飛躍的に高まります。
外野(視聴者)に一線を引いて、物語に手を加えないからこそ、物語自体の価値が素晴らしく高いものになるのです。
(以前に書いていた内容と結構被るけど……僕の戯言も2クールに入って、上部構造にシフトしたということにしてくだちい)(てゆうかこれ、上部なのか?……俺の辿り着く場所、大丈夫か?)
え~~~纏めると。
戯言、ここに極まれり!!って感じです。
つーかなんだろう。僕の戯言シリーズに付き合ってくれた方には謝辞を述べたい。ありがとう。もちろん、これからも戯言はガンガン続いていきます。……いや、「もうちょっとだけ続くんじゃよbyDB」にしておこう。
【あぶなげなトリオその14】


舞・祐一・魔物
これに関しては、多分再来週あたりには色々と答えが出そうなんで特には書きません。
この三者がどう『あぶなげ』なのか、原作知ってる人にはたまったもんじゃないです。ああ、やっぱ舞シナリオはいいなぁ。

「魔物は祐一を狙っていた」
この絵の「影」の部分を魔物と考えて見てみると、もの凄く良い絵です。
魔物に狙われる祐一、舞よりも影に近い部分にいる祐一。
舞から伸びている影が、祐一に掛かっています。
やはりこのシーンの舞も格好良い。
剣を持った時の舞の格好良さは凄いです。

「問おう、あなたが私のマスターか」
なんだか今までで一番長くなった(書いてる時間が)。
一番あぶなげなトリオは、こんな文章を何時間も書き続けちまう奴とkanonとブログの組み合わせなんじゃないかしら。いや、こんなわけわからんこと書く奴とkanonとこのブログの閲覧者様なんじゃないかしら(笑)。やべえなコレ、見捨てないでくれ~~。
ということで(どういうことだよ)、来週も期待です!!
WEB拍手を送る
おまけ:
【たのしげなペア】

名雪とピロ
名雪が食べていないご飯を代わりに食べてくれるピロ、していないおトイレも代わりにしといてくれるピロ。
猫好きで猫アレルギーの名雪の代わりに猫のピロがやってくれて、しかもピロは真琴の仲良しで名雪は真琴に対してちょっと後悔あってそれがアレでこれがソレで………え~とまあつまり、名雪もピロも可愛いね!ってことです。
【鍵すぎるカルテット】

ポテト(黒)&なまけもの(AIR)

ヒトデ(CLANNAD)

七瀬(ONE)
いやっほうーーーー!!!鍵と京アニ(とtactics)夢の四重奏そろい踏み!!遂に七瀬も登場したぜーー!!
(ああ、こじつけなのは百も承知です、石を投げないで!!)
WEB拍手を送る




もうウルッって来たんですけど。
栞シナリオでもないのに。
「お姉ちゃんです!」って喜んで、妹なんていないと聞いて落ち込んで、同姓同名って言って、わたし姉大好きなんですって言って。
この一連で判る通り、栞はお姉ちゃん大好きなんですよ。
だからこそ、
(以下原作ネタバレ反転)
香里のあんな態度を受け入れる事が出来るんですね。
お姉ちゃんが大好きだから、お姉ちゃんを傷つけない為に、香里の態度を受け入れる。端的に言えば自己犠牲です。
栞は自己犠牲が強いんですよ。だから、この様な状態なのにわがままやお願いを殆ど言わない(だからこそ、ほんの少しだけのわがままやお願いがとっても貴重なモノになる)。とにかく、他人に迷惑や負担を掛けたくないのです。
原作で、幾度か自分で自分の事を『わがまま』と言っていますが、プレイヤーからすると、とても『わがまま』とは思えない。
つまり、栞にとってお願い事が『わがまま』になるハードルがとても低いのです。なぜか。それは栞は、自己犠牲が強いから。自分よりもお姉ちゃんや祐一などの他人の方が大事だから、自分のお願い事が『わがまま』になってしまう。
栞がこうなったのは。
彼女は死が近くなったからこそ、「大切な人の価値」の高さに気付いた、だから、その人の負担を少しでも軽くする為にわがままを言わない。それで彼女自身の自己犠牲が強くなった。
もしかするとそれに加えて、彼女が死に面しているからこそ、自己犠牲が強くなったという要素が入る可能性があります(自分自身のプライオリティーを落とせば、死に対する喪失感が軽くなるので)。
結局は自己犠牲というよりも、単純に死が近くなって自棄気味になってる可能性もありますし、彼女自身が自傷的行動(自分の欲求を抑えること)をすることによって、死の不安から遠ざかっていこうとする、なんて可能性もありますし、
もっと単純に、奇跡を否定しつつ奇跡のような物語(ドラマ)が大好きでそれを望んでいる栞は、欲しいものに対して「欲しいっ」って口に出来ない、口にすること=期待を顕現化することが出来ない子(まあこれが『死』に対する彼女の付き合い方か、単純に勇気の問題かは分かりませんが)=だから『わがまま』を言って期待することも出来ない、っていう可能性もあります。が、個人的には、栞は『自己犠牲が強い子』だと思いたい。だって、自己犠牲が強い女の子なんて、ドラマみたいで格好良いじゃないですか(笑)。
この、栞の『自己犠牲』の強さが見て取れるシーンだからこそ、ウルッってなったのです。

そう言えば、栞と会う直前、授業で「as soon as = なになにするやいなや」を学んでいましたが……。

「今はゴタゴタ(舞シナリオで)して忙しいけど、
これが終わったらどっか遊びにいかないか?」

「はいっ!」
舞シナリオ終わったら、栞シナリオに行く約束を取り付けました。
さすが祐一!超「as soon as」!!
(舞シナリオが終わるやいなや)
授業で教わった内容をしっかりと生かしています。超優等生です!!

今回の話、この「あぶなげな三重奏(トリオ)」ってサブタイに注目して見ていると、非常に良く分かる作り方をしていました。
立場や考えが違うトリオ(三人)を並び立たせることによって、それぞれのキャラクターの性格やスタンスがよく表れてました。その辺を注目して見ていきましょう。
【More】
【あぶなげなトリオその1】

名雪・北川・祐一
この三人はかなり『あぶなげ』です。
イイ奴だけど微妙に軽い、そして今は絶対に話に深く絡んでこない(むしろ絡まれても困る)北川と、
「自分のシナリオ以外には興味ありません。この中に、ハッピーエンドで終わる名雪シナリオ・東映版とは違う名雪シナリオ・ねこがいたら私の所にきなさい。以上、だよ!」って勢いで他人のシナリオには関わらない名雪さん。そして祐一。この三人だけでは舞シナリオがまったく進まない『あぶなげ』があります。
特に名雪さんなんかは、舞シナリオにまったく関わらせる気がないのが見え見えです。てゆうか名雪は超レギュラーなんで、「水瀬家」以外で他人のシナリオに関わらせるのは激ムズなんですよね。

授業中も寝ている名雪と北川。この調子だと、テストも『あぶなげ』です。
【あぶなげなトリオその2】

佐祐里・久瀬・祐一
『あぶなげ』というか、もう勝負にすらなってません。
現実主義的合理主義的生徒会至上主義な久瀬と、非現実主義的非合理主義的舞至上主義な佐祐里さんと、ジゴロ主義的ギャルゲー主人公主義的全ての女はオレの物主義な祐一では、久瀬がダブルスコアで圧勝です。
久瀬にあって佐祐里さんや祐一に足りないモノは何なのか、ポンポン出てきますね。合理・現実・規則・頭脳…etc……逆に久瀬に足りないモノも、沢山あります。
どう口論しようが久瀬が勝ちそうなので、このトリオだとストーリーが終わってしまう。最悪クラスの『あぶなげ』です。
【あぶなげなトリオその3】

佐祐里・北川・祐一
北川イイ奴!!
全世界数十万人の鍵っ子に、「これはもはや北川ではない、でもイイ奴だからいっか」と思わせた北川イイ奴伝説。てゆうかどちらかというと春原。春原+北川÷2。む、kanonのアニメ感想を書いてるブログの90%くらいが、「北川イイ奴」って書いてるような予感がする。
一見、ナイストリオなのですが……。

さゆりんと北川に「万が一」フラグでも立っちゃったら全てが台無しです。だから『あぶなげ』。
(なんか香里シナリオに北川が本気で絡んでくる気がする。そのくらい北川のキャラ立ってきたなぁ)
【あぶなげなトリオその4】

栞・香里・祐一
説明不要な『あぶなげ』度数の高さ。
てゆうか、このシーンの演出・コンテ、音楽含めて神憑っていた。


無表情で、栞の笑顔を見る香里。
ヤバイよこのシーンの演出。超レベル高い。
無表情なんだけど、無感情や無興味ではないってことが凄く良く出てます。喋りすぎはネタバレに関わるぞ、って事でこれ以上は自粛。
その香里のうしろを、舞&さゆりんが通っていきます。
【あぶなげなトリオその5】

舞・佐祐里・香里
これは『あぶなげ』です。これは本当に危なかった。香里がいなければ、舞が得意の第六感パワーで外に祐一がいるのに気付いて外を見ちゃって、
「あ、祐一さん浮気してる…なんで、どうして……」
「佐祐里を傷つけるヤツは、許さない」
となって祐一が剣でグシャッ!と死んでバッドエンドになるところでしたから。
実際、舞が何かに気付いた感じがありましたからね(単に香里を見ただけかもしんないけど)。ホント、香里がいなきゃ危なかった。
……まあマトモに考えると、楽しげな仲が良い二人と孤独な一人の対比に見せつつ、実は三人ともある所が『あぶなげ』という共通点があるのですが。
(以下原作ネタバレ反転)
『喪失』と、それに対する対処がもの凄く『あぶなげ』。
舞は祐一がいなくなって、魔物を生み出して。
佐祐里さんは弟が死んで、自分が自分と思えなくなって。
香里は妹を存在ごと本気で無かった事にしようとして。
香里だけが「これから起きる出来事」であり、彼女だけがまだ方向修正する可能性があるからこそ、香里が「外」に一番近い窓辺にいる……てのはさすがにやりすぎか(笑)。
ある意味、もっとも『あぶなげ』なトリオ。
【あぶなげなトリオその6】


舞・佐祐里・久瀬
口で勝てなければ武力で勝てばいい!文官は引っ込んでおれ!と言わんばかりの圧倒的な舞。
対久瀬戦は、
祐一=口で勝てない、
さゆりん=感情対理論みたいな感じで、勝負にならない、
北川=上手く誤魔化す・はぐらかす、
舞=武力で圧倒(感情も込み)
みたいに、各人の性格が出てて結構面白い。
とまあ、このメンツなら久瀬に圧勝できるのですが、

舞が久瀬を「殺」っちゃいそうで、現実的な意味で『あぶなげ』。
【あぶなげなトリオその7】

あゆ・舞・祐一
ぐはっ! [こ れ は あ ぶ な げ]!!
その1:会話がまったく弾まない
その2:なんかポロッと重要なネタバレ口走っちゃいそう(てゆうか超重要な伏線、このシーンの後で貼ってた)
その3:あゆと舞がなんか性格合わないのか、とにかく気まずい感じなのが良く分かる。見てる俺まで気まずくなる。
これは本当『あぶなげ』。あぶなげっていうか、普通に気まずい。
なんか仲の良い友達と、その友達の友達で知り合いぐらいの奴なんだけど性格も趣味も合わなくて特に話すことも無いけど別に嫌いじゃない奴と三人でどっか遊びに行って、途中で仲の良い友達が用事が出来て帰っちゃって、その友達の友達と二人で帰ることになったんだけど電車で一時間くらいかかる距離で、(あ~どうしよう。コイツと共通の話題ないし性格も微妙に合わないし、別に嫌いじゃないんだけど話すこと無いんだよな~。でも一時間も同じ車内にいるのに、一言も会話しないのも不自然だしどうするか)という状況くらい気まずい感じ。
てゆうか僕の説明文が『あぶなげ』すぎる訳分からんモノになってしまった。むしろなんか気まずい。あとなんか俺が、堀江由衣の声にハマってきちゃって、そっち方面にハマリそうであぶなげ。
【あぶなげなトリオその8】

あゆ・名雪・祐一
あゆ「ねえ祐一クン。あの変な物体は何かなぁ?」
祐一「あれは名雪だ。朝はいつもあんな感じだ」
あゆ「嘘っ?!名雪さんって朝はこんな風になっちゃうの?ボク、名雪さんのこと見損なったよ…」
名雪「うにゅ~~。いちごジャム……」
恐らくこんな感じの会話が行われたことでしょう。うわっ、すげーあぶなげ……でもないか。
ただ、このトリオが、この先どうなるかが分かりません。てゆうかめちゃくちゃ『あぶなげ』なトリオです。超あぶなげ。まぜるな危険。この三人を混ぜちゃったから、東映はあんなことに……。今作がどうなるかは、京アニのみぞ知る、て感じです。
【あぶなげなトリオその9】


舞・佐祐里・野犬
これで舞と佐祐里さんは出会ったのです。舞の優しさに佐祐里さんがキュピーンッ!ってなって、二人は友達になったのです。そして思い出の牛丼を食べるのです。
……これのなにが『あぶなげ』かって、原作知ってる僕たちの涙腺が『あぶなげ』。
【あぶなげなトリオその10】

佐祐里さん・店のオヤジ・祐一
店のオヤジの言葉に簡単にキュピーンッ!となってしまう佐祐里さん。
これは危険。祐一がいるから、まだ「あぶなげ」程度で済んでますが、もし佐祐里さんと店のオヤジの二人きりだったらどんだけモノを買わされていたことか。祐一がいたのに、却って状況が好転したという稀有な例。
【あぶなげなトリオその11】


舞・犬さん(バケツ)・イノシシさん(消火器)
祐一にとっては非常に『あぶなげ』なトリオである。こんなことを毎日やられれば、祐一きっとすぐ死ぬ。イッツ・ア・バッドエンド。
なんかそろそろ、『あぶなげなトリオ』シリーズのネタが無いってことに閲覧者様が気付きそうで、僕的にもあぶなげ。
しかしこのシーンの舞は非常に格好良い。

「問おう、あなたが私のマスターか」
とか言えそうなカット。
【あぶなげなトリオその12】


舞・佐祐里・祐一
(いきなり話がずれるが、いつもいつもこの昼食時の上履きの置き方は素晴らしいと思う)
原作を知ってる人には「全てがあぶなげ」、知らない人にも「なんかあぶなげそう」と思わせるこの三人。
夜の校舎のことを佐祐里に話さない舞、話せない祐一、感付いているのかいないのか、どちらにしろ気にしない(舞を信じてる)佐祐里。
退学するかも知れないことをめちゃくちゃ心配する祐一、退学するかも知れないことをそれなりに心配する佐祐里、退学するかも知れないことを気にもとめない舞。

この、退学じゃなくなって良かったな、舞!って場面で舞が「キョトン」としてる場面など、この三者のズレを良く表してます。
とにかくズレてる祐一×舞・佐祐里。
というか、ズレの原因は祐一ですね。舞と佐祐里さんだけなら上手く回るけど、祐一がいるとズレてくる。
祐一は、これでもかってくらい、舞の望みを勝手に思い込んでいます。退学や、夜の校舎や、魔物との戦闘や、生徒の舞人気など、舞が欲してる・望んでるかどうかも分からないものを、まるで舞がそれを望んでいるかの様に思って行動します。つまり、自分が舞に「こうしてやりたい」という、自分の望みを「舞が望んでいる事」に置き換えて行動してるのです(原作の方がこの感じは大きいですね)。
祐一は「舞のため」と思って行動するけれど、それを舞が望んでいるかは分からないのです。でも、祐一はまるでそれを舞が望んでいるかのように行動する。(そう考えると、何も文句を言わない舞を色々イジッて遊ぶ祐一という今までのギャグシーンに、祐一がこういう思考状態に陥る伏線が貼られてるとも言える)
舞が望んでいることが分からない祐一。いや、分からないというより、理解しようとしてすらいないとも言える。だから、舞の感情を理解していないからこそ、祐一はあんなに「舞のため」とか言い出すし、舞と喧嘩にすらならないし、舞に対して怒り出したり大好きだとか言ったりするのです。そして、それを見た僕ら視聴者は、祐一に対して怒ったり憤ったりするのです。
【あぶなげなトリオその13】

祐一・視聴者・物語
あたかも身勝手に舞に怒り出したり、
ジゴロ顔負けに色々な女性にアタックしたり。
まったくもって祐一の考え・感情がわかりません。って皆さん思ってませんか?僕も思ってます。全然祐一の考え・感情、分かりません。てゆうか、祐一の感情を説明できる人いたら教えて下さい。
舞に対する祐一のように、視聴者が祐一のこと理解しようとしてないからこういう風になる、とかそういうレベルじゃなくて、祐一の行動がありえないほど異様だからこそ、ここまでの視聴者と祐一との激しい乖離が起きるわけです。
この視聴者と祐一の感情の差。通常のアニメ主人公と視聴者の関係ではありえないほどの乖離は、視聴者にとって、物語の理解・のめり込みに対して大いに『あぶなげ』です。
……なのですが、京アニの能力を考えてみると、これはミスリードなのではないかと。
通常、キチンとした主人公が一人存在している物語は、その主人公に感情移入したり主人公の足跡を見たり、つまり主人公の視点で、視聴者は物語を見るわけです。
そこで重要となってくるのが主人公と視聴者との『一体感』。
主人公に起こる出来事や、それによって主人公から生じる感情に『共感』することによって、視聴者もソレに近い感情を追体験できるわけです。
その一体感(視聴者と祐一の)が限りなく薄い京アニkanonから視聴者が泣きや怒りなどの感情を得るのは、祐一に泣くようなことが起きたからでも祐一が怒るだけの出来事があったからでもなく、ただただストーリーに依って泣いたり怒ったり、それに合わさる高レベルの演出で泣いたり怒ったり、原作を思い出して泣いたり怒ったりと、そういった祐一に対して起こる出来事ではなく、物語内で起こる出来事ばかりで、祐一自体から視聴者は感情を得ないのです。
だからこそ、通常の『主人公≒視聴者』の式が成り立たないからこそ、通常の『主人公≒視聴者』で考えるのが「ミスリード」かと思うのです。
原作のkanon自体が、(ネタバレ伏字)「奇跡だらけだ、奇跡のバーゲンセールだ」と揶揄されるからこそ、だからこそkanonは「奇跡を見せる物語なんだ」と思うのと同じです。
つまり、この様に受け取る事を製作側が想定してる、という前提で考えれば、正にそここそがミスリードとなる点、だからこそ「そこにこの物語の中核が隠されている」と思うのです。「腑に落ちん所こそが、人のツボだby蒼天航路」なのです。敢えてこうしている以上、そこには何らかの重大な理由が隠されているのです。勿論、製作側がそんな想定してなければご破算ですが(笑)。
で、そう考えると、『主人公≒視聴者』でないとするとどういうことか。
まず『主人公≒視聴者』でないということ。
これは、ここまで祐一の感情が視聴者と乖離している現状では、ほぼ確実といって差し支えないと思われます。
『主人公≒視聴者』はこの「京アニkanon」において成り立たない。
ではこのアニメの祐一は何者なのか。
祐一は、「京アニkanon」という物語の「登場人物の一人」なだけなのではないでしょうか。
主人公から物語の一人の登場人物に。
ただ、敢えてまだ「祐一が主人公である」という形式を崩していないのが気になります。先々になにか仕掛けがあるのか、目論見通りミスリード・デコイの為のモノなのか。
なぜわざわざそんなことをするのかというと、そうすることによって視聴者側に物語をダイレクトに伝える為、それと何かを「想起」させるためなのではないかと思われる。例えば、今までの所で山場があった真琴シナリオ(9話や10話)は、祐一×真琴を軸に、祐一目線(というよりも、祐一が知りえる情報)からのアプローチに見せ掛け、実際は視聴者は決して祐一目線ではなく、あくまで視聴者自身の目線で物語を見ていたのではないか、と思わます。事実、これらの話で祐一目線、すなわち祐一の心情や感情がイマイチ把握できるような整合性を持っていないモノで作られていたからです。
実際、私たち視聴者が祐一の行動や考え・感情に対して、整合性や合理性・方向性を見出せないのはその所為だと考えられる。
これは逆に言うと、「祐一というフィルター」を通さないで物語を表現している、といえます。
つまり通常のアニメの図式、「主人公が物語世界に対峙して、視聴者は一端主人公を通して物語を受け取る」という式から主人公を取り除いて、「視聴者がダイレクトに物語を受け取る」という図式になっているのではないでしょうか。
【あぶなげなペア・視聴者と京アニkanon】
通常の『主人公≒視聴者』という図式を放棄するということはどういうことか。
これはつまり、視聴者を放棄するという事に少しだけ繋がります。だからこそ『あぶなげ』。
視聴者と物語を繋ぐ存在である主人公を、物語の中に完全に押し込むことによって、視聴者を物語から「遠ざける」のです。
これにより、物語は完全に自由になります。いや、正確には物語が持つエッセンスやテーマが完全に自由になります。
つまり、視聴者に見せたい・伝えたいがために、物語が持つエッセンスやテーマを、主人公が受ける出来事や感情を通すのではなく、物語単体で、エッセンスやテーマを伝える事ができるのです。
これでなにが良くなるかというと、物語が素晴らしく良くなります。
物語自体が視聴者のことを考えなくていいから自由になれる、ということです。視聴者の為に、主人公フィルターを通さなくても済むようになる(その分伝わりにくくなりますが)。これは別に視聴者を蔑ろにしているという意味ではありません。ただ、表現の方法が普通と違うだけで。ある意味実験作とも言えなくないですが。
「主人公フィルターを通さない」ということは。
例えば通常の作品は、物語のテーマやエッセンスをその物語内の出来事などに詰め込んで、それを主人公に与え、そしてそれを得た・知った・感じた主人公の感情や考えフィルターに一端通してその後視聴者に伝わってくる訳です。
つまり、作品のテーマやエッセンスの中に、主人公の考えや感情が介在しているのです。
ただこれは至ってまともというか、その主人公の考えや感情自体がテーマ・エッセンスの一部である作品だからこそ、こういった表現を行うわけです。
つまりそういうことです。
この「kanon」のテーマやエッセンスには、主人公の考えや感情は全く持っていらないからこそ、視聴者≒主人公の図式を破棄しているのです。
(それでもこの図式を完全に壊さないのは、恐らく『「視聴者≒主人公」と思って見る』のが今作の正しい見方だからと思われる。
そのように思いつつ、それでも強い乖離を感じつつ見ると、「京アニkanon」のテーマがわかるような作りになっているのか、それともコレ自体がギミックなのかは現時点では不明)
原作を鑑みると、主人公(祐一)の考えや感情が(テーマ・エッセンス的に)ほとんどの場合において不要に近いのがよくわかりますね。
さらに、各ヒロイン単体のルートですらあまり必要でない祐一の感情を、このような「全員のルートをなぞる」作りにおいて表に出す事は最早ありえないことが分かります。寧ろ祐一の感情なんか逐一出してたら、「kanon」では無い別の作品になってしまいそうです。
だからこそ、祐一と視聴者を乖離させているのです。
つまり、視聴者側が「祐一ジゴロすぎ」「コイツ何考えてんだかわかんね」とか思うのは大正解、というよりもそう思わせる様に作っている、ということです。
そしてその目的は(この要素が物語内のギミックでなければ)恐らく、「視聴者にダイレクトに『kanon』のエッセンスを見せるため」。
コレ、原作の物語に対する敬意がめちゃくちゃ高いですね。
要するに、物語に「手を加えずに」、物語そのものを撮る、という形なのですから、原作に対する敬意が高いのは決まってる。それ以上に、なによりもこうすることによって、物語の「価値」が飛躍的に高まります。
外野(視聴者)に一線を引いて、物語に手を加えないからこそ、物語自体の価値が素晴らしく高いものになるのです。
(以前に書いていた内容と結構被るけど……僕の戯言も2クールに入って、上部構造にシフトしたということにしてくだちい)(てゆうかこれ、上部なのか?……俺の辿り着く場所、大丈夫か?)
え~~~纏めると。
・視聴者≒祐一ではない、祐一は単なる登場人物の一人。
・視聴者≒主人公の図式を実質的には捨ててるが、それを顕在化しない(例えば主人公格を複数人用意するとか)のは、視聴者に「視聴者≒主人公」であると今は思わせたいからだ/もしくは何かギミックが仕込んであるため、と考えられる。
・そうすることによって、祐一を視聴者の写し鏡に見立てて、視聴者に色々考えさせる物語にする可能性はある。(が、原作「kanon」と既に放映済みの「真琴シナリオ」から考えてみて、結局はヒントが足らなすぎて上手いことそこに持っていけない可能性も高い)
・京アニkanonはあえて視聴者を遠ざけている。
・その目的は、物語の価値を高める為か、もしくは「kanon」のエッセンスを本気で見せにきているからだ、と思われる。
・もし上の予想通りなら、この「京アニkanon」のエッセンスがそのまま「kanon」のエッセンスである可能性が高い。
戯言、ここに極まれり!!って感じです。
つーかなんだろう。僕の戯言シリーズに付き合ってくれた方には謝辞を述べたい。ありがとう。もちろん、これからも戯言はガンガン続いていきます。……いや、「もうちょっとだけ続くんじゃよbyDB」にしておこう。
【あぶなげなトリオその14】


舞・祐一・魔物
これに関しては、多分再来週あたりには色々と答えが出そうなんで特には書きません。
この三者がどう『あぶなげ』なのか、原作知ってる人にはたまったもんじゃないです。ああ、やっぱ舞シナリオはいいなぁ。

「魔物は祐一を狙っていた」
この絵の「影」の部分を魔物と考えて見てみると、もの凄く良い絵です。
魔物に狙われる祐一、舞よりも影に近い部分にいる祐一。
舞から伸びている影が、祐一に掛かっています。
やはりこのシーンの舞も格好良い。
剣を持った時の舞の格好良さは凄いです。

「問おう、あなたが私のマスターか」
なんだか今までで一番長くなった(書いてる時間が)。
一番あぶなげなトリオは、こんな文章を何時間も書き続けちまう奴とkanonとブログの組み合わせなんじゃないかしら。いや、こんなわけわからんこと書く奴とkanonとこのブログの閲覧者様なんじゃないかしら(笑)。やべえなコレ、見捨てないでくれ~~。
ということで(どういうことだよ)、来週も期待です!!
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おまけ:
【たのしげなペア】

名雪とピロ
名雪が食べていないご飯を代わりに食べてくれるピロ、していないおトイレも代わりにしといてくれるピロ。
猫好きで猫アレルギーの名雪の代わりに猫のピロがやってくれて、しかもピロは真琴の仲良しで名雪は真琴に対してちょっと後悔あってそれがアレでこれがソレで………え~とまあつまり、名雪もピロも可愛いね!ってことです。
【鍵すぎるカルテット】

ポテト(黒)&なまけもの(AIR)

ヒトデ(CLANNAD)

七瀬(ONE)
いやっほうーーーー!!!鍵と京アニ(とtactics)夢の四重奏そろい踏み!!遂に七瀬も登場したぜーー!!
(ああ、こじつけなのは百も承知です、石を投げないで!!)
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テーマ : Kanon~カノン~ - ジャンル : アニメ・コミック
>kanonのアニメ感想を書いてるブログの90%くらいが、「北川イイ奴」って書いてるような予感がする。
書きました(笑)。やっぱりみんな思うことですねw
書きました(笑)。やっぱりみんな思うことですねw
ノトフ | 2006年12月30日(土) 16:19 | URL | コメント編集
>ノトフさん
ここまでイイ奴だと、みんなが書いてるって分かってても、なんか「イイ奴」って書かなきゃ北川に失礼な気がしてくる。
そのくらい北川イイ奴でしたね。
ここまでイイ奴だと、みんなが書いてるって分かってても、なんか「イイ奴」って書かなきゃ北川に失礼な気がしてくる。
そのくらい北川イイ奴でしたね。
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2007/01/01(月) 16:05:13 | 神音の萌え源泉
(アニメ感想) Kanon 第13話 「あぶなげな三重奏~trio~」
Megami MAGAZINE (メガミマガジン) 2007年 02月号 [雑誌]舞踏会に突如現われた謎の魔物。佐祐理に襲い掛かろうとしたそれに剣を抜いた舞でしたが、周囲の反応は冷ややかなものでした。そして、舞の行動を重く見た生徒会は彼女を退学にすると言い出したのです・・・。
2007/01/04(木) 20:29:12 | ゲームやアニメについてぼそぼそと語る人
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