2007'03.04 (Sun) 14:17
今回は、ノーコメントで!
と、終了2分前までは思っていたのですが。

マコピー登場&未知との遭遇!
なんというオリジナル展開……というか、もはやこれはオリジナルカノン。
【More】
前々から『一続きである』ということに大きな意義を持たせているのではないかと考えてきましたが、その辺の結実が徐々に姿現して来ているのではないかと思います。
原作『kanon』は、基本的に”祐一×ヒロイン”という構図というか、もうネタバレ気にする事もあまりないと思うので述べさせて頂くと、『kanon』では全ヒロインが各々のシナリオにおいて『別れ』を経験する(した・するかも)のです。そしてそれら『別れ』を『受け入れる』ことに、祐一が大きく絡んでくる、というか、彼のお陰でその別れを受け入れることができる、という構図になっています。
これの非常に面白い所は、前作ともいえる『ONE』は、別れと受け入れは主人公が経験すること(しかもヒロインのお陰で別れを受け入れる)なのに対し、その続編的ポジションの『kanon』は『ONE』の逆で、ヒロインが別れとその受け入れを経験する(そして祐一のお陰で別れを受け入れる)という所にあります。
(主人公=自分という観点からみて)
つまり『ONE』が、他者の力を借りて自分自身の別れを受け入れる、
という作りなのに対して(対してというよりも、そこから深化して)
『kanon』は、自分の力で他者の別れの受け入れの手助けをする、
という構成になっています。
陳腐な言い方ですが、『ONE』は相手に"救ってもらう"という方向であり、『kanon』は相手を"救う"という方向なのです。
そしてその別れを受け入れるための力というのは、『ONE』なんかでも言われてきた所謂『絆』みたいなものでして、とはいえ『kanon』のそれは、正確には『絆』ではなくてもっと細かい『人と人との関係』―――というか、『関係の深さ』と呼べるものでした。
だから、話に一貫性を欠いていながらも、一貫性を持っていたのです。
さて、前述したとおり『kanon』は、基本的には”祐一×ヒロイン”であります。まあ原作はギャルゲーですから当然といえば当然、二人の世界に邪魔者を長居させても無粋なだけです。事実、原作での香里や天野の登場時間なんて、(比率で見て)このアニメ版に比べれば全然少なかったです。もちろん香里や天野にも役割はあるし、また彼女達も祐一によって別れを受け入れたのですが、それは一端置いといて。
京アニkanonの原作との大きな相違点、まず一点目は『恋愛』関係にならないということ。(恐らくあゆ以外には)少なくとも祐一は恋愛感情を持っていないということ。
当たり前ですが、祐一がみんながみんなを好きになっていたらストーリーが成り立ちません。そしてそれは、以外にも大きな意味を持っていました。つまり、前述した『二人だけの世界』を作らなくても良いということ。
一応言っておくと、『kanon』のメインテーマに当たるものは恐らく『別れの許容』だと思います(『喪失』ではなく『別れ』だと思う。『別れ』ではなく『現実』かもしれないけど)。
これは単純に、全キャラクターのシナリオに必ず『別れ』が内包されているから、そして『kanon』の始まりからして『別れ』で、その許容が出来なかったからこそ、『kanon』が生まれてしまったからです。
必ずしも祐一とヒロインとの別れのみではなく(一応祐一とヒロインとの別れは(過去も含め)必ず行なわれるのですが)、ヒロインと祐一以外との別れにも必ずフォーカスが当てられているのが、この『kanon』の非常に優れている所だったりします。舞ならば、彼女が過ごした10年間で作り上げた自らの檻との別れ、栞ならば姉やその他もろもろを含む現実世界――というか己の命との別れ、名雪は母親との別れ(予定)。そしてその彼女達を支えるのが祐一。『ONE』において、ただただ救いを求めるだけの主人公(←誇張表現含む)だったのから、『kanon』においては大切な人を支えられる主人公、と大いなる変貌を遂げたのです。
余談:この二つ、プレイヤー側が『プレイヤー=主人公』という事を通して得るカタルシスという点で見ると、むしろ『ONE』の方に軍杯が上がるのではないか?というところが興味深くもあります。"救われる・支えられる"という非常に受動的な内容の事を、「能動的に」行なう『ONE』に対し、"救う・支える"という能動的な内容を、基本「受動的に」行なう『kanon』。『kanon』は"救う・支える"においてプレイヤーの意思が介在しにくく、『ONE』は複雑な選択肢も相まってプレイヤーの意思が介在しやすい(また、複雑な選択肢によって、主人公に対する移入度も高くなる)という状況。前述要素の全てを網羅している主人公な『CLANNAD』は、正等進化といえなくもない、というか作った人凄い。
とはいえ『kanon』は、各ヒロインが『ONE』における浩平に近いポジションを得るので、各ヒロインに対する感情移入度が高ければある意味『ONE』的カタルシスを得られるのかもしれない。
さてさて、基本『kanon』の各キャラクターのシナリオは同じ要素で構成されていますが(そういえば以前、奇跡についてをポリモーフィズムに例えた面白いコメント頂いたのですが、あゆを抜かす四人のシナリオもある意味ポリモーフィズム的と言えなくもないでしょう)、あゆだけは少し別物です。
『kanon』の始まりは、今回明らかにされた7年前のあゆの事故です。
そしてその記憶を忘れていた、閉じ込めていた祐一。
例えばもし、7年前にあの事故がなければ、祐一は翌年からも普通に水瀬家に遊びにきただろうし、その際に舞や真琴に会ったかもしれないし、後々に栞に会っても彼女を笑わすだけの出来事が起きなかったかもしれない。もちろんこんな可能性の話は超詭弁に過ぎないのですが、それでも、7年前の事故がなければ、確実に未来は違っていた。

きっとこんな感じに。
……いや、事故が起きても、祐一が記憶を封印してさえいなければ、つまりこの別れを『受け入れて』さえいれば、大きく未来は違っていた。『kanon』は生まれ得なかった。
自らの記憶を閉じ込めておく程の大きな過去の『別れ』。
『別れの受け入れ』を一貫しているこの『kanon』において、その始まりにして最も大きく、そして唯一(といってもいいくらい)、祐一が受け入れなければいけない別れがこの7年前の事故。もちろん祐一は他のシナリオでも『別れ』に直面し受け入れますが、基本的にそれらの別れはヒロインとの『表裏一体』、つまり彼女らもまた同時に祐一との別れを経験するというモノなので、これとはまた大きく異なります(この7年前だって構造自体は表裏一体なのですが、表出の仕方が全然表裏一体ではないのです)。この祐一の『過去の別れの受け入れ』、そこの重点の置かれ方と解決法の他シナリオとの大きな違いが、このあゆシナリオがメインである最大の理由といえるのではないでしょうか。
そしてそのあゆシナリオは、次週・次々週に決着が。
さて、話を少し戻しまして。
このように、『kanon』というのは基本的に”祐一×ヒロイン”による別れを許容する物語であります。もちろんそこに香里やら天野やらが絡んでくることもありますが、基本的に彼女達はサブキャラクターであり、名雪シナリオの秋子さんはその点では真逆の存在であるし、舞シナリオにおける佐祐里さんですら舞自身の別れの受け入れ(ああ、今思うと、舞のあの自刃は、彼女にとって「別れの受け入れ」の通過儀礼のようなモノだったのかもしれない)にはロクに関わっていないのです。
恋愛ゲームなんだから、二人の世界に没入させる"べき"なのは当たり前です。
が、この京アニkanonは決して恋愛ではない。少なくとも、あゆシナリオ以外では『kanon』における『恋愛』とはとても呼べない。
だからこそ、香里や天野がやけに出番が多くなったり、真琴が再登場したりなんてことが可能なのです。
―――可能、だったのです。
――――――可能、だったのかぁぁぁっっっ!!!
くっそう、なんということだ!こういう方策か!
ヒロインが各々の身に生じる別れを受け入れるのは、今までの所あくまで『祐一』のお陰であるのですが、これ以降真に祐一に襲い掛かる『別れ』を受け入れるのに、ああもうなんだろうな、言葉も出ない。まさかソレに、真琴を使う(多分)なんて。
シュレディンガーの猫ってある意味まんまピロのことか(笑)(ピロ≒真琴っぽく考えて)(原作との差異に重点を置いて)(てゆうかもしや、もう一段階ピロの意義になんかある?)。観測するまでは、箱の中の猫は生きているのかどうか分からない。観測した時点で、対象は"その"性質を得る。
『京アニkanon』がどういった作品なのか、観測(視聴)するまで分からない。観測(視聴)して始めて、その性質を決定づけられる。だがしかし、案外やっかいなことに、観測するという行為は観測した対象に観測したという結果が受け付けられる、そして"ソレ"を観測した対象だと観測者は思ってしまう。つまり、視聴者が『視聴』した時点で、この視聴した視聴者、その人の目・耳・脳で視聴している以上、その人の『視聴』がその人の受け取る結果、つまり『作品』に影響を与えることになる。
観測することは影響を与えることでもあります。少なくとも、自分の認識世界での『ソレ』には確実に影響を与える。自分の認識しか人間は認識できない以上、そして自分の認識と他者との認識との差を完全に把握することなど不可能(そこにも自分の認識というものが介在してしまう為)な以上、全ての物事の認識において必ずや齟齬が生じるのです。
つまり、私たちは完璧な『kanon』そのものを視聴することは決して叶わず、自分の中の『kanon』を見るにすぎないということです。私が見ている『kanon』と貴方が見ている『kanon』は全くの別物である、ということ。
観測者は視聴者たる自分、いや、自分が人間であり観測する対象が存在する(してた)以上、どのような対象を前にしても必ずこういったことは起きるのですが、それでも、『原作』というものが付いていて、それを知っているか否かで『視聴者それぞれにとっての作品』が大きく変わってくるであろう本作において、こういったことを暗喩してくれるのは単純に嬉しいです。というか、こういったことを考えて作っているのだろうかと期待せずをいられません。私と貴方の知覚は違う。知識も違う。世界は観測された瞬間に、時を遡って構築される。私によって構築されたkanonの世界と、貴方によって構築されたkanonの世界は別物である。それでも、もしこういったことを考えて作っているのなら、その溝を狭めてくれるような―――もしくは、決定的にしてくれるような―――そんなナニカを、内包してくれるのではないかと、期待しております。
と、話がめちゃくちゃ逸れた。
基本的に京アニkanonの授業の内容は、真琴の時(よく覚えてないけど、なんかの物語。粗筋読んだ限りではあまり真琴シナリオに関わり深いとは思えない内容)、舞の時(as soon as・なになにするやいなや)、栞の時(舞姫)と、全て正確な暗喩ではなく、寧ろ逆だったりミスリードになり兼ねなかったりする内容なので、あんまり気にするべきでもないのかも。
で、僕が思った方策というのは、原作における二人だけの世界”祐一×ヒロイン”の鎖が取れた(つまり、恋愛を『演出』しなくてもよくなった)本作は、各々の別れの許容などの物語の解法に、『二人だけの世界』ではなく『みんなの世界』で臨むのではないか、と思ったのです。そしてそれ自体は、『一続きである』、つまり全キャラクターと深いコンタクトを取っているということともの凄く関係してくることでもあります。
今はまだまだ確定できる段階ではありませんが、京アニ版のオリジナル展開はこのような点を重視するのかもしれません。二人の世界からみんなの世界に、そしてそれの意味するモノは。

このイイ奴属性高すぎる北川なんかも象徴的です。
祐一・名雪の間に入って、助けになってやろうとする北川。しかし、それを遠巻きに逃げるようにしている祐一。あゆシナリオが一番断トツで"二人だけの世界"(寧ろ祐一一人だけの世界、なんて趣きかも)なんですけど、それを考えるとこの祐一の逃げるような姿勢、その前の名雪の部屋に一瞥もくれずに素通りなんかも、非常に納得できる。……できるのですが、真琴登場で"二人だけの世界"構図が崩れてしまってさあ大変。ていうかどうなるの、どうするの。

瞳孔開きまくり大会@名雪さん。
今週の名雪さんは瞳孔開いてるか俯いてるか泣いてるかの三択でした。非道すぎる。
先週の秋子さんの事故シーンといい、ここまでやらなくてもいいだろってのを、ここまでやっちゃうのが京アニ。台所の喪失感はさすがに控えめだったけれど。
俯瞰視点は冷たさ、アップは温かさを表す、なんてのをどっかで見ましたが結構そんな感じ。アップは全然ありませんでした。
そして多用された、手前――奥にオブジェクト置いてのピント転換。どちらかを過去、どちらかを現在に置き、移り変わるピントはその狭間を漂う祐一を表している、みたいに考えると綺麗。
一番下二枚は、過去に幾度も登場してきたアングル。特に二階の廊下のアングルなんて久々に見る。一話・二話(あと六話とか)で使われていました。あの頃を考えると……と言わざるを得ません。

秋子さんの事故現場。沿道に人が集まる、というとどうしても名雪のマラソンシーンを思い出さずにはいられない。あの秋子さんがいて皆がいて応援してくれて、勝利したマラソンから一転、秋子さんを失い立ち入り禁止を貼られ皆が不安そうに見つめる事故現場。
『祐一ががむしゃらに応援して、名雪がそれに応える』、そんなマラソンシーンだったのですが、今回の名雪さんは果たして祐一の応援に応えることができるのか。
そういえばこの時も自転車を借りるなど、北川が大活躍していました。思えば舞シナリオの舞踏会の時や、栞シナリオの誕生会の時などなど、北川は信じられないくらい要所要所で活躍しています。北川以外も鍵になると思いますが、北川が何気に大きな鍵だったりするのかも。というか友情が大きな鍵を……じゃなくて、「友」とか「愛」とか抜いた『情』が大きな鍵を握るのかもしれません。

「水瀬家一同」に「真琴」―――!
そうか、そういえばそうだった。真琴は水瀬家の一員だった。思いっきり当事者でした。みんなが苦しんでいる時に助けに現れる、これぞ家族ではないですか。
過去、名雪のプレゼントを受け取らず、それが地に落ちた祐一。
そして現在、祐一のプレゼントを受け取らず、それが地に落ちた名雪。
ここまでの時点では、まさに7年前の祐一と同じ。原作と違って、恋人関係ではないのだから、より7年前と同じになる。
これをどうやって救い出すのか、そして祐一が7年前の記憶を「アイツのところにいけるかな」などと思わずに、しっかり受け入れるにはどうするのか、この二点がkanonの軸である、と勝手に断言しておきます。『大切な人との別れ』、それの受け入れをどうやって行なうのか。元はといえば『kanon』は、あゆが大切な人(母)を失った事から始まる物語だったんだし。

いよいよクライマックス。
7年前、木から落ちたあゆの最後の約束。「また一緒に遊ぶ」。こんな時でも約束を交わすのか、そして、こんな時に交わした約束を果たす為に、あゆはずっと夢の中で、ベンチに座って、来るはずのない人を待ち続けていたのか。
あゆが木の上から見ていた景色はこの街の全景であって、もしも今も彼女はそこからこの街を眺めているとすれば、この街自体にあゆが偏在している、そんな考え方もできなくはないのではないでしょうか。つまり、かって天野が言っていた通り、原作で栞が言っていた通り、祐一は、彼女達は、「誰かの夢の中にいる」―――そしてその誰かは、あゆ。
<ネタバレというか、今見ない方が良さそうなので反転>
(これは、(一応原作的に)ゲームの物語なんて『夢』のようなモノだと考えれば、このゲーム自体が『夢』と言えなくもありません。「誰かの夢の中にいる」―――つまり、彼女達がこのゲーム(『夢』)の中の登場人物であるということを、明示的に表している台詞でもあります。奇跡が起きるこの街自体を包み込む、偏在しうるあゆの夢の中であり、同時に、このような存在つまり高すぎるフィクション性は、一気にこの物語を『物語に』落とし込むものでもあります。つまり、なんで奇跡が起きるかというと、『物語』だから、フィクションだから、夢だからということ。そして―――そのあゆも、物語も、奇跡も、全て一つに纏めれば、いや、全て一つに纏まっているモノが、このゲーム『kanon』。ゲームをプレイすること、現実から離れること、つまり夢を見ているようなもの。これは、作中的にはあゆの夢であり、そして作品と受け取り手で考えると、プレイヤーがkanonによって見ている夢なのでもある。
幾度繰り返しても翳りのないこの物語、そのさよならはこの夢の物語の後に静かに降り立つのです)
ということで今回、筆(つうか指)とお脳の方がちょっと滑りまくりな感じになってしまいました。こんなのにお付き合い頂いて申し訳ない。
WEB拍手を送る

次回。今までに見せた事のない大粒の雪、その後に移り行く、真琴・舞・栞に馴染みの深い場所。今まで幾度となく見てきた場所。そしてこの街。
えっと、フィナーレいってるけど、もう一回くらいあるよね?多分。いや、あるはず。冬のあとには春が来なくてはいけなくて、そしてその春までを見せるのがkanonなんだから。
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テーマ : Kanon~カノン~ - ジャンル : アニメ・コミック
初めまして。
「シュレディンガーのKanon」wには
何か、感動してしまいました。
反転部分も凄いです。
KanonはONEへのアンサー作品だ、とかは
発売当時、結構言われてた事ですね。
麻枝准と久弥直樹、この二人の
根底は似た物を持ちつつ、異なる指向性の
二人のクリエイターのカラーが
綺麗に表れている部分でしょう。
Kanonは全24話、あと2回です。
次回、“フィナーレ”というタイトルで
視聴者を「さよなら、あゆ」とミス
リーディングしつつ
最終回で…………という事なのでしょうね。
「シュレディンガーのKanon」wには
何か、感動してしまいました。
反転部分も凄いです。
KanonはONEへのアンサー作品だ、とかは
発売当時、結構言われてた事ですね。
麻枝准と久弥直樹、この二人の
根底は似た物を持ちつつ、異なる指向性の
二人のクリエイターのカラーが
綺麗に表れている部分でしょう。
Kanonは全24話、あと2回です。
次回、“フィナーレ”というタイトルで
視聴者を「さよなら、あゆ」とミス
リーディングしつつ
最終回で…………という事なのでしょうね。
ひふみー | 2007年03月04日(日) 18:01 | URL | コメント編集
>ひふみーさん
初めまして。コメントありがとうございます。
「シュレディンガーのkanon」の項は勢いで書いちゃったので一応補足しておきたいのですが、決して他人の解釈を否定するものでも、(僕も含め)自分の解釈を他人に述べたいという気持ちを否定するものではございません。解釈は人それぞれ、何が答えかなんて作った本人にしか分からない、いやもしかすると、作った本人にも分からないかもしれません。……もしかすると、『人それぞれ解釈が異なる』ような作りになったりすれば、それはそれで認識の溝が『決定的なもの』なるかもしれません。…・・・いや、京アニkanonがじゃなくて、元々のkanonそれ自体がそういう性格を持ち合わせているのかもしれません(この辺は要精査って感じです(今思いつきで書いてますしw))(本文中の反転部分も書いてる途中で思いついた、というか引っかかってたモノが解けた感じで勢いで書いちゃってるので、後で精査が必要な感じです)。
実は「kanon」と「ONE」の関係とか、「kanon」の構造とか、この京アニ版kanon見るまで全然気づきませんでした。『一続きになってる』この京アニ版、それを見てようやく気がつけたのです。(だからこそ、僕はこの『一続きになってる』ことの意義に対して固執してるのかもしれません)
>麻枝准と久弥直樹、この二人の
根底は似た物を持ちつつ、異なる指向性の
二人のクリエイターのカラー
似ていながら異なる指向性、この辺は非常に興味深いです。「kanon」単体で見ても、舞・真琴シナリオと他三人シナリオとの違いは大きいですしね(この辺まだモヤモヤしててちょい困ってます)。
次回のミスリーディング、なるほど、そうですね。これは非常に効きますね(笑)。
……あと二回でkanon終わりなんですね。本当、あっという間でした。
えっと僕のコメント、レスと関係ない所が多くてすみません。本当、kanonについて考えるのが楽しくてしょうがなくて(苦笑)
初めまして。コメントありがとうございます。
「シュレディンガーのkanon」の項は勢いで書いちゃったので一応補足しておきたいのですが、決して他人の解釈を否定するものでも、(僕も含め)自分の解釈を他人に述べたいという気持ちを否定するものではございません。解釈は人それぞれ、何が答えかなんて作った本人にしか分からない、いやもしかすると、作った本人にも分からないかもしれません。……もしかすると、『人それぞれ解釈が異なる』ような作りになったりすれば、それはそれで認識の溝が『決定的なもの』なるかもしれません。…・・・いや、京アニkanonがじゃなくて、元々のkanonそれ自体がそういう性格を持ち合わせているのかもしれません(この辺は要精査って感じです(今思いつきで書いてますしw))(本文中の反転部分も書いてる途中で思いついた、というか引っかかってたモノが解けた感じで勢いで書いちゃってるので、後で精査が必要な感じです)。
実は「kanon」と「ONE」の関係とか、「kanon」の構造とか、この京アニ版kanon見るまで全然気づきませんでした。『一続きになってる』この京アニ版、それを見てようやく気がつけたのです。(だからこそ、僕はこの『一続きになってる』ことの意義に対して固執してるのかもしれません)
>麻枝准と久弥直樹、この二人の
根底は似た物を持ちつつ、異なる指向性の
二人のクリエイターのカラー
似ていながら異なる指向性、この辺は非常に興味深いです。「kanon」単体で見ても、舞・真琴シナリオと他三人シナリオとの違いは大きいですしね(この辺まだモヤモヤしててちょい困ってます)。
次回のミスリーディング、なるほど、そうですね。これは非常に効きますね(笑)。
……あと二回でkanon終わりなんですね。本当、あっという間でした。
えっと僕のコメント、レスと関係ない所が多くてすみません。本当、kanonについて考えるのが楽しくてしょうがなくて(苦笑)
はじめましてです
いきなりですが少し反転部分について気になることがあるので宜しくお願いします。
あゆがKanonの「起因」だとしたら、栞は「物語」として、名雪は「現実」としての要素をそのなかで担っているのではないかと思うんですよ、あと麻枝シナリオの二人については、現実を巻き込んだ物語、或いは物語を巻き込んだ現実という「現実的物語」「物語的現実」(夜の学校とコンビニ弁当や「真琴」と水瀬家といった対比等から)ではないかと考えています。
上記のことにおかしな点があれば、また、例えばそうだとしてそこから導き出される結論が何なのかという肝心な点がいまいちわからないという状態なのでコメントをいただけたらと思っています。
いきなりですが少し反転部分について気になることがあるので宜しくお願いします。
あゆがKanonの「起因」だとしたら、栞は「物語」として、名雪は「現実」としての要素をそのなかで担っているのではないかと思うんですよ、あと麻枝シナリオの二人については、現実を巻き込んだ物語、或いは物語を巻き込んだ現実という「現実的物語」「物語的現実」(夜の学校とコンビニ弁当や「真琴」と水瀬家といった対比等から)ではないかと考えています。
上記のことにおかしな点があれば、また、例えばそうだとしてそこから導き出される結論が何なのかという肝心な点がいまいちわからないという状態なのでコメントをいただけたらと思っています。
kou | 2007年03月05日(月) 15:43 | URL | コメント編集
>kouさん
はじめまして。コメントありがとうございます。
反転部分は、(これの二つ前の記事なんかに適当に書き殴っていますが)前々から「ONE」と同じ様に「kanon」にも何か『プレイヤーとゲーム』の関係に一石を投じる物が存在しているんじゃないか?きっとこんな感じなんじゃないか?とモヤモヤと思うところがあって、それをコレ書いてる時に思いついて、なんかパズルのピースが当て嵌まったような衝撃うけて書き殴った文章でもあるので、かなり精査が必要ではあると自覚しております。
>栞は「物語」として、名雪は「現実」としての要素を
ゴメン、全然わかんないです(すいません)。
「物語」も「現実」も「夢」も全ては地続きというか、それ自体は自己の認識上に、"それ"と認識(というか決定付ける)まであまり差異のないもの、つまり「物語」「現実」「夢」という振り分けを、自分で判断して始めてその『振り分け』が生じる・出来る訳なのですが、
それでも創作物において(むしろ創作物にしか出来ないのですが)その差異を自己の認識以前の世界の方で前面に出すならば、出せるだけの衝撃的な『何か』―――もしくは全体に貫かれてる『何か』が存在していると思うのですが、そこがどうにも見つけられません(名雪シナリオに至っては僕うろ覚えですし)。
という事で、もう少し詳しくご教授願いたいです。
あとこの文章に書いてる『物語』って言葉は、『フィクション性』の高さに起因している、という前提で書いているので、舞の『現実的物語』てのはある意味納得。では同じく麻枝氏が書いた真琴シナリオも、それと何らかの形で呼応しているのではいかと思われますが、実は僕、真琴シナリオのこと全然知らないので真琴に関しては色んな意味でご勘弁下さい(別に真琴が嫌いなわけじゃないですw)。
はじめまして。コメントありがとうございます。
反転部分は、(これの二つ前の記事なんかに適当に書き殴っていますが)前々から「ONE」と同じ様に「kanon」にも何か『プレイヤーとゲーム』の関係に一石を投じる物が存在しているんじゃないか?きっとこんな感じなんじゃないか?とモヤモヤと思うところがあって、それをコレ書いてる時に思いついて、なんかパズルのピースが当て嵌まったような衝撃うけて書き殴った文章でもあるので、かなり精査が必要ではあると自覚しております。
>栞は「物語」として、名雪は「現実」としての要素を
ゴメン、全然わかんないです(すいません)。
「物語」も「現実」も「夢」も全ては地続きというか、それ自体は自己の認識上に、"それ"と認識(というか決定付ける)まであまり差異のないもの、つまり「物語」「現実」「夢」という振り分けを、自分で判断して始めてその『振り分け』が生じる・出来る訳なのですが、
それでも創作物において(むしろ創作物にしか出来ないのですが)その差異を自己の認識以前の世界の方で前面に出すならば、出せるだけの衝撃的な『何か』―――もしくは全体に貫かれてる『何か』が存在していると思うのですが、そこがどうにも見つけられません(名雪シナリオに至っては僕うろ覚えですし)。
という事で、もう少し詳しくご教授願いたいです。
あとこの文章に書いてる『物語』って言葉は、『フィクション性』の高さに起因している、という前提で書いているので、舞の『現実的物語』てのはある意味納得。では同じく麻枝氏が書いた真琴シナリオも、それと何らかの形で呼応しているのではいかと思われますが、実は僕、真琴シナリオのこと全然知らないので真琴に関しては色んな意味でご勘弁下さい(別に真琴が嫌いなわけじゃないですw)。
こんばんは、yukitaです。
今回、あゆは『ここ』に居ないと、判明しました。では、あゆは何故、祐一達の前に現れたのでしょうか?
僕は『祐一(達)を慰める為』だと思います。
1話のモノローグで『流れる涙を、拭ってあげたかった。』と、あゆは言っています。僕は祐一と全てのヒロインは、ずっと『泣いていた』のだと思います。(栞については、後ほど。)
舞と真琴は、10年前から。折角、絆を結んだのに祐一と、再会できなかった二人。二人とも、直接『また会おう』と祐一と、約束出来ませんでした。
もし舞が約束出来ていたら、『魔物を討つ者』にならなかったし、真琴の場合も、『沢渡真琴』になれなくても、幸せだったと思います。
祐一・名雪・あゆは、7年前から。
祐一は、あゆを助けられなくて。名雪は、祐一が去ってしまって。あゆは『一人ぼっち』で、夢の中で。
現在、真琴・舞・栞の為に『何も出来なかった』と、祐一は泣いている。
真琴は家族になったけど、消えてしまった。舞は笑顔を取り戻したけど、傷ついてしまった。栞には『何もしてあげられなかった』祐一は、悲嘆に暮れる。
そして、あゆに慰められる。
20話は『叶えられなかった、二人の約束』の続きなのかもしれません。
名雪は今、泣いています。でも祐一は、傍にすら居られない。
全てを思い出した祐一は、あゆの許へ。
でも、力尽きてしまう。真琴が登場したのは、「今、ボクは祐一君の所にいけないから、真琴さんお願い。」と、あゆに頼まれたのかも知れません。真琴は祐一に『大丈夫だよ』と寄り添う。
名雪には「秋子さんは、大丈夫。信じてあげて。」と伝えるのでしょう。
真琴・舞は祐一と再会し、絆を取り戻した。名雪は、秋子さんが回復し、祐一が『ずっとこの街に居る』と約束することで、笑顔を取り戻すでしょう。
そして栞は、ずっと涙を堪えています。
あゆは『もう、泣いていいんだよ。』と栞に伝えると思います。
栞が泣けるのは、元気になった時だけ。『笑顔の中に涙を凍らせた少女』が、祐一と再会し、歓喜の涙を流した時、雪が解け、春が訪れる。(原作では栞との再会は春ですが、ご容赦を。)
最後にあゆ。皆を慰めることに『願い事』を使った少女は、夢の中で一人で泣いています。
そんなあゆに、祐一たちが『一人ぼっちじゃないよ』と教える。そして、皆を慰めた『ご褒美』に、あゆが目覚める。「ボクは、ここに居てもいいんだ」と。
そして、日常へ。
転校してきたあゆと共に、皆で中庭で昼食。帰りに百花屋へ寄ったりして、楽しく過ごす。皆で水瀬家に帰り、『ただいま!』と秋子さんに告げる。笑顔の秋子さん。幸せな日常の風景。
こんな結末を、期待してしまいます。
(なしおさん、今回も非常に長文になって、申し訳ありません。いつも、お世話になっています。)
今回、あゆは『ここ』に居ないと、判明しました。では、あゆは何故、祐一達の前に現れたのでしょうか?
僕は『祐一(達)を慰める為』だと思います。
1話のモノローグで『流れる涙を、拭ってあげたかった。』と、あゆは言っています。僕は祐一と全てのヒロインは、ずっと『泣いていた』のだと思います。(栞については、後ほど。)
舞と真琴は、10年前から。折角、絆を結んだのに祐一と、再会できなかった二人。二人とも、直接『また会おう』と祐一と、約束出来ませんでした。
もし舞が約束出来ていたら、『魔物を討つ者』にならなかったし、真琴の場合も、『沢渡真琴』になれなくても、幸せだったと思います。
祐一・名雪・あゆは、7年前から。
祐一は、あゆを助けられなくて。名雪は、祐一が去ってしまって。あゆは『一人ぼっち』で、夢の中で。
現在、真琴・舞・栞の為に『何も出来なかった』と、祐一は泣いている。
真琴は家族になったけど、消えてしまった。舞は笑顔を取り戻したけど、傷ついてしまった。栞には『何もしてあげられなかった』祐一は、悲嘆に暮れる。
そして、あゆに慰められる。
20話は『叶えられなかった、二人の約束』の続きなのかもしれません。
名雪は今、泣いています。でも祐一は、傍にすら居られない。
全てを思い出した祐一は、あゆの許へ。
でも、力尽きてしまう。真琴が登場したのは、「今、ボクは祐一君の所にいけないから、真琴さんお願い。」と、あゆに頼まれたのかも知れません。真琴は祐一に『大丈夫だよ』と寄り添う。
名雪には「秋子さんは、大丈夫。信じてあげて。」と伝えるのでしょう。
真琴・舞は祐一と再会し、絆を取り戻した。名雪は、秋子さんが回復し、祐一が『ずっとこの街に居る』と約束することで、笑顔を取り戻すでしょう。
そして栞は、ずっと涙を堪えています。
あゆは『もう、泣いていいんだよ。』と栞に伝えると思います。
栞が泣けるのは、元気になった時だけ。『笑顔の中に涙を凍らせた少女』が、祐一と再会し、歓喜の涙を流した時、雪が解け、春が訪れる。(原作では栞との再会は春ですが、ご容赦を。)
最後にあゆ。皆を慰めることに『願い事』を使った少女は、夢の中で一人で泣いています。
そんなあゆに、祐一たちが『一人ぼっちじゃないよ』と教える。そして、皆を慰めた『ご褒美』に、あゆが目覚める。「ボクは、ここに居てもいいんだ」と。
そして、日常へ。
転校してきたあゆと共に、皆で中庭で昼食。帰りに百花屋へ寄ったりして、楽しく過ごす。皆で水瀬家に帰り、『ただいま!』と秋子さんに告げる。笑顔の秋子さん。幸せな日常の風景。
こんな結末を、期待してしまいます。
(なしおさん、今回も非常に長文になって、申し訳ありません。いつも、お世話になっています。)
>yukitaさん
どうもこんばんは。いつもありがとうございます。
>「ボクは、ここに居てもいいんだ」
エヴァすぎて吹いた(笑)(勿論、前々回のあゆの台詞からきてるのは分かってますけど)。
展開予想はロマンチックですね。でも僕的には、なんかいきなりビール瓶で後頭部メッタ打ちにされるような圧倒的な衝撃を受けたいです。
例えば原作あゆシナリオのラストなんて、(ネタバレ反転)こっち(祐一)がもう完全に別れを受け入れた後、いきなり、当事者でもない秋子さんが「そういえばこんな話が……」みたいに語りだす衝撃が、あの二人だけの世界の終焉、その惰性の上に乗っている段階の自分に対して、外から何の前触れもなくいきなり襲い掛かる超衝撃が、僕としては圧倒的な威力を持っていたのです(kanonで一番泣いたのって、実はこの秋子さんの台詞の時だったりして。諦観、いやもっと完全に「諦める事を受け入れてる」状況を、一撃で覆す信じがたい、しかし喜ばしい知らせ。ここが断トツで衝撃的でした(最初にやったのがあゆシナリオってのもあるだろうけど))。
つまり僕的には、なんかもっと人智とか超えちゃってるんじゃない?みたいなヤベーものを見たいのです(なんだそりゃ)。
先に、奇跡は人智を超越しているものである、つまり奇跡に根拠は絶対に必要ではなく、寧ろ根拠があってはいけない、根拠があるものは奇跡ではなくただの偶然だ、みたいなことを書いたけど、
そんな感じで、例えば京アニkanonの真琴シナリオラストみたいな、音と映像で無理矢理なだれ込むかのような、根拠を考える事を必要としない「圧倒的なモノ」を見たいなと思うのです。
結構前に僕は京アニkanonの映像を実写的とか現実的とか書いていて、
http://rosebud.g.hatena.ne.jp/natu3kan/20070127
こちらにも
「京アニは現実を現実として描ける」とか書かれておりますけど(その他の項もかなり興味深いです)、とにかく京アニの映像自体はブレがなくとても現実的です。
で、実際この「kanon」自体も、思いっきり現実的な要素というかモチーフというか、とにかくメタメタしてる物語なんですけど(だから奇跡がより映えてくる訳ですね)、
それだからこそ、やけに現実的なこの京アニkanonは、ラストをより幻想的というか、物語的にすると思うのです。
現実的な作品の重要な部分一点に大きな非現実を混ぜるだけで、一気にその作品が『物語』に落ち込み(昇華し)、そしてその事によってその作品の『語りたいこと』が見えてくるんじゃないかなぁ~とか、適度に思っています。
というか、そうしないと『kanon』としてのバランスが取れない気がする。
えっとすみません、長くなるのと脱線するのは僕の仕様なので大目に見てやって下さい。
つまり、僕としてはもっと途轍もない『人智を超えたモノ』を見せてくれるのではないかと、少し過度にも思える期待をこの京アニkanonに抱いているのです。
(って、読み直したらなんか俺メチャクチャな期待をしてるって事に気づいたw。大丈夫なのか、こんな期待して)
(>『泣いていた』
はなかなか面白いですが、精査が必要な説かと思います。別段否定要項もないのですが、う~ん色々考えても、個人的にはあともう二押しくらいなんか欲しい所です。あとあゆは、彼女自身も7年前に起きた祐一との別れを『受け入れ』なきゃいけないので(そしてそれがあの名セリフだったりするんですね)、きっと約束したから出てきただけかなぁと思うところです)
どうもこんばんは。いつもありがとうございます。
>「ボクは、ここに居てもいいんだ」
エヴァすぎて吹いた(笑)(勿論、前々回のあゆの台詞からきてるのは分かってますけど)。
展開予想はロマンチックですね。でも僕的には、なんかいきなりビール瓶で後頭部メッタ打ちにされるような圧倒的な衝撃を受けたいです。
例えば原作あゆシナリオのラストなんて、(ネタバレ反転)こっち(祐一)がもう完全に別れを受け入れた後、いきなり、当事者でもない秋子さんが「そういえばこんな話が……」みたいに語りだす衝撃が、あの二人だけの世界の終焉、その惰性の上に乗っている段階の自分に対して、外から何の前触れもなくいきなり襲い掛かる超衝撃が、僕としては圧倒的な威力を持っていたのです(kanonで一番泣いたのって、実はこの秋子さんの台詞の時だったりして。諦観、いやもっと完全に「諦める事を受け入れてる」状況を、一撃で覆す信じがたい、しかし喜ばしい知らせ。ここが断トツで衝撃的でした(最初にやったのがあゆシナリオってのもあるだろうけど))。
つまり僕的には、なんかもっと人智とか超えちゃってるんじゃない?みたいなヤベーものを見たいのです(なんだそりゃ)。
先に、奇跡は人智を超越しているものである、つまり奇跡に根拠は絶対に必要ではなく、寧ろ根拠があってはいけない、根拠があるものは奇跡ではなくただの偶然だ、みたいなことを書いたけど、
そんな感じで、例えば京アニkanonの真琴シナリオラストみたいな、音と映像で無理矢理なだれ込むかのような、根拠を考える事を必要としない「圧倒的なモノ」を見たいなと思うのです。
結構前に僕は京アニkanonの映像を実写的とか現実的とか書いていて、
http://rosebud.g.hatena.ne.jp/natu3kan/20070127
こちらにも
「京アニは現実を現実として描ける」とか書かれておりますけど(その他の項もかなり興味深いです)、とにかく京アニの映像自体はブレがなくとても現実的です。
で、実際この「kanon」自体も、思いっきり現実的な要素というかモチーフというか、とにかくメタメタしてる物語なんですけど(だから奇跡がより映えてくる訳ですね)、
それだからこそ、やけに現実的なこの京アニkanonは、ラストをより幻想的というか、物語的にすると思うのです。
現実的な作品の重要な部分一点に大きな非現実を混ぜるだけで、一気にその作品が『物語』に落ち込み(昇華し)、そしてその事によってその作品の『語りたいこと』が見えてくるんじゃないかなぁ~とか、適度に思っています。
というか、そうしないと『kanon』としてのバランスが取れない気がする。
えっとすみません、長くなるのと脱線するのは僕の仕様なので大目に見てやって下さい。
つまり、僕としてはもっと途轍もない『人智を超えたモノ』を見せてくれるのではないかと、少し過度にも思える期待をこの京アニkanonに抱いているのです。
(って、読み直したらなんか俺メチャクチャな期待をしてるって事に気づいたw。大丈夫なのか、こんな期待して)
(>『泣いていた』
はなかなか面白いですが、精査が必要な説かと思います。別段否定要項もないのですが、う~ん色々考えても、個人的にはあともう二押しくらいなんか欲しい所です。あとあゆは、彼女自身も7年前に起きた祐一との別れを『受け入れ』なきゃいけないので(そしてそれがあの名セリフだったりするんですね)、きっと約束したから出てきただけかなぁと思うところです)
>なしおさん
コメントをいただいておいてぶーたれるようで申し訳ないんですが
全シナリオ共通で絡んでくる(来ざるおえない)こと、「真琴」が信じられなかったこと(奇跡は奇跡として扱う)あと主題歌以前、つまり「Kanon」以前に登場するということから名雪は「雪の街での日常(現実)」にあたると思うんです。また、秋子さんの事故については、名雪シナリオでは祐一も「奇跡」を起こせないといっているし、秋子さんは「奇跡」で助かった訳ではなく、「奇跡的」に助かっただけ(それこそ"Kanon"を壊さないためにとかそんなかんじでw)なのだと思います(シナリオの最後に現実全てが奇跡のようなものとほのめかしているのでフィクション性の高さ度合いをもとにした話ですが)
一方栞については作中でしきりに物語だったらどうなるかということを言っていて、そのとおりに事が運び、実際「物語の中でくらい見ていたいハッピーエンド」になっている事から一番「物語」に近いのではないかと。
あゆについては・・・よくわかりません、ごめんなさい。
とどうでもいいようなことをぐだぐだとしかもじゃあ最初から詳しく書けよみたいな事を書いてしまってすみません。
コメントをいただいておいてぶーたれるようで申し訳ないんですが
全シナリオ共通で絡んでくる(来ざるおえない)こと、「真琴」が信じられなかったこと(奇跡は奇跡として扱う)あと主題歌以前、つまり「Kanon」以前に登場するということから名雪は「雪の街での日常(現実)」にあたると思うんです。また、秋子さんの事故については、名雪シナリオでは祐一も「奇跡」を起こせないといっているし、秋子さんは「奇跡」で助かった訳ではなく、「奇跡的」に助かっただけ(それこそ"Kanon"を壊さないためにとかそんなかんじでw)なのだと思います(シナリオの最後に現実全てが奇跡のようなものとほのめかしているのでフィクション性の高さ度合いをもとにした話ですが)
一方栞については作中でしきりに物語だったらどうなるかということを言っていて、そのとおりに事が運び、実際「物語の中でくらい見ていたいハッピーエンド」になっている事から一番「物語」に近いのではないかと。
あゆについては・・・よくわかりません、ごめんなさい。
とどうでもいいようなことをぐだぐだとしかもじゃあ最初から詳しく書けよみたいな事を書いてしまってすみません。
kou | 2007年03月07日(水) 12:15 | URL | コメント編集
こんばんは。yukitaです。
コメントの返事、有り難うございます。
>エヴァすぎて吹いた(笑)
エヴァだと、劇場版が・・・。ファーストガンダム?(と、自分にツッコミ。)
>少し過度にも思える期待を。
僕もメッチャ、期待しています。(関西人です。)もし凄いモノを見せてくれたら、全キャラ使って、叫ぼうかなぁ?
>もう二押しくらいなんか欲しいです。
せめて、半押し位なら。
17話で祐一が落ち込んでいる時、原作なら、名雪が祐一を支えるのに変だな?と思いました。そこで原作と違い、あゆには、別の役割があるのでは?と考えました。
原作との最大の違いは、全ヒロインと知り合う事です。その事に拠って、各ヒロインの性格などを、知る事が出来る。
人間は、毎日寝てる時に夢を見ている、と言います。
『夢の住人』の、あゆなら、その『夢』を通じて、皆の悩みを知ることが出来たのではないでしょうか?(あれ、二歩さがった?)
あゆと祐一の『別れ』についてですが、二人とも、既に気付いていると思います。だから、あゆは地面を掘り返し、人形に『ずっと、ここに居たい』と願おうとしたのだと思います。でも人形は見つからず、あゆは消えてしまった。
祐一は北川に、「北川、あゆは・・」と言っています。記憶を取り戻した祐一は、あゆが『ここ』に居ない、と気付いていると思います。
次回は、『そのシーン』と名雪の『あのシーン』でしょう。でもその前に、舞が登場すると思います。そして原作の栞の『あの台詞』を言うと思います。(今作の舞には、『助言者』の役目もあるので。)
栞とあゆの『あのシーン』は、最終回まで取っておくと思います。
今作での栞には、『ドラマ好き』の設定がありません。それは『現実』を生きる少女として、描いてるのだと思います。
原作で栞が登場するのは、あゆ・栞編だけです。でも今作では、全編に登場しました。もしかしたら、祐一と現実を生きる為かも知れません。
原作のあゆ・名雪・栞シナリオで、三人が一同に会するのも、EDで幸せな結末が三人に訪れる『可能性』があるのも、栞シナリオだけです。
それが『栞ED?』と言った、最大の理由です。
そして栞EDを起点にあゆ・名雪EDを上手く融合させると、上手くいくと思います。
栞EDの名雪は、元気です。(名雪ED?と言う位に)そして、OPで描かれている、祐一と栞が噴水に居るシーンで、祐一の似顔絵が飛ばされる。それを『あのシーンの』あゆが、受け取って「これ、祐一君?栞ちゃん、絵が上手だね!」と、栞に手渡す。
そして三人で再会を喜ぶ・・・。
何か、長くなり過ぎた上に夢想まで入ってしまいました。済みません。
(なしおさん、いつも有り難うございます。本当に済みません。)
コメントの返事、有り難うございます。
>エヴァすぎて吹いた(笑)
エヴァだと、劇場版が・・・。ファーストガンダム?(と、自分にツッコミ。)
>少し過度にも思える期待を。
僕もメッチャ、期待しています。(関西人です。)もし凄いモノを見せてくれたら、全キャラ使って、叫ぼうかなぁ?
>もう二押しくらいなんか欲しいです。
せめて、半押し位なら。
17話で祐一が落ち込んでいる時、原作なら、名雪が祐一を支えるのに変だな?と思いました。そこで原作と違い、あゆには、別の役割があるのでは?と考えました。
原作との最大の違いは、全ヒロインと知り合う事です。その事に拠って、各ヒロインの性格などを、知る事が出来る。
人間は、毎日寝てる時に夢を見ている、と言います。
『夢の住人』の、あゆなら、その『夢』を通じて、皆の悩みを知ることが出来たのではないでしょうか?(あれ、二歩さがった?)
あゆと祐一の『別れ』についてですが、二人とも、既に気付いていると思います。だから、あゆは地面を掘り返し、人形に『ずっと、ここに居たい』と願おうとしたのだと思います。でも人形は見つからず、あゆは消えてしまった。
祐一は北川に、「北川、あゆは・・」と言っています。記憶を取り戻した祐一は、あゆが『ここ』に居ない、と気付いていると思います。
次回は、『そのシーン』と名雪の『あのシーン』でしょう。でもその前に、舞が登場すると思います。そして原作の栞の『あの台詞』を言うと思います。(今作の舞には、『助言者』の役目もあるので。)
栞とあゆの『あのシーン』は、最終回まで取っておくと思います。
今作での栞には、『ドラマ好き』の設定がありません。それは『現実』を生きる少女として、描いてるのだと思います。
原作で栞が登場するのは、あゆ・栞編だけです。でも今作では、全編に登場しました。もしかしたら、祐一と現実を生きる為かも知れません。
原作のあゆ・名雪・栞シナリオで、三人が一同に会するのも、EDで幸せな結末が三人に訪れる『可能性』があるのも、栞シナリオだけです。
それが『栞ED?』と言った、最大の理由です。
そして栞EDを起点にあゆ・名雪EDを上手く融合させると、上手くいくと思います。
栞EDの名雪は、元気です。(名雪ED?と言う位に)そして、OPで描かれている、祐一と栞が噴水に居るシーンで、祐一の似顔絵が飛ばされる。それを『あのシーンの』あゆが、受け取って「これ、祐一君?栞ちゃん、絵が上手だね!」と、栞に手渡す。
そして三人で再会を喜ぶ・・・。
何か、長くなり過ぎた上に夢想まで入ってしまいました。済みません。
(なしおさん、いつも有り難うございます。本当に済みません。)
>kouさん
いや申し訳ない。よく名雪を現実とか例えてる言説を見かけるのですが、さっぱり中身が書いてなくて印象論だけで語っているような場合が多かったので、少し疑心暗鬼になっていました。
えっとつまり、めっちゃkouさんに対して失礼働いてたので、正直キレてもいいと思います。本当ゴメンなさい。
で、名雪についてはなるほどです。面白い。検分してみる価値アリですね。まともなレスは、名雪シナリオを再プレイしてからお返し致します。
栞に関しては分かるけどちょっと微妙というか、……う~んこれも後々レスします。
ということで、申し訳なかったです。せめてもの償いというか、その辺マジに検分してみます(でも僕に解けるか…?)。
いや申し訳ない。よく名雪を現実とか例えてる言説を見かけるのですが、さっぱり中身が書いてなくて印象論だけで語っているような場合が多かったので、少し疑心暗鬼になっていました。
えっとつまり、めっちゃkouさんに対して失礼働いてたので、正直キレてもいいと思います。本当ゴメンなさい。
で、名雪についてはなるほどです。面白い。検分してみる価値アリですね。まともなレスは、名雪シナリオを再プレイしてからお返し致します。
栞に関しては分かるけどちょっと微妙というか、……う~んこれも後々レスします。
ということで、申し訳なかったです。せめてもの償いというか、その辺マジに検分してみます(でも僕に解けるか…?)。
>yukitaさん
毎度どうもです。いや、素晴らしい夢想です。あなたの夢想には力がある!(なんだこの胡散臭いキャッチは)
>17話で祐一が落ち込んでいる時、原作なら、名雪が祐一を支えるのに変だな?
うわぁ、そうだった!確かにそんなことあった、けれど流していた!
ぎゃー、二押しどころか三押しくらいされました!
曲解すれば、みんなの悩みを解く(願いを叶える)天使的存在、そしてだからこそ奇跡を起こしうる、そんな存在があゆちゃんだー!という事ですね?うはー、四押しされた(←増えた)。それがメインかどうかは分からないですが、少なくともそういう側面はあるっぽいですね。
>今作での栞には、『ドラマ好き』の設定がありません。それは『現実』を生きる少女として、
うわー、気付かなかった!ドラマ好き設定が無いのは気付いていたけど、その意味までは考えてなかった。ありがたやありがたや。
この辺、色んな方面に色んな意味を持ってくるかも知れませんね。
>そして栞EDを起点にあゆ・名雪EDを上手く融合させると、上手くいくと思います。
栞EDの名雪は、元気です。(名雪ED?と言う位に)そして、OPで描かれている、祐一と栞が噴水に居るシーンで、祐一の似顔絵が飛ばされる。それを『あのシーンの』あゆが、受け取って「これ、祐一君?栞ちゃん、絵が上手だね!」と、栞に手渡す。
そして三人で再会を喜ぶ・・・。
いやいや、コッチのインスピレーション刺激されまくる素晴らしい夢想です(笑)。
もしかすると『全員END』(どうにかして)かもしれないですね。yukitaさんが先週仰っていた『食卓』、あそこに全員座ってわーいみたいな。
祐一のあゆに対する恋愛感情も、「無かったこと」にしようと思えば出来る作りなので(健忘から生じるあゆに対する言い知れぬ感情・不安を、『恋』を持って無理矢理に封じ込めたみたいな)、それを無かったことにしちゃえばもっと完全な……ってそりゃ無理かw
……しかし本当、まだまだ全然kanonの事を知らないのですよね、僕は。
かってkeyのシナリオライターである涼元氏が
「言ってみると『Kanon』って、世界観に穴が開いてるじゃないですか。どうやっても、どうしようもない穴が開いていると。でも、その穴があまりにも美しい穴なんですよ。
それで愕然としたんです。
この穴は偶然に開いたものなのか、それとも人為的に開けたものなのか見分けがつかない。
もし人為的に開けたのなら、この人たちは天才集団だと思ったわけです」
と仰られたそうなのですが、
(http://rosebud.g.hatena.ne.jp/milkyhorse/20070116/1168947865 ここ参照)
その『穴』が何なのかさえ分かっていない。『穴』なんて全く見つからない。もしくはアレもコレも全部美しい穴に見える。
はぁー、kanonに打ちのめされる自分の無力さ・無知さに流石に嫌気がさしてきた(笑)
毎度どうもです。いや、素晴らしい夢想です。あなたの夢想には力がある!(なんだこの胡散臭いキャッチは)
>17話で祐一が落ち込んでいる時、原作なら、名雪が祐一を支えるのに変だな?
うわぁ、そうだった!確かにそんなことあった、けれど流していた!
ぎゃー、二押しどころか三押しくらいされました!
曲解すれば、みんなの悩みを解く(願いを叶える)天使的存在、そしてだからこそ奇跡を起こしうる、そんな存在があゆちゃんだー!という事ですね?うはー、四押しされた(←増えた)。それがメインかどうかは分からないですが、少なくともそういう側面はあるっぽいですね。
>今作での栞には、『ドラマ好き』の設定がありません。それは『現実』を生きる少女として、
うわー、気付かなかった!ドラマ好き設定が無いのは気付いていたけど、その意味までは考えてなかった。ありがたやありがたや。
この辺、色んな方面に色んな意味を持ってくるかも知れませんね。
>そして栞EDを起点にあゆ・名雪EDを上手く融合させると、上手くいくと思います。
栞EDの名雪は、元気です。(名雪ED?と言う位に)そして、OPで描かれている、祐一と栞が噴水に居るシーンで、祐一の似顔絵が飛ばされる。それを『あのシーンの』あゆが、受け取って「これ、祐一君?栞ちゃん、絵が上手だね!」と、栞に手渡す。
そして三人で再会を喜ぶ・・・。
いやいや、コッチのインスピレーション刺激されまくる素晴らしい夢想です(笑)。
もしかすると『全員END』(どうにかして)かもしれないですね。yukitaさんが先週仰っていた『食卓』、あそこに全員座ってわーいみたいな。
祐一のあゆに対する恋愛感情も、「無かったこと」にしようと思えば出来る作りなので(健忘から生じるあゆに対する言い知れぬ感情・不安を、『恋』を持って無理矢理に封じ込めたみたいな)、それを無かったことにしちゃえばもっと完全な……ってそりゃ無理かw
……しかし本当、まだまだ全然kanonの事を知らないのですよね、僕は。
かってkeyのシナリオライターである涼元氏が
「言ってみると『Kanon』って、世界観に穴が開いてるじゃないですか。どうやっても、どうしようもない穴が開いていると。でも、その穴があまりにも美しい穴なんですよ。
それで愕然としたんです。
この穴は偶然に開いたものなのか、それとも人為的に開けたものなのか見分けがつかない。
もし人為的に開けたのなら、この人たちは天才集団だと思ったわけです」
と仰られたそうなのですが、
(http://rosebud.g.hatena.ne.jp/milkyhorse/20070116/1168947865 ここ参照)
その『穴』が何なのかさえ分かっていない。『穴』なんて全く見つからない。もしくはアレもコレも全部美しい穴に見える。
はぁー、kanonに打ちのめされる自分の無力さ・無知さに流石に嫌気がさしてきた(笑)
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「Kanon」22話 追想の交響楽(シンフォニー) ~symphony~
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2007/03/07(水) 14:32:29 | Blue Sky TriΔngle
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2007/03/07(水) 22:35:04 | 「きつねのるーと」と「じーん・だいばー」のお部屋
【感想】『Kanon』第22話「追想の交響楽 ~symphony~」
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2007/03/09(金) 00:58:25 | 『遍在 -omnipresence-』
TVアニメ Kanon 第22話 追想の交響楽 ~symphony~ 感想
「TVアニメ Kanon」名雪は自分のせいで秋子さんが事故に遭ったと思っていましたね。"彼女の好きなイチゴのケーキ""雪のうさぎ"それを構成する色は、普通に考えると赤と白の二色。第21話でも、あの雪うさ
2007/03/09(金) 23:50:40 | 空色なおれの日々
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