2007'03.10 (Sat) 03:40
あらゆる困難が『奇跡』で解決するkanonの世界、
人々は病気や事故や怪我やトラウマで苦しんでいた。
奇跡が起きないのでどうしようもできないこの京アニkanonで、数多の困難に立ち向かう
神妙不可侵にて、胡散臭い男が一人。
その名は相沢祐一―――そう、人は彼を、主人公と呼ぶ。

♪悪霊退散悪霊退散、トラウマお悩み困った時は

どーまんせーまんドーマンセーマン、すぐに呼びましょう祐一クン。レッツゴー!
なんかもう、何処をどう歩いて家に帰ってきたのか分からない日の気分です。(挨拶)(上のはそんな気分の表れです)(下のも)
【本編】
アニメ(ある意味)オリジナル新キャラ!

朝比奈さん登場! ではなく

真・真琴登場!



(映像の素晴らしさに壊れた!)



(あゆのが出番多いのに名雪回だったのかよ!)


(期待できすぎて死んだ)
【結論】

もうわかんねえ。
凄い。全然分かんない。分かんないけど、なんかめちゃくちゃそれで十分。それでいい。そしてkanonを理解しようと頑張ってもどうしても理解出来ないので、そのうち俺は、考えるのをやめた。
論より証拠!何処何処がこうだから凄いとか、○○が△△だから素晴らしいとかじゃなくて、とにかく凄い、素晴らしい。決して理論を寄せ付けぬ!そんなモノはいらん!この京アニkanonの存在そのものが恐ろしい、素晴らしい。この素晴らしさに根拠などいらない!そんなモノを考える行為は恐らく時間の無駄、只々憚られる行為の如くに然り!すなわち、この作品の存在そのものが、『奇跡』であるという事ッ!!
だからもう、こんな凄いのにどうこう考えるの事は今はいらないと思った。
だからもう、例えば原作kanonで根拠不明、理解の埒外である奇跡をくらって只々驚愕しながら喜んでいる時と同じ様に、「なんだかわからんがとにかく良し!」な気分に、なってしまったのだ……。
(今回、読み返したらえらい酷い内容だなぁと思うようなモノだったので、え~とすみません)
【想いは、どこまで届くことを許されているのだろうか】

あまりにもこの「沢渡真琴さん」に真琴を想起させる描写が多くて素晴らしかった。
優しく暖かい沢渡真琴さん。ああ、恐らく彼女をイメージして生まれたであろう真琴も、本当は、これほどまでに暖かくて優しい人物だったのだろうか。
そしてこれは同時に、二度と真琴が登場しないのではないか、という疑念を抱かずにはいられないものでもあります。だって、あまりにも優しくて暖かかったから。そこに真琴を幻視するだけで、それが全てのように思えてしまう。

「俺は、昔のままです。あの頃と何にも変わっていない
誰かが苦しんでても、何もしてやれない
何の力も無くて、ただ、黙って見てるだけで・・・
名雪にも、何もしてやれなかった
栞も、舞も、真琴も、みんな俺を待ってたのに
俺一人、何もかも忘れて・・・・・・それに、あゆも
あゆにも何もしてやれなかった。何も気付いてやれなかった
約束してたのに……その事さえ忘れて……
同じ事を繰り返してるだけだ…俺は……」
祐一について。
原作の祐一が何者か、というのは分かる。プレイヤーである僕自身だ。
しかし僕イコールではない。祐一は祐一として言葉を発し、行動し、選択をする。祐一としての過去を持ち、祐一としての現在を持ち、祐一としての未来も、たぶん持っている。
だから分かる。
もちろん、真には分からない。けれどそんな事は些細な問題でしかない。いや、というよりも、真に分かることなんて不可能だ。だからおぼろげに分かっていれば十分だ。そしてなにより。僕イコールではないということを、本当に分かっていればそれでいいんだ。それで十分、祐一を「知ってる」と名乗ることができる。
ではこのアニメの祐一は何者なのか。
プレイヤー(この場合視聴者)である僕自身でないのは分かる。仮にも仮想体験であるゲームとは、その世界への没入度が断然に違うからだ。自信だと錯覚することすらない。
では彼は、どの程度僕とイコールで繋がるのだろうか?
彼は彼としての言葉を発し、行動し、選択をする。そこにはゲームと違って、僕のような視聴者が介入する余地はない。どんな些末な選択肢でも、少なくとも「自分で選んだ」というイコール性を持つゲームと、それをまったく持っていないアニメとは断然に違ってきて当然だ。
彼と僕とはゲーム版と比較にならないくらいに真に、イコールでは結ばれない。
彼は自分の過去も現在も未来も存分に備え、そしてそれらは僕の知らない祐一である。つまり彼は、僕の知ってるあのゲームの「相沢祐一」ではないのだ。
けれど。なのに。
それなのに。どうしてこんなに彼を、あの僕の知ってる「相沢祐一」と同じだと錯覚してしまうのか。どうしてここまで、彼の、このアニメの相沢祐一に、違和感を覚えるのか。
僕とイコールで結ばれないのも分かっている。かの相沢祐一とこの相沢祐一がイコールでないのも分かっている。それならば。何故、この相沢祐一は、こんなにもキャラクターとして成立していないのか?
真琴・舞・栞・名雪・あゆ。誰にでも優しく接する祐一。誰とでもフラグを立てまくる祐一。昨日の悲しみも、一昨日の絶望感も、こういった時でもないと殆どおくびに出すことのない祐一。
彼は一体何者なんだろう?この後悔にくれる祐一。救ってやれなかった、助けてやれなかった、何もしてやれなかったと、後悔にくれる祐一。
けれどなぜだろう、こっちにはこの祐一の心境が全然伝わってこない。
言葉があるから。俯いているから。涙流しているから。それでようやく、祐一が後悔していることが分かる。これらの出来事は、視聴者も見てきた筈なのに、全然祐一との共体験に思えない。
ああ、そうか。ようやく分かった。あのゲームの相沢祐一と同じ部分は、彼の「体験」だけで、中身はあの相沢祐一とは全く別物だったんだ。だから僕は、多少なりとも困惑してたんだ。
これでようやく、僕はスタートラインに立てた気がした。
ここからが本番。
この祐一のキャラクター。性格。
出会う人、親しくなる人全てに優しく接し、全てを救おうとする彼。
こんなものは、「相沢祐一」の中にはさすがに存在していなかったから分からなかったけど、彼が「相沢祐一」では無いのであれば、話はべつだ(まだまだ謎は残るけど)。
彼は、足掻いていたのだ。もがいていたのだ。かって自分が失った大きなモノ。記憶はなくても、事実はある。覚えて無くても、存在はある。彼は失ったモノを二度と失わない為に、かっての失ったモノを無駄にしない為に、あの無力感を払拭する為に、こうやって必死に足掻いていたのだ。
そうか、だから僕は、彼のあの態度が「必死である」と理解できなかったのか。
しかし、その彼の必死の足掻きも、ただの徒労に終わった。
名雪も、舞も、栞も、真琴も。そしてあゆも。
彼女達に、何もしてやれなかった。何の力も無かった。自分一人、過去のことを忘れて、約束すら忘れて。
無力だった、あの頃の子供のまま。
誰も救えずに、只々、同じ事をあの7年前から、繰り返しているだけ……。

「昔もこんな風に自分の事を、色々と聞かせてくれたわよね
知ってる?北国の木はね、年輪がはっきりしてるんですって
冬の寒さをジッと耐えて、そうして年輪が増えていくの
そうやって育った木は、強く丈夫に成長するわ
人間も同じ
悩んだり苦しんだりして、強く優しくなれるんじゃない?
もし、誰かと約束をしたならば、ちゃんと守ってあげなくちゃね」
けれど、祐一も。
幾度も別れを繰り返し。
幾度も無力を味わって。
幾度も後悔を感じても。
それは決して無駄じゃない。無力を味わって、強くなれる。後悔を感じて、優しくなれる。何度も、何度も。苦しみを味わえば味わうほど、強くなれる。この祐一が7年前から繰り返してきた事は無駄じゃない。また同じ様に苦しんでいる人がいた時に、今度はちゃんと救ってやれるようになるだけの強さを、優しさを手に入れられる、筈だから。
そして今の、今彼が直面している別れ、苦しんでいる人。あゆ。
彼女に自分の出来ることをするため、祐一はあの「学校」へと駆け出します。7年前の約束を果たす為にも。だって覚えてなければ、約束は果せないのだから。レッツゴー祐一!(あ、ネタが生きた!)
夢。夢を見ている。
また同じ毎日の繰り返し。
終わりのない朝を臨んで、そして、また同じ夢の中に還ってくる。
赤くて、白くて、冷たくて、暖かくて、悲しくて。
そして、また同じ毎日の繰り返し。
ずっと前から、何年も前から気付いてた。
終わらない夢を漂いながら、来るはずのない、夜明けを望みながら。
ボクは、ずっと同じ場所にいる。
声の消えた雑踏。顔のない人が目の前を行き交う。
誰も、たった一人でベンチに座っている子供の姿なんか、気にも止めない。
人を待っている。
来ないとわかっている人、もう会えないとわかっている人を。
何年も、何年も。
ボクはずっと待っていた。
繰り返される夢の中で、来るはずのない夜明け。
だけど……

世界は美しい。
不意に、そんな陳腐な言葉が脳内を過ぎった。
冬の透明感の中に、少しだけ春の暖かさを覗かせる青い空。
雪と氷と空の色に包まれて、何処までも果てしない覆い尽くす眠れる森。
玲瓏なりえる差し込む西日。
まるで紅葉が蘇ったかと錯覚させるほどの、美しく紅く燃える森。
たとえここで、七年の歳月を越えた約束を果そうとも、そしてそれが悲しい別れになろうとも、世界はただただ果てることなく美しい。そんなことを、少し想起させられた。

雪を掻き分け、辿り着いたこの場所。
そうか、祐一の道程はこのようなモノだったのか。
雪の街。そこで出会う女の子。見えない自分の記憶。無力感。
暗中模索、五里霧中。
必死に足掻いて、もがいて、雪を掻き分けて。
そして、彼は7年前の約束を果しに、この場所にやって来た。

あゆ。約束。願い事。
この時吹いた風は、冬のそれとは違って、少し暖かいものに感じた。冬の終わりが近いからだろうか。それとも、世界までもが二人の再会と別れに優しさを持ってくれたのだろうか。
あの時交わした約束を、あの時と同じ場所で果しに来た。
祐一にとっても、あゆにとっても。最後の時間。
この別れも、祐一にとって無駄にはならない。彼はそうは思わないかも知れないが、何もしてやれなかった訳ではない。少なくとも、あの時交わした約束は果せたはずだ。
この別れも、いつしか彼の強さと優しさとなって、帰ってくるはず。何度も別れを繰り返して、少しづつ彼自身が、豊かになっていく。いつの日か、「何もしてやれなかった」なんて思わなくて済むだけの、強さと優しさをきっと得ることが出来るから。
そしてこの別れもまた、思い出に還る。

喪失を目の前にした者同士の邂逅。
香里は語ります。「相沢君や、貴方達がいてくれなかったら、今でもそのままだったと思う」。
人は支えあって生きている。この香里だって、祐一達がいてくれたお陰で、ここにいることが出来る。
「しっかりしなきゃね」

出会いと別れを繰り返して、人は強くなることが出来る。優しくなることが出来る。それはまるで、辛い冬に耐え抜いてきた木がくっきりとした年輪を残すかのように。
あの時落とされた雪うさぎ。そのまま地面に吸い込まれ、街の雑踏に消えていった雪うさぎ。名雪からのプレゼント。
そして今、床に落ちている雪うさぎの目。このまま放置され、いつの間にか何処かヘ消え去りそうな雪うさぎの目。祐一からのプレゼント。
このままでは、7年前と同じになってしまう。只々、繰り返すだけになってしまう。
7年前と今では、名雪と祐一は全く違う。
だって今は、彼女達は、
「私たちは家族なんだから、支えあっていかないとね」
家族なんだから。

『支えあっていく』。
名雪は、祐一が辛いのを知っている。祐一は、名雪が辛いのを知っている。だから彼女はここに来た。そしてお互い、今まで無自覚に支えられていたことを詫びた。
自覚のある『支え』は決して依存でも馴れ合いでもない。人は一人では生きていけないのだ。例えば、自分に近しいあの人や、その人が消えても、自分は生きていけるだろう。だがしかし、自分に近しい人みんなが消えてしまったらどうだろう?それで生きていけるのだろうか?もっと俯瞰的に見れば、電気を作ってくれる人や、野菜を収穫したり食肉を生産してくれる人はどうだろう。そんな知りもしない人達でも、例えばその全てが消えてしまったら、自分は生きていけるのだろうか? たった一人の人に依存していないと自覚してても、実は大多数の人に少しづつ支えられて、人は生きているのだ。
人は、それぞれが支えあって生きているというのは当然なのだ。そして自覚があり支えることが、本当の『支える』ということ。それをお互いに行なうことが、支え合うということ。
その上で。自分が本当に支えることが出来る人。自分を本当に支えてくれる人が近くにいること。これ程幸せなことはないのではないだろうか。
だから彼女達は「おあいこ」なのだ。
支えあうこと。それがどんなことなのか、自覚していなかったこと。それを自覚したこと。それが同時だったこと。―――だから、「おあいこ」。彼女達は、この二人の『家族』は、ここから始まるのだ。

「祐一、私、強くなるよ」
けれども、悲しい顔をする祐一。
そしてそれを、抱きしめる名雪。

「頑張ろう、祐一。約束だよ」
ここから彼女達の新しい物語が始まる。その約束。
お互いに支えあって、困難を乗り越えて、強くなっていくのだ。家族だから。

「ふぁいと、だよ。祐一」
「ああ……ふぁいと、だ」
想いは届いた。名雪の「ふぁいと」に始めてそれを返した祐一。一人で「ふぁいと」と言っていた昨日までと違って。これからは二人で一緒に支えあって頑張って、二人で「ふぁいと」していくんだ。
夢。
夢が終わる日。
雪が、春の日溜りの中で溶けてなくなるように。
面影が、人の成長と共に、影を潜めるように。
思い出が、永遠の時の中で、霞んで消えるように。
今、長かった夢が、終わりを告げる。
最後に一つだけの、願いを叶えて。
たった一つの、願い。
……ボクの、願いは。

想いは、何処まで届くのだろうか。
僕がこの作品から感じえたモノは、その半分も自分の認識に届く事が出来なかった。それでも書きたいと、思ってしまった。
だから書く。文章メチャクチャでも、言ってること恥ずかしくても関係ない。自分が感じえたことを、半分も理解出来てなくても気にしない。とにかく書く。見てくれ、半分も表現できてないけれど、これが俺の見てきたkanonの世界だ、と訴えたい。
そしてきっと、この書き連ねた想いも半分も届かない。けれど今はこれが限界。この程度が限界。自分の知の無さと己に対する不実を恥じることはある。でも作品に対しては真摯でいられたと思う、思いたい。
要するにアレっすよ、今回ヤベーの喰らったんで、なんかもうキちゃったんですよ。これを衆目に晒すというのか、って文章だけど、これなら多分作品に対しては不実ではないと思うから(てゆうかこんな手段しか思い付かなかったから)、もうそれだけでいいやとか思っちゃったんですよ。
WEB拍手を送る
次回、最終回。

春・夏・秋・冬。
それぞれの季節、その世界の営みを映していく次回予告。
夢の中で幾度も繰り返されてきたこの『カノン』。その夢にもいつしか果てはくる。けれどきっと、それで終わりじゃなくて、夢のあとにも『カノン』は続いていく。
人々は病気や事故や怪我やトラウマで苦しんでいた。
奇跡が起きないのでどうしようもできないこの京アニkanonで、数多の困難に立ち向かう
神妙不可侵にて、胡散臭い男が一人。
その名は相沢祐一―――そう、人は彼を、主人公と呼ぶ。

♪悪霊退散悪霊退散、トラウマお悩み困った時は

どーまんせーまんドーマンセーマン、すぐに呼びましょう祐一クン。レッツゴー!
なんかもう、何処をどう歩いて家に帰ってきたのか分からない日の気分です。(挨拶)(上のはそんな気分の表れです)(下のも)
【本編】
アニメ(ある意味)オリジナル新キャラ!


真・真琴登場!



(映像の素晴らしさに壊れた!)



(あゆのが出番多いのに名雪回だったのかよ!)


(期待できすぎて死んだ)
【結論】

【More】
もうわかんねえ。
凄い。全然分かんない。分かんないけど、なんかめちゃくちゃそれで十分。それでいい。そしてkanonを理解しようと頑張ってもどうしても理解出来ないので、そのうち俺は、考えるのをやめた。
論より証拠!何処何処がこうだから凄いとか、○○が△△だから素晴らしいとかじゃなくて、とにかく凄い、素晴らしい。決して理論を寄せ付けぬ!そんなモノはいらん!この京アニkanonの存在そのものが恐ろしい、素晴らしい。この素晴らしさに根拠などいらない!そんなモノを考える行為は恐らく時間の無駄、只々憚られる行為の如くに然り!すなわち、この作品の存在そのものが、『奇跡』であるという事ッ!!
だからもう、こんな凄いのにどうこう考えるの事は今はいらないと思った。
だからもう、例えば原作kanonで根拠不明、理解の埒外である奇跡をくらって只々驚愕しながら喜んでいる時と同じ様に、「なんだかわからんがとにかく良し!」な気分に、なってしまったのだ……。
(今回、読み返したらえらい酷い内容だなぁと思うようなモノだったので、え~とすみません)
【想いは、どこまで届くことを許されているのだろうか】

あまりにもこの「沢渡真琴さん」に真琴を想起させる描写が多くて素晴らしかった。
優しく暖かい沢渡真琴さん。ああ、恐らく彼女をイメージして生まれたであろう真琴も、本当は、これほどまでに暖かくて優しい人物だったのだろうか。
そしてこれは同時に、二度と真琴が登場しないのではないか、という疑念を抱かずにはいられないものでもあります。だって、あまりにも優しくて暖かかったから。そこに真琴を幻視するだけで、それが全てのように思えてしまう。

「俺は、昔のままです。あの頃と何にも変わっていない
誰かが苦しんでても、何もしてやれない
何の力も無くて、ただ、黙って見てるだけで・・・
名雪にも、何もしてやれなかった
栞も、舞も、真琴も、みんな俺を待ってたのに
俺一人、何もかも忘れて・・・・・・それに、あゆも
あゆにも何もしてやれなかった。何も気付いてやれなかった
約束してたのに……その事さえ忘れて……
同じ事を繰り返してるだけだ…俺は……」
祐一について。
原作の祐一が何者か、というのは分かる。プレイヤーである僕自身だ。
しかし僕イコールではない。祐一は祐一として言葉を発し、行動し、選択をする。祐一としての過去を持ち、祐一としての現在を持ち、祐一としての未来も、たぶん持っている。
だから分かる。
もちろん、真には分からない。けれどそんな事は些細な問題でしかない。いや、というよりも、真に分かることなんて不可能だ。だからおぼろげに分かっていれば十分だ。そしてなにより。僕イコールではないということを、本当に分かっていればそれでいいんだ。それで十分、祐一を「知ってる」と名乗ることができる。
ではこのアニメの祐一は何者なのか。
プレイヤー(この場合視聴者)である僕自身でないのは分かる。仮にも仮想体験であるゲームとは、その世界への没入度が断然に違うからだ。自信だと錯覚することすらない。
では彼は、どの程度僕とイコールで繋がるのだろうか?
彼は彼としての言葉を発し、行動し、選択をする。そこにはゲームと違って、僕のような視聴者が介入する余地はない。どんな些末な選択肢でも、少なくとも「自分で選んだ」というイコール性を持つゲームと、それをまったく持っていないアニメとは断然に違ってきて当然だ。
彼と僕とはゲーム版と比較にならないくらいに真に、イコールでは結ばれない。
彼は自分の過去も現在も未来も存分に備え、そしてそれらは僕の知らない祐一である。つまり彼は、僕の知ってるあのゲームの「相沢祐一」ではないのだ。
けれど。なのに。
それなのに。どうしてこんなに彼を、あの僕の知ってる「相沢祐一」と同じだと錯覚してしまうのか。どうしてここまで、彼の、このアニメの相沢祐一に、違和感を覚えるのか。
僕とイコールで結ばれないのも分かっている。かの相沢祐一とこの相沢祐一がイコールでないのも分かっている。それならば。何故、この相沢祐一は、こんなにもキャラクターとして成立していないのか?
真琴・舞・栞・名雪・あゆ。誰にでも優しく接する祐一。誰とでもフラグを立てまくる祐一。昨日の悲しみも、一昨日の絶望感も、こういった時でもないと殆どおくびに出すことのない祐一。
彼は一体何者なんだろう?この後悔にくれる祐一。救ってやれなかった、助けてやれなかった、何もしてやれなかったと、後悔にくれる祐一。
けれどなぜだろう、こっちにはこの祐一の心境が全然伝わってこない。
言葉があるから。俯いているから。涙流しているから。それでようやく、祐一が後悔していることが分かる。これらの出来事は、視聴者も見てきた筈なのに、全然祐一との共体験に思えない。
ああ、そうか。ようやく分かった。あのゲームの相沢祐一と同じ部分は、彼の「体験」だけで、中身はあの相沢祐一とは全く別物だったんだ。だから僕は、多少なりとも困惑してたんだ。
これでようやく、僕はスタートラインに立てた気がした。
ここからが本番。
この祐一のキャラクター。性格。
出会う人、親しくなる人全てに優しく接し、全てを救おうとする彼。
こんなものは、「相沢祐一」の中にはさすがに存在していなかったから分からなかったけど、彼が「相沢祐一」では無いのであれば、話はべつだ(まだまだ謎は残るけど)。
彼は、足掻いていたのだ。もがいていたのだ。かって自分が失った大きなモノ。記憶はなくても、事実はある。覚えて無くても、存在はある。彼は失ったモノを二度と失わない為に、かっての失ったモノを無駄にしない為に、あの無力感を払拭する為に、こうやって必死に足掻いていたのだ。
そうか、だから僕は、彼のあの態度が「必死である」と理解できなかったのか。
しかし、その彼の必死の足掻きも、ただの徒労に終わった。
名雪も、舞も、栞も、真琴も。そしてあゆも。
彼女達に、何もしてやれなかった。何の力も無かった。自分一人、過去のことを忘れて、約束すら忘れて。
無力だった、あの頃の子供のまま。
誰も救えずに、只々、同じ事をあの7年前から、繰り返しているだけ……。

「昔もこんな風に自分の事を、色々と聞かせてくれたわよね
知ってる?北国の木はね、年輪がはっきりしてるんですって
冬の寒さをジッと耐えて、そうして年輪が増えていくの
そうやって育った木は、強く丈夫に成長するわ
人間も同じ
悩んだり苦しんだりして、強く優しくなれるんじゃない?
もし、誰かと約束をしたならば、ちゃんと守ってあげなくちゃね」
けれど、祐一も。
幾度も別れを繰り返し。
幾度も無力を味わって。
幾度も後悔を感じても。
それは決して無駄じゃない。無力を味わって、強くなれる。後悔を感じて、優しくなれる。何度も、何度も。苦しみを味わえば味わうほど、強くなれる。この祐一が7年前から繰り返してきた事は無駄じゃない。また同じ様に苦しんでいる人がいた時に、今度はちゃんと救ってやれるようになるだけの強さを、優しさを手に入れられる、筈だから。
そして今の、今彼が直面している別れ、苦しんでいる人。あゆ。
彼女に自分の出来ることをするため、祐一はあの「学校」へと駆け出します。7年前の約束を果たす為にも。だって覚えてなければ、約束は果せないのだから。レッツゴー祐一!(あ、ネタが生きた!)
夢。夢を見ている。
また同じ毎日の繰り返し。
終わりのない朝を臨んで、そして、また同じ夢の中に還ってくる。
赤くて、白くて、冷たくて、暖かくて、悲しくて。
そして、また同じ毎日の繰り返し。
ずっと前から、何年も前から気付いてた。
終わらない夢を漂いながら、来るはずのない、夜明けを望みながら。
ボクは、ずっと同じ場所にいる。
声の消えた雑踏。顔のない人が目の前を行き交う。
誰も、たった一人でベンチに座っている子供の姿なんか、気にも止めない。
人を待っている。
来ないとわかっている人、もう会えないとわかっている人を。
何年も、何年も。
ボクはずっと待っていた。
繰り返される夢の中で、来るはずのない夜明け。
だけど……

世界は美しい。
不意に、そんな陳腐な言葉が脳内を過ぎった。
冬の透明感の中に、少しだけ春の暖かさを覗かせる青い空。
雪と氷と空の色に包まれて、何処までも果てしない覆い尽くす眠れる森。
玲瓏なりえる差し込む西日。
まるで紅葉が蘇ったかと錯覚させるほどの、美しく紅く燃える森。
たとえここで、七年の歳月を越えた約束を果そうとも、そしてそれが悲しい別れになろうとも、世界はただただ果てることなく美しい。そんなことを、少し想起させられた。

雪を掻き分け、辿り着いたこの場所。
そうか、祐一の道程はこのようなモノだったのか。
雪の街。そこで出会う女の子。見えない自分の記憶。無力感。
暗中模索、五里霧中。
必死に足掻いて、もがいて、雪を掻き分けて。
そして、彼は7年前の約束を果しに、この場所にやって来た。

あゆ。約束。願い事。
この時吹いた風は、冬のそれとは違って、少し暖かいものに感じた。冬の終わりが近いからだろうか。それとも、世界までもが二人の再会と別れに優しさを持ってくれたのだろうか。
あの時交わした約束を、あの時と同じ場所で果しに来た。
祐一にとっても、あゆにとっても。最後の時間。
この別れも、祐一にとって無駄にはならない。彼はそうは思わないかも知れないが、何もしてやれなかった訳ではない。少なくとも、あの時交わした約束は果せたはずだ。
この別れも、いつしか彼の強さと優しさとなって、帰ってくるはず。何度も別れを繰り返して、少しづつ彼自身が、豊かになっていく。いつの日か、「何もしてやれなかった」なんて思わなくて済むだけの、強さと優しさをきっと得ることが出来るから。
そしてこの別れもまた、思い出に還る。

喪失を目の前にした者同士の邂逅。
香里は語ります。「相沢君や、貴方達がいてくれなかったら、今でもそのままだったと思う」。
人は支えあって生きている。この香里だって、祐一達がいてくれたお陰で、ここにいることが出来る。
「しっかりしなきゃね」

出会いと別れを繰り返して、人は強くなることが出来る。優しくなることが出来る。それはまるで、辛い冬に耐え抜いてきた木がくっきりとした年輪を残すかのように。
あの時落とされた雪うさぎ。そのまま地面に吸い込まれ、街の雑踏に消えていった雪うさぎ。名雪からのプレゼント。
そして今、床に落ちている雪うさぎの目。このまま放置され、いつの間にか何処かヘ消え去りそうな雪うさぎの目。祐一からのプレゼント。
このままでは、7年前と同じになってしまう。只々、繰り返すだけになってしまう。
7年前と今では、名雪と祐一は全く違う。
だって今は、彼女達は、
「私たちは家族なんだから、支えあっていかないとね」
家族なんだから。

『支えあっていく』。
名雪は、祐一が辛いのを知っている。祐一は、名雪が辛いのを知っている。だから彼女はここに来た。そしてお互い、今まで無自覚に支えられていたことを詫びた。
自覚のある『支え』は決して依存でも馴れ合いでもない。人は一人では生きていけないのだ。例えば、自分に近しいあの人や、その人が消えても、自分は生きていけるだろう。だがしかし、自分に近しい人みんなが消えてしまったらどうだろう?それで生きていけるのだろうか?もっと俯瞰的に見れば、電気を作ってくれる人や、野菜を収穫したり食肉を生産してくれる人はどうだろう。そんな知りもしない人達でも、例えばその全てが消えてしまったら、自分は生きていけるのだろうか? たった一人の人に依存していないと自覚してても、実は大多数の人に少しづつ支えられて、人は生きているのだ。
人は、それぞれが支えあって生きているというのは当然なのだ。そして自覚があり支えることが、本当の『支える』ということ。それをお互いに行なうことが、支え合うということ。
その上で。自分が本当に支えることが出来る人。自分を本当に支えてくれる人が近くにいること。これ程幸せなことはないのではないだろうか。
だから彼女達は「おあいこ」なのだ。
支えあうこと。それがどんなことなのか、自覚していなかったこと。それを自覚したこと。それが同時だったこと。―――だから、「おあいこ」。彼女達は、この二人の『家族』は、ここから始まるのだ。

想いは、どこまで届く事を許されているのだろうか。
届けてあげたい想いは、力一杯伸ばした指先に、辿り着く先を見つけられるのだろうか。
手を伸ばし、指先が何かに触れるまで、言葉では足りない想いを瞳に宿し続けた。「AIR」より
「祐一、私、強くなるよ」
けれども、悲しい顔をする祐一。
そしてそれを、抱きしめる名雪。

「頑張ろう、祐一。約束だよ」
ここから彼女達の新しい物語が始まる。その約束。
お互いに支えあって、困難を乗り越えて、強くなっていくのだ。家族だから。

「ふぁいと、だよ。祐一」
「ああ……ふぁいと、だ」
想いは届いた。名雪の「ふぁいと」に始めてそれを返した祐一。一人で「ふぁいと」と言っていた昨日までと違って。これからは二人で一緒に支えあって頑張って、二人で「ふぁいと」していくんだ。
夢。
夢が終わる日。
雪が、春の日溜りの中で溶けてなくなるように。
面影が、人の成長と共に、影を潜めるように。
思い出が、永遠の時の中で、霞んで消えるように。
今、長かった夢が、終わりを告げる。
最後に一つだけの、願いを叶えて。
たった一つの、願い。
……ボクの、願いは。

想いは、何処まで届くのだろうか。
僕がこの作品から感じえたモノは、その半分も自分の認識に届く事が出来なかった。それでも書きたいと、思ってしまった。
だから書く。文章メチャクチャでも、言ってること恥ずかしくても関係ない。自分が感じえたことを、半分も理解出来てなくても気にしない。とにかく書く。見てくれ、半分も表現できてないけれど、これが俺の見てきたkanonの世界だ、と訴えたい。
そしてきっと、この書き連ねた想いも半分も届かない。けれど今はこれが限界。この程度が限界。自分の知の無さと己に対する不実を恥じることはある。でも作品に対しては真摯でいられたと思う、思いたい。
要するにアレっすよ、今回ヤベーの喰らったんで、なんかもうキちゃったんですよ。これを衆目に晒すというのか、って文章だけど、これなら多分作品に対しては不実ではないと思うから(てゆうかこんな手段しか思い付かなかったから)、もうそれだけでいいやとか思っちゃったんですよ。
WEB拍手を送る
次回、最終回。

春・夏・秋・冬。
それぞれの季節、その世界の営みを映していく次回予告。
夢の中で幾度も繰り返されてきたこの『カノン』。その夢にもいつしか果てはくる。けれどきっと、それで終わりじゃなくて、夢のあとにも『カノン』は続いていく。
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テーマ : Kanon~カノン~ - ジャンル : アニメ・コミック
なしおさんこんばんは!
コメントでは初めまして、中濃甘口のmahariaと申します。
凄く納得した点があるので、一言失礼させていただきます。
>そうか、だから僕は、彼のあの態度が「必死である」と理解できなかったのか
これ見て「あっ!」と思いました。なぜ京アニKanonの祐一はあれ程飄々としていたのか、なぜ「お兄さん」に見えるようなキャラデザなのか、なぜ杉田さんなのか?
彼が必死である事を、視聴者に悟られまいと最大限の手を打っていたのですね。ああ、これで最後の疑問が感情的にも納得できました。
読ませていただいてからもう一度視聴すると、凄くすんなり見れました。ありがとうございます。
しかし難易度高いです、京アニKanon。何枚服を剥がせば、真の姿が見えてくるのか・・・
では、駄文失礼しました。最終回、楽しみですね♪
コメントでは初めまして、中濃甘口のmahariaと申します。
凄く納得した点があるので、一言失礼させていただきます。
>そうか、だから僕は、彼のあの態度が「必死である」と理解できなかったのか
これ見て「あっ!」と思いました。なぜ京アニKanonの祐一はあれ程飄々としていたのか、なぜ「お兄さん」に見えるようなキャラデザなのか、なぜ杉田さんなのか?
彼が必死である事を、視聴者に悟られまいと最大限の手を打っていたのですね。ああ、これで最後の疑問が感情的にも納得できました。
読ませていただいてからもう一度視聴すると、凄くすんなり見れました。ありがとうございます。
しかし難易度高いです、京アニKanon。何枚服を剥がせば、真の姿が見えてくるのか・・・
では、駄文失礼しました。最終回、楽しみですね♪
maharia | 2007年03月11日(日) 03:47 | URL | コメント編集
>mahariaさん
どうもこんにちは!
ギャー!僕にとって黒歴史となる恥ずかしいレビューにコメント下さって色んな意味でありがとうございます(笑)
祐一については、僕が「このアニメの祐一」をまともに見たのが今回が初めてだったりするので、要するに超初心者なので、あんまり当てにならないと思います。もっと祐一考察のエライ人(たこーすけさんとか)を当てにすべきです(笑)!
ああ、ついでにさっき思いついたのですが、なんでゲームの相沢祐一とこのアニメの祐一とを混同したのか。
考えてみれば世にある殆どのアニメが主人公≒自分じゃないのだから、そう思う(そうかもしれないと思う)時点でおかしいのですよね。
でもこの祐一は、なんかメチャクチャフラグ立てまくったり超鬼畜だったり(笑)して、「さすがギャルゲー主人公」とか色んな場所で言われてて、僕もそうかなとか思った。いや、そう思わなきゃやってられないくらいの変人っぷりだったので、そう思ってしまった、つまり間違った認識を持ってしまったのです。
つまり、祐一が『まとも』だとすると、あの超………やべー、コメントレスと全然関係ない内容で長くなってしまったぁ!スミマセンスミマセン!
えっと、最終回、楽しみですね♪
どうもこんにちは!
ギャー!僕にとって黒歴史となる恥ずかしいレビューにコメント下さって色んな意味でありがとうございます(笑)
祐一については、僕が「このアニメの祐一」をまともに見たのが今回が初めてだったりするので、要するに超初心者なので、あんまり当てにならないと思います。もっと祐一考察のエライ人(たこーすけさんとか)を当てにすべきです(笑)!
ああ、ついでにさっき思いついたのですが、なんでゲームの相沢祐一とこのアニメの祐一とを混同したのか。
考えてみれば世にある殆どのアニメが主人公≒自分じゃないのだから、そう思う(そうかもしれないと思う)時点でおかしいのですよね。
でもこの祐一は、なんかメチャクチャフラグ立てまくったり超鬼畜だったり(笑)して、「さすがギャルゲー主人公」とか色んな場所で言われてて、僕もそうかなとか思った。いや、そう思わなきゃやってられないくらいの変人っぷりだったので、そう思ってしまった、つまり間違った認識を持ってしまったのです。
つまり、祐一が『まとも』だとすると、あの超………やべー、コメントレスと全然関係ない内容で長くなってしまったぁ!スミマセンスミマセン!
えっと、最終回、楽しみですね♪
こんばんは、yukitaです。
『真琴さん』の登場、驚きました。まさか、あの回想シーンにこんな意味があったなんて・・・。
『さすが京アニ!無駄なことは一切しない!!』もしかして、久瀬やタイ焼き屋の親父にさえ、意味があるのでは?とさえ思います。
『真琴さん』の姿は、真琴と瓜二つでした。多分、祐一は10年前「真琴さんはね・・・。」と、子狐だった真琴に『真琴さん』の容姿や好物(肉まん)等を語りかけていたのだと思います。(もしかして、その時から子狐を『真琴』と呼んでいたのかも。)
真琴が『真琴さん』そっくりの姿で現れたのは、『この姿なら、祐一と一緒に居られる』或いは、『祐一の初恋を叶えてあげたい』と思ったからではないでしょうか?『真琴さん』の登場は、真琴の『乙女心』を垣間見られた様な気がしました。
あゆの最後の願いは、『もう一度、皆と会いたい』だと思います。そう願えば、あゆは、この街で出会った全ての人達と再会できます。(栞・秋子さんも助かり、真琴とも再会出来るかも。)
過去を全て受け入れた祐一、強くなろうと決心した名雪。二人の関係は、『恋人』を越え、互いを支え合える『理想の関係』に昇華したのだと思います。
次回はついに最終回。『次回の展開はどうだろう?』とアレコレ考えられるのも、もう終わりと思うと寂しいです。
でも、京アニは『最高の結末』を見せてくれると信じています!!
『真琴さん』の登場、驚きました。まさか、あの回想シーンにこんな意味があったなんて・・・。
『さすが京アニ!無駄なことは一切しない!!』もしかして、久瀬やタイ焼き屋の親父にさえ、意味があるのでは?とさえ思います。
『真琴さん』の姿は、真琴と瓜二つでした。多分、祐一は10年前「真琴さんはね・・・。」と、子狐だった真琴に『真琴さん』の容姿や好物(肉まん)等を語りかけていたのだと思います。(もしかして、その時から子狐を『真琴』と呼んでいたのかも。)
真琴が『真琴さん』そっくりの姿で現れたのは、『この姿なら、祐一と一緒に居られる』或いは、『祐一の初恋を叶えてあげたい』と思ったからではないでしょうか?『真琴さん』の登場は、真琴の『乙女心』を垣間見られた様な気がしました。
あゆの最後の願いは、『もう一度、皆と会いたい』だと思います。そう願えば、あゆは、この街で出会った全ての人達と再会できます。(栞・秋子さんも助かり、真琴とも再会出来るかも。)
過去を全て受け入れた祐一、強くなろうと決心した名雪。二人の関係は、『恋人』を越え、互いを支え合える『理想の関係』に昇華したのだと思います。
次回はついに最終回。『次回の展開はどうだろう?』とアレコレ考えられるのも、もう終わりと思うと寂しいです。
でも、京アニは『最高の結末』を見せてくれると信じています!!
>yukitaさん
こんばんは、yukitaさん。
真琴さん登場にはビックリしましたね~。
祐一から聞き及んでいたのか、それとも真琴がキツネパワーを用いて現在の真琴さんをリサーチしたのか、どちらにしろ容姿も趣味嗜好もyukitaさん仰る
>この姿なら、祐一と一緒に居られる』或いは、『祐一の初恋を叶えてあげたい』
ということでしょうね。いや~真琴ってカワイイ奴だったんですねぇ。
あゆのお願いと展開予想については、yukitaさんのこのコメントに触発されて新たに書いちゃいました。
http://bdkiss.blog54.fc2.com/blog-entry-265.html
もしよかったら見て下さい……いや、恥ずかしいから見ないでもいいです(笑)
yukitaさんのコメントには色々触発されたり、微妙に影響受けたりと、いつもいつも大変お世話になっていました。いつもありがとうございます。
次回でもう最終回ですね。僕はもう、心を空にして、胸襟を開けっ広げにして、思いっきり楽しんで見る所存でございます!要するに、超楽しみです!
こんばんは、yukitaさん。
真琴さん登場にはビックリしましたね~。
祐一から聞き及んでいたのか、それとも真琴がキツネパワーを用いて現在の真琴さんをリサーチしたのか、どちらにしろ容姿も趣味嗜好もyukitaさん仰る
>この姿なら、祐一と一緒に居られる』或いは、『祐一の初恋を叶えてあげたい』
ということでしょうね。いや~真琴ってカワイイ奴だったんですねぇ。
あゆのお願いと展開予想については、yukitaさんのこのコメントに触発されて新たに書いちゃいました。
http://bdkiss.blog54.fc2.com/blog-entry-265.html
もしよかったら見て下さい……いや、恥ずかしいから見ないでもいいです(笑)
yukitaさんのコメントには色々触発されたり、微妙に影響受けたりと、いつもいつも大変お世話になっていました。いつもありがとうございます。
次回でもう最終回ですね。僕はもう、心を空にして、胸襟を開けっ広げにして、思いっきり楽しんで見る所存でございます!要するに、超楽しみです!
こんばんは、yukitaです。
前回のコメント欄で、なしおさんが教えてくれた記事を読み、自分なりに考えてみました。
kanonの『穴』は、必要だから開けているのだと思います。
例えば、栞の『病名』は明らかにされていません。それは栞の病名を明らかにすると、『何故、回復したのか?』を理論的に説明する必要が生じ、『物語』として成り立たないからでしょう。
栞の病気は、『何故、栞に奇跡が必要か?』という『理由』に過ぎないのではないでしょうか?
栞のテーマは『病気が治った』事ではないので、『病名』なんて無用なのでしょう。
(考察その2)
僕は、京アニが『写実的』にkanonを描いた理由は、『物語のキャラクター』を『その世界を生きる人間』として、描く為だと思います。
僕は、物語の数だけ『世界』があるのだと思います。僕達が『kanonの世界』を知る為には、その世界がどんな姿かを、知る必要があります。
京アニが背景・人物描写・物語の構造に拘っているのは、祐一達が『(その世界の)実在の人物』だと、教えてくれる為だと思います。
(なしおさんへ。展開予想、読みました。そう言えば次回予告にも『あゆあゆ』が、居ましたね。何かスッキリした気がします。僕も何か思いついたら、書き込みたいと思います。いつもお世話になっています。有り難うございます。)
前回のコメント欄で、なしおさんが教えてくれた記事を読み、自分なりに考えてみました。
kanonの『穴』は、必要だから開けているのだと思います。
例えば、栞の『病名』は明らかにされていません。それは栞の病名を明らかにすると、『何故、回復したのか?』を理論的に説明する必要が生じ、『物語』として成り立たないからでしょう。
栞の病気は、『何故、栞に奇跡が必要か?』という『理由』に過ぎないのではないでしょうか?
栞のテーマは『病気が治った』事ではないので、『病名』なんて無用なのでしょう。
(考察その2)
僕は、京アニが『写実的』にkanonを描いた理由は、『物語のキャラクター』を『その世界を生きる人間』として、描く為だと思います。
僕は、物語の数だけ『世界』があるのだと思います。僕達が『kanonの世界』を知る為には、その世界がどんな姿かを、知る必要があります。
京アニが背景・人物描写・物語の構造に拘っているのは、祐一達が『(その世界の)実在の人物』だと、教えてくれる為だと思います。
(なしおさんへ。展開予想、読みました。そう言えば次回予告にも『あゆあゆ』が、居ましたね。何かスッキリした気がします。僕も何か思いついたら、書き込みたいと思います。いつもお世話になっています。有り難うございます。)
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