2007'04.29 (Sun) 01:23
『指』の話。
あ。バカみたいに長いので、読むの面倒くさい人は記事タイトルを見て納得して下さい。あれがオチで結論です。

「らき☆すた」では、上記画像のような、キャラクターが『指を立てる』シーンが頻繁に登場します。
『指を立てる』というのは、所謂ボディランゲージのひとつです。身振り手振り。話す内容に対する補足効果を与えます。
自分が実生活で身振り手振りを行なう場合を想像するといいでしょう。
例えば、外人と話す場面で、身振り手振りを使って言葉だけでは足りない部分、伝わらないかも知れない部分を補強しようとする。例えば、演説やプレゼンテーションの場面で、伝わらない部分をさらに伝えるため、聴衆に呑まれそうな自らの意見を鼓舞するため、言葉以外の部分で言葉に力強さを付ける。例えば、熱心に語りたいことがある場合、自分の中の"ソレ"と、自分が発する言葉、そのどうしようもない軋轢を埋めるため、埋めたがるがための行動。
身振り手振りというのは、基本的に発する言葉の補強・補足です。より詳しく説明するための、より力強くするための、より自分の中のイメージに言葉を近づけるための、身振り手振り。
『指を立てる』という行為も、身振り手振りのひとつですが、他の身振り手振りに比べると実生活の中で使われることは少ないです。お店で「○○ひとつ下さい」という時に指を立てたり、自分かどうかの確認の為に自分を指差して聞く、という場面などはなかなかにありそうですが、そもそも『指を立てて人を指す』という行為が失礼の極地に当たるように、『指を立てる』という行為はどうにも使い勝手が悪いです。
私達が現実世界、実生活ではあまり活用しない『指を立てる』という行為ですが、この『らき☆すた』ではもの凄く活用しています。てゆうか狂ったくらい指立ててます。ヤベーです。
その辺をちょこっとだけ見ていきたいと思います。(のつもりが、果てしなく長くなった…)

冒頭、かがみが懸賞に応募し忘れた際のこなた。「愛が足りなかったんだね」。(天を指しながら)

その続き。「かがみの愛が足りないから忘れるんだよ」。(やや斜め前方気味の天を指しながら)

まだまだ続き。委員会やテスト勉強で忙しかったというかがみに対して、「いやいやそれは言い訳にすぎない」。「わたしは忘れたことないモン」。(親指を立てて)

さらに続き。遊びのことばっか考えてるあんたと一緒にすんな!てゆうか、言い方が凄いムカツク、というかがみに対して。「あはっ☆」。(やや自分を差しながら)

懸賞ってどうやったら当たるのかなぁ?というつかさに対して。「ひとえに……愛だよ」。(相手のほうを指差しながら、やや指上向き)

続いて懸賞の当て方講座。「字が綺麗なのは基本中の基本、抽選する相手が思わず手に取りたくなるようなハガキを書くんだよ……」。(やや自分向きに、天を指す)

そのまま懸賞講座。「プリンターとか使わず手書きにすること。それと一度に百枚」。(天を指す、というか説明対象が描かれてる部分を指している感じ)

まだまだ懸賞講義。「プリンターとか使わず手書きにすること。それと一度に百枚」。(やや自分向きに、天を指す)

かがみが、「百枚って、ちょ、おま」とか言った所に対するこなたの反応。「欲しいものを手に入れるんだよ?情熱も投資も必要だよ」。(相手を指差し)

相変らず懸賞の説明。「一度に出すんじゃなくて、少しづつ少しづつ出す。しかも日を別けてね。
枚数が多いと抽選担当者によっては撥ねられることも……」。(天を指して)

一通り説明聞いたかがみの「じゃあどうすりゃいいのよ?」に対して、こなた。「だから……愛だよ」。(相手を指差し、やや指上向き)

話題変わって、双子の話。「髪型とかリボンとか合わせると、案外似てるかもね」。(天を指差して)

「テレパシーとかある?」(上を指して、やや角度斜め)

双子話つづき。「どっちかが危ない目に会うともう一方も全然違う所でそれを察していたり」。(二つ前と同じ)

「不思議体験がいっぱいあるよね」。(上を指して)

「だからテレパシーあるんじゃない?」。(相手を指差す)

マナカナの説明。(天を指す)

「歌うときはちょっと声が違うって」(自分の口かノドらへんに指を指す)

二人の共通点の話。「ふたりともお菓子好きだよね?」。(天を指す。指斜め気味、傾げるような感じ)

ようやく舞台変わって、みゆきさんのジューンブライドの説明。(天を指す。ちょこちょこと指が左右に振れる)

それを聞いたこなたのコメント。オチ部分。「ヘラって激しく嫉妬深いってイメージあるから、やっぱり幸せって感じがしないんだけど」。(天を指す)

話の流れから、ドレスの話に。「夢がいっぱい、フリルいっぱい」。(天を指す)

その流れで。「だね。つかさはエンジェルサルビア……」。(天を指す)

「だから上は黄色で下はミニスカで決まり!」。(相手を指す)

その後、ドラクエの話に移行。そこに現れたかがみが一言。「断然ビアンカね!」。(天を指しながら)

ゲームの話。わからないところがあるというかがみに対して、「そういうのは自分で解くから面白いんじゃないの?」。(天を指す)

「ん。一理あるわね」「そうそう」。(相手を指差す)

場面変わって、探偵の話。「行方不明者を探して日本中……」。(天を指す)

「あとさ、実際に起こる事件で漫画やドラマみたいな……」。(天を指す)

話変わって、クロ高やぱにぽにのパロディネタから。「そこに疑問を感じちゃダメなんだよ。むしろ明らかに偏差値が違う生徒がいるって、どう考えても不思議じゃん?」。(斜め上を指す)

受験勉強の話。「お父さんがね、条件つけてきたの。Dランクならピピン、Cランクなら3DO、BランクならPS2とか」。(天を指す、角度やや斜め)

「そういえば二人は七夕生まれでしょ。もうすぐお誕生日だね」。(天を指す、指ちょっとだけ斜め)

厄年からお守りの話に。「てゆーか、ウチにも『やけくそ守り』ある……」。

「ちがっ、『厄除け守り』……」

ポニーテールの日の話。「あ、そうそう、二人の誕生日ってポニーテールの日って知ってた?」。以降ポニテの日の説明の間ずっと指立て。(3つ前と同じ絵)

クオカードの話。
「使っちゃダメでしょ。大事にとっておくんだよ。ぞんざいに扱ってる人を見かけると本気で腹が立つんだよね」。(相手を指す、やや指上向き)

「こういうアイテムって使っちゃダメなんだよ。ましてやオークションやショップに転がすなんてもっての他だから」。(真上を指す)

「そりゃファンとしてはもちろん、コレクターとしても失格」。(真上を指す)

所変わり、喫茶店でのみゆきさん話。「みゆきさんみたいなタイプって若干マニア向きなんだよ」。(天を指す。指やや斜め)

みゆきさんが電気消しちゃった後。「今のこそ、いわゆる一つの萌え要素!」。(天を指す)

「グッジョブ!」。(親指立てる)
さて、これが3話本編における『指を立ててるシーン』のほぼ全てです(つかさが指を立ててるシーンも4回くらいあるのですが、全て考え事をする時に自分の口元に指を立てるというもので、多分彼女の癖みたいなものだと思うので除外)。
つうか多い。40越えてますよ。
かがみ2カット、みゆきさん1カット、それぞれ指を立ててるシーンがあるのですが、それはひとまず置いておいて、圧倒的最多数37カットを誇るこなたさんの『指立て』を見てみましょう。
自分に向けて指立てる:1カット
自分に向けて指を立てるという行為の意味は、基本的には『自分』に関することであります。名前呼ばれて「あ、ぼくですか?」なんて場面で、自分に指を立てるのが良い例でしょう。
とはいえ、その自分を細分化すれば、それは自分だけではなくなります。このこなたの指立てシーンは、マナカナの声の説明の「歌うときはちょっと声が違うって」というトコなのですが、そこでこなたは自分の喉とも口ともとれるような場所に指を指しているのです。
つまり、普通に説明の補足ですね。
相手に向けて指を立てる:4カット
相手に対して指を向ける、というのは、言うまでもなくその相手に対する主張です。
よく矢印アイコンを『指』にするのがあったりしますが、それと同じ。言葉の指向性を、指によって決定付けているのです。
一に言葉の指向性。誰に対して言ってるのか不明瞭である言葉、その対象を明らかにするためのもの。
二に言葉の強調。相手が限定されるというのは、強調されるということでもあります。沢山の人、もしくはその"場"に対して喋っている言葉は、沢山の人、もしくはその"場"を通して聞く言葉なので、強調されてはいない。指を指すという行為によって指向性を得た言葉は、まるでその指から発射される弾丸のように強調され、その対象へと届くのです。
天を指す:15カット
今回最多。圧倒的多数な『天』を指差すカット。
さて。指を指すという行為は、先にも書いたとおりその言葉の指向性を決定付けるモノです。
相手を指すのであれば、それは相手に対する言葉である。喋っている内容を強調するため、また喋ってる内容が誰に対するものかを決定付ける為の行為。
自分を指すのであれば、それは自分に対する言葉。自分に対する事柄・自分の考え、また対象者が自分であるかの確認など。それが喉などの部分となれば、喋ってる内容をその指し示す部分にて補足説明しているともいえます。
この3話では存在しませんでしたが、地面を指差していたら、それはミクロな場に対するモノ。地面を指差して何かを喋る場面を想定すると―――例えば、それは"ここ"という場所を強調するモノであったり示すものであったり、"今"という時間を強調するモノであったり示すものであったり、見たまんま通り落ちた下がったという強調や指向性だったり―――ということが想像されます。指を指すという行為が、指向性の決定にある以上、地面・ここであるということ、そして今であるということが強調されていたり決定付けられていると考えられます。空間的に限定されている"ここ"、時間的に限定されている"今"という意味を有しているからこそ、下を指す、地面を指すという行為は『ミクロな場』に対するモノなのです。
それでは、天を指すという行為について。
普段私達は、『上を指差す』なんてことは滅多にしません。天気がどうだとか、上の階は何々だとかといった、物理的に上にあるものに対する言及―――つまり物理的に上に存在しているものに対する言葉だという、指向性を決定付けたい場合・強調を付けたい場合、くらいにしか上を指し示しません。
対して「らき☆すた」は、というかこなたは、非常に沢山の回数、『上』を指で指し示しています。もちろん、それは『物理的に上にあるモノ』に対する言葉ではありません。
まず、『指を立てる』という行為に対して、見ているこちら側はその『指』自体に注目します。これは単純に、通常の人間の状態との変化から、つまり普通にしている時と違う部分があって、それがその『指』だから―――ということです。
対象に対する脳の認識は、まずデフォルトの対象というのがあって、それと違う部分があるとそこに注目がいきます。人間の通常の状態と違う部分がある、しかもそれが『指を立てる』という行為により通常に人間のシルエットから逸脱している―――そこに注視する力、つまり集中力が生まれて、注目がそこに行くのです。これは例えば、タクシーの運転手があのような速度で走っているにも関わらず、手を挙げているお客を見つけるのに通じるところがあります。規定の『形』と現在の『形』を、脳内で照合して認識している訳です。だからそれが、「手を挙げている」などの行為で規定の『形』からずれれば、必然的にそこに注目が生じるのです。
指を立てれば、そこに注目が生まれます。次に、前述したとおり指を立てるというのは指向性の決定付けなのですから、その『指の方向』を注視します。現実でも同じですね。誰かが何処かに指を指せば、まずその人(の指)を見て、次にその方向を見る。
その指の行く先が人物ならば、その人物に対する言葉、もしくはその人物の意見なのだと判断できます。自分ならば、自分に対する言葉、もしくは自分の意見を言っているのだという意。なにかの物や部分ならば、そこに対する言葉や補足の為のソレだと判別できます。
下―――地面ならば、まず物理的に地面に対する言葉や説明なのかどうか。そうでないのなら、前述のようにそれが何かしらの暗喩や比喩の表現、つまり"ここ"や"今"や下がる、落ちるなどを表しているのではないかと考えられます。
では天を指すという行為は。
物理的な意味の天―――つまり空とか、上の階とかを意味しているのではないのなら、それは下を指すのと同じ様に、何らかの象徴となっていると考えられます。
先に下方向を『ミクロ』と称しましたが、それと呼応させると上方向は『マクロ』です。
下が"ここ"や"いま"を表すのに対して、上―――空や天は、"ここ"や"いま"を通り越した、何処までも果てしない空間・時間を感じさせます。例えば「天元突破グレンラガン」で、カミナがシモンに対して"天"を指差しながら「お前のドリルは、天を突き破るドリルだ」と言ったように、何処までも果てしない距離と時間を突き抜けていく印象が強いです。
単純に、下方向が地面と下という、行き止まり・行き着いてしまうという閉塞感があるのに対して、上方向は行き止まりも行き着いてしまうところもなく、開放感にあふれているからでしょう(逆にそれが不安を喚起させる可能性もありますが)。
これはもう少し俯瞰的に見ると、下を示すのが『作中』、上を示すのが『作外』という指向性を持っているのではないか?と考える事が出来ます。
"ここ""いま"というのが、そのまんま作品内の物語やキャラクター、その喋りなどの作中を表していて、何処までも続く空間や時間を表す天は、そのまま作品を通り越して作外に対する言及―――つまり作外、視聴者に対する指向性を持っているのではないでしょうか。
例えば、指を天に向けて指しながら話をする、なんていう構図だと、個人的には「Fate/StayNight」の遠坂凛を思い出します。アニメではなくビジュアルノベルの話で申し訳ないですが(苦笑)。
……と思ったのですが、完全に脱線しましたので分離しました。
http://bdkiss.blog54.fc2.com/blog-entry-314.html
『上』というものは、イメージという印象があります。
よく漫画なんかでイメージ映像的なものが出てくる時は、大抵『上側』に出てきますよね。この「らき☆すた」3話での、ハガキに対してデコレーションしている時の映像なんて象徴的でしょう。

キャラクターの頭上がキャラクターの脳内でのイメージだ、というのはかなり使い古されてきたモノで、もはやソレは記号化されているといっても良いかもしれません(上だから脳内、なんて想起プロセスも)。
上という方向には、キャラクターの脳内やイメージを喚起させるものである。
実際に今回こなたが『上』を指差した時の半分以上は、こなたの『イメージ』や『想像』を喋っている件でもありました。

「夢がいっぱい、フリルいっぱい」
「髪型とかリボンとか合わせると、案外似てるかもね」
「ヘラって激しく嫉妬深いってイメージあるから、やっぱり幸せって感じがしないんだけど」
「こういうアイテムって使っちゃダメなんだよ。ましてやオークションやショップに転がすなんてもっての他だから」。
こなたの『指を立てる』というボディランゲージをもってして、考えや想像やイメージの表明であるという指向性を得て、そこが強調されているのです。
ただ、「らき☆すた」は思いっきり会話劇なので、こなた一人の想像やイメージだけでは会話になりません。
さて。会話というのは、人それぞれのイメージや想像や考えの擦り併せにより出来ています。○○という対象について会話する場合、それのイメージは人それぞれ異なる。例えばチョココロネのどっちが頭でどっちが尾っぽかというのは、人それぞれ異なっています。それを議論したり、自分の意見を言ったり、人の意見を聞いたり、ただ適当に言ったり聞いたり、熱く語ったり聞き入ったり。己のイメージや想像を言葉に乗せて相手に伝える・届ける、またそれを相手から行なわれる、それが会話です。
「らき☆すた」が会話劇であり、そしてこなたが主人公格でありながらも、こなた一人では劇が進まない―――つまり会話劇ということなんですが―――である以上、こなたのイメージを語るだけでは圧倒的に足らないのです(それでもこなたが主役である以上、彼女のイメージが先行するのですが)。
イメージや想像が擦り併される会話、そしてそれは決して一人で行なえるものではなく、なによりそれを見ている視聴者はこなた側に立つ訳ではなく、あくまでも客観的に、誰の主体にも立たずに"それ"を見ている。
ならばここで示されるイメージとは、この『場』のイメージ、各キャラによって共有化されたソレである、といえるでしょう。
こなたが『上』を指した時に発した言葉の半分くらいは彼女自身の表明であったのですが、もう半分くらいは『話題の提供』でありました。

「そういえば二人は七夕生まれでしょ。もうすぐお誕生日だね」
「あ、そうそう、二人の誕生日ってポニーテールの日って知ってた?」
忘れてはいけないのが、この「らき☆すた」は作中劇だということ。
今まで言われてきたとおり、こなたやかがみは役としてこなたやかがみを演じて、彼女らには台本もあてがわれて(多分)、このお話の脚本を書いている人物もドコカにいるのです。
とりあえず、この3話の話題を見てみると、
・夏服
・懸賞と愛の話
・懸賞の当たり方
・双子の話
・マナカナの話
・電車内
・てんとう虫のサンバ・パンクバージョン
・ジューンブライド
・ドレスの話
・ドラクエⅤの話
・ゲームでわからないトコの話
・探偵の話
・巧妙なトリックの話
・雨と野球中止の話
・クロ高~ぱにぽに~偏差値違う生徒の話
・受験も一夜漬けの話
・こなたとかがみのゲーム対戦の話
・お菓子とダイエット話
・七夕生まれ~厄の話
・ポニーテールの日の話
・酔っ払い頭ネクタイの話
・クオカードの話
・喫茶店でのみゆきさん話
・電気消しちゃったみゆきさん話
赤字は早い段階でこなたが指立てた話題、青字は遅くともその話題内でこなたが指立てた話題です。ほとんどの話題において、こなたの『指立て』が起きています。それもかなり早い段階、2・3カット内や10秒以内の間で。
つまるところ、こなたの指立てには『話題の提供』という意味があるのです。
○○の話だよ、△△の話するよ、という話題の提供。
こなたやかがみ達のイメージの擦り併せとなる会話、その『場』に新たな話題を提供する。
こなたはこの会話劇の、この番組の司会者的立場にいると考えると分かりやすいでしょう。新たな話題を提供して、みんなでそれについて話して、自分の面白い想像やイメージなんかも語って、オチも付ける。
ここで面白いのは、かがみとの比較です。
かがみが話題を持ち出している場面が二箇所ほどありました―――が、彼女は指を立てませんでした。

手の平で、相手に話題を『振る』感じ。
こなたが指で上を指し示していたのに対して、明らかに違います。彼女は手の平で、こなた等に話題を振る。対してこなたは、指を上に挙げてその『場』自体に話題を振る。
各キャラクターのイメージの擦り併せ、その"場"に新たな話題を提供し、自分もその"場"を彩る。こなたはこの番組の、まさに司会者的役割にいるといえるでしょう。
そしてこれは、作品内のキャラクター、彼女らの会話における作用だけではなく、『視聴者と作品』に対する作用、ポジションとしても同じ様なことが言えるでしょう。
つまり、司会者こなたは各キャラクターに話題を振るのと同時に、視聴者にも話題を振っている。作品内だけに閉じない、マクロな場への話題提供。
テレビのバラエティー番組の、話題やコーナーの切り替えの感覚が近いでしょう。バラエティー番組ではコーナーが変わると、司会者が(もしくはナレーションなんかが)「○○のコーナー」のようなアナウンスをします。
それと同じ様に、この「らき☆すた」本編でもコーナー、つまり話題が変われば、それが「変わった」というアナウンスを行ないます。それが、こなたの『指立て』。
指を立てながら新しい話題を彼女が振ることにより、シームレスな流れながらも『話題が変わっている』ということを視聴者に告げ、そして同時に、新たな話題はコレだということも、視聴者に告げているのです。
(追記:まったくもって書くの忘れてましたが、斜め方向の指差しは、各要素が混在してるって感じでw)
【かがみんが 指を立てれば 愛炸裂】
さてさて、やっと、記事タイトルの話、本題です(笑)(むしろ笑えない)。
先にも言ったとおり、『指を上向きに立てる』という行為には、その人物のイメージや想像の表明という意味があります。さらには作品全体、ひいては視聴者に対する意思表明。あ~ちょっとこの辺は精査が激必要なコトを無理して書いちゃいますが(つーか全部じゃん)、『下を指す』というのがその空間的な意味と閉塞さから"ここ""いま"を表すのに対して、『上を指す』というのは空間的には"どこまでも"、そして一片も無い閉塞さから"いつまでも"を表しています。どこまでも、いつまでも。それの限界点、その何処と何時の果ては勿論『作品』です。作品内での提示なんだから、作品世界以外に"ソレ"はそのままでは生き残れない。……つまり上を指し示しての言葉には、この作品内に置いて"どこまでも""いつまでも"そのキャラクターのイメージ・想像・考えはこうだ!という意思表明が含まれているのです。
そしてその表明は、その様な"表明"といえるほど大きいモノ・感情だからこそ、それが作中内での普通の『形』から逸脱して、視聴者の目に止まりやすくなります。普段のキャラクターの言葉と少し違うから、普段僕らの認識している形から逸脱して、そこに注視するようになるのです。そうやって、作中内での只のキャラクターの表明は、そのキャラクターの"表明"として視聴者にも届いてしまうのです。
なのですが。
先にも書いたとおり、作品内での提示は、作品世界以外に"ソレ"そのままとしては生き残れません。
作品世界というのはフィクションで、作り事です。物事の全ては観測者がいて初めて存在しうるものであり、作品自体もまた観測者がいて初めて存在できるのですが―――作品自体は観測者が観測するまで存在していなくとも、作品内容自体は観測者が観測しなくても『存在』しているのです。(と思ったけど違うかも)
まあその辺は置いといて。
キャラクターの強い表明は、確かに視聴者へと届きますが、それは作中での彼女のイメージや想像、その言葉が『完全に』そのまま届いているとは限りません。
人と人との会話と同じです。思っていること、想像、イメージ、考え、それらを完全に他者に伝えることは不可能です。認識。思考も器官も知識も全て人それぞれ違っている。だから、そこにはどうしても齟齬が生じてしまう。その齟齬を少しでも埋めるため、少しでも確実に伝えるため、『身振り手振り』を使うのです。
指を上に向けて。
自分のイメージや想像や考えだという事を表し。
この場と、作品と、視聴者に対する指向性を備えて。

「断然ビアンカね!」
と、自分の想像を、イメージを、考えを、思いを、表明するのです。
作品、さらにはそれを見ている視聴者に対する意思表明。"表明"といえるほど、大きい感情―――
つまり、ビアンカに対する『愛』の炸裂なのです!
こなたにも、つかさにもみゆきさんにも、作品全体にも、さらには僕ら視聴者にも、かがみは身振り手振りしてしまうほどの大きな思いと絶対の指向性を持って、「断然ビアンカ!」と愛を炸裂させるのです。
かがみが指を立て、何かを喋ったシーンはこの第3話でもう一つありました。それは……

「てゆーか、ウチにも『やけくそ守り』ある……」

「ちがっ、厄除け守り……」
天に誇示するように指を立て、自信満々に喋るかがみから発せられた言葉、
『やけくそ守り』。
自分の間違いに気付き、あたふたと赤面しながら慌てて取り繕うかがみの言葉、
「ちがっ、厄除け守り……」。
この可愛さ、いじらしさ。視聴者に対する指向性をもって発せられた言葉は、その身振り手振りの強調と補足もあいまり、かがみが意図した"ソレ"と異なり、いや"ソレ"を大きく飛び越し、僕らに過剰なほど伝わりました。すなわち、愛が炸裂です。
僕らの、かがみに対する愛が炸裂。
こんな些細な間違いにこれだけ取り乱して赤面するかがみを愛さないで何を愛す!かがみの指先から弾丸のように撃ち出されたこの言葉郡は視聴者の認識を飛び越え感情そのものに大きな痕跡を残していった!つまり!かがみに対する愛が、この瞬間、我々の胸中にて炸裂したのだぁ!
とこのように、かがみ自身の愛と、かがみに対する愛が『炸裂』するという、かがみの指立てには途轍もなく大きな意味が込められているのです。
【こなたんが 親指立てたら 愛爆発】
さて、こなた。
彼女はかがみとは異なり、しょっちゅう指を立ててました。
司会者としての役割。話題の提供と膨らましを彼女が担うことにより、作品の流れを適切に作り出すことが出来る。
そんなこなたの指立てにも、普通とは一味違う『指を立てる』シーンが、この3話だと2箇所ほど存在していました。
それは、『親指を立てる』。
さて。古来より、親指というのは五本の指の中でも最も重要な指として活躍してきました。その名前からも明らかでしょう。他の指と異なり、『親』という重要なネーミングを付けられた指。かつて儒教思想を取り入れたこの日本において、『親』というのは非常に重要で大事にされてきました。ていうか、親の説明はいらないですよね^^。その親の名を冠する親指も、当然のように大事にされてきました。救急車や霊柩車を見たら親指を隠す、なんて言い伝えが僕の地元ではありましたが、それと同じです。その名を冠する指もまた、それ(親)を暗喩するものとして丁重に扱われてきたのです。また機能面でも五本の指の中で最も優秀で、例えばかつての日本では、農民一揆が起きた村では再び同じ様なことを起こさせない為に、鍬を握る為に絶対必要な親指を切り落とす、なんて処方が為されていたようです。親指一本失っただけでも武器を握って戦うことが出来なくなる。それほどの重要性を親指は持っていたのです。
このように、親指というモノは非常に重要で、かつ一番守らなければならないモノです。そのような存在を無防備にも前面に晒し出すという『親指を立てる』という行為には、並々ならぬ意味があります。
現代において、一般的に『親指を立てる』という行為は、『良い』という意思表示であります。作中で言われていた「グッジョブ!」などは、まさにその典型でしょう。しかしその行為は、ただ『良い』からと、適当に親指立てている訳ではありません。上にも書いたとおり、親指とは道徳的にも機能的にも一番守らなければならない指です。その大事な大事な親指を、危険に晒すかもしれないのに、わざわざ立てるということは、自分の保身を考えずに誰か・何かを賞賛するという、つまり自分の身を顧みないで賛辞を送りたいモノに対する、真の最大級の賛辞を送る行為なのです。

親指立て一度目は、委員会やテスト勉強で忙しかったから懸賞応募忘れたというかがみのセリフに対して行なわれました。
「いやいやそれは言い訳にすぎない」
「わたしは忘れたことないモン」
自分は忘れたことないと言いながら立てる親指。
「わたしは忘れたことないモン」で親指を立てるという事は、ある意味では自画自賛です。勿論只の自画自賛ではありません。
この言葉は前後の繋がり、すなわち「愛の量」からくる言葉でしょう。こなた曰く、「愛が足りなかった」から当たらなかった、「愛が足りなかったから」忘れた。逆に言えば、こなたが忘れたことないのは、彼女は十分すぎるほど『愛を持っている』からです。
愛を沢山持ってるから、だから忘れることはない。委員会やテスト勉強で忘れたなんて、こなたから見れば愛が足りなかった事に対する言い訳―――。
ここでの親指立ては、自分の『愛』です。
対象に対する愛。それがとても大きいから、忘れることなんてない。その愛に対する『親指立て』。
ある作品の真のファンならば、たとえどんな些細な懸賞プレゼントだろうとも、決して見逃したくはないでしょう。どんなに忙しくても、その作品のことを本当に愛しているのなら、絶対に忘れることはない。そしてこなたは、それを実践出来ている。それに対する親指立て。つまり、ファンが持つべき最も重要な要素『愛』を、ここまで爆発させている自身の、ファンとしての『成し遂げた』感情からくる親指立てなのです。
さて、もう一シーン、親指を立てている場面がありました。
最後の所です。

「グッジョブ!」
みゆきさんが電気を消してしまった所の言葉です。
「いまのこそ、いわゆる一つの萌え要素!」というセリフが直前にあったように、これはそのみゆきさんの萌え要素の炸裂に対する賞賛でもあります。が、単純にそれだけではありません。
先にも書きましたが、親指を立てるという行為は自身の保身を無視するほど大きい行為です。自分の身の安全以上に重大な主張。それに対して行なう行為。ただの賞賛や、良かったよ程度ではとても行なえない行為なのです。
さて。みゆきさんは、いわゆる一つの萌え要素的行動をしたのは確かですが、それはみゆきさんが意図して行なったことではありません。ついうっかりとってしまった行動です。
ここ以外にも、こなたはみゆきさんの行動に逐一萌え要素を見つけていますが、それもみゆきさんが意図して行なった行動ではありません。こなたの中では、みゆきさんは天然萌え萌えキャラなのかもしれませんが、みゆきさん自身は自分の事をその様には少しも思っておらず、そもそもこなたが反応している「萌え」要素を理解している節すらありません。そして恐らく、こなた自身もそのことに気付いているでしょう。(てゆうか誰でも気付くでしょう)
そのような状況で、こなたの価値観だけで一方的に「グッジョブ」とか言われても、みゆきさんには何のことかわけわからないでしょう。
つまり、ここでのこなたの「グッジョブ」は、みゆきさんに届くことはないのです。
それでも交わすこの親指立てての「グッジョブ」。
対象相手に絶対に届かないと分かっていながらも行なうこそ、この行動は、真に『賞賛』であり、こなたの愛の爆発なのです。
前述のように、こなたの脳内みゆきさんは、実際のみゆきさんとは違っています。というよりは、みゆきさん自身が思う、また他人が思うみゆきさん像とは異なっている、という方が的確かもしれません。
こなたが思う、天然萌え萌えなみゆきさんは、他の人が思い描くみゆきさん、また当のみゆきさん自身とは大きな齟齬がある。なぜこなたがそう思うのかは、それはこなたがこなただからです。こなたの知覚と知識を持ってしてみゆきさんを認識したら、こうなっちゃった。まあこうなるってことが想像に難くない所がまた、こなたらしいのですが。
さて、こなたが思う天然萌えみゆきさんは、こなたが勝手に思っているだけであります。さらにそのみゆきさんがイイと思うこと、これもまたこなたが勝手に思っていることです。みゆきさんにとってはむしろ、その天然な所は嫌に思っている部分かもしれません。それでも、こなたにとってはそこがみゆきさんのイイところで、愛してる部分でもあります。
だからこそ、このような自分の中の愛するみゆきさん像における最大級な行動を行なわれたこなたは、他者の理解も同意も関係なく、自身の愛する思いを、出来る限りの賞賛を伴って表明するのです。「グッジョブ」、と。
すなわち、この「グッジョブ」は、こなたの中のみゆきさん像に対する、誰の理解も同意も求めない、最大級の愛の爆発なのです。
ということで、このバカみたいに長い話も適度に尻切れトンボになりつつようやく終わりです。愛を炸裂させるかがみんの指立てや、愛を爆発させるこなたんの親指立てに注目して見ると、これからの「らき☆すた」がもっと面白くなるかもしれませんよ。ならないかもしれないけど。
WEB拍手を送る
あ。バカみたいに長いので、読むの面倒くさい人は記事タイトルを見て納得して下さい。あれがオチで結論です。

「らき☆すた」では、上記画像のような、キャラクターが『指を立てる』シーンが頻繁に登場します。
『指を立てる』というのは、所謂ボディランゲージのひとつです。身振り手振り。話す内容に対する補足効果を与えます。
自分が実生活で身振り手振りを行なう場合を想像するといいでしょう。
例えば、外人と話す場面で、身振り手振りを使って言葉だけでは足りない部分、伝わらないかも知れない部分を補強しようとする。例えば、演説やプレゼンテーションの場面で、伝わらない部分をさらに伝えるため、聴衆に呑まれそうな自らの意見を鼓舞するため、言葉以外の部分で言葉に力強さを付ける。例えば、熱心に語りたいことがある場合、自分の中の"ソレ"と、自分が発する言葉、そのどうしようもない軋轢を埋めるため、埋めたがるがための行動。
身振り手振りというのは、基本的に発する言葉の補強・補足です。より詳しく説明するための、より力強くするための、より自分の中のイメージに言葉を近づけるための、身振り手振り。
『指を立てる』という行為も、身振り手振りのひとつですが、他の身振り手振りに比べると実生活の中で使われることは少ないです。お店で「○○ひとつ下さい」という時に指を立てたり、自分かどうかの確認の為に自分を指差して聞く、という場面などはなかなかにありそうですが、そもそも『指を立てて人を指す』という行為が失礼の極地に当たるように、『指を立てる』という行為はどうにも使い勝手が悪いです。
私達が現実世界、実生活ではあまり活用しない『指を立てる』という行為ですが、この『らき☆すた』ではもの凄く活用しています。てゆうか狂ったくらい指立ててます。ヤベーです。
その辺をちょこっとだけ見ていきたいと思います。(のつもりが、果てしなく長くなった…)
【More】

冒頭、かがみが懸賞に応募し忘れた際のこなた。「愛が足りなかったんだね」。(天を指しながら)

その続き。「かがみの愛が足りないから忘れるんだよ」。(やや斜め前方気味の天を指しながら)

まだまだ続き。委員会やテスト勉強で忙しかったというかがみに対して、「いやいやそれは言い訳にすぎない」。「わたしは忘れたことないモン」。(親指を立てて)

さらに続き。遊びのことばっか考えてるあんたと一緒にすんな!てゆうか、言い方が凄いムカツク、というかがみに対して。「あはっ☆」。(やや自分を差しながら)

懸賞ってどうやったら当たるのかなぁ?というつかさに対して。「ひとえに……愛だよ」。(相手のほうを指差しながら、やや指上向き)

続いて懸賞の当て方講座。「字が綺麗なのは基本中の基本、抽選する相手が思わず手に取りたくなるようなハガキを書くんだよ……」。(やや自分向きに、天を指す)

そのまま懸賞講座。「プリンターとか使わず手書きにすること。それと一度に百枚」。(天を指す、というか説明対象が描かれてる部分を指している感じ)

まだまだ懸賞講義。「プリンターとか使わず手書きにすること。それと一度に百枚」。(やや自分向きに、天を指す)

かがみが、「百枚って、ちょ、おま」とか言った所に対するこなたの反応。「欲しいものを手に入れるんだよ?情熱も投資も必要だよ」。(相手を指差し)

相変らず懸賞の説明。「一度に出すんじゃなくて、少しづつ少しづつ出す。しかも日を別けてね。
枚数が多いと抽選担当者によっては撥ねられることも……」。(天を指して)

一通り説明聞いたかがみの「じゃあどうすりゃいいのよ?」に対して、こなた。「だから……愛だよ」。(相手を指差し、やや指上向き)

話題変わって、双子の話。「髪型とかリボンとか合わせると、案外似てるかもね」。(天を指差して)

「テレパシーとかある?」(上を指して、やや角度斜め)

双子話つづき。「どっちかが危ない目に会うともう一方も全然違う所でそれを察していたり」。(二つ前と同じ)

「不思議体験がいっぱいあるよね」。(上を指して)

「だからテレパシーあるんじゃない?」。(相手を指差す)

マナカナの説明。(天を指す)

「歌うときはちょっと声が違うって」(自分の口かノドらへんに指を指す)

二人の共通点の話。「ふたりともお菓子好きだよね?」。(天を指す。指斜め気味、傾げるような感じ)

ようやく舞台変わって、みゆきさんのジューンブライドの説明。(天を指す。ちょこちょこと指が左右に振れる)

それを聞いたこなたのコメント。オチ部分。「ヘラって激しく嫉妬深いってイメージあるから、やっぱり幸せって感じがしないんだけど」。(天を指す)

話の流れから、ドレスの話に。「夢がいっぱい、フリルいっぱい」。(天を指す)

その流れで。「だね。つかさはエンジェルサルビア……」。(天を指す)

「だから上は黄色で下はミニスカで決まり!」。(相手を指す)

その後、ドラクエの話に移行。そこに現れたかがみが一言。「断然ビアンカね!」。(天を指しながら)

ゲームの話。わからないところがあるというかがみに対して、「そういうのは自分で解くから面白いんじゃないの?」。(天を指す)

「ん。一理あるわね」「そうそう」。(相手を指差す)

場面変わって、探偵の話。「行方不明者を探して日本中……」。(天を指す)

「あとさ、実際に起こる事件で漫画やドラマみたいな……」。(天を指す)

話変わって、クロ高やぱにぽにのパロディネタから。「そこに疑問を感じちゃダメなんだよ。むしろ明らかに偏差値が違う生徒がいるって、どう考えても不思議じゃん?」。(斜め上を指す)

受験勉強の話。「お父さんがね、条件つけてきたの。Dランクならピピン、Cランクなら3DO、BランクならPS2とか」。(天を指す、角度やや斜め)

「そういえば二人は七夕生まれでしょ。もうすぐお誕生日だね」。(天を指す、指ちょっとだけ斜め)

厄年からお守りの話に。「てゆーか、ウチにも『やけくそ守り』ある……」。

「ちがっ、『厄除け守り』……」

ポニーテールの日の話。「あ、そうそう、二人の誕生日ってポニーテールの日って知ってた?」。以降ポニテの日の説明の間ずっと指立て。(3つ前と同じ絵)

クオカードの話。
「使っちゃダメでしょ。大事にとっておくんだよ。ぞんざいに扱ってる人を見かけると本気で腹が立つんだよね」。(相手を指す、やや指上向き)

「こういうアイテムって使っちゃダメなんだよ。ましてやオークションやショップに転がすなんてもっての他だから」。(真上を指す)

「そりゃファンとしてはもちろん、コレクターとしても失格」。(真上を指す)

所変わり、喫茶店でのみゆきさん話。「みゆきさんみたいなタイプって若干マニア向きなんだよ」。(天を指す。指やや斜め)

みゆきさんが電気消しちゃった後。「今のこそ、いわゆる一つの萌え要素!」。(天を指す)

「グッジョブ!」。(親指立てる)
さて、これが3話本編における『指を立ててるシーン』のほぼ全てです(つかさが指を立ててるシーンも4回くらいあるのですが、全て考え事をする時に自分の口元に指を立てるというもので、多分彼女の癖みたいなものだと思うので除外)。
つうか多い。40越えてますよ。
かがみ2カット、みゆきさん1カット、それぞれ指を立ててるシーンがあるのですが、それはひとまず置いておいて、圧倒的最多数37カットを誇るこなたさんの『指立て』を見てみましょう。
自分に向けて指立てる:1カット
自分に向けて指を立てるという行為の意味は、基本的には『自分』に関することであります。名前呼ばれて「あ、ぼくですか?」なんて場面で、自分に指を立てるのが良い例でしょう。
とはいえ、その自分を細分化すれば、それは自分だけではなくなります。このこなたの指立てシーンは、マナカナの声の説明の「歌うときはちょっと声が違うって」というトコなのですが、そこでこなたは自分の喉とも口ともとれるような場所に指を指しているのです。
つまり、普通に説明の補足ですね。
相手に向けて指を立てる:4カット
相手に対して指を向ける、というのは、言うまでもなくその相手に対する主張です。
よく矢印アイコンを『指』にするのがあったりしますが、それと同じ。言葉の指向性を、指によって決定付けているのです。
一に言葉の指向性。誰に対して言ってるのか不明瞭である言葉、その対象を明らかにするためのもの。
二に言葉の強調。相手が限定されるというのは、強調されるということでもあります。沢山の人、もしくはその"場"に対して喋っている言葉は、沢山の人、もしくはその"場"を通して聞く言葉なので、強調されてはいない。指を指すという行為によって指向性を得た言葉は、まるでその指から発射される弾丸のように強調され、その対象へと届くのです。
天を指す:15カット
今回最多。圧倒的多数な『天』を指差すカット。
さて。指を指すという行為は、先にも書いたとおりその言葉の指向性を決定付けるモノです。
相手を指すのであれば、それは相手に対する言葉である。喋っている内容を強調するため、また喋ってる内容が誰に対するものかを決定付ける為の行為。
自分を指すのであれば、それは自分に対する言葉。自分に対する事柄・自分の考え、また対象者が自分であるかの確認など。それが喉などの部分となれば、喋ってる内容をその指し示す部分にて補足説明しているともいえます。
この3話では存在しませんでしたが、地面を指差していたら、それはミクロな場に対するモノ。地面を指差して何かを喋る場面を想定すると―――例えば、それは"ここ"という場所を強調するモノであったり示すものであったり、"今"という時間を強調するモノであったり示すものであったり、見たまんま通り落ちた下がったという強調や指向性だったり―――ということが想像されます。指を指すという行為が、指向性の決定にある以上、地面・ここであるということ、そして今であるということが強調されていたり決定付けられていると考えられます。空間的に限定されている"ここ"、時間的に限定されている"今"という意味を有しているからこそ、下を指す、地面を指すという行為は『ミクロな場』に対するモノなのです。
それでは、天を指すという行為について。
普段私達は、『上を指差す』なんてことは滅多にしません。天気がどうだとか、上の階は何々だとかといった、物理的に上にあるものに対する言及―――つまり物理的に上に存在しているものに対する言葉だという、指向性を決定付けたい場合・強調を付けたい場合、くらいにしか上を指し示しません。
対して「らき☆すた」は、というかこなたは、非常に沢山の回数、『上』を指で指し示しています。もちろん、それは『物理的に上にあるモノ』に対する言葉ではありません。
まず、『指を立てる』という行為に対して、見ているこちら側はその『指』自体に注目します。これは単純に、通常の人間の状態との変化から、つまり普通にしている時と違う部分があって、それがその『指』だから―――ということです。
対象に対する脳の認識は、まずデフォルトの対象というのがあって、それと違う部分があるとそこに注目がいきます。人間の通常の状態と違う部分がある、しかもそれが『指を立てる』という行為により通常に人間のシルエットから逸脱している―――そこに注視する力、つまり集中力が生まれて、注目がそこに行くのです。これは例えば、タクシーの運転手があのような速度で走っているにも関わらず、手を挙げているお客を見つけるのに通じるところがあります。規定の『形』と現在の『形』を、脳内で照合して認識している訳です。だからそれが、「手を挙げている」などの行為で規定の『形』からずれれば、必然的にそこに注目が生じるのです。
指を立てれば、そこに注目が生まれます。次に、前述したとおり指を立てるというのは指向性の決定付けなのですから、その『指の方向』を注視します。現実でも同じですね。誰かが何処かに指を指せば、まずその人(の指)を見て、次にその方向を見る。
その指の行く先が人物ならば、その人物に対する言葉、もしくはその人物の意見なのだと判断できます。自分ならば、自分に対する言葉、もしくは自分の意見を言っているのだという意。なにかの物や部分ならば、そこに対する言葉や補足の為のソレだと判別できます。
下―――地面ならば、まず物理的に地面に対する言葉や説明なのかどうか。そうでないのなら、前述のようにそれが何かしらの暗喩や比喩の表現、つまり"ここ"や"今"や下がる、落ちるなどを表しているのではないかと考えられます。
では天を指すという行為は。
物理的な意味の天―――つまり空とか、上の階とかを意味しているのではないのなら、それは下を指すのと同じ様に、何らかの象徴となっていると考えられます。
先に下方向を『ミクロ』と称しましたが、それと呼応させると上方向は『マクロ』です。
下が"ここ"や"いま"を表すのに対して、上―――空や天は、"ここ"や"いま"を通り越した、何処までも果てしない空間・時間を感じさせます。例えば「天元突破グレンラガン」で、カミナがシモンに対して"天"を指差しながら「お前のドリルは、天を突き破るドリルだ」と言ったように、何処までも果てしない距離と時間を突き抜けていく印象が強いです。
単純に、下方向が地面と下という、行き止まり・行き着いてしまうという閉塞感があるのに対して、上方向は行き止まりも行き着いてしまうところもなく、開放感にあふれているからでしょう(逆にそれが不安を喚起させる可能性もありますが)。
これはもう少し俯瞰的に見ると、下を示すのが『作中』、上を示すのが『作外』という指向性を持っているのではないか?と考える事が出来ます。
"ここ""いま"というのが、そのまんま作品内の物語やキャラクター、その喋りなどの作中を表していて、何処までも続く空間や時間を表す天は、そのまま作品を通り越して作外に対する言及―――つまり作外、視聴者に対する指向性を持っているのではないでしょうか。
例えば、指を天に向けて指しながら話をする、なんていう構図だと、個人的には「Fate/StayNight」の遠坂凛を思い出します。アニメではなくビジュアルノベルの話で申し訳ないですが(苦笑)。
……と思ったのですが、完全に脱線しましたので分離しました。
http://bdkiss.blog54.fc2.com/blog-entry-314.html
『上』というものは、イメージという印象があります。
よく漫画なんかでイメージ映像的なものが出てくる時は、大抵『上側』に出てきますよね。この「らき☆すた」3話での、ハガキに対してデコレーションしている時の映像なんて象徴的でしょう。

キャラクターの頭上がキャラクターの脳内でのイメージだ、というのはかなり使い古されてきたモノで、もはやソレは記号化されているといっても良いかもしれません(上だから脳内、なんて想起プロセスも)。
上という方向には、キャラクターの脳内やイメージを喚起させるものである。
実際に今回こなたが『上』を指差した時の半分以上は、こなたの『イメージ』や『想像』を喋っている件でもありました。

「夢がいっぱい、フリルいっぱい」
「髪型とかリボンとか合わせると、案外似てるかもね」
「ヘラって激しく嫉妬深いってイメージあるから、やっぱり幸せって感じがしないんだけど」
「こういうアイテムって使っちゃダメなんだよ。ましてやオークションやショップに転がすなんてもっての他だから」。
こなたの『指を立てる』というボディランゲージをもってして、考えや想像やイメージの表明であるという指向性を得て、そこが強調されているのです。
ただ、「らき☆すた」は思いっきり会話劇なので、こなた一人の想像やイメージだけでは会話になりません。
さて。会話というのは、人それぞれのイメージや想像や考えの擦り併せにより出来ています。○○という対象について会話する場合、それのイメージは人それぞれ異なる。例えばチョココロネのどっちが頭でどっちが尾っぽかというのは、人それぞれ異なっています。それを議論したり、自分の意見を言ったり、人の意見を聞いたり、ただ適当に言ったり聞いたり、熱く語ったり聞き入ったり。己のイメージや想像を言葉に乗せて相手に伝える・届ける、またそれを相手から行なわれる、それが会話です。
「らき☆すた」が会話劇であり、そしてこなたが主人公格でありながらも、こなた一人では劇が進まない―――つまり会話劇ということなんですが―――である以上、こなたのイメージを語るだけでは圧倒的に足らないのです(それでもこなたが主役である以上、彼女のイメージが先行するのですが)。
イメージや想像が擦り併される会話、そしてそれは決して一人で行なえるものではなく、なによりそれを見ている視聴者はこなた側に立つ訳ではなく、あくまでも客観的に、誰の主体にも立たずに"それ"を見ている。
ならばここで示されるイメージとは、この『場』のイメージ、各キャラによって共有化されたソレである、といえるでしょう。
こなたが『上』を指した時に発した言葉の半分くらいは彼女自身の表明であったのですが、もう半分くらいは『話題の提供』でありました。

「そういえば二人は七夕生まれでしょ。もうすぐお誕生日だね」
「あ、そうそう、二人の誕生日ってポニーテールの日って知ってた?」
忘れてはいけないのが、この「らき☆すた」は作中劇だということ。
今まで言われてきたとおり、こなたやかがみは役としてこなたやかがみを演じて、彼女らには台本もあてがわれて(多分)、このお話の脚本を書いている人物もドコカにいるのです。
とりあえず、この3話の話題を見てみると、
・夏服
・懸賞と愛の話
・懸賞の当たり方
・双子の話
・マナカナの話
・電車内
・てんとう虫のサンバ・パンクバージョン
・ジューンブライド
・ドレスの話
・ドラクエⅤの話
・ゲームでわからないトコの話
・探偵の話
・巧妙なトリックの話
・雨と野球中止の話
・クロ高~ぱにぽに~偏差値違う生徒の話
・受験も一夜漬けの話
・こなたとかがみのゲーム対戦の話
・お菓子とダイエット話
・七夕生まれ~厄の話
・ポニーテールの日の話
・酔っ払い頭ネクタイの話
・クオカードの話
・喫茶店でのみゆきさん話
・電気消しちゃったみゆきさん話
赤字は早い段階でこなたが指立てた話題、青字は遅くともその話題内でこなたが指立てた話題です。ほとんどの話題において、こなたの『指立て』が起きています。それもかなり早い段階、2・3カット内や10秒以内の間で。
つまるところ、こなたの指立てには『話題の提供』という意味があるのです。
○○の話だよ、△△の話するよ、という話題の提供。
こなたやかがみ達のイメージの擦り併せとなる会話、その『場』に新たな話題を提供する。
こなたはこの会話劇の、この番組の司会者的立場にいると考えると分かりやすいでしょう。新たな話題を提供して、みんなでそれについて話して、自分の面白い想像やイメージなんかも語って、オチも付ける。
ここで面白いのは、かがみとの比較です。
かがみが話題を持ち出している場面が二箇所ほどありました―――が、彼女は指を立てませんでした。

手の平で、相手に話題を『振る』感じ。
こなたが指で上を指し示していたのに対して、明らかに違います。彼女は手の平で、こなた等に話題を振る。対してこなたは、指を上に挙げてその『場』自体に話題を振る。
各キャラクターのイメージの擦り併せ、その"場"に新たな話題を提供し、自分もその"場"を彩る。こなたはこの番組の、まさに司会者的役割にいるといえるでしょう。
そしてこれは、作品内のキャラクター、彼女らの会話における作用だけではなく、『視聴者と作品』に対する作用、ポジションとしても同じ様なことが言えるでしょう。
つまり、司会者こなたは各キャラクターに話題を振るのと同時に、視聴者にも話題を振っている。作品内だけに閉じない、マクロな場への話題提供。
テレビのバラエティー番組の、話題やコーナーの切り替えの感覚が近いでしょう。バラエティー番組ではコーナーが変わると、司会者が(もしくはナレーションなんかが)「○○のコーナー」のようなアナウンスをします。
それと同じ様に、この「らき☆すた」本編でもコーナー、つまり話題が変われば、それが「変わった」というアナウンスを行ないます。それが、こなたの『指立て』。
指を立てながら新しい話題を彼女が振ることにより、シームレスな流れながらも『話題が変わっている』ということを視聴者に告げ、そして同時に、新たな話題はコレだということも、視聴者に告げているのです。
(追記:まったくもって書くの忘れてましたが、斜め方向の指差しは、各要素が混在してるって感じでw)
【かがみんが 指を立てれば 愛炸裂】
さてさて、やっと、記事タイトルの話、本題です(笑)(むしろ笑えない)。
先にも言ったとおり、『指を上向きに立てる』という行為には、その人物のイメージや想像の表明という意味があります。さらには作品全体、ひいては視聴者に対する意思表明。あ~ちょっとこの辺は精査が激必要なコトを無理して書いちゃいますが(つーか全部じゃん)、『下を指す』というのがその空間的な意味と閉塞さから"ここ""いま"を表すのに対して、『上を指す』というのは空間的には"どこまでも"、そして一片も無い閉塞さから"いつまでも"を表しています。どこまでも、いつまでも。それの限界点、その何処と何時の果ては勿論『作品』です。作品内での提示なんだから、作品世界以外に"ソレ"はそのままでは生き残れない。……つまり上を指し示しての言葉には、この作品内に置いて"どこまでも""いつまでも"そのキャラクターのイメージ・想像・考えはこうだ!という意思表明が含まれているのです。
そしてその表明は、その様な"表明"といえるほど大きいモノ・感情だからこそ、それが作中内での普通の『形』から逸脱して、視聴者の目に止まりやすくなります。普段のキャラクターの言葉と少し違うから、普段僕らの認識している形から逸脱して、そこに注視するようになるのです。そうやって、作中内での只のキャラクターの表明は、そのキャラクターの"表明"として視聴者にも届いてしまうのです。
なのですが。
先にも書いたとおり、作品内での提示は、作品世界以外に"ソレ"そのままとしては生き残れません。
作品世界というのはフィクションで、作り事です。物事の全ては観測者がいて初めて存在しうるものであり、作品自体もまた観測者がいて初めて存在できるのですが―――作品自体は観測者が観測するまで存在していなくとも、作品内容自体は観測者が観測しなくても『存在』しているのです。(と思ったけど違うかも)
まあその辺は置いといて。
キャラクターの強い表明は、確かに視聴者へと届きますが、それは作中での彼女のイメージや想像、その言葉が『完全に』そのまま届いているとは限りません。
人と人との会話と同じです。思っていること、想像、イメージ、考え、それらを完全に他者に伝えることは不可能です。認識。思考も器官も知識も全て人それぞれ違っている。だから、そこにはどうしても齟齬が生じてしまう。その齟齬を少しでも埋めるため、少しでも確実に伝えるため、『身振り手振り』を使うのです。
指を上に向けて。
自分のイメージや想像や考えだという事を表し。
この場と、作品と、視聴者に対する指向性を備えて。

「断然ビアンカね!」
と、自分の想像を、イメージを、考えを、思いを、表明するのです。
作品、さらにはそれを見ている視聴者に対する意思表明。"表明"といえるほど、大きい感情―――
つまり、ビアンカに対する『愛』の炸裂なのです!
こなたにも、つかさにもみゆきさんにも、作品全体にも、さらには僕ら視聴者にも、かがみは身振り手振りしてしまうほどの大きな思いと絶対の指向性を持って、「断然ビアンカ!」と愛を炸裂させるのです。
かがみが指を立て、何かを喋ったシーンはこの第3話でもう一つありました。それは……

「てゆーか、ウチにも『やけくそ守り』ある……」

「ちがっ、厄除け守り……」
天に誇示するように指を立て、自信満々に喋るかがみから発せられた言葉、
『やけくそ守り』。
自分の間違いに気付き、あたふたと赤面しながら慌てて取り繕うかがみの言葉、
「ちがっ、厄除け守り……」。
この可愛さ、いじらしさ。視聴者に対する指向性をもって発せられた言葉は、その身振り手振りの強調と補足もあいまり、かがみが意図した"ソレ"と異なり、いや"ソレ"を大きく飛び越し、僕らに過剰なほど伝わりました。すなわち、愛が炸裂です。
僕らの、かがみに対する愛が炸裂。
こんな些細な間違いにこれだけ取り乱して赤面するかがみを愛さないで何を愛す!かがみの指先から弾丸のように撃ち出されたこの言葉郡は視聴者の認識を飛び越え感情そのものに大きな痕跡を残していった!つまり!かがみに対する愛が、この瞬間、我々の胸中にて炸裂したのだぁ!
とこのように、かがみ自身の愛と、かがみに対する愛が『炸裂』するという、かがみの指立てには途轍もなく大きな意味が込められているのです。
【こなたんが 親指立てたら 愛爆発】
さて、こなた。
彼女はかがみとは異なり、しょっちゅう指を立ててました。
司会者としての役割。話題の提供と膨らましを彼女が担うことにより、作品の流れを適切に作り出すことが出来る。
そんなこなたの指立てにも、普通とは一味違う『指を立てる』シーンが、この3話だと2箇所ほど存在していました。
それは、『親指を立てる』。
さて。古来より、親指というのは五本の指の中でも最も重要な指として活躍してきました。その名前からも明らかでしょう。他の指と異なり、『親』という重要なネーミングを付けられた指。かつて儒教思想を取り入れたこの日本において、『親』というのは非常に重要で大事にされてきました。ていうか、親の説明はいらないですよね^^。その親の名を冠する親指も、当然のように大事にされてきました。救急車や霊柩車を見たら親指を隠す、なんて言い伝えが僕の地元ではありましたが、それと同じです。その名を冠する指もまた、それ(親)を暗喩するものとして丁重に扱われてきたのです。また機能面でも五本の指の中で最も優秀で、例えばかつての日本では、農民一揆が起きた村では再び同じ様なことを起こさせない為に、鍬を握る為に絶対必要な親指を切り落とす、なんて処方が為されていたようです。親指一本失っただけでも武器を握って戦うことが出来なくなる。それほどの重要性を親指は持っていたのです。
このように、親指というモノは非常に重要で、かつ一番守らなければならないモノです。そのような存在を無防備にも前面に晒し出すという『親指を立てる』という行為には、並々ならぬ意味があります。
現代において、一般的に『親指を立てる』という行為は、『良い』という意思表示であります。作中で言われていた「グッジョブ!」などは、まさにその典型でしょう。しかしその行為は、ただ『良い』からと、適当に親指立てている訳ではありません。上にも書いたとおり、親指とは道徳的にも機能的にも一番守らなければならない指です。その大事な大事な親指を、危険に晒すかもしれないのに、わざわざ立てるということは、自分の保身を考えずに誰か・何かを賞賛するという、つまり自分の身を顧みないで賛辞を送りたいモノに対する、真の最大級の賛辞を送る行為なのです。

親指立て一度目は、委員会やテスト勉強で忙しかったから懸賞応募忘れたというかがみのセリフに対して行なわれました。
「いやいやそれは言い訳にすぎない」
「わたしは忘れたことないモン」
自分は忘れたことないと言いながら立てる親指。
「わたしは忘れたことないモン」で親指を立てるという事は、ある意味では自画自賛です。勿論只の自画自賛ではありません。
この言葉は前後の繋がり、すなわち「愛の量」からくる言葉でしょう。こなた曰く、「愛が足りなかった」から当たらなかった、「愛が足りなかったから」忘れた。逆に言えば、こなたが忘れたことないのは、彼女は十分すぎるほど『愛を持っている』からです。
愛を沢山持ってるから、だから忘れることはない。委員会やテスト勉強で忘れたなんて、こなたから見れば愛が足りなかった事に対する言い訳―――。
ここでの親指立ては、自分の『愛』です。
対象に対する愛。それがとても大きいから、忘れることなんてない。その愛に対する『親指立て』。
ある作品の真のファンならば、たとえどんな些細な懸賞プレゼントだろうとも、決して見逃したくはないでしょう。どんなに忙しくても、その作品のことを本当に愛しているのなら、絶対に忘れることはない。そしてこなたは、それを実践出来ている。それに対する親指立て。つまり、ファンが持つべき最も重要な要素『愛』を、ここまで爆発させている自身の、ファンとしての『成し遂げた』感情からくる親指立てなのです。
さて、もう一シーン、親指を立てている場面がありました。
最後の所です。

「グッジョブ!」
みゆきさんが電気を消してしまった所の言葉です。
「いまのこそ、いわゆる一つの萌え要素!」というセリフが直前にあったように、これはそのみゆきさんの萌え要素の炸裂に対する賞賛でもあります。が、単純にそれだけではありません。
先にも書きましたが、親指を立てるという行為は自身の保身を無視するほど大きい行為です。自分の身の安全以上に重大な主張。それに対して行なう行為。ただの賞賛や、良かったよ程度ではとても行なえない行為なのです。
さて。みゆきさんは、いわゆる一つの萌え要素的行動をしたのは確かですが、それはみゆきさんが意図して行なったことではありません。ついうっかりとってしまった行動です。
ここ以外にも、こなたはみゆきさんの行動に逐一萌え要素を見つけていますが、それもみゆきさんが意図して行なった行動ではありません。こなたの中では、みゆきさんは天然萌え萌えキャラなのかもしれませんが、みゆきさん自身は自分の事をその様には少しも思っておらず、そもそもこなたが反応している「萌え」要素を理解している節すらありません。そして恐らく、こなた自身もそのことに気付いているでしょう。(てゆうか誰でも気付くでしょう)
そのような状況で、こなたの価値観だけで一方的に「グッジョブ」とか言われても、みゆきさんには何のことかわけわからないでしょう。
つまり、ここでのこなたの「グッジョブ」は、みゆきさんに届くことはないのです。
それでも交わすこの親指立てての「グッジョブ」。
対象相手に絶対に届かないと分かっていながらも行なうこそ、この行動は、真に『賞賛』であり、こなたの愛の爆発なのです。
前述のように、こなたの脳内みゆきさんは、実際のみゆきさんとは違っています。というよりは、みゆきさん自身が思う、また他人が思うみゆきさん像とは異なっている、という方が的確かもしれません。
こなたが思う、天然萌え萌えなみゆきさんは、他の人が思い描くみゆきさん、また当のみゆきさん自身とは大きな齟齬がある。なぜこなたがそう思うのかは、それはこなたがこなただからです。こなたの知覚と知識を持ってしてみゆきさんを認識したら、こうなっちゃった。まあこうなるってことが想像に難くない所がまた、こなたらしいのですが。
さて、こなたが思う天然萌えみゆきさんは、こなたが勝手に思っているだけであります。さらにそのみゆきさんがイイと思うこと、これもまたこなたが勝手に思っていることです。みゆきさんにとってはむしろ、その天然な所は嫌に思っている部分かもしれません。それでも、こなたにとってはそこがみゆきさんのイイところで、愛してる部分でもあります。
だからこそ、このような自分の中の愛するみゆきさん像における最大級な行動を行なわれたこなたは、他者の理解も同意も関係なく、自身の愛する思いを、出来る限りの賞賛を伴って表明するのです。「グッジョブ」、と。
すなわち、この「グッジョブ」は、こなたの中のみゆきさん像に対する、誰の理解も同意も求めない、最大級の愛の爆発なのです。
ということで、このバカみたいに長い話も適度に尻切れトンボになりつつようやく終わりです。愛を炸裂させるかがみんの指立てや、愛を爆発させるこなたんの親指立てに注目して見ると、これからの「らき☆すた」がもっと面白くなるかもしれませんよ。ならないかもしれないけど。
WEB拍手を送る
スポンサーサイト
なるほど。
第一話の歯切れの悪さのような状態の原因が少し見えました。
たしかにこれを読んだ後に第一話の最初のお弁当シーンを見ると、
司会者としてのこなたを置いておいてつかさとみゆきさんが話すシーンが全体のテンポを削いでいる気がします。
また第一話でこなたが司会者としてオチを付けられない、
いわゆる投げっぱなし状態なのも役的な立場を放棄してるという意味でテンポを削いでいたんですね。
それを考えると第三話で製作者サイドも作品の形を構築したというとことでしょうか。
非常に興味深く、とても面白かったです。
ちなみに私は「ががみ、グッジョブ!」ですが。
第一話の歯切れの悪さのような状態の原因が少し見えました。
たしかにこれを読んだ後に第一話の最初のお弁当シーンを見ると、
司会者としてのこなたを置いておいてつかさとみゆきさんが話すシーンが全体のテンポを削いでいる気がします。
また第一話でこなたが司会者としてオチを付けられない、
いわゆる投げっぱなし状態なのも役的な立場を放棄してるという意味でテンポを削いでいたんですね。
それを考えると第三話で製作者サイドも作品の形を構築したというとことでしょうか。
非常に興味深く、とても面白かったです。
ちなみに私は「ががみ、グッジョブ!」ですが。
あゆみ歩 | 2007年04月29日(日) 21:46 | URL | コメント編集
>あゆみ歩さん
おお、言われてみるとそんな感じですね。
そこら辺は考えてなかったけど……うん、僕のこの文章はそういうことを意図して書かれたモノなんだよ!ということに勝手にしちゃいます(笑)。「グッジョブ!」っす。
>それを考えると第三話で製作者サイドも作品の形を構築したというとことでしょうか。
一応こなた達は役であのキャラを演じているという設定に基づくと、もしかすると3話辺りで役に『こなれてきた』のかもしれません。勿論製作側がこなれてきたと考えるのが当たり前なんですが、京アニのことなんでこのくらい高く見積もっても問題ないかもw
あ、ちなみに僕も、「ががみ、グッジョブ!」です。
おお、言われてみるとそんな感じですね。
そこら辺は考えてなかったけど……うん、僕のこの文章はそういうことを意図して書かれたモノなんだよ!ということに勝手にしちゃいます(笑)。「グッジョブ!」っす。
>それを考えると第三話で製作者サイドも作品の形を構築したというとことでしょうか。
一応こなた達は役であのキャラを演じているという設定に基づくと、もしかすると3話辺りで役に『こなれてきた』のかもしれません。勿論製作側がこなれてきたと考えるのが当たり前なんですが、京アニのことなんでこのくらい高く見積もっても問題ないかもw
あ、ちなみに僕も、「ががみ、グッジョブ!」です。
こんばんは、yukitaです。
ようやく、3話の感想が書き終わりました。
それにしても、なしおさんの『らき☆すた』への『愛』は熱いですね。
こなた達の指にまで、注目するなんて。
僕はまだまだ、『らき☆すた』への愛が足りないようです。
みのる君がみゆきを熱く語っていましたが、彼の語らいは、『キャラクター』への愛を語っている様にも聞こえ、『高良みゆき』という『実在の人物』への憧れにも聞こえました。
『涼宮ハルヒの憂鬱』のCMでハルヒが、
「私達SOS団の活躍を記録したDVDが発売される事が決定したわ!」
と言っていましたが、この視点から見ると『らき☆すた』は、ドキュメンタリーかなぁ、と朧気ながら思いました。
SOS団の活躍を記録した人物が居る様に、『らき☆すた』の記録係が居るのではないでしょうか?
でも今は、『ああ、面白いなぁ。』で良いのかなぁ、とも思います。
ようやく、3話の感想が書き終わりました。
それにしても、なしおさんの『らき☆すた』への『愛』は熱いですね。
こなた達の指にまで、注目するなんて。
僕はまだまだ、『らき☆すた』への愛が足りないようです。
みのる君がみゆきを熱く語っていましたが、彼の語らいは、『キャラクター』への愛を語っている様にも聞こえ、『高良みゆき』という『実在の人物』への憧れにも聞こえました。
『涼宮ハルヒの憂鬱』のCMでハルヒが、
「私達SOS団の活躍を記録したDVDが発売される事が決定したわ!」
と言っていましたが、この視点から見ると『らき☆すた』は、ドキュメンタリーかなぁ、と朧気ながら思いました。
SOS団の活躍を記録した人物が居る様に、『らき☆すた』の記録係が居るのではないでしょうか?
でも今は、『ああ、面白いなぁ。』で良いのかなぁ、とも思います。
>yukitaさん
どうも~こんばんは。
『らき☆すた』はkanonのように軸となるストーリーがさっぱり無いので、考えるとかは非常に難しいですよね。
だから僕はこのように、ありもしない所に"在る"を勝手に見つけ出して、結びつかない所に"繋がり"を勝手に紡ぎ出しちゃうのです。正気にて大業はならず、『らき☆すた』道はシグルイですよ(笑)。
>みのる君の事
あ~なるほど。yukitaさんのトコ見ると納得。たしかに、みのる君の語り口は劇中の人物に対する言葉ではないですね。
一応楽屋とか出てきてるので、劇というか作品ではあると思うのですが、そこでみゆきさん達にあてがわれた役はまるっきり彼女達『自身』なのかもしれないですね。みゆきさんがこなす役は、そのまんま『みゆきさん』。そしてストーリーも、そのまんま彼女達の『日常』。
ああ、これですよきっと!『役』『作中作』でありながら、その中身は『そうでないもの』と何一つ変わらない。それならば、なぜそんな作りにしたのか!
わざわざ作中作なんかにする必要は一つもないのに、わざわざこうしたのは何故なのか!
あ~、ここが『らき☆すた』のツボっぽいですね。
と、すいません。一人で勝手に取り乱してしまって(笑)。
てゆうかyukitaさん、ホント、白石みのる君気になってますね。でもそんな彼も、4話じゃとんでもないことに……!
どうも~こんばんは。
『らき☆すた』はkanonのように軸となるストーリーがさっぱり無いので、考えるとかは非常に難しいですよね。
だから僕はこのように、ありもしない所に"在る"を勝手に見つけ出して、結びつかない所に"繋がり"を勝手に紡ぎ出しちゃうのです。正気にて大業はならず、『らき☆すた』道はシグルイですよ(笑)。
>みのる君の事
あ~なるほど。yukitaさんのトコ見ると納得。たしかに、みのる君の語り口は劇中の人物に対する言葉ではないですね。
一応楽屋とか出てきてるので、劇というか作品ではあると思うのですが、そこでみゆきさん達にあてがわれた役はまるっきり彼女達『自身』なのかもしれないですね。みゆきさんがこなす役は、そのまんま『みゆきさん』。そしてストーリーも、そのまんま彼女達の『日常』。
ああ、これですよきっと!『役』『作中作』でありながら、その中身は『そうでないもの』と何一つ変わらない。それならば、なぜそんな作りにしたのか!
わざわざ作中作なんかにする必要は一つもないのに、わざわざこうしたのは何故なのか!
あ~、ここが『らき☆すた』のツボっぽいですね。
と、すいません。一人で勝手に取り乱してしまって(笑)。
てゆうかyukitaさん、ホント、白石みのる君気になってますね。でもそんな彼も、4話じゃとんでもないことに……!
こなたxかがみ<3^3^
ゆりか | 2007年05月27日(日) 00:10 | URL | コメント編集
あほか。少ない画数でキャラクターの演出をするのであれば、指指すしかねーだろ。
バストアップがほとんどなんだから。ビーバップハイスクールクール並の。低予算でいかにしてキャラクターの個性や感情を表現するとすれば、これしかねーよ。
もうちょっと、真面目に考えてくれよ。
もうどうでもいいんだけど。キモオタの妄想爆裂なんだろうと。
まぁがんばって広告して、DVDの売上を増やしてやってくれ。
バストアップがほとんどなんだから。ビーバップハイスクールクール並の。低予算でいかにしてキャラクターの個性や感情を表現するとすれば、これしかねーよ。
もうちょっと、真面目に考えてくれよ。
もうどうでもいいんだけど。キモオタの妄想爆裂なんだろうと。
まぁがんばって広告して、DVDの売上を増やしてやってくれ。
ほげ | 2007年09月06日(木) 02:17 | URL | コメント編集
書いた人がんばった! 俺もココまでは書けないだろう・・・。
「指を立てたら」ね~、ココに着目したか・・・、よく見ていらっしゃる。
DVDも「限定版」でフルコンプ中で~す。中学にしてはすごいだろ?
「指を立てたら」ね~、ココに着目したか・・・、よく見ていらっしゃる。
DVDも「限定版」でフルコンプ中で~す。中学にしてはすごいだろ?
konakona | 2008年02月05日(火) 06:33 | URL | コメント編集
私は第一話や作品の所々最近見始めた身ですが
この指立てに関する説明を見て、ある種の萌え要素
いわゆる「らき☆すた」での面白味のようなモノを
自分の胸につかんだ気がします。
ありがとぅすございます!(←↑書いた人へのアリガト文)
この指立てに関する説明を見て、ある種の萌え要素
いわゆる「らき☆すた」での面白味のようなモノを
自分の胸につかんだ気がします。
ありがとぅすございます!(←↑書いた人へのアリガト文)
| 2009年02月03日(火) 15:11 | URL | コメント編集
コメントを投稿する
この記事のトラックバックURL
→http://bdkiss.blog54.fc2.com/tb.php/313-24d04523
この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)
この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)
この記事へのトラックバック
絵のこととプリキュア5GoGo!のこれまで感想を一緒に書くと散漫になっちゃいそうなんで、先に絵の話だけ別エントリーで。
この絵で何回粘る...
2008/05/17(土) 03:22:17 | あにめ感想にっきV3
| BLOGTOP |