2007'05.09 (Wed) 03:37
http://www.youtube.com/watch?v=VatkGGooKrI
遂に公開となった……のか、勝手にアップしてるのかは知りませんが、ともかく、「リトルバスターズ!」のプロモーションビデオがyoutube上で見れるようになっています。
う~~ん、これはもう、どう見ても、『リトルなバスターズ』ですね。
以下、公式サイトからの引用などありますので、何一つ前情報仕入れたくないという方はご注意下さい。
あと、『kanon』と『AIR』と『CLANNAD』のネタバレがありますので、ご注意です。
このデモPV、歌もそうですけど、映像も、今までのkey作品とは少しだけ違った感じに見えます。端的に言っちゃうと、普通のギャルゲーのように見えます。以前のkeyとどう違うのかというと。
kanonも、AIRも、CLANNADも。歌と映像が、非常に『喪失感』を煽るのです。(OPについて、の話です。前記作のPVは見たこと無いし、リトバスのOPも見たことないので分からないといえば分からないのですが、そこはそれ、PVをOPと見立てて話を進めちゃいましょう)(てゆうか、これがOPの可能性も高そうじゃないスか?)
例えば『kanon』なら、今にも消え入りそうな儚さを感じさせる、『Last Regrets』という主題歌があり、映像に出てくるキャラクター達も、雪が溶けるようにふっと消えていってしまいます。
http://www.youtube.com/watch?v=BnwhBEytB_w
kanonのOP。悲しみの元になったあの木から、太陽の輝く空へと昇っていくカメラの動きは、そのまま、物語内容の、冬=悲しい思い出→春=新しい始まり、を想起させる内容であります。
気が付いたら積もっていて、そしてあっさりと溶けていく雪のように、一瞬にして現れて、僅かばかりの余韻を残しながら消えていってしまうキャラクター達。雪と共に現れ、雪と共に消えていく。そんな物語を良く表している映像であると、思えます(もちろん、後出しだから言えることではありますが^^)。
続いて『AIR』。
http://www.youtube.com/watch?v=gpxkuSXd2Jc
始まりの場所、あのバス停。モノクロで写しだされるこの絵は。既に物語を終えた者には、思い出を彩るセピアのように見えて。これから物語を始める者には、「目覚めは、まぶしい」の作中の言葉通り、まぶしさに目が慣れていない、つまりこの『AIR』という世界にまだ慣れていないプレイヤーの心境を、視覚として表現しているかのように思えます。
そして『AIR』のタイトル表示とともに、色が付き、空へと飛び立っていく映像―――。
ドアップから入り、消えていく時はその場から、少しづつ薄く薄くなっていく、美凪と佳乃。彼女達のシナリオは、AIRであってAIRではない、『DREAM』なのです。彼女達のシナリオでは。主人公は、彼女達と別れることはない。シナリオ終了後も、そのまま、幸せな生活が続いていくかもしれない。けれどそれは『AIR』ではなくて、『DREAM』。その幸せは、泡沫の夢でしかないのです。
美凪シナリオで語られていた通り、夢はいつかは終わらなくてはいけない。終わらせなくてはいけない。だってこれは、『AIR』という物語なんだから。
だから、ドアップになるほどまで、彼女達に近づくことが出来るのに、徐々に離れていってしまい、そして、夢が覚めるかのように、薄く淡く、彼女達は消え去っていってしまうのです。
観鈴もまた、ドアップから入ります。『DREAM』において、観鈴の近くまで達することの出来た物語。しかし、それこそ泡沫。往人が近づけたDREAM編そのものが夢だとして、その夢から醒めようとしているかのように、すっと遠ざかってしまう観鈴。とはいえ彼女は、美凪や佳乃のように、そこから消え去ることはありません。美凪や佳乃の物語は、DREAMが終われば覚めてしまう物語だけれど、観鈴の物語はそれだけではなく、そこから先も、続いていくのです。
……しかし、続いていく彼女の物語は、フラフラになりながら、階段を駆け上がる映像のように。寂しげな瞳を携え、風に揺れる髪の毛のように。「最後は……どうか、幸せな記憶を」。そして最後の最後、写しだされる文字は「さようなら」。 ……てゆうかなんスかコレ!どんだけ喪失フラグ立ってるんスか!
とまあ、『AIR』は言うまでもなく、喪失感バリバリなのです。あと、歌。勿論言うまでもないですよね、「鳥の詩」の威力は。
そして、『CLANNAD』。
http://www.youtube.com/watch?v=lU8TAp5c2yw
「透き通る夢を見ていた」
透き通る、という言葉には。透明、つまり純粋、無色、無垢、ピュア。とっても高貴で気高いもの、貴重なものという、印象を与えられます。
さらに。どれだけ足掻いても、手を伸ばしても。それが「透き通って」しまって、決して掴めないんじゃないか、という印象も与えます。
しかも、夢。
とっても純で素敵なものなのだけど、どれだけ足掻いても届かない場所にある。しかもその上、それは『夢』。喪失感、どころではありません。失う以前に、手に入りさえしないのです。
最初、雪が降っているのかと思いました。
でも、違った。それは地面から、空へと飛んでいく光の粒。この光の正体は、そのものずばり『喪失』です。その中で、ひとつだけ、そこに留まるようにたゆたう光がありました。
やがてその光は、もうひとつの光と連れ立って、空へと、飛び立っていきます。
「このまま飛び立てば何処にだっていける」
右へと左へと、移動して登場してくるキャラクター達。同じく、動きのある学校の風景と同じく。『流転』という言葉を、想起せざるをえません。街並みはどんどん変わっていって。杏や春原や、高校時代仲が良かった友達とも、卒業後は疎遠になっていって。全ては移り変わっていくもの。
でも、それは。
「このまま飛び立てば何処にだっていける」の言葉通り、ただ単純に移り変わっていくだけのものではなくて、自分で歩いている道だからこその、移り変わり。飛び立てば、何処にでもいけるけれど、今いる場所のものは失ってしまう。それでも。喪失するだけではなく、手に入れられるモノも、ここでは示されてはいませんが、きっとあるはずなのです。
この喪失しか写していない映像の最後は、坂の下で待つ渚。始まりにして終わり。
それを、どれだけ足掻いても届かないものとしてしまうか、渚の元へと飛び立って連れ戻すかは。あの空へと飛び立った、喪失であるはずの二つの光が鍵を握っているのでしょう。
さて、過去のkey作品、『kanon』『AIR』『CLANNAD』のOPを見てきましたが、そのどれもが、歌はもとより映像も、『喪失感』が非常に強いものでした。
あれは消え失せて、これは覚めちゃって、それは変わっていく。
もちろん、細かい内容は物語を知っている今だからこそ言えるものではあるのですが、それでも、物語を知らなくても、何処となく『喪失感』が漂っているのは感じて頂けると思います。
では、リトバスのデモ(OPかも)を見てみましょう。
http://www.youtube.com/watch?v=VatkGGooKrI

まず最初に、セピア色の子供時代。
この辺は、
まさにこれでしょう。
辛くふさぎ込んできた直枝理樹の前に現れた、「リトルバスターズ」。
彼らと出会い、親友となり、お祭り騒ぎのような日々を過ごし始めた理樹。
彼らはその理樹の辛かった日々を、退治してくれたのです。
一番右の真人の服がボロボロなことこそ、これが理樹とリトルバスターズの「最初の出会い」だということ。
そこから時は流れて、高校生となった彼ら―――。

さてさて、話少し変わって。『kanon』も『AIR』も『CLANNAD』も、そしてこの『リトルバスターズ!』も。タイトルが入ると同時くらいに、カメラが空へと動きます。
空へと縦方向に動かすカメラの動きは、『希望』を意味しています。人を縛り付ける様々な事柄。問題とか、人間関係とか、悩みとか。みんな大なり小なり、何かに縛られて生きています。みんな大なり小なり、閉塞感があるんです。限界があるんです。壁があるんです。それらを越えたいと思ってるのです。つまり、希望を持ちたいのです。
だから、空を見上げる。空と此処は繋がっているんだけど、空には絶対に手が届かない。人間は飛ぶことは出来ないから。けれど空と地上は繋がっていて、あの空にある空間は届かない場所なんだけど、空気は循環しているのだから、いつかはあの場所にあったモノが、自分の所にまで廻ってくるかもしれない。いつかは来るかもしれないけれど、いつ来るかは分からない。つまりは、未来と一緒。現在と未来は地続きだけど、現在そのものは、未来に絶対に手が届かない。時間は動いているから、いつかはその未来が今になるかもしれないけど、それがいつになるかは分からない。
空と未来は同じなんです。
飛ぶことは出来ないから、絶対に手が届くことはない。けれどそれは、いつかは此処に来るかもしれない。自分からは届かない。時間を越えることも、重力を無くすことも出来ない。それはどうしようもない限界で、人間を縛っているモノ。だからこそ、空を見上げることが『希望』なのです。現在の縛りを越えた先に想いを抱くということ。今の限界を越えた未来に想いを抱くということが、『希望』。
冬の日の終わりも、物語の終焉となる空も、届かなかったものに届く光も。それらが目指す先の空は、全て希望なんです。
「高く飛べ、高く空へ、高く蹴れ、高く声をあげ―――」
その空への思いが。今までの『kanon』『AIR』『CLANNAD』が、希望を抱くまでだったとしたら、「高く飛べ、高く空へ、高く蹴れ、高く声をあげ―――」とまで言っているこの『リトルバスターズ』は、その『希望』自体に達する物語なのではないでしょうか。
「キミの声忘れない、涙も忘れない、これからはじまる希望という名の未来を、その足は歩き出す、やがて来る遠くを―――」
流転。またこの「リトバス」も、キャラクター達は流れるように現れては消えていきます。そこには別れが、喪失が、あるのかもしれない。
そもそも。
それはともかくとして。
たとえそんな中でも、失った者の声も涙も忘れないで、希望という道そのものを歩き出すのです。
空と未来と、希望は同じ。
高く空へと蹴って飛んで、希望そのものに達したのなら。たとえ何かを失っていたとしても、しっかりと『希望』の道を歩んでいけるのです。幾度か出てきた、鳥がキーワードでもあるのでしょう。空=未来=希望を自由に飛びまわれる、鳥。それに理樹がなれるのか、それとも憧れるのか。それとも、この物語自体が、そういうもののように見える物語なのか。

「その足は歩き出す、やがて来る過酷を、乗り越えてくれると、信じさせてくれるの―――」
最後に、また冒頭と同じ子供の頃のリトルバスターズの風景―――そこに、今の理樹と仲間達の写真が被さるように入ります。
ふさぎ込んでいた子供時代の自分に、手を差し伸べてくれたリトルバスターズ。彼らがいたからこそ、この今の沢山の仲間との風景がある。それはきっと、「いつまでもこんな時間が続けばいい」と思うような、幸せの風景でしょう。
でも。
その写真すらもセピアに変わっていってしまう。理樹のふさぎ込んでいた日々は、小さな破壊者達が壊していったけれど、それで手に入れた楽しい日々も、また壊れていくのかもしれない。
それでも、希望へと高く飛んで、希望という名の未来を歩き出すその足には。過酷も、困難も。乗り越えられる強さがあると、信じさせてくれるものなのです。
(注:歌詞は全部耳コピなので、違ってるかもしれません。特に『過酷』ってところ、『残酷』かもしれない)
WEB拍手を送る
ああ、なんかリトバス予想(つうか妄想)っぽくなってしまった!今までの鍵作品的に、歌詞から予想して当たるとは思えないのでw、今回も当たってる部分は殆どないと思います(笑)。一見すると喪失感が薄い感じがあって、今までのkey作品とは、ほんのちょびっとだけ毛色が違うかもという雰囲気はあるけれど、この作品が良い意味で今までのkey作品を破壊してくれる「リトルバスターズ!」であると信じています。ユーザーの過酷な目も、key作品という重圧も、乗り越えてくれると、信じさせてくれるの―――って感じの出来の、良いデモでした。つうか期待出来すぎてヤバイ。
これもまた、『kanon』や『AIR』や『CLANNAD』がそうだったように、ゲームクリア後から見れば、意味を創出できるような作りだったりするんでしょうね、多分。
遂に公開となった……のか、勝手にアップしてるのかは知りませんが、ともかく、「リトルバスターズ!」のプロモーションビデオがyoutube上で見れるようになっています。
う~~ん、これはもう、どう見ても、『リトルなバスターズ』ですね。
以下、公式サイトからの引用などありますので、何一つ前情報仕入れたくないという方はご注意下さい。
あと、『kanon』と『AIR』と『CLANNAD』のネタバレがありますので、ご注意です。
【More】
あの一番辛かった日々。
毎日ふさぎ込んでいた日々。
そんな僕の前に、四人の男の子が現れて、僕に手を差しのばしてくれたんだ。
~~~~(中略)~~~~~~それが、僕らの出会いで、そしてそんなお祭り騒ぎのような日々の始まりでもあった。
ずっと、そうして彼らと生きていたら、僕はいつの間にか心の痛みも寂しさも忘れていた。
ただただ、楽しくて…
いつまでもこんな時間が続けばいい。
それだけを願うようになった。
(公式ページより)
このデモPV、歌もそうですけど、映像も、今までのkey作品とは少しだけ違った感じに見えます。端的に言っちゃうと、普通のギャルゲーのように見えます。以前のkeyとどう違うのかというと。
kanonも、AIRも、CLANNADも。歌と映像が、非常に『喪失感』を煽るのです。(OPについて、の話です。前記作のPVは見たこと無いし、リトバスのOPも見たことないので分からないといえば分からないのですが、そこはそれ、PVをOPと見立てて話を進めちゃいましょう)(てゆうか、これがOPの可能性も高そうじゃないスか?)
例えば『kanon』なら、今にも消え入りそうな儚さを感じさせる、『Last Regrets』という主題歌があり、映像に出てくるキャラクター達も、雪が溶けるようにふっと消えていってしまいます。
http://www.youtube.com/watch?v=BnwhBEytB_w
kanonのOP。悲しみの元になったあの木から、太陽の輝く空へと昇っていくカメラの動きは、そのまま、物語内容の、冬=悲しい思い出→春=新しい始まり、を想起させる内容であります。
気が付いたら積もっていて、そしてあっさりと溶けていく雪のように、一瞬にして現れて、僅かばかりの余韻を残しながら消えていってしまうキャラクター達。雪と共に現れ、雪と共に消えていく。そんな物語を良く表している映像であると、思えます(もちろん、後出しだから言えることではありますが^^)。
続いて『AIR』。
http://www.youtube.com/watch?v=gpxkuSXd2Jc
始まりの場所、あのバス停。モノクロで写しだされるこの絵は。既に物語を終えた者には、思い出を彩るセピアのように見えて。これから物語を始める者には、「目覚めは、まぶしい」の作中の言葉通り、まぶしさに目が慣れていない、つまりこの『AIR』という世界にまだ慣れていないプレイヤーの心境を、視覚として表現しているかのように思えます。
そして『AIR』のタイトル表示とともに、色が付き、空へと飛び立っていく映像―――。
ドアップから入り、消えていく時はその場から、少しづつ薄く薄くなっていく、美凪と佳乃。彼女達のシナリオは、AIRであってAIRではない、『DREAM』なのです。彼女達のシナリオでは。主人公は、彼女達と別れることはない。シナリオ終了後も、そのまま、幸せな生活が続いていくかもしれない。けれどそれは『AIR』ではなくて、『DREAM』。その幸せは、泡沫の夢でしかないのです。
美凪シナリオで語られていた通り、夢はいつかは終わらなくてはいけない。終わらせなくてはいけない。だってこれは、『AIR』という物語なんだから。
だから、ドアップになるほどまで、彼女達に近づくことが出来るのに、徐々に離れていってしまい、そして、夢が覚めるかのように、薄く淡く、彼女達は消え去っていってしまうのです。
観鈴もまた、ドアップから入ります。『DREAM』において、観鈴の近くまで達することの出来た物語。しかし、それこそ泡沫。往人が近づけたDREAM編そのものが夢だとして、その夢から醒めようとしているかのように、すっと遠ざかってしまう観鈴。とはいえ彼女は、美凪や佳乃のように、そこから消え去ることはありません。美凪や佳乃の物語は、DREAMが終われば覚めてしまう物語だけれど、観鈴の物語はそれだけではなく、そこから先も、続いていくのです。
……しかし、続いていく彼女の物語は、フラフラになりながら、階段を駆け上がる映像のように。寂しげな瞳を携え、風に揺れる髪の毛のように。「最後は……どうか、幸せな記憶を」。そして最後の最後、写しだされる文字は「さようなら」。 ……てゆうかなんスかコレ!どんだけ喪失フラグ立ってるんスか!
とまあ、『AIR』は言うまでもなく、喪失感バリバリなのです。あと、歌。勿論言うまでもないですよね、「鳥の詩」の威力は。
そして、『CLANNAD』。
http://www.youtube.com/watch?v=lU8TAp5c2yw
「透き通る夢を見ていた」
透き通る、という言葉には。透明、つまり純粋、無色、無垢、ピュア。とっても高貴で気高いもの、貴重なものという、印象を与えられます。
さらに。どれだけ足掻いても、手を伸ばしても。それが「透き通って」しまって、決して掴めないんじゃないか、という印象も与えます。
しかも、夢。
とっても純で素敵なものなのだけど、どれだけ足掻いても届かない場所にある。しかもその上、それは『夢』。喪失感、どころではありません。失う以前に、手に入りさえしないのです。
最初、雪が降っているのかと思いました。
でも、違った。それは地面から、空へと飛んでいく光の粒。この光の正体は、そのものずばり『喪失』です。その中で、ひとつだけ、そこに留まるようにたゆたう光がありました。
やがてその光は、もうひとつの光と連れ立って、空へと、飛び立っていきます。
「このまま飛び立てば何処にだっていける」
右へと左へと、移動して登場してくるキャラクター達。同じく、動きのある学校の風景と同じく。『流転』という言葉を、想起せざるをえません。街並みはどんどん変わっていって。杏や春原や、高校時代仲が良かった友達とも、卒業後は疎遠になっていって。全ては移り変わっていくもの。
でも、それは。
「このまま飛び立てば何処にだっていける」の言葉通り、ただ単純に移り変わっていくだけのものではなくて、自分で歩いている道だからこその、移り変わり。飛び立てば、何処にでもいけるけれど、今いる場所のものは失ってしまう。それでも。喪失するだけではなく、手に入れられるモノも、ここでは示されてはいませんが、きっとあるはずなのです。
この喪失しか写していない映像の最後は、坂の下で待つ渚。始まりにして終わり。
それを、どれだけ足掻いても届かないものとしてしまうか、渚の元へと飛び立って連れ戻すかは。あの空へと飛び立った、喪失であるはずの二つの光が鍵を握っているのでしょう。
さて、過去のkey作品、『kanon』『AIR』『CLANNAD』のOPを見てきましたが、そのどれもが、歌はもとより映像も、『喪失感』が非常に強いものでした。
あれは消え失せて、これは覚めちゃって、それは変わっていく。
もちろん、細かい内容は物語を知っている今だからこそ言えるものではあるのですが、それでも、物語を知らなくても、何処となく『喪失感』が漂っているのは感じて頂けると思います。
では、リトバスのデモ(OPかも)を見てみましょう。
http://www.youtube.com/watch?v=VatkGGooKrI

まず最初に、セピア色の子供時代。
この辺は、
あの一番辛かった日々。
毎日ふさぎ込んでいた日々。
そんな僕の前に、四人の男の子が現れて、僕に手を差しのばしてくれたんだ。
まさにこれでしょう。
辛くふさぎ込んできた直枝理樹の前に現れた、「リトルバスターズ」。
彼らと出会い、親友となり、お祭り騒ぎのような日々を過ごし始めた理樹。
彼らはその理樹の辛かった日々を、退治してくれたのです。
一番右の真人の服がボロボロなことこそ、これが理樹とリトルバスターズの「最初の出会い」だということ。
そこから時は流れて、高校生となった彼ら―――。

さてさて、話少し変わって。『kanon』も『AIR』も『CLANNAD』も、そしてこの『リトルバスターズ!』も。タイトルが入ると同時くらいに、カメラが空へと動きます。
空へと縦方向に動かすカメラの動きは、『希望』を意味しています。人を縛り付ける様々な事柄。問題とか、人間関係とか、悩みとか。みんな大なり小なり、何かに縛られて生きています。みんな大なり小なり、閉塞感があるんです。限界があるんです。壁があるんです。それらを越えたいと思ってるのです。つまり、希望を持ちたいのです。
だから、空を見上げる。空と此処は繋がっているんだけど、空には絶対に手が届かない。人間は飛ぶことは出来ないから。けれど空と地上は繋がっていて、あの空にある空間は届かない場所なんだけど、空気は循環しているのだから、いつかはあの場所にあったモノが、自分の所にまで廻ってくるかもしれない。いつかは来るかもしれないけれど、いつ来るかは分からない。つまりは、未来と一緒。現在と未来は地続きだけど、現在そのものは、未来に絶対に手が届かない。時間は動いているから、いつかはその未来が今になるかもしれないけど、それがいつになるかは分からない。
空と未来は同じなんです。
飛ぶことは出来ないから、絶対に手が届くことはない。けれどそれは、いつかは此処に来るかもしれない。自分からは届かない。時間を越えることも、重力を無くすことも出来ない。それはどうしようもない限界で、人間を縛っているモノ。だからこそ、空を見上げることが『希望』なのです。現在の縛りを越えた先に想いを抱くということ。今の限界を越えた未来に想いを抱くということが、『希望』。
冬の日の終わりも、物語の終焉となる空も、届かなかったものに届く光も。それらが目指す先の空は、全て希望なんです。
「高く飛べ、高く空へ、高く蹴れ、高く声をあげ―――」
その空への思いが。今までの『kanon』『AIR』『CLANNAD』が、希望を抱くまでだったとしたら、「高く飛べ、高く空へ、高く蹴れ、高く声をあげ―――」とまで言っているこの『リトルバスターズ』は、その『希望』自体に達する物語なのではないでしょうか。
「キミの声忘れない、涙も忘れない、これからはじまる希望という名の未来を、その足は歩き出す、やがて来る遠くを―――」
流転。またこの「リトバス」も、キャラクター達は流れるように現れては消えていきます。そこには別れが、喪失が、あるのかもしれない。
そもそも。
いつまでもこんな時間が続けばいい。これってどう見てもお別れフラグでは―――。
それだけを願うようになった。
それはともかくとして。
たとえそんな中でも、失った者の声も涙も忘れないで、希望という道そのものを歩き出すのです。
空と未来と、希望は同じ。
高く空へと蹴って飛んで、希望そのものに達したのなら。たとえ何かを失っていたとしても、しっかりと『希望』の道を歩んでいけるのです。幾度か出てきた、鳥がキーワードでもあるのでしょう。空=未来=希望を自由に飛びまわれる、鳥。それに理樹がなれるのか、それとも憧れるのか。それとも、この物語自体が、そういうもののように見える物語なのか。

「その足は歩き出す、やがて来る過酷を、乗り越えてくれると、信じさせてくれるの―――」
最後に、また冒頭と同じ子供の頃のリトルバスターズの風景―――そこに、今の理樹と仲間達の写真が被さるように入ります。
ふさぎ込んでいた子供時代の自分に、手を差し伸べてくれたリトルバスターズ。彼らがいたからこそ、この今の沢山の仲間との風景がある。それはきっと、「いつまでもこんな時間が続けばいい」と思うような、幸せの風景でしょう。
でも。
その写真すらもセピアに変わっていってしまう。理樹のふさぎ込んでいた日々は、小さな破壊者達が壊していったけれど、それで手に入れた楽しい日々も、また壊れていくのかもしれない。
それでも、希望へと高く飛んで、希望という名の未来を歩き出すその足には。過酷も、困難も。乗り越えられる強さがあると、信じさせてくれるものなのです。
(注:歌詞は全部耳コピなので、違ってるかもしれません。特に『過酷』ってところ、『残酷』かもしれない)
WEB拍手を送る
ああ、なんかリトバス予想(つうか妄想)っぽくなってしまった!今までの鍵作品的に、歌詞から予想して当たるとは思えないのでw、今回も当たってる部分は殆どないと思います(笑)。一見すると喪失感が薄い感じがあって、今までのkey作品とは、ほんのちょびっとだけ毛色が違うかもという雰囲気はあるけれど、この作品が良い意味で今までのkey作品を破壊してくれる「リトルバスターズ!」であると信じています。ユーザーの過酷な目も、key作品という重圧も、乗り越えてくれると、信じさせてくれるの―――って感じの出来の、良いデモでした。つうか期待出来すぎてヤバイ。
これもまた、『kanon』や『AIR』や『CLANNAD』がそうだったように、ゲームクリア後から見れば、意味を創出できるような作りだったりするんでしょうね、多分。
スポンサーサイト
ふむ、そういう感じになる予想ですか...
今までは、家族との関係を書いてきましたが
今回はやはり友達との友情系の話になるんでしょうかね?
曲のほうは、5月25日に」期待です。
今までは、家族との関係を書いてきましたが
今回はやはり友達との友情系の話になるんでしょうかね?
曲のほうは、5月25日に」期待です。
通りすがりの鍵信者 | 2007年05月10日(木) 23:45 | URL | コメント編集
>通りすがりの鍵信者さん
今回が友情の話になるのか、また家族メインでいくのか、まだなんともいえない感じはありますね。やっぱ麻枝さんだし。でも、家族にしろ友達にしろ、『絆』みたいな、関係性の深さみたいなのが共通したテーマかなとか思ったりします。
過去の理樹の「ふさぎ込んでいた」というのが、家族絡みなのかもしれないですね。『ONE』の浩平の子供の頃みたいな感じで。となると、リトルバスターズの面々はちょうど長森ポジションになりますね。
個人的には2007年麻枝版『ONE』みたいなベクトルかな、とか上記のヘボイ根拠で思ったりしてます(笑)。麻枝さんこれが最後とか言う話ですし、『ONE』で作り上げられた麻枝作品の全てを、『リトルバスターズ』でちょこっとぶっ壊す、とか。
>曲のほうは、5月25日に
今回の曲、かなり「芸が広がった」感がありましたからね。いやもう、2曲目3曲目も超期待ですよ。
今回が友情の話になるのか、また家族メインでいくのか、まだなんともいえない感じはありますね。やっぱ麻枝さんだし。でも、家族にしろ友達にしろ、『絆』みたいな、関係性の深さみたいなのが共通したテーマかなとか思ったりします。
過去の理樹の「ふさぎ込んでいた」というのが、家族絡みなのかもしれないですね。『ONE』の浩平の子供の頃みたいな感じで。となると、リトルバスターズの面々はちょうど長森ポジションになりますね。
個人的には2007年麻枝版『ONE』みたいなベクトルかな、とか上記のヘボイ根拠で思ったりしてます(笑)。麻枝さんこれが最後とか言う話ですし、『ONE』で作り上げられた麻枝作品の全てを、『リトルバスターズ』でちょこっとぶっ壊す、とか。
>曲のほうは、5月25日に
今回の曲、かなり「芸が広がった」感がありましたからね。いやもう、2曲目3曲目も超期待ですよ。
はじめまして。初レスです。
発売日も迫り、キーになる言葉も色々出てきましたね。
キャラでは「鈴」他は「猫」「不思議の国のアリス」「群れ」「友情」とかかな?
CD自分も買ったんですが曲もなかなか良くて安心しました。
リトルバスターズかなり期待です。
発売日も迫り、キーになる言葉も色々出てきましたね。
キャラでは「鈴」他は「猫」「不思議の国のアリス」「群れ」「友情」とかかな?
CD自分も買ったんですが曲もなかなか良くて安心しました。
リトルバスターズかなり期待です。
もぐわら | 2007年05月27日(日) 23:52 | URL | コメント編集
>もぐわらさん
はじめまして。
>発売日も迫り、キーになる言葉も色々出てきましたね。
僕の方は、これ以上前情報仕入れるのが怖いので、情報流入はちょっとシャットダウンしています。『猫』というのはこのPVでも出てきましたね。鈴と棗妹が並んでいる場面で、その遠くに二匹の猫が並んでいる……このメイン二人は、(シナリオ的に)結構関係が深いのかもしれませんね。
>CD自分も買ったんですが曲もなかなか良くて安心しました。
売ってる所見つけられないんデスけど(泣)
なんでだー!秋葉原にまで行ったのに、見つけられない僕の探索能力は何なんだー!むしろ逆に、同人ショップとかじゃ置いてないんですかね?いやもう全然見つけられなくて……らきすたの曲は死ぬほど置いてあったのに……。
はじめまして。
>発売日も迫り、キーになる言葉も色々出てきましたね。
僕の方は、これ以上前情報仕入れるのが怖いので、情報流入はちょっとシャットダウンしています。『猫』というのはこのPVでも出てきましたね。鈴と棗妹が並んでいる場面で、その遠くに二匹の猫が並んでいる……このメイン二人は、(シナリオ的に)結構関係が深いのかもしれませんね。
>CD自分も買ったんですが曲もなかなか良くて安心しました。
売ってる所見つけられないんデスけど(泣)
なんでだー!秋葉原にまで行ったのに、見つけられない僕の探索能力は何なんだー!むしろ逆に、同人ショップとかじゃ置いてないんですかね?いやもう全然見つけられなくて……らきすたの曲は死ぬほど置いてあったのに……。
コメントを投稿する
この記事のトラックバックURL
→http://bdkiss.blog54.fc2.com/tb.php/326-74ed83fd
この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)
この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)
この記事へのトラックバック
http://www.akibablog.net/archives/2007/07/midnight-070727.html上記サイトさまにて、リトバスの深夜販売の様子がレポートされています。通販だからうちにはまだ届きませんね。
2007/07/28(土) 07:34:57 | リトルバスターズ!@リトバス
| BLOGTOP |