2007'05.27 (Sun) 04:29
田中ロミオ「人類は衰退しました」感想です。
てゆうか感想か、これ?
ネタバレ含みます。
このお話は、「コミュニケーション」のお話しです。
当然といえば当然なのですが。
主人公は、妖精と人間との間を取り持つ"調停官"という職に就いています。というか、就きたてです。
彼女は、自分の職務を順調に遂行する下準備として、妖精さんとの接触―――つまりコミュニケーションを図ります。
基本的に、これが全てです。
つまり、主人公と妖精さんとのコミュニケーション、これがこの作品の殆どの部分を占めているのであります。
妖精さんは、なんかもう凄く『妖精さん』な感じです。
なんというか……妖精さんは、僕の文章力じゃ絶対に説明不可能な領域のステキさと可愛さと和みさとカワイさを持っているので、その辺は自分の目で是非にとも確かめてみて頂きたいです。
超カワイイ。
妖精さんはお菓子が大好きで、楽しいこと・面白いことが大好きなのです。『楽しい度』が高い場所に自然に集ってきて、とことん楽しみまくるほのぼの遺伝子を持つコミカル生命体なのです。
さてさて。
「高度に発達した科学は魔法と見分けがつかない」。妖精さんの科学力つうか技術力を前に、主人公は上記の台詞に更に「冗談とも区別がつかない」をプラスしてしまいました。
かつての時代の不法投棄により積み重なった廃材の山を、一夜にして近未来メトロポリス(ただし妖精さんサイズ)に変えてしまった、その科学力つうか技術力。
普段の彼らは、無垢な子供から欲深さだけを引いたような、のほほ~んとしてほんわかとした、とても凄い能力を有しているとは思えない存在です。が、一たび大人数の妖精さんが集ると、たちまちその能力が発揮されます。
そんな妖精さんたちと人間との間に、もしも何か問題が生じた場合にあれやこれやと動き回るのが主人公の職業であり、その下準備として、主人公は妖精とコミュニケーションを取ろうとします。
捕まえてみたり、お菓子をあげてみたり、アドバイスしてみたり、名前を付けてあげたり……。
妖精さんとのコミュニケーションは、上手くはいっていますが、彼女の想定・予定の筋には乗ってきません。将来のためにも、彼らに顔を売っておきたいという彼女の思いに対し、妖精さんはすぐに物事を忘れてしまうからです。今日彼女に会ったのに、明日にはそのことをもう忘れている。いや明日どころか、その日のうちに忘れかねない―――そんなすこぶる忘れっぽいのが、妖精さんなのです。
さらに話も通じづらいです。お互い、人間の言葉で喋れるのですが、それでもというかそれだからこそ、意思の疎通がそこまで上手にはいきません。
妖精さんは、作中で
「とゆかー、にんげんさんことば、うまくつたえにくーい」
「じょーほーこめにくいよね」
と彼らが語っていたように、人間の言葉では無いモノで意思疎通が行なえています(たぶん)。
言葉というのは、彼らが言うように『情報』ですね。意思とか感情とか、意味とか説明とか、そういった情報を、
ひとつひとつの単語と単語、その組み合わせと並べ方、さらにその言葉の前の言葉・後の言葉との関係でもって、『情報』として意味づけていく。
人間は主に、言葉でもってコミュニケーションを取りますが、案外言葉というのは厄介ですよね。言葉なんかじゃ伝えるのが非常に難しい。思いを、考えを、一つ一つの単語と、その並び方・組み合わせ方に込めるのです。そんなもん、あんまり上手にはいきません。テレパシー的なものでも使えれば、コミュニケーションはらくちんなのです。明示されていないので「多分」と前置きせざるを得ませんが、妖精さんは自分たち同士のコミュニケーションに多分、(広義的な感じで)テレパシー的なものを使っていると思います。(正確にはもっと妖精さん自体が異なる存在ですし、細かくはテレパシーではないと思いますが(そもそも個というものが明確に区別されているのかどうか)、広義的な感じで、広~い解釈でのテレパシーではないでしょうか。たぶん「妖精言葉」みたいなモノだと思うのですが、人間からすればその情報伝達力はテレパシーのソレに値するじゃんみたいな感じでお願いします。たぶん)
妖精さん自身は、テレパシー的なものを使えます。
妖精さん内での情報伝達がバッチリなのです。だからこそ、彼らは名前がなくてもニュアンスでどうにかなっていたのかもしれません
そんな妖精さんたちなのですが、どうしてか、情報の伝達に『言葉』というものを使用することが多々ある模様です。
主人公視点でしか描かれていないので、人間と接していない時の妖精さんはどうなのかは今一つ不明ではありますが、それでも、作内で描かれている描写を見る限りでは、彼らはテレパシー的な情報伝達だけではなく、むしろ率先して『言葉』を用いている可能性が高そうです。なにせ作内の、主人公が見ている場面での情報伝達は『言葉』がメインで、他に使われる伝達法は殆ど人間のそれと変わりないように描かれていますから。
なぜ彼らが『言葉』を使うかというと、それが「すてき」だからです。
言葉には齟齬が発生します。思惑通りに伝わらなかったり、考えの半分も伝わらなかったり、何故か良い方に取られてしまったり。
言葉以外の伝達方法、例えば表情とか、身振り手振りとかも同じです。情報が完全に伝わるなんてことは、あまりありません。
伝えたい情報と、伝わってくる情報。そこに発生する齟齬。
その差異が生まれることが、「すてき」なのです。
情報が完全に伝わってしまうと、それは真に『情報』でしかありません。意思だろうが想いだろうが考えだろうが、同じ。伝えたいことを完全に伝えられたらそれは情報でしかない。というか、情報として完成してしまっている。完全なる情報には、何も入り込む余地がない。
対して、その情報に齟齬や隙があれば、それは情報としては『不完全』。そこには色々と入り込む余地がある。例えば、この人はこんなこと言ってるけど、本当はあれについてを語りたいんだなぁとか、この人はこんなことを言ってるけど、真意はアレだろ、裏の意味があるだろ、とか。不完全な情報伝達による、不完全な情報には、色々と想像の余地があるのです。その齟齬を。想像したり、仮定したり。時には勘違いして振り回されたり、思い違いして戸惑ったり。
言葉という情報伝達法。不完全だからこそ、そこに生まれる余地と、そして生じる想定外のハプニング。情報伝達としては不完全だけど、だからこそ、そこにはある種の『楽しさ』が生じます。
なぜ妖精さんたちが情報伝達に言葉を用いるかというと、そういうモノがあるから、言葉を用いているのです。つまり、そこに『楽しい度』が存在しているからこそ、それを用いているのです。
情報伝達とその齟齬は、主人公と妖精さんとのコミュニケーションの次にこの作品で大きな部位を占めている、主人公とその祖父とのコミュニケーションにも現れています。
祖父との再会後の最初の会話からして、情報に齟齬が生じています。(もちろん、冗談混じりなのも加味してですが)
その後も、裏に色々と意図している所のある祖父の言葉とそれを理解してない孫娘、調停官の仕事に対する意識、人間の進化の歴史語り、寝過ごしてもぶたないこと………などなど。
たぶん、祖父の思っていることは、正しく伝わってはいない。齟齬が生じているのです。
だからこそ、齟齬が生じているからこその、コミュニケーション。
コミュニケーションというのは、ただ単に情報を伝達するだけではありません。情報伝達だけならば、機械でも使ったほうが良いでしょう。たとえばパソコンで通信機能とか使えば、パソコンとパソコン同士が情報伝達できます。しかもそこに齟齬はほぼ全く生じません。
けれどそんなもの、『コミュニケーション』だなんて言いませんよね。『情報伝達』と呼ぶ方が、しっくりきます。
対象が人間じゃないから?という訳でもありません。
ペットの犬と猫が、警戒しあったり喧嘩したりしながらも仲良くなっていく(もしくは仲悪くなっていく)その過程を、普通は『情報伝達』だなんて呼びませんよね。コミュニケーションをとっている、なんて呼ぶほうがしっくりきます。
コミュニケーションというのは、情報を伝えるだけ、ではないのです。
受け取った情報を如何に自分の中で加工するかが、大切なのです。
だからこそ、少しぐらいは、情報に齟齬が生じた方が良い。受け取った情報を、正確な情報に摺り寄せる想像という行為ができるから。そして正確に伝わってこないからこそ、一つの事柄から複数の、多面的な意味を創出することができる。たとえば祖父が、含みを持たせた話し方をして、その"含み"を孫娘が認識していない、ということを彼が認識して、作中中盤以降は少し修正が入っているように。つまり『情報が正確に伝達しない』ということを加味した上で、孫娘に言葉を発しているように。
齟齬が生じるからこそ、コミュニケーションなのです。
情報を伝えるだけなら、『言葉』なんてものは二流三流の伝達手段かもしれない。
けれども、自分の内面に影響を与えるようなモノを生み出すのは、その『齟齬』にこそあるのです。他者から与えられ、そこに自分が自分で加工したものが、自分に一番影響を与える。他人の言葉は、自分に大きく影響を与えますが、"他人の言葉"そのものだと、自分自身に届きにくい。他者は自分とは違う思考・思想・考えの持ち主ですから。だからこそ、加工する。自分でカスタマイズする。
他者の言葉に理解出来ない部分・届かない部分があるのならば、それは『自分に無い・足りていない』部分です。その考えは自分には無いから理解できない。その概念は自分には無いから届かない。それが『齟齬』。
ある思いを表現するのに、全く同じ言葉を用いる人同士ならば、その場合においては殆ど齟齬は生じないでしょう。しかし現実はそうはいきません。人は全く同じではない。みんなそれぞれ違っていて、無い部分があったり、足りない部分があったりする。だからこそ、情報伝達が不完全になって、齟齬が生じる。
その齟齬を埋めたり補填したりして、自分に届くように自分で作って、そしてソレを自分に届けて、その『無い・足りない部分』を『自分のもの』にしてしまうことが、『コミュニケーション』なのです。
言葉は、『情報伝達』としては良くはないだろうけど、『コミュニケーション』としては非常に優れているのです。
いい加減長くなってきたので、そろそろ終わらせましょう。
この作品は小説です。要するに文章です。しかも主人公の一人語りな作品です。
つまり、この作品は、この『主人公』のことを、文章で表現している作品ともいえます。もっというと、完全に主人公目線でしか書かれていないこの作品は、この作品=主人公といってもそんなに過言ではない訳です。
これは。
この作品は。
主人公と読者の『コミュニケーション』ともいえるのです。
考えてみれば、文体からしてそうでした。
人とのコミュニケーションが苦手で、深窓の令嬢ごっこをして他人を寄せ付けたがらない主人公。そんな彼女の言葉通り、序盤はとても行儀がよく綺麗な文章が続きます。そこに感じる彼女は、正に「深窓の令嬢」です。
中盤以降。くだけてきた彼女は、段々とその本性を顕にしていきます。
どう見ても本性丸出しです、本当にありがとうございました。
序盤の文体が、途中から少しづつくだけてきたのにはこういう理由も想像出来るのです。そして最後には、散々ほのめかされてきた、彼女の特徴『人見知り』を読者に見せてくれる。彼女と読者との、隠されたコミュニケーション。
だから彼女には名前が無いのでしょうね。
コミュニケーションの始まりは、名前です。
作中で、彼女が妖精さんと始めて出会った時、名前を付けてあげました。
現実だって、人と話す時はまず名前を聞いたり、自分から名乗ったりしますよね。名前を知ることにより、相手を認識することが出来る。もちろん名前がなくても認識は出来ますが、それだけでは不十分です。分類して、区別して、識別する。確かなコミュニケーションには、名前が必要です。
名前がないからこそ、隠されている『コミュニケーション』というテーマが表出し、名前がないからこそ、本と読者との間という深すぎる谷を越えたコミュニケーションが現れて、消えていく。
そう、消えていくのです。
名前のない彼女とのコミュニケーションは、いや多分名前があったとしても、それは消えていってしまう。彼女とのコミュニケーションなのか、この作品とのコミュニケーションなのか、作者とのコミュニケーションなのか。『本を読む』という行動が、なにとコミュニケーションを取っていることにあたるのか、分からなくなってしまう。
その理由は簡単です。だって情報に齟齬が生じているから―――です。
『文章』というのは、情報伝達としては会話以下です。相手の顔を見ることは出来ない、姿形・身振り手振りを見ることは出来ない。話や声のトーン・抑揚などを聞くことが出来ない。齟齬が生じまくりです。
でも、だからこそ、こうやって『想像』することによって、その齟齬を埋めることが出来るのです。
たとえば今、僕がこの「人類は衰退しました」から色々と想像しているように。『文章』という、言葉よりも情報伝達能力が低いであろう媒体での情報、そこに生じているであろう齟齬に対して、色々と想像しているのです。
だからこそ、齟齬があるからこそ、『コミュニケーション』。
もちろん、これが正しいかどうかなんて分かりません。それ以前に、何について「正しい・正しくない」のかすら、分からなくなってしまいかねない。でも『コミュニケーション』というのは、そういうものであり、それで充分なのです。
こんなんでも。
読者は、ラストの彼女の報告書が"嘘っぱち"だってことが分かるくらいには、彼女と『コミュニケーション』を取れているのですから―――。
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【More】
わたしたち人類がゆるやかな衰退を迎えて、はや数世紀。すでに地球は"妖精さん"のものだったりします。平均身長10センチで3頭身、高い知能を持ち、お菓子が大好きな妖精さんたち。わたしは、そんな妖精さんと人との間を取り持つ重要な職、国際公務員の"調停官"となり、故郷のクスノキの里に帰ってきました。~「人類は衰退しました」裏表紙より~
このお話は、「コミュニケーション」のお話しです。
当然といえば当然なのですが。
主人公は、妖精と人間との間を取り持つ"調停官"という職に就いています。というか、就きたてです。
彼女は、自分の職務を順調に遂行する下準備として、妖精さんとの接触―――つまりコミュニケーションを図ります。
基本的に、これが全てです。
つまり、主人公と妖精さんとのコミュニケーション、これがこの作品の殆どの部分を占めているのであります。
妖精さんは、なんかもう凄く『妖精さん』な感じです。
なんというか……妖精さんは、僕の文章力じゃ絶対に説明不可能な領域のステキさと可愛さと和みさとカワイさを持っているので、その辺は自分の目で是非にとも確かめてみて頂きたいです。
「ばかなー」「ありえない」「ほーりーしっと」「ゆめかー?」「わなかー?」「まぼろしかー?」「まぼろされたかー?」「あるいは、まぼろすか?」
超カワイイ。
妖精さんはお菓子が大好きで、楽しいこと・面白いことが大好きなのです。『楽しい度』が高い場所に自然に集ってきて、とことん楽しみまくるほのぼの遺伝子を持つコミカル生命体なのです。
さてさて。
「高度に発達した科学は魔法と見分けがつかない」。妖精さんの科学力つうか技術力を前に、主人公は上記の台詞に更に「冗談とも区別がつかない」をプラスしてしまいました。
かつての時代の不法投棄により積み重なった廃材の山を、一夜にして近未来メトロポリス(ただし妖精さんサイズ)に変えてしまった、その科学力つうか技術力。
普段の彼らは、無垢な子供から欲深さだけを引いたような、のほほ~んとしてほんわかとした、とても凄い能力を有しているとは思えない存在です。が、一たび大人数の妖精さんが集ると、たちまちその能力が発揮されます。
そんな妖精さんたちと人間との間に、もしも何か問題が生じた場合にあれやこれやと動き回るのが主人公の職業であり、その下準備として、主人公は妖精とコミュニケーションを取ろうとします。
捕まえてみたり、お菓子をあげてみたり、アドバイスしてみたり、名前を付けてあげたり……。
妖精さんとのコミュニケーションは、上手くはいっていますが、彼女の想定・予定の筋には乗ってきません。将来のためにも、彼らに顔を売っておきたいという彼女の思いに対し、妖精さんはすぐに物事を忘れてしまうからです。今日彼女に会ったのに、明日にはそのことをもう忘れている。いや明日どころか、その日のうちに忘れかねない―――そんなすこぶる忘れっぽいのが、妖精さんなのです。
さらに話も通じづらいです。お互い、人間の言葉で喋れるのですが、それでもというかそれだからこそ、意思の疎通がそこまで上手にはいきません。
妖精さんは、作中で
「とゆかー、にんげんさんことば、うまくつたえにくーい」
「じょーほーこめにくいよね」
と彼らが語っていたように、人間の言葉では無いモノで意思疎通が行なえています(たぶん)。
言葉というのは、彼らが言うように『情報』ですね。意思とか感情とか、意味とか説明とか、そういった情報を、
ひとつひとつの単語と単語、その組み合わせと並べ方、さらにその言葉の前の言葉・後の言葉との関係でもって、『情報』として意味づけていく。
人間は主に、言葉でもってコミュニケーションを取りますが、案外言葉というのは厄介ですよね。言葉なんかじゃ伝えるのが非常に難しい。思いを、考えを、一つ一つの単語と、その並び方・組み合わせ方に込めるのです。そんなもん、あんまり上手にはいきません。テレパシー的なものでも使えれば、コミュニケーションはらくちんなのです。明示されていないので「多分」と前置きせざるを得ませんが、妖精さんは自分たち同士のコミュニケーションに多分、(広義的な感じで)テレパシー的なものを使っていると思います。(正確にはもっと妖精さん自体が異なる存在ですし、細かくはテレパシーではないと思いますが(そもそも個というものが明確に区別されているのかどうか)、広義的な感じで、広~い解釈でのテレパシーではないでしょうか。たぶん「妖精言葉」みたいなモノだと思うのですが、人間からすればその情報伝達力はテレパシーのソレに値するじゃんみたいな感じでお願いします。たぶん)
妖精さん自身は、テレパシー的なものを使えます。
妖精さん内での情報伝達がバッチリなのです。だからこそ、彼らは名前がなくてもニュアンスでどうにかなっていたのかもしれません
そんな妖精さんたちなのですが、どうしてか、情報の伝達に『言葉』というものを使用することが多々ある模様です。
主人公視点でしか描かれていないので、人間と接していない時の妖精さんはどうなのかは今一つ不明ではありますが、それでも、作内で描かれている描写を見る限りでは、彼らはテレパシー的な情報伝達だけではなく、むしろ率先して『言葉』を用いている可能性が高そうです。なにせ作内の、主人公が見ている場面での情報伝達は『言葉』がメインで、他に使われる伝達法は殆ど人間のそれと変わりないように描かれていますから。
とゆかー、にんげんさんことば、うまくつたえにくーい」「じょーほーこめにくいよね」
「でもすてきやん?」「すてきだ、すてき」
なぜ彼らが『言葉』を使うかというと、それが「すてき」だからです。
言葉には齟齬が発生します。思惑通りに伝わらなかったり、考えの半分も伝わらなかったり、何故か良い方に取られてしまったり。
言葉以外の伝達方法、例えば表情とか、身振り手振りとかも同じです。情報が完全に伝わるなんてことは、あまりありません。
伝えたい情報と、伝わってくる情報。そこに発生する齟齬。
その差異が生まれることが、「すてき」なのです。
情報が完全に伝わってしまうと、それは真に『情報』でしかありません。意思だろうが想いだろうが考えだろうが、同じ。伝えたいことを完全に伝えられたらそれは情報でしかない。というか、情報として完成してしまっている。完全なる情報には、何も入り込む余地がない。
対して、その情報に齟齬や隙があれば、それは情報としては『不完全』。そこには色々と入り込む余地がある。例えば、この人はこんなこと言ってるけど、本当はあれについてを語りたいんだなぁとか、この人はこんなことを言ってるけど、真意はアレだろ、裏の意味があるだろ、とか。不完全な情報伝達による、不完全な情報には、色々と想像の余地があるのです。その齟齬を。想像したり、仮定したり。時には勘違いして振り回されたり、思い違いして戸惑ったり。
言葉という情報伝達法。不完全だからこそ、そこに生まれる余地と、そして生じる想定外のハプニング。情報伝達としては不完全だけど、だからこそ、そこにはある種の『楽しさ』が生じます。
なぜ妖精さんたちが情報伝達に言葉を用いるかというと、そういうモノがあるから、言葉を用いているのです。つまり、そこに『楽しい度』が存在しているからこそ、それを用いているのです。
情報伝達とその齟齬は、主人公と妖精さんとのコミュニケーションの次にこの作品で大きな部位を占めている、主人公とその祖父とのコミュニケーションにも現れています。
「血色も良し。人参は?」
「……嫌いなままです」
「なんだ、中身は成長しとらんのか?」
「してると思います……たぶん」
祖父との再会後の最初の会話からして、情報に齟齬が生じています。(もちろん、冗談混じりなのも加味してですが)
その後も、裏に色々と意図している所のある祖父の言葉とそれを理解してない孫娘、調停官の仕事に対する意識、人間の進化の歴史語り、寝過ごしてもぶたないこと………などなど。
たぶん、祖父の思っていることは、正しく伝わってはいない。齟齬が生じているのです。
だからこそ、齟齬が生じているからこその、コミュニケーション。
コミュニケーションというのは、ただ単に情報を伝達するだけではありません。情報伝達だけならば、機械でも使ったほうが良いでしょう。たとえばパソコンで通信機能とか使えば、パソコンとパソコン同士が情報伝達できます。しかもそこに齟齬はほぼ全く生じません。
けれどそんなもの、『コミュニケーション』だなんて言いませんよね。『情報伝達』と呼ぶ方が、しっくりきます。
対象が人間じゃないから?という訳でもありません。
ペットの犬と猫が、警戒しあったり喧嘩したりしながらも仲良くなっていく(もしくは仲悪くなっていく)その過程を、普通は『情報伝達』だなんて呼びませんよね。コミュニケーションをとっている、なんて呼ぶほうがしっくりきます。
コミュニケーションというのは、情報を伝えるだけ、ではないのです。
人間の場合は特に、他者に対して情報を発信することで働きかけるだけでなく、他者から受け取った情報により相手の心の状態を理解したり共感したりすることで(他者理解)、働きかけを受けた側が自分の内面あるいは行動を変化させること。あるいはそこへ至るために努力する過程ともいえる。(Wikipedia・コミュニケーションの項より)
受け取った情報を如何に自分の中で加工するかが、大切なのです。
だからこそ、少しぐらいは、情報に齟齬が生じた方が良い。受け取った情報を、正確な情報に摺り寄せる想像という行為ができるから。そして正確に伝わってこないからこそ、一つの事柄から複数の、多面的な意味を創出することができる。たとえば祖父が、含みを持たせた話し方をして、その"含み"を孫娘が認識していない、ということを彼が認識して、作中中盤以降は少し修正が入っているように。つまり『情報が正確に伝達しない』ということを加味した上で、孫娘に言葉を発しているように。
齟齬が生じるからこそ、コミュニケーションなのです。
情報を伝えるだけなら、『言葉』なんてものは二流三流の伝達手段かもしれない。
けれども、自分の内面に影響を与えるようなモノを生み出すのは、その『齟齬』にこそあるのです。他者から与えられ、そこに自分が自分で加工したものが、自分に一番影響を与える。他人の言葉は、自分に大きく影響を与えますが、"他人の言葉"そのものだと、自分自身に届きにくい。他者は自分とは違う思考・思想・考えの持ち主ですから。だからこそ、加工する。自分でカスタマイズする。
他者の言葉に理解出来ない部分・届かない部分があるのならば、それは『自分に無い・足りていない』部分です。その考えは自分には無いから理解できない。その概念は自分には無いから届かない。それが『齟齬』。
ある思いを表現するのに、全く同じ言葉を用いる人同士ならば、その場合においては殆ど齟齬は生じないでしょう。しかし現実はそうはいきません。人は全く同じではない。みんなそれぞれ違っていて、無い部分があったり、足りない部分があったりする。だからこそ、情報伝達が不完全になって、齟齬が生じる。
その齟齬を埋めたり補填したりして、自分に届くように自分で作って、そしてソレを自分に届けて、その『無い・足りない部分』を『自分のもの』にしてしまうことが、『コミュニケーション』なのです。
言葉は、『情報伝達』としては良くはないだろうけど、『コミュニケーション』としては非常に優れているのです。
いい加減長くなってきたので、そろそろ終わらせましょう。
この作品は小説です。要するに文章です。しかも主人公の一人語りな作品です。
つまり、この作品は、この『主人公』のことを、文章で表現している作品ともいえます。もっというと、完全に主人公目線でしか書かれていないこの作品は、この作品=主人公といってもそんなに過言ではない訳です。
これは。
この作品は。
主人公と読者の『コミュニケーション』ともいえるのです。
考えてみれば、文体からしてそうでした。
人とのコミュニケーションが苦手で、深窓の令嬢ごっこをして他人を寄せ付けたがらない主人公。そんな彼女の言葉通り、序盤はとても行儀がよく綺麗な文章が続きます。そこに感じる彼女は、正に「深窓の令嬢」です。
中盤以降。くだけてきた彼女は、段々とその本性を顕にしていきます。
一晩でほ乳類の時代になってマンモス!(メチャ動揺してます)
どう見ても本性丸出しです、本当にありがとうございました。
序盤の文体が、途中から少しづつくだけてきたのにはこういう理由も想像出来るのです。そして最後には、散々ほのめかされてきた、彼女の特徴『人見知り』を読者に見せてくれる。彼女と読者との、隠されたコミュニケーション。
だから彼女には名前が無いのでしょうね。
コミュニケーションの始まりは、名前です。
作中で、彼女が妖精さんと始めて出会った時、名前を付けてあげました。
現実だって、人と話す時はまず名前を聞いたり、自分から名乗ったりしますよね。名前を知ることにより、相手を認識することが出来る。もちろん名前がなくても認識は出来ますが、それだけでは不十分です。分類して、区別して、識別する。確かなコミュニケーションには、名前が必要です。
名前がないからこそ、隠されている『コミュニケーション』というテーマが表出し、名前がないからこそ、本と読者との間という深すぎる谷を越えたコミュニケーションが現れて、消えていく。
そう、消えていくのです。
名前のない彼女とのコミュニケーションは、いや多分名前があったとしても、それは消えていってしまう。彼女とのコミュニケーションなのか、この作品とのコミュニケーションなのか、作者とのコミュニケーションなのか。『本を読む』という行動が、なにとコミュニケーションを取っていることにあたるのか、分からなくなってしまう。
その理由は簡単です。だって情報に齟齬が生じているから―――です。
『文章』というのは、情報伝達としては会話以下です。相手の顔を見ることは出来ない、姿形・身振り手振りを見ることは出来ない。話や声のトーン・抑揚などを聞くことが出来ない。齟齬が生じまくりです。
でも、だからこそ、こうやって『想像』することによって、その齟齬を埋めることが出来るのです。
たとえば今、僕がこの「人類は衰退しました」から色々と想像しているように。『文章』という、言葉よりも情報伝達能力が低いであろう媒体での情報、そこに生じているであろう齟齬に対して、色々と想像しているのです。
だからこそ、齟齬があるからこそ、『コミュニケーション』。
もちろん、これが正しいかどうかなんて分かりません。それ以前に、何について「正しい・正しくない」のかすら、分からなくなってしまいかねない。でも『コミュニケーション』というのは、そういうものであり、それで充分なのです。
こんなんでも。
読者は、ラストの彼女の報告書が"嘘っぱち"だってことが分かるくらいには、彼女と『コミュニケーション』を取れているのですから―――。
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言葉の表現性を情報の齟齬に集約させてる時点で、またひとつの齟齬を生んでるね(笑)
| 2008年03月10日(月) 01:57 | URL | コメント編集
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