2007'05.28 (Mon) 03:44
仮稿です(永遠の)!
まだ「人類は衰退しました」が序章な感じですので、仮でしか書けません!
とあと、僕は『CROSS†CHANNEL』を長い間やってないので、ちょこっとうろ覚えで書いてますごめんなさい!
ということで、
「人類は衰退しました」
「CROSS†CHANNEL」
両作品のネタバレ含みます。
●クロスチャンネルとの関連
さてさて。最初この作品のタイトルを見たとき、「人類は滅亡しました」だと勘違いして、これってクロチャンじゃん!とか思ってしまった僕がいるのですが、それはさておき。
この作品は、『クロスチャンネル』とは特に関連しておりません。
関連付けようと思えば幾らでも関連付けられるのでしょうが、主だった部分においてその関連性は特に見当たらない(or重要ではない)っぽいです。現時点では。
「人類は衰退しました」は続刊予定みたいなので(しかも発売二日で増刷決定!って感じに売れてるらしい)、これから話が進めば関連性なども見えてくるのかもしれません。
現時点であえて探すと、『コミュニケーション』に至るかなぁ、と思うのです。
というか、『クロスチャンネル』自体が、コミュニケーションのお話しという側面が大きかったりします。で、『人類は衰退しました』は妖精さんなり祖父なりとの、全編コミュニケーションのお話し。
コミュニケーションというのは、一つ前のエントリーにも書きましたが、『情報伝達』の一種ですね。コミュニケーションが只の情報伝達でない理由は、そこに『齟齬』が生じることにあります。
情報伝達に対するコミュニケーションの利点を挙げると、
そこに生じる齟齬から、色々と想像したり補完したりすることによって、伝達される『情報』以上(以外)のものも生み出せる。
このことに尽きるかと思います。
齟齬を埋めようとする、もしくは埋めないことにより、元となる情報以上のもの、もしくは以外のものを生み出すことが出来る。例えばコンピューター同時が行なう情報伝達は、その情報が正確に伝達されてしまうため、1から1しか生み出せない。1という情報を与えたら、1という情報を得るだけ。しかし人間同士が行なう情報伝達・コミュニケーションは、1という情報から10でも100でも、ONEでもMILLIONでも、犬でもトカゲでも山でも川でも好きでも嫌いでも生み出せる。1という情報を与えても、それを曲解することもあれば、それを深読みすることもあれば、それを何か別の情報と組み合わせて、新しい情報を生み出したりすることも出来る。勿論、1という情報が0.5になることも0になることもある。この『情報以上(以外)』のものも生み出せるというのが、コミュニケーションの最大の利点だと思います。
それがこの、『人類は衰退しました』だったりするのかもしれません。
主人公と妖精さん、あるいは主人公と祖父とのコミュニケーション。
彼女は、あるいは妖精さんは、あるいは祖父は、そこからどういった情報と『それ以上・以外』のものを得るのか。
たとえば妖精さんなんかは、主人公の言葉から主人公の意図以上の、情報以上のものを得ていたりします。逆に主人公は、妖精さんの言葉からその情報以下のものしか得ていなかったりします。
そこからは、当然『成長』といったものも出てきても可笑しくないのですが、そこはそれ、まだ序章に過ぎない今巻ではそこは置いておいて。(次巻以降は出てくるかもしれません)
『クロスチャンネル』との共通点としては、『主人公を知る』という点にあります。言い換えると、主人公と読者とのコミュニケーション(って、ちょっと無理あるかw)。
この本の文章は、会話文以外全て主人公の独白なのですが、序盤は非常に硬いというか、余所余所しさが見て取れます。彼女の言う「深窓の令嬢」ごっこ。彼女は他人に、寡黙で清楚なご令嬢、という雰囲気をわざと作り出しています。それと同じ様な感じが、この文章からも見て取れるのです。そして後半部以降の、やけにくだけてきた文体(独白)は、その彼女自身がくだけてきたから―――つまり"ごっこ"を辞め、本性が見えてきたから―――に他なりません。
彼女の余所行きの構成から、彼女の本性まで―――読者は彼女を、「知る」ことになるのです。
『クロスチャンネル』は、主人公黒須太一の物語です。プレイヤーは彼が何者なのかを知ることになります。というか、黒須太一自身が、自分が何者なのかを知る物語です。その副産物として、≠で結ばれているプレイヤーも彼のことを知ることになる。
『クロスチャンネル』と『人類は衰退しました』の両者は、「人類が(前者は)殆ど・(後者は)あまり存在していない」という点で共通していますが、その理由はそんなに共通しません。するとしたら、コミュニケーションの力点が、主人公自身の内側に向かっているということくらい?かと。
例えば『クロスチャンネル』で人類が滅亡する一番の理由は、太一を縛っているものを解き放つ為にあります。京極堂の「憑き物落とし」と似たような理屈です。
人間は誰でも、ある程度は自分を作っています。合う人、合わない人、好きな人、嫌いな人。世の中には、他人がいっぱい溢れている。それでも世の中で生きていくには、その他人達とコミュニケーションを取らなければならない。だから、自分を作る。合う人・合わない人、好きな人・嫌いな人。全く異なる他人達に対して、全く同じ方法でコミュニケーションを取るのは苦痛だから。
太一の場合は、そこに「苦痛」では済まされない大きな問題を抱えています。自分を作らないと、コミュニケーションどころではない。他人達との社会生活を送れない。だから、彼は自分を作っている。
黒須太一という人間の構成要素は、彼にとって難しい物である『他人・社会生活』にあるのです。それらと上手く付き合う為の自分の変質。
だから他人・社会生活が限りなく薄くなったこの『人類が滅亡した世界』において、彼は"作られていない"自分自身を見い出すことが出来るのです。
そして、黒須太一が自分自身を知ったからこそ、僕たちプレイヤーも彼のことを知ることが出来る。
この辺が共通項といえなくもないのではないでしょうか。
人間が少ないからこそ、密度濃く『自分』を追求することが出来る。
で、もちろん、そこには齟齬が生じます。
黒須太一が知った黒須太一と、プレイヤーが知った黒須太一は違う訳です。その情報の齟齬から『生じる』情報以外・情報以上のものこそが、プレイヤーが『クロスチャンネル』から得られるものだったりすると思うのですが、「人類は衰退しました」は似ているようで少し違います。
『クロスチャンネル』の他人、つまり黒須太一以外はあくまで他人であって、それは太一の枷でしかなかったのです。そしてその枷を完全に外した太一は、後になって、それが枷ではなく大切なものであると気付く。というか、"作って"いない彼は、それを枷とは認識しなかった。大切なものだと認識した。
『クロスチャンネル』における他者は、最後の少し前まで枷でしかなかったのです。太一が他者という枷を少しづつ取り外していき(所々示される、その大切さに気付くことなく)、自己の内面に辿り着いた時、それが大切であったと気付く。
対して『人類は衰退しました』の他者は、枷ではなく主人公を映し出す鏡面。妖精さんや祖父との会話、ならびに紙人間との会話で表出する、『主人公』という人間。
作品の構成上こう見えるのか、それともこうだからこそ作品がこのようになったのかは分かりませんが、一人であるからこそ辿り着ける黒須太一というのが『クロスチャンネル』であり、一人じゃないからこそ辿り着ける主人公というのが『人類は衰退しました』なのです。
他者が重要な鍵となることは同じでも、一方は他者が主人公を知るためには邪魔であり、もう一方は他者が主人公を知るために必須である。
……この二つはまあ、「関連していない」といえば関連していないのですが、「関連している」といえば関連しているのですよねw
結局の所、最初に書いたように、「人類は衰退しました」は続刊予定みたいなので、これから話が進めば関連性なども見えてくるのかもしれません。
WEB拍手を送る
まだ「人類は衰退しました」が序章な感じですので、仮でしか書けません!
とあと、僕は『CROSS†CHANNEL』を長い間やってないので、ちょこっとうろ覚えで書いてますごめんなさい!
ということで、
「人類は衰退しました」
「CROSS†CHANNEL」
両作品のネタバレ含みます。
【More】
●クロスチャンネルとの関連
経験豊富で物怖じしない敏腕アダルト美女を目指すところのわたしは、……どう見てもヤングアダルト候補生です、本当にかたゆでジョブでした。
さてさて。最初この作品のタイトルを見たとき、「人類は滅亡しました」だと勘違いして、これってクロチャンじゃん!とか思ってしまった僕がいるのですが、それはさておき。
この作品は、『クロスチャンネル』とは特に関連しておりません。
関連付けようと思えば幾らでも関連付けられるのでしょうが、主だった部分においてその関連性は特に見当たらない(or重要ではない)っぽいです。現時点では。
「人類は衰退しました」は続刊予定みたいなので(しかも発売二日で増刷決定!って感じに売れてるらしい)、これから話が進めば関連性なども見えてくるのかもしれません。
現時点であえて探すと、『コミュニケーション』に至るかなぁ、と思うのです。
というか、『クロスチャンネル』自体が、コミュニケーションのお話しという側面が大きかったりします。で、『人類は衰退しました』は妖精さんなり祖父なりとの、全編コミュニケーションのお話し。
コミュニケーションというのは、一つ前のエントリーにも書きましたが、『情報伝達』の一種ですね。コミュニケーションが只の情報伝達でない理由は、そこに『齟齬』が生じることにあります。
情報伝達に対するコミュニケーションの利点を挙げると、
そこに生じる齟齬から、色々と想像したり補完したりすることによって、伝達される『情報』以上(以外)のものも生み出せる。
このことに尽きるかと思います。
齟齬を埋めようとする、もしくは埋めないことにより、元となる情報以上のもの、もしくは以外のものを生み出すことが出来る。例えばコンピューター同時が行なう情報伝達は、その情報が正確に伝達されてしまうため、1から1しか生み出せない。1という情報を与えたら、1という情報を得るだけ。しかし人間同士が行なう情報伝達・コミュニケーションは、1という情報から10でも100でも、ONEでもMILLIONでも、犬でもトカゲでも山でも川でも好きでも嫌いでも生み出せる。1という情報を与えても、それを曲解することもあれば、それを深読みすることもあれば、それを何か別の情報と組み合わせて、新しい情報を生み出したりすることも出来る。勿論、1という情報が0.5になることも0になることもある。この『情報以上(以外)』のものも生み出せるというのが、コミュニケーションの最大の利点だと思います。
それがこの、『人類は衰退しました』だったりするのかもしれません。
主人公と妖精さん、あるいは主人公と祖父とのコミュニケーション。
彼女は、あるいは妖精さんは、あるいは祖父は、そこからどういった情報と『それ以上・以外』のものを得るのか。
たとえば妖精さんなんかは、主人公の言葉から主人公の意図以上の、情報以上のものを得ていたりします。逆に主人公は、妖精さんの言葉からその情報以下のものしか得ていなかったりします。
そこからは、当然『成長』といったものも出てきても可笑しくないのですが、そこはそれ、まだ序章に過ぎない今巻ではそこは置いておいて。(次巻以降は出てくるかもしれません)
『クロスチャンネル』との共通点としては、『主人公を知る』という点にあります。言い換えると、主人公と読者とのコミュニケーション(って、ちょっと無理あるかw)。
この本の文章は、会話文以外全て主人公の独白なのですが、序盤は非常に硬いというか、余所余所しさが見て取れます。彼女の言う「深窓の令嬢」ごっこ。彼女は他人に、寡黙で清楚なご令嬢、という雰囲気をわざと作り出しています。それと同じ様な感じが、この文章からも見て取れるのです。そして後半部以降の、やけにくだけてきた文体(独白)は、その彼女自身がくだけてきたから―――つまり"ごっこ"を辞め、本性が見えてきたから―――に他なりません。
彼女の余所行きの構成から、彼女の本性まで―――読者は彼女を、「知る」ことになるのです。
『クロスチャンネル』は、主人公黒須太一の物語です。プレイヤーは彼が何者なのかを知ることになります。というか、黒須太一自身が、自分が何者なのかを知る物語です。その副産物として、≠で結ばれているプレイヤーも彼のことを知ることになる。
『クロスチャンネル』と『人類は衰退しました』の両者は、「人類が(前者は)殆ど・(後者は)あまり存在していない」という点で共通していますが、その理由はそんなに共通しません。するとしたら、コミュニケーションの力点が、主人公自身の内側に向かっているということくらい?かと。
例えば『クロスチャンネル』で人類が滅亡する一番の理由は、太一を縛っているものを解き放つ為にあります。京極堂の「憑き物落とし」と似たような理屈です。
そもそも、京極堂の代名詞となっている憑き物落としとは、ものごとに固定した意味を求め、そこに自分自身の土台を築こうとする心を察知し、その凝りをほぐす操作ではなかったか。(京極夏彦「絡新婦の理」・解説より)
人間は誰でも、ある程度は自分を作っています。合う人、合わない人、好きな人、嫌いな人。世の中には、他人がいっぱい溢れている。それでも世の中で生きていくには、その他人達とコミュニケーションを取らなければならない。だから、自分を作る。合う人・合わない人、好きな人・嫌いな人。全く異なる他人達に対して、全く同じ方法でコミュニケーションを取るのは苦痛だから。
太一の場合は、そこに「苦痛」では済まされない大きな問題を抱えています。自分を作らないと、コミュニケーションどころではない。他人達との社会生活を送れない。だから、彼は自分を作っている。
黒須太一という人間の構成要素は、彼にとって難しい物である『他人・社会生活』にあるのです。それらと上手く付き合う為の自分の変質。
だから他人・社会生活が限りなく薄くなったこの『人類が滅亡した世界』において、彼は"作られていない"自分自身を見い出すことが出来るのです。
そして、黒須太一が自分自身を知ったからこそ、僕たちプレイヤーも彼のことを知ることが出来る。
この辺が共通項といえなくもないのではないでしょうか。
人間が少ないからこそ、密度濃く『自分』を追求することが出来る。
で、もちろん、そこには齟齬が生じます。
黒須太一が知った黒須太一と、プレイヤーが知った黒須太一は違う訳です。その情報の齟齬から『生じる』情報以外・情報以上のものこそが、プレイヤーが『クロスチャンネル』から得られるものだったりすると思うのですが、「人類は衰退しました」は似ているようで少し違います。
『クロスチャンネル』の他人、つまり黒須太一以外はあくまで他人であって、それは太一の枷でしかなかったのです。そしてその枷を完全に外した太一は、後になって、それが枷ではなく大切なものであると気付く。というか、"作って"いない彼は、それを枷とは認識しなかった。大切なものだと認識した。
『クロスチャンネル』における他者は、最後の少し前まで枷でしかなかったのです。太一が他者という枷を少しづつ取り外していき(所々示される、その大切さに気付くことなく)、自己の内面に辿り着いた時、それが大切であったと気付く。
対して『人類は衰退しました』の他者は、枷ではなく主人公を映し出す鏡面。妖精さんや祖父との会話、ならびに紙人間との会話で表出する、『主人公』という人間。
作品の構成上こう見えるのか、それともこうだからこそ作品がこのようになったのかは分かりませんが、一人であるからこそ辿り着ける黒須太一というのが『クロスチャンネル』であり、一人じゃないからこそ辿り着ける主人公というのが『人類は衰退しました』なのです。
他者が重要な鍵となることは同じでも、一方は他者が主人公を知るためには邪魔であり、もう一方は他者が主人公を知るために必須である。
……この二つはまあ、「関連していない」といえば関連していないのですが、「関連している」といえば関連しているのですよねw
結局の所、最初に書いたように、「人類は衰退しました」は続刊予定みたいなので、これから話が進めば関連性なども見えてくるのかもしれません。
WEB拍手を送る
スポンサーサイト
この記事のトラックバックURL
→http://bdkiss.blog54.fc2.com/tb.php/343-ab5362e2
この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)
この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)
この記事へのトラックバック
| BLOGTOP |