2007'06.26 (Tue) 00:32
■「人間とは、いったい何なのですか!?」
――――――――――――――――――――――――――――――
ヴィラル。

遂に、ヴィラルさんが「カミナの死」を知りましたよ!
カミナの死を知っても、ここまで来たら引けなくて、そして退かなくて、あくまでも正々堂々であるヴィラル。やっぱ彼は格好良いのですよ!
さて、ヴィラル。実はぼくはヴィラルさんがけっこう好きでして。
初登場時はいかにも中ボス的な感じに登場してきて(案外あっさりやられてしまうのですがw)、その人間を「下等なもの」として見下しまくる姿勢はまさに『ザ・獣人』といった装いでありました。
そんな彼も。幾度も自分を撃退し、どんどんと成長を続け、凄い勢いで自分を乗り越えまくっていくカミナには、一目置かざるをえませんでした。
かつてニアは言ってました。
「人が死ぬということは、そういうことなのです。誰かが悲しみ、傷つくのです」。
チミルフ死後のヴィラルは、まるでそのことを"分かってしまった"かのようでありました。必死に仇討ちを願う姿は、「死」から生まれた感情の発露であり。アディーネを守り、負けそうな戦いから退かした姿は、「死」を忌む感情の発露に見える。死ぬということが、悲しみ、傷つく、「取り返しの付かないこと」だということを、彼自身がチミフルの死―――とそれ以後によって、知ってしまったかのよう。
つまり、ヴィラルは変わったのです。
カミナに(カミナの死を知らないので、グレンラガンに乗ってるのはカミナだと思ってる)負け悔しがる姿も、仲間の死を忌む姿も、幾度も幾度も諦めずに挑戦する姿も。まるでヒトの姿のよう。『ザ・獣人』であったヴィラルが、カミナとの邂逅を経て、どんどんと人間に近づいていくように見えるのです。
そして、カミナの死を知っても、敢えてシモンと正々堂々と戦うヴィラル。ああもう、彼が言ったとおり「ガンメンでの借りは、ガンメンで返させてもらう」ですよ!やー、格好良い。今まで戦ってきた、辛酸を舐めさせられてきたのが、自分が認めたカミナではなく只の子供だということを知ったヴィラルなんですが、それでも、その子供が自分を倒してきたというのは事実であって、だからそれを認める為に戦う。
そして。カミナとの戦いで。そしてシモンとの戦いで。持ってしまった疑問。

「人間とは、いったい何なのですか!?」
これってどう見ても、ニアの「ヒトっていったいなんですか?」に対比してありますよね。
なんでニアがこんな疑問を持ったかというと、無知だったから。「ヒト」というものに無知だったからです。だから、こんな途方も無い疑問を抱くことが出来た。
対して、何故ヴィラルがこのような疑問を持ったのかは、彼が「知ってしまった」から。人間とは何なのか。カミナでなく、子供ですら、何故ああまで強くなるのか。何のために戦って、誰のために戦って、それが一体どういう風に彼らの力になっているのか。カミナ・シモンとの邂逅によって、人間の不可思議さを知ってしまったからの問いになります。
逆に言うと、カミナ、そしてシモンには、ヴィラルに「人間とは」と思わせるほどの何かを持っていた、ということになります。それは一体何なのか。何処までも強く成長するあの力か。諦めず邁進するその力か。
さて。ニアがシモンに問うた「ヒトとは」も、ヴィラルが螺旋王に問うた「人間とは」も、どちらも答えはまだ出ていません。しかしどちらも、始まりにはシモンがいるのです。
「人間とは一体何なのか」を問いたくなるほどの、不可思議な力。彼が見た人間の力、その極地。それこそが、シモンが持っている力なのかもしれません。
■「知ってた?私カミナのこと好きだったんだよ」
――――――――――――――――――――――――――――――
ということで。ヨーコさんの中で、カミナのことは一段落つきました。
一段落というのは、シモンの時もそうなんですけど、要するに「その人はもういない」ということを自分の中で"はっきりと"させたということなんです。

シモンの時は、「アニキっていったい誰ですか?」という、『カミナが存在していない』ということを明文化してしまうニアの言葉が発端で。そこから段々と、シモンの中でのアニキが死んでいくのです。死んでいるということを、認めていってしまうのです。だからシモンは、11話冒頭でアニキの像を彫ったりしてた訳です。今までは自分の中の想いだけで十分だったのに、その想いが確かなものではないと知ってしまったから、その揺らぎから逃げるために偶像崇拝に走り出す。心の中だけでは消えてしまわないかと不安だから、形に残す。自分の中のカミナが死んでいったのです。
そして最終的に、シモンの中でのアニキは死ぬ。アニキのようになるとかは消えて。自分自身を見つめた結果、自分に出来ることを再発見して、それを認めて、自分自身を信じれた。つまり―――シモンはカミナの弟分のシモンでも、カミナに憧れるシモンでも、カミナのようになりたいシモンでもなくて、「俺は俺だ、俺はシモンだ」とわかったのです。
さてさて、ヨーコの話。
ヨーコの場合も同じです。発端はニアの言葉。『この世界にカミナはいない』ということを明文化してしまう、ニアの言葉です。
でもそれだけに、その言葉を認め、受け入れるわけにはいかなかった。それを受け入れることは、真にカミナが(自分の中で)死ぬ事になるから。
とはいえ、全くそれを受け入れないと、いつまでたっても前に進めませんから、ある程度は受け入れます、無理をして。そして、前回のニアとの軋轢のように、その「無理」を拡大させながら、さらに受け入れていきます。カミナの死を。そう、前回の、ニアに対する対抗心とかは、ニアの事を認めるということが、カミナの死を認めることに繋がっているという面もあるのです。なにせカミナがいる時にはいなくて、カミナがいなくなってから来た人間で、それなのに、カミナの創った大グレン団の中心的人物なんですから。
そんな訳で。「最近ちょっとキバリ過ぎなんじゃないの?」とオカマに言われちゃうくらいには、彼女も気張ってる訳です。
何に気張ってるって、それは勿論「カミナの死を受け入れること」にです。
本当はそんなでもないのに、無理して気張って、カミナの死を受け入れていく。
だから、グレンのコックピットに乗るときなんかには、酷く躊躇ったりしたんですよね。だってあそこに乗るのは、「カミナ」なんだから。ロシウなんかが乗ってたりもしていたけど、あれは自分じゃなくて他人。他人が乗る分には、目を瞑っていればいい。カミナの死を無理しつつも受け入れてきているヨーコは、さすがに、「誰かが乗るのすらイヤ」という領域はもう越えています。
しかしそれでも、自分が乗るのには躊躇ってしまう。
だって自分が乗ったら、自分が能動的に、カミナの死を認めることになってしまうから。カミナの居場所であるグレンのコックピット、その位置を、自分から否定することになってしまう。
それでも乗らない訳にはいかない=退かねぇ、ということで。彼女はもう一丁無理をして、グレンのコックピットに乗り込むことになりました。こうしてどんどんと、『カミナ"だけ"の居場所だった場所』を失っていく(自ら消失させていく)彼女。そしてその最たる部分が、あのシモンなのです。
「一人じゃ無理」と思っていたヨーコの予想を上回る、シモンの力。精神的に大グレン団を支えること、そして戦闘力的にも大グレン団を支えること、その今まで『カミナの居場所だった』ものが、シモンに取って代わられてる(勿論シモンの流儀で)―――つまり、カミナがいなくても大丈夫である、ということを、ヨーコは自分の目で直に見つめたのです。
その極みが、シモンの

「ヨーコは、俺が守るから」
というセリフ。まだ戦いたい自分を置いて、それで守る―――つまりヨーコの身を守ることと同時に、戦えなくなったという責任からも守る、つまり『勝つ』ということなのですが―――そんなことを口にして、そして実行してしまえるシモン。今まで、彼女の中でこんなポジションにいたのは、カミナだけだったんですよ。つまり、大グレン団とか戦闘とか精神面だけでなく、ヨーコの心の中のカミナの居場所からも、カミナである必然性が消えてしまったわけです。
ひとえに、それがヨーコさんがカミナの死を吹っ切れた理由(だと、ぼくは思う)。
グレンラガンの世界とは、カミナの世界だった。カミナが戦闘面でも、精神面でも、前面に立って引っ張ってきた。そんなカミナの死後は、その大きな道しるべが無くなってしまったから、それぞれが足掻いたりもがいたり、無理をしたりしてきていた。これは未だ、多くのキャラクターたちの中に残る問題でしょう。カミナが死んでしまったことを、未だに悔いて悩んで、引きずりまくって前に進めていない人間はさすがにいないけど、まだ誰だってカミナのことを忘れていない。故に、ヨーコのように気張ってしまうわけです。
とはいえそうやって、いつまでもカミナの世界にいるわけにはいきませんから、無理をしたり自分の中で決着を付けたりしながら、少しづつ前に進んでいくのです。シモン然り、大グレン団のメンバー然り。
そうだ、自分で書いてて今更気付いた(汗)。
「自分の中での決着」、これなんですよ。
ではヨーコにとっての「自分の中での決着」とは何なのか、何処なのかというと、やっぱりカミナ"だけ"の居場所がだんだんと消えていくこと、だと思うんですよね。カミナがいなければ廻らなかった世界を、ニアが、そしてシモンが廻しているように。カミナだけのグレンが、そうで無くなったように。そして何より、「自分を守る」といい、それを実行してしまえる人間がいること―――つまりヨーコがカミナにかつて言った、「背中はまかせて」が言える相手―――それが一番の、カミナの居場所を取ること、ではないでしょうか。
率先して前面に立とうというヨーコを、バックアップの位置に自ら置かせるだけの信頼。それが成せる力。それを手にしたシモン。
かつてカミナしかいなかったその"心の中の場所"は、今はもうカミナだけではなく、そこにシモンも、いや、"シモンが"いるようになってしまったのです。
つまり、カミナがいなければ廻らなかった「彼女の世界」―――それを気張って回してきたわけですが―――それが、回るようになってしまった。シモンの存在で、カミナが"絶対"ではなくなってしまったから。

え~と、かつて「風に揺れる髪の毛は感情の揺れ動き」とか言っちゃった以上、それで話を進めます………とか思ったけど、書くまでもないですね。風に揺れて、そして風に乗って、運ばれていったのは明白。圧倒的なまでに書き込まれた絵の元、ヨーコの「カミナが好き"だった"んだよ」というセリフが、風に乗って運ばれていくのです。その想いものせて。
そして、この風に運ばれてきたかのように、新しい想いが、新しい世界が、ヨーコのもとに、またヴィラルのもとにも訪れるのです。シモンを起点として。
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ヴィラル。

遂に、ヴィラルさんが「カミナの死」を知りましたよ!
カミナの死を知っても、ここまで来たら引けなくて、そして退かなくて、あくまでも正々堂々であるヴィラル。やっぱ彼は格好良いのですよ!
【More】
さて、ヴィラル。実はぼくはヴィラルさんがけっこう好きでして。
初登場時はいかにも中ボス的な感じに登場してきて(案外あっさりやられてしまうのですがw)、その人間を「下等なもの」として見下しまくる姿勢はまさに『ザ・獣人』といった装いでありました。
そんな彼も。幾度も自分を撃退し、どんどんと成長を続け、凄い勢いで自分を乗り越えまくっていくカミナには、一目置かざるをえませんでした。
かつてニアは言ってました。
「人が死ぬということは、そういうことなのです。誰かが悲しみ、傷つくのです」。
チミルフ死後のヴィラルは、まるでそのことを"分かってしまった"かのようでありました。必死に仇討ちを願う姿は、「死」から生まれた感情の発露であり。アディーネを守り、負けそうな戦いから退かした姿は、「死」を忌む感情の発露に見える。死ぬということが、悲しみ、傷つく、「取り返しの付かないこと」だということを、彼自身がチミフルの死―――とそれ以後によって、知ってしまったかのよう。
つまり、ヴィラルは変わったのです。
カミナに(カミナの死を知らないので、グレンラガンに乗ってるのはカミナだと思ってる)負け悔しがる姿も、仲間の死を忌む姿も、幾度も幾度も諦めずに挑戦する姿も。まるでヒトの姿のよう。『ザ・獣人』であったヴィラルが、カミナとの邂逅を経て、どんどんと人間に近づいていくように見えるのです。
そして、カミナの死を知っても、敢えてシモンと正々堂々と戦うヴィラル。ああもう、彼が言ったとおり「ガンメンでの借りは、ガンメンで返させてもらう」ですよ!やー、格好良い。今まで戦ってきた、辛酸を舐めさせられてきたのが、自分が認めたカミナではなく只の子供だということを知ったヴィラルなんですが、それでも、その子供が自分を倒してきたというのは事実であって、だからそれを認める為に戦う。
そして。カミナとの戦いで。そしてシモンとの戦いで。持ってしまった疑問。

「人間とは、いったい何なのですか!?」
これってどう見ても、ニアの「ヒトっていったいなんですか?」に対比してありますよね。
なんでニアがこんな疑問を持ったかというと、無知だったから。「ヒト」というものに無知だったからです。だから、こんな途方も無い疑問を抱くことが出来た。
対して、何故ヴィラルがこのような疑問を持ったのかは、彼が「知ってしまった」から。人間とは何なのか。カミナでなく、子供ですら、何故ああまで強くなるのか。何のために戦って、誰のために戦って、それが一体どういう風に彼らの力になっているのか。カミナ・シモンとの邂逅によって、人間の不可思議さを知ってしまったからの問いになります。
逆に言うと、カミナ、そしてシモンには、ヴィラルに「人間とは」と思わせるほどの何かを持っていた、ということになります。それは一体何なのか。何処までも強く成長するあの力か。諦めず邁進するその力か。
さて。ニアがシモンに問うた「ヒトとは」も、ヴィラルが螺旋王に問うた「人間とは」も、どちらも答えはまだ出ていません。しかしどちらも、始まりにはシモンがいるのです。
「人間とは一体何なのか」を問いたくなるほどの、不可思議な力。彼が見た人間の力、その極地。それこそが、シモンが持っている力なのかもしれません。
■「知ってた?私カミナのこと好きだったんだよ」
――――――――――――――――――――――――――――――
ということで。ヨーコさんの中で、カミナのことは一段落つきました。
一段落というのは、シモンの時もそうなんですけど、要するに「その人はもういない」ということを自分の中で"はっきりと"させたということなんです。

シモンの時は、「アニキっていったい誰ですか?」という、『カミナが存在していない』ということを明文化してしまうニアの言葉が発端で。そこから段々と、シモンの中でのアニキが死んでいくのです。死んでいるということを、認めていってしまうのです。だからシモンは、11話冒頭でアニキの像を彫ったりしてた訳です。今までは自分の中の想いだけで十分だったのに、その想いが確かなものではないと知ってしまったから、その揺らぎから逃げるために偶像崇拝に走り出す。心の中だけでは消えてしまわないかと不安だから、形に残す。自分の中のカミナが死んでいったのです。
そして最終的に、シモンの中でのアニキは死ぬ。アニキのようになるとかは消えて。自分自身を見つめた結果、自分に出来ることを再発見して、それを認めて、自分自身を信じれた。つまり―――シモンはカミナの弟分のシモンでも、カミナに憧れるシモンでも、カミナのようになりたいシモンでもなくて、「俺は俺だ、俺はシモンだ」とわかったのです。
さてさて、ヨーコの話。
ヨーコの場合も同じです。発端はニアの言葉。『この世界にカミナはいない』ということを明文化してしまう、ニアの言葉です。
でもそれだけに、その言葉を認め、受け入れるわけにはいかなかった。それを受け入れることは、真にカミナが(自分の中で)死ぬ事になるから。
とはいえ、全くそれを受け入れないと、いつまでたっても前に進めませんから、ある程度は受け入れます、無理をして。そして、前回のニアとの軋轢のように、その「無理」を拡大させながら、さらに受け入れていきます。カミナの死を。そう、前回の、ニアに対する対抗心とかは、ニアの事を認めるということが、カミナの死を認めることに繋がっているという面もあるのです。なにせカミナがいる時にはいなくて、カミナがいなくなってから来た人間で、それなのに、カミナの創った大グレン団の中心的人物なんですから。
そんな訳で。「最近ちょっとキバリ過ぎなんじゃないの?」とオカマに言われちゃうくらいには、彼女も気張ってる訳です。
何に気張ってるって、それは勿論「カミナの死を受け入れること」にです。
本当はそんなでもないのに、無理して気張って、カミナの死を受け入れていく。
だから、グレンのコックピットに乗るときなんかには、酷く躊躇ったりしたんですよね。だってあそこに乗るのは、「カミナ」なんだから。ロシウなんかが乗ってたりもしていたけど、あれは自分じゃなくて他人。他人が乗る分には、目を瞑っていればいい。カミナの死を無理しつつも受け入れてきているヨーコは、さすがに、「誰かが乗るのすらイヤ」という領域はもう越えています。
しかしそれでも、自分が乗るのには躊躇ってしまう。
だって自分が乗ったら、自分が能動的に、カミナの死を認めることになってしまうから。カミナの居場所であるグレンのコックピット、その位置を、自分から否定することになってしまう。
それでも乗らない訳にはいかない=退かねぇ、ということで。彼女はもう一丁無理をして、グレンのコックピットに乗り込むことになりました。こうしてどんどんと、『カミナ"だけ"の居場所だった場所』を失っていく(自ら消失させていく)彼女。そしてその最たる部分が、あのシモンなのです。
「一人じゃ無理」と思っていたヨーコの予想を上回る、シモンの力。精神的に大グレン団を支えること、そして戦闘力的にも大グレン団を支えること、その今まで『カミナの居場所だった』ものが、シモンに取って代わられてる(勿論シモンの流儀で)―――つまり、カミナがいなくても大丈夫である、ということを、ヨーコは自分の目で直に見つめたのです。
その極みが、シモンの

「ヨーコは、俺が守るから」
というセリフ。まだ戦いたい自分を置いて、それで守る―――つまりヨーコの身を守ることと同時に、戦えなくなったという責任からも守る、つまり『勝つ』ということなのですが―――そんなことを口にして、そして実行してしまえるシモン。今まで、彼女の中でこんなポジションにいたのは、カミナだけだったんですよ。つまり、大グレン団とか戦闘とか精神面だけでなく、ヨーコの心の中のカミナの居場所からも、カミナである必然性が消えてしまったわけです。
ひとえに、それがヨーコさんがカミナの死を吹っ切れた理由(だと、ぼくは思う)。
グレンラガンの世界とは、カミナの世界だった。カミナが戦闘面でも、精神面でも、前面に立って引っ張ってきた。そんなカミナの死後は、その大きな道しるべが無くなってしまったから、それぞれが足掻いたりもがいたり、無理をしたりしてきていた。これは未だ、多くのキャラクターたちの中に残る問題でしょう。カミナが死んでしまったことを、未だに悔いて悩んで、引きずりまくって前に進めていない人間はさすがにいないけど、まだ誰だってカミナのことを忘れていない。故に、ヨーコのように気張ってしまうわけです。
とはいえそうやって、いつまでもカミナの世界にいるわけにはいきませんから、無理をしたり自分の中で決着を付けたりしながら、少しづつ前に進んでいくのです。シモン然り、大グレン団のメンバー然り。
そうだ、自分で書いてて今更気付いた(汗)。
「自分の中での決着」、これなんですよ。
ではヨーコにとっての「自分の中での決着」とは何なのか、何処なのかというと、やっぱりカミナ"だけ"の居場所がだんだんと消えていくこと、だと思うんですよね。カミナがいなければ廻らなかった世界を、ニアが、そしてシモンが廻しているように。カミナだけのグレンが、そうで無くなったように。そして何より、「自分を守る」といい、それを実行してしまえる人間がいること―――つまりヨーコがカミナにかつて言った、「背中はまかせて」が言える相手―――それが一番の、カミナの居場所を取ること、ではないでしょうか。
率先して前面に立とうというヨーコを、バックアップの位置に自ら置かせるだけの信頼。それが成せる力。それを手にしたシモン。
かつてカミナしかいなかったその"心の中の場所"は、今はもうカミナだけではなく、そこにシモンも、いや、"シモンが"いるようになってしまったのです。
つまり、カミナがいなければ廻らなかった「彼女の世界」―――それを気張って回してきたわけですが―――それが、回るようになってしまった。シモンの存在で、カミナが"絶対"ではなくなってしまったから。

え~と、かつて「風に揺れる髪の毛は感情の揺れ動き」とか言っちゃった以上、それで話を進めます………とか思ったけど、書くまでもないですね。風に揺れて、そして風に乗って、運ばれていったのは明白。圧倒的なまでに書き込まれた絵の元、ヨーコの「カミナが好き"だった"んだよ」というセリフが、風に乗って運ばれていくのです。その想いものせて。
そして、この風に運ばれてきたかのように、新しい想いが、新しい世界が、ヨーコのもとに、またヴィラルのもとにも訪れるのです。シモンを起点として。
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テーマ : 天元突破グレンラガン - ジャンル : アニメ・コミック
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2007/06/27(水) 17:29:08 | ANIMA-LIGHT:アニメ・マンガ・ライトノベルのレビュー検索エンジン
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