2007'07.03 (Tue) 05:09
らき☆すた13話。なんだか切り口が沢山ありすぎて大変なことになっています。
ということで、普段どおりのやり方だと、自分にとって物足りなすぎるので、今回のぼくの「らき☆すた」感想は、なんと三本立てです(軽く先生のトコをパクッてます!)
とか書いたけど、やっぱ一本立てになりました。や、無理だから。先に項目書いちゃうなんてどんだけだから~。
【美しい水はかがみである】
なんというか今回は、「つかさ」がすごかった!
いや、ホント、驚いちゃいましたよ。目が点になって、ぽつーんとしていて、時折思い出したかのように「おもち、うにょーん」とか「ちーずけーき?」とか呟くつかさ。これはヤバイですよ、色々な意味で。
え~と、僕は原作既読なんですが、このアニメ内のつかさって、原作のつかさからかなり一人歩きしているように見えるんですね。原作のつかさも、こういう天然ボケな要素ありましたが、さすがにここまで、突っ切ってしまったキャラクターではなかった。
原作とは違ってきているんですね。違うキャラクターになってきている。
それはもう、当然、漫画とアニメという媒体の違いもあるでしょうし、美水かがみと京アニという作り手の違いもあるでしょうし、声優さんのアドリブを多分に含む演技もあって、この「アニメのつかさ」が出来上がっているワケです。
あ、もちろん、受け取り手である僕たちが、漫画の時とは「違って」見ている、という点もあるでしょう。
原作とアニメとの乖離。それはつかさにおいてだけ、ではないのでしょう。
こなたなんかも、自身の「オタク」度が高まっているように感じます。
たとえば【伝説の少女A】なんて呼ばれている所なんて、明らかに原作に比べて一人歩きしてしまっている点であると思うんですね。原作において、こなたはオタクですし、コミックス多量買いとかしてましたけど、【伝説の】なんて冠が付いてしまうような、『特別なオタク』ではなかったワケです。
ひとまず、この【伝説の少女A】について。
わざわざ【伝説】だなんて冠付けられるなんて、相当凄いことを成し遂げてきたんだと思うのです。

この【伝説の少女A】のように。
なぜ、こなたを『特別』にしてしまったのか。単にアニメ店長の項を盛り上げる為、以上の意味が存在しているのでしょうか。つかさはどうなのでしょうか。この『一人歩き』の道程には、単にらき☆すたを面白くする為、以上の意味が存在しているのでしょうか。
いや、そもそも。
その様に、つかさやこなたなどが、たとえ少しづつでも変わっているとしたら、この「らき☆すた」自体が、原作から大きく変わっているのではないでしょうか?いや、変わって「いるのでは」ってゆうか、変わって「います」。これはもう明らかです。
媒体が違えば変わる、表現者が違えば変わる、というのは当たり前なんですが、その「当たり前」以上の変化を、この『らき☆すた』は生じさせているように見えるんですよね。やー、もちろん、漫画のこなたもアニメのこなたも「こなた」であることには変わりないんですが、何か違うんですよ。全然違う、ってほどではなくても、同じ、ではない。
「らき☆すたの物語」について、一元的に語ってみる。
さて、物語。アニメにおいて、いやアニメじゃなくて漫画でも何でもいいんですけど、私たちはそこに「少しの」物語を見せられ、それを紡ぎ合わせて「大きな」物語に繋がっていくわけです。こういうのは、データベース消費とかの話なんですかね。全然知らないけど。じゃーここから先は僕理論だ。
かくして僕たちは、それぞれの回の「らき☆すた」から、「らき☆すた」という物語を読み取るわけです。とはいえ『らき☆すた』において、明確に読み取りやすい物語というものは、殆ど存在していないわけでして、したがって僕らは、その「らき☆すた」に表される断片的なエピソードから『物語』を読み取っていくのです。
節々で描写されるこなた・つかさ・かがみ・みゆきたちの人物像。彼女たちの関係。そこから「物語」を読み取っていくのです。そして、この4人を中心とした会話というのが「らき☆すた」である以上、その見方は間違ってはいません。
かがみはどういう人だ、つかさはこういう人だ、ということを読み取り、そして彼女たちの関係性を考える。それは「らき☆すた」を見る、という点において、まず間違いなく「正しい見方」の一つであるでしょう。
つまりは、らき☆すたにおける『小さな物語』ですね。断片的な場面の積み重ねが主であり、大きな流れとしては1話すら滅多にもたない「らき☆すた」においては、その『小さな物語』こそが「らき☆すた」の全てともいえるわけです。
確固たる大きな物語が明確には存在していない。小さな物語の紡ぎ合わせの上に大きな物語が存在しているのが通常の作品(逆でもありますけど)なのに対し、その小さな物語の先に、大きな物語が明確には見えてこない。
たとえば、その先を見ようとすると―――先週とか先々週に僕が書いていた内容のように、非常に普遍的なものでは無くなってしまうのです。
ただこれは当たり前のものでして、大きな物語が明確に提示されていない以上、その物語を紡ぎ出してしまうのは、単純に『自分自身』になってしまうのです。だから普遍的ではなくなる。
同じものを見ていても同じに見えるわけではない、そして同じに感じえるわけでもない、という認識の違いでもあるのですが、もう少し踏み込んで、「らき☆すた」の場合はもっと明確に主体をそれぞれの視聴者自身にうつさせられている、ようにも感じるのです。
いやそもそも、断片的な場面に照らされる彼女たち自身とその関係から読み取れる『小さな物語』、その内容からして非常に主体性がないんですよ。『大きな物語』の欠如の上、『流れ』としての物語の存在からそこに物語を見い出すのではなくて、『場面』という現象から人物や背景を読み取り、それらを『物語』として視聴者側で叩き上げている以上、この作品の主体は視聴者自身にある、ともいえるわけなんです。要するに、スカスカなんです。ブラックボックスだらけなんです。物語的に。
そも、物語というのは全て、受け取り手の脳内での出来事でしかありません。出来事の把握と因果関係の認識と行動・思考・感情の変化の時間的理解。一瞬一瞬の場面の繋がりに、因果と時間を持ち出して、物語というモノを脳内で組み上げ紡ぎ出す。作り手が見せたい物語とかあるのかもしれないけど、作り手が見せたいもの『全て』が受け取り手に届く事は100%ありえない以上、受け取り手が見る物語というモノは程度差はあれ、脳内で認識しているものにしかなりえないのです。
ましてや、物語というモノがおおっぴらに出ていない「らき☆すた」だと、余計に。
自分で書いててワケ分からなくなってきたので閑話休題。どんだけ~。
さてさて。「らき☆すた」に物語なんてない、というか、まあそりゃあるんだろうけど、コードギアスあたりのソレと比べれば、もはや『無い』と言ってしまえるレベルにまで達しているのは明白で。
だからこそ、『主体は我々』なんですよ。物語という主体が明確ではない、つうか無い以上、それを見い出す僕らはまんま主体になってしまっている、つまり「らき☆すた」における物語は我々が作ってしまっている、ということです。
物語を作っているのは我々である、というのは、僕はどの作品でもその要素はあると思っているヒトなんですが、この「らき☆すた」の場合、上部にある大きな物語が欠けている以上、その『作っているのが自分自身』という構図が、大きくなってくるのです。
つまり、このような「らき☆すた」の構造と、先にも書いた個々人の認識の違いから、他作品に比べ、物語が『自分の中"だけ"のモノ』になってしまいやすくなる、ということです。
「らき☆すた」から読み取る物語―――いや、認識する物語というものは、自分だけのモノでしかない。ということは、その、つまりは。ここから読み取るものは、【かがみ】である、ということなんです。自分だけのモノを映し出すそれは、自分自身を映し出すソレでもある。美しい水はかがみである、と。いや、美しいのかどうかは知りませんが。
そこで、原作との齟齬というものも生かされてくるわけです。我々原作既読者には、原作と言う主体を殺され、アニメを別物として見なくてはいけなくなる。つまりもう一回、認識をやり直さなくてはならない。主体移譲のプロセスの一臂なんですよ、たぶん。
美しい水はかがみである―――らき☆すたが映し出しているかがみは、もう一個あります。それは『現実』。
いや、全ての作品は普通の意味でも穿った意味でも程度差はあれ、現実を映し出しているのですが(極論言えば、作品と言う存在自体が現実に組み込まれちゃってる以上、現実を反映することになるのですが)、この「らき☆すた」の、先に書いた大きな物語がなく、小さな物語しか存在しないというのは、まんま『現実』なんですよね。
場面場面。シーンとシーン。一瞬の邂逅の繰り返し。「らき☆すた」に描かれるような何の変哲も無く物語も無い日常は、まんま『現実』に他ならないのです。当たり前ですが、そこに『大きな物語』なんてないです。あるとしても、「らき☆すた」と同じ。観測者が主体となって勝手に作り出す『物語』しか存在しません。
さらに、散々繰り返されるメタネタやパロディネタ―――そう、てりぃさんがいいこと言った!
>本来「フィクション」が「フィクション」として完結している限りは気にしなくても済むことのはずなんですが…どうあってもここで我々は「フィクション」以外のことを考えずにはいられない事態に、無理やり放り込まれてしまっています。
つまり、フィクションの世界から現実の世界に戻されてしまうというか、少しは考慮させられてしまう事態になってしまうのですよ。
この「らき☆すた」が現実に落とし込め易い、つうか僕とか、先週書いたのとか先々週書いたのとか見ると分かる(?)ように、すげー現実に落とし込めて見てるっぽいんですけど、それってすなわちこういった、現実的である構造が、そうさせている要因でもあると思うんです。
こちらで↓
http://d.hatena.ne.jp/Maybe-na/20070701/1183236919(ゼロ年代のらき☆すた力(りょく)/ラブラブドキュンパックリコさん)
>物語は軽ければ軽いほどリアルなのです。
と書かれておりまして、これにビビッときちゃったんです。物語は軽ければ軽いほどリアル。重厚な物語からは、"その物語"以上(以外)のものを読み取りづらいけど、物語が軽ければ、そこから、いくらでも『物語』を紡ぎ出して、現実に還すことが出来るんです。もち、自分の中でだけですが。
物語、メタ、ネタ、……喪失された物語、現実への揺り戻し、その先の自分という主体。つまり「らき☆すた」自体がかがみになりやすい構図。美水かがみだけに。
なんか途中っぽいけど、疲れたんで終えます。主体といえば、らき☆すたの楽しまれ方もまた非常に……とか思うけど、ニコニコ動画見たトキもない僕にはよく分からないし。や、ほら、それに結論は最後でいいっぽいし。てゆうかね、「らき☆すた 13話」の中身から何も思い浮かべなかったから、こんな箸にも棒にもかからない内容になっちゃったんです。そもそも、「全盛期の~」が書きたかっただけなんです。書き直すかも~。
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とか書いたけど、やっぱ一本立てになりました。や、無理だから。先に項目書いちゃうなんてどんだけだから~。
【More】
【美しい水はかがみである】
なんというか今回は、「つかさ」がすごかった!
いや、ホント、驚いちゃいましたよ。目が点になって、ぽつーんとしていて、時折思い出したかのように「おもち、うにょーん」とか「ちーずけーき?」とか呟くつかさ。これはヤバイですよ、色々な意味で。
え~と、僕は原作既読なんですが、このアニメ内のつかさって、原作のつかさからかなり一人歩きしているように見えるんですね。原作のつかさも、こういう天然ボケな要素ありましたが、さすがにここまで、突っ切ってしまったキャラクターではなかった。
原作とは違ってきているんですね。違うキャラクターになってきている。
それはもう、当然、漫画とアニメという媒体の違いもあるでしょうし、美水かがみと京アニという作り手の違いもあるでしょうし、声優さんのアドリブを多分に含む演技もあって、この「アニメのつかさ」が出来上がっているワケです。
あ、もちろん、受け取り手である僕たちが、漫画の時とは「違って」見ている、という点もあるでしょう。
原作とアニメとの乖離。それはつかさにおいてだけ、ではないのでしょう。
こなたなんかも、自身の「オタク」度が高まっているように感じます。
たとえば【伝説の少女A】なんて呼ばれている所なんて、明らかに原作に比べて一人歩きしてしまっている点であると思うんですね。原作において、こなたはオタクですし、コミックス多量買いとかしてましたけど、【伝説の】なんて冠が付いてしまうような、『特別なオタク』ではなかったワケです。
ひとまず、この【伝説の少女A】について。
わざわざ【伝説】だなんて冠付けられるなんて、相当凄いことを成し遂げてきたんだと思うのです。

全盛期の「伝説の少女A」伝説
・1回の買い物で500K越えは当たり前、1回800K越えも
・開店直後に買占めて品切れを頻発
・少女Aにとっての店頭での買い物はメーカーから直接購入での買い損ない
・開店前から買い占めて品切れ起こさせることも日常
・DVD1本の買い物でもDVD3本に見える
・店に来ただけで店長が泣いて謝った、心臓発作を起こす店員も
・あまりに買いすぎるからサイフ持たずに来店
・サイフ無しでもツケで買占め
・店員を一睨みしただけで商品がレジに飛んでいく
・あまりにも買いすぎるから購入前から商品をレジ袋に入れられていた時期も
・病気の子供にコミックス大量買いを約束
・店が休みの日でも2本購入
・店にも行かずネットも使わず念じただけで買ったことも
・一日でアニメイト全国全店舗制覇なんてザラ、2周することも
・グッとガッツポーズしただけでDVD5本くらい買った
・同一商品20本買いは「今日はカレーが食べたい」という暗号
・自分の投げたDVDに飛び乗って家まで帰るというファンサービス
・湾岸戦争がはじまったきっかけは少女Aの大量買い
・発売日に入荷予定の商品が届かないと思ったら、運送のトラックごと少女Aに買い占められていた
・少女Aが一回の買い物で同じ商品を買う確率は300%。観賞用で一本買い、更に保存用・布教用でもう2本買う確率が200%という意味
・これだけの実績を残しながら、本編でいまだにアニメイトでの買い物をしていないのは最大の謎
この【伝説の少女A】のように。
なぜ、こなたを『特別』にしてしまったのか。単にアニメ店長の項を盛り上げる為、以上の意味が存在しているのでしょうか。つかさはどうなのでしょうか。この『一人歩き』の道程には、単にらき☆すたを面白くする為、以上の意味が存在しているのでしょうか。
いや、そもそも。
その様に、つかさやこなたなどが、たとえ少しづつでも変わっているとしたら、この「らき☆すた」自体が、原作から大きく変わっているのではないでしょうか?いや、変わって「いるのでは」ってゆうか、変わって「います」。これはもう明らかです。
媒体が違えば変わる、表現者が違えば変わる、というのは当たり前なんですが、その「当たり前」以上の変化を、この『らき☆すた』は生じさせているように見えるんですよね。やー、もちろん、漫画のこなたもアニメのこなたも「こなた」であることには変わりないんですが、何か違うんですよ。全然違う、ってほどではなくても、同じ、ではない。
「らき☆すたの物語」について、一元的に語ってみる。
さて、物語。アニメにおいて、いやアニメじゃなくて漫画でも何でもいいんですけど、私たちはそこに「少しの」物語を見せられ、それを紡ぎ合わせて「大きな」物語に繋がっていくわけです。こういうのは、データベース消費とかの話なんですかね。全然知らないけど。じゃーここから先は僕理論だ。
かくして僕たちは、それぞれの回の「らき☆すた」から、「らき☆すた」という物語を読み取るわけです。とはいえ『らき☆すた』において、明確に読み取りやすい物語というものは、殆ど存在していないわけでして、したがって僕らは、その「らき☆すた」に表される断片的なエピソードから『物語』を読み取っていくのです。
節々で描写されるこなた・つかさ・かがみ・みゆきたちの人物像。彼女たちの関係。そこから「物語」を読み取っていくのです。そして、この4人を中心とした会話というのが「らき☆すた」である以上、その見方は間違ってはいません。
かがみはどういう人だ、つかさはこういう人だ、ということを読み取り、そして彼女たちの関係性を考える。それは「らき☆すた」を見る、という点において、まず間違いなく「正しい見方」の一つであるでしょう。
つまりは、らき☆すたにおける『小さな物語』ですね。断片的な場面の積み重ねが主であり、大きな流れとしては1話すら滅多にもたない「らき☆すた」においては、その『小さな物語』こそが「らき☆すた」の全てともいえるわけです。
確固たる大きな物語が明確には存在していない。小さな物語の紡ぎ合わせの上に大きな物語が存在しているのが通常の作品(逆でもありますけど)なのに対し、その小さな物語の先に、大きな物語が明確には見えてこない。
たとえば、その先を見ようとすると―――先週とか先々週に僕が書いていた内容のように、非常に普遍的なものでは無くなってしまうのです。
ただこれは当たり前のものでして、大きな物語が明確に提示されていない以上、その物語を紡ぎ出してしまうのは、単純に『自分自身』になってしまうのです。だから普遍的ではなくなる。
同じものを見ていても同じに見えるわけではない、そして同じに感じえるわけでもない、という認識の違いでもあるのですが、もう少し踏み込んで、「らき☆すた」の場合はもっと明確に主体をそれぞれの視聴者自身にうつさせられている、ようにも感じるのです。
いやそもそも、断片的な場面に照らされる彼女たち自身とその関係から読み取れる『小さな物語』、その内容からして非常に主体性がないんですよ。『大きな物語』の欠如の上、『流れ』としての物語の存在からそこに物語を見い出すのではなくて、『場面』という現象から人物や背景を読み取り、それらを『物語』として視聴者側で叩き上げている以上、この作品の主体は視聴者自身にある、ともいえるわけなんです。要するに、スカスカなんです。ブラックボックスだらけなんです。物語的に。
そも、物語というのは全て、受け取り手の脳内での出来事でしかありません。出来事の把握と因果関係の認識と行動・思考・感情の変化の時間的理解。一瞬一瞬の場面の繋がりに、因果と時間を持ち出して、物語というモノを脳内で組み上げ紡ぎ出す。作り手が見せたい物語とかあるのかもしれないけど、作り手が見せたいもの『全て』が受け取り手に届く事は100%ありえない以上、受け取り手が見る物語というモノは程度差はあれ、脳内で認識しているものにしかなりえないのです。
ましてや、物語というモノがおおっぴらに出ていない「らき☆すた」だと、余計に。
自分で書いててワケ分からなくなってきたので閑話休題。どんだけ~。
さてさて。「らき☆すた」に物語なんてない、というか、まあそりゃあるんだろうけど、コードギアスあたりのソレと比べれば、もはや『無い』と言ってしまえるレベルにまで達しているのは明白で。
だからこそ、『主体は我々』なんですよ。物語という主体が明確ではない、つうか無い以上、それを見い出す僕らはまんま主体になってしまっている、つまり「らき☆すた」における物語は我々が作ってしまっている、ということです。
物語を作っているのは我々である、というのは、僕はどの作品でもその要素はあると思っているヒトなんですが、この「らき☆すた」の場合、上部にある大きな物語が欠けている以上、その『作っているのが自分自身』という構図が、大きくなってくるのです。
つまり、このような「らき☆すた」の構造と、先にも書いた個々人の認識の違いから、他作品に比べ、物語が『自分の中"だけ"のモノ』になってしまいやすくなる、ということです。
「らき☆すた」から読み取る物語―――いや、認識する物語というものは、自分だけのモノでしかない。ということは、その、つまりは。ここから読み取るものは、【かがみ】である、ということなんです。自分だけのモノを映し出すそれは、自分自身を映し出すソレでもある。美しい水はかがみである、と。いや、美しいのかどうかは知りませんが。
そこで、原作との齟齬というものも生かされてくるわけです。我々原作既読者には、原作と言う主体を殺され、アニメを別物として見なくてはいけなくなる。つまりもう一回、認識をやり直さなくてはならない。主体移譲のプロセスの一臂なんですよ、たぶん。
美しい水はかがみである―――らき☆すたが映し出しているかがみは、もう一個あります。それは『現実』。
いや、全ての作品は普通の意味でも穿った意味でも程度差はあれ、現実を映し出しているのですが(極論言えば、作品と言う存在自体が現実に組み込まれちゃってる以上、現実を反映することになるのですが)、この「らき☆すた」の、先に書いた大きな物語がなく、小さな物語しか存在しないというのは、まんま『現実』なんですよね。
場面場面。シーンとシーン。一瞬の邂逅の繰り返し。「らき☆すた」に描かれるような何の変哲も無く物語も無い日常は、まんま『現実』に他ならないのです。当たり前ですが、そこに『大きな物語』なんてないです。あるとしても、「らき☆すた」と同じ。観測者が主体となって勝手に作り出す『物語』しか存在しません。
さらに、散々繰り返されるメタネタやパロディネタ―――そう、てりぃさんがいいこと言った!
>本来「フィクション」が「フィクション」として完結している限りは気にしなくても済むことのはずなんですが…どうあってもここで我々は「フィクション」以外のことを考えずにはいられない事態に、無理やり放り込まれてしまっています。
つまり、フィクションの世界から現実の世界に戻されてしまうというか、少しは考慮させられてしまう事態になってしまうのですよ。
この「らき☆すた」が現実に落とし込め易い、つうか僕とか、先週書いたのとか先々週書いたのとか見ると分かる(?)ように、すげー現実に落とし込めて見てるっぽいんですけど、それってすなわちこういった、現実的である構造が、そうさせている要因でもあると思うんです。
こちらで↓
http://d.hatena.ne.jp/Maybe-na/20070701/1183236919(ゼロ年代のらき☆すた力(りょく)/ラブラブドキュンパックリコさん)
>物語は軽ければ軽いほどリアルなのです。
と書かれておりまして、これにビビッときちゃったんです。物語は軽ければ軽いほどリアル。重厚な物語からは、"その物語"以上(以外)のものを読み取りづらいけど、物語が軽ければ、そこから、いくらでも『物語』を紡ぎ出して、現実に還すことが出来るんです。もち、自分の中でだけですが。
物語、メタ、ネタ、……喪失された物語、現実への揺り戻し、その先の自分という主体。つまり「らき☆すた」自体がかがみになりやすい構図。美水かがみだけに。
なんか途中っぽいけど、疲れたんで終えます。主体といえば、らき☆すたの楽しまれ方もまた非常に……とか思うけど、ニコニコ動画見たトキもない僕にはよく分からないし。や、ほら、それに結論は最後でいいっぽいし。てゆうかね、「らき☆すた 13話」の中身から何も思い浮かべなかったから、こんな箸にも棒にもかからない内容になっちゃったんです。そもそも、「全盛期の~」が書きたかっただけなんです。書き直すかも~。
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こんばんは、yukitaです。
今回の感想は、何処から手をつけようか迷いました。面白かったのだけれど、違和感がありました。
やっぱり、3学期を1話で放送するのは、無理があると思いました。
無理やり3ヶ月のイベントを入れなくても、バレンタインデーの話題だけで良かったと、思います。
アニメ店長のネタはいつも好きなのですが、今回は必然性が無かった気がします。
アニメイトやコミケに行くこなたに、かがみ・つかさが同行する事で、二人の知らないこなたの一面が見える。
その時、アニメ店長の様な『濃い』人々を紹介する事で、オタクでない柊姉妹の反応を見たり想像する事が出来て、二人の人物像がより良く見えてくる…。
その為の『アニメ店長』だと思います。
それなのに今回は、『ネタありき』だった気がします。
EDも、唐突に実写に変わったのは残念です。アニメ店長同様、面白かったけど、『次に誰が歌うのか?』を楽しみにしていたので、寂しかったです。
今回のEDシーンは山本前監督が作ったものではない様です。(武本監督)この点も、非常に残念です。監督を退いても、ずっと続いていた『山本節』が、消えてしまったみたいで。
アニメ店長やEDについて、色々考えてみたのですが、結局解りませんでした。
唯一解った事は、かがみが今回も可愛かった事と、『らき☆すた』が、こなた達4人を中心に回っていき、これからも続いていくと言う事だけでした。
それと…。僕の感想を書く早さが、やっぱり遅いと言う事です。
いつか、すごく早く書いて「お兄さん、びっくりだ!」と、なしおさんに言っていただけるように、頑張ります。
追伸。『sola』の最終回を観ていたら、6話の感想のコメント欄で、
なしおさんが仰っていた事が蒼乃の口から出てきて、びっくりしました。思わず心の中で「スゴイ!」と、叫びました。(最終話の感想は、数日中に完成予定です。)
長文、失礼しました。次回の感想も、楽しみにしています。
今回の感想は、何処から手をつけようか迷いました。面白かったのだけれど、違和感がありました。
やっぱり、3学期を1話で放送するのは、無理があると思いました。
無理やり3ヶ月のイベントを入れなくても、バレンタインデーの話題だけで良かったと、思います。
アニメ店長のネタはいつも好きなのですが、今回は必然性が無かった気がします。
アニメイトやコミケに行くこなたに、かがみ・つかさが同行する事で、二人の知らないこなたの一面が見える。
その時、アニメ店長の様な『濃い』人々を紹介する事で、オタクでない柊姉妹の反応を見たり想像する事が出来て、二人の人物像がより良く見えてくる…。
その為の『アニメ店長』だと思います。
それなのに今回は、『ネタありき』だった気がします。
EDも、唐突に実写に変わったのは残念です。アニメ店長同様、面白かったけど、『次に誰が歌うのか?』を楽しみにしていたので、寂しかったです。
今回のEDシーンは山本前監督が作ったものではない様です。(武本監督)この点も、非常に残念です。監督を退いても、ずっと続いていた『山本節』が、消えてしまったみたいで。
アニメ店長やEDについて、色々考えてみたのですが、結局解りませんでした。
唯一解った事は、かがみが今回も可愛かった事と、『らき☆すた』が、こなた達4人を中心に回っていき、これからも続いていくと言う事だけでした。
それと…。僕の感想を書く早さが、やっぱり遅いと言う事です。
いつか、すごく早く書いて「お兄さん、びっくりだ!」と、なしおさんに言っていただけるように、頑張ります。
追伸。『sola』の最終回を観ていたら、6話の感想のコメント欄で、
なしおさんが仰っていた事が蒼乃の口から出てきて、びっくりしました。思わず心の中で「スゴイ!」と、叫びました。(最終話の感想は、数日中に完成予定です。)
長文、失礼しました。次回の感想も、楽しみにしています。
yukita | 2007年07月08日(日) 22:41 | URL | コメント編集
>yukitaさん
どうもこんばんは~。
僕としては、正直13話は「ちょっと……」といった内容でした。愚痴になっちゃうので細かくは書きませんが、なんだか彼女たちがこの『作品世界』に確固として実存していないというか、彼女たちがこの作品世界を『作っている』感じがしなかったんです。
なんというか・・・ちょうど2クール目ですし、EDといい、ここからちょっとした方向転換があるのかもしれないですね。……はぁ。実は結構がっかりきていたり。
どうせ実写ならば、山本さんが作ったのを見たかったですね。もっと上手いんじゃないかな、と考えられなくもないですし。実写なら、山本さんの方が域に達してると思うんだけどなぁ・・・・・・。
なんか結局愚痴になっちゃったんですが、来週からは気を取り直して、楽しんでいきたいと思います。
追伸、『sola』の件、マジデスカ(笑)。
やー、お兄さんびっくりだ!まさか当て嵌まってること言ってしまえてたとは。(結局見てないんですが……(苦笑))
どうもこんばんは~。
僕としては、正直13話は「ちょっと……」といった内容でした。愚痴になっちゃうので細かくは書きませんが、なんだか彼女たちがこの『作品世界』に確固として実存していないというか、彼女たちがこの作品世界を『作っている』感じがしなかったんです。
なんというか・・・ちょうど2クール目ですし、EDといい、ここからちょっとした方向転換があるのかもしれないですね。……はぁ。実は結構がっかりきていたり。
どうせ実写ならば、山本さんが作ったのを見たかったですね。もっと上手いんじゃないかな、と考えられなくもないですし。実写なら、山本さんの方が域に達してると思うんだけどなぁ・・・・・・。
なんか結局愚痴になっちゃったんですが、来週からは気を取り直して、楽しんでいきたいと思います。
追伸、『sola』の件、マジデスカ(笑)。
やー、お兄さんびっくりだ!まさか当て嵌まってること言ってしまえてたとは。(結局見てないんですが……(苦笑))
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2007/07/04(水) 17:58:13 | Anellia Neo
らき☆すたの第13話キャプ感想です。最近これ書くのに時間かかりすぎてる;;今回はEDだけでも見る価値ありwww
2007/07/04(水) 18:34:13 | 紅蓮の煌き
らき☆すた 現時点での評価:3.5~ [] チバテレビ : 04/08 24:00~ サンテレビ : 04/10 24:00~ テレビ埼玉 : 04/08 25:30~ 東北放送 : 04/10 26:00~ RKK熊本放送 : 04/08 26:20~ 東京MXテレビ : 04/11 25:30~ テレ....
2007/07/04(水) 20:08:48 | アニメって本当に面白いですね。
らき☆すた 第13話感想いきます。
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こんばんは、yukitaです。今回の放送も、野球放送延長の影響で30分放送が遅れました。(放送局:サンTV)幸い、OPにテロップが1回流れただけでした。でもね…。「お願いだから、さっさと勝って!タイガース!
2007/07/08(日) 20:34:23 | yukitaの想い出日誌
品質評価 19 / 萌え評価 84 / 燃え評価 3 / ギャグ評価 40 / シリアス評価 10 / お色気評価 8 / 総合評価 27レビュー数 303 件 「あけましておめでとう」。残すところ、1年生の時間もあと3か月。未だお正月気分が抜けない「泉こなた」たちだった。お正月といえば、「羽つ
2007/07/25(水) 18:39:27 | ANIMA-LIGHT:アニメ・マンガ・ライトノベルのレビュー検索エンジン
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