2007'07.11 (Wed) 02:18
14話の感想を書き直した感じです。
(7/11、少し書き直しました)
(えっと、僕は原作既読です。原作知っている方は、後半のあたりなんかは、原作のアレに立脚して書かれていると思って下さって構いません、というか思って下さい。)
「らき☆すた」のキャラクターたちって、とっても"その世界で"実存しているような気がします。

"存在"とか"生きている"とかではなく、"実存"。
現実とは別段似通っていなくても、描写されるキャラクターたちに限りなく則した「らき☆すた」の作品世界は、たとえ穴だらけでも"あの"こなたやかがみたちにとっては『現実』と呼べるような存在であり(そのように見えており)、だから、そこに存在している、生きているリアリティも薄く存在の重みも軽めなのにその世界に不可分なく完璧なまでに合致しているこなたやかがみたちに、その世界での"実存"を感じえられていたのです。
実際の所は、恐らく逆で。
こなたやかがみたち4人のこと"ばかり"を写してきた「らき☆すた」の世界は、必然的にそのような世界になっていたと思われます。生きているリアリティも薄く存在の重みも軽めな彼女たちでも、それを(その描写を)貫き通すことによって、そして「らき☆すた」とはその描写によって作られているから、『らき☆すたの世界』はこのようになった。舞台・背景・設定、全てのものが存在していて、それに彼女たちが合わせる―――勿論、特に序盤などはそういう面も存在していておかしくないのですが―――というよりも、一貫性を持たれたらき☆すたのキャラクターたちの描写(そしてその繰り返し)により、舞台・背景・設定・さらにはキャラクターまで含めたこの『らき☆すたの世界』が、こなたやかがみたちと完全に不可分になった、と言えるでしょう。
世界があって、彼女たちが居て。
例えば4人(の中の誰かと誰か)の会話を中心に沿えまくってる所や、例えば彼女たちの関係に大きな変化はなく(小さな変化ですら、見つけづらいものであり)、例えば彼女たち自身にも大きな変化や成長はない、といったような一貫性を持って、いやある意味の不変性を持って写されるこの『らき☆すたの世界』は、そう、彼女たち(しかも変化を成さない)をメインというより殆ど全てと言える位に写している、いや構成されていることから、『らき☆すたの世界』はこの4人の作り出した世界かのように見えるわけです。実際は繰り返される描写により、世界の拡大(成長?)が彼女たちと不可分になった、なのでしょうが、意味的には同じ。結局、彼女たちと『らき☆すたの世界』は真に不可分なのです。
決して深い設定や作りこみで、また話の円滑や人物の深遠さでリアリティーを構築している世界ではないのですけど、この『らき☆すたの世界』がここまで、一貫して彼女たちを描写している以上、そしてその世界が、彼女たちと不可分に思えるほど"彼女たちの世界"だと思える以上、それはこなたやかがみたちにとって"現実"であるのです。このゆる~い世界も、まったり~な世界も、パロディやオタクネタな世界も、一貫性―――というか、ある種の不変性―――を持って描写し続け、そしてその中心には、いや帰結点には常に"彼女たち4人(もしくはその内の誰か)"が居る以上、この世界は彼女たちの『現実』として機能しており、そこに居る彼女たちは、とても生きているようなリアリティーを感じられなくても、彼女たちでなければという必然性のような存在感を感じられなくても、確かにそこに、"実存"しているのです。
で、僕はこの14話に多少違和感を覚えたのです。が、上記のように整理してみたら案外カンタンでした。
新キャラが出てきて、それが結構な部分を占めていたから、違和感を覚えていたのですね。あ、なんか情けねえ、当たり前の基本じゃん。
しかし新キャラ登場でこんだけ揺らぐってことは、ある意味『らき☆すたの世界』がこの4人の世界であったという証明でもあるのでしょう、僕内では。


さて、この新キャラ、ゆたか、それと長門の声の人については。
ただのテコ入れとかマンネリ打破以上の意味がありますね。
一つは、先に書いたような『らき☆すたの世界』。
今回僕があろうことか違和感を覚えてしまったように、(初登場だから当たり前ですが)まだ彼女たちは現存している『らき☆すたの世界』と不可分な存在ではなく、彼女にとってこの世界が現実だといえるほど不可分ではなく、彼女が『らき☆すたの世界』を作り出しているといえるような存在ではない。
その彼女たち、ゆたかや長門の声の人が、如何にして新しい彼女たちの『らき☆すたの世界』を作っていけるか―――または、今の『らき☆すたの世界』がどう変化していくのか―――そこが楽しみなところであり、また今まで積み重ねられてきた『らき☆すたの世界』と同じ様に、彼女たちが『らき☆すたの世界』を作り出すことにより、かつてこなたやかがみたちが作り出したそれを違った視点で再体験できる、というのも楽しみであります。
一度今の『らき☆すたの世界』を知った僕らが、彼女たちが作り出す新しい世界を、彼女たちが入り込む今の世界をどう取るか、どう見るか。新キャラクターの投入で視聴者の見方が多角的になるということは当然のことでもありますが、今までの世界の構築からみると、それに対する楽しみ方を自分の中で自明にしても大丈夫なくらいであるというのが、この一貫性を貫いて結果不変性といえるくらいである「らき☆すた」には存在しているのではないでしょうか。
もう一つの彼女たちの意味。多分コッチの方が大きな意味を持っていると思うのですが、それは、まだ見知らぬ二人である彼女たちが、作中でのゆたかのセリフのように「仲の良い友達」になっていく過程を描く、ということにあります。
これは、ある意味、作中ではいきなり友達関係からはじまった、こなたやかがみやつかさやみゆきたちの関係の、語られてない部分を埋める意味もあるんです。
僕は以前、
ここらへんで色々考えてたのですが、要約すると、
らき☆すた(の軸)はオタクネタや共感されない共感ネタなど、ゆるやかにコミュニケーションが断絶されているのに、それでも、彼女たちが友達でいて、素敵な関係にある点
という感じに書きました。
そして、その出会い、その関係こそが【らっきーすたー】である。この考えは今でも変わっていません。
しかし「らき☆すた」において、こなたやかがみたちが友達であることは、今のような関係を築けていることは、そもそもスタートラインからしてそうであるように、視聴者にとっては最初っから既成事実だったんですね。
だから僕は、上の文章なんかでは結局、『なんで』そうなのか(友達になっているのか、この関係になれているのか)が分からなかったんです。
でも、このゆたかと長門の声の人、この二人の<これからはじまる>この関係は、既成事実だったこなたやかがみたちの関係の、いわばミッシングリングを埋める役割を果たしてくれると思います。『なんで』友達になっているのか、『なんで』この関係を築けているのか。
優しい人との出会い。そして、自分から「これから3年間、よろしくお願いします」と声をかけるゆたか。この最初の出会いときっかけからはじまっていく二人の物語にこそ、作中では語られなかった、今構築されている『らき☆すたの世界』のはじまりを、そして過程を、示すものが含まれていると思います。
そして。
かつてのエントリーで、その断絶を含まれるこなたとかがみたちの関係が、僕たち視聴者とらき☆すたとの関係に似ていると書きました(あの実写EDなんかも、ある意味断絶を促進している面もありますね)。このこなたやかがみたちの間にあるものと僕たち視聴者とらき☆すたの間にあるもの、それをかつてのエントリーでは分からないから『ナニカ』と書いてお茶を濁したのですが(笑)、その"ひとつの"答えを、ゆたかと長門の声の人の<これからはじまる>関係は、きっと表してくれることでしょう。
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(7/11、少し書き直しました)
(えっと、僕は原作既読です。原作知っている方は、後半のあたりなんかは、原作のアレに立脚して書かれていると思って下さって構いません、というか思って下さい。)
【More】
「らき☆すた」のキャラクターたちって、とっても"その世界で"実存しているような気がします。

"存在"とか"生きている"とかではなく、"実存"。
現実とは別段似通っていなくても、描写されるキャラクターたちに限りなく則した「らき☆すた」の作品世界は、たとえ穴だらけでも"あの"こなたやかがみたちにとっては『現実』と呼べるような存在であり(そのように見えており)、だから、そこに存在している、生きているリアリティも薄く存在の重みも軽めなのにその世界に不可分なく完璧なまでに合致しているこなたやかがみたちに、その世界での"実存"を感じえられていたのです。
実際の所は、恐らく逆で。
こなたやかがみたち4人のこと"ばかり"を写してきた「らき☆すた」の世界は、必然的にそのような世界になっていたと思われます。生きているリアリティも薄く存在の重みも軽めな彼女たちでも、それを(その描写を)貫き通すことによって、そして「らき☆すた」とはその描写によって作られているから、『らき☆すたの世界』はこのようになった。舞台・背景・設定、全てのものが存在していて、それに彼女たちが合わせる―――勿論、特に序盤などはそういう面も存在していておかしくないのですが―――というよりも、一貫性を持たれたらき☆すたのキャラクターたちの描写(そしてその繰り返し)により、舞台・背景・設定・さらにはキャラクターまで含めたこの『らき☆すたの世界』が、こなたやかがみたちと完全に不可分になった、と言えるでしょう。
世界があって、彼女たちが居て。
例えば4人(の中の誰かと誰か)の会話を中心に沿えまくってる所や、例えば彼女たちの関係に大きな変化はなく(小さな変化ですら、見つけづらいものであり)、例えば彼女たち自身にも大きな変化や成長はない、といったような一貫性を持って、いやある意味の不変性を持って写されるこの『らき☆すたの世界』は、そう、彼女たち(しかも変化を成さない)をメインというより殆ど全てと言える位に写している、いや構成されていることから、『らき☆すたの世界』はこの4人の作り出した世界かのように見えるわけです。実際は繰り返される描写により、世界の拡大(成長?)が彼女たちと不可分になった、なのでしょうが、意味的には同じ。結局、彼女たちと『らき☆すたの世界』は真に不可分なのです。
決して深い設定や作りこみで、また話の円滑や人物の深遠さでリアリティーを構築している世界ではないのですけど、この『らき☆すたの世界』がここまで、一貫して彼女たちを描写している以上、そしてその世界が、彼女たちと不可分に思えるほど"彼女たちの世界"だと思える以上、それはこなたやかがみたちにとって"現実"であるのです。このゆる~い世界も、まったり~な世界も、パロディやオタクネタな世界も、一貫性―――というか、ある種の不変性―――を持って描写し続け、そしてその中心には、いや帰結点には常に"彼女たち4人(もしくはその内の誰か)"が居る以上、この世界は彼女たちの『現実』として機能しており、そこに居る彼女たちは、とても生きているようなリアリティーを感じられなくても、彼女たちでなければという必然性のような存在感を感じられなくても、確かにそこに、"実存"しているのです。
で、僕はこの14話に多少違和感を覚えたのです。が、上記のように整理してみたら案外カンタンでした。
新キャラが出てきて、それが結構な部分を占めていたから、違和感を覚えていたのですね。あ、なんか情けねえ、当たり前の基本じゃん。
しかし新キャラ登場でこんだけ揺らぐってことは、ある意味『らき☆すたの世界』がこの4人の世界であったという証明でもあるのでしょう、僕内では。


さて、この新キャラ、ゆたか、それと長門の声の人については。
ただのテコ入れとかマンネリ打破以上の意味がありますね。
一つは、先に書いたような『らき☆すたの世界』。
今回僕があろうことか違和感を覚えてしまったように、(初登場だから当たり前ですが)まだ彼女たちは現存している『らき☆すたの世界』と不可分な存在ではなく、彼女にとってこの世界が現実だといえるほど不可分ではなく、彼女が『らき☆すたの世界』を作り出しているといえるような存在ではない。
その彼女たち、ゆたかや長門の声の人が、如何にして新しい彼女たちの『らき☆すたの世界』を作っていけるか―――または、今の『らき☆すたの世界』がどう変化していくのか―――そこが楽しみなところであり、また今まで積み重ねられてきた『らき☆すたの世界』と同じ様に、彼女たちが『らき☆すたの世界』を作り出すことにより、かつてこなたやかがみたちが作り出したそれを違った視点で再体験できる、というのも楽しみであります。
一度今の『らき☆すたの世界』を知った僕らが、彼女たちが作り出す新しい世界を、彼女たちが入り込む今の世界をどう取るか、どう見るか。新キャラクターの投入で視聴者の見方が多角的になるということは当然のことでもありますが、今までの世界の構築からみると、それに対する楽しみ方を自分の中で自明にしても大丈夫なくらいであるというのが、この一貫性を貫いて結果不変性といえるくらいである「らき☆すた」には存在しているのではないでしょうか。
もう一つの彼女たちの意味。多分コッチの方が大きな意味を持っていると思うのですが、それは、まだ見知らぬ二人である彼女たちが、作中でのゆたかのセリフのように「仲の良い友達」になっていく過程を描く、ということにあります。
これは、ある意味、作中ではいきなり友達関係からはじまった、こなたやかがみやつかさやみゆきたちの関係の、語られてない部分を埋める意味もあるんです。
僕は以前、
ここらへんで色々考えてたのですが、要約すると、
らき☆すた(の軸)はオタクネタや共感されない共感ネタなど、ゆるやかにコミュニケーションが断絶されているのに、それでも、彼女たちが友達でいて、素敵な関係にある点
という感じに書きました。
そして、その出会い、その関係こそが【らっきーすたー】である。この考えは今でも変わっていません。
しかし「らき☆すた」において、こなたやかがみたちが友達であることは、今のような関係を築けていることは、そもそもスタートラインからしてそうであるように、視聴者にとっては最初っから既成事実だったんですね。
だから僕は、上の文章なんかでは結局、『なんで』そうなのか(友達になっているのか、この関係になれているのか)が分からなかったんです。
でも、このゆたかと長門の声の人、この二人の<これからはじまる>この関係は、既成事実だったこなたやかがみたちの関係の、いわばミッシングリングを埋める役割を果たしてくれると思います。『なんで』友達になっているのか、『なんで』この関係を築けているのか。
優しい人との出会い。そして、自分から「これから3年間、よろしくお願いします」と声をかけるゆたか。この最初の出会いときっかけからはじまっていく二人の物語にこそ、作中では語られなかった、今構築されている『らき☆すたの世界』のはじまりを、そして過程を、示すものが含まれていると思います。
そして。
かつてのエントリーで、その断絶を含まれるこなたとかがみたちの関係が、僕たち視聴者とらき☆すたとの関係に似ていると書きました(あの実写EDなんかも、ある意味断絶を促進している面もありますね)。このこなたやかがみたちの間にあるものと僕たち視聴者とらき☆すたの間にあるもの、それをかつてのエントリーでは分からないから『ナニカ』と書いてお茶を濁したのですが(笑)、その"ひとつの"答えを、ゆたかと長門の声の人の<これからはじまる>関係は、きっと表してくれることでしょう。
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まずは宣言っ★= 私はこれからも、ツリ目なツッコミ娘を全力で応援してゆくことを誓います♪ == ▲気分上々↑ =ゆい姉さん…坂道発進はアクセル少し(?)吹かし気味がコツですよね!イキオイ余ってジャンプしてる…(汗)= ▲最終兵器な彼女が登場 =いや~、背中から羽根が
2007/07/12(木) 02:11:39 | 或る書店員の戯言
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