2007'08.05 (Sun) 01:07
愛を語る人、愛を隠す人、愛を自覚していない人、愛を伝えない人。

愛情を語る人。
趣味に対する愛を大いに語るこなた。
積み重なった本を下から取るというこだわり。漫画絡みの事件に憂鬱になる入れ込み。……こなたの愛情具合なんて、今更語るほどでもないくらい散々語られていますけど。
とはいえ、その思いは他人と分かち合えるものではありません。
本を下から取るこだわりは、かがみが思い至った回転寿司に対するこだわりとは違うモノで。
漫画絡みの事件に対するこなたの憤りと、それに対するかがみのフォローは、こなたが「いい人だね」と言ったように、別のモノで。
それぞれ、理解はできるし共感はできても、同じくに分かち合うことは、できないのです。
18歳になってエロゲに至っては完全に分かち合えるものではありません。もはや呆れの領域。
こなたの、その愛情に、その全てに。
全てには理解できなくて、全てには共感できなくて、全てを分かち合うことは、できない。


愛情を隠す人。
家族への愛情を隠すまつり。
「みんなに食べさせたいから」―――もともとはその思いからの行動なのに、それを隠すから、ただのわがままみたいに受け取られて、かがみと軋轢が、つうか齟齬が生じてしまう。
愛情を隠すといえば、まつりの妹にあたるかがみも同じく。
「私は、つかさが言わなければ忘れてたけどね」
って、なんという余りにもベタに過ぎるほどの隠された愛情……。しかも「年取っても嬉しくない」という、私がこなたの誕生日を忘れていた(フリをした)のは別にこなたのことが嫌いだからとかそういうんじゃなくてただ私にとって誕生日なんてものは別に全然大したこと無い行事だからその所為で忘れていたんだからねっ!的ないじらしい言い訳まで!
隠す愛情。
隠している以上、それが伝わるわけがありません……が。
まつりがその本心を伝えた時、かえってそれが大きく通じるように。
かがみが愛情を隠すからこそ、その愛情が伝わるように。
それは普通に伝えるよりも、雄弁に伝わる。
逆に言うと。
正しくは、伝わらないのです。
隠した上での行動に対する思い、隠していることを見抜いた先での思い。
それらがあるから。その愛情を、正確に知り、二人"同じに"分かち合うことができなくなってしまうのです。

愛情に自覚していない人。
かがみのつかさ、そして家族への愛情。それにかがみは、如何ほどに自覚しているのでしょうか。
まつりと買い物ですれ違いが起きるシーン。
まつりがつかさに(恐らくかがみと一緒に)買い物に行ってきて、と頼んだのにつかさがそれを忘れていた、というのがあらすじ。
これだけではかがみに非はないでしょう。しかしかがみは、「旅行、今日だったの」と親が今日旅行でいないことを失念していたこと、携帯に留守電入っていたことに気付かなかったこと―――つまり、つかさがその事を忘れていても、自分がその事に気付く余地があったこと、に対して多少の自責を感じていました。だから、勝手な事を言うまつりに怒ってるわけでは全然無くて、むしろ「つかさとかがみの所為だよ」という所までのかがみは、その表情や態度から見えるように、気付けなかったことに多少の自責を感じていたのです。
それが何故、あのようになったかというと、その台詞の直後。

つかさの「ごめんね~」という謝罪に対する、「ふんっ」というまつりの態度。
ここにかがみは憤ったのです。
全ては自分の所為ではないとしても、自分がもう少し気付いていれば、このようにつかさとまつりの仲が多少なりとも悪くなることはなかった。
だからかがみは買い物に行ったのです。自分が動くことで、まつりに余計な気を遣わせず、つかさに責任を持たせないために。
結果、全ては上手く行きます。
かがみが思っている以上に、この事態はみんなの関係に悪い痕跡を残すこともなく。むしろより絆が深まる形で。綺麗に丸く、収まります。
でも。
かがみは、自分の行動の理由に、その愛情に、どれだけ自覚があるのでしょうか。
かがみがこの行動をしたこと、その理由を、どれだけまつりやつかさは理解しているのでしょうか。そしてかがみ自身も、この行動の理由を、どれだけ自覚しているのでしょうか。
人の行動の理由も。そこに潜む愛情も。相手には正確に伝わらない。いや自分にだって伝わっていない。
お互いに愛情を持ってはいても。お互いに愛情を"分かち合う"ことは、できていないのです。


愛情を伝えない人。
すれ違うそうじろうたちとこなたの、こなたの誕生日。どちらも愛情は十分持っているのに、それを伝えていないから。
「一人っ子が良かった」の仮定に、うなずくことが出来ないつかさと、その想いに気付かないかがみ。
どっちも伝えていないから。
伝えれば、良かったのでしょうか。
伝えなくても伝わると思ったのでしょうか。
いや、きっと。伝わらなくても―――たとえ愛情を分かち合うことができなくても―――その自分の中の『愛情』は確固なものだから。伝わらなくても愛情は確実に存在しているから。
だからきっと、伝えなかった。
すべて、そう。
みんな何かに愛情を持っているけれど。その愛情を、他人が完全に理解することなんかなくて。同じカタチで分かち合うことなんかもなくて。自分でも自覚しているのかどうかってくらい、お互い自己完結で。
愛情は、正確に相手に伝わらないし、相手が理解できるかどうかもそれぞれだし、同じに分かち合うなんて夢のまた夢。
それでも。
"同じに"でなければ、分かち合うこともできるのです。その愛情は同じではないけれど、愛情に対して愛情で応じることが出来る。

愛情を表明する人。
「らっきー☆ちゃんねる」内のアニメ店長です。
『作品にかける愛情、時間、制作費』
アニメの成功における三要素。……こんなことを、自分(アニメ内)で言ってしまうとは驚きです。逆から読めば、この作品はその三要素を満たしていますよ、と言っているようなものです(まさかこんなこと語った上で、「これは失敗作だから関係ない」なんていうとは思えませんし)。
時間と制作費。
たとえば絵が綺麗、良く動くとか、声優さんが大物だとか。そういう点では、たぶんこの「らき☆すた」はクリアしてるんじゃないでしょうか。
や、僕は声優さんとかあんまり知らないんで、実力と適性とギャラから見て適切なのかどうかとか、その辺は曖昧なんですが。
少なくとも、この絵の綺麗さと動きからは、時間が足りていないことも人員が質量ともに足りていないことも感じられません。
音とか脚本とか、他の部分からもそれは感じえます。
では愛情は、どうなんでしょう。
この「らき☆すた」で示されているものは。ひとつひとつのエピソードは。ひとりひとりのキャラクターは。そこには。
どれだけ愛情が込められているんでしょうか。
そんなもの解りません。
製作者のそれを視聴者の僕らが正しく理解して共感して、彼らのそれと僕らのそれが同じく分かち合う、なんてことは無理なんです。作中のキャラクターたちの愛情と同じくに。
今回の本編のラストエピソード。

漫画を大量に買い込み積んで安心するという、こなたの愛情のカタチ。
他人の愛情のカタチなんて、どれもこれもを正しくは理解できません。同じく分かち合えません。だからかがみは言うのです。「同意を求めるな」、と。
愛情のかたちなんて人それぞれ。同意を求められたって困る。同じく分かち合うことなんて出来ない。それは製作者と視聴者でも同じ。その思いを、同じく分かち合うことなんてできない。
それでも。
「お天道様のもと」のサブタイトルとおり。
なんだって、お天道様は見ている、のように。
作品において決して逃れられない『作品』の中で。
どれだけ愛情を語ろうと、たとえ愛情を隠していようと、もしも愛情に自覚していなかったとしても、そもそも愛情を伝えなかったとしても。作品のもとに示されている全ては、作品の中で白日に晒されているのです。
作中キャラでも、製作者でも……その愛情は、その全ては。
相手にあるがままでは伝わらなくても、その形態も含めて、あるがままで、作品の中では示されている。
だから同意なんて求めない。
全ては作品の中に示されているから。
それは同意を求める類のものではなくて、作中キャラ同士のように、同じくは分かち合えない愛情に対してこちらも同じくは分かち合えない愛情で応じるものだから。
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愛情を語る人。
趣味に対する愛を大いに語るこなた。
積み重なった本を下から取るというこだわり。漫画絡みの事件に憂鬱になる入れ込み。……こなたの愛情具合なんて、今更語るほどでもないくらい散々語られていますけど。
とはいえ、その思いは他人と分かち合えるものではありません。
本を下から取るこだわりは、かがみが思い至った回転寿司に対するこだわりとは違うモノで。
漫画絡みの事件に対するこなたの憤りと、それに対するかがみのフォローは、こなたが「いい人だね」と言ったように、別のモノで。
それぞれ、理解はできるし共感はできても、同じくに分かち合うことは、できないのです。
18歳になってエロゲに至っては完全に分かち合えるものではありません。もはや呆れの領域。
こなたの、その愛情に、その全てに。
全てには理解できなくて、全てには共感できなくて、全てを分かち合うことは、できない。
【More】


愛情を隠す人。
家族への愛情を隠すまつり。
「みんなに食べさせたいから」―――もともとはその思いからの行動なのに、それを隠すから、ただのわがままみたいに受け取られて、かがみと軋轢が、つうか齟齬が生じてしまう。
愛情を隠すといえば、まつりの妹にあたるかがみも同じく。
「私は、つかさが言わなければ忘れてたけどね」
って、なんという余りにもベタに過ぎるほどの隠された愛情……。しかも「年取っても嬉しくない」という、私がこなたの誕生日を忘れていた(フリをした)のは別にこなたのことが嫌いだからとかそういうんじゃなくてただ私にとって誕生日なんてものは別に全然大したこと無い行事だからその所為で忘れていたんだからねっ!的ないじらしい言い訳まで!
隠す愛情。
隠している以上、それが伝わるわけがありません……が。
まつりがその本心を伝えた時、かえってそれが大きく通じるように。
かがみが愛情を隠すからこそ、その愛情が伝わるように。
それは普通に伝えるよりも、雄弁に伝わる。
逆に言うと。
正しくは、伝わらないのです。
隠した上での行動に対する思い、隠していることを見抜いた先での思い。
それらがあるから。その愛情を、正確に知り、二人"同じに"分かち合うことができなくなってしまうのです。

愛情に自覚していない人。
かがみのつかさ、そして家族への愛情。それにかがみは、如何ほどに自覚しているのでしょうか。
まつりと買い物ですれ違いが起きるシーン。
まつりがつかさに(恐らくかがみと一緒に)買い物に行ってきて、と頼んだのにつかさがそれを忘れていた、というのがあらすじ。
これだけではかがみに非はないでしょう。しかしかがみは、「旅行、今日だったの」と親が今日旅行でいないことを失念していたこと、携帯に留守電入っていたことに気付かなかったこと―――つまり、つかさがその事を忘れていても、自分がその事に気付く余地があったこと、に対して多少の自責を感じていました。だから、勝手な事を言うまつりに怒ってるわけでは全然無くて、むしろ「つかさとかがみの所為だよ」という所までのかがみは、その表情や態度から見えるように、気付けなかったことに多少の自責を感じていたのです。
それが何故、あのようになったかというと、その台詞の直後。

つかさの「ごめんね~」という謝罪に対する、「ふんっ」というまつりの態度。
ここにかがみは憤ったのです。
全ては自分の所為ではないとしても、自分がもう少し気付いていれば、このようにつかさとまつりの仲が多少なりとも悪くなることはなかった。
だからかがみは買い物に行ったのです。自分が動くことで、まつりに余計な気を遣わせず、つかさに責任を持たせないために。
結果、全ては上手く行きます。
かがみが思っている以上に、この事態はみんなの関係に悪い痕跡を残すこともなく。むしろより絆が深まる形で。綺麗に丸く、収まります。
でも。
かがみは、自分の行動の理由に、その愛情に、どれだけ自覚があるのでしょうか。
かがみがこの行動をしたこと、その理由を、どれだけまつりやつかさは理解しているのでしょうか。そしてかがみ自身も、この行動の理由を、どれだけ自覚しているのでしょうか。
人の行動の理由も。そこに潜む愛情も。相手には正確に伝わらない。いや自分にだって伝わっていない。
お互いに愛情を持ってはいても。お互いに愛情を"分かち合う"ことは、できていないのです。


愛情を伝えない人。
すれ違うそうじろうたちとこなたの、こなたの誕生日。どちらも愛情は十分持っているのに、それを伝えていないから。
「一人っ子が良かった」の仮定に、うなずくことが出来ないつかさと、その想いに気付かないかがみ。
どっちも伝えていないから。
伝えれば、良かったのでしょうか。
伝えなくても伝わると思ったのでしょうか。
いや、きっと。伝わらなくても―――たとえ愛情を分かち合うことができなくても―――その自分の中の『愛情』は確固なものだから。伝わらなくても愛情は確実に存在しているから。
だからきっと、伝えなかった。
すべて、そう。
みんな何かに愛情を持っているけれど。その愛情を、他人が完全に理解することなんかなくて。同じカタチで分かち合うことなんかもなくて。自分でも自覚しているのかどうかってくらい、お互い自己完結で。
愛情は、正確に相手に伝わらないし、相手が理解できるかどうかもそれぞれだし、同じに分かち合うなんて夢のまた夢。
それでも。
"同じに"でなければ、分かち合うこともできるのです。その愛情は同じではないけれど、愛情に対して愛情で応じることが出来る。

愛情を表明する人。
「らっきー☆ちゃんねる」内のアニメ店長です。
『作品にかける愛情、時間、制作費』
アニメの成功における三要素。……こんなことを、自分(アニメ内)で言ってしまうとは驚きです。逆から読めば、この作品はその三要素を満たしていますよ、と言っているようなものです(まさかこんなこと語った上で、「これは失敗作だから関係ない」なんていうとは思えませんし)。
時間と制作費。
たとえば絵が綺麗、良く動くとか、声優さんが大物だとか。そういう点では、たぶんこの「らき☆すた」はクリアしてるんじゃないでしょうか。
や、僕は声優さんとかあんまり知らないんで、実力と適性とギャラから見て適切なのかどうかとか、その辺は曖昧なんですが。
少なくとも、この絵の綺麗さと動きからは、時間が足りていないことも人員が質量ともに足りていないことも感じられません。
音とか脚本とか、他の部分からもそれは感じえます。
では愛情は、どうなんでしょう。
この「らき☆すた」で示されているものは。ひとつひとつのエピソードは。ひとりひとりのキャラクターは。そこには。
どれだけ愛情が込められているんでしょうか。
そんなもの解りません。
製作者のそれを視聴者の僕らが正しく理解して共感して、彼らのそれと僕らのそれが同じく分かち合う、なんてことは無理なんです。作中のキャラクターたちの愛情と同じくに。
今回の本編のラストエピソード。

漫画を大量に買い込み積んで安心するという、こなたの愛情のカタチ。
他人の愛情のカタチなんて、どれもこれもを正しくは理解できません。同じく分かち合えません。だからかがみは言うのです。「同意を求めるな」、と。
愛情のかたちなんて人それぞれ。同意を求められたって困る。同じく分かち合うことなんて出来ない。それは製作者と視聴者でも同じ。その思いを、同じく分かち合うことなんてできない。
それでも。
「お天道様のもと」のサブタイトルとおり。
なんだって、お天道様は見ている、のように。
作品において決して逃れられない『作品』の中で。
どれだけ愛情を語ろうと、たとえ愛情を隠していようと、もしも愛情に自覚していなかったとしても、そもそも愛情を伝えなかったとしても。作品のもとに示されている全ては、作品の中で白日に晒されているのです。
作中キャラでも、製作者でも……その愛情は、その全ては。
相手にあるがままでは伝わらなくても、その形態も含めて、あるがままで、作品の中では示されている。
だから同意なんて求めない。
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それは同意を求める類のものではなくて、作中キャラ同士のように、同じくは分かち合えない愛情に対してこちらも同じくは分かち合えない愛情で応じるものだから。
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こんばんは、yukitaです。ご無沙汰しています。
本当はもう少し早くコメントしたかったのですが、自分の感想を書くのが滞りがちだったのと、パソコンが壊れて落ち込んでいたのとで、今日になってしまいました。
17話の感想をどう書こうか悩んで煮詰まっていた時、なしおさんの感想を読んで、霧が晴れた気がしました。
こなたが『ラノベ付き雑誌』を読んでいる時、ラノベを読み飛ばしている事をかがみが知り「あんたの『愛』も大した事ないわねぇ。読み飛ばしですか?」
と言ったシーンは、こなたとかがみの関係性を如実に示していると思いました。
かがみは、こなたが『気の置けない友人』だからこそ、無遠慮なまでに言い放つ事が出来たのだと思います。
(かがみが「読み飛ばしですか?」と、挑発的に言ったのは、こなたにラノベを読ませる事で『ラノベの面白さ』を分かち合いたかったのかも知れません。)
こなたの誕生日パーティ・柊家の『パエリア騒動』での共通点は、なしおさんの仰る通り『伝えなかった』事にあると思います。
ゆたかが、もし「誕生日パーティをするから、早く帰って来て。」と、こなたに言っていたら、一緒に誕生日を祝えたかも知れません。
また、こなたがバイト先にゆたか達を招待したら、ゆたか達は寂しい思いをせず、楽しめたかも知れません。
『パエリア騒動』の場合は、かがみが登校する際、まつりが「今日はパエリアを作るから、材料を買って来て。」と直接言っていれば、何事も無く過ぎていったと思います。
また、かがみに明確な非が無いとは言え、買い物のし忘れを指摘された時、「ごめん。これから買って来る。」と、まつりに言えば良かったのだと思います。
でも、かがみとまつりが喧嘩してしまうのは、二人の『立場』が似ているからだと思います。
いのりは長女で『姉』・つかさは四女で『妹』と、一つの立場しかありません。
一方、まつりとかがみは『姉であり妹でもある』ので、立場が二つある。似ているからこそお互いの気持ちが良く解り、だからこそ短所も浮き彫りになって素直になれない。――この辺が喧嘩の原因かなぁ、と思いました。
いつも、なしおさんの感想を読む度『こんな視点があったのか』と、感心してしまいます。そして、刺激になります。
僕も、なしおさんの様に面白い感想を、ひとつでも多く書ける様に、頑張ろうと思います。
約1ヶ月前の話のコメントを、今ごろ書いて済みません。
これからも、宜しくお願いします。
本当はもう少し早くコメントしたかったのですが、自分の感想を書くのが滞りがちだったのと、パソコンが壊れて落ち込んでいたのとで、今日になってしまいました。
17話の感想をどう書こうか悩んで煮詰まっていた時、なしおさんの感想を読んで、霧が晴れた気がしました。
こなたが『ラノベ付き雑誌』を読んでいる時、ラノベを読み飛ばしている事をかがみが知り「あんたの『愛』も大した事ないわねぇ。読み飛ばしですか?」
と言ったシーンは、こなたとかがみの関係性を如実に示していると思いました。
かがみは、こなたが『気の置けない友人』だからこそ、無遠慮なまでに言い放つ事が出来たのだと思います。
(かがみが「読み飛ばしですか?」と、挑発的に言ったのは、こなたにラノベを読ませる事で『ラノベの面白さ』を分かち合いたかったのかも知れません。)
こなたの誕生日パーティ・柊家の『パエリア騒動』での共通点は、なしおさんの仰る通り『伝えなかった』事にあると思います。
ゆたかが、もし「誕生日パーティをするから、早く帰って来て。」と、こなたに言っていたら、一緒に誕生日を祝えたかも知れません。
また、こなたがバイト先にゆたか達を招待したら、ゆたか達は寂しい思いをせず、楽しめたかも知れません。
『パエリア騒動』の場合は、かがみが登校する際、まつりが「今日はパエリアを作るから、材料を買って来て。」と直接言っていれば、何事も無く過ぎていったと思います。
また、かがみに明確な非が無いとは言え、買い物のし忘れを指摘された時、「ごめん。これから買って来る。」と、まつりに言えば良かったのだと思います。
でも、かがみとまつりが喧嘩してしまうのは、二人の『立場』が似ているからだと思います。
いのりは長女で『姉』・つかさは四女で『妹』と、一つの立場しかありません。
一方、まつりとかがみは『姉であり妹でもある』ので、立場が二つある。似ているからこそお互いの気持ちが良く解り、だからこそ短所も浮き彫りになって素直になれない。――この辺が喧嘩の原因かなぁ、と思いました。
いつも、なしおさんの感想を読む度『こんな視点があったのか』と、感心してしまいます。そして、刺激になります。
僕も、なしおさんの様に面白い感想を、ひとつでも多く書ける様に、頑張ろうと思います。
約1ヶ月前の話のコメントを、今ごろ書いて済みません。
これからも、宜しくお願いします。
yukita | 2007年08月24日(金) 02:44 | URL | コメント編集
>yukitaさん
コメントに気付くの遅れたから返事も遅れた!ゴメン。
しかし一ヶ月前の話だからそんなに覚えてない(笑)。
や、でも、『まつりとかがみが似ている』というのはなかなか鋭いご指摘だと思います。立場の相似と、似ているからこその相違ですか。確かに二人とも、他の人(姉とかつかさとか)と接する時とは、少し違った感じに見えましたね。
・・・・・・・
あと僕の感想とかにあんま期待しないで下さい。まじで(笑)。期待されると応えようと暴走して、バグッたことを書きかねないっすよ(いつもバグってるようなものだけど…)。
パソコンの件は本当、ご愁傷様です。
新しいパソコンをご購入されましたら、また更新、期待しています。
コメントに気付くの遅れたから返事も遅れた!ゴメン。
しかし一ヶ月前の話だからそんなに覚えてない(笑)。
や、でも、『まつりとかがみが似ている』というのはなかなか鋭いご指摘だと思います。立場の相似と、似ているからこその相違ですか。確かに二人とも、他の人(姉とかつかさとか)と接する時とは、少し違った感じに見えましたね。
・・・・・・・
あと僕の感想とかにあんま期待しないで下さい。まじで(笑)。期待されると応えようと暴走して、バグッたことを書きかねないっすよ(いつもバグってるようなものだけど…)。
パソコンの件は本当、ご愁傷様です。
新しいパソコンをご購入されましたら、また更新、期待しています。
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2007/08/05(日) 02:00:39 | Old Dancer's BLOG
らき☆すた 3 限定版テストの結果出た。相変わらずだったと話す、こなたとつかさ。かがみは、こたなの受験生としての自覚のなさを指摘するが・・・。
2007/08/05(日) 17:41:13 | ゲームやアニメについてぼそぼそと語る人
白石自重!!! 懲りずにまた出てきた・・・。もちろんEDのことです!もういいのに・・・。そういえば前々回の時には撮影時にギャラリーが増えて大変だったそうですが、某神社でも同じような現象が起きたらしいじ
2007/08/06(月) 13:44:01 | 荒野の出来事
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2007/08/08(水) 23:44:43 | yukitaの想い出日誌
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