2007'08.09 (Thu) 04:00
西園シナリオのネタバレあります。
『ない』が、確固とした『ある』に変わったのが西園シナリオ。
『ない』と『ある』について。
「想い出なんて、まぼろし」
「過去なんて、頭の中で創り出した偽者」
この世のものなんて、全部そうだと言えばそうです。
認識。
目の前で起きている現実を。
目で視て、耳で聞いて、鼻で匂って、舌で味わって、肌で感じる。
そうして自らの内に取り込んだ現実を、自分の記憶、自分の知識、自分の感性、自分の趣向……それら『自分の脳』で、分別し、選別し、選択し、抽出し、思考し、思慮し、記憶する。
自分が現実を、世界を知るには、認識が必要で。
その過程で、現実は、世界は、「絶対に」、目の前で起きている、かつて目の前で起こった、現実でも、世界でも、無くなってしまう。
自分の頭の中にしかないもの。
記憶も過去も想い出も。
いくらでも作為的に、いくらでも恣意的に、いくらでも自動的に、いくらでも自然に、それは『ほんとう』から遠く離れてしまう。
だから、そんなものは『ない』に等しい。
存在を確認することができないソレ。
実存を証明することができないソレ。
自分の心の中、自分の頭の中なんて、現実からすれば、世界からすれば、『ない』と同意である。
このことに関する説明は、もう充分すぎるくらい繰り返し行われています。
自分の中にしかないもの。
現実には存在しないもの。
『ない』もの。
その『ない』ものの積み重ねが、繰り返しが。
空に青を作るように、海に青を作るように、『ない』を重ねて『ある』に届く。
さて、一端シナリオの中のお話に入って。
なんで美魚はあっちの世界、美魚の永遠にあれだけ行こうと思ったのか。
美魚が望んだ場所とは、真に『ない』世界です。
誰も自分のことを覚えていない。誰も自分のことを認識していない。
美魚を観測するものが世界にいない以上、美魚は世界から本当にいなくなる―――真に孤独になる。そんな場所、そんな世界。
そこを望んだ美魚の思考こそが、まさに『ない』。
子供の頃の、自分ひとりでの空想遊び。
そこで生まれた、美鳥という美魚の中にだけ居る存在。
自分の中の空想が、決して他人に届かないと知った雲に対する想像。
美鳥を忘れていたから、美鳥を傷つけたという考え。
全部、自分の中だけのこと。現実とも世界とも交わらない、自分の中にしか『ない』もの。
そして、その。
自分の中にしかないものが、他人と接触すると。
親を困らせたり、友達があまりできなかったり、そして美鳥までも傷つけたりする。自分自身のことも、傷つけたりする
だから美魚は望んだのです。他人を傷つけることも、自分を傷つけることもない場所。
他人は自分のことを忘れてくれる。傷つくよしもない。
自分がどれだけ、他者と共有不可能なことを思い至っても、それは他者と繋がることは絶対に無い。傷つくよしもない。
誰も自分を見ず。誰も自分を知らない。ただただ一人、自分の頭の中を、自分の中の『ない』を謳歌し続けられる場所。
そこに行こうとする美魚を繋ぎ止めたのが、心動かされ、振り回される、『ない』ものである自分自身の頭の中―――つまり様々な思いにより繋ぎ止められた、美魚自身。
たとえば理樹。
美魚のことを忘れていなかった理樹。
美魚のことをいまだ認識していた理樹。
美魚のことを忘れずに、いまだ認識していたから苦しんでいた理樹。
美魚の、自分の頭の中だけの空想や想像や考えや思い、それを受けた結果として、同じく自分の頭の中だけの過去や記憶や想い出によって苦しんでいた理樹。
そう。
自分の頭の中だけにしか『ない』ものなんて、真実世界とは繋がらなくて、本当現実から見れば嘘っぱちで、絶対他人と交わらないものなんだけど。それの所為で。その影響を受けて。他人が、苦しむ。交わらないはずの他人が―――交わらないから、全てを知り全てに理解し全てに共感するわけじゃないからこそ、苦しむ。美魚の思いも感情も、美魚ひとりだけのもので、それを全て理解し共感できるわけじゃないから、苦しむ。
自分の頭の中にしか『ない』ものは、自分の頭の中にしかないんですけど。裏を返せば、自分の頭の中には『ある』のです。
自分の頭の中にしか『ない』ものは、自分の頭の中には『ある』。
だから苦しむし、惑うし、動かされるし、好きになる。
そしてそれは……他人に正確に理解され同意されることはなくても―――いやないからこそ、他人の中でも『存在』してしまう。
さて、頭の中の『ない』は、頭の中に『ある』のですが、頭の中にしか『ない』以上、それは『ない』と同じ事でもあります。
美魚が雲から思い描いた像が、美魚の中にしかなかったように。
美魚の頭の中の美鳥が、美魚の中にしか無かったように。
それは真実、世界の中には存在しない。
それは本当、現実から見れば嘘っぱち。
美鳥の存在も、同じです。
美魚のカゲとして、美魚の代替としてのみならば存在できる、美魚と同時に存在できない、美魚の頭の中が生み出したその存在。
そんなものは世界の中には存在しなくて、現実から見れば嘘っぱち。
美鳥なんて世界には存在しなくて、現実から見れば嘘っぱち。
そんな彼女が、自分が消え去ることを、どうして受け入れたのか。
美魚が好きだ、美魚の為(あと理樹の為)だというのも勿論あるのだけど、それにもう一つ。
そんな彼女が言った言葉。「それで充分だよ」の意味がある。
忘れていなくて、思い出してくれて……自分を観測してくれて、自分が…世界にも現実にもいなくても、たとえあなたの『頭の中だけにしかない』の存在でも、忘れないで、覚えていてくれるなら、それで充分だ、と。
美魚と理樹との出会い、そして歩んだ日々は。
二人を、そして美鳥の心の中を、満たしてくれました。
心の中。頭の中。
それは世界にも現実にもなくて、他人の中にもなくて、自分の中にしか『ない』ものです。
世界の色にも現実の色にも、他人の色に染まらないものです。
でも、だからって。それを『ない』と言えるのでしょうか。
自分の中にしか『ない』ものは、自分の中にだけ『ある』もの、なんじゃないでしょうか。
それは一見、透明だけど。
沢山集って、ようやく色を成すくらいのものだけど。
過去も記憶も想い出も。世界や現実という色に比べたら、薄すぎるものだけど。
思いを重ねて、思いを認識して、思いを…なによりも『信じれば』。
『ない』は自分の中で確固たる『ある』に変わる。
本当は、頭の中のことなんて『ない』わけじゃない。
幾度も出てきた、『棗×直枝』のように。頭の中にしか存在しない。でも、頭の中には存在する―――だからそんな妄想で、美魚は取り乱したりもできる。
幾度も出てきた『善意を信じる』のように。あるわけじゃない「善意」なんてものも、信じ抜けば、確固として『ある』ものになる―――自分の中で。
世界にも現実にも他人にも交わらない、自分の頭の中だけのものなんて、しょせん幻想のような夢のような幻のようなモノなんだけど。それは無駄でも無意味でもない。
けれど、それを信じて……ないを自分の中で確固としたものにすれば……それは、自分の中だけでは、確実に、確固として『ある』もの。
だから簡単には、永遠の世界に行けない。
だから忘れない、美鳥のことも。
だから好きだという、気持ちを伝えられる。
頭の中にしかないものは―――頭の中には、確固として『存在』しているものなのだから。
WEB拍手を送る
このシナリオで少し気になったのが、『ない』というのは『ある』に繋がっているのですが、決して『ある』とは言わず、『ない』を突き通したこと。あくまで、徹底的に『ない』に徹したのがこのシナリオ。
何でそうしたのかな、の雑感なんですが―――多分、このシナリオを読んで、僕たちが抱いた感情とか思いとか想像とか考えとか、そういった……自分の中だけで『ある』ものを、見つめて欲しかったからかな、と思いました。
作中の美魚や理樹が、「自分の中にだけあるもの」―――思いや考えや気持ちや感情―――それがあんなにも、美魚のそれがあんなにも理樹に美鳥に繋がって、理樹のそれがあんなにも美魚や美鳥に繋がっていくこの物語……『ない』を紡いで重ねて信じ込んで、確固とした『ある』に至ったこの物語―――それを見た僕らが得た思いや考えや気持ちや感情―――作品の中にしか『ない』ものを見た僕らが、作品とは全く関係ない現実で、現実とは全く違う僕らの頭の中にしか『ない』もの―――それは一体どうなのか。
美魚と理樹のように、完璧に分かり合うことは出来ない、交わることは出来ないけど―――作品と僕らとの繋がりの先で、僕らが得たものは、頭の中にしか『ない』ものではなく、頭の中に『ある』もの、として認識できるのか……という意図で、こうしたんじゃないかな、と思う。
勿論こんな考えも思いも感情も、別に意図されたものじゃなくて、僕の頭の中にあるだけのものなのかもしれないけれど。
【More】
『ない』が、確固とした『ある』に変わったのが西園シナリオ。
『ない』と『ある』について。
「想い出なんて、まぼろし」
「過去なんて、頭の中で創り出した偽者」
この世のものなんて、全部そうだと言えばそうです。
認識。
目の前で起きている現実を。
目で視て、耳で聞いて、鼻で匂って、舌で味わって、肌で感じる。
そうして自らの内に取り込んだ現実を、自分の記憶、自分の知識、自分の感性、自分の趣向……それら『自分の脳』で、分別し、選別し、選択し、抽出し、思考し、思慮し、記憶する。
自分が現実を、世界を知るには、認識が必要で。
その過程で、現実は、世界は、「絶対に」、目の前で起きている、かつて目の前で起こった、現実でも、世界でも、無くなってしまう。
自分の頭の中にしかないもの。
記憶も過去も想い出も。
いくらでも作為的に、いくらでも恣意的に、いくらでも自動的に、いくらでも自然に、それは『ほんとう』から遠く離れてしまう。
だから、そんなものは『ない』に等しい。
存在を確認することができないソレ。
実存を証明することができないソレ。
自分の心の中、自分の頭の中なんて、現実からすれば、世界からすれば、『ない』と同意である。
このことに関する説明は、もう充分すぎるくらい繰り返し行われています。
自分の中にしかないもの。
現実には存在しないもの。
『ない』もの。
その『ない』ものの積み重ねが、繰り返しが。
空に青を作るように、海に青を作るように、『ない』を重ねて『ある』に届く。
さて、一端シナリオの中のお話に入って。
なんで美魚はあっちの世界、美魚の永遠にあれだけ行こうと思ったのか。
美魚が望んだ場所とは、真に『ない』世界です。
誰も自分のことを覚えていない。誰も自分のことを認識していない。
美魚を観測するものが世界にいない以上、美魚は世界から本当にいなくなる―――真に孤独になる。そんな場所、そんな世界。
そこを望んだ美魚の思考こそが、まさに『ない』。
子供の頃の、自分ひとりでの空想遊び。
そこで生まれた、美鳥という美魚の中にだけ居る存在。
自分の中の空想が、決して他人に届かないと知った雲に対する想像。
美鳥を忘れていたから、美鳥を傷つけたという考え。
全部、自分の中だけのこと。現実とも世界とも交わらない、自分の中にしか『ない』もの。
そして、その。
自分の中にしかないものが、他人と接触すると。
親を困らせたり、友達があまりできなかったり、そして美鳥までも傷つけたりする。自分自身のことも、傷つけたりする
だから美魚は望んだのです。他人を傷つけることも、自分を傷つけることもない場所。
他人は自分のことを忘れてくれる。傷つくよしもない。
自分がどれだけ、他者と共有不可能なことを思い至っても、それは他者と繋がることは絶対に無い。傷つくよしもない。
誰も自分を見ず。誰も自分を知らない。ただただ一人、自分の頭の中を、自分の中の『ない』を謳歌し続けられる場所。
そこに行こうとする美魚を繋ぎ止めたのが、心動かされ、振り回される、『ない』ものである自分自身の頭の中―――つまり様々な思いにより繋ぎ止められた、美魚自身。
たとえば理樹。
美魚のことを忘れていなかった理樹。
美魚のことをいまだ認識していた理樹。
美魚のことを忘れずに、いまだ認識していたから苦しんでいた理樹。
美魚の、自分の頭の中だけの空想や想像や考えや思い、それを受けた結果として、同じく自分の頭の中だけの過去や記憶や想い出によって苦しんでいた理樹。
そう。
自分の頭の中だけにしか『ない』ものなんて、真実世界とは繋がらなくて、本当現実から見れば嘘っぱちで、絶対他人と交わらないものなんだけど。それの所為で。その影響を受けて。他人が、苦しむ。交わらないはずの他人が―――交わらないから、全てを知り全てに理解し全てに共感するわけじゃないからこそ、苦しむ。美魚の思いも感情も、美魚ひとりだけのもので、それを全て理解し共感できるわけじゃないから、苦しむ。
自分の頭の中にしか『ない』ものは、自分の頭の中にしかないんですけど。裏を返せば、自分の頭の中には『ある』のです。
自分の頭の中にしか『ない』ものは、自分の頭の中には『ある』。
だから苦しむし、惑うし、動かされるし、好きになる。
そしてそれは……他人に正確に理解され同意されることはなくても―――いやないからこそ、他人の中でも『存在』してしまう。
さて、頭の中の『ない』は、頭の中に『ある』のですが、頭の中にしか『ない』以上、それは『ない』と同じ事でもあります。
美魚が雲から思い描いた像が、美魚の中にしかなかったように。
美魚の頭の中の美鳥が、美魚の中にしか無かったように。
それは真実、世界の中には存在しない。
それは本当、現実から見れば嘘っぱち。
美鳥の存在も、同じです。
美魚のカゲとして、美魚の代替としてのみならば存在できる、美魚と同時に存在できない、美魚の頭の中が生み出したその存在。
そんなものは世界の中には存在しなくて、現実から見れば嘘っぱち。
美鳥なんて世界には存在しなくて、現実から見れば嘘っぱち。
そんな彼女が、自分が消え去ることを、どうして受け入れたのか。
美魚が好きだ、美魚の為(あと理樹の為)だというのも勿論あるのだけど、それにもう一つ。
そんな彼女が言った言葉。「それで充分だよ」の意味がある。
忘れていなくて、思い出してくれて……自分を観測してくれて、自分が…世界にも現実にもいなくても、たとえあなたの『頭の中だけにしかない』の存在でも、忘れないで、覚えていてくれるなら、それで充分だ、と。
美魚と理樹との出会い、そして歩んだ日々は。
二人を、そして美鳥の心の中を、満たしてくれました。
心の中。頭の中。
それは世界にも現実にもなくて、他人の中にもなくて、自分の中にしか『ない』ものです。
世界の色にも現実の色にも、他人の色に染まらないものです。
でも、だからって。それを『ない』と言えるのでしょうか。
自分の中にしか『ない』ものは、自分の中にだけ『ある』もの、なんじゃないでしょうか。
それは一見、透明だけど。
沢山集って、ようやく色を成すくらいのものだけど。
過去も記憶も想い出も。世界や現実という色に比べたら、薄すぎるものだけど。
思いを重ねて、思いを認識して、思いを…なによりも『信じれば』。
『ない』は自分の中で確固たる『ある』に変わる。
本当は、頭の中のことなんて『ない』わけじゃない。
幾度も出てきた、『棗×直枝』のように。頭の中にしか存在しない。でも、頭の中には存在する―――だからそんな妄想で、美魚は取り乱したりもできる。
幾度も出てきた『善意を信じる』のように。あるわけじゃない「善意」なんてものも、信じ抜けば、確固として『ある』ものになる―――自分の中で。
世界にも現実にも他人にも交わらない、自分の頭の中だけのものなんて、しょせん幻想のような夢のような幻のようなモノなんだけど。それは無駄でも無意味でもない。
けれど、それを信じて……ないを自分の中で確固としたものにすれば……それは、自分の中だけでは、確実に、確固として『ある』もの。
だから簡単には、永遠の世界に行けない。
だから忘れない、美鳥のことも。
だから好きだという、気持ちを伝えられる。
頭の中にしかないものは―――頭の中には、確固として『存在』しているものなのだから。
WEB拍手を送る
このシナリオで少し気になったのが、『ない』というのは『ある』に繋がっているのですが、決して『ある』とは言わず、『ない』を突き通したこと。あくまで、徹底的に『ない』に徹したのがこのシナリオ。
何でそうしたのかな、の雑感なんですが―――多分、このシナリオを読んで、僕たちが抱いた感情とか思いとか想像とか考えとか、そういった……自分の中だけで『ある』ものを、見つめて欲しかったからかな、と思いました。
作中の美魚や理樹が、「自分の中にだけあるもの」―――思いや考えや気持ちや感情―――それがあんなにも、美魚のそれがあんなにも理樹に美鳥に繋がって、理樹のそれがあんなにも美魚や美鳥に繋がっていくこの物語……『ない』を紡いで重ねて信じ込んで、確固とした『ある』に至ったこの物語―――それを見た僕らが得た思いや考えや気持ちや感情―――作品の中にしか『ない』ものを見た僕らが、作品とは全く関係ない現実で、現実とは全く違う僕らの頭の中にしか『ない』もの―――それは一体どうなのか。
美魚と理樹のように、完璧に分かり合うことは出来ない、交わることは出来ないけど―――作品と僕らとの繋がりの先で、僕らが得たものは、頭の中にしか『ない』ものではなく、頭の中に『ある』もの、として認識できるのか……という意図で、こうしたんじゃないかな、と思う。
勿論こんな考えも思いも感情も、別に意図されたものじゃなくて、僕の頭の中にあるだけのものなのかもしれないけれど。
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「美魚」クリアしました。 そして、EDについて訂正するべきことが・・・ 以降ネタバレありです! なお、次のキャラは天然指定の「小毬」の予定。 どうでもいいけど、「鈴」はすごい変化球投手ですね(球種あ
2007/08/09(木) 23:25:19 | ルーツ オブ ザ まったり!
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