2007'09.12 (Wed) 02:31
ウルっときたよ。
「らっきー☆ちゃんねる」。

あーもう、多分こうなるだろうなぁと思わなくもなかったというか、予想の範囲外ではなかったのですけど。
本編が『変わらない日常』じゃないですか。それに対し「らき☆ちゃん」は、その変わらない日常が徐々に変わっていき、遂には破綻する、という構成。
あきら様が毒吐いて、白石があたふたする、というラジオ番組という『日常』だったのですけど、それが、そんな日常が、そんなカタチをした日常であるがゆえに(あきら様が毒吐いて無茶言って、白石がそれに耐える日常であるが故に)、その『日常』が崩壊する。
『日常』の終焉はこのように簡単に訪れて、というかこのように、その『日常』自体に崩壊の要因が内包されていて、つうかそもそも、その崩壊の要因こそが日常であって。だから、日常はあっさり終わる。終わってもおかしくない。
その、終わってしまった、自ら終わらせてしまった日常を、来週、もう一回、復活させようとする。

作られたそれは。白石もあきら様も、渋々「わかりました」とか言っちゃってるそれは。
多分。
もう既に、『日常』ではないのだろうけど。
でも、それでも、だからこそ。
『日常』を、もう一度……。
くっ……(涙)
てゆうか何で「らき☆ちゃん」で俺は涙するのか大丈夫なのか?という疑問が頭の中を渦巻いて止め処ないのですが、それはそれとして。
本編の方の『日常』というのも、本来ならばいつ終わっても・すぐ終わってもおかしいものではありません。
実際、僕らだって、現実においてそうでしょう?
誰かとの関係という『日常』。そんなものは……『関係』なんだから、変化も容易で、消失も簡単。
もちろん、簡単にはなくならない日常も沢山あるけれど。簡単になくなっちゃう日常も、沢山ある。
ちょっとした言い争いとかすれ違いとか、くだらない価値観の違いとか物の見方の相違とか、クラスが変わったからとか趣味が合わなくなったからとか、仕事が忙しくなったからとかメールの返事を返し忘れまくったからとか、そーんな「ちょっとしたきっかけ」で、今まで誰かと築いてきた『日常』って、簡単になくなっちゃう。
誰かとの関係で作られる日常には、どうしたって、こういう「崩壊の因子」が存在します。
そもそも他人のことですからね。気が合わないとか考えが合わないとか価値観が合わないとか、最初は合ってたけど次第に自分が(もしくは相手が)変わっていって合わなくなったとか、相手のことを正しく理解していなかったけど、正しく理解したら……とか。他人のことが、完璧に「わかる」ことなんて、当たり前だけど、ない。自分の考えや思いが他人に伝わらなかったり、その考えや思いを「どうして」自分が導き出したのかという道理(つまり価値観とか思考ですね)が、他人には理解できなかったり。
そんな「理解できない」ということが「分かって」しまって、「関係」が変化していったり。
全く異なる他人同士の関係という名の『日常』。
そんなもの、壊れる要素満載。
で、今回の本編。
人同士が全く異なるというのは当たり前ですけど、その違いというのは、逆に「その人自身」を浮き彫りにさせます。パソコンの変換がアレだから、ああいう人なのかな、とか。ここでこう考えるから、あの人はこうなのかな?みたいな。
例えば、今回の話でいうと。

・みゆきさんの「ガム噛んで歯の詰め物抜けた」に対する感想
こなた:萌え
こなたの感想に対して、ゆたか「へぇ…そ、そうなんだ…」
ひより:ネタ頂き
・「きょうのわんわん」、動物見る人と飼い主見る人
・パティの聞く曲←かがみは普通の反応、こなたは「アニソンだな」という反応
・みなみちゃんはクールでカッコイイ
何かに対する反応とか、姿勢とか、印象とか。
それぞれが、それぞれの「人」を、豊かに示しています。
例えばこれが、一人だけでは分からない。こなたがみゆきさんに「萌えー」というだけでは、「こなたがみゆきさんに萌えー」と言うだけ、で終わってしまうけど、そこに他人が絡んでくれば、「こなたはみゆきさんに萌えーだけどゆたかはそのこなたの反応にちょっと引いててみなみはみゆきさんに同情してひよりは貪欲にネタにする」といった感じに、その絡んできた人全ての視座が伝わってきて、さらにその相違にこそ、それぞれの「人となり」が、『豊かに』表されています。
ちょっと視点を変えるだけで、ちょっと視点を加えるだけで、色んなものが見えてくる。

・みなみ・ひより・パティがゆたかの見舞いに来る。ゆいねえさん、みなみ『だけ』ベタ褒めと―――視点を、取り残された二人に転換
のエピソードのように。ただ「矢印」をプラスしてちょっと視点を変えただけでも、見えてくるものは断然多くなる。それと同じ様に、「らき☆すた」のキャラクター同士の違いが表現されるエピソード、「あるある」や「ねーよ」といった違いが明確になるお話しは……「お話しは、エピソードは」というか、「らき☆すた」って大体全部こんな感じですね。色んな会話とか色んな出来事とかあって、それに対してどう接するか、どう反応するか、またその接し方・反応に対してどう接するか・どう反応するか。それぞれのキャラクターを、色んな視座で見せてくれる。それによって、キャラクターたちがどんどんどんどん豊かになる。

今回、なんかですね、非常に「らき☆すただなぁ」と思ってしまいました。
僕のらき☆すたに対する印象は、第1話の「チョココロネ」の話―――意見は相違し、考えも価値観も相違する。同意が得られたとしても、それは一瞬の同意・一瞬のシンパシーであったりする。でも、それでも、そんな断絶が関係に対して「何一つ」遮断する力を持たない―――をずっと引きずっていまして。断絶があってもなんともないぜ!というこのぬるさ(ぬるさというのもナンですが)が、「あんたねー」と呆れたツッコミを入れながらも関係に何のヒビも入らないこのぬるさが、僕が勝手に見る「らき☆すた」らしさと言いますか。や、でも、こういうベクトルはあると思うんですけど。
各キャラクターが、深く表現されているのだから。しかも他キャラクターと対比されて表現されているのだから。その、それぞれのキャラクターの『違い』が、浮き彫りになる。
違い。
断絶というのは、『日常』を壊す力を持っているのですけど、
「らき☆すた」キャラ達は、そんな断絶をものともせず、日常を持続させています。
この辺が、自分が注視していたってのもありますが、らき☆すたにおいてはずっとあるような気がします。
人と人との繋がり、関係の『日常』。
人と人とはみんな違って、でもその違いが繋がりを、関係を豊かにしていって。
その豊かな関係で出来上がる、豊かな『日常』。
でも、その違いが。
時に軋轢を生み、時にすれ違いを生み、時に誤解を生じさせる。
他人が自分のことを「分かってくれない」。自分が他人のことを「分かってやれない」。
人はみんな違うのだから。人と人、という前提の時点で、いつ崩壊してもおかしくない。
らっきー☆ちゃんねるという日常が崩れるように。らき☆すたという日常も、いつ崩れても、おかしくない。
それでも、崩れない。シンパシーは一瞬であって、同意はたまにであって、食い違いは沢山あって、意見の不一致は日常茶飯事なのだけど。それでも。
その、答えは。

いや~、長々と明確に良く分かるように書いていたのですが、更新押したら消えちゃいました。
なんてオチはどうですかダメですかベタですかそうですか。
や、実際のところは、ゆたか・みなみを「相性の問題」と語るように、こなたが中学の頃仲良かった魔法使い(目標が)の友達さんと疎遠になっちゃたように、この面子のこの仲の良さ、この「断絶?でもそんなの関係ねぇ!」は、個人が持つ資質とか姿勢がどうこうとか思想がナンだとかじゃなくて、単純に個人同士の相性みたいなもの、時の運・巡り合せの運みたいなものだと思うのですけどね。
もしこなた・かがみ・つかさ・みゆきじゃなければ、『これ』では無かったなぁ、という。
もし違う面子だったら、これ以上かこれ以下かは分かりませんけど、少なくともこんな強度じゃ無かったんじゃないでしょうか。
時の運とか巡り合せの運とかいうと、身も蓋も無い感じですけど、でも多分そんなもので、軋轢もすれ違いも誤解も越えるこの出会いは、ぶっちゃけて言えば「運」であって、その運こそが「らっきーすたー」とか、そんな感じ。(「そんな感じ」とか言うと、より見も蓋も無い)
まあでも、すごい当たり前ですけど、今やってるらき☆すたが「この形」なのは、「この日常」だからなんですよね。そう考えると必然的というか、どの可能世界巡っても『これ』にはならないじゃない、と思えるのです。だからこそ、この関係、この日常というのは、「らっきー」とか呼べちゃうんじゃないでしょうか。
うん、これ以上のことは、次回を見てからですね!
WEB拍手を送る
しかし、もう次で最終回ですよ最終回!
楽しみだなぁって気持ちが沢山あって、期待がそこそこあって、不安がほんのちょっとだけあって、寂しさが死ぬほどあって、でも何より見届けたい、という気持ちが溢れるほどある、そんな気分です。
お話はどうなるのか、らき☆ちゃんはどうなるのか、EDはどうなるのか。その全てを、期待と不安と寂しさと楽しみな気持ちを思いっきり抱えて、心から見届けたいと、そして何だろうと受け容れたい、そう思います。
「らっきー☆ちゃんねる」。

あーもう、多分こうなるだろうなぁと思わなくもなかったというか、予想の範囲外ではなかったのですけど。
本編が『変わらない日常』じゃないですか。それに対し「らき☆ちゃん」は、その変わらない日常が徐々に変わっていき、遂には破綻する、という構成。
【More】
あきら様が毒吐いて、白石があたふたする、というラジオ番組という『日常』だったのですけど、それが、そんな日常が、そんなカタチをした日常であるがゆえに(あきら様が毒吐いて無茶言って、白石がそれに耐える日常であるが故に)、その『日常』が崩壊する。
『日常』の終焉はこのように簡単に訪れて、というかこのように、その『日常』自体に崩壊の要因が内包されていて、つうかそもそも、その崩壊の要因こそが日常であって。だから、日常はあっさり終わる。終わってもおかしくない。
その、終わってしまった、自ら終わらせてしまった日常を、来週、もう一回、復活させようとする。

作られたそれは。白石もあきら様も、渋々「わかりました」とか言っちゃってるそれは。
多分。
もう既に、『日常』ではないのだろうけど。
でも、それでも、だからこそ。
『日常』を、もう一度……。
くっ……(涙)
てゆうか何で「らき☆ちゃん」で俺は涙するのか大丈夫なのか?という疑問が頭の中を渦巻いて止め処ないのですが、それはそれとして。
本編の方の『日常』というのも、本来ならばいつ終わっても・すぐ終わってもおかしいものではありません。
実際、僕らだって、現実においてそうでしょう?
誰かとの関係という『日常』。そんなものは……『関係』なんだから、変化も容易で、消失も簡単。
もちろん、簡単にはなくならない日常も沢山あるけれど。簡単になくなっちゃう日常も、沢山ある。
ちょっとした言い争いとかすれ違いとか、くだらない価値観の違いとか物の見方の相違とか、クラスが変わったからとか趣味が合わなくなったからとか、仕事が忙しくなったからとかメールの返事を返し忘れまくったからとか、そーんな「ちょっとしたきっかけ」で、今まで誰かと築いてきた『日常』って、簡単になくなっちゃう。
誰かとの関係で作られる日常には、どうしたって、こういう「崩壊の因子」が存在します。
そもそも他人のことですからね。気が合わないとか考えが合わないとか価値観が合わないとか、最初は合ってたけど次第に自分が(もしくは相手が)変わっていって合わなくなったとか、相手のことを正しく理解していなかったけど、正しく理解したら……とか。他人のことが、完璧に「わかる」ことなんて、当たり前だけど、ない。自分の考えや思いが他人に伝わらなかったり、その考えや思いを「どうして」自分が導き出したのかという道理(つまり価値観とか思考ですね)が、他人には理解できなかったり。
そんな「理解できない」ということが「分かって」しまって、「関係」が変化していったり。
全く異なる他人同士の関係という名の『日常』。
そんなもの、壊れる要素満載。
で、今回の本編。
人同士が全く異なるというのは当たり前ですけど、その違いというのは、逆に「その人自身」を浮き彫りにさせます。パソコンの変換がアレだから、ああいう人なのかな、とか。ここでこう考えるから、あの人はこうなのかな?みたいな。
例えば、今回の話でいうと。

・みゆきさんの「ガム噛んで歯の詰め物抜けた」に対する感想
こなた:萌え
こなたの感想に対して、ゆたか「へぇ…そ、そうなんだ…」
ひより:ネタ頂き
・「きょうのわんわん」、動物見る人と飼い主見る人
・パティの聞く曲←かがみは普通の反応、こなたは「アニソンだな」という反応
・みなみちゃんはクールでカッコイイ
何かに対する反応とか、姿勢とか、印象とか。
それぞれが、それぞれの「人」を、豊かに示しています。
例えばこれが、一人だけでは分からない。こなたがみゆきさんに「萌えー」というだけでは、「こなたがみゆきさんに萌えー」と言うだけ、で終わってしまうけど、そこに他人が絡んでくれば、「こなたはみゆきさんに萌えーだけどゆたかはそのこなたの反応にちょっと引いててみなみはみゆきさんに同情してひよりは貪欲にネタにする」といった感じに、その絡んできた人全ての視座が伝わってきて、さらにその相違にこそ、それぞれの「人となり」が、『豊かに』表されています。
ちょっと視点を変えるだけで、ちょっと視点を加えるだけで、色んなものが見えてくる。

・みなみ・ひより・パティがゆたかの見舞いに来る。ゆいねえさん、みなみ『だけ』ベタ褒めと―――視点を、取り残された二人に転換
のエピソードのように。ただ「矢印」をプラスしてちょっと視点を変えただけでも、見えてくるものは断然多くなる。それと同じ様に、「らき☆すた」のキャラクター同士の違いが表現されるエピソード、「あるある」や「ねーよ」といった違いが明確になるお話しは……「お話しは、エピソードは」というか、「らき☆すた」って大体全部こんな感じですね。色んな会話とか色んな出来事とかあって、それに対してどう接するか、どう反応するか、またその接し方・反応に対してどう接するか・どう反応するか。それぞれのキャラクターを、色んな視座で見せてくれる。それによって、キャラクターたちがどんどんどんどん豊かになる。

今回、なんかですね、非常に「らき☆すただなぁ」と思ってしまいました。
僕のらき☆すたに対する印象は、第1話の「チョココロネ」の話―――意見は相違し、考えも価値観も相違する。同意が得られたとしても、それは一瞬の同意・一瞬のシンパシーであったりする。でも、それでも、そんな断絶が関係に対して「何一つ」遮断する力を持たない―――をずっと引きずっていまして。断絶があってもなんともないぜ!というこのぬるさ(ぬるさというのもナンですが)が、「あんたねー」と呆れたツッコミを入れながらも関係に何のヒビも入らないこのぬるさが、僕が勝手に見る「らき☆すた」らしさと言いますか。や、でも、こういうベクトルはあると思うんですけど。
各キャラクターが、深く表現されているのだから。しかも他キャラクターと対比されて表現されているのだから。その、それぞれのキャラクターの『違い』が、浮き彫りになる。
違い。
断絶というのは、『日常』を壊す力を持っているのですけど、
「らき☆すた」キャラ達は、そんな断絶をものともせず、日常を持続させています。
この辺が、自分が注視していたってのもありますが、らき☆すたにおいてはずっとあるような気がします。
人と人との繋がり、関係の『日常』。
人と人とはみんな違って、でもその違いが繋がりを、関係を豊かにしていって。
その豊かな関係で出来上がる、豊かな『日常』。
でも、その違いが。
時に軋轢を生み、時にすれ違いを生み、時に誤解を生じさせる。
他人が自分のことを「分かってくれない」。自分が他人のことを「分かってやれない」。
人はみんな違うのだから。人と人、という前提の時点で、いつ崩壊してもおかしくない。
らっきー☆ちゃんねるという日常が崩れるように。らき☆すたという日常も、いつ崩れても、おかしくない。
それでも、崩れない。シンパシーは一瞬であって、同意はたまにであって、食い違いは沢山あって、意見の不一致は日常茶飯事なのだけど。それでも。
その、答えは。

いや~、長々と明確に良く分かるように書いていたのですが、更新押したら消えちゃいました。
なんてオチはどうですかダメですかベタですかそうですか。
や、実際のところは、ゆたか・みなみを「相性の問題」と語るように、こなたが中学の頃仲良かった魔法使い(目標が)の友達さんと疎遠になっちゃたように、この面子のこの仲の良さ、この「断絶?でもそんなの関係ねぇ!」は、個人が持つ資質とか姿勢がどうこうとか思想がナンだとかじゃなくて、単純に個人同士の相性みたいなもの、時の運・巡り合せの運みたいなものだと思うのですけどね。
もしこなた・かがみ・つかさ・みゆきじゃなければ、『これ』では無かったなぁ、という。
もし違う面子だったら、これ以上かこれ以下かは分かりませんけど、少なくともこんな強度じゃ無かったんじゃないでしょうか。
時の運とか巡り合せの運とかいうと、身も蓋も無い感じですけど、でも多分そんなもので、軋轢もすれ違いも誤解も越えるこの出会いは、ぶっちゃけて言えば「運」であって、その運こそが「らっきーすたー」とか、そんな感じ。(「そんな感じ」とか言うと、より見も蓋も無い)
まあでも、すごい当たり前ですけど、今やってるらき☆すたが「この形」なのは、「この日常」だからなんですよね。そう考えると必然的というか、どの可能世界巡っても『これ』にはならないじゃない、と思えるのです。だからこそ、この関係、この日常というのは、「らっきー」とか呼べちゃうんじゃないでしょうか。
うん、これ以上のことは、次回を見てからですね!
WEB拍手を送る
しかし、もう次で最終回ですよ最終回!
楽しみだなぁって気持ちが沢山あって、期待がそこそこあって、不安がほんのちょっとだけあって、寂しさが死ぬほどあって、でも何より見届けたい、という気持ちが溢れるほどある、そんな気分です。
お話はどうなるのか、らき☆ちゃんはどうなるのか、EDはどうなるのか。その全てを、期待と不安と寂しさと楽しみな気持ちを思いっきり抱えて、心から見届けたいと、そして何だろうと受け容れたい、そう思います。
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確かに今回のらき☆ちゃんはなんか
心にくるものがありましたね~。
本編ともどもらき☆ちゃんの最終回
がどうなるのか後1回、僕も心から
存分に楽しみたいですね。
心にくるものがありましたね~。
本編ともどもらき☆ちゃんの最終回
がどうなるのか後1回、僕も心から
存分に楽しみたいですね。
しーたろ | 2007年09月13日(木) 21:26 | URL | コメント編集
>しーたろさん
どうもこんにちは。
らき☆ちゃんは何だかんだいって、最終回に向けて良い流れになってますね。山アリ谷アリというか、本編と対比になることで、「これの存在意義ってなに?」の答えが出てくるかもといいますか。
とかいいつつ、来週普通にらき☆ちゃんやらない、なんてオチもありえそうですが(笑)
本編も、らき☆ちゃんも、EDも、どんな最後を見せてくれるのか、本当に楽しみですね。
どうもこんにちは。
らき☆ちゃんは何だかんだいって、最終回に向けて良い流れになってますね。山アリ谷アリというか、本編と対比になることで、「これの存在意義ってなに?」の答えが出てくるかもといいますか。
とかいいつつ、来週普通にらき☆ちゃんやらない、なんてオチもありえそうですが(笑)
本編も、らき☆ちゃんも、EDも、どんな最後を見せてくれるのか、本当に楽しみですね。
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こんばんは、たこーすけです。以下、第23話のネタバレです。視聴前の方は、自己責任で何卒よろしくお願い致します。
2007/09/12(水) 02:55:14 | たこーすけの、ちょろっと感想
綾魂DIARYに出てた最終話の台本のアレが、まさか正式タイトルだったとわ! 小松左京の「題未定」じゃあるまいし!アレも作者自身が主人公で、DIME TEAだの大武帝だのという語呂合...
2007/09/12(水) 03:03:24 | Old Dancer's BLOG
らき☆すた 現時点での評価:3.5~ [] チバテレビ : 04/08 24:00~ サンテレビ : 04/10 24:00~ テレビ埼玉 : 04/08 25:30~ 東北放送 : 04/10 26:00~ RKK熊本放送 : 04/08 26:20~ 東京MXテレビ : 04/11 25:30~ テレ....
2007/09/12(水) 04:44:35 | アニメって本当に面白いですね。
らき☆すた 現時点での評価:3.5~ [] チバテレビ : 04/08 24:00~ サンテレビ : 04/10 24:00~ テレビ埼玉 : 04/08 25:30~ 東北放送 : 04/10 26:00~ RKK熊本放送 : 04/08 26:20~ 東京MXテレビ : 04/11 25:30~ テレ....
2007/09/12(水) 04:44:59 | アニメって本当に面白いですね。
らき☆すた 4 限定版パソコンのデータのコピー作業を行うこなた。表示されるコピー完了まで後、何分のお知らせ・・・だか、この数字は早くなったり遅くなったりとあてにならない・・・世の中、当てにならないことだらけである・・・。
2007/09/12(水) 05:51:23 | ゲームやアニメについてぼそぼそと語る人
いつものゆるゆる日常\(^O^)/第23話を観賞しました~^^
2007/09/12(水) 06:37:12 | まごプログレッシブ:Part2~Scenes From A Memory~
微妙なライン人のパソコンふいんき(←なぜか変換できない)この何故か変換できないシリーズを辞書登録しているとはこなたもなかなか(笑)しかし・・もしかしてかがみんは"ふいんき"と入力した!?普通に"ふん
2007/09/12(水) 09:06:43 | 紅日記~ベニッキ~弐号館
ゴトゥーザ様KOEEEEEEEEEE! こなたのPCでかがみがテキストを打とうとすると変換でkwskが出てくるとか。 完璧にしてますねw 移動させる時とかの時間とかあてにならないですよね。 これは本当にあるあるwwwですよ。 こなたとゆたかが風邪。でゆい姉さんが ゆたかは普通
2007/09/12(水) 18:20:52 | Dream of hetare the world 跡地
1.こなたのパソコン こなたの家にかがみとつかさが遊びに来ていた時「こなたパソコン貸してくれない。」かがみが生徒会のテキストを入力する為、こなたのパソコンを借りた。そして内容を入力していくのだがこれがこなたがよく入力する言葉が、記憶されていたので、
2007/09/12(水) 22:12:18 | アニメのストーリーと感想
「微妙なライン」いよいよ次回は最終回ですが、寂しくもあり展開が楽しみでもあり、そして怖い気もします。
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2007/09/13(木) 23:27:35 | 日頃CALAMITY
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2007/09/13(木) 23:32:21 | (*´0`*)おはよーブログ
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