2007'09.28 (Fri) 04:40
京アニCLANNADまであと一週間!

27日に発売になった「メカビ」という雑誌に監督の石原立也さんと脚本・シリーズ構成の志茂文彦さんの対談が載っていたのですが(てゆうかそれを読むために買ってきたのですが)、それを読んで感じられたことをひとつ。
この人たち、底抜けに丁寧で、本当に真摯で、そして何より楽しんで作っている……!
「歩き方」などのキャラクターのちょっとした仕草を、ゲーム内の僅かなテキストから読み取り、それをアニメーションで表現しようと努力する。
ゲーム『CLANNAD』をプレイした事がない人、はじめてこのアニメで『CLANNAD』をプレイする人にも、『CLANNAD』を十分に理解していただくための作り。
こう、もう、言葉の節々から、丁寧さと真摯さ、そしてそれを、苦しんだり考え抜いたりしながらも楽しくやっている(つまりは原作が好きだということ)が、ものすごく伝わってきます。
京アニの作品が、原作に忠実だと言われていますが。
『Kanon』の序盤がゆったりしているのは、逆に言うと、「原作に忠実だから」でもあるんですね。そしてそのゆったりさは、ゲームというフォーマットだと問題なくても、TVアニメというフォーマットだと(志茂さんが「毎回二十分で来週まで続く」とおっしゃられているように)問題が生じる。
京アニKanonは『Kanon』を表現するために、そういった構造までゲームと同じにしてしまったけれど、京アニCLANNADは、志茂さんが
や、元からメチャクチャ期待してましたけど(しかも期待が裏切られるわけがないと勝手に安心していましたけど)、それが更に加速ですよ。ゲーム『CLANNAD』を、(ゲームよりアニメという媒体の方が表現に適している部分においては)『越える』んじゃないかと期待できます。
で、唯一の不安点が、画面サイズ。
BS-iは16:9の画面サイズで、地上波はサイドカットで4:3だそうで。
サイドカットって、端を切る、ってことですよね、多分(「ひだまりスケッチ」とか「ネギま二期」みたいに)。
『Kanon』とか見てると感じるんですけど、京アニって人物をカメラの「中心に置かない」というのが結構多いと思うのです。例えば会話シーンなんかで、人物を交互に(ひとりづつ)カメラに映す時、一人目は画面の右端で、二人目は画面の左端、みたいな映し方があったりします(確か、あゆと最初に百花屋行ったときとか、最終回で秋子さんと百花屋行ったときとか、そんな感じだったと)。こういうキャラの映し方は、単純にキャラクターを画面の真ん中に置くよりも、キャラクター同士の距離や、発している言葉の距離(伝わってなさとか、その人にとって意外な言葉だったとか)なんかが表現されているようで、面白いと思うのですが。
画面サイズがアレだと、使わなくなっちゃうかもしれないんですよね。
そう、一番気にかかるのは「使わなくなっちゃう」かもしれない、というところ。
地上波でサイドカットは別にいいんですよ。BSで見るなり、DVD買うなりで解決策はあるのですし。ただ、製作側がサイドカットを気にして、カットされるサイドの部分を使うのを自重したりする様なんかだと、非常に不安。先に書いた会話うんぬん以外にも、画面を広く使うようなことを躊躇する様ですと、非常に、不安。全てを4:3に合わしてやるというワケでもないでしょうし(DVDは16:9でしょうし)、逆に全てを16:9に合わせるということもないでしょうし(やっぱり地上波の方が、視聴者は多いでしょうし)。
そうなると、画面の使い方に制約が生じてしまうワケで、そこが唯一の不安点なわけです。その上、全てをどちらに合わせるワケでもないという流動性も生じますし。他の部分が丁寧で真摯なのに、創作活動とは直接的に関係はしない放送の事情で、創作自体にある程度の縛りが生じてしまいそうなのが、不安……いや、不安というか、もったいない、くらいですね、この感情は。こんなこと程度で、つまんなくなるとかはないでしょうし。
うん、そうですね!京アニ『CLANNAD』の、もったいないかもしれない点についての記事ですね(自己解決?)。
まあこういう事情があっても、「メカビ」の対談から分かるように、ストーリーに対して丁寧に真摯に取り組んで工夫されているようですし、同じ様に、この画面事情にも、色々と考えて丁寧に真摯に取り組んでくださるものと、期待しております。

27日に発売になった「メカビ」という雑誌に監督の石原立也さんと脚本・シリーズ構成の志茂文彦さんの対談が載っていたのですが(てゆうかそれを読むために買ってきたのですが)、それを読んで感じられたことをひとつ。
この人たち、底抜けに丁寧で、本当に真摯で、そして何より楽しんで作っている……!
【More】
第1話の脚本完成に(今年の1月1日から桜が散った後くらいまで)約4ヶ月もかけてあれこれ悩みながら作り出す。ゲームの全場面の全エピソードをしっかりとメモ書きして、全キャラクターがそれぞれの時間軸上でどのような行動をしているのかを一覧にして、それぞれを把握し、再構成する。「歩き方」などのキャラクターのちょっとした仕草を、ゲーム内の僅かなテキストから読み取り、それをアニメーションで表現しようと努力する。
ゲーム『CLANNAD』をプレイした事がない人、はじめてこのアニメで『CLANNAD』をプレイする人にも、『CLANNAD』を十分に理解していただくための作り。
こう、もう、言葉の節々から、丁寧さと真摯さ、そしてそれを、苦しんだり考え抜いたりしながらも楽しくやっている(つまりは原作が好きだということ)が、ものすごく伝わってきます。
志茂 ゲームだったら二時間かかるところを二十分に縮めなきゃって事ですから。ただ苦労と言いつつも、ゲームが原作の場合にはいつもその苦労がつきまとうんです。ゲームだと最初の展開が多少ゆっくりでも、ユーザーが自分のペースでやれるじゃないですか。でもアニメの場合は毎回約二十分で来週まで続く、というのを入れていかなければならないので。
石原 『Kanon』の時にはやや出だしのテンポが緩いのではないかというような意見があったので、今回は割りと見せられるアクションとかおもしろげなところは第1話に結構入れ込みましたよね。
京アニの作品が、原作に忠実だと言われていますが。
『Kanon』の序盤がゆったりしているのは、逆に言うと、「原作に忠実だから」でもあるんですね。そしてそのゆったりさは、ゲームというフォーマットだと問題なくても、TVアニメというフォーマットだと(志茂さんが「毎回二十分で来週まで続く」とおっしゃられているように)問題が生じる。
京アニKanonは『Kanon』を表現するために、そういった構造までゲームと同じにしてしまったけれど、京アニCLANNADは、志茂さんが
志茂 原作付きアニメにもいろいろあって、(中略)とおっしゃられているように、手を加えるべきところは加え、そのままが良いところはそのままで、他の色合いを出せばさらに良くなる部分はそうする。もちろん、その判断基準は『TVアニメというフォーマット』ですね。ゲームをTVアニメにする際に、全てそのままでは美味くいかないから、どこに手を加えて、どこはそのままで通すか。そしてその選別眼は、かつての『AIR』『Kanon』から、この対談での言葉の節々から伝わる丁寧さと真摯から、もうどこまでだって信用できてしまう(そもそも、真摯だからこそ、こんな「ある程度のレベルで作り上げるだけ」ならば考えなくてもいいことまで、考えてしまうんですしね)。
よく料理に喩えるんですけど、「この素材で美味しい料理を作って」と言われた時に、じゃあこの素材の持ち味を最大限に活かすにはどうしたらいいだろうかって考えます。やたらと調味料かければ良いってもんじゃないだろうし、素材によっては新鮮なまま手をあまり加えずに出した方が美味しく食べられる場合もあるだろうし、他のものを持ってきて味付けした方がさらに良くなる場合もあるだろうし。
や、元からメチャクチャ期待してましたけど(しかも期待が裏切られるわけがないと勝手に安心していましたけど)、それが更に加速ですよ。ゲーム『CLANNAD』を、(ゲームよりアニメという媒体の方が表現に適している部分においては)『越える』んじゃないかと期待できます。
で、唯一の不安点が、画面サイズ。
BS-iは16:9の画面サイズで、地上波はサイドカットで4:3だそうで。
サイドカットって、端を切る、ってことですよね、多分(「ひだまりスケッチ」とか「ネギま二期」みたいに)。
『Kanon』とか見てると感じるんですけど、京アニって人物をカメラの「中心に置かない」というのが結構多いと思うのです。例えば会話シーンなんかで、人物を交互に(ひとりづつ)カメラに映す時、一人目は画面の右端で、二人目は画面の左端、みたいな映し方があったりします(確か、あゆと最初に百花屋行ったときとか、最終回で秋子さんと百花屋行ったときとか、そんな感じだったと)。こういうキャラの映し方は、単純にキャラクターを画面の真ん中に置くよりも、キャラクター同士の距離や、発している言葉の距離(伝わってなさとか、その人にとって意外な言葉だったとか)なんかが表現されているようで、面白いと思うのですが。
画面サイズがアレだと、使わなくなっちゃうかもしれないんですよね。
そう、一番気にかかるのは「使わなくなっちゃう」かもしれない、というところ。
地上波でサイドカットは別にいいんですよ。BSで見るなり、DVD買うなりで解決策はあるのですし。ただ、製作側がサイドカットを気にして、カットされるサイドの部分を使うのを自重したりする様なんかだと、非常に不安。先に書いた会話うんぬん以外にも、画面を広く使うようなことを躊躇する様ですと、非常に、不安。全てを4:3に合わしてやるというワケでもないでしょうし(DVDは16:9でしょうし)、逆に全てを16:9に合わせるということもないでしょうし(やっぱり地上波の方が、視聴者は多いでしょうし)。
そうなると、画面の使い方に制約が生じてしまうワケで、そこが唯一の不安点なわけです。その上、全てをどちらに合わせるワケでもないという流動性も生じますし。他の部分が丁寧で真摯なのに、創作活動とは直接的に関係はしない放送の事情で、創作自体にある程度の縛りが生じてしまいそうなのが、不安……いや、不安というか、もったいない、くらいですね、この感情は。こんなこと程度で、つまんなくなるとかはないでしょうし。
うん、そうですね!京アニ『CLANNAD』の、もったいないかもしれない点についての記事ですね(自己解決?)。
まあこういう事情があっても、「メカビ」の対談から分かるように、ストーリーに対して丁寧に真摯に取り組んで工夫されているようですし、同じ様に、この画面事情にも、色々と考えて丁寧に真摯に取り組んでくださるものと、期待しております。
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