2007'11.07 (Wed) 03:21
※以下には、京都アニメーションの「CLANNAD」5話までの内容が含まれています。
アニメのネタバレになりますので、閲覧の際にはご注意下さい。
※画面比率「4:3」視聴時の感想です。
【時間、記憶、想い】

彫刻を彫る風子の表情が、彫刻を渡す風子の表情が、つねに真剣。楽しんで彫ったりとか、笑顔で渡したりなんて場面は、ここまで一度も、見えたことはありません。
真剣……いやもう、ここまで真剣だと、なんか切迫感や悲壮感まで漂ってきます。
楽しんだりする余裕は存在せず、笑顔みたいな達成も介在しない。古河家が団欒的にヒトデ彫りに勤しむ中、ひとり真剣で会話にも加わらず(朋也がきた事にすら無反応で)黙々とヒトデを彫り続ける風子、なんて場面は特に印象的です。他の人と一緒にやってても、他の人と違うくらいの真剣さ。風子の、周りが見えない、ひとつのものにのめり込んでしまうという性格の表れでもありますが、それ以上に、風子の"この行動に込めている"思いの強さの表れ……切迫さや悲壮さをこちらが感じてしまうほどの、強い思いの表れでもあるでしょう。

ここのシーンは、風子をロクに写していないというのも、前述の風子と他者との差とあわせてまた印象的で、古河家ではなく伊吹家という家族を持っている風子と、古河家との間にある決定的な断絶や、それがあるからこそ見える、風子・公子さんという家族の断絶……というか、結論の出てなさなどが表されているようにも感じます。なんというか、ここまで風子に注視せず、風子が加わっていないと、風子のやる事(ヒトデ作って配って想いを込めて)を除いても、風子はこの団欒に加わるべきではない、みたいな疎外感をちょっと感じさせるというか。それは、ふぅちゃんとおねえちゃんの間には、お互いに、事故の所為で答えまで達することの出来なかったもやもやが存在しているから、そう思えるのですが。
そして、そういうものまで包括してしまっている……つまり、風子の想いの全てが込められているのが、この行動なのですが。
風子が削る木片に込めた想いは、古河家の人間に…というか、風子以外には誰にも代弁できないものです。たとえヒトデ彫りに他者の手を借りても、ヒトデを配るのは風子ひとりだけ。
その込められた、込めている想いが強いから、ここに切迫や悲壮を感じえたのですが。この表情や姿勢に孕む切迫さや悲壮さは、彼女の台詞の中身に起因しています。

自分が会えなくて、声が届かないから、こうやって人手を皆に配って、代わりに祝ってもらおうとする。だから、……この行為には、風子の想いの全てが詰まっている。
そして……そんな、自分の想い、自分自身を込めて、それを他者に、ひいてはその先のおねえちゃんにまで届かせようとしているからこそ、こんな切迫感や悲壮感まで漂わせるほどに、風子は一所懸命なのでしょう。
空いている教室で、美術室から拾ってきた木片を、ヒトデの形に加工して、それを配る。たった一人で。
――――――――――――――――――――――――――
教室での、作られた授業。
風子の願望から、みんなが叶えてあげた『授業』。
「みんなが叶えてあげた」、という言い方が本当にしっくりくるくらい、それはみんながそう作り上げたものでした。
休みの日の学校で、わざわざ制服着て、自分たち以外誰もいない教室で行う授業。それは本当に嘘っぱちなものなのだけど、その嘘を越えてしまうような空間を、皆が作り上げている。
くだらないとか醒める人もいないし。後を見て虚しくならなくてもいいように、みんな横一列に並んでいるし。誰も彼もが、風子に向けて、優しい視線を送っている。

本当はこの光景はひどく滑稽で……そう、早苗さんが風子に「みんなクラスメイトでお友達なんですよ」と言った時に、カメラが風子の後の誰一人存在している者がいない教室をじっくりと写しだしていたように。本物ではない。嘘っぱちでがらんどうな事象なのに。そこに存在する優しさと視線は、風子が求めていた空間、「授業」を、たった6人でも構築してしまう。
後の席を振り返り、醒めなくてもいい様に、みんなが一列に並んで座ったり。
風子がクラス委員になるかでうなづいた時、彼女の頭をほんのちょっとだけしか写さなかったように。
本当の授業ではなく。継続されるものでもない。
でも、優しさと暖かさは、本物に存在するそれよりも断然に大きくて、そしてそれが、全てを凌駕するように、幸せを形作っていく。
考えてみたら、風子が「おねえちゃんの結婚式にきてください」以外の願望を口に出すのは、はじめてなんじゃないでしょうか。や、ヒトデ関連や、朋也がどうこうなんかのコメディっぽい部分で、風子が願望を口するコトは今までもあったと思いますけど、こういう、切実さが込められているのは、これが最初なんじゃないかな、と。
(風子がなんでこんなに授業に出たがったのか、その理由となるものは、恐らく次回で語られると思いますが)
入学式の日に、事故にあった少女。
だから、一度も授業には出れていない。
止まってしまった時間。
とはいえ、風子以外の人間の時間は、今でも動いているわけで。おねえちゃんは結婚するし、三井さんはあの入学式の三井さんでは無くなっている。風子以外の全ては動いている。
学校での時間は過ごせなかった。
大切な時間を共に過ごせたかどうかが、その人の中で、相手が大切になるかどうか――そうであるとは限らないけれど。大切である相手を、時間の流れに忘却せず、大切であると思い続けるには、大切な時間を共に過ごせたかどうかは、(それだけでは勿論ないけれど)重要でないとは言えず。例えば、相手のことを忘れてしまっても、大切な時間の方を覚えていれば、相手のことも思い出すことができる。
思い出。記憶。彫刻のある風景。
いつかは消えていってしまうもの。いつかは忘れ去ってしまうもの。
もしかすると、あの授業風景は『思い出』の中の1シーンなのかもしれません。
そう思えたのは、あの世界の『色』。



授業が始まる前は、昼間の青空だったのに、授業が始まると、夕暮れ時みたいな、セピアみたいな、薄赤い色に染まる。そして、早苗さんが「みんなクラスメイトでお友達ですよ」と言った後の場面では。一転して、昼間の青空、通常の世界の色に戻る。
違う世界・時間という象徴としての『色』。それは郷愁を誘いつつも届かないものだと知らしめる夕暮れのような色であり、過ぎ去った後の過去のような色でもある。
これがもし、違う世界の出来事ならば、都合よく展開されて、こうなったのかもしれない。過去の思い出ならば、適度に美化されているのかもしれない。みんなが優しすぎるのは、その所為なのかもしれない。
けれど。
この授業風景自体は過去のもの、別世界のもの、色が違うものとして扱われているけれど。
ここに至るまでの行動や思いは。渚や朋也たちが、風子のために行動して、こうなったことは。この直前でみんなが教室に集ってくれたことや、誰一人文句を垂れていないことや、みんなが優しい視線で、風子を見てくれることは。セピアでも夕暮れでもない、色が変わる前の世界で、行われていたこと。思い出でも異世界でも何でもなく、現実に、みなが想ってくれたから、この大切な時があるのです。
色が違う世界。がらんどうの教室。演劇のような授業。そこで言われた早苗さんの「友達ですよ」という台詞は、それらの舞台と同じく、現実にあった風景なのかどうかさえ、定かではないけれど。
ここに至る道を見れば。風子に、この大切な時間を作り出してくれている人達は、『友達』だと、はっきりと分かる。
――――――――――――――――――――――――――
第1回冒頭、坂道での台詞でも言われていたように。全てのものは、変わっていきます。
時は経つ。時間は流れる。今、体感していることも、いつかは記憶となっていき、そしてそれすらも、時と共に薄れていく。
でも……大切である時間は、大切であった想いは、そう簡単に消えるものではないのではないでしょうか。
この授業風景のような大切な時間は、確固として残る。

そしてそれと同じ様に、この第5回の最後の最後の部分も、空に昇っていく光に併せて、色が変わっていきます。セピア色のように、淡く、薄くなっていく。
大切な時間も思い出に還り、恐らくだけどこのように、思い出すことが出来る。そして、このようなギュッと凝縮された大切じゃなく、日常の一風景に近いものだけれど、風子と共に過ごしたこの時間、この「彫刻のある風景」も、最後に色が変わっていくように、全部纏めて、思い出に還っていく。
そして多分、それ以外の全ての時間も、記憶も、想いも。

渚の「決意」のシーンが印象的でした。夕日をバックに、他人の為に真摯な思いで前を向く渚。
『空』自体に、違う場所、未来の地点を想起させられますが、さらに付け加えると。
夕日というのは、ひとつの終わりを連想させます。これでもう、一日は終わり。「斜陽」なんて言葉は正にそうですね。これまでの何かが終わることを、そこから連想させます。
そして同時に、夕日は昼と夜の境目、つまり別世界との境界点を思わせます。「逢魔が時」なんて言葉はそうですね。今までの世界と、違う世界との連結地点。
夕日を背にして力強い渚には、今までと「違う」何かを連想させられるのです。自分の意思を存分に発揮し、他人のために力を尽くせる。渚の大きな成長を、そこに感じ取らせ、そしてそれ自体に、違う場所に進む渚の一歩目を思わせてしまう。
そして……幻想世界の『空』は、この世界の『空』に繋がっているかもと、先に書いたけど。逆に言えば、この世界の『空』は、幻想世界の『空』に繋がっている。つまり、渚のこういった決意、変化が、あの世界に繋がっていると、やんわりとですが、思わされてしまうのです。
そして。
こういったシーンも全てひっくるめて、最後に、セピア色に変わっていくように。
この光景も、この時間も、この記憶も、恐らくこの想いさえも、全て想い出に還っていく。
そしてこの、時間や記憶や想いの過去達が、大切な人たちのこと、先々になっても、思い出させてくれる。忘れたくない人や出来事を、忘れないままでいさせてくれる。
どんな大切で大事なことも。変化の先に失って、もう戻ってこないことも。
WEB拍手を送る
アニメのネタバレになりますので、閲覧の際にはご注意下さい。
※画面比率「4:3」視聴時の感想です。
【More】
【時間、記憶、想い】

彫刻を彫る風子の表情が、彫刻を渡す風子の表情が、つねに真剣。楽しんで彫ったりとか、笑顔で渡したりなんて場面は、ここまで一度も、見えたことはありません。
真剣……いやもう、ここまで真剣だと、なんか切迫感や悲壮感まで漂ってきます。
楽しんだりする余裕は存在せず、笑顔みたいな達成も介在しない。古河家が団欒的にヒトデ彫りに勤しむ中、ひとり真剣で会話にも加わらず(朋也がきた事にすら無反応で)黙々とヒトデを彫り続ける風子、なんて場面は特に印象的です。他の人と一緒にやってても、他の人と違うくらいの真剣さ。風子の、周りが見えない、ひとつのものにのめり込んでしまうという性格の表れでもありますが、それ以上に、風子の"この行動に込めている"思いの強さの表れ……切迫さや悲壮さをこちらが感じてしまうほどの、強い思いの表れでもあるでしょう。

ここのシーンは、風子をロクに写していないというのも、前述の風子と他者との差とあわせてまた印象的で、古河家ではなく伊吹家という家族を持っている風子と、古河家との間にある決定的な断絶や、それがあるからこそ見える、風子・公子さんという家族の断絶……というか、結論の出てなさなどが表されているようにも感じます。なんというか、ここまで風子に注視せず、風子が加わっていないと、風子のやる事(ヒトデ作って配って想いを込めて)を除いても、風子はこの団欒に加わるべきではない、みたいな疎外感をちょっと感じさせるというか。それは、ふぅちゃんとおねえちゃんの間には、お互いに、事故の所為で答えまで達することの出来なかったもやもやが存在しているから、そう思えるのですが。
そして、そういうものまで包括してしまっている……つまり、風子の想いの全てが込められているのが、この行動なのですが。
風子が削る木片に込めた想いは、古河家の人間に…というか、風子以外には誰にも代弁できないものです。たとえヒトデ彫りに他者の手を借りても、ヒトデを配るのは風子ひとりだけ。
その込められた、込めている想いが強いから、ここに切迫や悲壮を感じえたのですが。この表情や姿勢に孕む切迫さや悲壮さは、彼女の台詞の中身に起因しています。

「会えないから、声が届かないから、風子はこうしているんだと思います。他に何もできないから」おねえちゃんの結婚をお祝いしたくても、結婚を迷っているおねえちゃんに迷わず結婚してと言いたくても、会えなくて、声が届かない。
自分が会えなくて、声が届かないから、こうやって人手を皆に配って、代わりに祝ってもらおうとする。だから、……この行為には、風子の想いの全てが詰まっている。
そして……そんな、自分の想い、自分自身を込めて、それを他者に、ひいてはその先のおねえちゃんにまで届かせようとしているからこそ、こんな切迫感や悲壮感まで漂わせるほどに、風子は一所懸命なのでしょう。
空いている教室で、美術室から拾ってきた木片を、ヒトデの形に加工して、それを配る。たった一人で。
――――――――――――――――――――――――――
教室での、作られた授業。
「仕方ないです。三井さんとは入学式の日にちょっと喋っただけで、名前覚えていただけでもよかったです。風子は一度も授業に出ていないし、ただ美術室で木のかけらを拾って、空いている教室でヒトデを彫っているだけですから。風子も、一度だけでも授業に出てみたかったです」
風子の願望から、みんなが叶えてあげた『授業』。
「みんなが叶えてあげた」、という言い方が本当にしっくりくるくらい、それはみんながそう作り上げたものでした。
休みの日の学校で、わざわざ制服着て、自分たち以外誰もいない教室で行う授業。それは本当に嘘っぱちなものなのだけど、その嘘を越えてしまうような空間を、皆が作り上げている。
くだらないとか醒める人もいないし。後を見て虚しくならなくてもいいように、みんな横一列に並んでいるし。誰も彼もが、風子に向けて、優しい視線を送っている。

本当はこの光景はひどく滑稽で……そう、早苗さんが風子に「みんなクラスメイトでお友達なんですよ」と言った時に、カメラが風子の後の誰一人存在している者がいない教室をじっくりと写しだしていたように。本物ではない。嘘っぱちでがらんどうな事象なのに。そこに存在する優しさと視線は、風子が求めていた空間、「授業」を、たった6人でも構築してしまう。
後の席を振り返り、醒めなくてもいい様に、みんなが一列に並んで座ったり。
風子がクラス委員になるかでうなづいた時、彼女の頭をほんのちょっとだけしか写さなかったように。
本当の授業ではなく。継続されるものでもない。
でも、優しさと暖かさは、本物に存在するそれよりも断然に大きくて、そしてそれが、全てを凌駕するように、幸せを形作っていく。
考えてみたら、風子が「おねえちゃんの結婚式にきてください」以外の願望を口に出すのは、はじめてなんじゃないでしょうか。や、ヒトデ関連や、朋也がどうこうなんかのコメディっぽい部分で、風子が願望を口するコトは今までもあったと思いますけど、こういう、切実さが込められているのは、これが最初なんじゃないかな、と。
(風子がなんでこんなに授業に出たがったのか、その理由となるものは、恐らく次回で語られると思いますが)
入学式の日に、事故にあった少女。
だから、一度も授業には出れていない。
止まってしまった時間。
とはいえ、風子以外の人間の時間は、今でも動いているわけで。おねえちゃんは結婚するし、三井さんはあの入学式の三井さんでは無くなっている。風子以外の全ては動いている。
学校での時間は過ごせなかった。
大切な時間を共に過ごせたかどうかが、その人の中で、相手が大切になるかどうか――そうであるとは限らないけれど。大切である相手を、時間の流れに忘却せず、大切であると思い続けるには、大切な時間を共に過ごせたかどうかは、(それだけでは勿論ないけれど)重要でないとは言えず。例えば、相手のことを忘れてしまっても、大切な時間の方を覚えていれば、相手のことも思い出すことができる。
思い出。記憶。彫刻のある風景。
いつかは消えていってしまうもの。いつかは忘れ去ってしまうもの。
もしかすると、あの授業風景は『思い出』の中の1シーンなのかもしれません。
そう思えたのは、あの世界の『色』。



授業が始まる前は、昼間の青空だったのに、授業が始まると、夕暮れ時みたいな、セピアみたいな、薄赤い色に染まる。そして、早苗さんが「みんなクラスメイトでお友達ですよ」と言った後の場面では。一転して、昼間の青空、通常の世界の色に戻る。
違う世界・時間という象徴としての『色』。それは郷愁を誘いつつも届かないものだと知らしめる夕暮れのような色であり、過ぎ去った後の過去のような色でもある。
これがもし、違う世界の出来事ならば、都合よく展開されて、こうなったのかもしれない。過去の思い出ならば、適度に美化されているのかもしれない。みんなが優しすぎるのは、その所為なのかもしれない。
けれど。
この授業風景自体は過去のもの、別世界のもの、色が違うものとして扱われているけれど。
ここに至るまでの行動や思いは。渚や朋也たちが、風子のために行動して、こうなったことは。この直前でみんなが教室に集ってくれたことや、誰一人文句を垂れていないことや、みんなが優しい視線で、風子を見てくれることは。セピアでも夕暮れでもない、色が変わる前の世界で、行われていたこと。思い出でも異世界でも何でもなく、現実に、みなが想ってくれたから、この大切な時があるのです。
色が違う世界。がらんどうの教室。演劇のような授業。そこで言われた早苗さんの「友達ですよ」という台詞は、それらの舞台と同じく、現実にあった風景なのかどうかさえ、定かではないけれど。
ここに至る道を見れば。風子に、この大切な時間を作り出してくれている人達は、『友達』だと、はっきりと分かる。
――――――――――――――――――――――――――
第1回冒頭、坂道での台詞でも言われていたように。全てのものは、変わっていきます。
時は経つ。時間は流れる。今、体感していることも、いつかは記憶となっていき、そしてそれすらも、時と共に薄れていく。
でも……大切である時間は、大切であった想いは、そう簡単に消えるものではないのではないでしょうか。
この授業風景のような大切な時間は、確固として残る。

そしてそれと同じ様に、この第5回の最後の最後の部分も、空に昇っていく光に併せて、色が変わっていきます。セピア色のように、淡く、薄くなっていく。
大切な時間も思い出に還り、恐らくだけどこのように、思い出すことが出来る。そして、このようなギュッと凝縮された大切じゃなく、日常の一風景に近いものだけれど、風子と共に過ごしたこの時間、この「彫刻のある風景」も、最後に色が変わっていくように、全部纏めて、思い出に還っていく。
そして多分、それ以外の全ての時間も、記憶も、想いも。

渚の「決意」のシーンが印象的でした。夕日をバックに、他人の為に真摯な思いで前を向く渚。
『空』自体に、違う場所、未来の地点を想起させられますが、さらに付け加えると。
夕日というのは、ひとつの終わりを連想させます。これでもう、一日は終わり。「斜陽」なんて言葉は正にそうですね。これまでの何かが終わることを、そこから連想させます。
そして同時に、夕日は昼と夜の境目、つまり別世界との境界点を思わせます。「逢魔が時」なんて言葉はそうですね。今までの世界と、違う世界との連結地点。
夕日を背にして力強い渚には、今までと「違う」何かを連想させられるのです。自分の意思を存分に発揮し、他人のために力を尽くせる。渚の大きな成長を、そこに感じ取らせ、そしてそれ自体に、違う場所に進む渚の一歩目を思わせてしまう。
そして……幻想世界の『空』は、この世界の『空』に繋がっているかもと、先に書いたけど。逆に言えば、この世界の『空』は、幻想世界の『空』に繋がっている。つまり、渚のこういった決意、変化が、あの世界に繋がっていると、やんわりとですが、思わされてしまうのです。
そして。
こういったシーンも全てひっくるめて、最後に、セピア色に変わっていくように。
この光景も、この時間も、この記憶も、恐らくこの想いさえも、全て想い出に還っていく。
そしてこの、時間や記憶や想いの過去達が、大切な人たちのこと、先々になっても、思い出させてくれる。忘れたくない人や出来事を、忘れないままでいさせてくれる。
どんな大切で大事なことも。変化の先に失って、もう戻ってこないことも。
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