2007'11.22 (Thu) 04:20
1周遅れで6話。
1周遅れてる上に全然拾えてないけれど。いつかどこかで何かの役に立ったらいいなメモ、ということで。
※以下には、京都アニメーションの「CLANNAD」6話までの内容が含まれています。
アニメのネタバレになりますので、閲覧の際にはご注意下さい。
※画面比率「4:3」視聴時の感想です。
00:01 ヒトデパン登場!
古河パンの内装がかなり凝ってますね。手書きのポップから販促物ののぼり、彩り豊かな小物やちっちゃい観葉植物。早苗さんの趣向が表れた内装って感じです。(「早苗のパンです」と書かれているポップは、多分素で早苗さんが書いているんだろうけど、注意喚起にもなっていて笑った)
リアリティといいますか、アニメの為に突貫で作ったのではなく、積み重ね・試行錯誤して今はこうなっている。過去があって今がある。そんな感じがしてイイです。この人の好みで装飾して、さらにそれにも紆余曲折あってこうなって~、みたいな生活感を感じさせてくれます。
お店を飾りつけして、好きなパンを作って、と、早苗さんの生活感が凄く出ているような気がする。
02:34 提供バック。いつも、人ではなく、重要な何かでもなく。街の、何処にでもあるような、風景を、セピアで。
03:12 >「ふぅちゃんが名前を言ったら、悲鳴をあげて切っちゃったらしいんです」
ここで渚が赤面。なんでだろ。親の醜態を恥じて?(まさか)
03:40
>朋也「風子を閉じ込める、結界!」
>渚「なんの話ですか?」
渚のリアクション。
ファイナルヒトデツカイ風子。
ヒトデで夢想の世界に飛ばされる。このまま放っておいたら、風子の封印は半永久的に解けない。(原作ネタバレ反転)風子のヒトデ好きの原因(かも)な出来事――知らない人の話しかけられず、友達を作れず、ひとりヒトデと遊ぶ――を鑑みると。友達を作らず(作れず)ひとり遊びにほうけている彼女を放っておくと、その封印=状態は半永久的に解けない。ということだったりもしたりして。
それを壊す公子さん。そして朋也・渚、あとすのぴー。幸せな時間でも、それを終わらせて先に進まなきゃいけないこともある、ということかも。
亜人類が闊歩し、廃墟と化した世界にひとり居る風子。そんな封印。
04:35 >「もっと聞きたいです」
と食いつく渚。お話しから演劇繋がりな興味?興味から演劇?
05:06 風子に対するイタズラを極めていく朋也。 これもこれでまた、親しくなっていくこと、の表現でもあるのか。
05:09 創立者祭のプログラム、14:00から石原氏の特別公演「吉里と私」(ちょと見辛いので、読み違えてるかも)。
石原って、あの?
05:25 あくまで、ヒトデを配るのは風子ひとりで。
05:50 >「ふぅちゃんと伊吹先生を会わせてあげたい」
ここでは渚が言ってますが、原作ではこれ言うの、圧倒的に朋也だった気がする。
朋也の位置に渚? いや、これらには…風子に処する思考には、甘い期待、未来への自らへの言い聞かせのような甘い期待が、原作の朋也にはあった。その位置に渚が立っているということでは?
これは現実を見れない『弱さ』でもあって、その位置に渚を立たすというのは、一本道で作られる本作の渚の『弱さ』の見せ方、その点で非常に上手い具合に作用しているんじゃないか、と思えなくもない。
や、そんなことないと思ってはいるんですけど。
05:49 >渚「私、美術室に行っていらない木をもらってきますね」
>朋也「それなら、俺も一緒に」
>渚「岡崎さんは、ふぅちゃんを見ててあげてください」
渚の行動力、実行力、勇気。しまった、風子シナリオになってからは渚のことは完全無視してた。渚がこうしている・こうできていること。うーん、あとで見直そう。
06:11 親衛隊に対し、「岡崎さんみたいな人」。
や、この言葉って、メチャクチャ色んなことを表してると思うんですけど。7話の感想に書くことになりそうなので、とっておく。
あと、朋也の後に隠れてビビリ気な風子。
07:43 春原、演劇部の時と同じく、ポーズを決めて登場。
普通の人の「自然に入ってくる」じゃなくて、こう、ポーズを決めて入ってくるのが、春原にとっては「自然」なんだろうなぁ。春原かわいいなw
08:00 >「渚ちゃんにはゴマすっときたいからね」
春原の理由。
08:15 >「じゃあな。春原」
>「冷たすぎませんか、あなた」
>「変な人は変なことしそうだから困ります。岡崎さんを見ているとそれがよくわかります」
>「俺も一緒かよ」
ああ、朋也が春原を「イラネ」と拒んだのは、春原がいらんことしそうだから、でもあるのかも。「俺も一緒かよ」の「も」から、朋也も春原のことを「変な人」だと思っており、「変なことをしそう」だと思っているっぽい。「春原は変な人で変なことをしそう」という点に関しては、意見が一致していると見て間違いないでしょう(てゆうか、春原が変な人で変なことしそうなのは、明白すぎることですが)。
こっからは、7話見た後に書いてます。
7話の内容は含んでない…とは思うけど。踏まえて書いてるので、ちょっとアレかも。

10:30 >「ふぅちゃんのお母さんとお父さんみたいです」
>「な、なんでもありません。忘れてください…」
前回の公子さんと会ったくだりでもあった、渚赤面現象。
渚が朋也を意識しているのですが、これに対し朋也は、よくアニメとかであるニブイ男キャラで気付いてないとかじゃなくて、しっかりと彼も意識しています。
意識していながらも、あえて、見なかったことにしている。
ちょっと原作を、主に風子シナリオだけですがやり直したんですけどね、こういう『気付いているのにあえて見ない、気付いているという自分の心を見ない』という描写が結構……いや、かなり多く感じました。
恋愛以外でも、相手の求めていることが大体分かっているのに、あえてそこを見ないとか。
これは結構重要だと思うんですよ。
『自分と向き合う』という点と、『そういうことを怠ってきたのに今がある』という点で。
取り敢えず前者は置いといて、後者の話をすると。
全然、効率的じゃないんですよ。なんというか……もっといい選択はあるだろう、と。相手の望みとか鑑みれば、もっと短い時間で仲良くなって、相手を助けることも出来るんじゃないか、と。でも、そうではない。決して効率的でも最短距離でもない。
この先、渚シナリオに入り朋也が渚とつきあったとしても、それは……そこに至る選択肢での最善を選んだわけじゃないし、最短距離を走ったわけではない。自分の感情や気持ちをあえてぼかしてしまうくらい、とっても不器用でスマートではなく、そこに至った。
うん、そんでその不器用さ、効率の悪さ、そういうのを選んでしまう自分もまた自分だということは、他キャラのエピソードやアフターを含め、全体に言えることでもある。
だからこういう、見なかったことにしていること、最善とは思えないことはとても重要で。
よし、後々、渚と朋也がなかなか付き合わないことに皆が「早く付き合っちゃえよ」とか言い出したら、声を大にして言おう(とかいいつつ、さっさと付き合っちゃたりして俺爆死とか)
11:39 ああ、確かに朋也と芳野祐介は似ている。顔も性格も。


15:05 ヒトデ祭りの夢のところ。
原作では、夢の中の朋也のことを「エガちゃんみたいでした」と風子は喩えてました。
あ、ホントだ、エガちゃんだww
ヒトデと遊ぶ、朋也が「ふぅちゃん」と呼ぶ、朋也の右肩が上がってる……現実にはありえない場所。この風景は――ひとりでヒトデと遊ぶという空想に耽る風子を連れ出す朋也という、現実での朋也・風子間の関係の縮図になっていながら、かつ、これが現実ではない――すなわち、風子が今いる場所は現実ではない、彼女にとっての夢だということも表している。二重の喩えになっています。


15:40 「学園祭では、あそこに立てるといいな」
渚にヒトデを渡す風子。
渚の表情を凝視したあとに、いつもの、他人に渡すのと変わらない真剣さで「どうぞ」。
ああ、これって、(原作ネタバレ反転)ヒトデを渡す意味――友達になってくださいという思い、を考えると。今までみたいに、ただただ渚に親切にされてきた・渚から好意をもらってきた、という所から。自分も手助けしたい、支えたいという風子の気持ちが表れていて……なんつーか、凄いいいです。
親しい渚だからって、普段と違う渡し方ではない。
17:20 渚ウエイトレス。朋也「おまえも結構、様になってるじゃないか」、で、渚自分を見たあとちょい赤面。渚は随分と意識してるよなぁ。
17:55 >「わたしもふぅちゃんを見習って、演劇部に参加してくれる人を根気強く探します」
>「そして、学園祭には絶対にみんなで参加します」
「みんな」って誰だ。「みんなって、俺も入ってるのか」という感じで、朋也が(春原が肩に手を置く前)一瞬反応したっぽいけど…。
18:13 春原が渚好きシフト体勢に移行した感じ。
20:00 三井さん&公子さんのは、以前書いたの参照。つーかね、良すぎてやばいよこれ。何回見てもほわぁ~ってトリップしてしまう。
うん、なんか今回全然拾えてない。うんにゃ、BS-i版の時には頑張って見る。
WEB拍手を送る
1周遅れてる上に全然拾えてないけれど。いつかどこかで何かの役に立ったらいいなメモ、ということで。
※以下には、京都アニメーションの「CLANNAD」6話までの内容が含まれています。
アニメのネタバレになりますので、閲覧の際にはご注意下さい。
※画面比率「4:3」視聴時の感想です。
【More】
00:01 ヒトデパン登場!
古河パンの内装がかなり凝ってますね。手書きのポップから販促物ののぼり、彩り豊かな小物やちっちゃい観葉植物。早苗さんの趣向が表れた内装って感じです。(「早苗のパンです」と書かれているポップは、多分素で早苗さんが書いているんだろうけど、注意喚起にもなっていて笑った)
リアリティといいますか、アニメの為に突貫で作ったのではなく、積み重ね・試行錯誤して今はこうなっている。過去があって今がある。そんな感じがしてイイです。この人の好みで装飾して、さらにそれにも紆余曲折あってこうなって~、みたいな生活感を感じさせてくれます。
お店を飾りつけして、好きなパンを作って、と、早苗さんの生活感が凄く出ているような気がする。
02:34 提供バック。いつも、人ではなく、重要な何かでもなく。街の、何処にでもあるような、風景を、セピアで。
03:12 >「ふぅちゃんが名前を言ったら、悲鳴をあげて切っちゃったらしいんです」
ここで渚が赤面。なんでだろ。親の醜態を恥じて?(まさか)
03:40
>朋也「風子を閉じ込める、結界!」
>渚「なんの話ですか?」
渚のリアクション。
ファイナルヒトデツカイ風子。
ヒトデで夢想の世界に飛ばされる。このまま放っておいたら、風子の封印は半永久的に解けない。(原作ネタバレ反転)風子のヒトデ好きの原因(かも)な出来事――知らない人の話しかけられず、友達を作れず、ひとりヒトデと遊ぶ――を鑑みると。友達を作らず(作れず)ひとり遊びにほうけている彼女を放っておくと、その封印=状態は半永久的に解けない。ということだったりもしたりして。
それを壊す公子さん。そして朋也・渚、あとすのぴー。幸せな時間でも、それを終わらせて先に進まなきゃいけないこともある、ということかも。
亜人類が闊歩し、廃墟と化した世界にひとり居る風子。そんな封印。
04:35 >「もっと聞きたいです」
と食いつく渚。お話しから演劇繋がりな興味?興味から演劇?
05:06 風子に対するイタズラを極めていく朋也。 これもこれでまた、親しくなっていくこと、の表現でもあるのか。
05:09 創立者祭のプログラム、14:00から石原氏の特別公演「吉里と私」(ちょと見辛いので、読み違えてるかも)。
石原って、あの?
05:25 あくまで、ヒトデを配るのは風子ひとりで。
05:50 >「ふぅちゃんと伊吹先生を会わせてあげたい」
ここでは渚が言ってますが、原作ではこれ言うの、圧倒的に朋也だった気がする。
朋也の位置に渚? いや、これらには…風子に処する思考には、甘い期待、未来への自らへの言い聞かせのような甘い期待が、原作の朋也にはあった。その位置に渚が立っているということでは?
これは現実を見れない『弱さ』でもあって、その位置に渚を立たすというのは、一本道で作られる本作の渚の『弱さ』の見せ方、その点で非常に上手い具合に作用しているんじゃないか、と思えなくもない。
や、そんなことないと思ってはいるんですけど。
05:49 >渚「私、美術室に行っていらない木をもらってきますね」
>朋也「それなら、俺も一緒に」
>渚「岡崎さんは、ふぅちゃんを見ててあげてください」
渚の行動力、実行力、勇気。しまった、風子シナリオになってからは渚のことは完全無視してた。渚がこうしている・こうできていること。うーん、あとで見直そう。
06:11 親衛隊に対し、「岡崎さんみたいな人」。
や、この言葉って、メチャクチャ色んなことを表してると思うんですけど。7話の感想に書くことになりそうなので、とっておく。
あと、朋也の後に隠れてビビリ気な風子。
07:43 春原、演劇部の時と同じく、ポーズを決めて登場。
普通の人の「自然に入ってくる」じゃなくて、こう、ポーズを決めて入ってくるのが、春原にとっては「自然」なんだろうなぁ。春原かわいいなw
08:00 >「渚ちゃんにはゴマすっときたいからね」
春原の理由。
08:15 >「じゃあな。春原」
>「冷たすぎませんか、あなた」
>「変な人は変なことしそうだから困ります。岡崎さんを見ているとそれがよくわかります」
>「俺も一緒かよ」
ああ、朋也が春原を「イラネ」と拒んだのは、春原がいらんことしそうだから、でもあるのかも。「俺も一緒かよ」の「も」から、朋也も春原のことを「変な人」だと思っており、「変なことをしそう」だと思っているっぽい。「春原は変な人で変なことをしそう」という点に関しては、意見が一致していると見て間違いないでしょう(てゆうか、春原が変な人で変なことしそうなのは、明白すぎることですが)。
こっからは、7話見た後に書いてます。
7話の内容は含んでない…とは思うけど。踏まえて書いてるので、ちょっとアレかも。

10:30 >「ふぅちゃんのお母さんとお父さんみたいです」
>「な、なんでもありません。忘れてください…」
前回の公子さんと会ったくだりでもあった、渚赤面現象。
渚が朋也を意識しているのですが、これに対し朋也は、よくアニメとかであるニブイ男キャラで気付いてないとかじゃなくて、しっかりと彼も意識しています。
意識していながらも、あえて、見なかったことにしている。
ちょっと原作を、主に風子シナリオだけですがやり直したんですけどね、こういう『気付いているのにあえて見ない、気付いているという自分の心を見ない』という描写が結構……いや、かなり多く感じました。
恋愛以外でも、相手の求めていることが大体分かっているのに、あえてそこを見ないとか。
これは結構重要だと思うんですよ。
『自分と向き合う』という点と、『そういうことを怠ってきたのに今がある』という点で。
取り敢えず前者は置いといて、後者の話をすると。
全然、効率的じゃないんですよ。なんというか……もっといい選択はあるだろう、と。相手の望みとか鑑みれば、もっと短い時間で仲良くなって、相手を助けることも出来るんじゃないか、と。でも、そうではない。決して効率的でも最短距離でもない。
この先、渚シナリオに入り朋也が渚とつきあったとしても、それは……そこに至る選択肢での最善を選んだわけじゃないし、最短距離を走ったわけではない。自分の感情や気持ちをあえてぼかしてしまうくらい、とっても不器用でスマートではなく、そこに至った。
うん、そんでその不器用さ、効率の悪さ、そういうのを選んでしまう自分もまた自分だということは、他キャラのエピソードやアフターを含め、全体に言えることでもある。
だからこういう、見なかったことにしていること、最善とは思えないことはとても重要で。
よし、後々、渚と朋也がなかなか付き合わないことに皆が「早く付き合っちゃえよ」とか言い出したら、声を大にして言おう(とかいいつつ、さっさと付き合っちゃたりして俺爆死とか)
11:39 ああ、確かに朋也と芳野祐介は似ている。顔も性格も。


15:05 ヒトデ祭りの夢のところ。
原作では、夢の中の朋也のことを「エガちゃんみたいでした」と風子は喩えてました。
あ、ホントだ、エガちゃんだww
ヒトデと遊ぶ、朋也が「ふぅちゃん」と呼ぶ、朋也の右肩が上がってる……現実にはありえない場所。この風景は――ひとりでヒトデと遊ぶという空想に耽る風子を連れ出す朋也という、現実での朋也・風子間の関係の縮図になっていながら、かつ、これが現実ではない――すなわち、風子が今いる場所は現実ではない、彼女にとっての夢だということも表している。二重の喩えになっています。


15:40 「学園祭では、あそこに立てるといいな」
渚にヒトデを渡す風子。
渚の表情を凝視したあとに、いつもの、他人に渡すのと変わらない真剣さで「どうぞ」。
ああ、これって、(原作ネタバレ反転)ヒトデを渡す意味――友達になってくださいという思い、を考えると。今までみたいに、ただただ渚に親切にされてきた・渚から好意をもらってきた、という所から。自分も手助けしたい、支えたいという風子の気持ちが表れていて……なんつーか、凄いいいです。
親しい渚だからって、普段と違う渡し方ではない。
17:20 渚ウエイトレス。朋也「おまえも結構、様になってるじゃないか」、で、渚自分を見たあとちょい赤面。渚は随分と意識してるよなぁ。
17:55 >「わたしもふぅちゃんを見習って、演劇部に参加してくれる人を根気強く探します」
>「そして、学園祭には絶対にみんなで参加します」
「みんな」って誰だ。「みんなって、俺も入ってるのか」という感じで、朋也が(春原が肩に手を置く前)一瞬反応したっぽいけど…。
18:13 春原が渚好きシフト体勢に移行した感じ。
20:00 三井さん&公子さんのは、以前書いたの参照。つーかね、良すぎてやばいよこれ。何回見てもほわぁ~ってトリップしてしまう。
うん、なんか今回全然拾えてない。うんにゃ、BS-i版の時には頑張って見る。
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