2007'12.01 (Sat) 05:57
風子が「足をぶらぶらする」ところ。



今のところその描写があったのは、第5話・授業開始前のところと、第8話・お誕生会セットを買ったあとの噴水のところと、第9話・朋也と渚にお互いを下の名前で言わせようとしたところ、ぐらいですか。他にもありそうな気もしますけど、とりあえず僕が気付いたのはこれだけ。
さて、この風子の足をぶらぶらさせる描写は、原作でも風子の機嫌の良さを表すものとして、一箇所だけですが言及されています。
原作で一回、それもほんのちょっとしか描写されていないことを、風子自身を表すものとしてしっかりと取り入れて、効果的に、かつ印象的に使う。これにはもう、これを作ってる人たちは原作が本当に好きなんだな、しっかりやり込んで理解して、だからこんな風に表現出来るんだな、と思わされるほどです。
と、いうことを、たこーすけさんのトコのコメント欄に書かせていただいたのですが、その後に気付きました。
あー、そうか、彼らにとってみれば、このくらい当たり前なんだ。
考えてみれば、AIRも、Kanonも、そしてCLANNADも、全然キャラクターの動きや仕草がおかしくない。「おかしくない」という言い方も変ですけど、少なくとも個人的には、絵が動くことはない原作ゲームをやった時に脳裏に想像されたキャラクターの動きの映像に対して、京アニの前述三作は全く違和感を覚えなかった。キャラクターの動きや仕草に関しては、自分がゲームをやった時のイメージと比べて「こんなの変だ!」みたいな感想は全くと言っていいほど出てこない。や、それよりむしろ、明らかに自分のイメージより正確なカタチでアニメーションされていると思えてしまう。
そしてその原動力は、原作を深く知り、深く理解し、そしてほんのちょっとの描写も見逃さずに拾うこと。
こんな僕でも気付くようなトコは余裕で気付いていて拾っていて、そして多分他にも、他のキャラクターでも、たくさん、原作にある細かい所作を拾ってきて、上手い具合に人物達のパーソナリティとして仕立て上げているんだろうなぁ。だって渚も風子も杏も早苗さんも秋生も春原も他の面々も、その動きや仕草に、もの凄く違和がないし。
そんでもって、深い理解と観察から作られたこの作品を見ることで、こっちの原作理解もさらに深まるんだろうなぁ。もう感謝したくなるほどの真摯さです。次のこういう発見が、ホント楽しみ。



今のところその描写があったのは、第5話・授業開始前のところと、第8話・お誕生会セットを買ったあとの噴水のところと、第9話・朋也と渚にお互いを下の名前で言わせようとしたところ、ぐらいですか。他にもありそうな気もしますけど、とりあえず僕が気付いたのはこれだけ。
さて、この風子の足をぶらぶらさせる描写は、原作でも風子の機嫌の良さを表すものとして、一箇所だけですが言及されています。
よほど嬉しかったのか、席を座ってからも、犬が尻尾を振るように、足をぶらぶらとさせて機嫌の良さを表していた。授業シーンのところですね。幸村に(原作では早苗さんではなく、幸村が先生役をやってます)教科書を朗読するように指示され、最初嫌がっていましたが何とか挑戦して、それがつたないながらも一生懸命でして、その姿を皆が褒め称えて、ヒトデの彫刻を抱いてトリップしちゃう時と同じ現象が起きるくらいに機嫌が良くなった風子に対する、描写です。
原作で一回、それもほんのちょっとしか描写されていないことを、風子自身を表すものとしてしっかりと取り入れて、効果的に、かつ印象的に使う。これにはもう、これを作ってる人たちは原作が本当に好きなんだな、しっかりやり込んで理解して、だからこんな風に表現出来るんだな、と思わされるほどです。
と、いうことを、たこーすけさんのトコのコメント欄に書かせていただいたのですが、その後に気付きました。
―――こだわりといえば、京アニさんの場合、キャラ毎に歩き方の癖をつけるじゃないですか。ゲームでは歩かないのに毎回どやって考えてるんだろうと思うんですが。
石原 : それは原作の中に、観鈴だったら「とてとて」とか、ことみだったら結構早足とかヒントが描写してあるんで、そういった印象を元にしつつやってますね。
(「メカビ」07年秋号のインタビューより)(「石原」は、京アニCLANNAD監督の石原立也さん)
あー、そうか、彼らにとってみれば、このくらい当たり前なんだ。
考えてみれば、AIRも、Kanonも、そしてCLANNADも、全然キャラクターの動きや仕草がおかしくない。「おかしくない」という言い方も変ですけど、少なくとも個人的には、絵が動くことはない原作ゲームをやった時に脳裏に想像されたキャラクターの動きの映像に対して、京アニの前述三作は全く違和感を覚えなかった。キャラクターの動きや仕草に関しては、自分がゲームをやった時のイメージと比べて「こんなの変だ!」みたいな感想は全くと言っていいほど出てこない。や、それよりむしろ、明らかに自分のイメージより正確なカタチでアニメーションされていると思えてしまう。
そしてその原動力は、原作を深く知り、深く理解し、そしてほんのちょっとの描写も見逃さずに拾うこと。
こんな僕でも気付くようなトコは余裕で気付いていて拾っていて、そして多分他にも、他のキャラクターでも、たくさん、原作にある細かい所作を拾ってきて、上手い具合に人物達のパーソナリティとして仕立て上げているんだろうなぁ。だって渚も風子も杏も早苗さんも秋生も春原も他の面々も、その動きや仕草に、もの凄く違和がないし。
そんでもって、深い理解と観察から作られたこの作品を見ることで、こっちの原作理解もさらに深まるんだろうなぁ。もう感謝したくなるほどの真摯さです。次のこういう発見が、ホント楽しみ。
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シナリオ構成はともかくとして、たしかにキャラは可愛くなりそう。
やっぱ、涼、ことみちゃん、辺りの表情が楽しみ。
しかし、らきすた2クールの意味あったのか?
なんか作画がピンチ!になってきたような?
やっぱ、涼、ことみちゃん、辺りの表情が楽しみ。
しかし、らきすた2クールの意味あったのか?
なんか作画がピンチ!になってきたような?
1 | 2007年12月02日(日) 07:28 | URL | コメント編集
こまかい配慮がうれしい
ファンの心理をわかってるというか
そういう意味ではわが道を行く出崎統版の映画があってこそ引き立つような
ファンの心理をわかってるというか
そういう意味ではわが道を行く出崎統版の映画があってこそ引き立つような
名無しさん | 2007年12月02日(日) 11:04 | URL | コメント編集
>1さん
表情なんかもえらいしっかりしてますね。
(でもKanonに比べると、ちょっと微妙な気もしなくはないですが)(感覚的なものですけど)
>なんか作画がピンチ!になってきたような?
や、確かに、「京アニにしては!」みたいに思える部分がちょっとあったりしますね。
それでもヨソに比べれば十分なレベルなのですが…・・・。
>名無しさん
出崎さんのは見てないので何とも言えないですが、「原作に忠実」を求める人には、それがより「引き立てる」効果はありそうな気がします。
表情なんかもえらいしっかりしてますね。
(でもKanonに比べると、ちょっと微妙な気もしなくはないですが)(感覚的なものですけど)
>なんか作画がピンチ!になってきたような?
や、確かに、「京アニにしては!」みたいに思える部分がちょっとあったりしますね。
それでもヨソに比べれば十分なレベルなのですが…・・・。
>名無しさん
出崎さんのは見てないので何とも言えないですが、「原作に忠実」を求める人には、それがより「引き立てる」効果はありそうな気がします。
むしろ動画屋にとって、そのキャラがどのような歩き方をするのかだとか、立っているときどの位置に手を持ってくるかだとかいったことは、あらかじめ決めていないと後々大変になるので、キャラ作りがどうのという以前の問題として「決めとかにゃあかんなぁ」となる課題なのではないでしょうか。
実写と違い、画を一枚一枚人間の手で描かなければ動かないアニメーションだからこそ、うやむやにはいていられないことじゃないでしょうか。自分が製作側だったら、やっぱりそういうところを適当では済ましてはいられないと思います。「イメージ」だけでは画を動かすことなんて出来ないのですから。
実写と違い、画を一枚一枚人間の手で描かなければ動かないアニメーションだからこそ、うやむやにはいていられないことじゃないでしょうか。自分が製作側だったら、やっぱりそういうところを適当では済ましてはいられないと思います。「イメージ」だけでは画を動かすことなんて出来ないのですから。
pasmo | 2007年12月06日(木) 07:11 | URL | コメント編集
原作でも幸村に頼まなければ早苗さんが先生やりますぞ
| 2007年12月08日(土) 00:51 | URL | コメント編集
>pasmoさん
もちろん、そうでしょうね。しかも一人で作るのならともかく、複数人で作る以上、そういったキャラクターの動きなども厳密『より』に設定し、『ある程度』は統一しなくてはならないでしょう。(当然、作られる方個々人の個性・解釈などあるでしょうから、多少のファジーさは存在している…むしろ存在しているべきなのかもしれないですけど)。
そういった動きや仕草の設定・決まりごとを決める時に、何をどのくらい参考にするかという点で、京アニは『原作を穴が開くほど参考にしているな』と思えるのです。(作者さんの)頭の中に湧き出たイメージにももちろん依っているのでしょうが、それだけで終わらずに、原作から汲み取れるだけ汲み取って持ってくる。
これは『どう表現するか』ということにも繋がります。「クラナド」という作品をどう表現するのか。
自分の中に在るクラナドを表現する――これだけでは、その人の理解度や感性にもよりますが、「こんなの原作と全然違う!」という視聴者が感じてしまうモノになる可能性が高いです。自分の中のイメージでやると、「俺クラナド」になってしまいかねない。
原作をそのまま表現する――原作はゲームであり、ここで表現するのはアニメである、というフォーマットの違いから、原作をそのままってのは単純に難しい。つうか「そのまま」ってのは無理でしょう。しかもその上、面白かったり感動させたりしつつ、尺に収めないといけないですし。
そこにおいて、『どう表現するか』という選択において、京アニの選んだ所作はこのようなもの、自分のイメージを大事にしつつも、それをあっさり捨てられるくらいに原作に向き合い尽くすものである、といった感じです。
ちょっとこの辺、もう少し考えたいかも。
中途半端なお返事になってしまいますが、一旦上げさせていただきます。
>2007年12月08日(土) 00:51 の人
>原作でも幸村に頼まなければ早苗さんが先生やりますぞ
あ~、言われてみればそうだった気がする。すっかり失念してました。
もちろん、そうでしょうね。しかも一人で作るのならともかく、複数人で作る以上、そういったキャラクターの動きなども厳密『より』に設定し、『ある程度』は統一しなくてはならないでしょう。(当然、作られる方個々人の個性・解釈などあるでしょうから、多少のファジーさは存在している…むしろ存在しているべきなのかもしれないですけど)。
そういった動きや仕草の設定・決まりごとを決める時に、何をどのくらい参考にするかという点で、京アニは『原作を穴が開くほど参考にしているな』と思えるのです。(作者さんの)頭の中に湧き出たイメージにももちろん依っているのでしょうが、それだけで終わらずに、原作から汲み取れるだけ汲み取って持ってくる。
これは『どう表現するか』ということにも繋がります。「クラナド」という作品をどう表現するのか。
自分の中に在るクラナドを表現する――これだけでは、その人の理解度や感性にもよりますが、「こんなの原作と全然違う!」という視聴者が感じてしまうモノになる可能性が高いです。自分の中のイメージでやると、「俺クラナド」になってしまいかねない。
原作をそのまま表現する――原作はゲームであり、ここで表現するのはアニメである、というフォーマットの違いから、原作をそのままってのは単純に難しい。つうか「そのまま」ってのは無理でしょう。しかもその上、面白かったり感動させたりしつつ、尺に収めないといけないですし。
そこにおいて、『どう表現するか』という選択において、京アニの選んだ所作はこのようなもの、自分のイメージを大事にしつつも、それをあっさり捨てられるくらいに原作に向き合い尽くすものである、といった感じです。
ちょっとこの辺、もう少し考えたいかも。
中途半端なお返事になってしまいますが、一旦上げさせていただきます。
>2007年12月08日(土) 00:51 の人
>原作でも幸村に頼まなければ早苗さんが先生やりますぞ
あ~、言われてみればそうだった気がする。すっかり失念してました。
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