2008'01.09 (Wed) 05:47
年明けて 1/9 すいません、やっと終わりました。
12/31 大晦日だけど更新。でも終わんない。年越しちゃう。よいお年を!
12/27 またちょっと更新。
12/26 ちょっと更新。牛歩ですみません。
遅くなって申し訳ありません。
けど、まだ途中です。
でも、何を書くかはもう決まってるんです(めずらしく)。でも、なかなか、文章が書けない。なんとか、水曜日くらいまでにはアップしたいと思うんですけど(追記:無理でした)。スランプってるんで、リハビリがてら、ちょっと逐一的に上げさせていただきます。某たこーすけさんのパクリと言いますか。ガイアが俺にたこーすけさんをパクれと囁くから……。あ、いや、(たこーすけさんにも、他の読者の方にも)迷惑だったらやめます。ごめん。
遅ればせながら、書き終わりました。
書いてない11話も、次回放送までには、なんとか。
※以下には、京都アニメーションの「CLANNAD」12話までの内容が含まれています。
アニメのネタバレになりますので、閲覧の際にはご注意下さい。
※画面比率「4:3」視聴時の感想です。


風子きたーーー!!!
いやー、風子の出ないクラナドなんて! と、今まで感想放置してきたのですが、風子が出たとなったら書かないワケにはいきません!(というのは嘘です、遅くなってごめんなさい。11話も後で必ずきっと絶対たぶん書かせていただきます)
てゆうか久しぶりに文章書くから、なんか、書けない……。以前はどうやって書いてたんだろ。すごいな、以前の俺。ダメだな、今の俺。

それはともかく、風子ですよ。
もー、このシーンだけでも15回くらい見返してしまいました(見すぎ)。そして見るたびに、後のモブが首長族になってるとこに注目してしまうのですが、それは永遠においといて。
……あー。ホント、前はどうやって文章書いてたんだろ。なんか書けない。ちょっとしっちゃかめっちゃかでもいいすか?(答えは聞いてない)
まず登場シーン。ちらほらと気泡のようなものが見えて、海の中からをちょっと意識しているみたいにも見えなくはないですね。ヒトデだけに。もちろん、手には木製のヒトデ。風子のトレードマーク的存在。でも、『すでに』友達である朋也たちと接する時には必要ないですから、速攻で木製ヒトデは消えるのでしょう。
あと帽子!あの帽子を付けています。よっぽど気にいったんですねぇ。あの帽子もそうだし、多分あの帽子に纏わる記憶も、そう。何だか嬉しい限りです。
「あの、どこかでお会いしましたよね?」
「今は思い出さなくてもいいです。いつか自然に再会する日がくるはずです」
この描写は、原作にはありません。や、まあ、風子ルートを終えてから別の人のルートへ入るという形なので、原作に無くて当然なんですけど。
風子が現実世界に顕現する条件は、意外とファジー。風子シナリオの描写などから察すると、相当な強い思いとか必要になるのかな、とか思えちゃいますが、そこまで(あの脅迫的な程の思いの強さ)ではなくて、結構てきとうな感じでいけます。外伝的な作品ですけど、「光見守る坂道で」の野球の話とか見ると、さらにそんな感じですね。
このファジーさ……何かを『実現する』ことが、案外緩かったりする、厳密に厳しすぎたりしない、という所は、ある意味でクラナドに通底するかな、と思います。基本的には優しいというか、『むくわれる』世界ですからね。
と、少し話がずれました。
さて、"何故"このような描写を、わざわざ挿入したのか、というところ。
ここは、正直、無くてもいいところ、ですよね。
や、風子ファンの僕としては、風子が出てきてくれただけでそりゃブログも更新するよってくらいに嬉しいんですけど、でも、この描写は無くても意味がありますよね。たとえば、これが無ければ、風子シナリオはもうちょっと綺麗で切ない余韻になる。
ひとつの目的の為に現われ、それを全うしたら消える。そこで終わり。そこには、起因となった目的と終着となった目的の間の道以外には何もなく、持てる可能性をその目的というひとつのことに使い果たしたという、完了している美しさが存在します。
それを消してまで、このような描写を入れた意味とは何でしょう。
あ…いや、分かってたり、当たりがついてたりして、「その意味とは何でしょう」とか書いてはいません。ノリで書いちゃいました。これから考えます(えー)。
観測できる時空だけが宇宙ではない。世界がこの形を得る過程で剥がれ落ち、微細に封じ込められた次元、言わば『隠された世界』が存在する。
これって、『幻想世界』のことを指し示しているのでしょうか。
"ここ"からは観測できない、"かつて"。
今、目に見えるものだけが全てではない。記録に残り、記憶に残っているものだけが、全てでもない。"ここ"に至るまでには、観測できない"かつて"が、確かにあった。
原作プレイしていた時は分からなかった……というか、何も考えないでプレイしていた(笑)んですけど、今考えるとそのようにも見えます。そして多分、この言葉の意味は、それだけじゃない、と思います。
過去の包括。
やー、なんというか、クラナドにとって重要な部分だと思うんですよ。
重要な部分のように読み取れるのか、重要と自分が見たいだけなのか、その境が難しいんですけどね。
でもねー、とっても大事だと、勝手に思っている。
http://bdkiss.blog54.fc2.com/blog-entry-466.html
ここ以外にも何度か書いてきたと思うんですけど、ひじょーに、過去に対する扱いというか……『過去があるから今がある』ということが重要であると思う。作品がそこを注視しているかどうかまでは、ちょっと言い切れないけど。
例えば、朋也だったら。幼い頃に母親を亡くして父と二人きりで、バスケが上手で、でも父との喧嘩で怪我をして、肩が上がらなくなって、バスケをやめて。家に帰って父と顔を合わせたくないから、外で時間を潰して、眠るのは明け方で、起きるのは昼過ぎで、だから遅刻の常習犯で、だから不良と思われている。「こうしていて、何かが変わるんだろうか」と思いつつも、無為な毎日を過ごしている。
僕らが知りえるのは、断片的な過去の情報だけど。でも、この過去があるから、今の朋也が"こうである"と理解できる。なんで朋也はあんなに面倒見が良いのか。それは、この『過去』があるからですよ、と。過去があるから、今の朋也がある。
そしてまた、このような(朋也にとっても視聴者にとっても)観測できる過去だけでなく、観測できない過去もあって、今、ここがある。
例えば、(超ネタバレにつき伏字)朋也ファーザーの妻を亡くしたあとの、朋也を一人で育てていく決意とか。朋也はそのことを知らない(知らなかった)のですけど、でも、もしそれがなかったら、恐らく『今のこの朋也』にはなっていない。違う道を歩み、違う人間になっていたかもしれない。
過去がなければ、今がない。逆に言えば、過去があるから、今がある。
つまり、『今』というのは、『過去』を包括しているのです。
観測できるか否か、記憶にあるか否かに関わらず。
人が今の『自分』になる過程で忘れ去り、認識すら出来なかった出来事が存在する。
しかし、今ここにいる『自分』は、そのことを無かったこととして、存在するわけではない。
それと同じ様に。
世界がこの形を得る過程で剥がれ落ち、微細に封じ込められた世界、が存在する。
しかし、ここにある世界は、そのことを忘れ、無かったこととして、存在するわけではない。
それは実に、幻想世界。
そして風子のことも、多分、そう。
風子のことは皆、忘れ去ってます。アニメでは強調しては言及されていませんでしたけど、原作では風子を忘れ去っていくのは自然なこと、世界が形を保つ上での自浄作用のように語られています。
世界が今の形になるために、隠されてしまったものがある。
風子との記憶も、出来事も、感情も、思い出も観測出来なくなってしまっている。
しかしそれは、無くなっているわけではない。
何処かで会った気がしたり。やり取りに既視感を覚えたり。「☆」を「ヒトデ」と見たり。渚という呼び名だったり。
出来事は観測できない奥地へと追いやられたけど、それがあった事実は、今ここにいる人たちの中に包括されている。
観測できない世界は、"ない"ということではない。
"ここ"からは観測できない"かつて"は、確かに存在して、今も"ここ"にいる人たちの中に生き続けている。
……それなりに纏まったかなーと思ったけど、全然、「このような描写を入れた意味」、とは関係ないっすねーw やーなんだろ、わかんねーなーw
うーーん。一つ確実に言えるのは、これをやったことによって、「これをやった世界」に入った、ということですね。風子が登場しない世界ではなく、風子が登場する世界に入った。
つまり、隠されたその世界を暴いたということ。
世界が今の形を得る過程で剥がれ落ちたものを、私たち視聴者は観測できた、ということです。そう、あくまでも視聴者は、過去のいきさつ含めてこの風子を観測していますが、朋也たちは過去のいきさつを忘れた上でこの風子を観測しているのです。つまり、隠された世界――世界によって隠匿された風子の出来事(学校での風子の時間)――を、視聴者は知っていますが朋也たちは知ってはいない。
「かくされた世界」。「かくれた」ではなく「かくされた」という言葉は、明らかに、意図的なものが含まれています。すなわち、誰かが・何かが、隠す意思を持ってかくしている。
ここでいう「かくしている」主体は世界ですね。風子のことはそう、先に書いたとおり、世界がこの形を保つ為に意図的に隠している。あのおっさんの台詞「世界がこの形を得る過程で剥がれ落ち……」が幻想世界のことを指し示しているのであれば、それも同じくでしょう。
この世界を"自然"な形で保つために隠されたもの。
世界が主体となってかくしているモノを、その世界で生きている者達は観測できません。
風子しかり、幻想世界しかり。
これらの存在は、世界そのものを揺るがすものになる。不自然な存在だからこそ、隠匿される。
(だから、「いつか自然に再開する日が…」なのでしょう。『自然に』――隠匿されない存在となって、初めてこの世界の住人となって、再会できる。消えるのが自然なことだったからこそ、再開するのも"自然なこと"の流れの上でなのでしょう)
世界によって隠匿されたものは、その世界の中にいるものには観測しえないが、その世界の外側――視聴者からなら、観測できる。風子のことも、幻想世界のことも、全て俯瞰的に見れるわけです。これは……それだけではないでしょう。他のシナリオのことも、キャラクターの心情なども、全て俯瞰的に見れる。そこには、この世界にいる朋也たちでは観測できないことが観測できる。この世界がこの世界になる過程で剥がれ落ちたものを観測することができ、それによる作用――この世界からは隠匿されているが包括されている様々な事柄を、俯瞰的に見ることが出来る。
全て彼らの中に包括されていることだけど、彼らはそのことに無自覚。それを纏めて視聴者は観測することが出来る。例えば……彼らが"こういう人間で""ここに至っていること"は奇跡並みの確率で様々な作用が働いての結実なのだけれど、そのことを決して『俯瞰的に見ることがない』彼らには、そのことを普通のこととして見ている。しかし、俯瞰的に見ている視聴者には、"ここに至っていること""こういう人間であるということ"、そのことを、世界に隠匿された秘密含めて観測することができるから、より正確に見ることが出来る。
……ぬぬぬー。自分でも何が何だか分からなくなってきましたよー。
しかし、原作の構造をなぞるとしたら、『全てを俯瞰的に見れるか否か』は大きく作用すると思うんですよねー。あのラストら辺とか特に。一度はあの場所やあの可能性を通った上でのそれと認識しているか、通った上でのそれと認識していないか。
作中のキャラはどれか一つしか認識出来ないのだけど、こちら側はその全てを認識出来る。
京アニがどうやって作るかにもよりますけど(…つーかどこまで作れるんだろ)、もし一本道ならその辺に対するこの作品のアプローチの方法、でもあるんじゃないかなぁと、ちょっと思います。
【「かくされた」世界】
さて、「かくされた世界」というのは、先にも書いたように何かしらの意思を持って隠匿されている感じがあります。何故「かくれた」ではなく「かくされた」なのか。そこには、誰か・何かが何らかの意思・目的を持って、自発的に・自然的に「かくしているから」ではないでしょうか。
先に書いた以外にも、この12話にはもう一つ、大きな「かくされた世界」が存在しています。
そしてそれは、先と対称的に、視聴者が(に)暴く(暴かれる)ものではなく、あくまで、作品世界内の人物が(人物でなければ)暴けないものでありました。
……と、書いてから約1週間。
ええ、リアル時間で。ええ、すいません、ちょっと放置ってました。ええ、そして、何書くつもりだったかおおよそ忘れてしまいました。
やー、どうしよう。おおよそアドリブでいきます。
もう一つの隠された世界。それは『ことみ』のことです。
家庭環境や抱えている問題などの、彼女の「プライバシー」。
バイオリオンを返却した後の涙、溶け落ちるのに気付かないでいるソフトクリーム、バスの事故に泣き崩れる姿、その後のひとり閉じこもる行動などの、彼女の「内面」。
それらは、ことみによって隠されていました。「かくされた」の言葉通り、自発的に。内面を、プライバシーを、隠していた。
プライバシーを隠す。内面を隠す。
ことみの場合はどっちも、「他人に心配をさせる・迷惑をかける」系の事柄ですけど、まあ実際、そういうことってそう簡単に口に出しませんよね。誰だってわざわざ、他人に心配をさせたくないし、他人に迷惑をかけたくない。
でも、だからといって、そういうことを話してくれないと……いや、話してくれないとじゃなくて、こういう風に話す機会がありながらも『かくされている』と、他人の方はその人と距離を感じてしまいます。
「あたしたちってさ、本当はまだ、あの子の友達じゃなかったのかもね…」

といった具合に。
他人との距離。ことみは、その間合いを馴らすのが上手くはありません。
だって、多分ですけど、彼女には友達が(殆ど)いなかったでしょうに。初対面の人と接した時のあのたどたどしさ(初対面じゃ無くてもですけど)とか、喋りの独特さ(=他人からの影響、共有の無さ)とか、マイペースなところとか。明らかに、経験が足りない。
そもそも「いじめる?」「いじめっこ?」としつこく問いかけてる時点で、かつていじめられていたんじゃないか、と想像出来てしまいます。相手がどんな人かは二の次で、まず怯えて第一声が「いじめる?」。どれだけ防衛的なんだと思いますが、彼女が今こうなのは、それに相応する過去があったから、ということなのでしょう。逆に言えば、今の彼女を見れば過去に何があったのかを推測出来る位には、彼女の中に過去が内包されている。
そんなことみだから、自身の「プライバシー」「内面」をかくしてしまう、のではないでしょうか。
他人を心配させるようなこと。迷惑をかけるようなこと。そんなことも言い合って、助け合える相手が『友達』ではあるけれど、そういうものであるという肌感覚が無い。経験が無い。だから隠してしまう。
そしてそれが、相手にとって「あたしたちってさ、本当はまだ、あの子の友達じゃなかったのかもね…」という気持ちに繋がってしまう。
自分の友達が……好きで一緒にいる相手が、困っていたり悩んでいたりしている姿を見るのは悲しい。できるならば力になってあげたい。そう考えるのは自然なことだと思います。誰かのためになれることで、自分の価値が自認できる。それが好きな相手……自分の世界の中にいる相手であれば、それすらも守ることができる。自分の中の相手も、相手の中の自分も、両方とも何かのためになる、価値のあるものとして存在できる。
好きで一緒にいる相手には、どうしたって手を貸したくなるものです。そして朋也たちがことみと一緒にいるのは、「渚も杏も藤林も、みんなお前が好きなんだ」の言葉通り、ことみのことが好きだから。
これは風子の時と同じですね。「好きだから一緒にいる」。
好きだから一緒にいて、好きだから手助けもする。
今はこう、ことみの「プライバシー」「内面」はかくされているから、そこに一緒に居る事も手助けすることも出来ないけれど。そこを突き破って。ことみが隠さなくなれば。友達には全てを曝け出して、迷惑かけても心配かけてもいいんだと分かれば。ことみを手助けすることもできる。
かくされた世界。それは朋也の記憶も、そうなのかもしれません。
なんか結構凄いことがあったっぽいにも関わらず、ことみとの過去を非常に忘れている朋也。
忘れてるのではなく、Kanonと同じ様に、そこには忘れなきゃやってられない何かがあったのかも。
少なくとも、視聴者には隠されている。朋也のソレ、ことみの過去は。
でも、当の本人たちは知っている。「かくされたもの」では、ない。
だからこそ、彼らはその先、今のことみの「かくされた世界」も暴く事ができる、と思う。
今のことみに隠しているものがあるのは、過去があったからであって、その過去に朋也(だけ)が繋がれるからこそ、そこで『手助けする』ことができる。
今のことみが形成される過程で剥がれ落ち、周囲に見えないように封じ込められた過去を解くことができる。
そしてそれは、過去を内包している今へと繋がっていく。
WEB拍手を送る
とか、どうでしょ?
や、どうでしょ?って聞きたくなっちゃうくらいに原作を覚えていない。この後の展開とかもう全然だし。朋也が何でことみと会ってたことを覚えてないか、何故その後ことみと会わなくなったかとか、1ミクロンも覚えていない。あまりの覚えて無さに、我ながらビックリ。どうやら僕の記憶にも、「かくされた世界」が存在するようです。(お、これ、お後がよろしくね?よくね?)(聞くなよ、バカ)
12/31 大晦日だけど更新。でも終わんない。年越しちゃう。よいお年を!
12/27 またちょっと更新。
12/26 ちょっと更新。牛歩ですみません。
遅くなって申し訳ありません。
でも、何を書くかはもう決まってるんです(めずらしく)。でも、なかなか、文章が書けない。なんとか、水曜日くらいまでにはアップしたいと思うんですけど(追記:無理でした)。スランプってるんで、リハビリがてら、ちょっと逐一的に上げさせていただきます。某たこーすけさんのパクリと言いますか。ガイアが俺にたこーすけさんをパクれと囁くから……。あ、いや、(たこーすけさんにも、他の読者の方にも)迷惑だったらやめます。ごめん。
遅ればせながら、書き終わりました。
書いてない11話も、次回放送までには、なんとか。
※以下には、京都アニメーションの「CLANNAD」12話までの内容が含まれています。
アニメのネタバレになりますので、閲覧の際にはご注意下さい。
※画面比率「4:3」視聴時の感想です。
【More】


風子きたーーー!!!
いやー、風子の出ないクラナドなんて! と、今まで感想放置してきたのですが、風子が出たとなったら書かないワケにはいきません!(というのは嘘です、遅くなってごめんなさい。11話も後で必ずきっと絶対たぶん書かせていただきます)
てゆうか久しぶりに文章書くから、なんか、書けない……。以前はどうやって書いてたんだろ。すごいな、以前の俺。ダメだな、今の俺。

それはともかく、風子ですよ。
もー、このシーンだけでも15回くらい見返してしまいました(見すぎ)。そして見るたびに、後のモブが首長族になってるとこに注目してしまうのですが、それは永遠においといて。
……あー。ホント、前はどうやって文章書いてたんだろ。なんか書けない。ちょっとしっちゃかめっちゃかでもいいすか?(答えは聞いてない)
まず登場シーン。ちらほらと気泡のようなものが見えて、海の中からをちょっと意識しているみたいにも見えなくはないですね。ヒトデだけに。もちろん、手には木製のヒトデ。風子のトレードマーク的存在。でも、『すでに』友達である朋也たちと接する時には必要ないですから、速攻で木製ヒトデは消えるのでしょう。
あと帽子!あの帽子を付けています。よっぽど気にいったんですねぇ。あの帽子もそうだし、多分あの帽子に纏わる記憶も、そう。何だか嬉しい限りです。
「あの、どこかでお会いしましたよね?」
「今は思い出さなくてもいいです。いつか自然に再会する日がくるはずです」
この描写は、原作にはありません。や、まあ、風子ルートを終えてから別の人のルートへ入るという形なので、原作に無くて当然なんですけど。
風子が現実世界に顕現する条件は、意外とファジー。風子シナリオの描写などから察すると、相当な強い思いとか必要になるのかな、とか思えちゃいますが、そこまで(あの脅迫的な程の思いの強さ)ではなくて、結構てきとうな感じでいけます。外伝的な作品ですけど、「光見守る坂道で」の野球の話とか見ると、さらにそんな感じですね。
このファジーさ……何かを『実現する』ことが、案外緩かったりする、厳密に厳しすぎたりしない、という所は、ある意味でクラナドに通底するかな、と思います。基本的には優しいというか、『むくわれる』世界ですからね。
と、少し話がずれました。
さて、"何故"このような描写を、わざわざ挿入したのか、というところ。
ここは、正直、無くてもいいところ、ですよね。
や、風子ファンの僕としては、風子が出てきてくれただけでそりゃブログも更新するよってくらいに嬉しいんですけど、でも、この描写は無くても意味がありますよね。たとえば、これが無ければ、風子シナリオはもうちょっと綺麗で切ない余韻になる。
ひとつの目的の為に現われ、それを全うしたら消える。そこで終わり。そこには、起因となった目的と終着となった目的の間の道以外には何もなく、持てる可能性をその目的というひとつのことに使い果たしたという、完了している美しさが存在します。
それを消してまで、このような描写を入れた意味とは何でしょう。
あ…いや、分かってたり、当たりがついてたりして、「その意味とは何でしょう」とか書いてはいません。ノリで書いちゃいました。これから考えます(えー)。
観測できる時空だけが宇宙ではない。世界がこの形を得る過程で剥がれ落ち、微細に封じ込められた次元、言わば『隠された世界』が存在する。
これって、『幻想世界』のことを指し示しているのでしょうか。
"ここ"からは観測できない、"かつて"。
今、目に見えるものだけが全てではない。記録に残り、記憶に残っているものだけが、全てでもない。"ここ"に至るまでには、観測できない"かつて"が、確かにあった。
原作プレイしていた時は分からなかった……というか、何も考えないでプレイしていた(笑)んですけど、今考えるとそのようにも見えます。そして多分、この言葉の意味は、それだけじゃない、と思います。
過去の包括。
やー、なんというか、クラナドにとって重要な部分だと思うんですよ。
重要な部分のように読み取れるのか、重要と自分が見たいだけなのか、その境が難しいんですけどね。
でもねー、とっても大事だと、勝手に思っている。
http://bdkiss.blog54.fc2.com/blog-entry-466.html
ここ以外にも何度か書いてきたと思うんですけど、ひじょーに、過去に対する扱いというか……『過去があるから今がある』ということが重要であると思う。作品がそこを注視しているかどうかまでは、ちょっと言い切れないけど。
例えば、朋也だったら。幼い頃に母親を亡くして父と二人きりで、バスケが上手で、でも父との喧嘩で怪我をして、肩が上がらなくなって、バスケをやめて。家に帰って父と顔を合わせたくないから、外で時間を潰して、眠るのは明け方で、起きるのは昼過ぎで、だから遅刻の常習犯で、だから不良と思われている。「こうしていて、何かが変わるんだろうか」と思いつつも、無為な毎日を過ごしている。
僕らが知りえるのは、断片的な過去の情報だけど。でも、この過去があるから、今の朋也が"こうである"と理解できる。なんで朋也はあんなに面倒見が良いのか。それは、この『過去』があるからですよ、と。過去があるから、今の朋也がある。
そしてまた、このような(朋也にとっても視聴者にとっても)観測できる過去だけでなく、観測できない過去もあって、今、ここがある。
例えば、(超ネタバレにつき伏字)朋也ファーザーの妻を亡くしたあとの、朋也を一人で育てていく決意とか。朋也はそのことを知らない(知らなかった)のですけど、でも、もしそれがなかったら、恐らく『今のこの朋也』にはなっていない。違う道を歩み、違う人間になっていたかもしれない。
過去がなければ、今がない。逆に言えば、過去があるから、今がある。
つまり、『今』というのは、『過去』を包括しているのです。
観測できるか否か、記憶にあるか否かに関わらず。
人が今の『自分』になる過程で忘れ去り、認識すら出来なかった出来事が存在する。
しかし、今ここにいる『自分』は、そのことを無かったこととして、存在するわけではない。
それと同じ様に。
世界がこの形を得る過程で剥がれ落ち、微細に封じ込められた世界、が存在する。
しかし、ここにある世界は、そのことを忘れ、無かったこととして、存在するわけではない。
それは実に、幻想世界。
そして風子のことも、多分、そう。
風子のことは皆、忘れ去ってます。アニメでは強調しては言及されていませんでしたけど、原作では風子を忘れ去っていくのは自然なこと、世界が形を保つ上での自浄作用のように語られています。
…ああ、そうか。これはまんま、「世界がこの形を得る過程で剥がれ落ち、微細に封じ込められた」ということではないでしょうか。
今、わかった。
これは、つじつま合わせなんだ。
不自然なことは、なかったことにする。
そうすれば、すべては自然に戻る。
世界が今の形になるために、隠されてしまったものがある。
風子との記憶も、出来事も、感情も、思い出も観測出来なくなってしまっている。
しかしそれは、無くなっているわけではない。
何処かで会った気がしたり。やり取りに既視感を覚えたり。「☆」を「ヒトデ」と見たり。渚という呼び名だったり。
出来事は観測できない奥地へと追いやられたけど、それがあった事実は、今ここにいる人たちの中に包括されている。
観測できない世界は、"ない"ということではない。
"ここ"からは観測できない"かつて"は、確かに存在して、今も"ここ"にいる人たちの中に生き続けている。
……それなりに纏まったかなーと思ったけど、全然、「このような描写を入れた意味」、とは関係ないっすねーw やーなんだろ、わかんねーなーw
うーーん。一つ確実に言えるのは、これをやったことによって、「これをやった世界」に入った、ということですね。風子が登場しない世界ではなく、風子が登場する世界に入った。
つまり、隠されたその世界を暴いたということ。
世界が今の形を得る過程で剥がれ落ちたものを、私たち視聴者は観測できた、ということです。そう、あくまでも視聴者は、過去のいきさつ含めてこの風子を観測していますが、朋也たちは過去のいきさつを忘れた上でこの風子を観測しているのです。つまり、隠された世界――世界によって隠匿された風子の出来事(学校での風子の時間)――を、視聴者は知っていますが朋也たちは知ってはいない。
「かくされた世界」。「かくれた」ではなく「かくされた」という言葉は、明らかに、意図的なものが含まれています。すなわち、誰かが・何かが、隠す意思を持ってかくしている。
ここでいう「かくしている」主体は世界ですね。風子のことはそう、先に書いたとおり、世界がこの形を保つ為に意図的に隠している。あのおっさんの台詞「世界がこの形を得る過程で剥がれ落ち……」が幻想世界のことを指し示しているのであれば、それも同じくでしょう。
この世界を"自然"な形で保つために隠されたもの。
世界が主体となってかくしているモノを、その世界で生きている者達は観測できません。
風子しかり、幻想世界しかり。
これらの存在は、世界そのものを揺るがすものになる。不自然な存在だからこそ、隠匿される。
(だから、「いつか自然に再開する日が…」なのでしょう。『自然に』――隠匿されない存在となって、初めてこの世界の住人となって、再会できる。消えるのが自然なことだったからこそ、再開するのも"自然なこと"の流れの上でなのでしょう)
世界によって隠匿されたものは、その世界の中にいるものには観測しえないが、その世界の外側――視聴者からなら、観測できる。風子のことも、幻想世界のことも、全て俯瞰的に見れるわけです。これは……それだけではないでしょう。他のシナリオのことも、キャラクターの心情なども、全て俯瞰的に見れる。そこには、この世界にいる朋也たちでは観測できないことが観測できる。この世界がこの世界になる過程で剥がれ落ちたものを観測することができ、それによる作用――この世界からは隠匿されているが包括されている様々な事柄を、俯瞰的に見ることが出来る。
全て彼らの中に包括されていることだけど、彼らはそのことに無自覚。それを纏めて視聴者は観測することが出来る。例えば……彼らが"こういう人間で""ここに至っていること"は奇跡並みの確率で様々な作用が働いての結実なのだけれど、そのことを決して『俯瞰的に見ることがない』彼らには、そのことを普通のこととして見ている。しかし、俯瞰的に見ている視聴者には、"ここに至っていること""こういう人間であるということ"、そのことを、世界に隠匿された秘密含めて観測することができるから、より正確に見ることが出来る。
……ぬぬぬー。自分でも何が何だか分からなくなってきましたよー。
しかし、原作の構造をなぞるとしたら、『全てを俯瞰的に見れるか否か』は大きく作用すると思うんですよねー。あのラストら辺とか特に。一度はあの場所やあの可能性を通った上でのそれと認識しているか、通った上でのそれと認識していないか。
作中のキャラはどれか一つしか認識出来ないのだけど、こちら側はその全てを認識出来る。
京アニがどうやって作るかにもよりますけど(…つーかどこまで作れるんだろ)、もし一本道ならその辺に対するこの作品のアプローチの方法、でもあるんじゃないかなぁと、ちょっと思います。
【「かくされた」世界】
さて、「かくされた世界」というのは、先にも書いたように何かしらの意思を持って隠匿されている感じがあります。何故「かくれた」ではなく「かくされた」なのか。そこには、誰か・何かが何らかの意思・目的を持って、自発的に・自然的に「かくしているから」ではないでしょうか。
先に書いた以外にも、この12話にはもう一つ、大きな「かくされた世界」が存在しています。
そしてそれは、先と対称的に、視聴者が(に)暴く(暴かれる)ものではなく、あくまで、作品世界内の人物が(人物でなければ)暴けないものでありました。
……と、書いてから約1週間。
ええ、リアル時間で。ええ、すいません、ちょっと放置ってました。ええ、そして、何書くつもりだったかおおよそ忘れてしまいました。
やー、どうしよう。おおよそアドリブでいきます。
もう一つの隠された世界。それは『ことみ』のことです。
家庭環境や抱えている問題などの、彼女の「プライバシー」。
バイオリオンを返却した後の涙、溶け落ちるのに気付かないでいるソフトクリーム、バスの事故に泣き崩れる姿、その後のひとり閉じこもる行動などの、彼女の「内面」。
それらは、ことみによって隠されていました。「かくされた」の言葉通り、自発的に。内面を、プライバシーを、隠していた。
プライバシーを隠す。内面を隠す。
ことみの場合はどっちも、「他人に心配をさせる・迷惑をかける」系の事柄ですけど、まあ実際、そういうことってそう簡単に口に出しませんよね。誰だってわざわざ、他人に心配をさせたくないし、他人に迷惑をかけたくない。
でも、だからといって、そういうことを話してくれないと……いや、話してくれないとじゃなくて、こういう風に話す機会がありながらも『かくされている』と、他人の方はその人と距離を感じてしまいます。
「あたしたちってさ、本当はまだ、あの子の友達じゃなかったのかもね…」

といった具合に。
他人との距離。ことみは、その間合いを馴らすのが上手くはありません。
だって、多分ですけど、彼女には友達が(殆ど)いなかったでしょうに。初対面の人と接した時のあのたどたどしさ(初対面じゃ無くてもですけど)とか、喋りの独特さ(=他人からの影響、共有の無さ)とか、マイペースなところとか。明らかに、経験が足りない。
そもそも「いじめる?」「いじめっこ?」としつこく問いかけてる時点で、かつていじめられていたんじゃないか、と想像出来てしまいます。相手がどんな人かは二の次で、まず怯えて第一声が「いじめる?」。どれだけ防衛的なんだと思いますが、彼女が今こうなのは、それに相応する過去があったから、ということなのでしょう。逆に言えば、今の彼女を見れば過去に何があったのかを推測出来る位には、彼女の中に過去が内包されている。
そんなことみだから、自身の「プライバシー」「内面」をかくしてしまう、のではないでしょうか。
他人を心配させるようなこと。迷惑をかけるようなこと。そんなことも言い合って、助け合える相手が『友達』ではあるけれど、そういうものであるという肌感覚が無い。経験が無い。だから隠してしまう。
そしてそれが、相手にとって「あたしたちってさ、本当はまだ、あの子の友達じゃなかったのかもね…」という気持ちに繋がってしまう。
自分の友達が……好きで一緒にいる相手が、困っていたり悩んでいたりしている姿を見るのは悲しい。できるならば力になってあげたい。そう考えるのは自然なことだと思います。誰かのためになれることで、自分の価値が自認できる。それが好きな相手……自分の世界の中にいる相手であれば、それすらも守ることができる。自分の中の相手も、相手の中の自分も、両方とも何かのためになる、価値のあるものとして存在できる。
好きで一緒にいる相手には、どうしたって手を貸したくなるものです。そして朋也たちがことみと一緒にいるのは、「渚も杏も藤林も、みんなお前が好きなんだ」の言葉通り、ことみのことが好きだから。
これは風子の時と同じですね。「好きだから一緒にいる」。
好きだから一緒にいて、好きだから手助けもする。
今はこう、ことみの「プライバシー」「内面」はかくされているから、そこに一緒に居る事も手助けすることも出来ないけれど。そこを突き破って。ことみが隠さなくなれば。友達には全てを曝け出して、迷惑かけても心配かけてもいいんだと分かれば。ことみを手助けすることもできる。
かくされた世界。それは朋也の記憶も、そうなのかもしれません。
なんか結構凄いことがあったっぽいにも関わらず、ことみとの過去を非常に忘れている朋也。
忘れてるのではなく、Kanonと同じ様に、そこには忘れなきゃやってられない何かがあったのかも。
少なくとも、視聴者には隠されている。朋也のソレ、ことみの過去は。
でも、当の本人たちは知っている。「かくされたもの」では、ない。
だからこそ、彼らはその先、今のことみの「かくされた世界」も暴く事ができる、と思う。
今のことみに隠しているものがあるのは、過去があったからであって、その過去に朋也(だけ)が繋がれるからこそ、そこで『手助けする』ことができる。
今のことみが形成される過程で剥がれ落ち、周囲に見えないように封じ込められた過去を解くことができる。
そしてそれは、過去を内包している今へと繋がっていく。
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とか、どうでしょ?
や、どうでしょ?って聞きたくなっちゃうくらいに原作を覚えていない。この後の展開とかもう全然だし。朋也が何でことみと会ってたことを覚えてないか、何故その後ことみと会わなくなったかとか、1ミクロンも覚えていない。あまりの覚えて無さに、我ながらビックリ。どうやら僕の記憶にも、「かくされた世界」が存在するようです。(お、これ、お後がよろしくね?よくね?)(聞くなよ、バカ)
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>(更新中……)
>予定項目
ぐはっwwwそれは禁断のww
それやると長引きますよーww
こんばんは、たこーすけです。
「予定項目」の第一人者です。
でも、1項目じゃーねー。
3つくらい行きましょうよ!ぱーっと(笑)。
「予定項目」シーンの最前線に立ち続ける覚悟はあるか?
それではー。
あ。てか、あれよね。「メモ」は、なしおさんのをパクってるんだった。
あはははー。
それでは。
>予定項目
ぐはっwwwそれは禁断のww
それやると長引きますよーww
こんばんは、たこーすけです。
「予定項目」の第一人者です。
でも、1項目じゃーねー。
3つくらい行きましょうよ!ぱーっと(笑)。
「予定項目」シーンの最前線に立ち続ける覚悟はあるか?
それではー。
あ。てか、あれよね。「メモ」は、なしおさんのをパクってるんだった。
あはははー。
それでは。
たこーすけ | 2007年12月26日(水) 02:01 | URL | コメント編集
>たこーすけさま
>「予定項目」シーンの最前線に立ち続ける覚悟はあるか?
あ り ま せ んw
僕は一項目でも手に負えない勢いですので。
自分で広げた風呂敷を、「あれ、おれ、これ、畳めるの?」と戸惑ってしまう感じ。
一項目でもピンチ。早くもピンチ。やばい、早すぎ。どうしよう。息切れ。当ブログは衰退しました。そんな感じ。
そんな中でも、三項目も四項目も予定して、しっかりと書き上げるたこーすけさまは凄いっす。
予定項目に生き、予定項目に死ぬ。それが孤高のファンタジスタ。
>「予定項目」シーンの最前線に立ち続ける覚悟はあるか?
あ り ま せ んw
僕は一項目でも手に負えない勢いですので。
自分で広げた風呂敷を、「あれ、おれ、これ、畳めるの?」と戸惑ってしまう感じ。
一項目でもピンチ。早くもピンチ。やばい、早すぎ。どうしよう。息切れ。当ブログは衰退しました。そんな感じ。
そんな中でも、三項目も四項目も予定して、しっかりと書き上げるたこーすけさまは凄いっす。
予定項目に生き、予定項目に死ぬ。それが孤高のファンタジスタ。
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