2008'01.20 (Sun) 05:14
※以下には、京都アニメーションの「CLANNAD」14話までの内容が含まれています。
アニメのネタバレになりますので、閲覧の際にはご注意下さい。
※画面比率「4:3」視聴時の感想です。
※文章が纏まらなくてメモっぽい感じに。あとで(と言っても、時間的に考えて3月くらいになるでしょうけど)、書き直したりするかも。かも。
あーーもう、何て言ったらいいんでしょう。
何も言えないです。圧倒的。
なるほど、これは「超ひも理論」というものに則った言葉なんですか。
何だかよく分かりませんが、……いや、つうかさっぱり分かんないんですが。
超ひも理論は、別名「超弦理論」。
ことみの楽器はヴァイオリン。
今度は上手く弾けると僕も思います、彼女自身の「弦が満ちている」、聴衆が「彼女の世界の中にいる=弦の一部でもある」、そんな感じに思います、と。
それはともかく、「超ひも」。
さっぱり分からないんで放っておきます(ぉ
さてさて。先週はこの言葉を
>世界にはたくさんの人や、物や、現象や事象があって、それらそれぞれ違ったモノであり、それが全て絡み合い纏まったものが、今ここにある世界だ
と、換言して書きましたが。
やー、ここでいう「世界の成り立ち」に対しては、全く的はずれな換言でして。
でも、個々人が、自己が認識できる範囲・自身が体験・経験・もしくはそれ以前で自身に関わる物事で成り立つ世界、つまり「自分の世界の成り立ち」という意味で適用するのなら、あながち的はずれでもないかなぁと。
今ここにある自分が認識している世界、『自分にとっての世界』は、たくさんの人や、物や、現象や事象があって、それらそれぞれ違ったモノであり、それが全て絡み合い、出来ている。
『ことみという世界の成り立ち』
『ことみの世界の成り立ち』
まったくもって、それを見せたのが、本シナリオでした。
幼少のことみの世界は、「自分のお家と芝生のお庭、お父さんとお母さん」の世界で、その外は「怖い」だけのものだったのに。
朋也たちのお陰で、その外は「怖い」だけのものではなくなった。
朋也たちのお陰で……というと、ちょっと語弊がありますね。朋也たちが居たから、というか、朋也たちが居るから、というか、朋也たちがここに、この『ことみの世界』の中にいるから、というべきでしょう。
かつての「庭」と、今の朋也たちが手直ししてくれた「庭」。
かつての誕生日と、今の誕生日。
世界を旅した思いのこもった手紙と、熊のぬいぐるみと。「K&M」と、「ことみ」。そして「おかえりなさい」。
ことみを構成する世界が、どんどん、どんどん豊かになっていく。「琴が満ちていく」。
とにかくこう、過去と今と変化で、共通させるものが多いんですよ。
それが凄い芳醇で。圧倒的に感じちゃう。
「超ひも理論」はその名の通り、粒子を一個の点として捉えるのではなく「ひも」、線として捉える、らしいんですけど。
重力のことを考慮しているから、粒子を点でなく「ひも」で捉えるらしい、んですけど(よくわかってません)。
世界の成り立ち、自分自身の構成要素を「点」ではなく「ひも」で捉えるならば、そのひもになる、線になる要素は『変化』、なんじゃないでしょうか。
ひとつの事柄に対する感情は、変わっていく。
ひとつの事柄の持つ意味も、変わっていく。
取り敢えず、整理してみると。
「自分の家と芝生のお庭、お父さんとお母さん」の世界が壊れた。
その後は一人で過ごすようになった。
時は流れ、朋也と再会。
本を読んでいる時は、自分の世界の中に入り込んでいるけど。朋也が昔と同じ様に「ことみちゃん」と呼んだ時だけ、そこから出てきて反応するように。
過去の時点で止まっている。世界が止まっている(から、そこに無い呼び方に気付かない)。
けれど。そこから。
色んな人と会う。色んな人と友達になる。
椋の事故未遂。
両親の時と同じ。失うことへの恐れ。
失うくらいならはじめから何も手に入れないほうがいい、と、引きこもる。
それでも、居てくれる人、に歩み寄る。
待っていた。ずっと待っていた。
お家の中、何も失わないけれど何もない場所で。泣きながら待っていた。
そしたら、朋也くんが迎えに来てくれた。

スーツケース。
一ノ瀬夫妻が自らの最後の瞬間に、自らが残したいものを託し。世界を旅してきたスーツケース。
その中に入っていたもの。
それは多分きっと。
ここに記されていたのは。
「世界の成り立ち」を美しく、純粋で、出来る限り簡潔に記したもの。
「ことみの世界の成り立ち」。
失ったと思った両親は、全く持って失っていなかった。
過去がある。記憶がある。思い出がある。
そして、"ここに"込められていた、思いがある。
それを受け取る。ことみの中に。ことみ自身の世界に、いれる。
だから、そう、ここでことみは「おかえりなさい」と、言う。
喪失は終わりではない。
失ったら何も無いと塞いでいたのだけれども。そうではなくて。
全ては、自分を形作る自分にとっての世界の中で生き続ける。自分の世界の中に内包される。
そもそも。
「K&M」。「こうたろう と みずえ」。
ことみの名前の由来。
そこからして、既に内包されていた。
ことみの中に、ことみの両親は。
それらは、ことみ自身の世界の成り立ち。
そして。
スーツケースがここまで来れたのは、たくさんの人の力。
たくさんの人がスーツケースも、熊のぬいぐるみも、手入れをしてくれた。たくさんの人が、運んでくれた。
ことみがここまで来れたのは、友人達の力。
朋也・杏・椋・渚たちが、ことみを助けてくれた。彼らが、ことみをここまで運んでくれた。

ふわっと舞い上がる粒子たち。
まるで沢山の思いが満ちていくよう。
目に見えないほど小さな、たくさんのハープで満ちている。
同じく、ことみの名前の由来。「琴が満ちる」。
それは点でしかないけれど、「ここ」と「それ以前」、「ここ」と「はじまり(この思いの)」を、変化で結び付けて……つまり変化も観測できるように加味すれば、線のように観察できる。
変化したのは何か?それは恐らく、ことみ自身。自身の世界の変化を観測するために、自身の世界の要素を線として考える。要素自体に変化は無い。しかし、そこに見て取る意味に変化は生じる。論文と思わしき封筒を燃やした事実にも、両親の死の事実にも変化はないが、それに対する受け止め方、それの自身の中での意味は変化している。その変わる前、変わった後を別々のものではなく一つのものとして繋げて、見る。点ではなく線として見る。他のものではなく同一のものとして見る。そうすると、変化が浮き彫りになる。
何故変化が生じたのか。それは、ことみ自身が変わったから。彼女を構成する世界が変わった。
事実は変わってなく、意味だけ変わったのだから、変化を生じたのは、意味を生成することみ自身。
今までは、変わらなかった。世界が止まっていたから。
それが変わっていったのは。朋也と再会して、色んな人と出会い、友達になり。こうして、亡くなった両親の思いに触れ。その他、たくさんの人や物や思いに触れたから。
家の中――(かつての世界で残っている唯一の)自分の世界の中、泣きながら待っていたら。迎えに来てくれた人がいた。
世界を構築するのはさまざまなハープ。
それが奏でる音によって、自己の世界は出来ている。
かつて、あれだけ少なかったことみの中のハープは。今、これほどまでに満ちている。
そしてこれらは。過去も、今も、どれもことみの誕生日、『5月13日』――ことみの名前の由来の日に起きている(または起因となっている)。
かつて。
誕生日に友達を連れてくると言った朋也(子供時代)。
高校での、朋也の協力で友達作る作戦。
気を許せる友人の前では普通に弾けていたのに、知らない人が沢山いる前では、怪奇音しかならせなかったヴァイオリンの演奏。
知らない人に怯え、不安を抱いていた。
それがいまや、こんなに変わった。
知らない人、たくさんに対して。
「わたしのお庭は広いから」、と。
知らない人を受け入れて。自分の世界に招き入れる。

友達たちを経た、ヴァイオリン。両親の思いがつまった熊のぬいぐるみ。
思い出が沢山あって。朋也・杏・椋・渚たちが整備してくれた、お庭。
ここにあるもの。ここにある思い。ここに至った道。変化の過程を一本の線として、前と後で繋ぐ。
それら全てが、ことみの世界。
今のことみの世界。
「わたしのお庭は広いから」と受け入れられるのが、今のことみの世界。
かつての演奏会は失敗だった。渚や椋の前では美しい弦の響きを鳴らせていても、自分の世界の中にいない人を前にすると、満ちるものは無くなっていた。
けれど今は。
きっと大丈夫。知らない人たちを前にしても、自分の世界の中にいない人を前にしても、きっと大丈夫。
お庭――ことみの世界は広いから。彼らも「ことみの世界」の中に、入れて上げられるくらい、広いから。
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アニメのネタバレになりますので、閲覧の際にはご注意下さい。
※画面比率「4:3」視聴時の感想です。
※文章が纏まらなくてメモっぽい感じに。あとで(と言っても、時間的に考えて3月くらいになるでしょうけど)、書き直したりするかも。かも。
【More】
あーーもう、何て言ったらいいんでしょう。
何も言えないです。圧倒的。
この世界を形作っているのは、目に見えないほど小さな、たくさんのハープだ。
ハープは琴とも言う。
世界はハープで満ちていて、その一つ一つが、それぞれ異なった音を奏でているんだ。
そうしてあらゆる音が複雑に絡み合い、たったひとつの調べが生まれる。
なるほど、これは「超ひも理論」というものに則った言葉なんですか。
何だかよく分かりませんが、……いや、つうかさっぱり分かんないんですが。
超ひも理論は、別名「超弦理論」。
ことみの楽器はヴァイオリン。
今度は上手く弾けると僕も思います、彼女自身の「弦が満ちている」、聴衆が「彼女の世界の中にいる=弦の一部でもある」、そんな感じに思います、と。
それはともかく、「超ひも」。
さっぱり分からないんで放っておきます(ぉ
さてさて。先週はこの言葉を
>世界にはたくさんの人や、物や、現象や事象があって、それらそれぞれ違ったモノであり、それが全て絡み合い纏まったものが、今ここにある世界だ
と、換言して書きましたが。
やー、ここでいう「世界の成り立ち」に対しては、全く的はずれな換言でして。
でも、個々人が、自己が認識できる範囲・自身が体験・経験・もしくはそれ以前で自身に関わる物事で成り立つ世界、つまり「自分の世界の成り立ち」という意味で適用するのなら、あながち的はずれでもないかなぁと。
今ここにある自分が認識している世界、『自分にとっての世界』は、たくさんの人や、物や、現象や事象があって、それらそれぞれ違ったモノであり、それが全て絡み合い、出来ている。
『ことみという世界の成り立ち』
『ことみの世界の成り立ち』
まったくもって、それを見せたのが、本シナリオでした。
幼少のことみの世界は、「自分のお家と芝生のお庭、お父さんとお母さん」の世界で、その外は「怖い」だけのものだったのに。
朋也たちのお陰で、その外は「怖い」だけのものではなくなった。
朋也たちのお陰で……というと、ちょっと語弊がありますね。朋也たちが居たから、というか、朋也たちが居るから、というか、朋也たちがここに、この『ことみの世界』の中にいるから、というべきでしょう。
かつての「庭」と、今の朋也たちが手直ししてくれた「庭」。
かつての誕生日と、今の誕生日。
世界を旅した思いのこもった手紙と、熊のぬいぐるみと。「K&M」と、「ことみ」。そして「おかえりなさい」。
ことみを構成する世界が、どんどん、どんどん豊かになっていく。「琴が満ちていく」。
とにかくこう、過去と今と変化で、共通させるものが多いんですよ。
それが凄い芳醇で。圧倒的に感じちゃう。
「超ひも理論」はその名の通り、粒子を一個の点として捉えるのではなく「ひも」、線として捉える、らしいんですけど。
重力のことを考慮しているから、粒子を点でなく「ひも」で捉えるらしい、んですけど(よくわかってません)。
世界の成り立ち、自分自身の構成要素を「点」ではなく「ひも」で捉えるならば、そのひもになる、線になる要素は『変化』、なんじゃないでしょうか。
ひとつの事柄に対する感情は、変わっていく。
ひとつの事柄の持つ意味も、変わっていく。
取り敢えず、整理してみると。
「自分の家と芝生のお庭、お父さんとお母さん」の世界が壊れた。
その後は一人で過ごすようになった。
時は流れ、朋也と再会。
本を読んでいる時は、自分の世界の中に入り込んでいるけど。朋也が昔と同じ様に「ことみちゃん」と呼んだ時だけ、そこから出てきて反応するように。
過去の時点で止まっている。世界が止まっている(から、そこに無い呼び方に気付かない)。
けれど。そこから。
色んな人と会う。色んな人と友達になる。
椋の事故未遂。
両親の時と同じ。失うことへの恐れ。
失うくらいならはじめから何も手に入れないほうがいい、と、引きこもる。
それでも、居てくれる人、に歩み寄る。
待っていた。ずっと待っていた。
お家の中、何も失わないけれど何もない場所で。泣きながら待っていた。
そしたら、朋也くんが迎えに来てくれた。

スーツケース。
一ノ瀬夫妻が自らの最後の瞬間に、自らが残したいものを託し。世界を旅してきたスーツケース。
その中に入っていたもの。
それは多分きっと。
「君のご両親は世界の成り立ちを、出来るだけ美しく、純粋に、そして簡潔に表現しようとしていた。しかし、この手紙ほど美しい言葉に、私はかつて触れたことが無い」言葉は、受け取り手によって意味を変える。
ここに記されていたのは。
「世界の成り立ち」を美しく、純粋で、出来る限り簡潔に記したもの。
「ことみの世界の成り立ち」。
失ったと思った両親は、全く持って失っていなかった。
過去がある。記憶がある。思い出がある。
そして、"ここに"込められていた、思いがある。
それを受け取る。ことみの中に。ことみ自身の世界に、いれる。
だから、そう、ここでことみは「おかえりなさい」と、言う。
喪失は終わりではない。
失ったら何も無いと塞いでいたのだけれども。そうではなくて。
全ては、自分を形作る自分にとっての世界の中で生き続ける。自分の世界の中に内包される。
そもそも。
「K&M」。「こうたろう と みずえ」。
ことみの名前の由来。
そこからして、既に内包されていた。
ことみの中に、ことみの両親は。
それらは、ことみ自身の世界の成り立ち。
そして。
スーツケースがここまで来れたのは、たくさんの人の力。
たくさんの人がスーツケースも、熊のぬいぐるみも、手入れをしてくれた。たくさんの人が、運んでくれた。
ことみがここまで来れたのは、友人達の力。
朋也・杏・椋・渚たちが、ことみを助けてくれた。彼らが、ことみをここまで運んでくれた。

ふわっと舞い上がる粒子たち。
まるで沢山の思いが満ちていくよう。
目に見えないほど小さな、たくさんのハープで満ちている。
同じく、ことみの名前の由来。「琴が満ちる」。
それは点でしかないけれど、「ここ」と「それ以前」、「ここ」と「はじまり(この思いの)」を、変化で結び付けて……つまり変化も観測できるように加味すれば、線のように観察できる。
変化したのは何か?それは恐らく、ことみ自身。自身の世界の変化を観測するために、自身の世界の要素を線として考える。要素自体に変化は無い。しかし、そこに見て取る意味に変化は生じる。論文と思わしき封筒を燃やした事実にも、両親の死の事実にも変化はないが、それに対する受け止め方、それの自身の中での意味は変化している。その変わる前、変わった後を別々のものではなく一つのものとして繋げて、見る。点ではなく線として見る。他のものではなく同一のものとして見る。そうすると、変化が浮き彫りになる。
何故変化が生じたのか。それは、ことみ自身が変わったから。彼女を構成する世界が変わった。
事実は変わってなく、意味だけ変わったのだから、変化を生じたのは、意味を生成することみ自身。
今までは、変わらなかった。世界が止まっていたから。
それが変わっていったのは。朋也と再会して、色んな人と出会い、友達になり。こうして、亡くなった両親の思いに触れ。その他、たくさんの人や物や思いに触れたから。
家の中――(かつての世界で残っている唯一の)自分の世界の中、泣きながら待っていたら。迎えに来てくれた人がいた。
世界を構築するのはさまざまなハープ。
それが奏でる音によって、自己の世界は出来ている。
かつて、あれだけ少なかったことみの中のハープは。今、これほどまでに満ちている。
そしてこれらは。過去も、今も、どれもことみの誕生日、『5月13日』――ことみの名前の由来の日に起きている(または起因となっている)。
かつて。
誕生日に友達を連れてくると言った朋也(子供時代)。
高校での、朋也の協力で友達作る作戦。
気を許せる友人の前では普通に弾けていたのに、知らない人が沢山いる前では、怪奇音しかならせなかったヴァイオリンの演奏。
知らない人に怯え、不安を抱いていた。
それがいまや、こんなに変わった。
知らない人、たくさんに対して。
「わたしのお庭は広いから」、と。
知らない人を受け入れて。自分の世界に招き入れる。

友達たちを経た、ヴァイオリン。両親の思いがつまった熊のぬいぐるみ。
思い出が沢山あって。朋也・杏・椋・渚たちが整備してくれた、お庭。
ここにあるもの。ここにある思い。ここに至った道。変化の過程を一本の線として、前と後で繋ぐ。
それら全てが、ことみの世界。
今のことみの世界。
「わたしのお庭は広いから」と受け入れられるのが、今のことみの世界。
かつての演奏会は失敗だった。渚や椋の前では美しい弦の響きを鳴らせていても、自分の世界の中にいない人を前にすると、満ちるものは無くなっていた。
けれど今は。
きっと大丈夫。知らない人たちを前にしても、自分の世界の中にいない人を前にしても、きっと大丈夫。
お庭――ことみの世界は広いから。彼らも「ことみの世界」の中に、入れて上げられるくらい、広いから。
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なしおさんはじめまして。レインボウさんのブログから訪問させていただきました。夜裏と申します。
かなり綺麗にまとまっている文章と物語からのメッセージを汲み取るすごさに感動しました。見習いたいです。
>ここにあるもの。ここにある思い。ここに至った道。変化の過程を一本の線として、前と後で繋ぐ。
それら全てが、ことみの世界。
今のことみの世界。
これってわたしたちにもいえることですよね。変化は波のようにうねり、一本の線で繋がってる。「今」という危うさもあったりしますが…。
先が見えずに迷う「今」も周りが開けたような「今」も大きくみると一本、小さなことでとらわれてしまいがちですが常に人間は変化してると思うのでそれを乗り越えることができるのではないかと。
>「わたしのお庭は広いから」と受け入れられるのが、今のことみの世界。
わたしも同じことを感じました。前のことみの世界は狭く深かったんだと思います。でもこれからは「いろんな」人が「たくさん」はいれるような場所になった。つまりはことみの世界が大きくなった―上の台詞に繋がると。
なんだか長くなってしまいましたが、すごく素敵なことに気付かせてもらいました。ありがとうございます。わたしもブログをやっているのでよければ。ご訪問お待ちしております。
かなり綺麗にまとまっている文章と物語からのメッセージを汲み取るすごさに感動しました。見習いたいです。
>ここにあるもの。ここにある思い。ここに至った道。変化の過程を一本の線として、前と後で繋ぐ。
それら全てが、ことみの世界。
今のことみの世界。
これってわたしたちにもいえることですよね。変化は波のようにうねり、一本の線で繋がってる。「今」という危うさもあったりしますが…。
先が見えずに迷う「今」も周りが開けたような「今」も大きくみると一本、小さなことでとらわれてしまいがちですが常に人間は変化してると思うのでそれを乗り越えることができるのではないかと。
>「わたしのお庭は広いから」と受け入れられるのが、今のことみの世界。
わたしも同じことを感じました。前のことみの世界は狭く深かったんだと思います。でもこれからは「いろんな」人が「たくさん」はいれるような場所になった。つまりはことみの世界が大きくなった―上の台詞に繋がると。
なんだか長くなってしまいましたが、すごく素敵なことに気付かせてもらいました。ありがとうございます。わたしもブログをやっているのでよければ。ご訪問お待ちしております。
夜裏 | 2008年01月25日(金) 18:30 | URL | コメント編集
>夜裏さん
こちらこそはじめましてー。なしおです。
お気に召していただけたようで、心の底から嬉しいかぎりです。文章も読み込みも、作品の真価から見るとまだまだ足りないなーと感じてるので、もうちょっと何とかしたいなぁと思っているのですが。それでも。何かしら届くものがあったようで、嬉しいです。
>これってわたしたちにもいえることですよね。
>変化は波のようにうねり、一本の線で繋がってる。「今」という危うさもあったりしますが…。
一応僕は原作プレイ済みで、まあ3年くらいやってないので、メインシナリオ以外殆ど覚えてなかったりするのですが(ことみのお話しとか、全部忘れてたしw)、そのか細い記憶から考えるに、この辺のことって作品の軸になりそう…なるかも…なったらいいなー……とか思っています。
過去があるから今がある、なのだけれど、それより上の階層に立てば、過去も今も全て同じ一つのモノで、今には満遍なく過去の全てが内包されている。みたいな。
みたいなのが、おぼろげな原作記憶と、今までの風子・ことみのお話から軸になりそうな気がする…するかも……したらいいなー……とか思ってます。
ああ、わたしたちにも繋がって、クラナドの他のキャラや物語自体にも繋がるからこそ、「Theory of Everything(万物の理論)」なのか、とか今、急に思いつきました。ちょっと無理矢理っぽいですがw
>なんだか長くなってしまいましたが
いえいえ、とんでもございません!僕のコメント返しの方が長いくらいなので、全く構わないです。(てゆうか、読み返してみると全然コメント返しになっていない内容のような気もしますが)
夜裏さんのブログも拝見させていただきました。15話は笑えるシーンが多くて楽しかったですねぇ。CLANNADしか視聴していないので、他にはまったく着いていけない状態ですけど(苦笑)、またちょくちょく覗かせていただきます。よろしくです。
こちらこそはじめましてー。なしおです。
お気に召していただけたようで、心の底から嬉しいかぎりです。文章も読み込みも、作品の真価から見るとまだまだ足りないなーと感じてるので、もうちょっと何とかしたいなぁと思っているのですが。それでも。何かしら届くものがあったようで、嬉しいです。
>これってわたしたちにもいえることですよね。
>変化は波のようにうねり、一本の線で繋がってる。「今」という危うさもあったりしますが…。
一応僕は原作プレイ済みで、まあ3年くらいやってないので、メインシナリオ以外殆ど覚えてなかったりするのですが(ことみのお話しとか、全部忘れてたしw)、そのか細い記憶から考えるに、この辺のことって作品の軸になりそう…なるかも…なったらいいなー……とか思っています。
過去があるから今がある、なのだけれど、それより上の階層に立てば、過去も今も全て同じ一つのモノで、今には満遍なく過去の全てが内包されている。みたいな。
みたいなのが、おぼろげな原作記憶と、今までの風子・ことみのお話から軸になりそうな気がする…するかも……したらいいなー……とか思ってます。
ああ、わたしたちにも繋がって、クラナドの他のキャラや物語自体にも繋がるからこそ、「Theory of Everything(万物の理論)」なのか、とか今、急に思いつきました。ちょっと無理矢理っぽいですがw
>なんだか長くなってしまいましたが
いえいえ、とんでもございません!僕のコメント返しの方が長いくらいなので、全く構わないです。(てゆうか、読み返してみると全然コメント返しになっていない内容のような気もしますが)
夜裏さんのブログも拝見させていただきました。15話は笑えるシーンが多くて楽しかったですねぇ。CLANNADしか視聴していないので、他にはまったく着いていけない状態ですけど(苦笑)、またちょくちょく覗かせていただきます。よろしくです。
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