2008'02.10 (Sun) 04:30
※以下には、京都アニメーションの「CLANNAD」17話の内容が含まれています。
アニメのネタバレになりますので、閲覧の際にはご注意下さい。
※後でもう一回くらいは何かしらの形で17話について記すかも。
『不在の空間』という言葉。
「居ないことで出来る空間」ということ。
しかし、「居ない」からといって、必ずしも「空間」が生じるとは限りません。元々居ない・居ないのが当たり前の相手には、たとえ不在でも、空間などは生まれはしない。それは物質的な意味だけでなく、心の中の版図に対する意味でもある。居なくなることで空間が出来るという事は、逆に言えば、その人の居場所が自分の中にあったということになる。
その空間に入り込むチャンスを狙っているひとたち。
みんな朋也のうしろから、こっそりと現われてくる。
それは他人の空間を狙っているから?自分の朋也の中にある空間の場所を、変えたいと望むから?
自分の場所が既に朋也の中にあるのなら、朋也が見て、認識した瞬間に、朋也の中での彼女たちの空間は、現在朋也の中にあるそれに配置されてしまう。
それを変えるために、まずは不意打ち気味にコンタクトを取ったり、お昼に誘ったりする。……体育倉庫で垣間見せた杏の本心(?)。それにより、変わってきたりも、する?
つまりは、関係性の話かも。
誰かの心の中に自分がいる、その自分の位置を変えようとするならば。相手の中での自分に対する認識を変える。その為に。先入観の排除(不意打ちコンタクト)。状況の創出(お昼)。情報の変化(本心)。
最後のは狙っていない……え~杏視点から書いているので、杏は狙ってやってはいない。
狙ってやっているのは、椋に関して。椋と朋也の関係に対して、変化を与えようとしている。
その中で垣間見える杏の本心。
これは朋也の杏に対する認識よりも、杏の自分自身に対する認識の方に、影響を与えるかもしれません。自分と自分との関係性。姉である杏も朋也のことが好きである。そのことは、妹である椋も分かっている。というか、重々認めている。「ごめんなさい」の台詞に表れているように。朋也を狙う女軍団(すごい字面w)の一員である筈の杏が敢えて身を引いている。……自分から不在を作り出している。そんなので作り出された空間は、この妹に、どれだけの負担になるんだろうか。とか、ちょっと思ったり。
ともかく。杏は自分の本心に対して、認識した、もしくは再認識した、という事、というと言い過ぎなので、そういう方向に働いているという事、なのしょうね。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
智代に関しては、今はまだ場所が作られている最中か。智代に後から声をかけられて驚くのも、その行為は寧ろ杏の居場所であって、朋也の中の智代という情報の中にそれが無かったから、みたいな方面があるのかも。かも。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
そんなこんなで、色んな人達が不在に入り込もうとしている(意図的かどうかはともかく、結果として)のですが、それでも誰も、ここの空間には入れない。
不在することで空間が生じてしまうのなら、それを埋めようとする。のだけれど。
渚の場所としての象徴(踏み出した一歩目)である演劇部の部室に、「日直:古河渚」の文字を書くに留まる。

ここがもう、もの凄く良かったです。一番キテました。
いつも居る場所に、渚の場所に、実際には居ないから、名前だけでも「いる」。しかも日直。日直の仕事があるのだから来るべき、みたいな感情と。持ち回りで役が回ってくる「日直」という、日々のサイクルの枠組みの中に渚を組み込むこの言葉。そして当然、この教室は授業など行われてなく、日直など必要ない以上、この「日直」という言葉は現実に届かないし、渚が実際に居ない以上、この「古河渚」という言葉もまた、現実に届かない。
言葉だけでは居場所なんて埋まらない。せめてもの慰みでしかない。
それでも書いちゃう。埋めようとしちゃう。
これがもう、凄いイイです。
無くしたのなら見つければいい、と言っていても。渚がいないことを埋めるようなことは。何も見つけない。誰に誘われても。それなりに、流すだけ。
つまりは、
ということ。
前回のバスケ中、上の台詞を発した時の回想が、そこに至る『過去』であることを示すべくモノクロであるのに対して、今回の演劇部の中で見た渚の回想は、ここにある目標の――辿り着きたい場所に辿り着く道の最中、『現在』であることを示すべくカラーであるように。
辿り着きたい場所は、渚の先にある。
辿り着きたい場所。それを見つけることが「ようやく」出来たのだから、簡単に「次」を見つけるわけがない、いけるわけもない。
朋也は「見つければいいだけだろ」と言っていましたが、それは断じて"だけ"などと言えるものでは無かった。それは朋也自身が一番良く分かってる。渚と出会う前の何もない時から、渚と出会って、色々な人に出会って、色々なことをやって、そしてやっと見つけたこの「辿り着きたい場所」。それがが出来るまでの時間が、苦悩が。あの言葉が無知だから言えたものだということを証明している。そんなものは、次なんてものは、簡単に見つけられることができないんだって。
……もしかしたら、あの言葉は、ある意味自分自身に言っていたのかもしれません。
不在――渚の不在、目標の不在。
渚のことを、その目標を、自分の打ち込めるものを、何も助けてやれなかった。
ずっと憂鬱な感じだった朋也が、唯一心底明るかったのは、「智代が当選したら問題解決」を思い至った時。
そして、智代を庇う言動。
これらは全部、ひとつに繋がっているように見えます。
渚を助けられなかったこと。手助けできなかった悔い。
渚を助けること。渚の目的を助けること。
その突破口。明るい兆し。
それを守るための言動。
それは更に前にも繋がっている。目標を失った朋也が、新しい目標――「辿り着きたい場所」を得て、そして、それに達しようと努力する。足掻く。別にバスケや親父のことが、この辿り着きたい場所に仮託されてるわけでもない(いや、ちょっと(もしかするとちょっと以上)はしているけど)。でも、これを辿り着けば、それも含めて朋也は救われる気がする。ああ、いや。『今』は『過去』を救わないけど、『今』に『過去』が内包されている以上、『今』から見た『過去』だけは救えるのではないか、みたいな。
失ってしまったら簡単に次が見つかるものでもない。失ってしまいたくもない。
智代を利用する気マンマンみたいに見えますが、これは単純に、現在の朋也と智代の関係、ということでしょう。智代のお話しはまだまだこれから。この辺の目的や感情も、これから描かれるであろう目的や感情も、有機的に絡んで変化して、素晴らしいお話を導き出してくれるんじゃないかと期待しています。
やー、ほんと、「期待しています」で取り敢えず締めちゃうくらい、今回は(も)良かった。
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アニメのネタバレになりますので、閲覧の際にはご注意下さい。
※後でもう一回くらいは何かしらの形で17話について記すかも。
【More】
『不在の空間』という言葉。
「居ないことで出来る空間」ということ。
しかし、「居ない」からといって、必ずしも「空間」が生じるとは限りません。元々居ない・居ないのが当たり前の相手には、たとえ不在でも、空間などは生まれはしない。それは物質的な意味だけでなく、心の中の版図に対する意味でもある。居なくなることで空間が出来るという事は、逆に言えば、その人の居場所が自分の中にあったということになる。
その空間に入り込むチャンスを狙っているひとたち。
みんな朋也のうしろから、こっそりと現われてくる。
それは他人の空間を狙っているから?自分の朋也の中にある空間の場所を、変えたいと望むから?
自分の場所が既に朋也の中にあるのなら、朋也が見て、認識した瞬間に、朋也の中での彼女たちの空間は、現在朋也の中にあるそれに配置されてしまう。
それを変えるために、まずは不意打ち気味にコンタクトを取ったり、お昼に誘ったりする。……体育倉庫で垣間見せた杏の本心(?)。それにより、変わってきたりも、する?
つまりは、関係性の話かも。
誰かの心の中に自分がいる、その自分の位置を変えようとするならば。相手の中での自分に対する認識を変える。その為に。先入観の排除(不意打ちコンタクト)。状況の創出(お昼)。情報の変化(本心)。
最後のは狙っていない……え~杏視点から書いているので、杏は狙ってやってはいない。
狙ってやっているのは、椋に関して。椋と朋也の関係に対して、変化を与えようとしている。
その中で垣間見える杏の本心。
これは朋也の杏に対する認識よりも、杏の自分自身に対する認識の方に、影響を与えるかもしれません。自分と自分との関係性。姉である杏も朋也のことが好きである。そのことは、妹である椋も分かっている。というか、重々認めている。「ごめんなさい」の台詞に表れているように。朋也を狙う女軍団(すごい字面w)の一員である筈の杏が敢えて身を引いている。……自分から不在を作り出している。そんなので作り出された空間は、この妹に、どれだけの負担になるんだろうか。とか、ちょっと思ったり。
ともかく。杏は自分の本心に対して、認識した、もしくは再認識した、という事、というと言い過ぎなので、そういう方向に働いているという事、なのしょうね。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
智代に関しては、今はまだ場所が作られている最中か。智代に後から声をかけられて驚くのも、その行為は寧ろ杏の居場所であって、朋也の中の智代という情報の中にそれが無かったから、みたいな方面があるのかも。かも。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
そんなこんなで、色んな人達が不在に入り込もうとしている(意図的かどうかはともかく、結果として)のですが、それでも誰も、ここの空間には入れない。
不在することで空間が生じてしまうのなら、それを埋めようとする。のだけれど。
渚の場所としての象徴(踏み出した一歩目)である演劇部の部室に、「日直:古河渚」の文字を書くに留まる。

ここがもう、もの凄く良かったです。一番キテました。
いつも居る場所に、渚の場所に、実際には居ないから、名前だけでも「いる」。しかも日直。日直の仕事があるのだから来るべき、みたいな感情と。持ち回りで役が回ってくる「日直」という、日々のサイクルの枠組みの中に渚を組み込むこの言葉。そして当然、この教室は授業など行われてなく、日直など必要ない以上、この「日直」という言葉は現実に届かないし、渚が実際に居ない以上、この「古河渚」という言葉もまた、現実に届かない。
言葉だけでは居場所なんて埋まらない。せめてもの慰みでしかない。
それでも書いちゃう。埋めようとしちゃう。
これがもう、凄いイイです。
「見つければいいだろ」
「次の楽しいこととか嬉しいことを、見つければいいだけだろ」
無くしたのなら見つければいい、と言っていても。渚がいないことを埋めるようなことは。何も見つけない。誰に誘われても。それなりに、流すだけ。
つまりは、
「辿り着きたい場所が出来たんだ」
ということ。
前回のバスケ中、上の台詞を発した時の回想が、そこに至る『過去』であることを示すべくモノクロであるのに対して、今回の演劇部の中で見た渚の回想は、ここにある目標の――辿り着きたい場所に辿り着く道の最中、『現在』であることを示すべくカラーであるように。
辿り着きたい場所は、渚の先にある。
辿り着きたい場所。それを見つけることが「ようやく」出来たのだから、簡単に「次」を見つけるわけがない、いけるわけもない。
朋也は「見つければいいだけだろ」と言っていましたが、それは断じて"だけ"などと言えるものでは無かった。それは朋也自身が一番良く分かってる。渚と出会う前の何もない時から、渚と出会って、色々な人に出会って、色々なことをやって、そしてやっと見つけたこの「辿り着きたい場所」。それがが出来るまでの時間が、苦悩が。あの言葉が無知だから言えたものだということを証明している。そんなものは、次なんてものは、簡単に見つけられることができないんだって。
……もしかしたら、あの言葉は、ある意味自分自身に言っていたのかもしれません。
「お前に渚を助けてもらうのは二度目だな。ありがとよ」
「いや、俺は……」
(俺は……)
(何も……)
そうだよ、選挙に智代が当選してくれたら、問題解決じゃないか。
渚、早く戻って来い。いいニュースが待ってるぞ!
「お前が生徒会長になったら、頼みたいことがあって…」
「ダメだ、喧嘩なんかしたら、生徒会長どころじゃ無くなるぞ!」
「そうだ、俺のやったことだ!あの2年の女子は関係ない!」
不在――渚の不在、目標の不在。
渚のことを、その目標を、自分の打ち込めるものを、何も助けてやれなかった。
ずっと憂鬱な感じだった朋也が、唯一心底明るかったのは、「智代が当選したら問題解決」を思い至った時。
そして、智代を庇う言動。
これらは全部、ひとつに繋がっているように見えます。
渚を助けられなかったこと。手助けできなかった悔い。
渚を助けること。渚の目的を助けること。
その突破口。明るい兆し。
それを守るための言動。
それは更に前にも繋がっている。目標を失った朋也が、新しい目標――「辿り着きたい場所」を得て、そして、それに達しようと努力する。足掻く。別にバスケや親父のことが、この辿り着きたい場所に仮託されてるわけでもない(いや、ちょっと(もしかするとちょっと以上)はしているけど)。でも、これを辿り着けば、それも含めて朋也は救われる気がする。ああ、いや。『今』は『過去』を救わないけど、『今』に『過去』が内包されている以上、『今』から見た『過去』だけは救えるのではないか、みたいな。
失ってしまったら簡単に次が見つかるものでもない。失ってしまいたくもない。
智代を利用する気マンマンみたいに見えますが、これは単純に、現在の朋也と智代の関係、ということでしょう。智代のお話しはまだまだこれから。この辺の目的や感情も、これから描かれるであろう目的や感情も、有機的に絡んで変化して、素晴らしいお話を導き出してくれるんじゃないかと期待しています。
やー、ほんと、「期待しています」で取り敢えず締めちゃうくらい、今回は(も)良かった。
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2008/02/16(土) 03:37:49 | 中濃甘口 Second Dining
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2008/02/22(金) 02:58:16 | 「きつねのるーと」と「じーん・だいばー」のお部屋
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4:3版のあと、しばらく途中までの感想をうpしておりましたが、16:9版を観てから、あらためてうpいたしました。
2008/02/23(土) 23:11:51 | 丈・獅子丸の咆哮 (新館)
……………………。
………ん~~~~~。
正直たまりません。orz
古傷がうずくっちゅーか。つかね、うっすらと相手の好意...
2008/02/24(日) 18:15:10 | Old Dancer\'s BLOG
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2008/03/11(火) 01:35:54 | yukitaの想い出日誌
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