2008'03.07 (Fri) 00:32
現在、第19回まで見た状態で、第1回・第2回を見返したので、そこで思ったこととか感じたことを、ちょっとメモってみました。あくまでメモ。しかも自分用風味。かなり乱雑です。新鮮な内容や期待できるような内容は特にありません(え…)
あと16:9、今さらながら(1話以外は)初体験。
しかし、何回も見てるのに、知ってるのに、やっぱそれでも、展開の早さを感じてしまうw
■1話
「この街は嫌いだ」
「忘れたい想い出が染み付いた場所だから」
「毎日学校に通い、友達とダベり、帰りたくもない家に帰る」
「こうしていて、いつか何かが変わるんだろうか」
「変わる日が来るんだろうか……」
「この学校は好きですか」
「わたしは、とってもとっても好きです」
「でも、何もかも、変わらずにはいられないです」
「楽しいこととか、嬉しいこととか、全部」
「全部、変わらずにはいられないです」
「それでも、この場所が好きでいられますか?」
「見つければいいだろ」
「次の楽しいこととか嬉しいことを、見つければいいだけだろ」
「ほら、行こうぜ」
「俺たちは登り始める。長い、長い、坂道を」

おお~、見切れてない!余白がある!空間が生まれてる!16:9、新鮮だ~!
京アニCLANNADのカメラは、被写体となっている人物の、心情とか立場とかを、映しているんじゃないかな、という予測がちょっとあります。最初にそう思ったのは、17話くらいの、渚が熱を出してふらふら~ってなったトコ。渚視点でカメラが揺れてるんなら普通なんですけど、そうじゃなくて、渚を写しているのに、カメラがふらふら(手ブレみたいな状態)になっている。渚から見た世界が揺れてるけど、カメラの側は揺れていないはず。なのに揺れてる。
渚のソレを反映してるのかなー、みたいな。
考えたら、冒頭のここも、モノクロ→カラーといった具合に、内面が映像に対し思いっきり反映してるんですね。
……や、違うか。正確には現時点での内面ではなく、未来の地点から見た"ここ"の意味、を反映している、と思われる。や、だってね、この時点では朋也も渚も、この瞬間に、ふたりの出会いに、「モノクロ→カラー」ほどのものは感じていなかったじゃないですか。これはこの時点ではなく、未来からであり、また物語の重み付けである。
というか。こういった作中キャラクターに依らない、物語の重み付けを直に(つうか強引に)受け手に見せる手法はちょーフツーなので(極論、写実以外全部そう)、どうこう言う所でも無いっぽいのですが。
うーむ、保留。のっけから保留。
てゆうか、あらためて、何度もあらためて思いますけど、16:9と4:3って、ホント全然違いますね。

19話Aパート終わりの場面は、この第1話冒頭をリファインしている感がありました。
あんまし根拠が無い……音楽とか、新たな一歩目というシチュエーションとか、二人並んで歩く姿とか……ので書かなかったのですが。
第1話の二人の背中も、第19話では随分遠くに行ってしまったなぁ。
・(幻想世界)
ぼく「この世界に人がいた。ぼくが見えるのだろうか。ぼくはこの世界に生まれていない」
生まれていないのに『見える』、両者。
ぼく「終わった世界に生きる少女。空虚な、静止した世界に生きる少女。ぼくはどうしてか、彼女のことが気になった」
見えたから気になったのか。ぼく、の目に写る、この世界と彼女、その境遇・状態が、ぼく、にとって何か引っかかるものだったのか。あるいはぼく自身の姿を重ねたのか。
・9:46 渚の喋り方(声優の演技)も、表情も、何もかもが、後の渚と大きく違う!声もなんか掠れてるし!目も伏し目がちだし!すげー!今の(19話の)渚との違いが一目瞭然すぎてすげー。

笑って手を振ってみたけど反応無く(気付かれず)、「私、教室でも影が薄いですから」と言う渚に対して、何も言い返せずに、憂鬱気に伏し目になる朋也。
「終わった世界に生きる少女。空虚な、静止した世界に生きる少女。ぼくはどうしてか、彼女のことが気になった」。このフレーズを思い出した。
・11:29 「岡崎さん、なんちゃらかんちゃら~」といったツッコミを入れない渚。うーむ、物語後半の姿とは隔世の感がある。さりげなく、何気に、自然に、渚も朋也の後についてきています。渚にも、朋也に対するちょっとした期待はあるのかも。今この時だけでも話ができる相手が欲しい、寂しかった、とか。自分が変わるきっかけか何か、勇気付けられる言葉か何かが貰えたら、とか。
勇気付けられること、きっかけがないと、動けない事が多い子ですから。だから、「あんぱん」とか「ハンバーグ」とか発するんです。自分で自分を勇気付けてる。
ここでの渚、手を胸の前で握ってたり。しょっちゅう自分の体を触ってる(自分の体を触る行為は不安の表れでもあります)。


アニメ版では結局触れられなかったのですが、原作テキストに、よく喋ったりよく笑顔を見せる渚に対し、朋也が「こんな俺にでも自分のいいところを見せようとしている」みたいに思った箇所があります。
ローテンション、落ち込み伏し目の、渚のこの笑顔や、反動をつけるくらいの可愛らしい動きは、なんか、それっぽい。学校にいる、たったひとりの知り合いに対し、友達に対し、いいところを見せようっていう。

16:58 パンを食べる朋也を待つ早苗さんが、なんか揺れてるんですけど、これ凄く、犬っぽいな、って思った。
19:08 古河家との会話に、朋也のモノローグが多いのが、【朋也】と【古河家】、その両者を浮き彫りにし、両者の違い・両者の視聴者との差も浮き彫りにしている。
家にいるから!渚の、声のトーンが!全然掠れてない!全然伏し目がちじゃない!
外に出ると、そんなこともなくなるんですけど。
家の中では猫、店ではひよこ。さて、これは何でしょう?
答え、早苗さんのエプロン。
○中庭渚

ひとりで、お昼ご飯。落ち込んでいる。自信なさげ。伏し目がちで、声もわずかに掠れている。渚一人で、後から朋也。
○窓の外は見える 1話、7:20

椋「遅刻しない方がいいと思います」「まるでクラス委員みたいなことを言うんだな」「みたいじゃなくて、私、クラス委員ですから」「大丈夫です、泣いてませんから…」

開いた窓だけでなく、閉じてる窓のむこうも見える。
占い。乙女のインスピレーションです。
杏登場。妹いじめてない。
「明日優しい女性と素敵な出会いがあるんだってよ」。「ふふ~ん」「別に」「まあ頑張んなさいよ」椋の占いが外れることを知っているから、杏、上機嫌。
○窓の外は見える 1話、13:54

春原vs智代、第一章。どっちも、嘘も隠し事も内面に向けられたものも内面フィルターかかったものも、何もありません。
○窓の外、見えない 1話 15:13

渚の頭に、どうしてか置いた「手」。(どうして置いたのか、当の朋也自身が分かっていない)
第2回。

『僕』の体を作っている少女。てゆうか、"ここ"は、どこだ?

いれものを作って、こっちにきてよ、と誘う少女。それを受け入れる、否、求めた『僕』。この世界でただひとつのぬくもり、いつしか、僕はそれを求めた。
実は少女の指が傷だらけ。
Bパート冒頭、演劇部室での会話。今からすると驚くくらいに、お互い気を遣いながら会話している。
のわりには、いきなり大声で「とんかつっ!」。なんかビックリしてしまった。
この状況なのに先刻まで相手に気を遣っていたのに、自分自身にかける言葉をいきなり大声で言ってしまうくらい瞬発的に、他者を考慮に入れず自分の世界に入れるのが渚でしょう。
だから、気付いたらひとりぼっちだし、光坂1話のようにクラスメイトに変なリアクション返したりしてしまう。そんな面もあるんじゃないかなぁ。
なぜ幽霊や生霊が痛みを持つのか、なぜ幽霊や生霊が物を持てるのか、なぜ幽霊や生霊が服を着ているのか、という意見は、1秒で論破できます。つまり、
そもそも幽霊や生霊が痛みを持たないのか、そもそも幽霊や生霊が物を持てないのか、そもそも幽霊や生霊が服を着れないのか、どうか。
オカシイところは何もないです。感覚が無いや、触れられない、という前提がそもそも立証されてませんので。
敢えて追記するとすれば、実体が無いから物を持てない・服を着れない、と考えられますけど、まあ多分、情報として認識上では物を持てている・服を着れている状態なんじゃないでしょうか。Aという対象にXという刺激を与えた状態が、物を持てている・服を着れている状態なんですけど、それを情報上で再現している――持っている・着ているという情報を対象と自身に与えれば、実質持っている・着ている状態になる、とか、そんな感じ。
そもそも、実体が無いと物を持てないのか・服を着れないのかっていう前提からして、少し疑問が残る――つうか幽霊や生霊に実体が無いのかというと、そこも疑問が残る。
なんでこんなこと書いたかというと、どっかで「幽霊が物を持つ・服を着るって変じゃね?」っていうのを見たから。
「お前がまた部活なんて忌まわしいものに興味を持つなんて驚いたよ」
「お前、部活する連中なんて吐き気がするほど嫌いって思ってたんだけどね」
この言葉に対し、あからさまに怒ってる朋也。
朋也はそんなこと思ってないんですね。全然。少なくともこの時点では確実に。
これを思ってるのは春原でしょう。この嬉々として、軽く上から目線で語るさま。まるで自分の言が正しい・賢い思考であるかのよう。そしてこの、正しい・賢い思考であるかのように語る姿は、そのまま、自分自身が"そう考えている"ことの証明でもある。つまり自己肯定としての、この語り。
春原の事情を察するに、「部活を嫌うのは正しい」と彼が考えることは、彼にとってまっとうだ。自分から捨てた、そして捨てた自分は正しい、とでも思わなきゃやってられないだろう。
これは同時に、彼自身が、過去の件の悔恨に対して、正面から向き合ってないことの証左になる。
・17:35 親父から逃げた先の、渚。
「いつも、いつだって不器用で~~」
こういうことを語れるのは、ここが、学校じゃなくて、渚の家の前――彼女の陣地だからかな。
自分の「弱い」を見せれる場所。
朋也もここで、渚に、ちょっとだけ見せる。
・21:19 シュートを打てない朋也。打てないとこの決定的な場面、崩れてるはずの彼のフォーム、それを見せない。
渚には見せている。視聴者には見せてない。
○中庭渚

ひとりぼっち掃除のとき。
今さら気付いたけど、1話の中庭の時と同じカメラの入り方。
幻想世界の窓の外は見えない。
○窓の外から 2話、6:26

春原の智代へのちょっかい後。
「こんなことは、これで終わりにして欲しいものだな」「けど、お前達を見てると、少しだけ懐かしい気もするな」「なんでもない、忘れてくれ」
智代側の窓は開いていて、朋也側は閉じている。
○窓の外 見える&見えない 2話、8:54

椋による、ことみの説明。
そして「あいつバイ」。
1話でもそうだったけど、辞書で窓ガラスを割らない為に開いてるみたいな。(感覚)
ここのシーン、だんだん、ガラスにかかった光が薄れていってる?
○窓の外、うっすら見える 2話、10:49

「まずは部員募集~~」
○窓の外見えない 超光ってる 2話、13:59

風子初登場。
あと16:9、今さらながら(1話以外は)初体験。
しかし、何回も見てるのに、知ってるのに、やっぱそれでも、展開の早さを感じてしまうw
【More】
■1話
「この街は嫌いだ」
「忘れたい想い出が染み付いた場所だから」
「毎日学校に通い、友達とダベり、帰りたくもない家に帰る」
「こうしていて、いつか何かが変わるんだろうか」
「変わる日が来るんだろうか……」
「この学校は好きですか」
「わたしは、とってもとっても好きです」
「でも、何もかも、変わらずにはいられないです」
「楽しいこととか、嬉しいこととか、全部」
「全部、変わらずにはいられないです」
「それでも、この場所が好きでいられますか?」
「見つければいいだろ」
「次の楽しいこととか嬉しいことを、見つければいいだけだろ」
「ほら、行こうぜ」
「俺たちは登り始める。長い、長い、坂道を」

おお~、見切れてない!余白がある!空間が生まれてる!16:9、新鮮だ~!
京アニCLANNADのカメラは、被写体となっている人物の、心情とか立場とかを、映しているんじゃないかな、という予測がちょっとあります。最初にそう思ったのは、17話くらいの、渚が熱を出してふらふら~ってなったトコ。渚視点でカメラが揺れてるんなら普通なんですけど、そうじゃなくて、渚を写しているのに、カメラがふらふら(手ブレみたいな状態)になっている。渚から見た世界が揺れてるけど、カメラの側は揺れていないはず。なのに揺れてる。
渚のソレを反映してるのかなー、みたいな。
考えたら、冒頭のここも、モノクロ→カラーといった具合に、内面が映像に対し思いっきり反映してるんですね。
……や、違うか。正確には現時点での内面ではなく、未来の地点から見た"ここ"の意味、を反映している、と思われる。や、だってね、この時点では朋也も渚も、この瞬間に、ふたりの出会いに、「モノクロ→カラー」ほどのものは感じていなかったじゃないですか。これはこの時点ではなく、未来からであり、また物語の重み付けである。
というか。こういった作中キャラクターに依らない、物語の重み付けを直に(つうか強引に)受け手に見せる手法はちょーフツーなので(極論、写実以外全部そう)、どうこう言う所でも無いっぽいのですが。
うーむ、保留。のっけから保留。
てゆうか、あらためて、何度もあらためて思いますけど、16:9と4:3って、ホント全然違いますね。

19話Aパート終わりの場面は、この第1話冒頭をリファインしている感がありました。
あんまし根拠が無い……音楽とか、新たな一歩目というシチュエーションとか、二人並んで歩く姿とか……ので書かなかったのですが。
第1話の二人の背中も、第19話では随分遠くに行ってしまったなぁ。
・(幻想世界)
ぼく「この世界に人がいた。ぼくが見えるのだろうか。ぼくはこの世界に生まれていない」
生まれていないのに『見える』、両者。
ぼく「終わった世界に生きる少女。空虚な、静止した世界に生きる少女。ぼくはどうしてか、彼女のことが気になった」
見えたから気になったのか。ぼく、の目に写る、この世界と彼女、その境遇・状態が、ぼく、にとって何か引っかかるものだったのか。あるいはぼく自身の姿を重ねたのか。
・9:46 渚の喋り方(声優の演技)も、表情も、何もかもが、後の渚と大きく違う!声もなんか掠れてるし!目も伏し目がちだし!すげー!今の(19話の)渚との違いが一目瞭然すぎてすげー。

笑って手を振ってみたけど反応無く(気付かれず)、「私、教室でも影が薄いですから」と言う渚に対して、何も言い返せずに、憂鬱気に伏し目になる朋也。
「終わった世界に生きる少女。空虚な、静止した世界に生きる少女。ぼくはどうしてか、彼女のことが気になった」。このフレーズを思い出した。
・11:29 「岡崎さん、なんちゃらかんちゃら~」といったツッコミを入れない渚。うーむ、物語後半の姿とは隔世の感がある。さりげなく、何気に、自然に、渚も朋也の後についてきています。渚にも、朋也に対するちょっとした期待はあるのかも。今この時だけでも話ができる相手が欲しい、寂しかった、とか。自分が変わるきっかけか何か、勇気付けられる言葉か何かが貰えたら、とか。
勇気付けられること、きっかけがないと、動けない事が多い子ですから。だから、「あんぱん」とか「ハンバーグ」とか発するんです。自分で自分を勇気付けてる。
ここでの渚、手を胸の前で握ってたり。しょっちゅう自分の体を触ってる(自分の体を触る行為は不安の表れでもあります)。


アニメ版では結局触れられなかったのですが、原作テキストに、よく喋ったりよく笑顔を見せる渚に対し、朋也が「こんな俺にでも自分のいいところを見せようとしている」みたいに思った箇所があります。
ローテンション、落ち込み伏し目の、渚のこの笑顔や、反動をつけるくらいの可愛らしい動きは、なんか、それっぽい。学校にいる、たったひとりの知り合いに対し、友達に対し、いいところを見せようっていう。

16:58 パンを食べる朋也を待つ早苗さんが、なんか揺れてるんですけど、これ凄く、犬っぽいな、って思った。
19:08 古河家との会話に、朋也のモノローグが多いのが、【朋也】と【古河家】、その両者を浮き彫りにし、両者の違い・両者の視聴者との差も浮き彫りにしている。
家にいるから!渚の、声のトーンが!全然掠れてない!全然伏し目がちじゃない!
外に出ると、そんなこともなくなるんですけど。
家の中では猫、店ではひよこ。さて、これは何でしょう?
答え、早苗さんのエプロン。
○中庭渚

ひとりで、お昼ご飯。落ち込んでいる。自信なさげ。伏し目がちで、声もわずかに掠れている。渚一人で、後から朋也。
○窓の外は見える 1話、7:20

椋「遅刻しない方がいいと思います」「まるでクラス委員みたいなことを言うんだな」「みたいじゃなくて、私、クラス委員ですから」「大丈夫です、泣いてませんから…」

開いた窓だけでなく、閉じてる窓のむこうも見える。
占い。乙女のインスピレーションです。
杏登場。妹いじめてない。
「明日優しい女性と素敵な出会いがあるんだってよ」。「ふふ~ん」「別に」「まあ頑張んなさいよ」椋の占いが外れることを知っているから、杏、上機嫌。
○窓の外は見える 1話、13:54

春原vs智代、第一章。どっちも、嘘も隠し事も内面に向けられたものも内面フィルターかかったものも、何もありません。
○窓の外、見えない 1話 15:13

渚の頭に、どうしてか置いた「手」。(どうして置いたのか、当の朋也自身が分かっていない)
第2回。

『僕』の体を作っている少女。てゆうか、"ここ"は、どこだ?

いれものを作って、こっちにきてよ、と誘う少女。それを受け入れる、否、求めた『僕』。この世界でただひとつのぬくもり、いつしか、僕はそれを求めた。
実は少女の指が傷だらけ。
Bパート冒頭、演劇部室での会話。今からすると驚くくらいに、お互い気を遣いながら会話している。
のわりには、いきなり大声で「とんかつっ!」。なんかビックリしてしまった。
この状況なのに先刻まで相手に気を遣っていたのに、自分自身にかける言葉をいきなり大声で言ってしまうくらい瞬発的に、他者を考慮に入れず自分の世界に入れるのが渚でしょう。
だから、気付いたらひとりぼっちだし、光坂1話のようにクラスメイトに変なリアクション返したりしてしまう。そんな面もあるんじゃないかなぁ。
なぜ幽霊や生霊が痛みを持つのか、なぜ幽霊や生霊が物を持てるのか、なぜ幽霊や生霊が服を着ているのか、という意見は、1秒で論破できます。つまり、
そもそも幽霊や生霊が痛みを持たないのか、そもそも幽霊や生霊が物を持てないのか、そもそも幽霊や生霊が服を着れないのか、どうか。
オカシイところは何もないです。感覚が無いや、触れられない、という前提がそもそも立証されてませんので。
敢えて追記するとすれば、実体が無いから物を持てない・服を着れない、と考えられますけど、まあ多分、情報として認識上では物を持てている・服を着れている状態なんじゃないでしょうか。Aという対象にXという刺激を与えた状態が、物を持てている・服を着れている状態なんですけど、それを情報上で再現している――持っている・着ているという情報を対象と自身に与えれば、実質持っている・着ている状態になる、とか、そんな感じ。
そもそも、実体が無いと物を持てないのか・服を着れないのかっていう前提からして、少し疑問が残る――つうか幽霊や生霊に実体が無いのかというと、そこも疑問が残る。
なんでこんなこと書いたかというと、どっかで「幽霊が物を持つ・服を着るって変じゃね?」っていうのを見たから。
「お前がまた部活なんて忌まわしいものに興味を持つなんて驚いたよ」
「お前、部活する連中なんて吐き気がするほど嫌いって思ってたんだけどね」
この言葉に対し、あからさまに怒ってる朋也。
朋也はそんなこと思ってないんですね。全然。少なくともこの時点では確実に。
これを思ってるのは春原でしょう。この嬉々として、軽く上から目線で語るさま。まるで自分の言が正しい・賢い思考であるかのよう。そしてこの、正しい・賢い思考であるかのように語る姿は、そのまま、自分自身が"そう考えている"ことの証明でもある。つまり自己肯定としての、この語り。
春原の事情を察するに、「部活を嫌うのは正しい」と彼が考えることは、彼にとってまっとうだ。自分から捨てた、そして捨てた自分は正しい、とでも思わなきゃやってられないだろう。
これは同時に、彼自身が、過去の件の悔恨に対して、正面から向き合ってないことの証左になる。
・17:35 親父から逃げた先の、渚。
「いつも、いつだって不器用で~~」
こういうことを語れるのは、ここが、学校じゃなくて、渚の家の前――彼女の陣地だからかな。
自分の「弱い」を見せれる場所。
朋也もここで、渚に、ちょっとだけ見せる。
・21:19 シュートを打てない朋也。打てないとこの決定的な場面、崩れてるはずの彼のフォーム、それを見せない。
渚には見せている。視聴者には見せてない。
○中庭渚

ひとりぼっち掃除のとき。
今さら気付いたけど、1話の中庭の時と同じカメラの入り方。
幻想世界の窓の外は見えない。
○窓の外から 2話、6:26

春原の智代へのちょっかい後。
「こんなことは、これで終わりにして欲しいものだな」「けど、お前達を見てると、少しだけ懐かしい気もするな」「なんでもない、忘れてくれ」
智代側の窓は開いていて、朋也側は閉じている。
○窓の外 見える&見えない 2話、8:54

椋による、ことみの説明。
そして「あいつバイ」。
1話でもそうだったけど、辞書で窓ガラスを割らない為に開いてるみたいな。(感覚)
ここのシーン、だんだん、ガラスにかかった光が薄れていってる?
○窓の外、うっすら見える 2話、10:49

「まずは部員募集~~」
○窓の外見えない 超光ってる 2話、13:59

風子初登場。
スポンサーサイト
この記事のトラックバックURL
→http://bdkiss.blog54.fc2.com/tb.php/488-8d0a0460
この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)
この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)
この記事へのトラックバック
| BLOGTOP |