2008'03.12 (Wed) 04:42
非常に遅くなりましたが、アニメCLANNAD11話Bパートすぐの朋也が見た夢、原作にもある「ことみが本を読みながら朋也が見ている夢」(ならびにことみがこの時読んでいた本)が、尾崎翠『第七官界彷徨』だと知りまして、そちらの方を読んでみました。
以下、『第七官界彷徨』を参照しながら、この夢を多少なりとも解釈してみたいと思います。
(尚参照文献は、ちくま文庫の「尾崎翠集成(上)」で、引用文などもそちらからのものになります)
『第七官界彷徨』は、ある地方から出てきた女の子(小野町子)が、ふたりの兄とひとりの従兄弟と、ひとつ屋根の下で暮らす物語です。詳しい内容は、この『第七官界彷徨』を読んでほしい……としか言えない、あらすじを越えた部分が多々ある、かなり、説明のし難い作品です。
登場人物は以下の通り。
・小野町子 : 主人公である女の子。「人間の第七官」に響くような詩を書きたく思っているけれど、そもそも「第七官」がどんな形なのか明確な所は分かっていない。
・小野一助 : 医者。精神科医的存在。分裂心理の病院に勤めている。柳浩六とある患者の取り合いをする。その患者に惚れている節がある。
・小野二助 : 学生。論文を書くため、自室で二十日大根や蘚を栽培している。蘚が繁殖することを「恋愛」といったりする。
・佐田三五郎 : 音楽学校合格を目的にしている、が、勉強を真面目にやってるようには(読者には)見えない。たまに浪費癖。一浪生。
・柳浩六 : 小野一助の同僚。彼とある患者の取り合いをする。その患者に惚れているっぽい。

「漫才師養成学校に合格するために、バイオリンの練習をしているの」
ここでのことみは、「第七官界」の佐田三五郎な感じです。
「音楽学校に合格するため、それとは(合格の為の勉強とは)結び付かないことをしている」という佐田三五郎の目的と行動は、このことみの台詞の合致しています。
あと服装。「紺がすりの着物」と表現された佐田のそれと、ことみの服装。
「だんごのはなさけば~、わたしはうれしい」 の歌。


「パンを煮ているんです。今晩からだんご達が、恋をはじめるんです」
渚は小野二助な感じ。服装もそうですね。学生服の上に白衣。
この繁殖のために、いわゆる"肥やし"としてあるもの鍋で煮て、そこにかけます。渚は、パン。パンを煮たどっろどろの液体ですね。二助は、人糞。人糞を煮たどっろどろの液体をかけます。ええ、両者、色がそっくりです。熱々のモノをかけると良い、という点もそっくりです。両者を取違えてして見ると、たまったもんではありません(笑)。

椋は小野一助でしょうか。大き目のワイシャツという服装的にも。
「占いの結果、岡崎さんは分裂心理と診断されました」
「なんで占いでそんなことが分かるんだよ!」
「そんな見方こそが、分裂心理というものです」
相反する(抗争する)ふたつの心理が同時に同一人の意識内に存在する状態で、その心理の片一方は自覚していない場合もある。というものです。分裂心理の兆候があるとか、分裂心理の傾向がある程度なら、ある意味、誰に対してでも言えてしまう気がするほどのもの。
椋は占いで、朋也のことをこの「分裂心理」と診断します。兆候とか傾向ではなく、診断の結果として。朋也は、相反するふたつの心理を抱えている。
でも、椋の占いは「絶対に当らない」のですけどねw

ナース服を着ている、杏。椋が一助にあたるのなら、杏は柳浩六でしょうか。
どちらも、思いを寄せてる患者を取り合いします。「だめよ椋。そいつはあたしの患者よ」。
「パンを煮る香気は、じつに人間の心理を不健康にするものなのよ」
「それもまったく、パンを煮る香気のせいね」
「そのあいだに私はひとつの恋をしたようである」という書き出しで始まるこの物語、結局、小野町子が誰に恋をしたのか、"したようである"と書かれているとおりそれは本当に恋だったのか、そうでは無かったのか。その辺のこと、明確には記されていません。
岡崎朋也を小野町子に喩えるのなら、彼もまた、少なくともこの時点(この夢の時点)では、明確に"恋"が無かったのではないか、と見ることもできるでしょう。
椋の占いでは、朋也は「分裂心理」。
「分裂心理」の説明書きの後に、小野町子のそれに対する解釈が記されています。
ただ、「椋の占いは絶対外れる」からすれば、朋也は「分裂心理」ではない。
つまり、自覚の有無に関わらず、ふたりを同時に愛してはいない、ということです。
もうちょっと……たとえば「第七官」が(これをどう解釈するかも非常に微妙ではありますが)どう繋がるのかとかも考察できます。僕としては、「第七官」は(町子の言を真ととるならの仮定付ですが)異なるものも同一に見える感覚、つまり全てが同じに・一つに見える感覚で、それはこの物語の構成にあった(と、作者も述べている)「円環」のようにも見え、だからこそタイトルが「第七官界"彷徨"」で、クラナド的には「だんご大家族(町のアレの場面で発せられたソレ的な意味で)」みたいな……と思ったのですが、それやっちゃうとかなり広がっちゃって、このシーンにそこまで思慮に入れてないかもというか、さすがに妄想濃くなってしまうので割愛(とか言いつつ書いているという分裂心理)。
以下、『第七官界彷徨』を参照しながら、この夢を多少なりとも解釈してみたいと思います。
(尚参照文献は、ちくま文庫の「尾崎翠集成(上)」で、引用文などもそちらからのものになります)
【More】
『第七官界彷徨』は、ある地方から出てきた女の子(小野町子)が、ふたりの兄とひとりの従兄弟と、ひとつ屋根の下で暮らす物語です。詳しい内容は、この『第七官界彷徨』を読んでほしい……としか言えない、あらすじを越えた部分が多々ある、かなり、説明のし難い作品です。
よほど遠い過去のこと、秋から冬にかけての短い期間を、私は、変な家族の一員としてすごした。そしてそのあいだに私はひとつの恋をしたようである。(「第七官界彷徨」出だしの一文)という出だしでありつつも、はたして、恋愛物語などと言って良いのかどうか。
登場人物は以下の通り。
・小野町子 : 主人公である女の子。「人間の第七官」に響くような詩を書きたく思っているけれど、そもそも「第七官」がどんな形なのか明確な所は分かっていない。
・小野一助 : 医者。精神科医的存在。分裂心理の病院に勤めている。柳浩六とある患者の取り合いをする。その患者に惚れている節がある。
・小野二助 : 学生。論文を書くため、自室で二十日大根や蘚を栽培している。蘚が繁殖することを「恋愛」といったりする。
・佐田三五郎 : 音楽学校合格を目的にしている、が、勉強を真面目にやってるようには(読者には)見えない。たまに浪費癖。一浪生。
・柳浩六 : 小野一助の同僚。彼とある患者の取り合いをする。その患者に惚れているっぽい。

「漫才師養成学校に合格するために、バイオリンの練習をしているの」
ここでのことみは、「第七官界」の佐田三五郎な感じです。
「音楽学校に合格するため、それとは(合格の為の勉強とは)結び付かないことをしている」という佐田三五郎の目的と行動は、このことみの台詞の合致しています。
あと服装。「紺がすりの着物」と表現された佐田のそれと、ことみの服装。
「だんごのはなさけば~、わたしはうれしい」 の歌。
「こけのはなさけば、おれはうれしい、うれしいおれは」(P.52)


「パンを煮ているんです。今晩からだんご達が、恋をはじめるんです」
渚は小野二助な感じ。服装もそうですね。学生服の上に白衣。
二助の蘚が今晩から恋をはじめたんだ。(P.44)二助が、植物が繁殖していく様を「恋愛」と呼ぶのと同じ様に(?)、渚も、だんごが繁殖(?)していく様を「恋愛」と呼んでいる。
この繁殖のために、いわゆる"肥やし"としてあるもの鍋で煮て、そこにかけます。渚は、パン。パンを煮たどっろどろの液体ですね。二助は、人糞。人糞を煮たどっろどろの液体をかけます。ええ、両者、色がそっくりです。熱々のモノをかけると良い、という点もそっくりです。両者を取違えてして見ると、たまったもんではありません(笑)。

椋は小野一助でしょうか。大き目のワイシャツという服装的にも。
一助はこのごろいつもワイシャツとズボンの服装でまずそうに夕飯をたべ、そして洋服のバンドのたけが一寸も不要になったほど痩せてきたのである。(P.93)
「占いの結果、岡崎さんは分裂心理と診断されました」
「なんで占いでそんなことが分かるんだよ!」
「そんな見方こそが、分裂心理というものです」
「いったい二助ほど分裂心理の参考にされるのを厭う人間はいないようだ。それも一種の分裂心理にちがいない」『分裂心理』というのは、この『第七官界彷徨』で幾度も出てくる造語です。
「そんな見方こそ分裂心理だよ。人間を片っぱし病人扱いするのはじつに困った傾向だ」
「みろ、そんな見方こそ分裂心理というものだ。ひとの真面目な質問に答えようとしないで~~」(P.56)
相反する(抗争する)ふたつの心理が同時に同一人の意識内に存在する状態で、その心理の片一方は自覚していない場合もある。というものです。分裂心理の兆候があるとか、分裂心理の傾向がある程度なら、ある意味、誰に対してでも言えてしまう気がするほどのもの。
椋は占いで、朋也のことをこの「分裂心理」と診断します。兆候とか傾向ではなく、診断の結果として。朋也は、相反するふたつの心理を抱えている。
でも、椋の占いは「絶対に当らない」のですけどねw

ナース服を着ている、杏。椋が一助にあたるのなら、杏は柳浩六でしょうか。
どちらも、思いを寄せてる患者を取り合いします。「だめよ椋。そいつはあたしの患者よ」。
「パンを煮る香気は、じつに人間の心理を不健康にするものなのよ」
「それもまったく、パンを煮る香気のせいね」
「漢方薬の香気はじつに人間の心理を不健康にするからね」(P.121~P.122)
「それもまったく漢方薬の香気のせいだよ」(P.122)
「そのあいだに私はひとつの恋をしたようである」という書き出しで始まるこの物語、結局、小野町子が誰に恋をしたのか、"したようである"と書かれているとおりそれは本当に恋だったのか、そうでは無かったのか。その辺のこと、明確には記されていません。
岡崎朋也を小野町子に喩えるのなら、彼もまた、少なくともこの時点(この夢の時点)では、明確に"恋"が無かったのではないか、と見ることもできるでしょう。
椋の占いでは、朋也は「分裂心理」。
「分裂心理」の説明書きの後に、小野町子のそれに対する解釈が記されています。
これは一人の男が一度に二人の女を想っていることにちがいない。この男はA子もB子もおなじように愛しているのだが、A子とB子は男の心の中で、いつも喧嘩しているのであろう。(P.30)また、「A・B、二人の人を愛していながら、Aを愛していることは自覚し、Bを愛していることは自覚していない」これも分裂心理だという解釈例を示していました。
ただ、「椋の占いは絶対外れる」からすれば、朋也は「分裂心理」ではない。
つまり、自覚の有無に関わらず、ふたりを同時に愛してはいない、ということです。
もうちょっと……たとえば「第七官」が(これをどう解釈するかも非常に微妙ではありますが)どう繋がるのかとかも考察できます。僕としては、「第七官」は(町子の言を真ととるならの仮定付ですが)異なるものも同一に見える感覚、つまり全てが同じに・一つに見える感覚で、それはこの物語の構成にあった(と、作者も述べている)「円環」のようにも見え、だからこそタイトルが「第七官界"彷徨"」で、クラナド的には「だんご大家族(町のアレの場面で発せられたソレ的な意味で)」みたいな……と思ったのですが、それやっちゃうとかなり広がっちゃって、このシーンにそこまで思慮に入れてないかもというか、さすがに妄想濃くなってしまうので割愛(とか言いつつ書いているという分裂心理)。
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