CLANNAD -クラナド- 第21回 「学園祭にむけて」
2008-03-15
※以下には、京都アニメーションの「CLANNAD」21話までの内容が含まれています。 アニメのネタバレになりますので、閲覧の際にはご注意下さい。
※画面比率「4:3」視聴時の感想です。
そもそもお前、どうして演劇をやりたいんだ?経験ゼロだろ?
「好きだからです」
どんな所が?
「楽しいと思いました。みんなで演技するのって」
「私、小さい頃から、学芸会とかそういうの病気で欠席しちゃって…学校も休みがちだったから、練習にも参加できなくて…だから、みんなでお芝居するのに、とても憧れてたんです」
「高校では絶対演劇部に入ろうって思ってました。3年間、演劇頑張ろうって。でも、結局高校でも、あんまり学校にこれなくて……3年生になってからは、ずっと休んじゃって……」
「だけど、それでもやってみたいんです」
「私、何にも知らないし、拙かったり下手だったりするかもしれませんけど、それでも、できるところまでやってみたい」
「力を併せて、みんなで一つのことを頑張る。それは素晴らしいことだと思うんです」
「私、そういうのが……ただ、好きなんです」
(第3話)
みんなで一つのことをやるのに憧れて。そして実際、みんなと一つのことをできるようになる。
手を合わせての「演劇部、行くぞ!」とか、役者じゃない人も加わってる(アバンの)発声練習とか、みんなが台本持って、みんなが演劇部に集って、とか、とか、とか。
「みんなで一つのことを」というのを、軸にしてますね。
もしかして、渚の「みんなで一つのことを」ってのと、「だんご大家族が好き」ってのはかかってるのかも。
子供の頃から、学校の行事やその練習に、参加したいと思っても参加出来ず、それは一回や二回ではなく毎回のような(というか口ぶりからは、断定は出来ないけど、毎回)勢いで、この状況だとより、その参加したい――みんなで一つのことを頑張りたい――という願望は強まっていく。渚が「だんご大家族」を好きになったのが、いつからなのかは分かりませんけど、彼女のそういった願望が、『みんな一緒である、みんな一つ』のだんご大家族を好きであることに、拍車をかけた可能性は否定できません。
や、まあ、結論、出しようがないんですけども。
それはともかく、「みんなで一つのことを」というのを、軸にしてますね、多分。
3on3の時にもそう感じました。みんなで戦って応援して、みんなで走って逃げて、最後は春原のとこに集ってみんなで祝勝会。それは渚にとって、届かない高みにあったもの。

誰もいなかった部屋。でも今は、こんなにも大勢の人がいる。ひたむきに頑張り続ける渚と同じ時間を、そばにいて共有している。みんなで一緒に、喜びを分かち合うために。
渚の"やりたいこと"は、現在進行形で叶っているんですね。みんなで一つのことを、頑張る。
それは渚の夢で目標なのですが、そこに現れるは過去のこと。その先は来週以降のお話で。
……あ、違う。来週「以降」じゃない、来週「しか」無いんだった……orz
で、上の画像。渚から客観的になり渚を評する台詞を表現すべく、朋也が壁に寄り添ってこの空間に対する傍観者となっているのですが、この場面に限らず、今回の朋也は全体的に、渚に対しては主体的に動くのですが、物語に対しては(つうか逆、物語が朋也に対してですけど)傍観的でした。つまり、渚に対して後押しとか励ます・見守る的なことをするんですけど、決定的な部分は渚自身にあり、朋也はあくまでフォロー。お話の主軸は渚で、朋也では無いんですよね。現時点での、現在進行形のお話では。
「辿り着きたい場所が出来たんだ」と3on3の時に語った朋也。その「辿り着きたい場所」、それが何なのかは言葉にされてませんが、これが発せられた文脈から想像はできます。
てか、何で俺こんなに頑張ってんだ…バスケの試合。状況は劣勢。
勝てるわけねーだろ…こいつら毎日、すげー練習やってんだぜ。
俺はどうだ。二年間怠惰に過ごしてきただけだ。
結果は分かってたんだ。
くだらない。
こんな試合するんじゃなかった。
惨めなだけだ。
惨めな……
渚「岡崎さん、シュートです」
だけど……
そんな俺にだって、辿り着きたい場所が出来たんだ。
諦めた方がよっぽど楽。つか、続けるだけ惨め。こんなに頑張ってどうすんだ。くだらない。惨めなだけ。結果はやる前から分かっていた。それでも試合なんかして、何のつもりだったんだか。届くとでも思ったのか。もしも頑張れば、届くかもと思ったのか。くだらない。届くはずもない。そんなこと思って、こんなことやるなんて、惨めなだけだ。惨めな…。
こんな感じの朋也の思考。脳裏に浮かぶのはここまでのこと。色んな人の思い、色んな人に対する思い。あの雨の日の、バスケットコートでの、不格好なシュート。
やったって届かない。頑張ったってしょうがない。不格好なシュートの姿勢は治らない。もう手に入らないものは手に入らないし、もう届かないものは届かない。
諦め。けれどそれは、朋也にとっては普通のこと。
頑張らない。くだらないと、最初から手を出さない。それも、朋也にとっては普通のこと。今までずっとそれで来た。家のこと、親父のこと、肩の怪我のこと。
渚と出会う前の朋也の日々。適当に学校を過ごし、適当に放課後を過ごしてきた。一人ぶらつく街並みも、春原と楽しげに笑う時間も。そこに打ち込んでいるわけでもないし、大事に思っているわけでもない。ただただ、時間を潰すように過ごしてきた。目標があるわけでもなく、情熱を傾ける何かがあるわけでもない。そんな、のっぺらぼうな一日を積み重ねて、毎日にしてきた。
そういった思い。諦める。頑張らない。惨め。最初からやらない。多分、朋也一人だったら、何にも懸かっていなかったら、きっとここで諦めていたでしょう。昔の彼のように。
そういった、渚と出会う前に持っていた思いに傾いていた朋也を、一気に、引き戻したのが、彼がここに至ったきっかけである、渚の言葉。
それで朋也は、自覚する。「そんな俺にだって、辿り着きたい場所が出来たんだ」と。
渚の言葉で辿り着きたい場所ができ(自覚し)、諦めるのをやめて、惨めなのも不格好なのも気にせず、精一杯頑張る。それは「辿り着きたい場所が出来る前」の、逆――頑張るし、諦めないし、不格好なのも気にしないということ。つまり、不格好でも諦めないで頑張る、それが「辿り着きたい場所」へ辿り着く手段。
"渚の言葉で"なのだから、きっかけは"渚"でしょう。今こんなこと(バスケの試合)している理由と、渚。今ここに至った理由と、渚。前者は朋也の、"不格好でも頑張る、諦めない"ということ(演劇部再建へのあがき)で、後者は渚の"不格好でも頑張る、諦めない"ということを見てきたからでしょう。
この思いが渚によってもたらされたものならば、辿り着きたい場所もまた、渚との先にあるのではないでしょうか。
それが明確になるのも、来週以降のお話で。
って、来週「しか」無いんだった……orz

