2008'03.22 (Sat) 04:37
※以下には、京都アニメーションの「CLANNAD」22話までの内容が含まれています。
アニメのネタバレになりますので、閲覧の際にはご注意下さい。
※画面比率「4:3」視聴時の感想です。
※感想前編になります。主に、つうか全て渚のこと。それ以外についての後編は、のちほど。
実は。
気付いていなかったけど。
今まで、自分の夢を叶えるため、目標を達成するため、他人の多くのモノを犠牲にしていた。
これから演劇、これから本番。これから夢を叶える時、これから目標を達成する時。
今立っている場所は、その"これから"に面している、そういう場所なのだけど。
でも、今ここに、渚が立てているのは、多くの犠牲があったから。
父や母の夢を犠牲にして。友達の時間を犠牲にして。
それで今、ここに立てている。
『自分が今ここに居る所為で犠牲にしてきたもの』。
その事に、どう接すればいいのか。
自分が沢山のものを犠牲にしていること。沢山のものの犠牲の上に、夢を叶えようということ。
朋也は言った。
ここで渚は、一度、演劇をやろうという方向に傾きます。
心に引っかかっている、『自分が今ここに居る所為で犠牲にしたもの』――ここで自明であり問題となっているのは、両親のことと友達のことですが、その後者に対して、"どういう風に接するべきか・自分の中でのそれにどういう意味を与えるか"、という問題が解決したからです。
ここに来るまでで、沢山の人の時間を使わせてしまった。迷惑もかけたかもしれない。
そこに大きな自責を感じる。そこに大きな罪悪を感じる。人を犠牲にして、自分の夢を叶えようだなんて。
だから止めよう、と一度は思ったのですが。
その『犠牲』の当の本人(朋也)から。今ここで止められると、使った時間もかけた努力も全て無駄になる、だから止めるな、と言われる。
それを受けて渚は、『みんなで作り上げた舞台』と認識する。
そう、そこに他人の時間なり努力なり苦労なり、他人の何らかがかかっているのなら。それは一人で作り上げたものではなく、"みんなで"作り上げたもの。そう捉えることができる。
『犠牲』とは、ただの、ひとつの、捉え方。
かくして、いったんは演劇を行おうと決意した渚。しかしそれでも、心に引っかかっているものはあります。
資料室前で見せた深い逡巡のように、いったんは演劇を行うと決意したのに、それでも、どうしても、引っかかってしまう。親のこと。その犠牲のこと。
この秋生の姿、演劇に打ち込む姿勢、彼の夢を、ビデオで現物として現実として見てしまった、渚。
確固として秋生に夢があって、確実に秋生はそれに熱意を持っていて、確信にその頓挫は自分の所為だと知った、渚。
友達に迷惑をかけている、時間や労力を犠牲にしている、は。
その友達の言葉で、「あの時間や労力は無駄ではなく、夢を叶えるための努力」に変わった。
そのことには。
『犠牲』ではない捉え方ができ、『犠牲』ではないことを証明する応え方ができた。
でもまだ、もうひとつ。
親の、諦めてしまった夢、という『犠牲』がある。
たとえ二人が幸せだろうとなんだろうと、たとえ二人が今の生活に後悔してなかろうと満足していようとなんだろうと、二人が渚の所為で・渚の為に『夢を諦めた』というのは、渚にとっては事実。
二人が夢を諦めた、という、絶対的な事実がある。
でも。
本当に、二人は夢を諦めたのでしょうか。
渚が大切だと分かったから、渚と一緒にいることを決めたのですけど。
夢よりも、もっと大事なものが出来たから、その夢を捨てることを決めたのですけど。
でも、それは本当に、『捨てた』ということなのでしょうか。
もっと大きな夢に、その自分の夢を変えただけではないでしょうか。
親の夢は、子の夢。
それは、俺の代わりに演劇をやれ、なんて意味じゃなくて。俺の代わりにお前の夢を叶えろ、なんて意味でもなくて。
ただ単純に。
秋生の、そして早苗の夢は、渚が『夢を叶えて』くれること。
どんな夢でもいい。どんな夢だっていい。渚が選んで、渚が決めて、渚が叶えるのならば、それでいい。
親の夢は、子が自分の夢を叶えてくれること。
あの日……演劇の夢を変えて、違う夢を望み始めた日からずっと。
パンを焼きながら、日々の生活を送りながら、その違う夢が叶う日――渚が夢を叶える日を、ずっと、待っていた。
それを、『犠牲』と捉えるか、あるいはそうではないものと捉えるか。
「お前はお前」。
秋生が演劇に打ち込んでいたことを、ビデオテープで見て、間違いようの無い完全な事実として知ってしまい、彼らの事を『犠牲』と思い、拭い様の無い完全な自責を抱いた渚に、朋也がかけた言葉。
「お前はお前」……当然ながら、人は誰しもが、「自分は自分」、です。
しかし、その言葉の捉え方は、ここでの朋也の言葉が渚に響かなかったように、単純に一つではありません。
朋也が言ってる「お前はお前」は、
お前は、おっさんや早苗さんとは違うし、彼らの何らかに対して責を負う必要は決して無い。今ここで演劇をやる為に頑張ってきて、今ここでその目標が目の前にある、『今ここにいる古河渚という人間』だ――古河渚は、"今ここにいる古河渚という人間"、それ以外のものを背負う必要は無い――ということ。
だから背負うなと。責任を負って、犠牲を背負って、自責を抱いて罪悪を感じる必要はないのだと、朋也は言っている。
けど。
渚の中にある「お前はお前」――つまり「自分は自分」は、
私は、お父さんやお母さんとは違う人間で、彼らの何らかに対して責を負う必要は決して無いのだけれど。私が今ここに居るのは、お父さんやお母さんが夢を諦め私と一緒に居ることにしたからであって、私が今目標の目の前に立っているのは、お父さんやお母さんが目標を諦め私と一緒に居てくれたからであって、今ここにいる古河渚という人間は、今ここに見えるものだけでできているのではなく、過去があってここに居る人間であるから――古河渚は、"今ここにいる古河渚という人間"、それを作り出したものも背負うべきである――ということ。
だから背負うべきである。そこに責任はあるし、その犠牲は自分の為なのだから、自責を抱いて罪悪を感じる必要がある。


過去は、どこまでいっても"ただの過去"でしかありませんが、現在と繋がっていない、ということはありません。過去があって、現在がある。それが大きかろうが小さかろうが。過去は現在の自分の形成に役割を果たしている。
その、自分を形成する過去の中に、今どうしても、無視できないものがある。
たとえそれが、自分を形成する一部分とはいえ、自分の構成要素が――つまり、"自分"が、自分の大切な人を苦しめたのではないか、重荷になってしまったのではないか。今の"自分"に成るために、自分の大切な人を、その夢を、犠牲にしてしまったのではないか。
かつて、渚が「謝らなければいけないことがある」と言っていたこと。その事。
そういった、渚の『過去』。
その過去は、一体、自分の中での何なのか。
渚の中でのその過去は、"謝らなくてはならないこと"。
友達がいる。みんながやってきたことを無駄にするわけにはいかない。だから、舞台に立つ。
でも、そこから先は進めない。謝らなくてはいけないことだと思っている過去があるから。犠牲を強いていると思っている過去があるから。
そこに投げかけられる、秋生の言葉。
さらに投げかけられる、朋也の言葉。
『犠牲』とは何なのか。そんなものは、ただの『捉え方』でしかないんです。
誰かが、自分に対し何かしらを使った・負ったことを、『犠牲』とみるか、それとも、それは自分の力となってそのお陰でここまでこれたというように見るか。―――今の自分は、『みんなで作り上げた』もの、としてみるか。今の自分に、このみんなの努力が、思いが、内包されていると見るか。
中身は何も変わってなくても。捉え方を変えれば、このように変わる。
それを『犠牲』と見るか。
それとも。
みんなの力、その時間や努力や苦労や、思いも、そこに内包されていて、自分が引き受けているものと見るか。
そして渚は、それを、『犠牲ではない』と見た。
過去は、自分の為の犠牲なんかではない。
それは、他人の、夢であって、思いである。
みんなが演劇部の再建に、演劇部の練習に、演劇の公演に、使った時間や労力は、『犠牲』なんかではなくて。みんなそれぞれの叶えたいことや託している思いの表れ。
両親が追っていた夢を止めて、渚の生活に、渚の成長に、渚の夢に、使った時間や労力は、『犠牲』なんかではなくて。彼らの新しい夢の、そこに託している思いの現れ。
渚に内包されているその過去は。
自分のために犠牲になった人がいるということではなくて。
自分のために犠牲になった人がいるから今があるのではなくて。
自分の夢に夢を見て、自分を支えて、自分を手伝ってくれた人がいるということ。
自分の夢に夢を見て、自分を支えて、自分を手伝ってくれた人がいて、その夢や思いがあるから、今があるということ。
ここで、渚が、劇をやらないことは。
彼らの行動や思いが、渚の夢に繋がらなかったという事の証明。渚に届かず、無駄になったという事の証左。
逆に言えば。
ここで、渚が、劇をやることは。
彼らの行動や思いが、渚の夢に繋がったという事の証明。渚に届いて、無駄にならなかったという事の証左。
だから、劇をやる。
自分の夢を叶えて、他人の夢も叶えて、他人の思いものせて。
他者の思いも自分に内包して、前へと、その人(の思い)も一緒に連れて歩いていける。
ということで、感想前編渚編終わり! こないだ書いてしまった「なんで杏・椋・ことみが演劇部にいて活動しまくってん?」から端を発して記された(モノになる予定の。まだ書いてないんでw)後編がございます。多少前編と内容は被るっぽいです。
【追記】
後編→http://bdkiss.blog54.fc2.com/blog-entry-502.html
内容は被るっぽいというか、前編の内容を、ある程度前提としたものになってるっぽいです。
アニメのネタバレになりますので、閲覧の際にはご注意下さい。
※画面比率「4:3」視聴時の感想です。
※感想前編になります。主に、つうか全て渚のこと。それ以外についての後編は、のちほど。
【More】
朋也「あの二人は今だって幸せなはずだ」
渚「夢は諦めてしまいました、違いますか」
渚「そして今私は、二人の夢を犠牲にして、自分の夢だけ叶えようとしているんです」
渚「自分の夢を叶える為に、みなさんの時間を沢山使わせてしまっています」
朋也「俺たちは好きでやってるんだ。今お前が挫けてしまったら、俺たちのやってきたことが無駄になっちまう」
朋也「みんなでここまでやってきたんだ、頑張ろうぜ」
実は。
気付いていなかったけど。
今まで、自分の夢を叶えるため、目標を達成するため、他人の多くのモノを犠牲にしていた。
これから演劇、これから本番。これから夢を叶える時、これから目標を達成する時。
今立っている場所は、その"これから"に面している、そういう場所なのだけど。
でも、今ここに、渚が立てているのは、多くの犠牲があったから。
父や母の夢を犠牲にして。友達の時間を犠牲にして。
それで今、ここに立てている。
『自分が今ここに居る所為で犠牲にしてきたもの』。
その事に、どう接すればいいのか。
自分が沢山のものを犠牲にしていること。沢山のものの犠牲の上に、夢を叶えようということ。
朋也は言った。
渚「自分の夢を叶える為に、みなさんの時間を沢山使わせてしまっています」
朋也「俺たちは好きでやってるんだ。今お前が挫けてしまったら、俺たちのやってきたことが無駄になっちまう」
朋也「みんなでここまでやってきたんだ、頑張ろうぜ」
ここで渚は、一度、演劇をやろうという方向に傾きます。
心に引っかかっている、『自分が今ここに居る所為で犠牲にしたもの』――ここで自明であり問題となっているのは、両親のことと友達のことですが、その後者に対して、"どういう風に接するべきか・自分の中でのそれにどういう意味を与えるか"、という問題が解決したからです。
ここに来るまでで、沢山の人の時間を使わせてしまった。迷惑もかけたかもしれない。
そこに大きな自責を感じる。そこに大きな罪悪を感じる。人を犠牲にして、自分の夢を叶えようだなんて。
だから止めよう、と一度は思ったのですが。
その『犠牲』の当の本人(朋也)から。今ここで止められると、使った時間もかけた努力も全て無駄になる、だから止めるな、と言われる。
それを受けて渚は、『みんなで作り上げた舞台』と認識する。
渚「みんなで作り上げた舞台なのに、私の所為で台無しにしてしまう訳にはいかないです」
そう、そこに他人の時間なり努力なり苦労なり、他人の何らかがかかっているのなら。それは一人で作り上げたものではなく、"みんなで"作り上げたもの。そう捉えることができる。
『犠牲』とは、ただの、ひとつの、捉え方。
かくして、いったんは演劇を行おうと決意した渚。しかしそれでも、心に引っかかっているものはあります。
資料室前で見せた深い逡巡のように、いったんは演劇を行うと決意したのに、それでも、どうしても、引っかかってしまう。親のこと。その犠牲のこと。
秋生「俺は芝居が、好きだーー!!」
秋生「俺はこれからも一生舞台に立ち続ける!!」
秋生「演劇、最高ーーー!!」
この秋生の姿、演劇に打ち込む姿勢、彼の夢を、ビデオで現物として現実として見てしまった、渚。
確固として秋生に夢があって、確実に秋生はそれに熱意を持っていて、確信にその頓挫は自分の所為だと知った、渚。
友達に迷惑をかけている、時間や労力を犠牲にしている、は。
その友達の言葉で、「あの時間や労力は無駄ではなく、夢を叶えるための努力」に変わった。
そのことには。
『犠牲』ではない捉え方ができ、『犠牲』ではないことを証明する応え方ができた。
でもまだ、もうひとつ。
親の、諦めてしまった夢、という『犠牲』がある。
朋也「あの二人は今だって幸せなはずだ」
渚「夢は諦めてしまいました、違いますか」
たとえ二人が幸せだろうとなんだろうと、たとえ二人が今の生活に後悔してなかろうと満足していようとなんだろうと、二人が渚の所為で・渚の為に『夢を諦めた』というのは、渚にとっては事実。
二人が夢を諦めた、という、絶対的な事実がある。
でも。
本当に、二人は夢を諦めたのでしょうか。
渚が大切だと分かったから、渚と一緒にいることを決めたのですけど。
夢よりも、もっと大事なものが出来たから、その夢を捨てることを決めたのですけど。
でも、それは本当に、『捨てた』ということなのでしょうか。
もっと大きな夢に、その自分の夢を変えただけではないでしょうか。
秋生「俺たちは、お前が夢叶えるのを夢みてんだよ!」
秋生「あの日からずっと……パン焼きながらずっと、俺たちはそれ待ち焦がれて生きてきたんだよ!!」
親の夢は、子の夢。
それは、俺の代わりに演劇をやれ、なんて意味じゃなくて。俺の代わりにお前の夢を叶えろ、なんて意味でもなくて。
ただ単純に。
秋生の、そして早苗の夢は、渚が『夢を叶えて』くれること。
どんな夢でもいい。どんな夢だっていい。渚が選んで、渚が決めて、渚が叶えるのならば、それでいい。
親の夢は、子が自分の夢を叶えてくれること。
あの日……演劇の夢を変えて、違う夢を望み始めた日からずっと。
パンを焼きながら、日々の生活を送りながら、その違う夢が叶う日――渚が夢を叶える日を、ずっと、待っていた。
それを、『犠牲』と捉えるか、あるいはそうではないものと捉えるか。
「お前はお前」。
秋生が演劇に打ち込んでいたことを、ビデオテープで見て、間違いようの無い完全な事実として知ってしまい、彼らの事を『犠牲』と思い、拭い様の無い完全な自責を抱いた渚に、朋也がかけた言葉。
「お前はお前」……当然ながら、人は誰しもが、「自分は自分」、です。
しかし、その言葉の捉え方は、ここでの朋也の言葉が渚に響かなかったように、単純に一つではありません。
朋也が言ってる「お前はお前」は、
お前は、おっさんや早苗さんとは違うし、彼らの何らかに対して責を負う必要は決して無い。今ここで演劇をやる為に頑張ってきて、今ここでその目標が目の前にある、『今ここにいる古河渚という人間』だ――古河渚は、"今ここにいる古河渚という人間"、それ以外のものを背負う必要は無い――ということ。
だから背負うなと。責任を負って、犠牲を背負って、自責を抱いて罪悪を感じる必要はないのだと、朋也は言っている。
けど。
渚の中にある「お前はお前」――つまり「自分は自分」は、
私は、お父さんやお母さんとは違う人間で、彼らの何らかに対して責を負う必要は決して無いのだけれど。私が今ここに居るのは、お父さんやお母さんが夢を諦め私と一緒に居ることにしたからであって、私が今目標の目の前に立っているのは、お父さんやお母さんが目標を諦め私と一緒に居てくれたからであって、今ここにいる古河渚という人間は、今ここに見えるものだけでできているのではなく、過去があってここに居る人間であるから――古河渚は、"今ここにいる古河渚という人間"、それを作り出したものも背負うべきである――ということ。
だから背負うべきである。そこに責任はあるし、その犠牲は自分の為なのだから、自責を抱いて罪悪を感じる必要がある。


過去は、どこまでいっても"ただの過去"でしかありませんが、現在と繋がっていない、ということはありません。過去があって、現在がある。それが大きかろうが小さかろうが。過去は現在の自分の形成に役割を果たしている。
その、自分を形成する過去の中に、今どうしても、無視できないものがある。
たとえそれが、自分を形成する一部分とはいえ、自分の構成要素が――つまり、"自分"が、自分の大切な人を苦しめたのではないか、重荷になってしまったのではないか。今の"自分"に成るために、自分の大切な人を、その夢を、犠牲にしてしまったのではないか。
かつて、渚が「謝らなければいけないことがある」と言っていたこと。その事。
そういった、渚の『過去』。
その過去は、一体、自分の中での何なのか。
渚の中でのその過去は、"謝らなくてはならないこと"。
友達がいる。みんながやってきたことを無駄にするわけにはいかない。だから、舞台に立つ。
でも、そこから先は進めない。謝らなくてはいけないことだと思っている過去があるから。犠牲を強いていると思っている過去があるから。
そこに投げかけられる、秋生の言葉。
秋生「俺たちは、お前が夢叶えるのを夢みてんだよ!」
秋生「あの日からずっと……パン焼きながらずっと、俺たちはそれ待ち焦がれて生きてきたんだよ!!」
さらに投げかけられる、朋也の言葉。
朋也「俺や春原ができなかったことを、今お前が叶えようとしてくれてるんだ!」
朋也「俺たちの挫折した思いも、お前が今背負ってるんだよ!」
『犠牲』とは何なのか。そんなものは、ただの『捉え方』でしかないんです。
誰かが、自分に対し何かしらを使った・負ったことを、『犠牲』とみるか、それとも、それは自分の力となってそのお陰でここまでこれたというように見るか。―――今の自分は、『みんなで作り上げた』もの、としてみるか。今の自分に、このみんなの努力が、思いが、内包されていると見るか。
中身は何も変わってなくても。捉え方を変えれば、このように変わる。
それを『犠牲』と見るか。
それとも。
みんなの力、その時間や努力や苦労や、思いも、そこに内包されていて、自分が引き受けているものと見るか。
そして渚は、それを、『犠牲ではない』と見た。
過去は、自分の為の犠牲なんかではない。
それは、他人の、夢であって、思いである。
みんなが演劇部の再建に、演劇部の練習に、演劇の公演に、使った時間や労力は、『犠牲』なんかではなくて。みんなそれぞれの叶えたいことや託している思いの表れ。
両親が追っていた夢を止めて、渚の生活に、渚の成長に、渚の夢に、使った時間や労力は、『犠牲』なんかではなくて。彼らの新しい夢の、そこに託している思いの現れ。
渚に内包されているその過去は。
自分のために犠牲になった人がいるということではなくて。
自分のために犠牲になった人がいるから今があるのではなくて。
自分の夢に夢を見て、自分を支えて、自分を手伝ってくれた人がいるということ。
自分の夢に夢を見て、自分を支えて、自分を手伝ってくれた人がいて、その夢や思いがあるから、今があるということ。
ここで、渚が、劇をやらないことは。
彼らの行動や思いが、渚の夢に繋がらなかったという事の証明。渚に届かず、無駄になったという事の証左。
逆に言えば。
ここで、渚が、劇をやることは。
彼らの行動や思いが、渚の夢に繋がったという事の証明。渚に届いて、無駄にならなかったという事の証左。
だから、劇をやる。
自分の夢を叶えて、他人の夢も叶えて、他人の思いものせて。
他者の思いも自分に内包して、前へと、その人(の思い)も一緒に連れて歩いていける。
ということで、感想前編渚編終わり! こないだ書いてしまった「なんで杏・椋・ことみが演劇部にいて活動しまくってん?」から端を発して記された(モノになる予定の。まだ書いてないんでw)後編がございます。多少前編と内容は被るっぽいです。
【追記】
後編→http://bdkiss.blog54.fc2.com/blog-entry-502.html
内容は被るっぽいというか、前編の内容を、ある程度前提としたものになってるっぽいです。
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