2008'03.25 (Tue) 21:32
keyの物語ってゲーム開始時がはじまりのように見せかけて、その実もっと前からはじまっていたり、だったり。Keyっていうか色んなギャルゲーに当て嵌まりそうだけど、鍵ゲー以外殆どやらないからそこには踏み込めないけど。
もちろん全部が全部そうではなくて、例えば幼馴染とか以前からの友達とかは除外されるんだけど。
てゆうか『CLANNAD』と『Kanon』しか念頭に置いてないんだけど。まあそれはともかく。
たとえば『CLANNAD』だったら、渚・ことみ・風子・智代は、ゲーム開始後に岡崎朋也が出会う人間で、それぞれのルートって意味での物語の開始場所も、朋也が彼女たちと出会った時、少なくともゲーム開始後、みたいに見えます。杏はゲーム開始前から朋也と知り合いで、お互い相手に感情を抱いていて、ゲーム開始時には既に物語がはじまってるんだけど、他のキャラは全く知らない状態なので、ゲーム開始時にはまだ物語ははじまっていない。プレイヤーがスタートボタンを押して、はじめて物語がはじまるように見える。
のだけど。
昔の親の夢どうこうとか過去の諦めとかが色々絡む渚のお話とか、出会う前に既に事故ってた風子のお話しとか。実は過去に出会ってた、なんてことみは典型的。
実はそれぞれ、過去のアレコレとかが、そのルートの物語で非常に重要になってきて、つまりゲーム開始時にはそれと気付けなかっただけで、「物語は既にはじまっていた」ということになる。
今のこの性格を形成しているのは過去があって、てのは当然だけど、それ以上の意味を、過去が、物語の中で成している。そんだけ過去が強いんだから、物語の開始時点って、「その過去」なんじゃねっていう。
『CLANNAD』のことみシナリオとか、『Kanon』の栞以外は、過去に主人公とその人物が出会って(どころか、ある程度の因縁を作って)いるので、むしろ物語開始がゲームスタート時からみて過去であるのは当たり前なんですけど、ゲーム開始時には"そうであるということ"がわからない、っていうかかなりゲーム(物語)を進めないとわからない。ああ、ギャルゲーってどの物語(誰ルート)だろうと、大抵スタート地点は一緒だから、こういうことが起こる……というか、ストーリーとプロットが基本的には同じで、特に共通ルート時に過去の話をするのが難しい(だから夢とか、寝てる間に見る記憶とかになっちゃいやすい)から、物語を結構なくらい進めないと判明しなかったりするのか。
…ああ、"実は因縁がある"、っていうのがいいのか。そこには"実は彼と彼女である必然性がある"というのが生まれるから。これが実はじゃなくて、最初から因縁があるとわかっていると、数いる子の中からその子を選んだことが(その子ルートに進んだことが)、主体的なものじゃなくて、いかにもお膳立てされたもののようになってしまう。メインの子というか、圧倒的にメインのお話が一本あってそれで、っていうのならいいんだろうけど、そうじゃないと他の子の、他のお話が、メインのお話の運命から比べればおまけにしかならないよな、という。選んだこの物語はこの作品の中ではメインじゃ無いが、俺にとってはメインだ、という強度を出すのが厳しくなる。とか。だから「みずいろ」冒頭の過去パートは案外薄いものだったんだ、とか(当てずっぽう)。
で、話を戻しまして。
そういう、過去からの因縁がある物語は、まあその前提であるのですから当然、彼と彼女であるという必然性が、運命が、生まれるわけですけど。
そうではない……『CLANNAD』でいえば、渚とか、風子とか智代とかでも、絡む過去を隠しといて後で露見する――物語が実は過去からはじまっている――というのでも。
かえって運命的というか、相手が"朋也である"ということの必然性を生み出してるように見える、っていうか。過去のアレコレが絡んでくるお話で、それを乗り越えるなり受け入れるなりに、主人公がこいつ(朋也)である、ということが、まるで必然的に思えてくる。過去のトラウマでも呪縛でも軋轢でもなんでもいいんですけど、過去には、朋也がいなかったから、それがトラウマや呪縛や軋轢になった。けれど今は、朋也がいるからそれを乗り越えられた・受け入れられた――みたいなのが、つまり過去を表出し、それを乗り越えたり受け入れたりすることは、今ここにいる彼と彼女じゃなきゃできないことで、そこに必然性が担保されてる、とか。
で、必然があれば当然運命であって。たとえば、現在自分がここにいることが必然だとすれば、過去はここに(その必然に)至るための運命である、といえる。
必然って言っても、この物語において(この物語にするには)必然なだけであって、この物語からすれば必然なだけであって、違う物語ならまったく必然じゃない――たとえば渚の相手が朋也じゃなくて春原なら、この物語じゃないけれど、違う物語が生まれる。その違う物語の存在には、春原が必然である――なんですけど、ゲームの中のそのキャラクターの物語はひとつ、正統ルートはひとつであって(少なくともCLANNADにおいては一つであって)(渚ルートのBADではない正統なものはあの一つしかないように)、他のが描かれる可能性が存在しない以上、彼と彼女であることは、物語の中じゃ"必然"であって、そして"運命"でもある。
って、これだけじゃ「実は物語は過去にはじまっている」である意味が薄いなあ。
プレイヤーが知らないこと、ってのが重要なんでしょうか。
スタートボタン押したところが物語の始点かと思ったら、実はとっくにはじまっていた。こっちはそれがスタート地点かと思ってたけど、実はインメディアスレースだった。読み手にとっては、なんか因縁なり因果なり運命なり必然なりがいきなり出てきたようなもので、ある種醒めやすいっていうか、またかよーまた過去のトラウマモノかよー、みたいな感じではあるんだけど、物語のはじまる前(と見えていた)知らないものが重要になってしまうというところが、因縁めいている、とか。過去が重要になるってことを知ってたら、そりゃただの順当であって、知らないからこそ、因縁とか運命とか感じえる、とか。
もちろん全部が全部そうではなくて、例えば幼馴染とか以前からの友達とかは除外されるんだけど。
てゆうか『CLANNAD』と『Kanon』しか念頭に置いてないんだけど。まあそれはともかく。
たとえば『CLANNAD』だったら、渚・ことみ・風子・智代は、ゲーム開始後に岡崎朋也が出会う人間で、それぞれのルートって意味での物語の開始場所も、朋也が彼女たちと出会った時、少なくともゲーム開始後、みたいに見えます。杏はゲーム開始前から朋也と知り合いで、お互い相手に感情を抱いていて、ゲーム開始時には既に物語がはじまってるんだけど、他のキャラは全く知らない状態なので、ゲーム開始時にはまだ物語ははじまっていない。プレイヤーがスタートボタンを押して、はじめて物語がはじまるように見える。
のだけど。
昔の親の夢どうこうとか過去の諦めとかが色々絡む渚のお話とか、出会う前に既に事故ってた風子のお話しとか。実は過去に出会ってた、なんてことみは典型的。
実はそれぞれ、過去のアレコレとかが、そのルートの物語で非常に重要になってきて、つまりゲーム開始時にはそれと気付けなかっただけで、「物語は既にはじまっていた」ということになる。
今のこの性格を形成しているのは過去があって、てのは当然だけど、それ以上の意味を、過去が、物語の中で成している。そんだけ過去が強いんだから、物語の開始時点って、「その過去」なんじゃねっていう。
『CLANNAD』のことみシナリオとか、『Kanon』の栞以外は、過去に主人公とその人物が出会って(どころか、ある程度の因縁を作って)いるので、むしろ物語開始がゲームスタート時からみて過去であるのは当たり前なんですけど、ゲーム開始時には"そうであるということ"がわからない、っていうかかなりゲーム(物語)を進めないとわからない。ああ、ギャルゲーってどの物語(誰ルート)だろうと、大抵スタート地点は一緒だから、こういうことが起こる……というか、ストーリーとプロットが基本的には同じで、特に共通ルート時に過去の話をするのが難しい(だから夢とか、寝てる間に見る記憶とかになっちゃいやすい)から、物語を結構なくらい進めないと判明しなかったりするのか。
…ああ、"実は因縁がある"、っていうのがいいのか。そこには"実は彼と彼女である必然性がある"というのが生まれるから。これが実はじゃなくて、最初から因縁があるとわかっていると、数いる子の中からその子を選んだことが(その子ルートに進んだことが)、主体的なものじゃなくて、いかにもお膳立てされたもののようになってしまう。メインの子というか、圧倒的にメインのお話が一本あってそれで、っていうのならいいんだろうけど、そうじゃないと他の子の、他のお話が、メインのお話の運命から比べればおまけにしかならないよな、という。選んだこの物語はこの作品の中ではメインじゃ無いが、俺にとってはメインだ、という強度を出すのが厳しくなる。とか。だから「みずいろ」冒頭の過去パートは案外薄いものだったんだ、とか(当てずっぽう)。
で、話を戻しまして。
そういう、過去からの因縁がある物語は、まあその前提であるのですから当然、彼と彼女であるという必然性が、運命が、生まれるわけですけど。
そうではない……『CLANNAD』でいえば、渚とか、風子とか智代とかでも、絡む過去を隠しといて後で露見する――物語が実は過去からはじまっている――というのでも。
かえって運命的というか、相手が"朋也である"ということの必然性を生み出してるように見える、っていうか。過去のアレコレが絡んでくるお話で、それを乗り越えるなり受け入れるなりに、主人公がこいつ(朋也)である、ということが、まるで必然的に思えてくる。過去のトラウマでも呪縛でも軋轢でもなんでもいいんですけど、過去には、朋也がいなかったから、それがトラウマや呪縛や軋轢になった。けれど今は、朋也がいるからそれを乗り越えられた・受け入れられた――みたいなのが、つまり過去を表出し、それを乗り越えたり受け入れたりすることは、今ここにいる彼と彼女じゃなきゃできないことで、そこに必然性が担保されてる、とか。
で、必然があれば当然運命であって。たとえば、現在自分がここにいることが必然だとすれば、過去はここに(その必然に)至るための運命である、といえる。
必然って言っても、この物語において(この物語にするには)必然なだけであって、この物語からすれば必然なだけであって、違う物語ならまったく必然じゃない――たとえば渚の相手が朋也じゃなくて春原なら、この物語じゃないけれど、違う物語が生まれる。その違う物語の存在には、春原が必然である――なんですけど、ゲームの中のそのキャラクターの物語はひとつ、正統ルートはひとつであって(少なくともCLANNADにおいては一つであって)(渚ルートのBADではない正統なものはあの一つしかないように)、他のが描かれる可能性が存在しない以上、彼と彼女であることは、物語の中じゃ"必然"であって、そして"運命"でもある。
って、これだけじゃ「実は物語は過去にはじまっている」である意味が薄いなあ。
プレイヤーが知らないこと、ってのが重要なんでしょうか。
スタートボタン押したところが物語の始点かと思ったら、実はとっくにはじまっていた。こっちはそれがスタート地点かと思ってたけど、実はインメディアスレースだった。読み手にとっては、なんか因縁なり因果なり運命なり必然なりがいきなり出てきたようなもので、ある種醒めやすいっていうか、またかよーまた過去のトラウマモノかよー、みたいな感じではあるんだけど、物語のはじまる前(と見えていた)知らないものが重要になってしまうというところが、因縁めいている、とか。過去が重要になるってことを知ってたら、そりゃただの順当であって、知らないからこそ、因縁とか運命とか感じえる、とか。
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AIRなんて、“1000年前から”物語が始まっちゃってますねw
……………いや、翼人の起源を考えると数十億年前か。
運命ってレベルじゃn(ry
……………いや、翼人の起源を考えると数十億年前か。
運命ってレベルじゃn(ry
ひふみー | 2008年03月26日(水) 13:34 | URL | コメント編集
>ひふみーさん
AIRのその辺は、物語というよりは『設定』の領分ですね。
過去の出来事でも、まあ事実は変わらないんですけど、それを物語内の当事者が、どう捉えるか、それにどういう意味を見い出すか、というのは流動的で、変化を生じうるって点では、まだ出来事の範疇、物語の範囲内だろうと。
AIRのその辺なんかは、物語内の当事者にとっては確定してしまってるものだし、もう影響しか存在しないし、しかも影響が癒着しちゃって変化しないものだから、物語というより設定かなあとか。
AIRのその辺は、物語というよりは『設定』の領分ですね。
過去の出来事でも、まあ事実は変わらないんですけど、それを物語内の当事者が、どう捉えるか、それにどういう意味を見い出すか、というのは流動的で、変化を生じうるって点では、まだ出来事の範疇、物語の範囲内だろうと。
AIRのその辺なんかは、物語内の当事者にとっては確定してしまってるものだし、もう影響しか存在しないし、しかも影響が癒着しちゃって変化しないものだから、物語というより設定かなあとか。
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