2008'03.27 (Thu) 01:31
なんでか昨日(http://bdkiss.blog54.fc2.com/blog-entry-499.html)の続き。
確定じゃなくて思考の途中、メモ的なニュアンスで。
・設定と物語の違い。いささか恣意的。まあ元々、お話って恣意的に作られてるものだし。
・個人的な考えとしては。『設定』は揺るがないもの。それがもたらす影響ってのはおおよそ確定していて、変化がない。物語に最初からおおよそ確定して癒着しちゃってる。
・生年月日とか性別とか生まれとかは、それを覆す"新事実発覚!実はアメリカ生まれ!"みたいなオチでもないかぎり、当然最初から最後まで、どういう影響を与えるかがおおよそ確定して存在し続ける『設定』であるのだけど、過去の出来事ってのも、実質それと同じく『設定』でしかなかったりする場合がある。
機能として、生年月日とか性別とか生まれとかと同じく、物語がはじまる前から決定済みで、物語内でほとんど変化せず、影響が始めから定められている。
これは読み手にとって、じゃなくて、作中人物にとって、の話。いや、読み手にとっての作中人物にとって、かも。読み手に対しては情報量でコントロールできちゃうから、一緒くたにしたらアンフェアじゃないかなー、と思う。
・過去の出来事は、その事実は変わらないんだけど、それが作中人物にとって、どういう意味を持つか・どういう影響を与えるか・どう捉えられるかは、流動的である場合とそうでない場合がある。前者が物語、後者は設定。
乱暴にいえば、変化が物語であって、変化しないが設定。物語ってのは、ページをめくるだろうと画面を見るだろうと、少なくとも"進めないと存在しない"のですけど、設定ってのはそんなことしなくても"最初からそこにある"。極論、本の最初の1ページ目で手を止めたら、物語はそこまでだけど、設定ってのは知らないものも含めりゃ存在するじゃん、という(半分話ずれてますけど)。だから隠し設定とか裏設定とか、結局表明されない設定はあるけど、結局表明されない物語なんて、ない。
箱の中にいる猫を観測してはじめて確定、みたいな話ですが、少なくとも「箱がある」「箱があるってことは、地面もある」みたいな設定は、観測うんぬん以前に存在するだろうと。っていうか、"観測以前にある前提"ってのを『設定』、みたいな。
設定は土台だから、表に出なくても「ある」と言えるけど、表に出ない物語は「ある」とは言えない。たとえば、そいつがなければこの物語にはならないという設定はあるけれども、物語は物語られなければ物語にならないから、物語られなかった時点で物語としては存在せず、設定としてしか存在しない。
・『AIR』の「翼人伝説」なんかは、影響が変わりようがなく最初から癒着しちゃってるっていう点で、設定だなー、とか。
別に物語を進めようが進めまいが、誰ルートに進もうが、「翼人伝説」がどういう影響を与えるかは確定してること、ゲームタイトル画面の最初からのトコ選んでクリック押す前から決まってたこと、とか。
観測以前からある前提。
・話の展開で設定も物語に変わる。物語られなかったものが物語られる。
例をあげるなら、西尾維新の『戯言シリーズ』の「想影真心(正確には、いーくんのそれに関わる過去)」とか。あれって、「ヒトクイマジカル」までは『設定』なんですよね。「ヒトクイマジカル」までは物語に絡むことなく、それがいーくんの中でどういう意味を持つか・どういう影響を与えるか・どう捉えているかは、ほぼ確定して変化がないし、その影響は、いーくんの性格とかお話の流れとかに、最初から変わらず存在し続けている。影響だけが癒着しちゃってる。
で、「ネコソギラジカル」までいって、はじめてそれが変化する可能性を出して、つまり物語に組み込まれる。
たとえば『戯言』が「ヒトクイ」で終わってたら、想影真心に関するいーくんの過去は、ただの設定でしかなかったかも、と。過去の影響が確定しちゃってますので。(別に「ネコソギ」で真心が出てきたからそうなった、のではなくて、「ネコソギ」でその過去に流動性が生まれたからそうなった、って意味で)
・物語にとって設定は不可分だけど、設定にとって物語は不可分じゃないよね、とか。この物語になるにはその設定は不可欠だけど、その設定なら絶対この物語になるというわけではない。所詮、設定は設定。だから二次創作ができるし、原作改変のメディアミックスってのができるし、とか、とか。
・アニメ「ドラゴンボールZ」の、フリーザ編・ナメック星でドラゴンボール集めてるストーリーの、クリリンや悟飯が出かけて一人残されている時のブルマの描写って、二次創作といえば二次創作的だよね、とか。
・ギャルゲーにおいて。あるキャラクターのお話に強い必然性や運命性を持たせてる――言うなれば『AIR』の観鈴シナリオとか、そういうのって、他のお話が霞むものではありますよね。それが一番で絶対で正統で必然で、他のお話ってのは、その運命から洩れた比較的どうでもいい可能性、みたいなレベルになっちゃう。佳乃とか美凪のお話は、観鈴シナリオっていう『AIR』における最も重要で重大で、過去や設定からの因縁や運命がガチガチのものから比べれば、……《比べれば》っていうか、比べようとしなくても勝手に相対的になるというか、『AIR』って枠組みから逃れられない以上、相対的になっちゃうんですけど、それらは、その観鈴シナリオがある『AIR』の中じゃ、どうしても重みは低くなる。
・『AIR』ほどじゃないとしても、『Fate/Stay Night』。や、昨日書いたのの派生で。昨日書いたのを前提で。
設定が、過去が、強烈なほど「このルートになる必然性」を有している。士郎の体に、出自に、因縁纏わりまくるセイバー「Fate」ルート。未来からの因縁アーチャーさんの凛「Unlimited~」ルート。
それに比べると、桜「Heaven's Feel」ルートは、因縁が薄い。因縁っていうか、そこに至る必然性が薄い。必然性っていうか、そうなる運命が薄い。三つのルートを並列に並べれば、これが一番、設定が・運命が機能していない。
その因縁も必然も運命も薄いシナリオが"最後"ってのが、この『Fate/Stay Night』の肝の一つなんじゃないかなーと。他の話は、そうなる運命が設定されてるけど、この話は、そうなる運命が薄い。このルートに関しては、設定が導いた道と言うより、性格が導いた道といった方が正しいでしょう。設定上なら、他のルートの方が必然。士郎の性格上なら、この道も必然。
そう、あえて、設定、因縁、必然、『運命』、に依らず、性格を用いて、自分の道を自分で決めたようなこの桜ルートを"最後に"持ってきたのが、運命の意味を持つ『Fate』のお話に相応しいんじゃないかな、とか。もしかすると。(これが正統ルートか否かによって、持つ意味が真逆になるけど)
確定じゃなくて思考の途中、メモ的なニュアンスで。
・設定と物語の違い。いささか恣意的。まあ元々、お話って恣意的に作られてるものだし。
・個人的な考えとしては。『設定』は揺るがないもの。それがもたらす影響ってのはおおよそ確定していて、変化がない。物語に最初からおおよそ確定して癒着しちゃってる。
・生年月日とか性別とか生まれとかは、それを覆す"新事実発覚!実はアメリカ生まれ!"みたいなオチでもないかぎり、当然最初から最後まで、どういう影響を与えるかがおおよそ確定して存在し続ける『設定』であるのだけど、過去の出来事ってのも、実質それと同じく『設定』でしかなかったりする場合がある。
機能として、生年月日とか性別とか生まれとかと同じく、物語がはじまる前から決定済みで、物語内でほとんど変化せず、影響が始めから定められている。
これは読み手にとって、じゃなくて、作中人物にとって、の話。いや、読み手にとっての作中人物にとって、かも。読み手に対しては情報量でコントロールできちゃうから、一緒くたにしたらアンフェアじゃないかなー、と思う。
【More】
・過去の出来事は、その事実は変わらないんだけど、それが作中人物にとって、どういう意味を持つか・どういう影響を与えるか・どう捉えられるかは、流動的である場合とそうでない場合がある。前者が物語、後者は設定。
乱暴にいえば、変化が物語であって、変化しないが設定。物語ってのは、ページをめくるだろうと画面を見るだろうと、少なくとも"進めないと存在しない"のですけど、設定ってのはそんなことしなくても"最初からそこにある"。極論、本の最初の1ページ目で手を止めたら、物語はそこまでだけど、設定ってのは知らないものも含めりゃ存在するじゃん、という(半分話ずれてますけど)。だから隠し設定とか裏設定とか、結局表明されない設定はあるけど、結局表明されない物語なんて、ない。
箱の中にいる猫を観測してはじめて確定、みたいな話ですが、少なくとも「箱がある」「箱があるってことは、地面もある」みたいな設定は、観測うんぬん以前に存在するだろうと。っていうか、"観測以前にある前提"ってのを『設定』、みたいな。
設定は土台だから、表に出なくても「ある」と言えるけど、表に出ない物語は「ある」とは言えない。たとえば、そいつがなければこの物語にはならないという設定はあるけれども、物語は物語られなければ物語にならないから、物語られなかった時点で物語としては存在せず、設定としてしか存在しない。
・『AIR』の「翼人伝説」なんかは、影響が変わりようがなく最初から癒着しちゃってるっていう点で、設定だなー、とか。
別に物語を進めようが進めまいが、誰ルートに進もうが、「翼人伝説」がどういう影響を与えるかは確定してること、ゲームタイトル画面の最初からのトコ選んでクリック押す前から決まってたこと、とか。
観測以前からある前提。
・話の展開で設定も物語に変わる。物語られなかったものが物語られる。
例をあげるなら、西尾維新の『戯言シリーズ』の「想影真心(正確には、いーくんのそれに関わる過去)」とか。あれって、「ヒトクイマジカル」までは『設定』なんですよね。「ヒトクイマジカル」までは物語に絡むことなく、それがいーくんの中でどういう意味を持つか・どういう影響を与えるか・どう捉えているかは、ほぼ確定して変化がないし、その影響は、いーくんの性格とかお話の流れとかに、最初から変わらず存在し続けている。影響だけが癒着しちゃってる。
で、「ネコソギラジカル」までいって、はじめてそれが変化する可能性を出して、つまり物語に組み込まれる。
たとえば『戯言』が「ヒトクイ」で終わってたら、想影真心に関するいーくんの過去は、ただの設定でしかなかったかも、と。過去の影響が確定しちゃってますので。(別に「ネコソギ」で真心が出てきたからそうなった、のではなくて、「ネコソギ」でその過去に流動性が生まれたからそうなった、って意味で)
・物語にとって設定は不可分だけど、設定にとって物語は不可分じゃないよね、とか。この物語になるにはその設定は不可欠だけど、その設定なら絶対この物語になるというわけではない。所詮、設定は設定。だから二次創作ができるし、原作改変のメディアミックスってのができるし、とか、とか。
・アニメ「ドラゴンボールZ」の、フリーザ編・ナメック星でドラゴンボール集めてるストーリーの、クリリンや悟飯が出かけて一人残されている時のブルマの描写って、二次創作といえば二次創作的だよね、とか。
・ギャルゲーにおいて。あるキャラクターのお話に強い必然性や運命性を持たせてる――言うなれば『AIR』の観鈴シナリオとか、そういうのって、他のお話が霞むものではありますよね。それが一番で絶対で正統で必然で、他のお話ってのは、その運命から洩れた比較的どうでもいい可能性、みたいなレベルになっちゃう。佳乃とか美凪のお話は、観鈴シナリオっていう『AIR』における最も重要で重大で、過去や設定からの因縁や運命がガチガチのものから比べれば、……《比べれば》っていうか、比べようとしなくても勝手に相対的になるというか、『AIR』って枠組みから逃れられない以上、相対的になっちゃうんですけど、それらは、その観鈴シナリオがある『AIR』の中じゃ、どうしても重みは低くなる。
・『AIR』ほどじゃないとしても、『Fate/Stay Night』。や、昨日書いたのの派生で。昨日書いたのを前提で。
設定が、過去が、強烈なほど「このルートになる必然性」を有している。士郎の体に、出自に、因縁纏わりまくるセイバー「Fate」ルート。未来からの因縁アーチャーさんの凛「Unlimited~」ルート。
それに比べると、桜「Heaven's Feel」ルートは、因縁が薄い。因縁っていうか、そこに至る必然性が薄い。必然性っていうか、そうなる運命が薄い。三つのルートを並列に並べれば、これが一番、設定が・運命が機能していない。
その因縁も必然も運命も薄いシナリオが"最後"ってのが、この『Fate/Stay Night』の肝の一つなんじゃないかなーと。他の話は、そうなる運命が設定されてるけど、この話は、そうなる運命が薄い。このルートに関しては、設定が導いた道と言うより、性格が導いた道といった方が正しいでしょう。設定上なら、他のルートの方が必然。士郎の性格上なら、この道も必然。
そう、あえて、設定、因縁、必然、『運命』、に依らず、性格を用いて、自分の道を自分で決めたようなこの桜ルートを"最後に"持ってきたのが、運命の意味を持つ『Fate』のお話に相応しいんじゃないかな、とか。もしかすると。(これが正統ルートか否かによって、持つ意味が真逆になるけど)
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