京アニCLANNADの光の玉に関しての仮説
2008-03-29
京アニCLANNADの『光の玉』に対する仮説です。検証対象は京アニ版のみですが、一応、原作のこともある程度踏まえています。『光の玉』。
これに関しては、かなり分からないことが多いです。春原の光の玉、杏の光の玉、とか言いますが、あれって個人に対する意味での『光の玉』なのでしょうか。それらの個人が発しているのか。それともシナリオ、お話自体に絡んでいるのか。
分からないことが非常に多いです。鋭い考察されているサイトさんなどあったら、教えていただけるとありがたいです。
さて、今回は、そういう謎の殆どに目を瞑りながら(えー)、『京アニCLANNAD』の『光の玉』に関する仮説、仮検証をしてみました。
以下、原作のネタバレ、「CLANNAD 〜AFTER STORY〜」のネタバレを含みます。(かなりクリティカルなネタバレ)
原作未プレイでアニメ(「アフターストーリー」)を楽しみにしている方は、絶対見ないほうがいいです。
■そもそも、『光の玉』ってなんですか?
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「いつからかそれは、幸せの象徴とされていた、ということです」光の玉=幸せの象徴、みたいな説明があります。
「いいことがあった時に、見かけることが多かったそうです」
「幸せな風景を見つけ、まるで、それを見守るように、そこにふわふわと浮いていたそうです」
(宮沢有紀寧シナリオ)
それは幸せな光景に現れる。この町に、昔は、沢山見れたもの。けど今は、滅多に見えなくなってしまったもの。
「昔の人はそれを見ることができたんですから」ただ、これは全てを説明していません。
「じゃ、どうして、見れなくなったんだろう…」
「それは…人の心が変わってしまったからではないでしょうか」
「もっと、この町を慈しむような心が必要なのかもしれません」
「もっと町と繋がりを持って暮らしていたなら、今でも、多くの人が見ることができたのかもしれません」
(同じく、宮沢有紀寧シナリオ)
てゆうか、ここ以外のCLANNAD全部をひっくるめても、光の玉に関する説明って、確実に不足しています。
この有紀寧の説明をある程度信頼して、「幸せ」とか「町」のキーワードを納得しても、いくつか、かなり大きな疑問は残ります。
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追記:通りすがりさんのコメントから、
(【幻想世界の少女】・・・向こうの世界に生きるたくさんの人の思いが、この世界では光として見えるように・・・
【幻想世界の少女】・・・向こうの世界では、わたしの思いが光として見えるはずだよ・・・ )
「光の玉=幻想世界の少女の思い、幸せな光景に現れる=幸せを好ましく思う幻想世界の少女の思い」、といった感じであるのは確定。(追記ここまで)
・なぜ、朋也が光の玉を集めていられるのか?幸せな風景を見つけ、それを見守るように浮いているものを、何故、手に入れられる?
・朋也が集められている『光の玉』は、有紀寧シナリオの説明にある『光の玉』と、同一のものなのか?なぜ朋也に集る(集められる)のか、なぜ『光の玉』があるシナリオと無いシナリオが存在するのか、それの区分けは何なのか。
追記:これも上の追記に照らせば、判明しているので打ち消し。(追記ここまで)
さらに、『光の玉』を集めることによって、あるイベントが起こる……というか、話が変わるのですが、何故そうなるかが不明なのです。
■アフター2周目と、『光の玉』
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アフター2周目、渚が死ななかったお話、あれは『光の玉』が集ってなければ、あのルートには進めませんでした。
ただ、それが『光の玉の効果』なのかは、断言できません。いや、『光の玉』が作用しているのでしょうけど、『光の玉』の性質――「幸せな風景」が生み出したもの、もしくは、「幸せな風景」に導かれてやってくるもの――なんかには、こういう効果は別に説明されていません。
『光の玉』を集めたら、本当は死ぬはずだったのが死ななかった――でも別に、『光の玉』に、人を復活(回復)させる効果があるとか、結末を変える力があるとか、そういったものは……そういった説明は、少なくともされていません。
追記:これもコメント欄から。《説明されてません》というか、一応、幻想世界の少女により、「 ・・・けど、もし・・・助けたい人がいるなら・・・」 「・・・向こうの世界で光を探して・・・」 という台詞での説明があります。"そういうものではある"という説明ではありますが、"どういう作用でこういう効果が起こるのか"は、ちょっと不明。(追記ここまで)
そう、『光の玉』を集めたら、"こうなる"のですけど、何故"こうなる"のかは、説明されていないのです。
『光の玉』と、この事との、因果関係は不明。
でも、説明されていなくても、事実こうなっているのだから、そこには何かしらの理由があるのでしょう。少なくとも推測は許されるはずです。
■京アニCLANNADの『光の玉』
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『光の玉』が、「幸せと関係ある何か」だったとして。何故、朋也が集められるのか。そもそも、朋也が集めている『光の玉』は、ただの、普通の『光の玉』なのか?
なぜ、原作で、『光の玉』が集められるシナリオと集められない(出てこない)シナリオがあるのか。『光の玉』が出てこないシナリオは、幸せじゃないのか?なぜ公子さんのところで、『光の玉』が一度失われるのか……と、すいません。記憶の問題もあって、原作に関しては、今回、踏み込みません。ただ、原作CLANNADの光の玉からして、謎だらけというのは確かです。何故、光の玉が無いキャラがいて、あるキャラがいるのか。あれはキャラの玉じゃなくて、お話の玉なんじゃないか、とか、とか。……とはいえ今回は、基本的に京アニ版に関することとして、お読み下さい。
「京アニCLANNAD」でも、その辺には謎が残ります。
たとえば、単純に、「幸せな気持ち」が『光の玉』だったりすると、どうもおかしい。
幸せなんて主観的な基準でしかないから、何とでも言えるのですが、それにしたって法則性が無さすぎる。基準が不明すぎる(原作にも言えることですが)。
『光の玉』を入手できたと思わしき回。
第7回 : 「星型の気持ち」
第10回 : 「天才少女の挑戦」
第13回 : 「思い出の庭を」
第16回 : 「3 on 3」
第19回 : 「新しい生活」
第22回 : 「影二つ」
この回のサブタイトル画面には『光の玉』が載っていたということは、前回のサブタイトルから、この回のサブタイトルに至る間に、『光の玉』を手に入れるに足る何かがあったということでしょう(ひとつ目の光の玉なら、第6回のサブタイトル〜第7回のサブタイトル間に入手したと考えられます)。
その"何か"とは、一体なんだったのでしょう。
『光の玉』問題。幸せなんて主観的なものが、あまり法則性も規則性も見せずに表出するので、正直、なんとでも言えます。これから記すのにも、何とでも肯定できますが、何とでも否定できるでしょう。それを前提として。
■逆に考えるんだ、ああいう効果を出す『光の玉』が集められていると考えるんだ
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逆に考えたらどうでしょう。『効果』から、『光の玉』――正確には、朋也に集っている光の玉――を考えたらどうでしょう。
アフター2周目。違う展開になる、異なる結末を見せるというのが、因果関係は定かではありませんが、一応推測される、『光の玉』の効果です。
そういう効果をもたらすのなら。そういう効果をもたらすに足る必然を、この『光の玉』が備えているのではないでしょうか。
違う展開、異なる結末。幸せ。
『光の玉』を集めると、それがもたらされる。
なら、違う展開の、異なる結末の、これではない幸せ。
それがあの『光の玉』の正体なんじゃないでしょうか。
つまり、違う道を行っていたら……あそこでああだったら、あれがこうだったら、もたらされていたであろう、可能性の、if の幸せ。それが集っている『光の玉』……その道に進んでいればあったかもしれない幸せが、朋也に集る『光の玉』ではないでしょうか。これならば、違う展開になる、結末を変える、if の幸せに出会う、アフター2周目、あれを作り出す効果を『光の玉』が持っていることの説明になり得るのではないでしょうか。
あくまでも、推測、憶測ではありますが。
朋也に集っている『光の玉』を、朋也に集るに足る理由を持ち、あのような効果をもたらす因果を持つ、他とは異質の『光の玉』と見れば、あれが異なる結末をもたらすという効果を持っている理由に、なるのではないでしょうか。
■実際、京アニCLANNADの『光の玉』は
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そう見ると、基準・法則性を見い出すことができます。
これだけだとちょっと、何でもアリすぎるので、少し細分化しますと。
その、幸せがあったかもしれない可能性の道を、if のルートを、当事者が自覚的に「諦める」というのが必要だと考えました。
少なくとも、今までの京アニCLANNADの『光の玉』が手に入った回には、そうとれる描写が存在しました。

【第6回】「事故に遭う前、妹と約束してたんです。入学したら、一緒に創立者祭に行こうねって」
「妹の分まで見て回って、病院で話を聞かせてあげたいです」
妹と創立者祭にいくことに、その《可能性 if の先にある幸せ》に対する諦め。

【第9回】「ありがとうございます、風子、楽しかったです」
学校を駆け回り、朋也や渚と過ごした日々、それの終わり。それを終わらすという事は、これまでの時間がただの《 if 》になる、ということでもあります。この風子の記憶も、一緒に過ごしたことも、この幸せも、全部全部、次の瞬間には消えてなくなって、これまでの出来事は、確かにあったのですけど、終わった瞬間には、無かったことになる――つまり、《 if 》と同意になるのです。朋也も覚えてないし、渚も覚えてないし、風子も覚えてないし、誰も覚えてない、現実には無かったことになる――《 if 》になる。それを捨てる、終わらせる、すなわち諦めるということ。

【12話】朋也たちと共に居ることに対する恐れ――失うくらいならはじめから持たない方が良いという考え方――からの諦め、とも思ったのですが。
これは結局《 if 》になっていないので(前提が結果論な以上、結果論から語られるべき)、【13話】冒頭の台詞、「わからなくなったの。思い出して欲しいのか、忘れたままでいて欲しいのか。あの時の私の事を」。これの"どちらかに"対する諦めと考えた方が妥当かもしれません。
追記:【12話】の、ことみが「たんぽぽ娘」の本を渡した時の、朋也に対する「読まなくていい」(=思い出さなくていい)が、それなのかもしれません。(追記ここまで)
【15話】合唱部に名前だけ貸して、「渚ちゃんは絶対感謝してくれるはずさ!そしていつか感謝が愛に…」、という春原の企みが崩れたから始まり、渚の恋人宣言に終わる、春原が渚を諦めた、春原が(自分の)渚ルートを諦めた、という《 if 》の諦め。(実際、これ以降の春原は、ギャグや、朋也に対しハッパをかける的な役割でしか、渚に気がある素振を見せません)

【18話】これは……絵だけで分かりますね。"ここで"諦めたのは(この回で)、杏なのか、椋なのか、はたまた智代なのか、という問題はありますが、とりあえず「諦め」があったのは確か。

【21話】「お前でよかった」
この台詞と、メガネをかけるという行為から、智代の諦め。……智代は18話時点で諦めてる、ここは椋なり杏なり、って可能性も十分ありますが。
■実は答えなんかないんじゃないのか
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さて、こう見ると、一応、全てに「《 if 》の自覚的な諦め」が入っています。
それを集めることにより、アフター2周目の結末が異なります。これはすなわち、
みんなが叶えられなかった《 if 》を集めて、渚が死なないという《 if 》の幸せを達成する。諦めたことにより表れなかった《 if 》の『光の玉』を集めて、《 if 》の幸せに行ける(しかもアフター2周目の入り口に、呼ぶ・呼ばないという諦めざるか否かの分岐までありますし)。
そう考えると、なかなかに綺麗なんじゃないでしょうか。
存在が不明瞭だった因果関係と基準・法則性が、判明するのではないでしょうか。
「でもこれって、何とでも言えるよね」と思った方。僕もそう思います(おい)。
いやね、この、何とでも言える、何だか分からない、というのが案外重要なんじゃないかな、とも思っているのです。
光の玉を集めた上でのアフター2周目で渚が助かる、というのは紛うこと無い事実なのですが、それが何故起きたのかがイマイチわからない。
情報が少なすぎる。重要な事柄なのに。
だから逆に、これをどう解釈するかが、かなり自由になってしまう。
じゃあ寧ろ、わざと答えを見せてないんじゃないか、と。
ここまで重要なのに、これだけ絞れる情報が少ないということは、「好きに解釈していいよ(そこにあなたの作品に対する姿勢が見えるかもね)」という意味を持っているのだと考えることは過言と言っても差し支えないでしょう(つまり過言でしょう)。
や、意外と過言という程ではないと思うんですけど。案外アリだと思うんですけど。
僕のそこに対する解釈は、機会があったらということで。答えは、今はまだ。途中ですし。
とりあえずこれは解釈というより、今のトコそういう傾向・法則・基準で見れるよ、こういう仮説も立てられるよ、という話。
今のとこ、正しいか否かは別として、京アニCLANNADではそう見ることができる、というお話です。

