2008'03.31 (Mon) 23:11
ある場所に固定され配置され、そこからの映像を複数回流す、そんな固定カメラ。
京アニCLANNADには、それがありました。
視点を固定することにより、対象の『変化』が、また変化の中でも『変わらなかったもの』が、浮き彫りになる。22話の感想でも書いてたのですけど、あの時は記憶を頼りに書いてたので、あらためまして。

【第1話】
この演劇部室のアングル。
このアングルが、幾度も出てきます。
僕は固定カメラ大好きっこなので、『Kanon』や『らき☆すた』の時も注視していたのですが、話数を跨いで3回以上登場した固定カメラなんて、無かったです(多分)。
これは結構驚きました。アニメって当然一人で作ってるんじゃないので、偶然でこんなアングルが出来上がるワケがありません。この固定アングルを用意しているというのには、何かしらの意味があるのではないでしょうか。
とりあえず、その演劇部室の絵を並べてみました。

【第1話】はじめて、演劇部を訪れた渚と、それを見守る朋也。

【第3話】物を端に押しやり、とりあえずスペースを確保した部室で。ようやく第一歩を踏み出した演劇部、まずは部員集め、勧誘の練習から。

【第4話】幾度も出てくる、部室の真ん中に持ち出された机を挟んで、演劇部のことについて話す朋也と渚。

【同じく、第4話】あの朽ちた教室であった、演劇部の部室に、人が増えてきた。彼女たちは演劇部員では無いけれど、"最初"を鑑みれば、これでも大きな前進。

【第9話】スパッと5回ほど飛んで第9話。公子さんの結婚式の前日。

【同じく、第9話】結婚式の前祝をする朋也・渚・風子。朽ちた部室がはじまりとは思えないほど。そしてこのように、部室は、演劇部の為だけに使われるのではなく、彼女たちの居場所としても機能していたのです。

【10話】ことみを演劇部室に連れて来た(正確には杏に「どっか連れてけ」と言われて)朋也。ますます賑やかになっていく部室。でも部員は渚一人。

【第11話】演劇部室にたむろる一行。この場所は、演劇部室であるという意味だけに留まらず、完全に彼女たちの居場所となっています。

【第12話】居場所どころか、ついにはレジャーシート広げてお弁当まで…。いやいや、こう並べてみると、人がどんどん増えていき賑やかになり立派な居場所になった、というのがよく分かります。

【第16話】4回飛んで、第16話。朋也が杏(&椋)にお昼ご飯をつき合わされている時の、部室の風景。渚とことみ。なにもそんな部屋の隅の方で一つの机を挟んで、寂しげにご飯食べなくても…。図書室ではなく部室で昼食を取る、ことみにとっても"ここ"(部室&渚たち)は、立派な"居場所"になっているのでしょう。

【第17話】渚が寝込んで学校を休んでいる――けれど、部室にやってくる朋也。部室といえば渚。それは誇張でも喩えでも何でもなく、このアングルに限らず、渚が居ない部室のシーンは、これまで無かった(後からやってくる、というのはある)。

【同じく、第17話】ここに渚が居なく、そして、「古河 渚」の名前を、日直として、黒板に書き込む。日直。やることがある存在、休んではいけない存在、居て欲しい必然性がある存在。

【第19話】演劇部の認可、正式復活を祝い、クラッカーを打ち鳴らす一同。渚の夢(目標)の、第一関門が、まず突破された時。

【第20話】学園祭でどんな劇をやるのか、についての話し合い。

【第21話】学園祭に向けての練習。
(注:これがこのアングルの全てではなくて、4カット省略しています。11話から2カット、17話から1カット、19話から1カット、示した画像とほぼ同じ(場面も絵も)なので、省略しています)(ちなみに番外編にもあるんですが、あれはまあ、番外だからということでw)
さて、こうやって、21話まで見ると、物が散乱し、誰も使用する者がいない朽ちた演劇部室が、整頓され、人が増え、彼女たちの喜びや苦悩を見てきて、徐々に、沢山の人たちの居場所になっていった――夕焼けの中たたずむ渚と朋也、たった二人からはじまったこの部室の変化、そこにある物達やそこに居る人たちの変化、その感情の変化――を、見ることができると思います。
そして、最後の、このカメラアングル。

【最終回】
第1話の、最初の時と同じ様に。
夕日の中、廊下側からの光に照らされ伸びる二人の影の中のふたり。
第1話の、最初の時と同じ様に。
またここから、彼らの新たな道がはじまる。
また、ここから、これまでと同じ様に、――悩んだり苦労したり、人が増えたり居場所ができたり、嬉しいことがあったり悲しいことがあったり、居て当たり前の人がいなくなって寂しくなったり、夢や目標に向かっていったり、するのでしょう。
まるで円環のような綺麗な終わり。そして新しい始まり。でも、何もかもが、前の始まりと同じではなくて、以前の朋也・渚と同じではなくて、少しだけでも、変わっている。
固定カメラ。固定されたカメラから、まるで定点観測のように見ることによって、その対象の変化が浮き彫りになる――同時に、その中でも変わらないものも、浮き彫りになる。
記事タイトル的には蛇足になりますが、固定カメラと言えば。部室ほどではないですが、もう一つ、何回か出てきたアングルがありました。
中庭です。

【第1話】一番最初の、中庭で一人であんぱん食べてる渚の元に朋也がついて、しばらくした後。渚の身の上話を展開中。

【第3話】雨の中のバスケットボールの後の、中庭で一人でご飯食べてる渚が、朋也に対して手を振り、朋也がかけつけた後。渚の自責が展開中。

【第4話】部員探しがなかなか上手く行かない最中の、とりあえずの中間報告的な場面。渚の不安が展開中。

【15話】11回ぶりの中庭渚&朋也。話の流れから春原も加わる。渚・朋也の座り位置の距離が縮まっています。合唱部の杉坂に脅迫状もらった後。渚の不安が超展開中。

【同じく、15話】春原が杉坂にブチギレた後。朋也が春原の事情を話し、その後、渚が演劇部を諦める――なかば無理矢理、諦めます。
京アニCLANNADにおける「渚と朋也」での中庭というのは、渚的にネガティブなものです。ネガティブというか、後ろ向きな姿勢だったり、自信が無かったり、不安だったり、……そういう渚の感情がよく表れる場所です。(だから後半には、殆どこの場面が出てこないのですが)
渚が一人で中庭に座ってるという描写、これまで4回あるのですが、そのどれもがまたネガティブなもの、そして渚一人でそのネガティブ(不安や苦しみを)抱え込もうとしているものです。第1話の居場所無く中庭で一人パンを食べる渚と、第2話の掃除を押し付けられ一人で居る渚と、第3話の朋也のことを傷つけたと思っている渚と、第15話の脅迫状を受け取った渚。
それに対し、あれこれ行動するのが朋也です。あれこれ言って励ましたり、ダメ出ししたり。
その言葉は、時に辛辣だったりするけれど、渚にとっては何よりの励ましでもある。
中庭で二人きりの時は、いつもそう。
だけど、

【最終回】
最後の最後には、自信無さ気でも後ろ向きでも不安があったりするわけでもなく、むしろ逆、しっかりと自信を持って前を向いて、そして今まで散々朋也に励まされて、お世話になってきたこの場所で、「朋也の父親」を呼び出す――朋也のために、行動する。
最初とは、渚と朋也、まるで立場が逆になったかのような、『変化』っぷり。
『変化』が浮き彫りになるのです。固定カメラ。見ている位置は同じなのに、見えてるものは違っている。朋也も渚も、パッと見は同じでも、その内面は当初とは大きく違っている。
(少し話逸れますが、よろしかったら、今第1話を見返してみて下さい。渚の声に、絶対驚かされると思うので)
『変化』『その中でも変わらないもの』が浮き彫りになる上に、(部室のに関しては)最初と最後が円環――というより、『変化』を加味すれば、一段上の階層に上がったスパイラルといった感じでしょうか――になっている。そんなお話でした。
京アニCLANNADには、それがありました。
視点を固定することにより、対象の『変化』が、また変化の中でも『変わらなかったもの』が、浮き彫りになる。22話の感想でも書いてたのですけど、あの時は記憶を頼りに書いてたので、あらためまして。

【第1話】
この演劇部室のアングル。
このアングルが、幾度も出てきます。
僕は固定カメラ大好きっこなので、『Kanon』や『らき☆すた』の時も注視していたのですが、話数を跨いで3回以上登場した固定カメラなんて、無かったです(多分)。
これは結構驚きました。アニメって当然一人で作ってるんじゃないので、偶然でこんなアングルが出来上がるワケがありません。この固定アングルを用意しているというのには、何かしらの意味があるのではないでしょうか。
とりあえず、その演劇部室の絵を並べてみました。
【More】

【第1話】はじめて、演劇部を訪れた渚と、それを見守る朋也。

【第3話】物を端に押しやり、とりあえずスペースを確保した部室で。ようやく第一歩を踏み出した演劇部、まずは部員集め、勧誘の練習から。

【第4話】幾度も出てくる、部室の真ん中に持ち出された机を挟んで、演劇部のことについて話す朋也と渚。

【同じく、第4話】あの朽ちた教室であった、演劇部の部室に、人が増えてきた。彼女たちは演劇部員では無いけれど、"最初"を鑑みれば、これでも大きな前進。

【第9話】スパッと5回ほど飛んで第9話。公子さんの結婚式の前日。

【同じく、第9話】結婚式の前祝をする朋也・渚・風子。朽ちた部室がはじまりとは思えないほど。そしてこのように、部室は、演劇部の為だけに使われるのではなく、彼女たちの居場所としても機能していたのです。

【10話】ことみを演劇部室に連れて来た(正確には杏に「どっか連れてけ」と言われて)朋也。ますます賑やかになっていく部室。でも部員は渚一人。

【第11話】演劇部室にたむろる一行。この場所は、演劇部室であるという意味だけに留まらず、完全に彼女たちの居場所となっています。

【第12話】居場所どころか、ついにはレジャーシート広げてお弁当まで…。いやいや、こう並べてみると、人がどんどん増えていき賑やかになり立派な居場所になった、というのがよく分かります。

【第16話】4回飛んで、第16話。朋也が杏(&椋)にお昼ご飯をつき合わされている時の、部室の風景。渚とことみ。なにもそんな部屋の隅の方で一つの机を挟んで、寂しげにご飯食べなくても…。図書室ではなく部室で昼食を取る、ことみにとっても"ここ"(部室&渚たち)は、立派な"居場所"になっているのでしょう。

【第17話】渚が寝込んで学校を休んでいる――けれど、部室にやってくる朋也。部室といえば渚。それは誇張でも喩えでも何でもなく、このアングルに限らず、渚が居ない部室のシーンは、これまで無かった(後からやってくる、というのはある)。

【同じく、第17話】ここに渚が居なく、そして、「古河 渚」の名前を、日直として、黒板に書き込む。日直。やることがある存在、休んではいけない存在、居て欲しい必然性がある存在。

【第19話】演劇部の認可、正式復活を祝い、クラッカーを打ち鳴らす一同。渚の夢(目標)の、第一関門が、まず突破された時。

【第20話】学園祭でどんな劇をやるのか、についての話し合い。

【第21話】学園祭に向けての練習。
(注:これがこのアングルの全てではなくて、4カット省略しています。11話から2カット、17話から1カット、19話から1カット、示した画像とほぼ同じ(場面も絵も)なので、省略しています)(ちなみに番外編にもあるんですが、あれはまあ、番外だからということでw)
さて、こうやって、21話まで見ると、物が散乱し、誰も使用する者がいない朽ちた演劇部室が、整頓され、人が増え、彼女たちの喜びや苦悩を見てきて、徐々に、沢山の人たちの居場所になっていった――夕焼けの中たたずむ渚と朋也、たった二人からはじまったこの部室の変化、そこにある物達やそこに居る人たちの変化、その感情の変化――を、見ることができると思います。
そして、最後の、このカメラアングル。

【最終回】
第1話の、最初の時と同じ様に。
夕日の中、廊下側からの光に照らされ伸びる二人の影の中のふたり。
第1話の、最初の時と同じ様に。
またここから、彼らの新たな道がはじまる。
また、ここから、これまでと同じ様に、――悩んだり苦労したり、人が増えたり居場所ができたり、嬉しいことがあったり悲しいことがあったり、居て当たり前の人がいなくなって寂しくなったり、夢や目標に向かっていったり、するのでしょう。
まるで円環のような綺麗な終わり。そして新しい始まり。でも、何もかもが、前の始まりと同じではなくて、以前の朋也・渚と同じではなくて、少しだけでも、変わっている。
固定カメラ。固定されたカメラから、まるで定点観測のように見ることによって、その対象の変化が浮き彫りになる――同時に、その中でも変わらないものも、浮き彫りになる。
記事タイトル的には蛇足になりますが、固定カメラと言えば。部室ほどではないですが、もう一つ、何回か出てきたアングルがありました。
中庭です。

【第1話】一番最初の、中庭で一人であんぱん食べてる渚の元に朋也がついて、しばらくした後。渚の身の上話を展開中。

【第3話】雨の中のバスケットボールの後の、中庭で一人でご飯食べてる渚が、朋也に対して手を振り、朋也がかけつけた後。渚の自責が展開中。

【第4話】部員探しがなかなか上手く行かない最中の、とりあえずの中間報告的な場面。渚の不安が展開中。

【15話】11回ぶりの中庭渚&朋也。話の流れから春原も加わる。渚・朋也の座り位置の距離が縮まっています。合唱部の杉坂に脅迫状もらった後。渚の不安が超展開中。

【同じく、15話】春原が杉坂にブチギレた後。朋也が春原の事情を話し、その後、渚が演劇部を諦める――なかば無理矢理、諦めます。
京アニCLANNADにおける「渚と朋也」での中庭というのは、渚的にネガティブなものです。ネガティブというか、後ろ向きな姿勢だったり、自信が無かったり、不安だったり、……そういう渚の感情がよく表れる場所です。(だから後半には、殆どこの場面が出てこないのですが)
渚が一人で中庭に座ってるという描写、これまで4回あるのですが、そのどれもがまたネガティブなもの、そして渚一人でそのネガティブ(不安や苦しみを)抱え込もうとしているものです。第1話の居場所無く中庭で一人パンを食べる渚と、第2話の掃除を押し付けられ一人で居る渚と、第3話の朋也のことを傷つけたと思っている渚と、第15話の脅迫状を受け取った渚。
それに対し、あれこれ行動するのが朋也です。あれこれ言って励ましたり、ダメ出ししたり。
その言葉は、時に辛辣だったりするけれど、渚にとっては何よりの励ましでもある。
中庭で二人きりの時は、いつもそう。
だけど、

【最終回】
最後の最後には、自信無さ気でも後ろ向きでも不安があったりするわけでもなく、むしろ逆、しっかりと自信を持って前を向いて、そして今まで散々朋也に励まされて、お世話になってきたこの場所で、「朋也の父親」を呼び出す――朋也のために、行動する。
最初とは、渚と朋也、まるで立場が逆になったかのような、『変化』っぷり。
『変化』が浮き彫りになるのです。固定カメラ。見ている位置は同じなのに、見えてるものは違っている。朋也も渚も、パッと見は同じでも、その内面は当初とは大きく違っている。
(少し話逸れますが、よろしかったら、今第1話を見返してみて下さい。渚の声に、絶対驚かされると思うので)
『変化』『その中でも変わらないもの』が浮き彫りになる上に、(部室のに関しては)最初と最後が円環――というより、『変化』を加味すれば、一段上の階層に上がったスパイラルといった感じでしょうか――になっている。そんなお話でした。
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