原作に真っ向から勝負する 漫画版「夜は短し歩けよ乙女」

 2008-04-21
記事タイトルに「夜は短し歩けよ乙女」と書いておきながら、いきなり違う本の話題を出してしまい恐縮ですが。

少し前に、桜庭一樹さんの『砂糖菓子の弾丸は撃ちぬけない』のコミックが発売されたのをご存知でしょうか。

砂糖菓子の弾丸は撃ちぬけない 上 (1)砂糖菓子の弾丸は撃ちぬけない 上 (1)
(2008/03/08)
桜庭 一樹

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砂糖菓子の弾丸は撃ちぬけない 下 (2)砂糖菓子の弾丸は撃ちぬけない 下 (2)
(2008/03/08)
桜庭 一樹

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桜庭一樹さんの名前を一般に知らしめるきっかけとなったのがこの『砂糖菓子の弾丸は撃ちぬけない』でして、その中身は「傑作」と呼んでも差し支えないほどの作品です。
そして驚くべきなのは、この漫画版『砂糖菓子の弾丸は撃ちぬけない』もまた、原作を知っていても・原作を知らなくても、どこからどう見ても「傑作」と呼んで差し支えないほどの傑物なのです。




さて、『夜は短し歩けよ乙女』は、2006年11月に単行本が刊行された、森見登美彦さんによる小説です。

夜は短し歩けよ乙女夜は短し歩けよ乙女
(2006/11/29)
森見 登美彦

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幻想的――日本的な幻想的世界――という感じで、この小説は独特な世界を作り出しています。
その要因は物語にも、人物・舞台設定・登場する様々な小物にも、当然あるのですが、ここまでの世界をこれ程まで綻びなく作れているのは、何といっても森見登美彦さんによる文章の力が大きいのではないでしょうか。
特徴的な人物や舞台・設定や小物、それらが収斂するように絡み合う物語を、森見さん独特の表現・言い回し・比喩などが整合性を取りつつ違和感を排除しつつ修飾していきます。「読んでみて下さい」と言いたくなるくらい、言葉ではなかなか説明が難しいのですけれど、つまるところ、人物・舞台設定・小物・物語、そして、それらを表現する文章によって、『夜は短し歩けよ乙女』という作品の『世界』が作り出されているのです。


そしてこの漫画版。
夜は短し歩けよ乙女 第1集 (1) (角川コミックス・エース 162-2)夜は短し歩けよ乙女 第1集 (1) (角川コミックス・エース 162-2)
(2008/03/26)
森見 登美彦

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漫画なのですから、当然そこには、森見登美彦氏による文章はありません。
では、その失った文章の代わりを、どうしたのか。

そこには、「絵」が加えられたのです。


漫画なんだから当然じゃん、とお思いかもしれませんが、これがなかなかそうでもなくて。世にある数多の小説のコミカライズ作品はですね、人物は描く、その感情も描く、舞台・設定も描く、小物も描く、当然物語も描いているのですが、それしか描いていないものが多いのです

夜は短し

例えば、本を開いて2ページ目にあるこの絵。
先輩が「これがコイかー!」と叫んで服がビリビリっと破けて心臓がハートになって浮き上がりそこから鯉や鯉のぼりが飛び出してくる。

夜は短し

例えば、東堂さんとお酒を飲みながら、彼の鯉が竜巻に攫われていった話を聞いた時の絵。
お酒から鯉が生じて空へと旅立っていく描写。

これらの描写は原作にはありません。胸から鯉が飛び出て「これがコイかー!」なんて描写はありませんし、東堂さんと飲んでいたお酒から鯉が出てきて空へと旅立つなんて描写もありません。
でも、これらの描写は、この『夜は短し歩けよ乙女』の世界を、絵として表現していると思えないでしょうか。
原作はきんらめく脚色や独特の言い回しで、七色の吹流しがそこいらを飛び交うような世界を創造しました。それと同じ様に、それに対し、漫画なのだから、文章ではなく絵を用いて、この『夜は短し歩けよ乙女』の世界を創造している。それも、ここに示した分だけではなく、何度も何度も色んな描写をしかけてくる。

この『世界の表現』のしかた。
小説では文字による『世界の表現』に対し、文字に頼れないこの漫画は、そこから逃げることもそれを誤魔化すこともなく、独自の絵で真っ向から『世界を表現』しているのです。


それはやはり、全ての読者にとって好ましいものではないかもしれませんが(俺が思う原作と違う!的問題)、それでもやはり、ただ人物を、その感情を、舞台を、設定を、小物を、物語を描くだけでなく、原作小説が文章とその積み重ねによって作り出した世界すら、きっちりと漫画に作り上げる。


前述の『砂糖菓子の弾丸は撃ちぬけない』の漫画版は、先ほど「傑作」と言ったように、人物も感情も舞台も設定も小道具も物語も素晴らしく描けています。そこに更にプラスして、『砂糖菓子の弾丸は撃ちぬけない』という作品の世界も、この上なく描けている。
森見さんは言葉の脚色・言い回し・比喩、それに短いスパンでも長いスパンでも発揮されるその文章構造によって、独特な森見ワールドを作り上げていると個人的には思っているのですが、桜庭さんの場合は、これもまた個人的に思っているだけですが、感情を存分に感じさせる言い回し&文章の構造(句読点の打ち方ひとつ見ても芸術的に思えるくらい)、そこに読者の胸を穿つような衝撃力がある文章がちょくちょく加わることで、独特な桜庭ワールドが作られていると思っています。

個人的に桜庭一樹さんで一番印象深い文章が、僕が二番目に読んだ桜庭作品『赤×ピンク』の、ページをめくって最初にある文章。
わたしは生命力が弱い
生きることそのものに偏差値をつけたら
42ぐらいなんじゃないかと思うんだ

他にももっと印象深い言葉は沢山あると思いますが、個人的な趣味嗜好とこれが二番目に読んだという読書体験を含めると、非常に印象深かったです。

が。
桜庭さんの驚くべきところは、この程度の文章がガンガン出てきてしまうところなんですよね。文章、記し方、言い回し。読者を引き込むような引力を持っていて、ならびに、それら強烈な個性が作品の世界を作りだしている。

それと同じ様なものを、この漫画版も持っている。
ひとつひとつのコマが、ひとつひとつの描写が、ただ人物を、その感情を、舞台を設定を小道具を物語を描写していながら、それだけに過ぎず、小説の際に文章の積み重ねで描かれた『その世界』を、この漫画では絵(と台詞・文字)の積み重ねで表現している。
例えば上巻P16の台所に立つなぎさを、わざわざ遠めから(兄の部屋に近い場所から)描いていることとか。上巻P23のシャーペンの芯とか。上巻P25の構図とか。……キリが無いのでやめます。
ひとりきりのような、ひとりきりでないような。強がりのような、嘘のような、そうではないような。そんな世界を作り出している。
そして例えば上巻P62〜66の描写のような、読者の胸を穿つような衝撃力のある絵も描かれている。
一つ一つの描写の積み重ねが、世界を作るんだってことをしっかりと分かりながら描かれている――だから結果として、この世界が表現されている、そのような気がします。


こういう志向が、漫画版『夜は短し歩けよ乙女』にも見られるのです。
ひとつひとつの描写が世界を作っていくのに自覚的であるという志向。
そしてそれは、小説と漫画という隔たり――文章と絵という隔たりがある以上、決して原作に依存できない。
原作に依存できない以上、この漫画はこの漫画の表現として、それを"表現する"。
つまり、文章の代わりに絵を描く。それは、原作の文章という表現と当然ながら同じではない。漫画の絵という、原作とは異なる表現。


小説原作の漫画は。人物は描く、その感情も描く、舞台・設定も描く、小物も描く、当然物語も描く、けれどそれしか描いていないという漫画が多いなか(これと一緒に買った「春期限定いちごタルト」はまさにそんな感じでした…)。
文章で表現した小説に対し、漫画ならではの絵の表現で――真っ向から勝負する。
そういった素晴らしいまでの表現への意識が、『砂糖菓子の弾丸は撃ちぬけない』、そしてこの『夜は短し歩けよ乙女』の漫画版にみられました。




さて、この漫画版『夜は短し歩けよ乙女』には、オリジナルストーリーが入っています。この第1集は全四篇構成でして、その内の後二つは森見登美彦さん監修の漫画版オリジナルのお話です。
これがまた、素晴らしい。

そのオリジナルストーリー。
原作の雰囲気を損ねているか?と問われれば、ほぼ確実にそれは無いと答えられます。原作に入っていてもおかしくないか?と問われれば、微妙と答えてしまいそうです。ならばこの漫画版においてどうなのか?と問われれば、完璧、とお答えいたします。
そう、完璧にこの漫画に溶け込んでいる。というか、漫画版においては必要不可欠なものになってしまっているでしょう。
原作と同じ人物・感情・舞台・設定・小道具ながら、少しだけ異なる世界、少しだけ異なる表現がされるこの漫画の世界において、必要不可欠でありさらに本作のおもしろさを倍増させるこのオリジナルストーリー。
ぶっちゃけ、原作読まれた方は、このオリジナルストーリーのためだけに買ってもお得なくらいですし、この漫画版がはじめてという方は、この世界とこの世界の人物達をよりよく理解させてくれるものでしょう(なにせ第一章「夜は短し歩けよ乙女」は、原作でも比較的掴みづらいお話でもありましたし)。

漫画版は、今回が「第一集」。このペースなら第四集まで、少なくとも第三集までは続くと思われます。原作は後半に進むほど、想像を超えた面白い展開を見せてくれましたから、漫画版も続く第二集以降が、オリジナルストーリーも含めて楽しみです。


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