2008'07.22 (Tue) 01:28
DVD8巻には、おまけの小冊子みたいなのが付いてますよね。
そこの12ページに、今回の話の演出・コンテを担当された高雄さんのコメントが載っています。
なぜ、この番外編が存在するのか、番外編がこのお話なのか、これがどうして(京アニCLANNADに)必要とされるのか、その答えは、この言葉に集約されましたね。
「24話は”朋也編”だった」
「”無価値を自称する男”をどう描き、どう救済するか」
まさにそう。
『もうひとつの世界』というのは、単純に、渚ルートではなく智代ルートに進んだ世界、という意味だけではなく。もし渚と出会えず(いや出会っても仲良くならず)、自分を無価値と自覚し、一人で居たならどうだったか、という世界(が中盤、智代と別れてからに架空的に作られている)。
また、朋也から見れば、智代の行ける『高み』というのは――高みに向かうことができる今の智代の状態というのは、彼が失ってしまった『もうひとつの世界』であって。つまり、もし怪我していなければ、バスケを続けられていれば、彼も智代と同じ様に、活躍し、有望し、期待される、そんな世界に居るはずだった。
だから、智代に必要とされることが、ひとつの「救済」となるのでしょう。
もうひとつの自分。自覚できた価値(バスケと、そこから連なる未来)を未だ持ちえられている自分と類同したものから、自覚できる価値を持ちえていない自分への肯定。
怪我せずバスケ続けて有望な選手に育った朋也が、怪我してバスケできず腐ってる彼を肯定するような形です。それが失くなったからって、価値がないわけじゃない。むしろ。あなたと一緒にいれるなら、それを失くしたって別に構わない。
価値なんてものは、そんなところにあるものじゃない。智代からすると、そう。
「私が選んだんだ。先生の評価や、テストの点数で出来た高い場所よりも、私にとっては大きな価値がある」
朋也が腐っていた理由。自分を無価値と思っていた理由。
それは、バスケという自分の価値が奪われたから。
でも、ひるがえると、そこだけなんですよね。奪われたのはバスケで、それに付随する部分だけで、朋也の価値が奪われたわけではない。
そういう、救済。

「全力でお前のところに行く」と言いながら、”ここで”一歩も進めない智代と、(物理的な意味で)全力でお前のところに行った朋也が印象的でした。
智代の姿に、そうはなれなかった朋也の姿を類同視できるように、朋也の姿に、かつての智代の姿を類同視することは出来ます。「出来る」ってだけで、それが正鵠かは分からないけど。
ただ、そういう点で、朋也に智代が自己投影できるのであれば、智代のあの価値判断――(先生の評価やテストの点数などの)他人による価値付けに価値を見い出さず、自分で選んだものだけに価値を見い出す(だからこそ「桜の保全」に、ここまで必死に頑張ってこれたのでしょう)――が鎖となり、自分から動けなくなる可能性はあります。
つまり、【朋也が、今の((先生の評価やテストの点数などの)他人による価値付けで生まれる価値を捨ててお前のところに行くと云っている)智代】に、価値を見い出してくれるか? という恐ろしさ。
ひるがえると、(価値を)見ているところは同じということなんですよね。
そういうところに価値を見い出しているわけではない。
自分の判断で価値を見い出しているわけである。
自分が、(朋也に)(智代に)価値があると思ったから、価値がある。同じ所に居たいと思う。
あんまりにも久しぶりなんで、完璧に書き方忘れちゃってます(笑)
ですが、今回の話は、正直、今までで一番良いんじゃないか、と思えるほどでした。
細かいところでは、影の使い方(例えば智代会長当選時に、朋也の顔半分だけに影がかかるのが、彼の半分だけある不安を示しているみたいな)とか、眼の動き・描写の仕方(光ってたり、虚ろだったり)とかとか、印象的。
実は、原作の智代シナリオは、情けないことに全く記憶にないくらいに何にも分からなかったのですが、アニメはもう、何を語って・何を意味しているのかが、よくよく分かりました。セリフ、表情、眼の動き、人物の配置から細かい仕草まで、全てが(このお話の、受け手の)意味決定に対し自覚的。そんな印象を抱かせるほど、素晴らしい作品でした。
そこの12ページに、今回の話の演出・コンテを担当された高雄さんのコメントが載っています。
「24話は”朋也編”だった」
「”無価値を自称する男”をどう描き、どう救済するか」
なぜ、この番外編が存在するのか、番外編がこのお話なのか、これがどうして(京アニCLANNADに)必要とされるのか、その答えは、この言葉に集約されましたね。
【More】
「24話は”朋也編”だった」
「”無価値を自称する男”をどう描き、どう救済するか」
まさにそう。
『もうひとつの世界』というのは、単純に、渚ルートではなく智代ルートに進んだ世界、という意味だけではなく。もし渚と出会えず(いや出会っても仲良くならず)、自分を無価値と自覚し、一人で居たならどうだったか、という世界(が中盤、智代と別れてからに架空的に作られている)。
また、朋也から見れば、智代の行ける『高み』というのは――高みに向かうことができる今の智代の状態というのは、彼が失ってしまった『もうひとつの世界』であって。つまり、もし怪我していなければ、バスケを続けられていれば、彼も智代と同じ様に、活躍し、有望し、期待される、そんな世界に居るはずだった。
だから、智代に必要とされることが、ひとつの「救済」となるのでしょう。
もうひとつの自分。自覚できた価値(バスケと、そこから連なる未来)を未だ持ちえられている自分と類同したものから、自覚できる価値を持ちえていない自分への肯定。
怪我せずバスケ続けて有望な選手に育った朋也が、怪我してバスケできず腐ってる彼を肯定するような形です。それが失くなったからって、価値がないわけじゃない。むしろ。あなたと一緒にいれるなら、それを失くしたって別に構わない。
価値なんてものは、そんなところにあるものじゃない。智代からすると、そう。
「私が選んだんだ。先生の評価や、テストの点数で出来た高い場所よりも、私にとっては大きな価値がある」
朋也が腐っていた理由。自分を無価値と思っていた理由。
それは、バスケという自分の価値が奪われたから。
でも、ひるがえると、そこだけなんですよね。奪われたのはバスケで、それに付随する部分だけで、朋也の価値が奪われたわけではない。
そういう、救済。

「全力でお前のところに行く」と言いながら、”ここで”一歩も進めない智代と、(物理的な意味で)全力でお前のところに行った朋也が印象的でした。
智代の姿に、そうはなれなかった朋也の姿を類同視できるように、朋也の姿に、かつての智代の姿を類同視することは出来ます。「出来る」ってだけで、それが正鵠かは分からないけど。
ただ、そういう点で、朋也に智代が自己投影できるのであれば、智代のあの価値判断――(先生の評価やテストの点数などの)他人による価値付けに価値を見い出さず、自分で選んだものだけに価値を見い出す(だからこそ「桜の保全」に、ここまで必死に頑張ってこれたのでしょう)――が鎖となり、自分から動けなくなる可能性はあります。
つまり、【朋也が、今の((先生の評価やテストの点数などの)他人による価値付けで生まれる価値を捨ててお前のところに行くと云っている)智代】に、価値を見い出してくれるか? という恐ろしさ。
ひるがえると、(価値を)見ているところは同じということなんですよね。
そういうところに価値を見い出しているわけではない。
自分の判断で価値を見い出しているわけである。
自分が、(朋也に)(智代に)価値があると思ったから、価値がある。同じ所に居たいと思う。
あんまりにも久しぶりなんで、完璧に書き方忘れちゃってます(笑)
ですが、今回の話は、正直、今までで一番良いんじゃないか、と思えるほどでした。
細かいところでは、影の使い方(例えば智代会長当選時に、朋也の顔半分だけに影がかかるのが、彼の半分だけある不安を示しているみたいな)とか、眼の動き・描写の仕方(光ってたり、虚ろだったり)とかとか、印象的。
実は、原作の智代シナリオは、情けないことに全く記憶にないくらいに何にも分からなかったのですが、アニメはもう、何を語って・何を意味しているのかが、よくよく分かりました。セリフ、表情、眼の動き、人物の配置から細かい仕草まで、全てが(このお話の、受け手の)意味決定に対し自覚的。そんな印象を抱かせるほど、素晴らしい作品でした。
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なしおさん、おひさしぶりです。こんばんわ~
なしおさんが、智代編の記事を書いてくれるのを楽しみにしてましたよ~
いやぁ~ホント素晴らしい出来でしたねぇ智代編。
作画、脚本、演出、全てが完璧でしたね~
京アニ作品に飢えてただけに、さらに素晴らしく感じたのもありますけど、ホント凄い出来でした。
それにしても、今回の京アニ版の智代編は、限られてた短い時間で
ホント丁寧にシナリオを解りやすく簡潔にテンポよく纏めていますよね。
原作をやっていて、いまいち理解していなかったアホな自分にも、よく分かる素晴らしい内容でした。
なしおさんの記事の考察を読んでさらに理解できました。
まさに、24話は、京アニにとっては、クラナドをやるにあたって、はずせない話だったんですねぇ~
智代編の素晴らしい出来を見ると、石原監督や京アニスタッフの方々の
智代編にかける、並々ならぬ力の入れようなど、凄く感じますが
その中でも、なしおさんが、冒頭でも名前を出されてる、高雄さんの力は
結構、大きいじゃないかと個人的には、思います。
他の方のブログや、掲示板など見ていても、智代編に対する高雄さんの
評価は凄く高く、演出に対する功績も好評に書かれていたりしています。
自分も、ホント賛同です。
これで、さらに秋から始まる?アフターが、さらに楽しみになりましたねぇ~
秋まで、京アニ作品が拝めないのは、とても寂しい事ですが
アフターの京アニ版は、学園編を超える素晴らしい出来になりそうなのを24話で、ヒシヒシと感じました
なしおさん、長々とコメントを書かして頂いてスミマセン。
アフターの記事も楽しみにしおります。
あ!そういえば、アフターの前にらき☆すたのOVAが来ますねぇ~
これも、凄く楽しみです。
こちらの方の記事も楽しみにしております。^^
(むんと3は、まだ、だいぶ先ですかねぇ~?)
なしおさんが、智代編の記事を書いてくれるのを楽しみにしてましたよ~
いやぁ~ホント素晴らしい出来でしたねぇ智代編。
作画、脚本、演出、全てが完璧でしたね~
京アニ作品に飢えてただけに、さらに素晴らしく感じたのもありますけど、ホント凄い出来でした。
それにしても、今回の京アニ版の智代編は、限られてた短い時間で
ホント丁寧にシナリオを解りやすく簡潔にテンポよく纏めていますよね。
原作をやっていて、いまいち理解していなかったアホな自分にも、よく分かる素晴らしい内容でした。
なしおさんの記事の考察を読んでさらに理解できました。
まさに、24話は、京アニにとっては、クラナドをやるにあたって、はずせない話だったんですねぇ~
智代編の素晴らしい出来を見ると、石原監督や京アニスタッフの方々の
智代編にかける、並々ならぬ力の入れようなど、凄く感じますが
その中でも、なしおさんが、冒頭でも名前を出されてる、高雄さんの力は
結構、大きいじゃないかと個人的には、思います。
他の方のブログや、掲示板など見ていても、智代編に対する高雄さんの
評価は凄く高く、演出に対する功績も好評に書かれていたりしています。
自分も、ホント賛同です。
これで、さらに秋から始まる?アフターが、さらに楽しみになりましたねぇ~
秋まで、京アニ作品が拝めないのは、とても寂しい事ですが
アフターの京アニ版は、学園編を超える素晴らしい出来になりそうなのを24話で、ヒシヒシと感じました
なしおさん、長々とコメントを書かして頂いてスミマセン。
アフターの記事も楽しみにしおります。
あ!そういえば、アフターの前にらき☆すたのOVAが来ますねぇ~
これも、凄く楽しみです。
こちらの方の記事も楽しみにしております。^^
(むんと3は、まだ、だいぶ先ですかねぇ~?)
しーたろ | 2008年07月22日(火) 03:13 | URL | コメント編集
>しーたろさん
こんばんは、こちらこそお久しぶりです。
僕も原作は「え?結局なんだったの?」って感じに全然理解できなかったのですが、京アニの咀嚼は簡潔に纏められてて、非常にわかりやすかったですね。
そして分かりやすいだけではなく、深く、鋭かった。
脚本や絵、声の演技などももちろん良かったのですが、この話の、分かりやすいながらも奥の深みを感じさせるところは、やっぱり演出やコンテの力によるところも大きいように感じられますね。もうあの、距離感の醸し方とか、テンポとか、全てが最高!って感じです。
>アフターの京アニ版は、学園編を超える素晴らしい出来になりそうなのを24話で、ヒシヒシと感じました
やー、僕も超感じました。
ヤバイですよ。アフター、元のお話からして学園編以上なのに、それをこのレベルで表現されたら……もう想像だけで倒れてしまいそうw
>らき☆すたOVA
これも楽しみですね。どうなってるか――あれから一年の経験値の積み重ねが、TV版とどういう変化をもたらすか、今から楽しみです。
あーでも、記事は楽しみにしないで下さい(笑) 書くと思いますけど、期待されるレベルはムリっすw
MUNTOはさらに、前作までとの変化が大きいかもしれませんから、より楽しみだったりします。来年とかになっちゃうんですかねぇ。
こんばんは、こちらこそお久しぶりです。
僕も原作は「え?結局なんだったの?」って感じに全然理解できなかったのですが、京アニの咀嚼は簡潔に纏められてて、非常にわかりやすかったですね。
そして分かりやすいだけではなく、深く、鋭かった。
脚本や絵、声の演技などももちろん良かったのですが、この話の、分かりやすいながらも奥の深みを感じさせるところは、やっぱり演出やコンテの力によるところも大きいように感じられますね。もうあの、距離感の醸し方とか、テンポとか、全てが最高!って感じです。
>アフターの京アニ版は、学園編を超える素晴らしい出来になりそうなのを24話で、ヒシヒシと感じました
やー、僕も超感じました。
ヤバイですよ。アフター、元のお話からして学園編以上なのに、それをこのレベルで表現されたら……もう想像だけで倒れてしまいそうw
>らき☆すたOVA
これも楽しみですね。どうなってるか――あれから一年の経験値の積み重ねが、TV版とどういう変化をもたらすか、今から楽しみです。
あーでも、記事は楽しみにしないで下さい(笑) 書くと思いますけど、期待されるレベルはムリっすw
MUNTOはさらに、前作までとの変化が大きいかもしれませんから、より楽しみだったりします。来年とかになっちゃうんですかねぇ。
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