2008'07.27 (Sun) 04:12
麻枝准さん、最後のシナリオ。
もしかしたら続きとかあるかもしれないし、グランドエンディングとかで補足されるかもしれないので、後で言ってること変わるかもしれませんが、とりあえず。
沙耶シナリオ雑感。
変なテンションで書いてるので、人様にお見せできるほど内容が整ってませんし、感情先走りすぎなんですが、取り敢えず。何か書かないと死んでしまう。
以下、「リトルバスターズ!エクスタシー」朱鷺戸沙耶シナリオのネタバレと、「リトルバスターズ!」最終シナリオのネタバレを含みます。
ありがとうたくさんの思い出を。
これ以上はもうわがままになる。
こんなにくれたらもう十分だよ。
どこまで、麻枝さんは描いてくれるんでしょう。
最後の最後まできっちりお膳立てしてくださいました。
ここまでやられたら、こう言うしかありません。「こんなにくれたらもう十分だよ」と。
ありがとうございます。
たとえば、「ゲームの世界に入れたら」とか、一度くらいは。いや一瞬くらいなら、冗談めかしてそういう考えがよぎったことくらいないでしょうか。
ゲームの世界に入れたら、どうなんだろう。楽しくやれる? 遊んだり恋愛したりできる? あるいは、銃を片手に、夜の校舎の地下迷宮を探検したりしちゃう?
そう、これは沙耶のこと。彼女にとっては、半分漫画の世界ではあったけど。
虚構の世界に入ること。
例えゲームの世界に入れたからって、幸せの担保がある筈がない。主人公は既にいるし、ヒロインは既にいるんだ。おまけにゲームマスターまでいる。その座を取って代わろうなんて、出来ないだろう。その座に取って代わろうなんて、不毛だろう。
ゲームの世界。
それは、夢と同義。
沙耶が「長い夢を見ていて」目覚めたラスト近辺のように、あっちに本当の世界は存在しない。それは僕ら受け手にとっても同じこと。ゲームは所詮ひとときの夢で、そこに現実は存在しない。
タイムマシンでなく、生物兵器を選んだ理由。
虚構は虚構でしかないし、現実は現実でしかないし、今は今でしかない。
それでも。
でも、だからといって、「全て無駄」で「本当に存在しない」わけじゃないのです。ゲームの世界は、ゲームの世界として存在する。虚構は、虚構として存在している。そこには意味があるのです。
かつて麻枝さんはONEで「滅びに向かうからこそ、すべてはかけがえ のない瞬間」だと語った。
それは、全ての現実に言えること。現実に失われないことが担保されているものはない。全てのものは、いつか滅びる可能性がある――というか、きっと滅びる。きっと失う。
けど、ゲームだって実はそうだったんだ。
ONEの永遠の世界は、この――「えいえんはあるよ、ここにあるよ」――の文字通り、このゲームディスクこそが永遠、幾度でも繰り返すことができるこのゲームこそが永遠、なのだと思ったのだけど――
例えば、麻枝さんが作るゲームが、ここで終わり、永遠に続かないように――
何故このシナリオがここにあるのか。
何故「沙耶シナリオ」を、わざわざ麻枝さんが引退せずに書かれたのか。
それは、この「沙耶シナリオ」が、『リフレイン』の真逆だからでしょう。
主人公がやったことを、ヒロインがやっている。
こちらが「見送られた」リフレインに対し、こちらが「見送るしかない」のが、沙耶シナリオ。
理樹が「失うことを肯定した」リフレイン。それと同じことを、朱鷺戸沙耶はしている。
というか、沙耶シナリオで語られていること――沙耶シナリオの沙耶は、リフレインの理樹の、このモノローグと全く同じです。
理樹は言葉にして記述されたけれど、沙耶は言葉にせず記述されなかった。あの地下60階で、沙耶を見送る理樹の感情は、いや理樹に別れを告げる沙耶の感情は、その源は――グラウンドで、理樹に別れを告げる恭介たちと――屋上で、鈴に別れを告げる小毬と、酷似している。
このルートにはバッドエンドしかない。出会っても、終わることは目に見えている。また外国に、父と共に旅立たなければならない。出会っても、別れることは目に見えている。それでも、たとえそれでも――
■
辿り着けなかった青春。
得られなかった温もり。
知らなかったFriend。
そこに辿り着いたのは、それを得たのは、それを知ったのは、全て、彼女にとっての、虚構。虚構の中での出来事。
でも、だからといって、意味が無かったわけじゃない。
虚構だろうが何だろうが。それがあったことは、(虚構の中での)真実として、はっきりと存在している。
それを、全てを俯瞰的に観測できるプレイヤーは知っているはず。
リフレインで語りきれなかったところがあるのなら、そこ。
だからきっと、このお話は存在する必然性が在るんだと思う。
失うという現実の価値は、リフレインで語り尽くした。しかし、失うという虚構の価値は、リフレインで語り尽くしていない。
それはプレイヤーにも、言えること。
プレイヤーにとってのこのゲーム。麻枝さんのシナリオ。そいうった虚構。そういった、虚構の終わり。
しかし、そこにも、価値はある。
終わる虚構にも価値はある、意味はある。
夢から覚めた先に、夢の続きは絶対に無い。けれど……夢とは違う現実が、絶対にそこに在るし、夢があったという現実も、絶対に失われない。
リフレインの逆側から、虚構に接している。
やり遂げても、何も持っていけないと分かっていながら、見事やり遂げて、そして死ぬ。
何回死んでも、諦めず、必死で頑張って。でも当然、何も持っていけない。でも最後に辿り着くまで頑張って、そして……最後に辿り着いたら、自分から、幕を下ろす。
それが、麻枝さん最後のお話し。
もしかしたら続きとかあるかもしれないし、グランドエンディングとかで補足されるかもしれないので、後で言ってること変わるかもしれませんが、とりあえず。
沙耶シナリオ雑感。
変なテンションで書いてるので、人様にお見せできるほど内容が整ってませんし、感情先走りすぎなんですが、取り敢えず。何か書かないと死んでしまう。
以下、「リトルバスターズ!エクスタシー」朱鷺戸沙耶シナリオのネタバレと、「リトルバスターズ!」最終シナリオのネタバレを含みます。
【More】
■ありがとうたくさんの思い出を。
これ以上はもうわがままになる。
こんなにくれたらもう十分だよ。
どこまで、麻枝さんは描いてくれるんでしょう。
最後の最後まできっちりお膳立てしてくださいました。
ここまでやられたら、こう言うしかありません。「こんなにくれたらもう十分だよ」と。
ありがとうございます。
虚構の世界
たとえば、「ゲームの世界に入れたら」とか、一度くらいは。いや一瞬くらいなら、冗談めかしてそういう考えがよぎったことくらいないでしょうか。
ゲームの世界に入れたら、どうなんだろう。楽しくやれる? 遊んだり恋愛したりできる? あるいは、銃を片手に、夜の校舎の地下迷宮を探検したりしちゃう?
そう、これは沙耶のこと。彼女にとっては、半分漫画の世界ではあったけど。
虚構の世界に入ること。
例えゲームの世界に入れたからって、幸せの担保がある筈がない。主人公は既にいるし、ヒロインは既にいるんだ。おまけにゲームマスターまでいる。その座を取って代わろうなんて、出来ないだろう。その座に取って代わろうなんて、不毛だろう。
『理樹くん…』
『あたしと出会うルートは…』
『バッドエンドなのよ』
『そういう終わりしか、ここにはないの』
ゲームの世界。
それは、夢と同義。
沙耶が「長い夢を見ていて」目覚めたラスト近辺のように、あっちに本当の世界は存在しない。それは僕ら受け手にとっても同じこと。ゲームは所詮ひとときの夢で、そこに現実は存在しない。
タイムマシンでなく、生物兵器を選んだ理由。
虚構は虚構でしかないし、現実は現実でしかないし、今は今でしかない。
それでも。
これはあたしの青春だ。
その中を精一杯に理樹くんと駆け抜けた。
よかった…
こんな温かな世界に…一時でも居られて。
でも、だからといって、「全て無駄」で「本当に存在しない」わけじゃないのです。ゲームの世界は、ゲームの世界として存在する。虚構は、虚構として存在している。そこには意味があるのです。
かつて麻枝さんはONEで「滅びに向かうからこそ、すべてはかけがえ のない瞬間」だと語った。
それは、全ての現実に言えること。現実に失われないことが担保されているものはない。全てのものは、いつか滅びる可能性がある――というか、きっと滅びる。きっと失う。
けど、ゲームだって実はそうだったんだ。
ONEの永遠の世界は、この――「えいえんはあるよ、ここにあるよ」――の文字通り、このゲームディスクこそが永遠、幾度でも繰り返すことができるこのゲームこそが永遠、なのだと思ったのだけど――
例えば、麻枝さんが作るゲームが、ここで終わり、永遠に続かないように――
リフレインと同じで、そして・・・
何故このシナリオがここにあるのか。
何故「沙耶シナリオ」を、わざわざ麻枝さんが引退せずに書かれたのか。
それは、この「沙耶シナリオ」が、『リフレイン』の真逆だからでしょう。
主人公がやったことを、ヒロインがやっている。
こちらが「見送られた」リフレインに対し、こちらが「見送るしかない」のが、沙耶シナリオ。
理樹が「失うことを肯定した」リフレイン。それと同じことを、朱鷺戸沙耶はしている。
というか、沙耶シナリオで語られていること――沙耶シナリオの沙耶は、リフレインの理樹の、このモノローグと全く同じです。
でも、であってしまったら、いつかうしなう。
それはこわい。
なのに、そうしたい、このしょうどうはなんだろう…。
ああ…そうか…。
それは…ぼくが…
うしなうことより、であうことのほうがたいせつだと…しったからだ。
うしなえばかなしいし、つらい。
でも、それをおそれて、であわないより…。
ひととであい、いっしょにすごすじかんのほうが…。
大切で、かけがえのないものだってことをしっている。
おそれてばかりではだめだ…。
うしなうのは、もちろんかなしいけど…。
たくさんのであいがまってくれている。
たくさんのかけがえのないじかんが、まってくれている。
(Episode『理樹』)
理樹は言葉にして記述されたけれど、沙耶は言葉にせず記述されなかった。あの地下60階で、沙耶を見送る理樹の感情は、いや理樹に別れを告げる沙耶の感情は、その源は――グラウンドで、理樹に別れを告げる恭介たちと――屋上で、鈴に別れを告げる小毬と、酷似している。
このルートにはバッドエンドしかない。出会っても、終わることは目に見えている。また外国に、父と共に旅立たなければならない。出会っても、別れることは目に見えている。それでも、たとえそれでも――
■
辿り着けなかった青春。
得られなかった温もり。
知らなかったFriend。
そこに辿り着いたのは、それを得たのは、それを知ったのは、全て、彼女にとっての、虚構。虚構の中での出来事。
でも、だからといって、意味が無かったわけじゃない。
虚構だろうが何だろうが。それがあったことは、(虚構の中での)真実として、はっきりと存在している。
それを、全てを俯瞰的に観測できるプレイヤーは知っているはず。
リフレインで語りきれなかったこと
リフレインで語りきれなかったところがあるのなら、そこ。
だからきっと、このお話は存在する必然性が在るんだと思う。
失うという現実の価値は、リフレインで語り尽くした。しかし、失うという虚構の価値は、リフレインで語り尽くしていない。
それはプレイヤーにも、言えること。
プレイヤーにとってのこのゲーム。麻枝さんのシナリオ。そいうった虚構。そういった、虚構の終わり。
しかし、そこにも、価値はある。
終わる虚構にも価値はある、意味はある。
夢から覚めた先に、夢の続きは絶対に無い。けれど……夢とは違う現実が、絶対にそこに在るし、夢があったという現実も、絶対に失われない。
リフレインの逆側から、虚構に接している。
やり遂げても、何も持っていけないと分かっていながら、見事やり遂げて、そして死ぬ。
何回死んでも、諦めず、必死で頑張って。でも当然、何も持っていけない。でも最後に辿り着くまで頑張って、そして……最後に辿り着いたら、自分から、幕を下ろす。
それが、麻枝さん最後のお話し。
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