2009'05.03 (Sun) 00:23
![]() | やってきたよ、ドルイドさん! (MF文庫J) (2008/10) 志瑞祐 商品詳細を見る |
【★】
文章もキャラ作りもとにかく上手いけど話が微妙すぎる! というのが、まあ正直なところです。おいおい今の世に謎の美少女転校生と婚約者のちょーどーでもいいーバトルとかねーだろ、と思わざるをえない。新人賞選考で清水マリコさんが 「あ、『やってきたよ、ドルイドさん!』は……なんだろうちょっと懐かしの癒し系?(笑)」 と仰ってますが、そんな感じではありますね。ゆるく、お話は舞台装置と同等に後景化していている。「懐かしの」「(笑)」と付かざるを得ない感じはある。ただ忘れちゃいけないのは、その前の「なんだろう」という部分。
文章とキャラ作りが単純に上手いのですが、そこに自己言及性が客観的に存在していて――その、たとえばお話や中身のなさなどの、微妙なところや古臭いところを、その客観的な自己言及性が脱臼しているのです。これが一つはずした、「なんだろう」に当て嵌まるような独特さを導き出しているでしょう。先が分かって分からずに、自分を分かって分からずに、どうでもよくてどうでもよくない。
この文章は、正直、化けるんじゃないすかね。どうでもよいのにどうでもよくなく、どうでもよくないのにどうでもよく、そんな感じで書かれてますよね殆ど。
なんつうか、一人称だけど三人称の論理で書かれてますよね。感情の処理、描写の処理、記述の処理、それらが、一人称の論理に流されることなく、三人称の論理でコントロールされている。微妙に間主観的。逆間接話法的?とでもいうべきでしょうか。この辺はそのうち深く考えたい。
それが、ベタな話を、「ただのベタ」ではなく、ひとつ脱臼させて、一段上からみて「べタ」だというレベルに打ち据えている。つまり話のどうでもよさが保留的に(評価においても)どうでもよくなれる――儀礼的なものとなる――わけです。
キャラ立ても上手いわ文章も上手い。今回はぶっちゃけ、装丁に救われてる(最初のカラーページの絵の部分とか凄くない?完璧に100点あげれるくらいじゃない?この作品がいかなるものかという空気・雰囲気を、文章以前に完全に植えつけちゃってるじゃないすか(しかもいい方に)。また表紙もいいですよね。舞城(スクアタやディスコ探偵の)みたいなタイトルフォントの、「装飾としてだけの硬質さ」が、形式として作品に力を与えている)(表紙買いor最初のカラーページ買いして間違いない作品)感はありますけど、この作者さんはそのうち化けるんじゃないでしょうか。
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