2009'05.29 (Fri) 04:36
憂が可愛い憂が可愛い憂が可愛い憂が可愛い憂が可愛い憂が可愛い憂が可愛い憂が可愛い憂が可愛い憂が可愛い憂が可愛い憂が可愛い憂が可愛い憂が可愛い憂が可愛い憂が可愛い憂が可愛い憂が可愛い憂が可愛い憂が可愛い憂が可(以下無限ループ
もう憂以外どうでもよくなってしまった。キャラクターがじゃなくて、話とか演出とか全部。
わけわからん。
わけわからんぞ自分。
これがキャラ萌えというヤツか……。
えーとなんだっけ、書いてなかった7話のかんそーね。
「繰り返し」。
やはり一年前と「同一なもの」、そして「異なるもの」、この二つが目立ちましたね。
そもそもこの4月という時期自体が一年前と同一なのですが、たとえば、部活動が新入生を勧誘、チラシで勧誘というのが、一年前と同一のシチュエーションでありながら、去年は貰う方、今年は渡す方と異なっている。

たとえば、この部室での勧誘という姿も、事象は同一でも、するもの・されるもの/入部・非入部という結果、と、異なるものが生じている。一年前は唯が座っていた場所に新入生が座り、一年前と同じ様にお菓子でもてなし、一年前と同じ様にゆるい感じに会話し、でも一年前とは違う。「同じ」ではなく。




たとえば、演奏と、そこで映される学校内のイメージという、一年前、唯の目の前で「翼をください」が演奏されながら描かれたものと同一のもの。
でもやっぱ異なるものがある。演奏されている曲目は異なるし、場所も異なるし、当然技量も異なっているし、挿入されるイメージもまた、異なる。
同一のものと異なるもの。
時は違うけど同じ様な事象なんだから、同一な部分があってもおかしくないんですけど、でも異なっていて当然なんですよね。やってるものも違うし、やられているものも違う。たとえば、一年前の翼をくださいは、唯に向けて演奏されたもので、あそこで挿入されたイメージは、あの頃まだ新入生だった唯にとっての(これからの)学校生活・部活動から連なるイメージ。対して今回私の恋はホッチキスは、新入生に向けて演奏されたもので、ここで挿入されているイメージは、新入生の彼女たちにとっての、(これからの)学校生活・部活動から連なるイメージ。
そこは同じものがあるけれど、やっぱり異なるものもある。
それぞれ異なるということですね。
だから、演奏見て入部を決めるものもいれば、部室で見学した結果入部をしないものもいる。
ムギには彼女たちが「楽しそうな」人たちに見えたから入部をしたけれど、今回見学に来た子はむしろそれに引いてしまった。唯は演奏聞いて「なんだか楽しそう」と入部決めたけど、今年入部しなかった子たちには、それは入部を決意させるほどのものではなかった。
みんなそれぞれの理由で、入部するし、入部しない。
それは梓にとっても、ですね。
てゆうかさ~、憂はなんで入部しないんでしょう?
あれかな~、お姉ちゃんの自立的なそれとかに過干渉しないように的な気遣い的な何かですかねぇ。それとも何か遠慮してんのかなぁ。あるいは自分がお姉ちゃん超過保護だって分かってて、どうしてもお姉ちゃんの世話しちゃうから、それが他の人のお姉ちゃんを見る目に悪影響を与えるとか思ってるとか――でもその辺だったら、同じ学校を選ぶ段でもちょっと引っかかりそうだしなあ。
うーん、ここはやはりアレですね。
「これ以上お姉ちゃんと一緒にいると、お姉ちゃんのことを好きになりすぎちゃうから……だから私たち、ちょっとくらいは離れた方がいいの……悲しいけど、寂しいけど、うん、がまんする!」
これですね!これしかない!これじゃないと納得しない!こういうことにしとけ!しちゃえ!
でも同じ学校には通っちゃう。せめてそのくらいは、自分を甘やかしちゃう。
ホントもうね、だからね(だから……だと……?)、憂ちゃんはちょーかわいいんですよー。
てゆうか憂が軽音部入ってないから憂の出番が全然ないんですけど第9話ァ!!!
(↑第9話の感想はこの一言で終わりです)
京アニさんは原作を改変して憂を軽音部に入れてしまったらどうだろう。
もうね、いっそ改変しまくって。
憂を軽音部に入れてお姉ちゃんとラブラブにさせてみたらどうだろう。
タイトルも改変。
『ういゆい!』に。
これしかない。
ハルヒに喰われ気味らしいけいおん人気を爆発させるには、これしかない。いやもうこれじゃタイトルけいおんじゃないけど。
憂を軽音部に入れる。部活に入った憂は、部室でお姉ちゃんを観察しながら「ギター弾いてるお姉ちゃんかわいいよね~」「お菓子食べてるお姉ちゃんかわいいよね~」「お喋りしているお姉ちゃんかわいいよね~」「歩いてるお姉ちゃんかわいいよね~」「まばたきしているお姉ちゃんかわいいよね~」「もうお姉ちゃんっていうだけで全てがかわいいよね~」と、お姉ちゃんかわいいをただひたすら連呼しまくる。
そんな、夢のような軽音楽部。
ああ、最高じゃないですか!
そしてお姉ちゃんの世話をかいがいしく焼きまくる憂を見ていた澪と梓は、そこに何となく嫉妬を覚えてしまうのです。「ゆ……唯が取られる……?」。除け者にされているかのようになって初めて思う、この微妙な気持ち。早速アタックしようとするけれど、時既に遅し、ういゆいの絆は鉄壁で完璧、入り込む隙間はどこにもなし! 「ふふ……おねえちゃんはわたしのものだよ?」。嫉妬に怒り狂う澪と梓! それを余裕でいなす憂! そしてそれを見て頬をうっとりと赤く染めまくりのムギ! ノベライズ化は中里十、ゲーム化はふぐり屋! これでかつる!
え、律っちゃん? 「律っちゃんいい」(「ヨッくんいい」の声音で)
え~とですね、つまりですね、私は憂の出番を待ち焦がれているわけです。我われは憂の出番を待ち望みまくっているわけですよ。世界は憂を待っている。もうスケールでっかくしちゃったよ! そのくらい憂の出番を待っている。つうか憂だけで一作作れよ(もうめちゃくちゃだ!)。
まあ、百合とかじゃないんですけどね。
なんだろうな、あの、姉妹なのに「おねえちゃんかわいいよね~」と言ってしまう、それを当然としてしまう、そう受け止めている、あの態度。
あれがよろしいのですよ。百合だなんてむしろとんでもない。むしろいらない。可愛いという視線が必要だ。
……となると、ある一つの視聴者の視座の置き場として機能していると言えなくもないかもしれません。唯って可愛いよなぁ、唯をやしないたいくらいだよ~という視聴者の視点と同一的であり、ならばそういう視聴者にとっては、憂の視線と自らの視線は自然同一化されるものであり、つまり憂は我われの視線を持った理想的な存在であるともいえる。
まあ、そんなことはどうでもいいや!(いいのかよ)


憂かわいいよ憂!
以上だよ~。8話と9話の感想おわり!
もう憂以外どうでもよくなってしまった。キャラクターがじゃなくて、話とか演出とか全部。
わけわからん。
わけわからんぞ自分。
これがキャラ萌えというヤツか……。
えーとなんだっけ、書いてなかった7話のかんそーね。
「繰り返し」。
やはり一年前と「同一なもの」、そして「異なるもの」、この二つが目立ちましたね。
そもそもこの4月という時期自体が一年前と同一なのですが、たとえば、部活動が新入生を勧誘、チラシで勧誘というのが、一年前と同一のシチュエーションでありながら、去年は貰う方、今年は渡す方と異なっている。

たとえば、この部室での勧誘という姿も、事象は同一でも、するもの・されるもの/入部・非入部という結果、と、異なるものが生じている。一年前は唯が座っていた場所に新入生が座り、一年前と同じ様にお菓子でもてなし、一年前と同じ様にゆるい感じに会話し、でも一年前とは違う。「同じ」ではなく。




たとえば、演奏と、そこで映される学校内のイメージという、一年前、唯の目の前で「翼をください」が演奏されながら描かれたものと同一のもの。
でもやっぱ異なるものがある。演奏されている曲目は異なるし、場所も異なるし、当然技量も異なっているし、挿入されるイメージもまた、異なる。
同一のものと異なるもの。
時は違うけど同じ様な事象なんだから、同一な部分があってもおかしくないんですけど、でも異なっていて当然なんですよね。やってるものも違うし、やられているものも違う。たとえば、一年前の翼をくださいは、唯に向けて演奏されたもので、あそこで挿入されたイメージは、あの頃まだ新入生だった唯にとっての(これからの)学校生活・部活動から連なるイメージ。対して今回私の恋はホッチキスは、新入生に向けて演奏されたもので、ここで挿入されているイメージは、新入生の彼女たちにとっての、(これからの)学校生活・部活動から連なるイメージ。
そこは同じものがあるけれど、やっぱり異なるものもある。
それぞれ異なるということですね。
だから、演奏見て入部を決めるものもいれば、部室で見学した結果入部をしないものもいる。
ムギには彼女たちが「楽しそうな」人たちに見えたから入部をしたけれど、今回見学に来た子はむしろそれに引いてしまった。唯は演奏聞いて「なんだか楽しそう」と入部決めたけど、今年入部しなかった子たちには、それは入部を決意させるほどのものではなかった。
みんなそれぞれの理由で、入部するし、入部しない。
それは梓にとっても、ですね。
てゆうかさ~、憂はなんで入部しないんでしょう?
あれかな~、お姉ちゃんの自立的なそれとかに過干渉しないように的な気遣い的な何かですかねぇ。それとも何か遠慮してんのかなぁ。あるいは自分がお姉ちゃん超過保護だって分かってて、どうしてもお姉ちゃんの世話しちゃうから、それが他の人のお姉ちゃんを見る目に悪影響を与えるとか思ってるとか――でもその辺だったら、同じ学校を選ぶ段でもちょっと引っかかりそうだしなあ。
うーん、ここはやはりアレですね。
「これ以上お姉ちゃんと一緒にいると、お姉ちゃんのことを好きになりすぎちゃうから……だから私たち、ちょっとくらいは離れた方がいいの……悲しいけど、寂しいけど、うん、がまんする!」
これですね!これしかない!これじゃないと納得しない!こういうことにしとけ!しちゃえ!
でも同じ学校には通っちゃう。せめてそのくらいは、自分を甘やかしちゃう。
ホントもうね、だからね(だから……だと……?)、憂ちゃんはちょーかわいいんですよー。
てゆうか憂が軽音部入ってないから憂の出番が全然ないんですけど第9話ァ!!!
(↑第9話の感想はこの一言で終わりです)
京アニさんは原作を改変して憂を軽音部に入れてしまったらどうだろう。
もうね、いっそ改変しまくって。
憂を軽音部に入れてお姉ちゃんとラブラブにさせてみたらどうだろう。
タイトルも改変。
『ういゆい!』に。
これしかない。
ハルヒに喰われ気味らしいけいおん人気を爆発させるには、これしかない。いやもうこれじゃタイトルけいおんじゃないけど。
憂を軽音部に入れる。部活に入った憂は、部室でお姉ちゃんを観察しながら「ギター弾いてるお姉ちゃんかわいいよね~」「お菓子食べてるお姉ちゃんかわいいよね~」「お喋りしているお姉ちゃんかわいいよね~」「歩いてるお姉ちゃんかわいいよね~」「まばたきしているお姉ちゃんかわいいよね~」「もうお姉ちゃんっていうだけで全てがかわいいよね~」と、お姉ちゃんかわいいをただひたすら連呼しまくる。
そんな、夢のような軽音楽部。
ああ、最高じゃないですか!
そしてお姉ちゃんの世話をかいがいしく焼きまくる憂を見ていた澪と梓は、そこに何となく嫉妬を覚えてしまうのです。「ゆ……唯が取られる……?」。除け者にされているかのようになって初めて思う、この微妙な気持ち。早速アタックしようとするけれど、時既に遅し、ういゆいの絆は鉄壁で完璧、入り込む隙間はどこにもなし! 「ふふ……おねえちゃんはわたしのものだよ?」。嫉妬に怒り狂う澪と梓! それを余裕でいなす憂! そしてそれを見て頬をうっとりと赤く染めまくりのムギ! ノベライズ化は中里十、ゲーム化はふぐり屋! これでかつる!
え、律っちゃん? 「律っちゃんいい」(「ヨッくんいい」の声音で)
え~とですね、つまりですね、私は憂の出番を待ち焦がれているわけです。我われは憂の出番を待ち望みまくっているわけですよ。世界は憂を待っている。もうスケールでっかくしちゃったよ! そのくらい憂の出番を待っている。つうか憂だけで一作作れよ(もうめちゃくちゃだ!)。
まあ、百合とかじゃないんですけどね。
なんだろうな、あの、姉妹なのに「おねえちゃんかわいいよね~」と言ってしまう、それを当然としてしまう、そう受け止めている、あの態度。
あれがよろしいのですよ。百合だなんてむしろとんでもない。むしろいらない。可愛いという視線が必要だ。
……となると、ある一つの視聴者の視座の置き場として機能していると言えなくもないかもしれません。唯って可愛いよなぁ、唯をやしないたいくらいだよ~という視聴者の視点と同一的であり、ならばそういう視聴者にとっては、憂の視線と自らの視線は自然同一化されるものであり、つまり憂は我われの視線を持った理想的な存在であるともいえる。
まあ、そんなことはどうでもいいや!(いいのかよ)


憂かわいいよ憂!
以上だよ~。8話と9話の感想おわり!
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